最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

8/17/2013

「戦後レジューム」という奇々怪々


それにしても、あまりに妙な話なのである。

Regime は日本語カタカナ表記なら「レジーム」のはずが、「レジューム」という安倍晋三さんが自慢げに繰り返す謎の和製英語に、メディアから苦情がまるで出て来ない。

今は副総理の麻生太郎さんが総理だった時分、あれだけ漢字の読み間違い(ってまあ、河野談話村山談話をフシュウには、そりゃ思いっきりずっこけましたが)をあげつらわれたのに、ずいぶん不公平だなあ、とも思う。

いやもっと不可解なのは、よりにもよって安倍晋三さんが(読み間違いを訂正して)「戦後レジーム」からの脱却と言ってるのを、誰も笑わないことだ。

鳩山由紀夫さんがあれだけ名門かつ財産家の出自であることだけでからかわれ、いじめられ、ガンジーの言う現代版7つの大罪を引用した名演説すら全メディア金太郎飴状態のあからさまな世論操作の偏向報道で潰された「労働なき富」って、鳩山さんは遺産を民主党の政治活動の資金に供していただけで、私利私欲で使ったのではない)のと較べて、これまたあまりに不公平だ。

なんせ日本の戦後のレジームつまり支配体制からの脱却って…

…だったらなぜ岸信介の孫のあんたが首相をやってるんだよ、という話にしかならないんですが?

岸=福田派の直系御曹司の三世政治家、血統のよさだけが売りモノの安倍晋三さんこそ、戦後レジームそのものではないか。

安倍さんのオトモダチたちを含む二世、三世だらけの今の自民党こそ、北朝鮮の親子三代金regime、朝鮮労働党金王朝に肩を並べる、日本の戦後レジームの最たるものではないか。

ところが安倍さんが戦後レジームからの云々と言っているのは、どうも日本国憲法を変えたいらしいのだ。もしかして安倍晋三さん、読み間違いだけでなく、regime、支配体制という言葉の意味を知らないで使ってませんか?

憲法が提示するのは国家理念であり国の制度の抽象的な枠組みであって、決して実態権力を握ったregime、「支配体制」ではないのだが。

安倍さんはなにを勘違いしているのか、regimeとは例えばドイツ第三帝国はナチ・レジームであり、帝政ロシアだったらツァーリのregime、革命前のフランスでアンシャン・レジームといえば王と貴族階級と聖職者であって、ルイ16世はブルボン・レジームつまりルイ王朝、ヴェルサイユ宮廷レジームではあったが、絶対王政という枠組み・理念や、カトリックの信仰をレジームとは言わない。当時のカトリック教会の主流派ならそれはレジームの一部と言えるだろうが、当時の絶対君主の多くが啓蒙主義思想にもそれなりに染まっていたからといって、オーストリアの君主はハプスブルク・レジームであって、啓蒙主義がレジームだったわけではない。北朝鮮を主体思想レジームということは出来るが、それは主体思想を根拠に権力を掌握する支配者側がいるからであって、主体思想自体をレジームとは言わない。江戸幕府は徳川レジーム、幕藩体制レジームではあるが、間違っても武家諸法度や朱子学を指してレジームとは言わない。

日本の戦後レジームつまり支配体制といえば、まずは異論の余地なく自民党と霞ヶ関である。

戦後レジームを云々するならば自民党を解党するなり、霞ヶ関大改革をやらなければならないはずだ。まだ道州制の導入を掲げる橋下徹さんの方が、よほど戦後レジームつまり支配体制からの脱却につながる主張をしている。中央集権による権限の掌握が、霞ヶ関レジームの支配体制、権力構造の要だからだ。

いやもっと言えば戦後の日本の真のレジームは米国であり、自民党と霞ヶ関はその走狗でしかないという見方もある。ならば日本の戦後レジームを終わらせるなら、日米安保の破棄が最大の切り札となるはずだ。

「南カリフォルニア大学政治学部留学」を学歴詐称していた安倍さんが、相変わらず定義をよく知りもしない横文字を知ったかぶりして間違えただけ、という可能性がいちばん高いわけだが、だったらメディアがまったく訂正も批判もしないのは、「失言王」「漢字が読めない」麻生太郎さんと較べて、あまりにも不公平だと思うよ。

言葉の定義や読み方を知らないだけではない。どうも戦前戦中の妙な美化だけでなく、戦後史についても、安倍晋三さんは根本的に認識がおかしいようだ。

戦後の日本の行政は一応は憲法に基づいて来ており、法は憲法の枠内には一応はあることになっているが、誰がどう見たって日本の戦後レジームを形成する自由民主党は、結党時から改憲を党是に掲げている。憲法は歯止めにはなっては来たものの十分に尊重されているとは誰も思っていないし、戦後政治で日本国憲法の理念に左右されたり制約され、あるいはその理想とする社会の実現が努力されて来たわけでは必ずしもない。むしろ憲法よりも日米安保の方が優先され、憲法との整合性は後付けで内閣法制局がひねり出す、というパターンが多いくらいだ。

それとも戦争ごっこに固執する安倍さんは、自分が夢想する国防軍が持てないのは憲法サンが許してくれないからだ~、とかすさまじく倒錯した勘違いをしているのだろうか?

…いやだから…憲法に人格はないってば…。

憲法は実態権力持てないってば…。前文も条文も文章、ただの文字列なんだから…いかに日本がアニミズム文化の言霊信仰の国だからって、それはさすがにあり得ないってば…。

もし安倍さんが戦後民主主義への異議申し立てがあるなら、それは「レジーム」ではなく思想性とかパラダイムとか、そういうこと言わなきゃ、駄目だってば…。

日本国憲法は国家の交戦権、国際紛争の解決手段としての戦争は認めていないが、主権者である国民の自然権である抵抗権や自衛権を制約してはいない。

あくまで国家の交戦権ではなく、国民の自衛権だけが認められている、その国民が自らを守る権威を付託された組織として自衛隊が存在することは、違憲とは言えない。だが自衛隊の成立過程を見れば、そうした国民の権利や、憲法の国民主権や平和主義の理念の実現のためではなかったことは、安倍さんだって否定はできまい。

冷戦構造のなかで日本の反共陣営入りというアメリカの要請と、再軍備したい右派がいて、まず朝鮮戦争で再軍備論議が高まり警察予備隊→自衛隊となったのだ。どんなに国民を守る自衛隊と言い張ったところで、最初から日米同盟という枠組みのなかの組織として構想されているのは明らかだ。

それとも安倍さんは、そうした日米同盟の枠内の日本という体制を完成させた祖父・岸信介が「アメリカの手先」と批判される、その批判する側こそが「戦後のレジーム」だとでも思っているのだろうか?

つまり首相であった岸信介よりもそれを批判する側の方が権力構造のなかで上、とでも思っているのだろうか?

だとしたら頭がおかしいとしか言いようがないのだが、うーむ…。安倍さんは自分の靖国参拝願望を否定する「体制」が、この日本の社会構造の裏側にでも実は存在するという、マンガチックな「反日」陰謀論にでも囚われているのだろうか?

わけ分からんぞ…。

あるいは、仮に安倍さんの社会観が小学校か中学校の男の子レベルなのであれば、「アメリカの手先」と生徒の岸君を叱れる先生は、生徒である岸君より明らかに権力がある、ってことにはなるよね、確かに。

あるいは靖国神社に行きたいのに、行かせてもらえない。ボクが自分の思い通りに出来ないのは、ボクが「戦後レジーム」に支配されているからだ、ということなのか。

靖国に行けない腹いせで、終戦の日の式辞で加害責任や不戦の誓いを入れなかったら、またボクが叱られたじゃないか。これは叱ってる側の「戦後レジーム」がボクを支配しているからに違いない、だからそんな支配下から脱却するんだ、とか…

安倍君は、そういうことが言いたいのかな?

ボク、安倍晋三の思い通りにならない、ボクが怒られるのだから、安倍晋三がなにかの支配下にある、その支配体制が「戦後レジューム」だ、という発想なのか??

だから憲法を変えて戦後のレジームから脱却…ってわけ分からんぞ???

法治国家においてが法の論理性の支配下にあること(法の支配)は、レジームとは言わんぞ??? 

大人がそれなりの社会的責任を負わなければならないのは、別になにかの支配下にあるからじゃないぞ????

いやとにかく、わけが分からないのである。「戦後レジュームからの脱却」と、よりにもよって戦後の支配体制を確立した岸の孫が言っている。それも岸の孫であることだけが、政治家をやっていられる理由である人だというのに。どう考えたってその岸信介こそが、日本の戦後政治の支配体制、つまり戦後レジームを確立した超本人なのに。

岸信介がCIAだった、A級戦犯訴追を免除されるのと引き換えにアメリカの意向で動くことを命じられた、という説がある。真偽のほどは定かではないものの、岸が戦後の世界体制がすぐに冷戦体制に取って代わられてしまったなかで、アメリカの都合に最大限に貢献するよう日本が振る舞うことを第一に考えた、戦後日本の対米追従路線を決定づけた政治家であったのは明らかだし、戦前から右派の大物の岸がはっきり自らがアメリカ側であることを示したことは、日本の保守政治が対米従属になること、少なくとも日米が同盟関係となることの上で、もっとも重要な切り札だった。

サフランシスコ講和条約が調印されたときには、すでにこの条約や国連の理念・構想が提示した(その多くがフランクリン・ルーズベルトの理念的な構想に基づく)新しい戦後処理の在り方、第二次大戦の反省に立った新しい国際秩序の理念は、骨抜きになっていた。

日本は生まれ変わった民主主義の独立国として、国連を中心に主権国家の共同体として生まれ変わった国際社会に受け入れられたのではない。冷戦体制の覇権争いの構造のなかで、アメリカ側として、対米追従を条件に独立を認められたに過ぎない。

日本の基本方針が対米追従となることは、戦後日本が掲げた理念や、敗戦で国民が抱えた感情の面で問題があると、誰もが気づくだろう。

戦後の憲法や民主主義ゆえに、あるいは憧れでアメリカを歓迎したのはむしろリベラルや左派や都市中心の一般市民であって、素朴に言ってあれだけ激しい戦争を闘い、農村部からの出征者に多くの死者を出し、都市部の空襲など、日本の国土に相当な被害も与えたアメリカには、右派の旧軍人とか官僚、地方のこと地主階級などは、相当な反発を持っていた。

当時も決して皆無ではなかった、本気で八紘一宇などを考えていた真面目な右派のアジア民族派にとっては、実際にはそのアジアにこそ最大の被害を日本が与えてしまった反省こそあるべき、その欧米白人支配からの独立を支援するのに旧日本帝国の誤ったやり方とは違った手段を模索しなければならないときに、そのアジアの同朋と切れてよりにもよって米国の走狗になるとは、晴天の霹靂の屈辱だ。

戦後の日本政府は、こうした日本本来の保守層に、アメリカ陣営のなかの戦後日本を受け入れさせなければならなかった。岸がこうして戦後レジームを確立するのと並行して、アメリカこそが本来なら仇敵であった保守層の骨抜き策のひとつとして利用されたのが、極秘裏にA級戦犯を国内で復権させたこと、つまり靖国神社への合祀である。

元来は根っからの反米であった保守勢力を納得させる切り札は、決して知的ブルジョワ階級のエリート外交官出身でアメリカ通、戦時中はいつ特高に逮捕されてもおかしくない冷や飯食いだった吉田茂ではなく、満州国を影で支配した実力者と目され、復権した右派の大物の岸信介でなければ務まらなかったのである。

そこで岸信介を(戦犯としての訴追免除と引き換えに)いわば自分たちの代弁者に仕立て上げたことは、アメリカにとって実に好都合だし、公職追放が解かれ官界に舞い戻って来た支配機構側の人間、つまり復権した高級官僚にも好都合だった。

60年安保の頃になれば、当時20歳前後の若者は、子供の頃に米軍の空襲に逃げ惑った世代だ。どんなにアメリカの豊かさに憧れようと、壮絶な幼少期のトラウマを忘れようと努力しようにも、その苦しみと怒りは抜け切れない。

だから安保反対運動など、国内の反発は大きかった。それを乗り切ったのが…いや乗り切れたのも、かつての右翼の大物で戦犯になってもおかしくなかった人物、と皆が知っていた「昭和の怪物」、岸信介しかいない。

とはいえ、反対した側でさえ、これが現実的には実は正しかったと思っているのが、戦後史の実態だろう。

対米追従は屈辱的だが、冷戦体制のなかでの日本には現実的に必要だったと、多くの国民が思っているし(「ソ連に占領されたら共産主義になっていただろう」とか)、50年代にはすでに朝鮮戦争特需があったし、国防とか安全保障よりもまず経済的に、アメリカ側の陣営に入ったことは日本にとって有益だったというのが、現代における順当な歴史的評価に思える。

もっとも、朝鮮戦争やベトナム戦争で日本が潤ったとはいえ、安全保障の面では冷戦時代の研究が進むにつれて、異議が出て来ないわけではない。冷戦自体が米ソ双方の誤解と勘違いと自己投影の積み重ねであり、まったくの無駄であった。核抑止論なぞはまったくの机上の空論に過ぎず、正気とは思えぬ核軍拡競争も、ちょっと双方が冷静さを取り戻せば十分に防げた可能性が高いことも、今ではけっこう明らかになりつつあるのだ。 
早い話が、米ソは双方共に、相手が全面核戦争を仕掛けてくるか、自分達の陣営を侵略する気満々なのだと、勝手な疑心暗鬼で思い込んでいただけなのだ。どちらの側も全面核戦争になったら世界が破滅するから自国が始められるわけがない、と百も承知していながら。

「安倍自民党政権はアメリカの手先」、そう明言するのは安倍さんや自民党に批判的な側だけだが、安倍さんや自民党を支持する側こそが信じて疑っていないのは、岸信介の孫である安倍さんがやはりアメリカの手先であり、安倍さんの自民党が対米追従政治をやるだろう、ということだ。

表向きは格好がつかないから誰も明言はしないが、安倍さんが対米追従の首相だからこそ、安心して安倍さんを支持できるのである。アメリカと良好な関係を保ち、言いなりになっている方が日本にはいろいろ都合がいい、というのが安倍さんや自民党が支持される、最大の理由なのだ。

鳩山さんが提案した「対等な日米関係」は聞こえはいい、見た目はかっこよかったが、「そんなの無理だ」と日本人の大多数は思っていたし、それは今でも変わらない。そして現に民主党に政権をとらせてみたら、どうも「対等な日米関係」にはぜんぜんならなかったし、変わり映えもしなかった、まさに戦後レジームからの脱却にはなりそうにないから、ならば元の自民党でいい、というのがぶっちゃけ、現政権を一応は支持しているらしい日本の世論の本音だ。

いやメディアに至っては、「対等な日米関係」をかっこよくぶち上げた鳩山さんに、理念や道徳では反論・対抗が出来ないから、親の資産をあげつらい「宇宙人」と揶揄することで潰した、という見方すら否定はできまい。日本には対米追従しかないのだと実は心の底から奴隷根性を刷り込まれている身には、鳩山由紀夫の言っていたことはあまりに眩しく、嫉妬しか呼び起こすまい。躍起になって否定するか、それが無理なら下衆なばばあの井戸端会議の手法でこき下ろす、引きずり降ろすしかあるまい。

慣用句では「下衆なばばあ」と言いつつ、日本社会の場合、これは明らかにむしろ男性に多い行動パターンだったりする。こと高学歴優等生エリートという人種は、一皮むけばもの凄く嫉妬深く、実はたいした根拠もなくプライドばかり高い。 
根は育ちのいいボンボンで純粋さが抜け切れない鳩山由紀夫や小沢一郎の弱さとは、そういう自分を取り巻く人々の行動原理がときに恐ろしく身勝手で下衆で下らないことに、なかなか気づけない、気づいても理解出来ないから対応しきれず、味方に足下を掬われてばかりであるところだろう。 
やはりボンボンの麻生太郎さんもそんなところがなきにしもあらずで、彼の場合は陽気過ぎる希代のおっちょこちょいだから自分から地雷を踏む 
安倍晋三さんは…ボンボンとはいえまったく別種の、ひたすらちやほやと甘やかされた、あまり頭の回転が早くないただのわがままなのか、ひたすら自己中心的な世界観しか持てず、自分のことしか想像の範囲が及ばないみたいですから…

ところが日本はしっかり対米追従をやっているから大丈夫、という我々の盲目的な思い込みとは異なり、菅・野田の二代の民主党内閣と安倍内閣は、対米追従を懸命に装って来ているが、決して「アメリカの言いなり」ではない。

むしろ日米の信頼関係は悪化している。

少なくとも、今のアメリカのregimeである民主党中道の「言いなり」になぞ、菅政権以降の日本はまったくなっていない。むしろボタンの掛け違いでアメリカ側を苛立たせるばかりだ。

日本側は自分達ではアメリカの意向を言われるまでもなく慮って来たつもりなのかも知れないが、実際には当のアメリカ現政権が考えるアメリカの国益に実はむしろ反しているのが、鳩山さんが辞任に追い込まれた以降の日本の政治であり外交だ。

なにしろ、むしろオバマ政権の方が対等な日米関係を望んでいたのだ。鳩山さんがアジア重視を唱えるのも大賛成だったのだ。日本、中国、米国の三極(それに韓国も一応)で、安定した東アジアの経済発展の土台を作ることが、アメリカの国益なのだ。日米、日中が対等で、歴史的なつながりの深い同じ文化圏の日本が、中国と米国の間に入ってくれるのがいちばん合理的だったし、そのためには日本が米国の実質属国では中国が信用しない。

国内メディアの世論操作に騙されない方がいい。

安倍首相が改憲はどうもアメリカに許してもらえそうにない今、これだけはどうしてもやりたいらしい解釈改憲による集団的自衛権の是認、つまりアメリカの戦争に日本が協力出来るようにすることも、当のアメリカが望んでいない。安倍は政権発足後もなかなかアメリカが首脳会談に応じてくれないので、切り札のつもりで集団的自衛権を持ち出したが、呆気なく「関心がない」と断られている。

むしろ止められるものならアメリカの戦争は止めて行きたいのが、現実のアメリカ、オバマ政権だ。

オバマ政権は普天間基地を沖縄に固定してそこにオスプレイを配備することを安全保障上絶対に日本に呑ませなければならない懸案とはまるで思っていなかったし、今でもまったくそう考えていない。沖縄を中国との軍事的覇権争いの最前線とみなしてもいないし、アメリカと中国が軍事的な競争関係になることもまったく望んでいない、想定すらしていない。 
米中関係については未だに中国 “共産党” という名称にアレルギーのある国内保守派への配慮が外せない、国是である民主主義に基づく人権とくに言論表現の自由や、今のアメリカ経済にとって死活問題である知的所有権の保護など(かなりの部分、著作権と特許で食っている国である)、中国との対立点はまだまだ少なくないにせよ、それは交渉で解決や妥協は可能とみなし、だから米中の信頼関係の緊密化をむしろ望んでいる。米国に限らず欧州でもどこでも、世界産業の組み立て工場となった中国、世界経済の牽引車である巨大マーケットを持つ中国との関係を悪くしたくないのはどこも同じだ。 
冷戦なんてとっくに過去の、終わった歴史である今、西太平洋における米国の軍事プレゼンスは出来れば減らしたいし、核兵器だって減らしたいから国内世論保守系の反発を押さえたい。なにしろ膨大な維持更新費を必要とする今の核保有が、財政と経済の再建の足を引っ張っているのだ。オバマ政権はそんな軍事費を減らして、アメリカ社会の安定により社会資本と人的な努力を傾けたい。今日本に協力を求めたいのは、むしろ核軍縮なのである。唯一の被爆国の日本の協力は、オバマにとって国内世論説得の重要カードになる。 
アメリカの共和党、保守派はブッシュ政権の「テロとの戦争」の時代から先鋭化・カルト化が進み、広い支持を失いつつある。オバマはこのチャンスに、保守派を牛耳る軍事産業ロビーなどのアメリカ政治の陰のレジームをなるべく排除したい。そこにはいわゆる「ジャパン・ハンドラー」(安倍さんが大好きなアーミテージ氏など)なども含まれる。彼らが発言力を持つ限り、アメリカのアジア外交は時代錯誤で国益を損ねるものになりかねないからだ。中国との良好な経済関係なしには、アメリカ経済も成り立たないのだから。

リベラル派の理念があるだけではない。戦争を続け「世界の警察官」を気取ることは、アメリカの財政にとって負担が大き過ぎるし、なによりもアメリカ社会の維持に重大な悪影響が否定出来ないのだ。志願制の米軍では、戦場で死ぬことになるのは結局は貧乏人、黒人やヒスパニックやフィリピン系、白人なら田舎のいわゆるレッド・ネック層であり、イラク戦争の戦死者の増加がアメリカ社会の不平等感を露骨に示してしまった結果、オバマ政権が関心を持つ軍事分野はアメリカ兵の命を危険にさらさないで済む、遠隔操作の無人機の開発くらいなものだ。

金持ちの戦争のために貧乏人が犠牲になる、という構図はもはや、健全な中産階級を失いつつあるアメリカ社会の維持にとって、大きな脅威なのである。

また米国は現実的な国益の問題(つまり経済)として、日中や日韓の関係悪化を懸念しているし、国是の問題として従軍慰安婦の問題や領土紛争で日本に味方できるわけがないし、国是を曲げてまで経済産業が発展している韓国の不興を買ってまでわざわざ日本に味方するメリットもない。

まだ尖閣諸島の日中関係については、オバマ政権ではなく共和党系だったなら、冷戦マインドが抜け切れない中国「共産党」への対抗意識や、沖縄に軍事プレゼンスを維持することでのアーミテージ氏らの利権があるだろう。

だが日韓の対立軸である歴史問題で、アメリカがやはり同盟国である韓国を蔑ろにして日本に味方することなぞ、歴史的経緯からしてあり得ないことに、安倍さんたちは早く気づいた方がいい。

なにしろ、韓国を日本の暴虐な軍国主義による植民地支配から解放したのは、アメリカなのである(これで議論はおしまい。異論の余地はゼロ)。

安倍さんはなんでこんな単純なことも分からないのだろう?

いや安倍さんに限らず、日本のメディアはなぜこんな当たり前の歴史の基礎知識すら無視した報道に終始するのだろう?

菅と特に野田の民主党政権がオバマを怒らせたのは、尖閣諸島問題だった。

東京開催のIMF総会に鍵となるプレイヤーの中国の閣僚級代表が参加出来なくなってしまったことで、野田はオバマ政権の信頼を完全に失ったし、野田が逆ギレ解散に走った最大のきっかけは、オバマに再選のお祝いを言おうとしても電話を取り次いでもらえなかったからだ。その直後に、野田はいきなり勝てるわけもない解散総選挙に突入している。

だが今やアメリカが最大の不信感を日本に抱いているのは慰安婦問題であり、安倍政権の一連の歴史修正主義的な言動である。

靖国神社に参拝することでA級戦犯を崇拝し、アメリカが国是で「絶対悪」とみなしている日本軍国主義を美化し、アメリカがその絶対悪から解放した韓国との関係を悪化させるなんて、米国がもはや国是、アメリカという国家の存在理由のレベルで、許せるはずもないことなのだ。

韓国のパク政権の外交的なアキレス腱は、大統領が独裁者パク・チョンヒの娘であることだ。どうにも内政では強硬な保守守旧派アンシャン・レジームの化けの皮が剥げて不人気になりつつあり、父は安倍の祖父岸信介とも満州国士官学校出のエリート将校だった時以来の親しいつながりがある、アメリカから見れば実はナチス並みの絶対悪の系譜につらなるレジームの出自でもある。だが安倍晋三のあまりに露骨な極右路線にパク大統領が批判的な立場を崩さないことで、韓国は米国に対してむしろ好印象を演出できてしまった。

日米関係はまぎれもなく悪化している。

なのになぜ霞ヶ関はオスプレイ配備を強行し、自民党内の反発を押し切ってTPP推進を表明させるなど、安倍政権が相米追従内閣であるかのような演出に余念がないのか?本当は、今やアメリカの言いなりにならせてもらえない安倍政権が、なぜ日本の国内向けには米国の忠実な下僕であるかのように演出されているのか?

理屈だけで考えれば、あまりに珍妙な、奇々怪々な話である。

だが安倍政権が選挙で勝ち、支持率も悪くないことの本当の理由を考えれば、納得がいく世論対策になる。

なにしろ、安倍政権がなぜ支持されるのか?最大の理由は「なんとなく」でしかない。

安倍の掲げる政策の中身は、本人がいちばん熱中している改憲・再軍備がまったくと言っていいほど報道されていない。原発再稼働の問題なんて、党本部が議論しないように各候補者に指導していたほどだ。参院選には経済政策の論戦で勝ったということになっているが、安倍はこの選挙でアベノミクスの肝心要であったはずの「成長戦略」の「第三の矢」についてなんの具体的な公約も出していない。

まさに「なんとなく」自民党が選ばれただけなのだが、この「なんとなく」の正体は、「安定感があるように見える」こと以外のなにものでもない。それを演出するためだからこそ、選挙報道よりも呉郊外の少年少女リンチ殺人事件などの方がニュースの時間が長かったりしたのだろう。政権がなにを考えていて、そこにはどんなメリット、デメリットがあるのかを国民に考えさせるのではなく、「なんとなく安定感」に、メディアも全面協力している。

参院選で安倍さんは、「10年後に一人当たりの国民総所得を150万増やす」とぶちあげるアドバルーンだけは大きかったが、その根拠はとなると「70年代80年代の日本人に出来たことが今の日本人に出来ないわけがない」という、感情論のアジテートしかやっていない。

そして感情論のアジテートに徹した割には、安倍が圧勝とはいえとんでもない低投票率である。安倍の経済政策とやらに国民が期待し熱狂して支持したわけですらない。むしろ円安で物価はあがるし、半信半疑なのが本音だ。だがそれでも、「なんとなく」安心感はある。

なぜなら、安倍さんは対米追従の政治をやるはずだからであり、アメリカについて行けば安心なはずではないか。

国際社会はどうもとっても厳しい、弱肉強食と陰謀の渦巻く世界らしい、ならば東洋の弱小国の日本は、難しいことを考えるよりもアメリカの言いなりになっていれば安心だ、というのが国民の本音なのではないか(…というか、そう洗脳されているわけなのであるが)。

尖閣諸島問題を国内で喧伝してあたかも中国が日本の脅威であるかのように歪曲演出することも、「アメリカの言いなりになっていれば安心」感をより強調するには極めて有効だ。

もっとも実際には、尖閣諸島問題でアメリカは日本に味方する気がまったくないことを再三繰り返している。条約上の防衛義務の範囲は尖閣諸島についても認めざるを得ないが、だからこそ軍事衝突に発展させて安保の防衛義務が発動するような事態にするな、と日本は再三言われているのだが。

アメリカは「勝手にやれ、我々には関係ない、我々を巻き込んだら許さない」と2010年以来ずっと言って来ているのが日本政府なのだが…。

おそろしく格式の低い扱いで、ただの儀礼で済まされた安倍のホワイトハウス訪問と、わざわざ形式にとらわれない親しみを演出しつつ中国側の顔を立ててオバマがワシントンからカリフォルニアに出向き、保養地で行われたカジュアルな米中首脳会談という扱いの違いを見ても、その場で尖閣諸島問題が議題になった際にアメリカ側が日本にも中国にも「両国の主権の問題には介入しない」と明言していることをとっても、アメリカには条約上の義務以上に日本に味方する気は、対米追従と引き換えに日本を保護するつもりは、まったくないのだと、誰がみても分かる。

こと中国の習近平主席にじきじき「主権問題には介入しない」と明言したということは、軍事的手段は困るが、合法手段(たとえば国際司法裁判所の裁定)で尖閣諸島を中国が手に入れることになっても、アメリカは黙認ないし歓迎する、という意味にしかならない。それに中国にも、ここで軍事力を行使する気が恐らくはまったくないし、そこになんのメリットもないことを習近平政権は百も承知している。 
中国がまだ「棚上げ」論だったはず、と言っている限りは、つまりは日本の実効支配を実は認める、という意味なので、中国に領土的野心はないと安心していられる。だが日本がその自分たちに有利な「棚上げ」論を否定してしまった今、しかも日本の極右歴史修正主義の傾向に米国が不快感・警戒感を隠してもいないわけで、このままだと中国が本当に尖閣諸島について方針を変えることはあり得る。 
安倍政権が例えば慰安婦問題で韓国と対立すればるるほど、国際司法裁判所の判断は日本に厳しく、中国有利なものになるのも、分かり切ったことだし。

あたかもアメリカが普天間の辺野古移設やオスプレイ配備を強行しているかのように日本政府がメディアを通して演出することで、「日本はアメリカ、在日米軍に逆らえない」という印象はより強くなる。

だが辺野古移設やオスプレイ配備の強行は、よくみれば防衛省がそう言っているだけで、アメリカ政府が日本に対してそれを強行しているとみなすべき事実は、探しても見つからない。

それどころか米国が(日本政府が日本のメディアに報道させているように)米国が上記の配備を強行している、つまり沖縄を海兵隊の重要な戦略拠点とみなしているのなら、尖閣諸島問題でこのような態度は、アメリカはとらないはずだ。

極論してしまえば、霞ヶ関の権威の最大の裏付けは、「日本は在日米軍に逆らえない」である。

自分たちに国民を納得させる説得力がなくとも「アメリカがそう言ってるんだし、しょうがない」と思わせればそれでいい。鳩山由紀夫がメディアに潰されたのも、このよく考えれば論理的にはまったく倒錯した雰囲気作りに、霞ヶ関が成功したからだ。


いや鳩山さん自身ですら洗脳されたのかなにを脅されたのか、その中身をまったく口にしないまま「よく勉強したら」、つまり「アメリカがそう言ってるんだし、しょうがない」で普天間基地の県外移設を撤回している。

霞ヶ関が政治家に「対米追従」を演じ続けることでこそ、霞ヶ関の権力は安泰になる。戦前の官僚制は天皇の(たぶんにフィクショナルな)権威を拠り所にしていたが、戦後レジームにおいて日本のお上は、「アメリカ」なのだ。

それが今や、かつて天皇の「大御心」を、「御み簾」のうちに推測したかのような感覚で、実際にアメリカが明言し、要求したり希望を述べていることよりも、「アメリカは本当はこう望んでいるのだろう」という日本側の思い込みで日本の政策が決まる。

ところが「アメリカは本当はこう望んでいる」と思う根拠は実際のアメリカ政府の言っていることでもなければ、政治・政策の分析でアメリカ政府が国益とみなしていると推測出来ることでもない。

イルミナティの陰謀論でも加味しなければ、そんな話になるわけないだろう、的なことばかりなのだ。

鳩山政権の末期には、ホワイトハウスも国務省もそんなことはまったく言っていないのに、日本では「アメリカは普天間基地は絶対に辺野古に移転させる気だ」という報道が日本のメディアに踊った。そのソースは例えば駐米大使がクリントン国務長官に呼び出されたという、その大使自身の発言だけだったりする。しかも国務省は大使が呼び出されたという話自体の裏取りの質問に、「なにかの間違いであろう。そんな事実はない。大使が自ら訪ねて来ただけだ」と言っていたのだ。 
よく考えて欲しい。「少なくとも県外」を主張した鳩山さんが、来日したオバマさんに「トラスト・ミー」と言った。つまりオバマさんが県外を容認していなければ、絶対にあり得ない会話ではないか。

米軍にしてみれば、沖縄の海兵隊は東アジアで使う部隊ではない。中近東で作戦展開する海兵隊の後方支援と訓練が普天間の任務であり、海兵隊が東アジアで活躍する可能性は現段階でほとんどない。補給や訓練や隊員の保養には沖縄は環境が悪くない程度のことであり(…っていうか沖縄は兵隊にとってはメチャクチャいい所なわけだが)、住民の対米感情が悪化するのなら、撤退も視野に入れなければならくなるのが普通だ。

米兵によるレイプ事件や交通事故が頻発すれば、通常の主権国家ならその国内にいる他国の駐留軍に当然悪感情が生まれ、改善しなければ「出て行け」となり、アメリカのメンツが傷つく。だから在日米軍も駐日アメリカ大使館も、その手の事件には大変に神経を尖らせている。ところが一生懸命に沖縄県民への配慮をアピールしたいアメリカ側の努力も、日本政府に無視され、メディアにもあまりのらないのである。

在日米軍も駐日アメリカ大使館つまりはアメリカ政府も、沖縄の県民感情を気にしているということを、日本政府は国民に知らせたくないのだとしか思えない。

海兵隊が沖縄から撤退となったら困るのは、重要な戦略拠点を失うアメリカではなく(というか、もはやアメリカにとって、沖縄は重要な戦略拠点ではない)、沖縄の不満を抑えられなくなる日本政府なのかも知れない。

思い返せば第一次小泉内閣の時にも、沖縄での婦女暴行事件に対して、田中眞紀子外務大臣(当時)が外務官僚の説得を無視して直接コリン・パウエル国務長官(当時)に電話、アメリカ側は即座に対応に乗り出している。

考えてみれば当たり前のことであって、米兵の犯罪でアメリカという国のイメージが悪くなることだけでも、明らかにアメリカの国益に反する。

レイプ事件ともなれば米国内でもイメージが悪過ぎる。白人、WASPがアジア系をレイプしても人種差別の国では不問にふされる、みたいな多くの日本人がアメリカに未だに持っているイメージは、現代ではまったく通用しない。人種差別がなくなったとは言わないが、今のアメリカは人種差別を無視することが道徳的に許されないことがはっきりしている社会だ。

…っていうかさ、当時の国務長官のパウエル氏も、後任のライス氏も黒人だし、今や大統領のオバマさんが黒人ですよ?

ところがこの一件は、日米両外相の信頼関係も強まりいいこと尽くめだったのに、逆に田中氏が外務省の反発を買い、更迭される理由のひとつになったのである。

これが日本の戦後レジームの権力基盤の正体なのだとしたら、戦後レジームとはまさに「アメリカ」なのだろう。だがそれはもはや現実のアメリカ合衆国政府ではない。日本人の思い込みのなかにあるアメリカでしかない。

それも日本人になんの配慮もせずに無理を強い、日本はその言いなりになるしかない強硬な、現実のアメリカ政府とは異なった、日本人がそう思い込んでいるだけのアメリカが、日本の真の支配者だということになる。

これはこれでえらく倒錯した「戦後レジーム」論である。レジームとは実態権力を担う具体的な支配体制を(たぶんに批判的なニュアンスで)指す言葉なのだが、現代の日本をなお支配する戦後レジームは、もはや実態のない、我々日本人の空想のなかにのみ存在する「超大国アメリカ」なのだ。

自分で書いていてもこんな馬鹿げたことがあり得るんだろうか、アタマがおかしいんじゃないか、と思えて来る…。

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