最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

3/24/2014

橋下徹さんと大阪市政と大阪都構想、そして「差別する町」の伝統


大阪市長やり直し選挙は一応、橋下さんの一人勝ちだったが、大阪都構想は極めて難航している。


このこと自体はとても残念だ。大阪府全体にとって都構想がメリットが大きいだけでなく、大阪市にとっていささか乱暴にも見える現状改変の都構想であっても、最終的にはよい転換点になったはずだからだ。

だが都構想の本質がなんなのか自体すら、橋下さん自身がほとんど語っていないのは橋下さんにも責任の一端があるとしても、今までちゃんと言って来なかったことを言ってしまえば、橋下さんが市長を続けることすら不可能になるのかも知れない。

実のところ前回の選挙では圧倒的な支持で市長に当選させておきながら、大阪市民の大半は恐らく都構想を支持していないか、まず内容をよく分かっていないか、理解する気もないし、実は理解している人は既にこっそりと反対しているのではないだろうか?

いや本当は分かっているのに分かっていないふりをしているのか、本当にまるで分かっていないのか、実は分かっているのに分かっていること自体までも無意識の底に追いやって分かっていないフリをしていること自体についてすら無自覚であるのか、その区別も判然としないことこそが、まさに「ザッツ大阪」なのである。

いわば橋下さん独り舞台であったやり直し選挙が、わずか20%代の低投票率であったことも、無意識か無自覚にせよ、市民が実は都構想を毛嫌いしていることの反映なのかも知れない。

都構想の究極の目的、というより都構想もまたその手段に過ぎない橋下さんの本当の野心は恐らく、大阪と関西圏をここ何十年かの停滞から抜け出させ、日本の現状である東京一人勝ち・中央集権の経済構造を打破し、大阪をかつてそうであったように東京と並ぶ日本の二大経済中心として復権させるために、大阪の経済活動を活性化させ、経済を担えるだけの基礎体力や気力を回復させることなのだ。

明治から大正時代や昭和初期、大阪は人口が東京を上回っていた。絹が日本の主要輸出品だった時代に、日本の経済の中枢にあったのは船場の大問屋たちだった。江戸時代でも、江戸ではなく大阪こそが日本の経済の中心、日本の中心にあったのは言うまでもない。 
だから東京一人勝ちはおかしい、というのは歴史的にも正しい認識だし、極度の中央集権よりも日本全体にとってもメリットがあるはずだ。 
だが現状の大阪は違う。

東日本大震災では東京一極集中の脆弱さに気づく人も多く、企業のなかには大阪にも経営基盤を持とうとする、一時的には経営の中枢を大阪に移すことを考えた人も少なくない。だが起こっておかしくなかった(東京でそれを危惧する人も少なくなかった)この大移動は、結果としてまったく起こらなかった。理由は東京が実際にはそれほど被害を受けていなかったことでも、回復が思いのほか早かったからでもない。端的に言ってしまえば、大阪にその受け皿になる体力も体制もなかったからだ。

ぶっちゃけ、大阪に行ってみたら仕事がまるで進まなくなった、ということだったりもするわけで…。


いやまあ大阪万博が頂点であるよりは没落の始まりだった大阪の現状はそんなものであり、今の大阪はおよそ「商売人の町」でもないし、実利を重んじチャッカリしているわけでもいなく、むしろこれほど実利や商売の損得を考えられない人たちが経済を担っている都市も珍しいほどだとすら思う。

以前に橋下さんがぶち上げた、関空と梅田をリニアで結ぶ構想にしても、大阪と関西の経済圏の全体を考えれば、伊丹空港が廃止となることも受け入れられたはずだが、そうはならなかった。関空、伊丹、神戸と三つも空港があることがただ「無駄」だから整理すべきだった、というだけではない。伊丹に配慮して関空がその機能を発揮できないことが大阪がこのグローバル経済の時代に巨大経済都市として生き残る上で障害になり、大阪の東京への従属を固定化するからこそ、断行すべきだったのだ。

ちなみに新幹線が大阪駅に止まらないようになったことからして、大阪を実は経済都市としては没落させようという狙いだったような気もする。 
結果、大阪は東海道山陽新幹線の東京や品川と並ぶターミナルという当然の地位を確保出来ぬまま、新大阪がただの停車駅になっている。

空の便に関しては、東京も決して便利な都市ではない。羽田空港の再国際化が今やどんどん進行しているのも、成田空港というかなり遠く不便で、その割に空港としての使い勝手も悪いところが玄関口であることが、香港や、インチョン国際空港を擁するソウルが国際ハブ空港としての機能を発展させていることに較べて、日本経済の凋落を危惧する要素にすらなっていたからだ。

その点、関空は最初からハブ空港化を視野に入れて設計されている(成田は当初計画の半分くらいしか実現出来ていないので滑走路が足りないし、ハブ運用は夜間離発着が出来ないので無理)。関空を当初の構想通りに完全に運用すること(伊丹と関空の一本化はその重要な一部)は、国際経済都市としての大阪を維持するには不可欠のことだったし、日本経済の基礎体力強化にも貢献したはずだ。

バブル以降の停滞20年超とはいえ、中国はともかく韓国に経済的に「抜かれる」ことを日本が危惧したりライバル視する理由はない。だいたい、国の大きさつまり市場規模がぜんぜん違うし、韓国経済は日本経済に大なり小なり依存しなければ維持出来ない。 
そうは言っても国の安定した経済成長を政策的に支える選択について、韓国政府の方がここ10数年以上の日本よりも遥かに合理的で正しい選択をたいがいはやっていることは無視しない方がいい。
というよりも日本には「景気が悪い、景気が悪い」という強迫観念への行き当たりばったりの対処(たとえばアベノミクス)以外に、経済政策や、現状に見合った安定成長路線の政策判断がないのが問題なのだ。 
それでもなんとか持っているのは、日本がそれだけ豊かな国で過去の遺産があり、日本政府も相当に資産を抱え、そんな危機的な財政難では実はないから、である。
その意味で、大阪市政と大阪経済の現状は、日本の縮図か極端化されたカリカチュアとも言える。

だからこそ橋下さんは伊丹の廃止も視野に入れて関空=梅田リニア構想をぶちあげた。

今ならバスで1時間かかるしそのバスが1時間に1本か2本しかない梅田=関空をリニアで結べば、今はいかに儲かっていようが伊丹=羽田便は意味がなくなる代わりに、海外からのビジネスマンの日本出張の相当な部分を大阪が担える体制になる。

まったく、羽田=伊丹便が繁盛しているのに伊丹を廃止する理由がない、と言い張る人たちはなんと「先のこと」も考えられず、現状認識すら木を見て森を見ずの保身の自己中心主義なのだろう?東京から大阪に来る乗客が伊丹に着くか関空に着くかだけの違いで、伊丹が羽田便で儲かるとはすなわち、大阪が東京に従属する都市であることに甘んじる現状の追認以外のなにものでもない。伊丹空港から行くままでは、国際ビジネスマンにとって大阪は、東京のついでに時間があったら程度のスタンスでしかなく、だから大阪が発祥の、本店や本社が大阪にある企業でも、実際の業務の中心は東京に置くしかなくなり、それでは大阪の経済産業はどんどん空洞化する。

「関空は不便」と言って伊丹廃止に反対したって、それは大阪市内と関空が直結されていないからだ。

逆に伊丹が便利なのは、ただ阪急電車が走っているからに過ぎない。リニア構想は実用化されていない技術なのだし大風呂敷広げ過ぎの打ち上げ花火スタントだったにしたって、なぜ梅田や天王寺か難波と関空が鉄道で直結していないのか、理解に苦しむ…ようなことでもない。それをやってしまったら伊丹空港の価値がなくなるから、わざと関空を不便にしているのだ。

あるいは伊丹を維持するなら維持するで、今度は比較的近いアジア圏、少なくとも韓国やとくに中国、それに台北やバンコクやマニラくらいは直行便を飛ばさないと意味がない。それもビジネスで常用できる程度の運行規模でないと、今度は国際ハブ空港化したインチョンや香港や上海、北京に、関空や成田、羽田が大阪の旅客を奪われるだけになる。

大阪が実利を重んじ損得勘定にぬかりのない商売人の町だなんていうのは、現代ではまったくの嘘っぱちだ。むしろ官僚的な既得権益に、それがジリ貧に向かうことを見て見ぬふりしてしがみつき、顧客のニーズへの対応も苦手な引きこもり体質、というのが実態に近い。

都構想はそんな現状の停滞を打破するひとつの手段であり、橋下徹さんが目指しているのは過去の繁栄を食いつぶしその栄光のプライドにすがりながら、現状をなにも変えられず、このままでは衰退するしかない大阪の力を取り戻すことだ。

都構想とはそのための荒療治であり、また府知事として橋下さんが実感したあまりにもの不自由を打破することでもあった。ぶっちゃけ、大阪府というのは財政難も含めてほとんどなにもできないのに規模だけは大きい自治体である。

なぜ大阪府には力がないのか?

これまでの府政にも責任がないわけではないが、最大の理由は構造的なものだ。大阪府内では、大阪市だけが一人勝ちにリッチな自治体であり、実質権力の大部分を府ではなく市が独占しているからだ。

これは大阪府内でも大きな不均衡を引き起こしている。

大阪市だけがお金が潤沢では、他の自治体の住民は貧乏クジを引かされた格好になる。もっとも、その他の市町村も大阪市のベッドタウン化しているわけで、それなりにリッチな大阪市の恩恵に多少は預かってもいるわけだが。

なにしろ腐っても鯛のかつては巨大経済中心で、日本の大企業は経営機能のほとんどが(国際競争に勝ち抜くために)東京中心で動いていても、大阪には名前だけ本店、名目上本社がまだたくさんある。実は大阪の産業経済とは現状ほとんど関係がなくとも、それは大阪市の税収には結びつく。

その上大阪市の不動産資産が、実はもの凄いらしい。正確なところは忘れたが(橋下氏の対抗候補たちはなぜそれを調べ上げて争点にしないのだろう?)下手すれば市全体の25%だか3割以上の経済産業立地が、実は大阪市の所有だったりする。

だからこそ大阪市はリッチで、無駄なハコモノでもどんどん建てられるだけではない。補助金で地元経済を廻している面ももの凄くあり、そして市役所がその巨大利権を握っているのである。そのすべては、大阪市民の目先の利益ともなり、その生活を維持するのにも貢献してはいるわけで、だから橋下さんも都構想の真の目的をおおっぴらに口には出来ないのだろう。


つまり都構想の本丸は、大阪市役所の持っている巨大利権と巨大権限を剥奪し、大阪市だけがリッチな現状を変えて大阪府全体で効率的におカネを使うことと、過去の遺産と補助金漬けの大阪の経済の実態を打破して、自立した経済的な体力を回復することにある。


市営地下鉄や市バスの経営体制を変える、といった橋下さんが打ち出している一見些細に見える改革案も、実はこの「大阪市がとにかくリッチな自治体で、その財源が大阪の経済のかなりの部分をなんとか廻している」という文脈で、本来は考えなければいけないし、逆にそう考えればこそ明瞭に意味が分かることなのだ。 
少なくともそれらの市営交通の経理を明瞭にする効果はある、市が実は膨大な資産や財源を隠し持っていることの一端は見えて来るはずなのだ。

言い換えれば都構想の本音とは、「大阪市民は甘やかされて腑抜けにされているからこのままじゃダメだ」ということであり、「税金の無駄遣いでもなんでもいいからそれで経済が廻っているという現状はおかしいだろ」、だから「大阪市民がもう今までのように甘やかされず、大阪府全体で有効にお金を使うことが、大阪の経済活性化につながる」である。

だがこれを言ってしまえば、東京コンプレックスに苛まれる大阪市民のプライドはもの凄く傷つくし、実はかなり補助金で廻っている経済の、その補助金を直に貰っている層であるとかからは、確実に支持されない。

でも橋下さんが選挙キャッチフレーズで打ち出している「次世代のために」で考えれば、このままその温存の最優先で行けば、大阪は実は経済的に凋落するだけなんだから、目先は損するとしてもやった方がいい決断のはずではある、少なくとも本気で議論はすべきだ。




だが橋下さん自身が、そうした本当の争点を今度の選挙ですら打ち出せてはいない。これには維新という政党の問題もある––橋下さんと慎太郎以外は、恐らく本当の政策だとかなにも分かっていない人たちばかりに見える。

「維新」というウヨッキーな復古調の党名も含め、橋下さんや慎太郎が右翼を演じているのは、それがポピュリズムとして現代の日本政治でかなり有効だからに他ならない。その意味で橋下さんや慎太郎の国家主義や復古主義はかなりの部分、スタンドプレーであり演技だ。だが維新の他の議員や党員にとっては、安倍晋三ばりのペラペラな国家主義の装いが本気の本気で、子供じみた精神論以外の中身がなにもないのだから始末に負えない。

これは橋下さんや慎太郎本人の性格的な問題もあるのではあろうが、結果として側近やブレーン、補佐役として彼らを支える人材がいない、というか周囲にロクに能力がない人たちしかいない。

橋下さんが格闘しつつぜんぜん成果が上がらない大阪市政の場合は、市議会与党や野党より、もっと大きな問題や障害が他にある。まず市役所が、それこそ霞ヶ関も真っ青な「伏魔殿」だし、その巨大利権と巨大権限をそう簡単に手放すわけがない。

いや橋下さんにとってもっと困ったことは、本当の改革のポイントを選挙の争点にしても票にならないという大阪市とその市民全体の問題だろう。

この点でも大阪は日本の縮図か、凝縮されたカリカチュアになっている。国政ならば霞ヶ関、大阪市政なら中之島の市役所を中心とする建物群が本当の「敵」なのだ。
だが国民も市民も、肝心な時には選挙の結果よりもその官僚機構の方になびくよう、適度に飼いならされ、お役所には結局は絶対に逆らわない、逆らえないと思い込まされている。


実は大阪市はリッチである。だが表向きは日本でもっとも多数の生活保護支給を抱える自治体でもあり、だから「不正受給」の背後に在日コリアン団体やいわゆる同和団体の影響をあてこすりながら、「生活保護が市の財政を圧迫している!」とか言った方が、選挙には勝ててしまうのがこれまた「ザッツ大阪」だったりする。

なにしろ共産党まで支持者を維持し票を集めるスローガンが、「同和利権」なるフィクションを持ち出し部落解放同盟をネチネチとヘイトスピーチで攻撃することだったりするのが、大阪市政では当たり前の風景なのである。

いやそれは日本共産党だからこそ、という説もあることも念のため言っておきます。 
その方が結構図星だと僕自身だって思っているし、そんなヘイトスピーチのデマ偏見流布での支持集めを延々とやって来た代々木のエラいさんが「反差別デモ」とかで先頭に立ったりするのはほとんど失笑ものの悪質な冗談である。

これは決して安易に言っていいことではないし、裏でこっそり口にする人の多くが極めて安直な偏見で、結果として完全に間違っている場合がほとんどだが、かと言って無視するのもまた差別的な偽善になりかねないこととして、橋下徹さんという政治家と、橋下さんがいわゆる同和、被差別部落民の出身であることは、やはり切っても切り離せない

橋下さん個人の性格がどうこう、などの薄っぺらで偏見に満ちた決め付けをやりたいのではない。

むろん橋下さんが自分の実力で出世できる弁護士という資格商売を選んだこと、派手なスタンドプレーと大風呂敷に固執しがちな目立ちたがり屋である一方で、世間のうわべだけの偽善のタテマエを時にまるで無視して自爆しがちなことと、自力で上り詰めたエリートだからこその強烈な自信と負けず嫌い、人によっては傲慢と毛嫌いするプライドの激しさ、いずれもいわばその “最下層” 出身だからでもあるのだろう。

だが、それが橋下さんの「強さ」と強烈な上昇志向のベースにあるとしても、そうした強烈さや我の強さを持てない小市民的な付和雷同な人間が「あいつは同和だから」とか陰口を、というのは、さすがにちょっとウンザリ…

…と言っても、ぶっちゃけた話、こと大阪府知事、大阪市長としての橋下さんの毀誉褒貶の激しさに関しては、支持しているようで裏では陰口を叩く人も多い大阪方面の論理は、まさにこうした差別意識と成功者への嫉妬のない混ぜ以外のなにものでもない。

実を言えば橋下さんの出自のこと自体、僕は彼がまだ府知事であった頃に大阪で映画を撮り始めるまで、考えもしなかったのだが、「橋下」という名字自体が関西出身であればすぐ “ピンと来る” ものである。 
いや言われてみればそうなのだけど、いくらなんでも法的にいわゆる「部落民」が平等扱いになってからもう140年、さすがに今さら、そんな差別をするのはごく一部の人だろうと、当初は無邪気にも思っていたのだ。 
だが「あいつの出身は」云々を最初に聴かされたのは、彼が右派だから反対なのだろうと普通なら考えるようないわば左派リベラルの市民派というか、小川紳介や土本典昭、原一男の映画作りを大阪で積極応援して来たはずの人からだった(かと言って代々木系ではないので念のため。つまり大阪では左翼が差別の先棒を担ぐのは共産党に限ったことではない)。

だから橋下さんとその出自、つまり彼がいわゆる被差別部落出身でありながら、あの大阪で府知事になり市長をやっていることにおいて、結局はその出自の問題を切り離しては考えられないのは、橋下さん個人の人柄や性格に関する問題ではない。橋下さんが結局はそういう出自の人としか見られない、そうなってしまう危険性を橋下さん自身も無視出来ないことが、いちばん大きいのだ。

言い換えれば、それは橋下さんの育ちとか性格の問題よりも、橋下さんを見る市民・府民の側の(あくまで先述のような、「ザッツ大阪」的な意味での「無自覚」な)差別意識の問題だ。

そう思えば、橋下さんが極右ポーズをとることを選択したポピュリストであることには決して賛成も共感も出来ないものの、その選択をした動機も含め(同和出身で左派だったら、それこそ相手にされないのがバブル後の日本のポピュリズムだ)、橋下徹さんの「勇気」は認めざるを得ないし、その「勇気」とは大阪市民の特権的優位意識をあえてぶっ壊す都構想をぶちあげたことも含めてであることは、言うまでもない。

前市長の平松氏も本人は決して悪い人ではないのだろうが、平松市政が話題作りの人気とりでやったことの多くが、大阪の人には分かる(ただし先述の「ザッツ大阪」で、実は分かっていること自体分からないのか、分からないフリをしているのかよく分からないのが大阪である)「暗号化された同和いじめ」だった。

ちなみに平松さんと橋下さんの一騎打ちになった前回の市長選で、橋下さんの出自をあげつらったネガキャンが週刊誌で行われたのは、平松陣営が関わっているとしたら大阪が分かっていない部類の勇み足だろう。 
実は差別が根深いからこそ、「橋下が市長になれないのは同和だからだ」と言わせることは絶対にやらないのも「ザッツ大阪」、その辺りは徹底して二枚舌というか、「差別している」と言われることは徹底して避ける。

釜ヶ崎の「浄化」計画を進めようとしたこと(ホームレスの人たちを新築した福祉住宅に入れる、と表向きは「よさそう」に見えること)、道頓堀のタコ焼き屋が市の土地で営業していたのを撤去させたこと、河川事務所が川や堀・運河に沈んでいた現金などをいわばネコババしていたことの告発、すべて「分かる人には分かる」こととして、いわば「暗黙の同和利権」と市民が実は理解して来たことをターゲットにしている。

橋下さんの代になって大っぴらに維新が問題にした大阪人権博物館(リバティおおさか)の展示内容にしたって、とっくに平松市政の代から、同和差別の告発の要素が徹底的に去勢された、極めて偽善的な内容になっていた。

旧渡邊村、その昔のえた・ひにん制度導入の前の秀吉の時代には「太鼓庄屋」の称号を与えられた日本一の太鼓の産地、江戸時代には骨粉肥料の開発でもけっこう儲けていたその場所にある「差別の歴史を教える」博物館が、アイヌの展示とか女性差別に関する話から始まるんだから、人をバカにしているじゃありませんか。


残念なことに、橋下さんも市長になったとたん、自らがその出自なのに…いや、これは部外者の勝手な言い草だろう。橋下さん自らがその出自だからこそ、分かり易い「暗号化された同和いじめ」をやらなければ市長の地位が危うくなったことは認めざるを得まい。

そうしなければ、すぐに「あいつはやっぱりしょせんはヨツ」と陰口が行き交うに決まっている。リバティ大阪だって橋下さんの立場では、平松時代に既にやっていたそれ以上をやらなければ「やっぱりヨツ」でリンチ吊るし上げの対象になりかねない。

それこそ都構想の真意が分かったとたん、市長を続けられないどころか「部落のクセに生意気だ」が決して表向きでは口にされない合い言葉となって、それこそリンチで殺されかねない、その恐怖はあれだけ勇ましい橋下さんだって無視は出来まい。


東京では、橋下さんが文楽協会に噛み付いたことで「文化が分からない無教養な右翼」と批判することが主流だったが、実はこれは大阪ではまったく違った意味を持つのだ。

文楽人形浄瑠璃、その語り部である太夫も人形遣いも、太棹三味線も、たとえば「太夫」の称号が示す通り、伝統的にいわゆる「えた・ひにん」階級の特殊技能だった。人形浄瑠璃はいわゆる「かわらもの」の芸能であり、その大きな劇場は地域的に言えばいわゆる「被差別部落地域」にあるものだった。

…っていうか大阪の今ある繁華街の多くが、大阪駅のある梅田ですら元は巨大墓地があった場所であり、たいがいは歴史的にはいわゆる「部落地域」かそこに隣接している場所だ。そしてその多くは、江戸時代から賑やかだった。

なお江戸だって、日暮里や浅草から北西、吉原にかけてと、隅田川の川向こうの両国は “そういう地域” で、だから歓楽街や娯楽文化の中心として栄えた歴史がある。 
別に役者芸人や遊女が「虐げられたもの」だったから、というだけの単純な話ではないので念のため。 
浄瑠璃も歌舞伎も、そして能楽も、そのドラマの基本構造からして宗教的・霊的に、その人たちでなければ担えない表現だったからである。 
こと浄瑠璃ではその構造は極めて明確だ。浄瑠璃の物語は決してオリジナル・ストーリーではなく、すべて元は歴史物語として誰もが知っている共通教養の源平合戦や太平記などを翻案した歴史物か、同時代的に大いに話題を集めた恋愛スキャンダルを扱った世話物だ。 

『義経千本桜』より 
前者では主人公達は歴史上の非業の英雄たち、後者ではたいがい心中事件の主人公、つまり死者であり、それまで世間で知られていたのとは異なる「事件の当事者から見た真相」がそのドラマの中身だ。つまり死者を代弁することで、武家社会の忠義の論理や商人の世界の義理や決まり事の矛盾が引き起こした悲劇を告発するのが文楽人形浄瑠璃であり、その真実を語り社会を批判出来るのは、特殊な霊的な力を持ち然界の神々や死者たちとつながった “権力外” の人たちだけだったのだ。 
被差別部落、「えた・ひにん」とは本来、そういうものである。江戸時代の身分法でも、士農工商のさらに下に「えた・ひにん」があるという構造ではない。そのヒエラルキーの「外」にあった制度上最下級身分、いわば「身分がない」「身分の外」であり、では実態も最下級だったのかと言えば必ずしもそうとは言えなかった。 
というかもっとはっきり言えば、現代でもたとえば「太子町」と言った地名がその地域には多いし、京都に行ってしまえばミもフタもなく分かり易いこととして、「えた・ひにん」階級は明らかに、天皇と密接な関わりを持っている。 
なお彼らが江戸時代までなら皮革加工やにかわの製造、明治以降では屠畜や精肉に関わるのが「穢れ」とみなされて、というのもむしろ明治以降の誤解である。本来は「それら穢れた職業しか彼らに許されなかった」のではなく、彼らにしか許されない仕事だったのである。 
命を奪うことは「穢れ」ではなかった。命を奪えば普通は「祟る」、その祟りを本気で恐れたのが過去の日本人であり、自然神や死者の霊を鎮める力を持つ彼らだけが「祟り」を恐れずに済んだのだ。

橋下さんが自分も被差別の出自なのに右翼のポーズをとり「弱者」に冷たい、という批判は教条左翼から多々出て来そうなわけだが、それはそれであまりに差別的な言い草だと指摘しておく。むしろそんな厳しい境遇だからこそ実力でのし上がった橋下さんからすれば、そんな「弱者」扱いこそが自分達を被差別の立場に追い込み閉じ込める話にしか見えない。

頭の良さと人一倍の勉強を武器に弁護士資格をとり差別をはねのけて来たのが橋下さんであり、弱者扱いされること、弱者に甘んじることなんてまっぴらご免だろうし、そうしたことを一切考えて来なかったし教えもして来ていないことが、日本の差別に関する教育(「人権教育」)や、反差別を自称する「支援」の運動の多くに見られる巨大な誤謬だ。

橋下さんの右翼国家主義のポーズはむろん「その方が人気が出る」という冷徹な判断が第一にあるのだろうが、こうした戦後左翼がこと差別の問題についてほとんどなにも成し遂げて来ず、しょせんは恵まれた中産階級の自己満足に堕して終わっているのが大半である現状と、こと大阪では他ならぬ共産党が自分達に対するヘイトスピーチで票や支持を集めていることへの、彼自身の強烈な反発の結果でもあるのだと思う。

この辺りは、戦後の左翼運動や今の左派やリベラルを称する人たちが大いに反省すべきことだ。

また橋下さんの世代になれば、一方で部落解放同盟などの運動体ももはや賞味期限を失ってしまっていることが大きい、とも思う。

これは解放同盟自体が悪いわけではない。

橋下さんは賛成しないだろうとも思うが、少なくとも僕から見て、解放同盟は大筋に置いて、戦後の運動方針はどれも間違ってはいない。普通なら差別の解消に役立って当然の、理論的に正しいものがほとんどだったと思う。

だが戦後まもなく、貧困と差別が密接に結びついていた時代に、いわゆる部落民の経済的な生活状況の向上を要求して戦ったことは、結果として「同和利権」なる都市伝説を産み、増幅させ、あたかもいわゆる部落民が一般市民に較べて優遇されているかのような偏見を産んだ。

就職差別が激しかったからこそ、自治体などに積極雇用を要求したことも差別解消の最初の段階として当然とられるべき処置だったが、これも「利権」と言うことにされてしまった。

行政の側はさらに手の込んだことに、雇用なら歴史的に旧えた・ひにん階級が関わって来た葬儀祭礼や河川の管理、ゴミ処理などの職種をメインにし、これ見よがしに「危険手当」などを匂わせることで一般プチブル市民の悪意と嫉妬に満ちた噂を誘発して来た。

公共住宅の建設ではわざと建設費が割り増しになるような独特な様式の建物にして、巨額の建設費でこれまた一般プチブル市民の嫉妬を誘発させて「同和利権」神話を補完すると同時に、そうした建物それ自体が見た目の特異性からして被差別のスティグマとして機能するように仕向ける念の入り様である。


また一方で、こういう施策の過程で部落解放同盟それ自体の一部幹部を始めとしたいわゆる被差別の側に、いやな言い方をすれば「鼻薬」をかがせることも、ちゃんとぬかりなくやって来ている。そうすることで当然の権利の要求の運動を去勢し、利権に縛り付けて身動きをとれなくすることも計算済みだったのか、これもまた無自覚・無意識にそう仕向けたのか…

そんなやり口がもはや「伝統」と化した大阪市政にあえて乗り込んだ橋下さんを、僕は無碍に非難する気にはなれない。慰安婦問題に関する暴言それ自体は問題だが、「慰安婦=売春婦」論的なことを橋下さんが口にするのは、なにも知らない二世三世の「愚かな坊ちゃん」だらけの自民右派や、そこにはへつらう傲慢な権威主義者のNHK会長がオランダの「飾り窓」を持ち出すのとは意味が違う。

橋下さん自身が飛田料理組合の顧問弁護士をやっていたこともある。オランダの「飾り窓」云々どころではなく日本にも、こと大阪には(売春禁止法があろうがなかろうが)、それこそ「飾り窓」とは比べものにならないほど厳格な伝統様式すら持った遊郭、売春業が飛田九条の松島に存続しているし、歴史的な経緯では遊女もまた「えた・ひにん」階級であったことから、それは橋下さんが育った環境の身近にあったものだ。

橋下さんにしてみれば、そういう現実が厳としてある現状を知りもしないで「慰安婦がかわいそう」的な感傷主義の“正義”の装いに終始する議論には、そう簡単に納得はできまい

むろん理論的・理念的に考え抜いた結果ではなかった安直な発言の責任は問われるべきだが、橋下さんがいわゆる部落民であり、飛田料理組合の顧問弁護士だったことの意味を深く考えもせずに「女を食い物にする組織売春に加担した」的にあげつらった批判には、「それは違う、なにも分かってない」と言わねばなるまい。

部落解放同盟の戦後の運動・闘争のなかで、現代の我々にも馴染みが深いのはいわゆる「言葉狩り」だが、これは実は差別の解消には理論的にはなんら寄与しない闘争だった…というのは同盟も最初から実は分かってやっている。

「えた・ひにん」とか「ヨツ」と言ってはいけないとしたところで言い換え語で「部落」、それも禁じたところで今度は「同和」と、いくらでも言い換えは出来る(「売春」と言わず「風俗」も似たような話だし、軍専用売春婦では体裁がつかないから「慰安婦」と呼んだ日本軍なんてのもある)わけで、言葉を禁じたところで差別は温存される。

差別は決して「差別語」ではなくあくまで差別意識の問題であり、「チョン」が差別語だから使わないとしたところで、差別的な意識や文脈で「在日」と言えば差別性は維持される。

ただそれでも、「差別語」という概念を持ち出すことで、「チョン」だの「ヨツ」だのの言葉を無頓着かつ無神経に使っていた人間に気づかせることにはつなばるはずだし、放送局などの大手メディア・言論権力を掌握する側にそれを突きつけること自体が、差別問題をうやむやにさせず差別される側がきちんと自分達の存在と、自分達が担う正義を突きつける意味があった。

ところがこれも、まるで理論的にはそうなるはずの結果にならなかったのだから、現代の日本という差別することが国民共同体の暗黙のレゾン・デートルになっている泥沼は恐ろしい。

なんと日本のマジョリティの側はこれを、「部落の連中が生意気にも俺たちの言論を封じようとしているが、差別と言われるのは困るからしょうがない」というように読み替えてしまったのだ。こうして差別に苦しめられている側が不当な抑圧者にスリ替えられるフィクションが共同幻想として成立し、自分達こそが被害者なのだという歪んだ自己正当化の言い訳にみすみす利用され、挙げ句に解放同盟は「怖い」か「鬱陶しい」、不当な圧力団体扱いすらされてしまうのが現状だ。

戦後の部落解放運動の歴史は、やって来たことは基本正しかったはずだ。

戦略的にも理論からすれば有効で、普通ならそれで成功することをちゃんとやっていたはずなのだ。

なのに結果だけ見れば、敗北よりももっと始末が悪い。自分達の正当性を認めさせたはずが見事に足下を掬われ、差別する側の狡猾にして無自覚な悪意の連帯に闘争の手段を絡めとられ、逆利用され、差別は解消に向かうのでなく隠蔽されるだけで温存され、昨今ではそこに胡座をかいてふんぞり返ったまま「反差別の運動」の主体すら被差別者から奪う「マジョリティからの反差別」運動を称してその自分達の「善意」にマイノリティを服従させようとする輩まで出て来る始末だ。

それどころか今や、『はだしのゲン』に「かたわ」「乞食」「貧乏人」と言った言葉が出て来ることを理由(というか言い訳)に、このマンガを子供に読ませまいとする、そうすることで戦後に原爆の被爆者がどれだけひどい差別を生き延びて来たかすら隠そうとする勢力まで、出て来てしまった。

 「なぜゲンだけなのか」 回収協力の校長「悔やんでる」(朝日新聞) http://www.asahi.com/articles/ASG3M7G13G3MPTIL033.html


こうした「臭いものにフタ」こそが、いわゆる「差別語」禁止の最大のデメリット、むしろ差別が「なかったこと」とされてしまうことに利用されかねない。

差別を表象する言葉、差別が確かにあったし今もあることの明確な記号を禁忌とすることで、差別自体が隠され、伝える言葉もなく、それ自体がなかったことにされてしまう。

また「差別語を使っていないから差別ではない」と言い張る余地まで、差別をし続けたい側に与えてしまう。

「差別する側」でありながら反省と自己改善を拒絶する者達にとって、もっとも好都合で身勝手な結果になりかねないことだ。

そんな現状のなかで橋下徹さんを無碍に責めることは、少なくとも僕にとってはちょっと良心が許さない。その個々の発言内容や態度には、納得出来ない、批判すべきだと思うことも多々あるが、それですら狡猾かつ無神経な無自覚さで「自分達が安心して差別出来る立場を温存したい」をずっと貫いて来た僕たちの社会が彼をそこに追い込んでしまった結果であるようにしか、僕には見えない。

ただだからこそ、橋下徹さんにはあえて言いたいし、気づいてもらいたいとも思ってしまうのである。

あなたが差別をはねのけて懸命に頑張って来たそのことすら、あなたの真の敵である匿名の、集団制の、摩訶不思議で正体の判然としない、無自覚で無神経で無責任なこの国の「差別する側」に結果として負けてしまっている、いいように利用されてしまっているのではないか?

だからこそ、大阪都構想の本当の意味も、そろそろブチまけてもいいのではないか?

「あなた達はこれまで不当に甘やかされて来て、それがあなた達の活力も奪っているのだ。大阪市民であることの特権的な利益なんてこの際、大阪のため、日本のためにこそ自ら棄てる覚悟を、あなた達は持つべきではないのか?」と言ってもいいのではないか。

そうでなければ橋下徹さんに大阪市民から期待されていることは、ただの徹底した「同和いじめ」(それを同和出身の市長がやれば「差別ではない、区別だ」と正当化されるらしい。そんなバカな)でしかなくなってしまう。

実はかなりの部分が補助金で廻ってしまっている経済をなんとかするのでなく「同和利権」という都市神話になんとなく符合しそうな補助金や生活保護だけを切ることだけだ、ということになってしまうし、このどうしようもなくドス黒く陰惨で無自覚さと無神経さに満ちた、不特定多数の「差別する側」のいっそう堕落した集合的不道徳の泥沼だけが、橋下市政が次の世代に遺す負の遺産になってしまいかねない。

これは単に差別される側の、いわゆる部落民や在日コリアンなどの人に「やさしい」社会を、とかいう話ではない。こんな自堕落な非倫理と、人間としての最低限の矜持の欠如を共有する集団性のなかに引きこもり、商人の町のガッツなんてとっくに失いかけている大阪が、再び名実ともに日本第二の経済圏の中心、独自の文化とエネルギーを持った都市を取り戻せるかどうかの、瀬戸際ではないのか。

つまり大阪が自分をちゃんと取り戻す、ということでもある。

3/18/2014

拉致問題を玩具にして来た罪、し続ける罪


拉致被害者・横田めぐみさんのご両親が、めぐみさんの娘のキム・ウンギョンさん一家とモンゴルのウランバートルで面会していたことが明らかになった。帰国後、記者会見に臨んだご夫妻の、特にお母さんの早紀江さんのあまりに嬉しそうな笑顔が印象に残る。

横田夫妻の記者会見(産經新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140317/crm14031717080008-n1.htm

このお孫さんの存在が明らかになってから、考えてみればもう10年以上、北朝鮮政府が彼女からおばあさんに宛てたビデオレターを公表した時も、それをテレビの生中継番組で見るときの横田早紀江さんは、もう「目に入れても痛くない」と言わんばかりの顔をされていた。中学生だった頃の娘さんの写真にそっくりのお孫さん、その当時10代の少女だったウンギョンさんも、もう26歳で結婚もし、10ヶ月のひ孫も面会に連れて来たという。

横田さんご夫妻がお孫さん一家に会われたということは、ご夫妻がある残酷な現実を受け入れたことも意味する。

あれほど探し求めためぐみさん、あれだけ助けたかった、もう一度会いたかった娘さんは、残念ながらもうこの世の人ではない。

その忘れ形見であるかわいいお孫さんのウンギョンさんがそう言うのだから、おじいさん、おばあさんである滋さん、早紀江さんは、間違いのない事実だと受け止めているはずだ。

家族であるウンギョンさんやその父でめぐみさんの夫、横田さん夫妻から見ればお婿さんに、そんな噓をつく必然がないし、また噓をつけるようなことでもない。こと最初に公表されたビデオレターでもすぐに分かることだが、ウンギョンさんはそんな噓がとてもつけそうもない、やさしくてまっすぐな、気だてのよい娘さんに成長していたし、早紀江さんは祖母としてそのことを心から喜んでいた。

だが実は、いかに「めぐみさんは生存している」と日本の政府やメディアが騒いでも、この事実をご夫妻はとっくに覚悟されていたのではないかとも思う。

そもそも「めぐみさんは生きている」と日本側が言い張ることには、最初からなんの根拠もなかったのだし、無責任な部外者ならともかく、親がそんな安直な話をただ本気で信じて安穏として来られたはずもない。どう現実を受け入れるか、深く苦悩され、生きていて欲しいという願いと絶望のなかで、逡巡を繰り返してこられたに違いない。

それに北朝鮮が、日本のメディアが喧伝するようなとんでもなく残虐な国ならば、仮に生きていても日本であれだけ騒ぎになれば「面倒くさいから殺してしまえ」となることくらい、本来なら誰でも想像がつくことだし、その点でも日本の拉致報道はあまりにも無責任だった。

確かに北朝鮮側が出して来た、亡くなった拉致被害者に関する情報は、世界有数の先進国で世界一戸籍制度がしっかりしている日本の標準からすれば、ずいぶんいい加減に見えた。別の被害者について提供した遺骨がDNA鑑定の結果別人だと分かったことすらあった。

だがそれだけを持って「だから生きている」と言い張るのには、あまりに無理がある。

日本のように遺体や遺骨をきちんと管理していることだって、日本の歴史においてすらここ40年とか50年くらいのことに過ぎず、遺体や遺骨が実はないお墓も日本全国には今でも多々ある。 
火葬が普及する前、土葬だった時代のお墓を移転する時も、移すのは墓石だけだった。だいたい酸性土壌の日本では、土葬された遺体は骨ですら分解されてしまう方が当たり前だし、火葬が全国で徹底され遺骨が骨壺に入って守られているのは、実はかなり最近に限ったことである。

横田めぐみさんに至っては、北朝鮮側が「亡くなった」というから「いや噓だ、生きているんだ」と言うためだけに、ご両親にしてみれば深く傷つくであろう無責任な風説まで、さんざん報道されて来た。

優秀だっためぐみさんが、北の諜報活動の日本語関連の職務に深く関わっていたから、というのならまだ分からないでもない話だが、なまじ美人だったというだけで、前国家指導者の金正日の愛人だったから返せないのだ、などという報道が平気でまかり通っていたのだ。

そんな悪意と下衆な好奇心たっぷりな風説の根拠は、なんだったのだ?お嬢さんが誘拐されただけでなく、権力者の性の慰みものにされていたなぞという、親御さんからすれば耐え難い、胸が張り裂けるような話を、なぜ平気で吹聴出来たのだろう?

あんな下品なことを言ってしまえば、ご両親をどれだけ深く傷つけるか、考えていたのだろうか?

それでもうわべは「支援する」人たちや、他の拉致被害者家族への気がねから、横田さんご夫妻はなにも言えなかったし、そうした被害者の家族のなかにはメディアに持ち上げられ自民党右派に「支援」され、有頂天になって参議院選に出馬する人までいた。

家族と言ったっていろいろあり、親子と兄弟とではまた違うわけだが、姉が拉致被害者であることよりも政治家やメディアに…というか舞い上がらせた側の罪は大き過ぎる。

そんななか、本当なら親としての当然の気持ちを横田さんご夫妻が露にして、怒っていたら、どうなっていただろう?

普通なら仮にそんな事実があっても、公表に最大限慎重になることだ。しかもあんな風説には、なんの根拠もなかった。実際のめぐみさんは拉致された辛い境遇のなかでもしっかり生きて、愛し合う家族もきちんと作っていたというのに。

帰国した拉致被害者・蓮池薫さんの兄・透さんは、自民党右派にべったりの拉致問題に関する運動と、その政府が実はなんの交渉もしていないことに「おかしいのではないか」と異を唱えたとたん、ひどいバッシングに遭った。


蓮池透さんが昨年7月に朝日新聞に寄せた談話

実は薫さん一家を守るために、矢面に立つ覚悟でもあったのだろう。そんな蓮池透さん自身が最初はそうした被害者家族のなかでも急先鋒の論客だった(蓮池家は高学歴のエリート一家なのだ)が、帰国された弟さんに本当のことを聞いて、考えをまったく改められたのだ。

凄いご家族だと思う。もうあっぱれという他ないほどにしっかりしている。その家族内の議論たるや壮絶なものだったのだろう。 
こんな強固な家族の絆を持った家が、今の日本にはどれだけあるのだろうか?

拉致問題は、そんなに単純なことではない。

被害者の立場は複雑である(元は誘拐されたとはいえ、何十年もそこで生活して来て、人間関係も作って来たのだから当然だ)。そして日本と北朝鮮の関係もまた、この国家が隠していた誘拐事件だけを持って一方的に「北朝鮮けしからん」と言えるほど、単純なものではない。

北朝鮮が日本人を拉致していた事実を公式に認めたとき、日本側の反応は実はある世代を境にくっきり分かれていた。あの戦争の時代を覚えているかどうか、が決定的な違いだった。

確かに数十人、もしかしたら数百人規模で、北朝鮮は日本市民を拉致していた。それが個々の被害者にとって許し難いことなのは当然だが、だがならば私たち日本人の国家は、朝鮮民族になにをしたのか

数で比較するようなことでもないとはいえ、「そんなに偉そうなことは言えない」というのが、子供であってもその時代を知っていた世代の普通の反応だった。目の前にあった社会の現実として、当時の日本人はそれを見ている。従軍慰安婦のことですら、1960年代70年代までは、日本人なら誰でも知っている常識だった。

そして横田滋・早紀江夫妻もまた、それを自分たちの体験としてご存知の世代である。

慰安婦問題だけでも、歴史学的にもっとも信頼性の高い推計では20万人におよぶ朝鮮民族をはじめとする多くの、ほとんどが外国人の女性たちが、大なり小なり強制的に(というかどうみたってほとんど場合半ば以上強引に)日本軍兵士に性の奉仕をさせられた。国家の軍の管理で、個々人の兵隊が娼婦を買うのではなく、彼女たちの給金も国から支払われることになっている制度で、「売春」では体裁がつかないから「慰安婦」という官僚的偽善名称まででっち上げて。

事実上の強制・徴用で(形式上だけ雇用の契約などを整えて)日本の政府や企業で労働させられた人はどれだけいたのか?名目上は「雇用」でも給料は未払いのまま戦後処理でうやむやにされ、移送中に船が撃沈されて死亡し、その補償・賠償もまったく行われていないケースすら多々ある(まあ同じように亡くなった日本人だって、民間人の立場なら国はなんの補償もしていない、徴用され撃沈されたその船だって補償は一切なかったのだが)。

いやなによりも、日本は朝鮮半島を侵略し、武力を背景にした脅しで併合を「合意」させて1911年から1945年まで植民地支配して来た。建前上は朝鮮人も「日本国籍」となったが、日本名を名乗るように実質強制(建前は「平等に扱うため」「朝鮮人の希望で」という体裁)はするわ、徴兵の対象にすらしながら、徹底して差別もしていた

政府国家がやって来たことだけではない。1923年の関東大震災では、多数の朝鮮人が日本の一般市民に虐殺すらされているし、そして戦後も日本人とその社会の総体が、やはり朝鮮民族を大なり小なり差別して来た

さらに、いかに日本の植民地支配それ自体に「近代化に貢献した」など正当化の理由をひねくり出し、当時の建前上の体裁だけをつまみ食いしてどんな言い訳をでっち上げようが、こればかりはまったく言い逃れが出来ない禍根が、今に至るまで続いている。朝鮮半島がなぜ分断国家になったのか?ソ連参戦とともに日本軍が逃げ出したから、宗主国として最低限の責任であるその領土と人民を守ることすら、責任放棄してしまったからだ。

植民地主義に一定の正当性を認めるとしても、これではあり得ないほど失敗した、情けない宗主国でしかない。なのに一体なにを空威張りしているのか? 
だが植民地支配や戦争が遠い過去の歴史になった、しかも学校ですらなぜかちゃんと教えない時代が延々と続いた結果、なぜ半島が韓国と北朝鮮に分かれているのかすら考えないかも知れない世代(というか、報道ですら最近は触れず、せいぜい朝鮮戦争までしか遡らない)は、とんでもない勘違いに洗脳されてしまっているようだ。

日朝の国交正常化交渉で、客観的にみればもっとも重要な、乗り越えなければならない課題は、歴史の問題、過去の清算だ。

拉致がそれぞれの被害者個々人にとってはどれだけ言語同断なことであっても、これは国家としての交渉上、やはり歴史問題のバーターに出来るような話ではそもそもない。拉致の被害者はあくまで個々の拉致された人たちとその家族であって、日本国家や日本人という民族の総体ではないからだ。

ちなみに慰安婦問題について、韓国政府は被害者があくまで慰安婦個々人であることの区分けを、体裁ではきちっと守っている。プロの外交官なら当たり前のことだし、そうしなければ慰安婦制度がいかに言語同断の人権侵害でも、いや人権侵害の問題だからこそ、国際的な支持を得られない。 
韓国のロビー活動がどうこうで反日プロパガンダ包囲網が、だなんて子どもじみた被害妄想をブツブツと国内で言っていないで、自分達がやって来ていることが客観的にどれだけ説得力があるのか、冷静に考えてみてはどうだろうか?「河野談話の再検証」も結局は撤回することになったにせよ、言い出しただけでもどれだけ恥さらしであったことか。

植民地支配はある国家がある別民族の総体に対して行った加害行為になるが、拉致問題はそうではない。被害者はあくまで個々人であり、日本国家はその人たちの生命安全に責任を持つから救うための最大限の努力はするが、それは国家と民族の総体が拉致事件の被害者であることは意味しない。

ところが北朝鮮が日本人を拉致していたことを公式に認めたとたん、日本側は(政府だけでなく、世論までが)「(個々の)日本人が被害者」であることを「日本が被害者」にスリ替えてしまった。

この致命的な勘違いに日本の世論が気づかない限り、拉致問題のその後は進展しようがないし、現にして来なかった。

外交的に言えば、途方もなく馬鹿げた話になってしまっている。だいたい、確かに日朝国交正常化に当って、日本は歴史問題というアキレス腱を抱えているにせよ、現実の、現代の国際政治バランスにおいて、国交の正常化を是が非でも求めて来たのは北朝鮮だ。なのにアプリオリに日本が優位にある交渉を、日本側は拉致問題の扱いを完全に間違えることで、それをただ国内世論の盛り上がりのネタにだけ利用したことで、逆に日本に不利になるように、膠着しかしないように、自ら演出してしまったのである。

金正日政権の時代、飢饉や経済的な危機を背景に、海外からなんとか援助を得るための綱渡り外交が、こう言っては悪いが北朝鮮にとっていわば国家産業、ほとんど唯一の外貨獲得手段になっていた面がある。北の核問題の真相にしたって、要するに金正日政権にとってもっとも効果のある援助引き出しカードが「核武装するぞ」という脅しだったわけだ(本当に核武装なんて出来る技術があるか自体、相当に怪しい)。

にも関わらず拉致問題に関しては、日朝平壌宣言を見ても、北朝鮮側は実質援助のバーターとしてこの国家犯罪の事実を認めたわけでもないし、「諜報部門のある部署が勝手にやったこと」と国家の責任を否定するトカゲの尻尾切り的ないいわけもあえて用いなかった。

国・政府の責任として他国民を拉致誘拐した事実を、そのまま認めた、つまり元から北側が下手に出ざるを得ない国交正常化交渉がかなりの部分さらに日本ペースで進むことを、あえて許容したのだ。

むろんそれはシビアな外交交渉として、北側には「歴史問題の清算」というカードがまだ後に控えているからでもあったのだが、とはいえ国家犯罪を認めたというのは、それだけ北朝鮮が国交正常化を求めている、そのためには妥協も辞さないことのサインであった。

なのに日本側は拉致問題が公になって以来、こうした外交の常道のネゴシエーションのプロセスを完全に忘れ、国益もなにも考えられず、まして被害者の人命や人権なんてまるで無視するような集団ヒステリーに走ってしまった。

亡くなったと報告された拉致被害者の件など、その最たるものだ。

冷静に考えれば、いったん国家犯罪であったことを認めてしまい、それも国交正常化を求めている以上、北側が実は生存している拉致被害者を隠す、返さない理由などまず考えられない。というか、国交正常化が進んでしまえば隠しようがないし、そんなことをやってしまえば早晩ボロが出て、交渉で日本側の有利を誘う結果になるのだから、まずやるわけがない。

死亡者に関する情報に不備が多かったのは「隠している」からではなく「ちゃんと把握していなかった」という可能性は最低限考慮すべき、最低でもその双方の可能性を勘案して交渉に臨むべきだったし、後者ならその杜撰さを、相手を責め、調査を徹底させる材料に利用出来たはずだ。

北にしてみれば国家犯罪であったことをはっきり認めた以上、反省を示しなるべく早く清算した方がメリットになるのだからこの件では完全に受け身になることも覚悟しているし、拉致被害者を救うことが本当に日本政府の目指したことだったのなら、具体的な不備をきちんと指摘しながら調査を要求し、あくまで人命尊重を最優先する姿勢を貫くことが出来たはずだし、第一次小泉訪朝以降ずっとそうして来るべきだった。

だが日本政府の対応は、今に至るまでまったくそうはなっていない。

拉致問題は国家による(他国民)個人への犯罪行為だ。無論、実際には日本が使える外交カードとして意味を持つとはいえ、だからこそ徹底して建前では「あくまで人命尊重」「個々人の人権の侵害が問題」という姿勢を貫くのが、その外交カードを活かす最も有利なやり方だ。

だが日本はこれに完全に失敗して来た。というか、最初からそうする気がなかった、思いつきすらしなかったとしかみえない。

生存していた拉致被害者をあくまで「一時帰国」扱いで合意したのは、それが守られないことくらいは北側も当然計算済みだったろう。日本側があくまで個々人の人権を盾に「帰りたくないと言っているから、その意志を尊重する」と言っていれば、約束を反古にしたことは大きな失点にはならないどころか、北側はそこで納得し妥協したポーズをとるつもりだった公算すら高い。

被害者たちの身柄を今さら確保する積極的な理由もないのだし、拉致という重大な人権侵害の犯罪行為を反省し、これからは人権を尊重する国であることをアピール出来るからだ。

ところが日本政府は、「本人たちが帰りたくない」では決してなく「日本国家が彼らを帰したくない」「絶対に彼らを帰さない」とやってしまったのである。これでは人権もなにもない、ただの国家のエゴ、独裁国家も真っ青な話だ。

しかもメディアと世論も無節操に、本人たちの希望は「洗脳されているんだ」と差別偏見丸出しの決め付けで聞こうとすらせず、これを支持してしまったのだから、まるで全体主義国家だ。

正直、この普通ならあり得ない稚拙で巨大な外交ミスに、北朝鮮側の交渉当事者はむしろ面食らったと思う。そして「いったい日本はなにをやりたいんだ?」とワケが分からなくなる、強いて解釈するなら日本側の悪意と敵意としか見えないのであれば、態度を硬化させるしかなくなる。

北としてはこれをきっかけに国交正常化を進めたかったし、過去の国家犯罪を反省する姿勢を示した方が外交上のメリットは大きいし、国交正常化を進めることに日本側になんのデメリットもないはずだ。むしろ「拉致被害者を救う」が日本の国益であるのなら、正常化を進めた方があらゆる意味で有効になる。

だがあくまで被害者は個々の日本市民であり、日本政府は国家としてその生命安全と人権の保証に責任を持つ、という態度を日本側がまったくとらず、「日本人が被害者」ですらなく「日本が被害者」で国内に引きこもって熱狂してしまった結果、拉致問題で国際的な支援さえも得られなくなってしまった。

六カ国協議で日本が拉致問題も議題に、と言う度に、同じく拉致被害を実は抱えている韓国や、米国ですら無視せざるを得なくなったのだからどうしようもない。同盟国である米国や韓国ですら「北朝鮮側」とは言わずとも「日本に賛成できない側」に追い込んでしまったのが、日本が「日本が被害者」だとばかり強硬に言い張ってしまった結果なのだ。

そんな論理のすり替えが国際的にはまったく通用しないのだと、むしろ姑息にも人権問題を悪用しているように見られるだけなのだと、なぜか日本政府も世論も理解して来なかった。

「人権と民主主義」は米国のこの種の外交交渉での最大の伝家の宝刀なのに、ブッシュ政権ですら横田夫妻をホワイトハウスに迎え、第一次安倍政権にうわべだけ配慮したリップサービスに終始しただけだ。仕方がない、日本が「我が国の市民の人権が侵害された」ではなく、ただひたすら「日本が被害者なんだから味方してくれ」では、アメリカは国是からして動きようがないのだ。

国連人権委員会がつい最近、やっと拉致問題を重大な人権侵害として認めたのも、10年以上経過してからだ。こんなの即座に決まっていておかしくない話なのに、なぜ認められなかったのか?日本政府のやり方が説得力もなく共感も呼ばなかった、「日本が被害者」と言いたがる態度が敬遠されたからに他ならない。

拉致被害者については、世界中の誰でもある程度は共感するはずなのに、それを戦争や植民地支配の失敗の責任の誤摩化しに利用しようとする日本側の姑息にしか見えないやり口が、軽蔑すらされて来てしまったのだ。 
いやむしろ、最近やっと国連人権委員会に認められたのは、慰安婦問題に絡んで日本が誠実に解決に取り組むことを促す、いわば「アメとムチ」的な文脈、「ほら、お前の言い分は認めてやったんだから、もう下らない言い逃れはやめろ」的な話でしかない。

三代目の金正恩の政権になって、北朝鮮は明らかに変わって来ている。

外交にしてもただ即座に支援を引き出すのが最優先の瀬戸際・綱渡り外交は、もはや過去のものだ。新しい、若い指導者は、むしろこれから国を作って行く、発展させて行くことを方針として内外に打ち出している。だから平壌がすっかり変わった、ほんの数年で近代都市に脱皮したことも、一生懸命に国際的にアピールしている。

保守政権で対北強硬派の今の韓国との交渉は難航を極めてはいるが、世界を見据えて「お互いに侮辱し合うのはもうやめよう」というアピールまで余念がない。

金正恩が父の代のナンバー2であった伯父を粛正したことは、国際メディアではたいがい強権的独裁国家イメージで報道されてしまったが、北朝鮮の内政で考えれば、この見方はおそらくかなり間違っている。はっきり言えば、金正日はまったく人気がない指導者だった(あれだけ悪い噂が国内から出て来るくらいなのだから、よほど嫌われていた)のだ。その父の代の腐敗した政権のなかでももっとも腐敗した実力者を、親族であってもあえて処刑すらしたのは、国民の支持を得たい若い政権担当者の、国民向けに「政府は変わったのだ」というアピールだと考える方が恐らく妥当だろう。

どうも昨今のメディアというのは、どんな国でも国民がいること、独裁政権こそその支持がなければ簡単にひっくり返る危険を常に抱えていることに、あまりに無神経なまま、極めて差別的な見方でしか、北朝鮮とかイランとかのような国の国民を見られないようだ。 
だがイラク戦争の時ですら、サダム・フセインはそれなりに人気があったから、あの国をなんとかまとめられて来ていたことが、アメリカがフセイン政権を倒した結果の大混乱で明らかになったではないか。 
独裁国家に住んでいるからといって、人間はそこまで愚かに洗脳された木偶の坊にはならない。いやむしろ、そういう社会にいればこそ、狡猾に自分を守らなければ生きていけないのだ。

日本に対しても金正恩政権がしきりに妥協も含め交渉再開に期待する姿勢で臨んで来ていることも、偶発的にではあるが、日本の大手メディアでさえ実は報道している。たとえば、戦没者の慰霊と遺族の墓参を、金正恩政権は日本に持ちかけて来ている。中国との国境地帯の、本来ならば国防上外国人は絶対に立ち入り禁止の地域への墓参の申し入れだ。

ところが日本政府は断るどころか、なんと無視してしまったのだからわけが分からない。いやほんと、拉致被害者を救う気なんてあるんだろうか?なぜ先方が下手に出て来ている、かつての常識ならあり得ないほど妥協して来た交渉チャンスすら、こっちから逃げてしまうのだ?

金正日政権だったらこの時点で諦めてしまうか、日本をなじる好材料に利用すらしただろう。だが新しい政権はそこで諦めず、日本政府を非難することもなく黙ったまま、赤十字を通して交渉を続け、戦没者遺族をきちんと招待したことが、これはNHKで(ちらっとではあるが)報道されていた。

どうみても金正恩政権は日本との関係を少しでも良好にしたいと思っている。

考えてみれば当たり前の話であって、新しい国作りをするのなら、東アジア圏でもっとも重要な経済産業上のプレイヤーのひとつが日本だ。中国に経済依存べったりか、あとは韓国との政治性の強い共同事業だけでは、独立国として経済をなんとか軌道に乗せることすら難しい。日本との国交正常化は、金正恩の新しい政権にとって重要な課題、新しい国づくりを国民にも示す試金石なのだ。

今回、横田さんご夫妻がお孫さんと面会されたこと、その仲介をしたのが(朝鮮総聯本部の落札で疑惑でもないことをさんざん疑惑と騒がれた)モンゴルの政府であったことは、正直いろいろな意味でほっとするニュースだ。

それにしても朝鮮総聯本部の落札 “疑惑” で出て来た名前が「朝青龍」なのだから、日本のメディアは本当に自己中に引きこもり体質で執念深いというか学習能力がないというかなんというか…。

横田さんご夫妻がやっとお孫さんに会えた、止まってしまっていた老夫婦の時間とご家族の歴史が、やっとまた動き出したことに安堵するのは、もちろんだ。もう十年以上前から「会いたい、会いたい」と思って来た家族がやっと再会出来ただけではなく、やっと日本政府の中でも、拉致問題の被害者は「日本国家」では決してなくあくまで個々の、拉致され人生を翻弄された人たちとそのご家族であり、その人たちの人生こそが最優先されなければならない、と思うまともな人たちの意見が通るようになったことも、こと安倍政権で日本外交があまりに不安な昨今、ちょっとは安堵できることだと思う。

とはいえ横田滋さんは81歳、横田早紀江さんも78歳。孫のウンギョンさんも最初にその存在が分かった時には10代だったのが、26歳になってやっとおじいさん、おばあさんに会えたのである。あまりに遅過ぎる。 
あまりに非人間的なことをやって来てしまったことには、やはり反省があってしかるべきだ。

ところが拉致被害者家族会や支援する会はこの期に及んで「戸惑う」といったコメントを出し、今まで横田さんご夫妻を「支援」(するフリだけを)して来た人たちは「北朝鮮に利用される」とか言って、実は横田さんたちをけなしたくてしょうがない雰囲気がプンプンしている。

いったいなにを「利用」されるのやら、わけが分からない被害妄想も凄いが、拉致被害者やその家族を救いたいというのが本当の動機ではまったくなかったことをもはや隠す気すらなくなるほど、最低限の人間性のタガが外れてしまったのだろうか?

さすがに横田さんご夫妻を面と向かっては非難攻撃はできないだろう。いや、せめてそれくらいの自制心だけは持って欲しい。 
「被害者の味方」だけが彼らの自己正当化の唯一の拠り所だからだ。こうやって「被害者」を利用した正義ごっこは本当に下衆だと思うのだが、昨今の日本では、震災にしても差別問題にしても、こういう無自覚な偽善の曝け出しばかりだ。

それにしても、「利用される」って?

むろん北側は日本との国交正常化交渉を再開したいからこの面会を実現させたのだ。そして日本の外務省のなかでも、このままただの没交渉、日本国内向けの強がりのポーズだけではどうしようもないと分かっている人たちの意見が、やっと通ったのだろう。だがそれを「利用される」って、では彼らは、北朝鮮との国交正常化自体を、拒否したいのだろうか?

国交正常化自体が「利用される」ことだって?国力からして日本が圧倒的に優位であることにすら、彼らは気づかないのだろうか?

いや、だが実は、国交正常化交渉それ自体を拒絶することそが、彼らの本当の動機なのかも知れない。

言うまでもなく、日本と北朝鮮の国交を回復するには、たとえ建前だけにせよ、やはり歴史問題は避けて通れない。

それに共和国政府にとっては建前だけでも自国の「公民」である在日朝鮮人の地位の向上、その人権を日本にちゃんと守ってもらうことも、国家のメンツとしては避けて通れない議題になる。

そのいずれにおいても、日本は歴史的に「加害者」である。その責任を直視することから逃げ続けたいのであれば、拉致問題を永遠に未解決にしたまま、ただ「日本は被害者なんだ」と言い続け、永遠に国交正常化を避けた方が楽なのだ––日本国内に引きこもっている限りにおいては。

だから亡くなっている拉致被害者でも、永遠に「生きているはずだ」ということにし続けなければならない。そう無言の同調圧力で強要することがご家族にとって、亡くなった家族を弔い、その死を受け入れることで人生を先に進めることすら許さない、どれだけ残酷なことなのかすら、考えもしないまま。

横田さんご夫妻は、この年齢になるまで耐えて、やっとその一歩を踏み出すことが許された。これ以上は、しょせんは他人でしかない人間がとやかく言うべきではない。今後は北朝鮮を訪れてお孫さん一家やめぐみさんの夫との親交を深めるのも自由にさせてあげるべきだし、お孫さん一家が日本にも遊びに来られるようにすることが、人としてもっともまっとうな話ではないだろうか?

安倍晋三首相を始め、さんざんこの人たちを利用して来た、「支援」を装って心すら踏みにじって来た政府やメディアの人間には、それくらいは尽力してあげるべき、罪滅ぼしの義務がある。

3/13/2014

3.11、あれから3年


10日まで新作『ほんの少しだけでも愛を』の編集でタイのバンコクに居たのだが、帰って来た翌日にはやはり三周年ということで、去年、一昨年に引き続き、いわき市の泉駅からほど近い富岡町の仮設住宅の慰霊祭にお参りさせてもらって来た。


あれからもう3年、という言葉の意味合いは被災者と、東京から顔を出す程度の我々とではもちろん、今では普通のいわき市民にとってすら、大きく異なって来ている。

東京はけっきょく、当日に電車が止まって帰宅するにも困ったのと、その後1、2週間は電力の問題で交通網がなかなか回復しなかった程度のこと。反原発デモも一時はブームになったが、過ぎてみれば何も変わらず、震災前の生活が戻り、これだけ恵まれている大都市のはずなのに、なぜか我々はちっとも幸福を感じていない

当初は「兵糧攻め」とまで言われ物資の流通もおぼつかなかたいわき市も、今ではむしろ “復興特需” で栄えている面さえある。なにしろ福島第一原発それ自体も含め、20km圏内の復旧工事や除染など、ほとんどのベースはいわき市だ。宿がとりにくいのはこの3年間ずっとだし、全国から集まった作業の人たちで不動産の値段も上がり、飲食店などのサービス業や小売りも順調だ。

だが仮設や借り上げ住宅で暮し続ける人たちは、まったく違う。


手狭で不便な仮設になかなか慣れない、非日常が日常になったままに、最初から急普請の安普請だし昨年の今ごろにはもうガタが来始め、若い世代を中心に、もう諦め、覚悟を決めて自らいわきに家を構える人も少なくない。ぶらぶらしているわけにも行かないから仕事を見つけてしまえば、その勤めはいわき市に住み続けた方が便利ということにもなるし、一方で仮設の次の段階のはずの復興住宅は、建設用地の目処すら立たないのがほとんどだ。


小名浜に復興住宅のモデルハウスができたという。だが「結構だね。で、どこに出来るのこれ?」で話は終わってしまう。

3回目の慰霊祭に仮設住宅の集会所に向かうのは、いささか複雑な気分になる。1年ぶりにお会いする人も多く、こういう機会でもなければなかなか顔も出さないようになってしまったのは、いささか心苦しい(映画の撮影が続編の『…そして、春』も終わっているのだから、どうしてもそうなってしまうのだが)。

いやだがなによりも困るのは、

「仮設住宅って確か、2年と決まってたはずですよね」

三周年の慰霊祭ということは、その2年はもう過ぎてしまった。「でも来年もまだここだよ。慰霊祭が出来るかどうかは分からないけどね。今年で終わりかも知れないね」


若い人がだんだん減って行き、仮設ははっきり言えば、文字通り姥棄て山になりつつある、という人すらいる(1年目に書かれていた佐藤紫華子さんの詩集『原発難民の詩』にはすでに「仮設という姥棄て山」という作品があった)。そして空いた仮設には、埼玉に避難していた双葉町の人たちなど、いわきに居住を希望する他の町の人たちを入れる話もあるらしい。

なにも変わらない3年間のあいだに、徐々にいろんなことが崩れて来ている。それを防げるのはただ、皆さんの意思と精神の強靭さだけだ。双葉郡の人たちは強いし、明るい。でもそれにも限界はある。いや3年も経ってしまえば、もう限界のギリギリかもしれない。


3年も経ってしまうと、当事者にとってさえ慰霊の儀式自体は淡々としたものになる。

この日にも、慰霊祭には顔を出さずに壊れてしまった仮設の一部の修理工事をやっている人たちもいた。

駐車場の一部がネットで区切られ、子どもたちの遊び場に改造されている。そこで元気な声が響くのも、いつも通りなのだろう。


これも被災者の皆さんと “その他の日本” が決定的に違うことなのだろう。三周年の記念日は、当事者にとってひとつの区切りでしかなく、日常になってしまった非日常は続く。だがその他の日本全国では、この日だけが被災者のことを思い出す日になってしまっている。

その被災者が直面する問題として報道される内容が、実は昨年となにも変わっていないことにすら、私たちは平然と無頓着で居られる。

なにも変わっていないこと自体が、恐ろしいことなのに。


総理大臣は現場も見ず声も聞かないまま、口先だけ「復興は進んでいる」と言った。いやこの人の場合、本気でそう思い込んでいる、そして自分の思い込みに反する現実はいっさい視野に入らないか、「反日プロパガンダ」「サヨクのマスコミが」かなにかに見えてしまうらしいのだから、なんとオメデタイというか、始末に負えない。


除染の中間処理施設の建設を急ぎ復興に弾みを、と首相は言うが、除染はいったん線量が下がってもすぐ元に戻る、実際には風雨や日中の時間帯だけでも変動が激しいことは地元の人はもうイヤというほど分かっているし、こと原発の直近地域では、そんなに多量ではないとはいえまだ放射性セシウムは福一の原子炉から放出されている。

すべてが実は「税金の無駄」、「やってます」というためのポーズに過ぎないことは、分かる人間が見れば分かってしまう。「田舎」と決めつけてなめてはいけない、避難させられている人たちこそが皆、ちゃんと「分かる人間」ばかりなのだ。


賠償の問題は帰還困難区域だけはなんとか然るべき補償の目処がやっと立ちつつあるのだが、困るのは居住制限や避難解除準備区域だ。

富岡町の場合、この区分けのやり直しがあってそろそろ1年だが、もっと前に決まっている楢葉町や南相馬の小高の「避難解除準備区域」だって、未だに宿泊すら出来ないまま1年も2年も経っているではないか。

これでは蛇の生殺しに等しい。ところがまだ実際の生活なんてなんの目処もないのに、固定資産税を復活することすら検討されている。

「もう無理だ」と諦めようにも、新しい生活を始めようにも、補償されるかどうかも分からない。いずれは「居住制限」が外れるかもしれない、いつかは「避難が解除になります(いつかは分かりませんが)」では、そんな土地を今さら買う人はいないから、売れもしない。

放射線値が低くても、それだけで生活が成立するわけではない。


このままでは、いずれ避難や居住制限が解除されても、あまりになにもない、「究極の田舎で都会の生活をしろという話」になってしまう。つまりは今政府などで考えている「復興」の構想はファンタジーに過ぎず、どだい無理なのだ。

そしてこうなってしまったのは原発事故のせい、つまり第一義的には東京電力の責任なのに、その当たり前の理屈も通らず、然るべき賠償も生活の補償もすべてが宙ぶらりん、今までの精神的負担に対する賠償分すら「合理的な理由」がなければ返還させられるかも知れない、という。またその「合理的」を判断するのが、賠償する側の東電であり政府なのだ。


こんな理不尽の最中に人を押し込めておいて、なにが「心の復興」だ。被災地の子供をオリンピックに招待するのがその目玉だなんて、人を馬鹿にするのもたいがいにしろ、と言いたくもなる。福島浜通りの人々は慎ましいので、そんな乱暴なことは口には出さないが、そう思っていてもおかしくない。


こんな状況がなにか変わらない限り、「心の復興」なんてあり得ない、安心して生きていくことなんて、できるはずもないではないか。

政府主催の慰霊祭は、安倍政権の体面を保つための見栄の行事として完全にお膳立てされているはずだった、だがそこで今は衆院議長を勤める京都選出の自民党の大古参、伊吹文明氏が唐突に、そんな欺瞞をひっくり返すことを追悼の挨拶として言った。

被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々のお気持ちを思うとき、月並みなお見舞いの言葉を申し上げることすら憚られるのが率直な心境です。

今まで政府側でもメディアでも、支援のボランティアの多くさえ、誰もこれを言わなかっただけでも、考えて見たら日本という国と文化の在り方として、恐ろしく変な話である。まさに「月並みな」美辞麗句だけを並べて、実は被災地を放置して来たのが、この3年間の実態だ。

伊吹さんは

震災から3年が経過し、被災地以外では、大震災以前とほぼ変わらぬ日々の暮らしが営まれております。

と続け、被災地と「そこ以外の日本」の落差、実はなんの苦労もしなかった後者が、前者をもはや忘れがちであることに厳しい(自責も含めた)言葉を、あえて続けた。

電力を湯水の如く使い、物質的に快適な生活を当然のように送っていた我々一人一人の責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかという気持ちだけは持ち続けなりません。

この本来なら最初から肝に銘じるべきだった当たり前の気持ち、良心こそが、この3年間「そこ以外の日本」からまったく抜け落ちて来たのではないか?

この事故に懲りて原発政策を見直すべきだ、原発を止めるべきだと主張する人たちですら、この当たり前のことを考えるのを避けて来た。だから双葉郡や飯舘村の故郷を追われた人たちは、この3年間、風評や被曝差別に晒されるか、ほとんど無視されて来たのが本当だ。

だから黙祷の合図とその前の君が代斉唱だけはTVの生中継を頼りにしていた富岡町・泉玉露仮設の慰霊祭でも、黙祷が終わるとすぐにTVは消してしまい、浄土宗のお坊さん(北海道から車で来たという)によるご詠歌の卒塔婆供養に移った。


政治家の挨拶なんて聞いてもしょうがない、腹が立つだけだと、この2年、3年のあいだにみんな痛いほど分かっている。それだけに伊吹さんの、本来の「保守」ならではの言葉は貴重ではあったが、もう少し早く言って欲しかったと思わずにはいられない。

思えば、私たちの祖先は、自然の恵みである太陽と水のおかげで作物を育て、命をつないできました。 
それゆえ、自分たちではどうすることもできない自然への畏敬と、感謝という、謙虚さが受け継がれてきたのが日本人の心根、文化の根底にあったはずです。  
科学技術の進歩により、私たちの暮らしは確かに豊かになりましたが、他方で、人間が自然を支配できるという驕りが生じたのではないでしょうか。そのことが、核兵器による悲劇を生み、福島の原発事故を生んだのだと思います。 

伊吹文明衆院議長の「追悼の辞」全文はこちら http://blogos.com/article/82142/

今さら言われなくても、これがいちばんよく分かっているのが、元は農家であり漁民であった浜通りの、今原発事故に直面している人たちだ。

そしてそれは、この日本という豊かな国土が育んで来た、日本人本来の伝統の知恵だったはずだ。


だが現代の日本の権力中枢では、「田舎の百姓」の言うことなど、一切相手にしようとしない。そこではなにかとても大切なことが見失われている。

唐突に本来の「保守」の言葉を発した伊吹さんであるとか以外には、「保守」がこの国から消えてしまっている。

日本の中枢にいるのは自分たちでは「優秀なエリート」だと思っている人たちや、世界でもっとも豊かな国のひとつなのになぜか中国や韓国が脅威であるらしく、自分達の生活や利益よりもそうした隣国相手の下らないプライドごっこで「日本は一番だ」と言いたがる輩、どちらも恐ろしく幼稚で妙に子供っぽい者たちばかりが、政治や社会や経済を動かしている。

南蛮貿易で日本を訪れたルイス・フロイスら宣教師たちは、日本の教育水準の高さに賞賛を惜しまなかった。 
幕末の開国で日本に来たヨーロッパ人たちも、一般庶民レベルでほとんどが読み書きが出来るだけでなく、礼儀正しくおおらかで洗練された、人懐っこく親切な日本人の教養レベルに愕然とした。 
戦後まもなく「軍国主義に走ったのは教育水準が低いからに違いない」と信じ込んで日本に来たGHQも、まったく予想が外れていたことに驚愕した。 
日本は昔から、普通の人たちが他のどの国とも比較にならないくらい教養があり、文化的で、一般民衆のレベルが極度に高い国だった。 
それを支えたのはまさに伊吹さんが指摘した、日本人本来の謙虚と自然への畏怖、人間の驕りを厳しく律して来た文化伝統のはずだ。

だが近代化から140年、日本人はタガが外れた、傲慢で身勝手な人間中心主義、自己中心主義の国になってしまったことが、この震災の、「そこ以外の日本」の振る舞いで明らかになってしまったことなのかも知れない。

僕たちの映画(もう3年前の春の記録である)『無人地帯』の最後のナレーションは、あえてこう締めくくった。


“すべてが神”ではなく あらゆる物がそれぞれに神 
災害も 破壊ですら 神々のなせる業であり 
“すべてが神々” 
人間にとって幸となるのも不幸となるのも 
神々の力の結果を人がどう受け取るかの
深い謎であり続ける 
農民と漁師には分かっている 
この世界の謎めいた力と共に生きて 
同じ自然現象の恵みを受け 時に苦しめられて来た 
日本は侍の国ではない 
農民の国だった 
だが今は違う 
近代日本は西洋文明を崇拝し 
世界は私たち人間のために存在すると信じた 
そして原子力を選び 今は扱いきれていない 
もはや農民の国ではない 
ここを除いて… 
この人たちを残して…



富岡町の皆さんの慰霊祭は淡々と終わり、しばらくいろいろな人に挨拶したり話して、夜は知り合いの歯医者の先生(奥さんの実家が浪江)に連れられて、浪江の人がやっているいわき駅前の小料理屋「スプーン」で浪江の銘酒 “磐城壽” を飲みながらいろいろ魚を食べ、いわきの事情や、浪江のこと、今は山形県でこの酒を作り続けている鈴木酒造店の大輔さんのこと、今も福一で働くご主人夫妻の息子さんのことなどで、話に華が咲いた。


というか “磐城壽” はうますぎる酒なので飲み過ぎてしまい、いわきに一泊して、翌日にもう少し3年が経った今の様子を見て来ることに。


日本の現代の地方のご多分に漏れず、浜通りも自動車がないとなかなか不便なところだ。だがちょっと自分の健康状態からして車の運転は控えた方がよく、常磐線の各駅停車で行けるだけ行ける行きつく先、そこから先は運行が止まっている広野まで行って来た。


広野は20Km圏内から外れるかどうかの場所だ。だが30Km圏には完全に入ってしまうので、震災の直後にはこの町も避難した。

幸い3月15日の巨大放射能漏れの際にはほとんどこの方向には風は吹かず、線量も高くない。町の避難は解除され、帰還の方針はとっくに決まっているはずが、実際にはなかなか帰れない人、今さら帰らない人も多い。


立派な家でも、閉め切ったままのところが、駅の周辺でもやたら目につく。


昼時についたのに、飲食店のほとんどが「準備中」の札を出したままだ。


閉店したスーパーや閉じた診療所には、ゼネコンや電機メーカーの現地事務所や作業員の基地が入っている。車は多少は行き交うが、ほとんどが業者の車か、町役場関連だ。

常磐線はいわきを過ぎると途端に不便になり、そして今はこの広野から先は運行を停止している。




それに広野には東京電力の大きな火力発電所があるが、それ以外はとくに、今後生かせる産業や雇用もなにもない。

九割が兼業農家の町だったが、今さら農業ではなかなか、安全な作物が収穫出来ても、買う人がいない。


そして東京の電気を作り続ける火力発電所だけが、モクモクと煙を上げているのが、町の中心街や、海岸の津波被災地域のどこからでも目に入る。



常磐線から海側のかなりの部分が、津波被災地域だ。かつては家があったり、農地だったところは、雑草だけが生え、茫漠たる空き地として、ただひたすら広がっている。


ここの河口の堤防や橋は、3年前の4月に『無人地帯』の撮影に来た時には、もう復旧作業が始まっていたはずだ。2012年に『…そして、春』の撮影に寄ったときも、工事は行われていた。


だが今は工事の作業員や車もまばらで、壊れたものは壊れたままだった。



真言宗のお寺の修行院は、ご住職一家は今もいわきで避難生活を続けながらお寺に通う日々だと言う。

住職の復興ブログ http://hironoshugyoin.blog.fc2.com/


地震で本堂は無事でも庫裏は大きな損害を受けたそうだが、墓石が倒れた墓地も含めて、今ではきれいに復旧されている。


帰って来ている人たちが、お墓参りと掃除をしていた。


このお寺には、戊辰戦争の広野の戦いで戦死したいわば敵方、長州藩の兵士も手厚く葬られている。その墓石は地震でかなり痛んでしまったそうだが、今はきれいに元通りにされている。

その墓地の裏では、作業員の宿舎なのだろうか、新築工事が進んでいた。


これは復興住宅なのだろうか。家も新築されている。


道路工事もあちこちで行われている。とはいえ前に来たときもこんな感じのままだったような気もするが…。


ただ工事の現場だけは、多い。

それにまだ、除染事業もある。

福一の作業に当る人も、この町に泊まる人も少なくない。


その人たちが泊まる設備が、こうやってどんどん建てられもする。

だがこうやってよそから一時的だけこの町に来る作業の人たちが増えても、地元の生活が復旧・復興するわけではない


この町をぐるぐると歩いていて、漠然とした不安に胸が押しつぶされそうになった。


このままなにも変わらないのではないか?

この町の本当の悲劇は3年前に起こったような突然の変化としてでなく、このまま緩慢と、少しずつ、この町は消えて行ってしまう、死んでしまうことなのではないか。

それでも、ここで生活する人たちを見捨てることで、“ここ以外の日本” にとっては最初からここにはなにもなかったかのように、ただ忘れて行くことが許されてしまう。


そして町の人たちは、あるいはここを離れ、あるいは老いて、いずれはいなくなるだろう。



そういう緩慢な変化を食い止めることほど、難しいことはない。「時代の流れ」のひとことで済ませば、誰も関心すら持ってくれない。


中学校の校庭に、少しだけだが、子どもたちがいた。


帰りに、いわき市の久之浜で途中下車してみた。


久之浜の海岸部は、3月11日の津波のあと大火災が発生し、こないだまでは無惨な焼け跡がまるで古代の遺跡のように姿を晒していた。


その被災した家の土台などもあらかた撤去され、盛り土も進み、ほとんどが更地になっていた。


震災の時には稲荷神社だけが、まるで奇跡のように、津波にも耐え火災も逃れた。今では唯一残ったそのお社だけが、ぽつんと立っている。

それ以外は、本当になにもなくなってしまった。


壊れた堤防のそばを、近所のおばあさんが散歩していた。毎日、つい海まで歩いて来てしまうと言う。家は奇跡的に津波被害から外れていて、ずっと住んでいるという。


「寂しくなったよね。もう誰も戻って来ないらしいよ。だからこうやって工事しても、その後はずっとこのまんまだと思うよ」

「ここはいい所だったんだけどねえ。子どもたちも最初は山の方にいたんだけど、やっぱり海のそばがいい、と言って越して来たんだけどね」


だが今では、本当になんにもなくなってしまった。瓦礫どころか家々の、生活がそこにあった痕跡すら消え、殺風景な盛り土の更地には、かつての廃墟とはまた違った寂寥感が漂う。

確かにこの、一応すべて撤去して更地になる段階に到達したところで、工事は事実上中断しているように見える。


ひたすらなにもない、なにも見えない。

過去は消え、未来を指し示すなにかも、ここにはまだない。それは今後も、永久にここに現れないのではないか、という不安が頭をよぎる。


おばあさんの言うように、ずっとこのままで終わってしまうのではないか?そして誰の目にも留らなくなるのではないか?


三年が経ち、被災地は「このまま何も変わらない」段階に入ってしまったように見える。そしてこのまま、忘れられて行くのだろうか?

駅前には、どうも市の復興ビジョンはこういうものであるらしいと示す華やかな看板が立っている。

だが絵に描けばきれいに見えるとしても、ここに示される久之浜の未来は、ものすごく薄っぺらで、空虚で、ゾッとするほどに寂しい。