最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

5/28/2010

それでも世界は、ときに簡単に変わることもある


そう簡単に世の中は変わらない、確かにそうだろう。

過去20年間、この国は変わる必然もあるのにまったく変わろうとして来なかった。

20数年前にはアメリカに向かって「Noと言える日本」をベストセラーにした石原慎太郎(当時のSony会長と共著)が、今ではアメリカに対してはNoとは絶対に言えない日本の代表みたいになってるのはお笑いにもならない。

今日中に決着がつくらしい普天間騒動は、終わってみればアメリカに軍隊を「置いてもらう」ことに関しては、日本と日本人たちは絶対にNoと言えないのだと、国民に再確認させるための儀式に過ぎなかったのかも知れず、我々は国民は体よくそれに納得させられようとしている。

そんなバカな話があってたまるものか。

駐留米軍という威圧感をこそ最高権威に置いているらしい日本の官僚機構には決してNoと言ってはいけないのだと思わせるための遠大な策略で、昨年の政権交代もまた演出されていたのかも知れない––二度と国民が「お上」にたてつかないよう、民意による政権交代など今後絶対に夢見ないようにするために。

そうも思いたくなるほどの悲惨を漂わせているのは、実は鳩山政権ではない。「安全保障は国のあり方の根幹」などという世迷い事を信じ込まされている我々日本人の総体の悲惨であり、それをお人好しのお坊ちゃん総理というスケープゴートにすべて押し付けているだけである。

そんなバカな話があってたまるものか。

おいおい、「安全保障が国のあり方の根幹」であるわけが、ないだろう?

安全保障は現実に対する対処であって、それ以上でもそれ以下でもない。国のあり方を担保するための様々な手段のひとつに過ぎず、それも外交という大きな手段のなかでの比較的マイナーなカードに過ぎず、「国のあり方」という大きな目標を念頭に、現実に合わせて常にやり方を変えて行かなければ、「安全」なんて保証できるわけもない。

なのに日本は、冷戦が終わってもう20年になるのに、冷戦時代の国際政治の構造をそのまま引きずった日米安保条約が、あたかも絶対不変の金科玉条のように勘違いさせられている。国のあり方の根幹を決めた日本国憲法の改正論議さえあるのに、この状況を世迷いごとの倒錯と言わずになんと言うのか?

そんなバカな話があってたまるものか。

今この日本の安全を強大な軍事力で脅かす勢力なんて、東アジアのどこにある? 千葉県の予算なみの国家予算しか持たず体制維持も難しい、まともな軍事艦船も持たない北朝鮮? その国にとって最重要の経済パートナーが日本である中華人民共和国? バカも休み休み言って欲しい。

それでも中国が脅威だと言うのなら、だったら在日米軍は役に立たない。だってアメリカに中国と対立する気なんてまったくないし、米国債を大量に引き受けている中国相手にできっこないのだから。

「中国は共産主義国家で体制が違う?」だから冷戦はもう20年前に終わってるんだってば。いつまで寝ぼけてるつもりなんだか。

「安全保障」を言うのなら、ベタに現実を考えてみよう。

北朝鮮情勢が不安定化した場合にアメリカが一番頼るのはもちろん中華人民共和国だし、その中国の立場は、体制崩壊が万が一にも起ったら、大量の難民流入という大きなリスクを負うのがまず地続きの中国と韓国であり、東シナ海を小舟で渡るのが危険であるぶんいささかリスクは下がるにせよ、日本である。

だから金正日体制を急激な崩壊に追い込むようなことは、絶対にやってはならないのが、日本と中国に共通する国益になる。

だいたい崩壊でなく、単なる権力委譲でも、その時に真っ先に命の危険に晒されるのは、北朝鮮政府にとって現政権/前政権の負の遺産となる、犯罪の証拠となる拉致被害者たちではないか。

なのに日本のマスコミは、韓国のあまりに不人気な現政権が選挙対策で大騒ぎに祭り上げた哨戒艇撃沈事件を、あたかも「北朝鮮の陰謀」のようにとりあげる。タイミングと場所からみて、事故でないとすれば北朝鮮の仕業であった場合、あり得るのがせいぜいが組織末端の暴走か、誤発射程度のことであり、あえて冷静に対処して貸しを作った方がいいことなのは、分かり切っていると言うのに。


20年前には終わっている国際政治の状況のための安全保障体制を、変えようともしないで放置して、それを変えようとしたら猛抵抗する日本。それに対しアメリカは、駐留経費を日本が「おもいやり予算」で見てくれるからという予算上の利害に過ぎないからタカをくくっているだけ。

そんなバカな話があってたまるものか。

日米関係を重視するのはあくまで日本人の利益のためであり、その国益を代表するために政権があり、その政権が連立のはずだ。その連立内の合意も、移転先となる地元の合意もなしに日米共同宣言なんて出してしまうのは、日本国政府がアメリカの奴隷であることに他ならない。

選挙によって国民の意思を代表するはずの「政治」がこの国の行く末の決定に実はなんの力も持たず、すべてを決めるのはお役人、彼らの権威は国民によって選ばれた国会や政権与党ではなく、在日米軍によって保証されていることを国民に示威しているに過ぎないのだし、それに黙って従うのなら、我々日本国民の総体が、自らを奴隷の精神に貶めているということの、再確認になるだけだ。

そんなバカな話があってたまるものか。

だからあえて言おうと思う、「それでも世界は、ときに簡単に変わることもある」のだと。

この状況を変えるのは、実は簡単である。単に我々日本人が、目を覚ませばいいだけのことだ。

「そんな難しい話」などと怖じ気づく必要もない、というかそれこそが我々が思い込まされて盲目にさせられている最大の理由であるのだから、そこで素直な発想の転換ができれば、それで済む。

真の問題は安全保障でも東アジアの国際情勢でもなく、実は我々一人一人の、「知ったかぶり」をしたがる無駄なプライドにあり、つまりは子どものように「なぜ?」と素直に訊ねる自由を取り戻せさえるするだけでも、状況はがらりと変わるはずなのだ。

「なぜ」空軍や海軍ではなく、海兵隊が沖縄に必要なのか?

鳩山由起夫氏は今月初旬の沖縄訪問で「いろいろ学んだ」と言っていた。そうやって沖縄から海兵隊を動かさないことが既定路線になったことを誰もが納得しているようだが、では鳩山がいったいなにを「いろいろ」と学んだのか、誰も彼に訊ねようともしない。

つまりは誰も、「なぜ」普天間基地が沖縄に必要なのかという、肝心な質問の答えを求めすらしていないで、知ったかぶりで「必要なんだ」とか思い込んで諦めているだけなのだ。

そんなバカな話があってたまるものか。

ぜひとも教えて欲しい、なぜって「なぜ沖縄に海兵隊が必要」なのか、「抑止力」という観点からってだけではなんのことかさっぱり分からないし、冷戦まっただ中となにも変わらない「核の傘」「抑止力」論理がなぜ冷戦が終わって20年も経ってるのに通用するのかとまると、ますますよく分からない。

分からなかったら聞けばいい、ただそれだけの話であってしかるべきはずだ。

なのになんで、誰も訊こうともしないのか? 

優秀な官僚の皆さんや、総理大臣だから、我々が知らないことでも知ってるはず、いろいろ経験しているはずだから、まず従うべきである、なんて思い込まされていてはいけない。

そんなバカな話があってたまるものか。

もっともバカげているのは、冷戦が終わって20年、こと「安全保障」に関しては、この国はとっとと考え方を根本的に変えなければならなかったはずなのに、そうする意思も度胸も、誰も持たなかったことである。

なぜ沖縄や、あるいは横須賀を中心とする三浦半島であるとか、横田厚木などの首都圏に、米軍基地が必要なのか? 別に必要であったわけではまったくない。単に歴史的経緯でそこに置き易かったから、旧日本軍の施設を引き継ぐのが簡単だったから、それが今まで続いているからに過ぎず、「安全保障上の理由」などではまったくない。

「安全保障」を本気で言うのなら、たとえば対米戦争の最終的な本土決戦のために要塞化された三浦半島が、まったく状況が違う現代において、軍事要塞であって言いわけがない。

人口密集地域の首都圏に有事となれば集中的な核攻撃を受ける可能性の高い施設があるなんて、だいたい危険過ぎる。

第二次大戦中に使われていたような兵器、当時の戦争のやり方ならともなく、大量破壊兵器がふんだんに使われる可能性がある現代の戦争において、国際法上に合法な攻撃目標であり、戦略的にも真っ先に叩くべきである大規模軍事基地(しかも司令部機能付き)を、都市周辺や市街地に隣接して置いている横須賀だの横田だの厚木だの、もちろん嘉手納だの普天間などがあるなんて…


そんなバカな話があってたまるものか。

この際、福島瑞穂・社民党代表には最後まで意地を貫いてもらいたい。アメリカと約束したことに反対するなんて、という倒錯した論説に騙されてはいけない。

アメリカのご機嫌を損ねるから、日本の首相が自分が任命した大臣のクビを切るというのでは、属国根性以外のなにものでもない。とても現実のこととは思えないのが、この日本の現実になってしまっているのは、単に我々がまったく現実を認識できないほどに感性を鈍化させられているからに過ぎない。

そんなバカな話があってたまるものか。

だから福島瑞穂氏には意地を、いや正論を最後まで貫いて欲しい。なぜなら、そういう一人一人の意思の総体が、やがては世界を変えることになるのだから。

よく考えて欲しい。未だにこの世界の文明も政治も社会も、問題は山ほどある。人類の一人一人が安全に、自分らしく生きられる世界にはほど遠い。それでも過去に比べれば、世界は豊かになったし、少しずつ人類は進歩して来てはいる。遅々たる歩みではあっても、確かに人類はよりよい方向へと世界を変えて来たのだ。


福嶋氏の正論を貫く意地を揶揄したりするものは、しょせん「なにが正しくてなにが間違っているのか」を考えることからすら逃げていて、現実の変化を直視することも,そのなかで変わることも恐れて、現状の停滞のなかでの自分の立場を保守することにしか興味がない、プチブル保守の卑劣な臆病者たちに過ぎない。

「きれいごとで現実が分かってない?」じゃあまず、いったいどのような現実の下で、沖縄に海兵隊を置く必要があるのか、だったらちゃんと説明して欲しい。

その前に念のため訊いておくけれど、台湾海峡有事が仮に起った場合(という可能性自体が限りなくゼロに近いのが現状だが)、海兵隊をいったいどこに上陸させるんでしょう? その場合に使うえるのは、海軍と空軍だけど、上陸切り込み部隊である海兵隊には、使い道なんてありませんよ。

米中全面戦争でも始めるのでもない限り…って、だったらやっぱり海兵隊を使うどころの話じゃありませんけどね。


世界を変えるのが本当に難しいわけではない。ただ卑劣な臆病者にならない意思を持つのが、難しいだけである。

卑劣な臆病者に過ぎない人々は、せめて自分たちが卑劣な臆病者で思考能力の欠如したバカであることくらいは自覚して、あまり偉そうなツラはしないで頂きたい。虫酸が走り過ぎて、精神衛生上極めてよろしくないので。

だから自殺率だって上がるんだよ。

まるで国民全体に、うわべだけの嘘偽りの偽善と欺瞞をこそ保守するように、じわじわと真綿で首を締めるように強要する、精神に障碍を来してもおかしくない状況が日々押し付けられているようなものなのだから。

繰り返し言おう、「それでも世界は、ときに簡単に変わることもある」のだと。

たとえば安全保障に関しては別に難しい専門知識など必要ない。ただ単純に「よく分からないけどなんかおかしいと思うので、ちゃんと説明してくれないか?」、それをひたすら訊ね続けるだけで、変わる可能性は充分にある。

ただおかしな知ったかぶりに毒されている連中には、それが訊けない。説明できない奴らに限って、「なんにも分かってないクセに偉そうなこと言うな」とか逆ギレするか、「なんにも分かってないクセに」と言われることを怖がっているだけなのだ。どっちも、なにも分かっていないクセに。


とくに若い人々に言いたい。そんなバカな大人を許容して、歳上だから、知識や経験が自分よりもあるはずだからと思い込んで、まともな説明もしない連中に唯々諾々と従ってていいのか?

「裸の王さま」の童話を思い出して欲しい。「王さまは裸だ」と言えるのは、まずなによりもあなたたちのはずなのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿