最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

7/31/2013

終末論的なるものの悦楽としての「日本を取り戻す」、そして「反原発」


先の参議院選挙に大勝した安倍晋三総理の自民党のキャッチフレーズは「日本を取り戻す」である。「取り戻す」ってどこから「取り戻す」のか? だいたい日本がいつ失われたのだか、奪われたりした事実がどこかにあったわけでもないはずだが、昨日は近所の駅前でこんな街宣カーを見かけた。


「再生」って、いや別に死んでないし、この国の将来を不安に思うべき理由も、現状の問題も山ほどあるにせよ、およそ終末論ごっこを始めるような現状なぞどこにもないどころか、日本は未だに世界で屈指の豊かな国だ

「中国に抜かれた」と数年前にえらく自信喪失したのも、よく考えれば相手は人口が我が国の10倍以上ではないか。中国の経済発展が目覚ましかっただけで日本がとりたてて衰えたわけでもなく、むしろ商売相手がより豊かになれば、こっちの商売にだって好都合なはずなのだが。


終末論的な気分に浸りたがっているのは、与党や右派だけではなく、いわゆる左派リベラルだって似たようなものだ。たとえば安倍晋三政権の大勝で、憲法が改正され日本がまた戦争をするみたいなことを、すぐに言い出す。

安倍やあるいは橋下徹、石原慎太郎の歴史修正主義的な言動が国際的に警戒され、あるいは鬱陶しく思われて外交で国益を大いに損ねているのは確かだが、国内の情勢でなんら「日本が再び軍国主義に!」に確たる根拠が、今のところあるわけではない。

よく考えて欲しい。自民党が勝った大きな理由のひとつは、安倍晋三本人がどんなに「憲法を改正して誇りのある国を取り戻すんです!」と叫んだところで、熱狂したのは秋葉原の演説に集まって日の丸を振り回していたおかしな連中くらいなもので、マスコミ等は徹底して憲法改正問題に言及しなかった、それが明らかに安倍政権にとってマイナス要因になるから無視した、そのお陰である。

せっかくこれから三年間国政選挙のない安定政権を確保したのに、わざわざ世論の反発を呼ぶ憲法論議なんて、今の自民党なら安倍と大差ない二世三世のボンクラばかりだとしても、だからこそせっかくその操り人形に出来る政権をこれから利用する気の霞ヶ関が、許すわけもなかろうに。 
政策が作れない、自力では政治が出来ない安倍政権が、霞ヶ関に逆らえるわけもなかろうに。 
集団的自衛権を認める憲法解釈くらいなら、と思ってみても、肝心の同盟相手のアメリカが、少なくとも2016年の大統領選挙までは、オバマ政権が興味すら示していないのだから、外交カードとして切ることも出来ない。 
せいぜいが96条を改正して、国会2/3がなくても発議が出来るようにする程度だろうし、だいたい与党に公明党が入っている以上、9条改正や人権保護条項をいじることは、31条の生活権も含め、現実的にあり得ないのだし。

から左派の側だってそんなに「大変だぁ」と終末論の気分に浸る必要は、今のところはない

それよりも現実的に、官僚独裁には震災復興なんてなにも進める気がないであろうこと、原発に関しては現状維持の先延ばしにしか興味がないこと、そして「グローバル・スタンダード」と称して労働法制や社会保障などを変えたがっていること、社会保障の財源論を人質に消費増税を強行すること、安倍が首相では外交がぐちゃぐちゃになることなど、個々の実際の諸々の問題にこそ注意すべきであり、安倍の暴走を抑えるべきなのだし、そういう積み重ねで、三年後の次の選挙結果だって変わるはずなのだ。

いやその個々の、細かな、瑣末で平凡に見え、煩雑で粘り強い議論を要し、しばしば金勘定の話に陥りがちな、べったりと実生活の手垢のついた現実政治の問題を考えるのが面倒だから、「再び戦争をする日本」という終末論的な気分を、たぶんそれがファンタジーでしかないと実は分かりつつ、むしろ希求しているのかも知れない。

なるほど、「生活の党」の人気が出ないわけだ。 
ネット上の小沢支持派だって、その理念をどこまで本気で理解しているのやら。 
むしろ「 巨悪の検察に潰された悲劇のヒーロー」というだけで支持しているのだし。

言論の自由がなくなる云々という危機感に至っては…そんなもの、マスコミ業界でも、左派右派双方の陣営でも、すでに私たち自身がそんな自由は売り払ってしまっているじゃないか。

僕たちの映画の世界で言えば、表現の自由なんてとっくの昔になくなっているし、またほとんどの映画を作る側にとって、そんな自由自体が宝の持ち腐れでしかない。どうせ行使する気、みんなないじゃん。 
「これが映画的だ」という教科書的な共有幻想を業界の仲間うちや、さらに細分化した派閥内で消費して、そのカタチをなぞることしか、やる気ないでしょう? 
これならばマニュアルに黙々従っているのではあろうがそれでも感じよく、きめ細かい気配りでお客にコーヒーを出してるスタバのバイトさんの謙虚な日常の繰り返し方が、「映画を勉強しています」気取りの高慢ちきより、実は日々の時間に意味をきちんと与えている気すら、してくる。 
(実際、マクドナルドやコンビニに較べ、スタバだとかは「コーヒーをもっともおいしく召し上がって頂く」ためのリアルな生活の知恵の手続きが、いろいろマニュアルに組み込まれているのであり) 
スタバは冗談にしても、毎年この季節になれば、黙々と草刈りを続ける農家の、繰り返される日常の方が、禅の日々のご精進にも通じ、哲学的な意味が大きい気すらして来る。

自分の属する陣営や、自分達の周囲と違ったことをやる自由、仲間の反発を買うことになっても、正しいと考えることを口にする自由なんて、私たちの大半が求めてすらいない

そんな言論の、表現の自由を行使しようとする者がいれば、国家権力の介入を待つまでもなく、自分達の内輪でパージにかけるのが、私たちの日常ではないか。

「あなたの言ってることはおかしいのではないか?」と指摘されたら、「じゃあ周囲のみんなに訊いてみましょう」で反論になると思い込んでいるほどに頭が悪い、「自由」の意味がなにも分かってないまま無神経に幼稚な集団全体主義と排除の論理を押し付けるだけの、哲学的な思弁など皆無な体制順応者が、左右を問わずこの社会の大勢ではないか。

こんな調子でいれば確実に、日本はやがて衰退するだろうとは言えるのだが、しかしそれは持続する、緩慢な時間の流れのプロセスとしてしか起こらないものだ。

そんな緩慢さの、ほどほどの抑圧の中にいる欲求不満があるからこそ希求したくなるカタストロフィの麻薬的な悦楽とは無縁の、退屈な、何も起こらない、10年とか20年のスパンで徐々にグズグズが進行し、気がついたらボロボロになっていく継続性の衰退の成れの果てが、退屈で、何も起こらないが故に皆が苛立っている、だからこそ終末論にも憧れてしまう現在の延長に、恐ろしく平凡な論理的帰結として、あるだけだろう。

一昨年の4月、NHK-BSの気の効く担当者が、震災後では初の映画放映で、黒沢清の『トウキョウソナタ』をとりあげた。ラストで小学生の主人公が奏でるドビュッシーの『月の光』があの時の鎮魂にふさわしかったからだろうが、その前に、この映画にはアルバイト学生の青年のぎょっとする台詞があった。 
「あ〜あ、起こんねえかなぁ、大地震」 
それこそがこの社会の、正直な本音だったのかも知れない。

逆に、だからこそ、この時間の流れは心底恐ろしいのでもある。

ダラダラと、なんら決定的な瞬間や契機が見えず、規則正しさもない怠惰さの、自分達が抑圧されていることを意識すらしにくいこの耐え難い抑圧のなかで、我々はすでに、そこからの逃げ道を探る努力すらまったく怠りながら、ただ日々を漫然と過ごしているのではないだろうか?

だいたい、「憲法が改正されて日本がまた戦争になる!」と言い出す前に、よく考えて欲しい。 
確かに今の日本社会の空気は、戦前の末期、昭和恐慌を経て戦争に向かった時代に似通っていると、例えば故・黒木和雄に「私たちの子供の頃とそっくりだ」と僕もよく言われたし、靖国神社に来ている戦場を生き残った日本兵にも同じ警告を何度もされた、「あんな時代にしちゃだめだよ、注意しないと」と。 
確かに似通っている、あの戦争もまた外の世界が見えず日本の内輪に引きこもって現実離れした狂った行動に走ったものであるのはその通りだ。 
しかし今と当時では決定的な違いがある。 
1920年代、30年代に、日本は戦争に強い国だった。日本人の兵士には戦争が出来たし、そのための訓練にも耐えて来た。今の日本人のほとんどが、兵士の生活に耐えられるわけもない。 
中国大陸でがむしゃらに(兵站確保なしに)戦争を遂行し、人体実験に手を出し、興奮状態で大虐殺をするような意志の力や体力なぞ、安倍晋三にも、秋葉原で日の丸を振ってた連中にも、期待するだけ間違っている。 
勝てるかも知れないと思ってるからこそ、戦争に走ったりもするのだ。現代の日本は、憲法を変えたところで絶対に戦争なんてやらない方がいい。 
お話にならないほど弱いに決まっているのだから 
そして確実に、すぐに負ける国だということは、要は憲法に関係なく、最初から「戦争が出来ない」国でしかない

戦争というカタストロフィのカタルシスに実は期待も出来ず実際にありえないからこそ、「普通の国」だか「国防軍」といった夢を見るのにもちょうどいいわけだが)、ただ国内の、さらに狭い周囲の同質性の内輪に引きこもって、戦前戦中のもっとも下劣でいやらしい世界だけを国内で再生産・模倣するのが関の山だ。

つまり、下衆な井戸端会議といじめ遊びに「お国のため」の看板を掲げて自己正当化していた国防婦人会みたいに、道徳的堕落に耽溺しきって、外敵や他者と闘うよりも、国内・内輪での排除と差別に終始するだけだろう。

…というか、現にそうなっているじゃないか。 
だから「韓国政府は、北朝鮮が」と言いながら、デモをやる場所は韓国大使館前などではまったくなく、新大久保や大阪の鶴橋の韓国料理店街に営業妨害をやって満足出来てしまう阿呆も出て来るのだ。

バブルの崩壊の直後にも、終末論的な気分が蔓延したことがあった。

そんななかで95年1月に神戸の震災があり、同年3月20日に東京の地下鉄にサリン・ガスの袋が仕掛けられた。実際にサリンを生成させる化学的知識さえなければ、驚くほど児戯めいたやり口だった「日本史上最悪の無差別テロ事件」である。

オウム真理教はまさに当時の、行き着くところまで成長し切った末に、その先が見えない終末論の気分を凝縮したような信仰でもあったのだが、そのことの総括もこの国は出来ていない。


オウム・ネタの映画は当時流行ったものの、しょせん興味本位な薄っぺらでしかなく、村上春樹という希有な例外を除けば、日本が自らを省みなければならなかったはずの歴史的瞬間に、その役割を果たそうとした芸術家や表現者はいなかった。

村上が『アンダーグラウンド』と、その姉妹編『約束された場所で』で、真摯に現実の人間から紡ぎ出した言葉は、そんな終末論的な浮ついた気分とは似ても似つかぬものだった。ことサリン事件の被害者というか体験者の言葉をまとめた前者に浮かび上がるのは、バブルの軽薄でも失われなかった日本の名もなき普通の人々の、堅実で素朴な知性だった。


だが驚くべきことに、秘かなベストセラーにこそなった『アンダーグラウンド』について、まともな分析や書評すら書かれていないし、仮名を条件に取材に応じた人も多い中、現実的に難しい面もあるにせよ(僕自身は、実際の人物が特定出来ずに済む脚本が書けたらやってもいい、脚本を書いたらそれを読んで決める、と村上さんに言われている)、映画化とまでは言わずともそこにインスピレーションを受けた映画すら、一本も作られていない。


地下で巨大な災難に遭った人々の、地に足のついた言葉とは裏腹に、日本という社会の総体の意識は、バブルの余韻を匂わせながらふわふわと漂白を続け、「再生」とか「取り戻す」とか「改革」とか繰り返しながら停滞した時間がそろそろ20年も経過しようとしている


「もう日本は終わりだ」めいたカタストロフィな気分の悦楽を、20年近くも麻薬のようにむさぼりながら。

(そして当然ながら、その現実の日本はまったく終わっていないし、終わりそうにないから安心して終末論という麻薬に中毒していられるのだ)

結果として現代日本文学の金字塔と評されてしかるべき、そして20世紀の終わりの日本人という総体のもっとも誠実な自画像であったはずの『アンダーグラウンド』が影響を与えた芸術作品は、なんと村上春樹本人の『東京奇譚集』や『1Q84』くらいしか見当たらないのである。

よく考えれば、私たちは終末論の気分を楽しんだけで、人生がひっくり返るような困難に直面した個々の他人の体験や、それが私たちの社会や、個々の人生にどれだけのインパクトを持つのかには、ほんとんど関心がなかったのではないか?


一昨年の東日本大震災と原発事故も、結局は消費されるカタストロフィな気分を一時的に提供しただけに思える。そしてその終末論の気分の賞味期限が切れてしまえば、もう忘れられている。


たとえば昨年度末に「警戒区域」が一応はなくなっていることを、地元以外でどれだけの人が気づいているだろうか?

原発事故への関心、たとえば再稼働反対デモの盛り上がりが、実は終末論的な気分を求める欲望でしかなかったとするなら、こうなるのもまた理の当然だろう。

そういえばそんな報道もあったね、という程度でも、憶えているだけ、まだましな方ではないか?

別に「被災者のことを考えないのはけしからん」という道徳論ではない。 
ただ都合のいいときにはさんざん「フクシマの人々」とか言って味方のフリをしたり、「原発マネーで汚れているとかクサしてみたり、放射能が大変だと騒いで玩具にして来たのに、どうも期待通りのカタストロフィにならないから「もう飽きた」というのなら、そりゃあんまりだろう?

実際に避難させられた市町村とその住民にとって、現実はそんなカタストロフィの気分のワクワクする終末論とはほど遠い、果てしなく続きそうな緩慢なる苦悩、停滞する現実のなかで宙づりにされた実存でしかない。


今は「帰宅困難地域」とされた場所でも、「放射能が強い」と分かるのはガイガーカウンターなどがピーピーと機械的な警告音を出すことだけだ

事故直後ならそれだけでパニックになったかも知れないが、今ではそこで数値をちょっと確認して「やっぱりここは高いね」「帰れるようになるのはいつのことになるんだろうね」と、この二年間ですっかりおなじみになってしまった言葉を交わす。

二年前、三年前には田畑であり、美しい田園であったところには、外来生物のセイタカアワダチソウなどの雑草がみっしり生い茂っている。

双葉郡の多くの人は丹念な庭作りが生活の一部であり、季節の花々を楽しんでもきたし、それが老人の健康の秘訣のひとつでもあったのが、今では荒れ果ててしまっている。

藤原敏史『無人地帯』より
だが雑草は雑草だから、地味が豊かだから生えているだけのことだ。放射能の突然変異ではない

避難の際に農家が飢え死には忍びないと放した家畜のブタが、山中にいたイノシシと交配し、イノブタが闊歩したところで、それは自然の健康な営みであって、遺伝子の異常でもなんでもない


この土地のかつての美しい田園を見たことがない者、それこそ田んぼや畑をあまり知らない都会の人に、この故郷の風景がどれだけ変わってしまったのか、写真や映像を見せても、それだけで伝わるかどうかも怪しい、と地元の人たちは思っている。


非日常が延々と続く日常になる。そこに娯楽映画みたいなモンスターや、分かり易く刺激的なホラーの要素はかけらもない。

終末論の悦楽なんて、原発事故に巻き込まれた人々の現実には、まるで縁のないことだ


「メルトダウン」「政府の嘘だ、東電の隠蔽だ」

挙げ句に「放射能で牛の畸形が」「脱毛、大量の鼻血」挙げ句に「福島の女は将来奇形児を産む」

ちょっと『ゴジラ』の見過ぎじゃないですか、と僕なぞはシラけてしまう終末論的な気分満載のハルマゲドンを、「レベル7」に思わず無自覚に期待してしまった人たちが夢見た「史上最悪の原発事故」は、ここにはない
…っていうか、福一事故が「レベル7」という政治的バイアスのたっぷりかかった評価は、いくらなんでも誇張が過ぎるわけだし。 
原子炉が4基だから量がもの凄いとはいえ、停止している原子炉が崩壊熱で壊れた事故であって、臨界状態の炉心メルトダウンとか、その状態で圧力容器が爆発したとか、それこそ核爆発だとかじゃないわけで。

現実の福一事故の現場は、亡くなった前所長の吉田さんが最初から言っていたように、ひたすら水の問題、原子炉を冷やすための水がどんどん溜まって行くだけという、これまた華やかなカタストロフィ願望には期待はずれの、地味な日々の蓄積との闘いしか、そこにはないのだ。


これは終末論的な空気を背景に、「原子力ムラの隠蔽だ」「利権だ巨悪だ」に対抗する正義気取りが出来るような話ではない。

東電にせよ政府にせよ、よく見ればそのやり口で目につくのは、むしろ平々凡々たる責任逃れの論理の、今の日本でうんざりするほど目にするような、凡庸でみすぼらしい保身の狡猾さの帰結か、下手すれば幼稚なプライドの意地っ張りの話でしかない。

ここにあるのは、バブル崩壊後の停滞した20年の動かない時間が我々の多くの知る唯一の日常となり、右肩上がり社会の幻想を未だに棄てられずにそんな日本を「再生」だか「取り戻す」と言い続ける、終末論的なガラガラポンを夢想し続ける以外に未来像すら持てなくなった、うんざりするように平凡で、ほどほどに根腐りれが始まった日本の現実が持続して来たことの澱が、日々の蓄積の末に肥大した結果であり、私たちがその現実を直視し受け止めることを拒絶し続けた、なし崩しの、成れの果てなのだ。

浪江町の中心街。線量はいわき市と変わらない

結局、この場以外の日本にとっては、カタストロフィのカタルシスを求めていたのに、期待はずれだっただけなのかも知れない。

地下鉄サリン事件も同じだ。オウム叩きには日本中が熱狂し、今でも「カルトは怖い」と便利に引き合いに出されるが、私たちの便利な都市生活の日常がどれだけ危ういものなのかを直接体験してしまった、3月20日にたまたま地下鉄に乗っていた人たちのことは、すぐに忘れてしまった。

だから忘れたくなっている私たちの政治ごっこ、もう賞味期限切れになりつつある正義気取りの「反原発」の陰には、終末論的スペクタクルではなく、ただ目に見えぬ潜在的な危険を前にする非日常が日常と化してしまった、果てしなく宙づりの現実の時間がある

それこそがリアル、ここ以外の場所の私たちにとっても、自分のリアルの延長だと、私たち自身にも分かった瞬間に、興味すら失ってしまった、「私たちの平凡だがもの凄く便利な日常」のツケとしての(しかし浜通りの人たちがそんな「文明化された日常」の恩恵に、そんなに預かっていたわけでもあるまい)、日常になってしまった非日常。

ここに残され、ここ以外の日本から忘れられつつあるのは、帰れるかどうかも分からない(放射線値だけ見れば帰れるはずだが、生活が立ち行かないであろう人々。どうも線量からしても帰れそうにないが、補償が決まらないので動きがとれず、家を諦めるわけにもいかない人々)、避難させられた人たちだ。

浪江町。スマホの画面に写るのは、三年前の同じ場所の風景
その人々の「自分達の現状はなにも変わらない、しかし自然はどんどん変わって行く」宙づりの時間は、延々と続いている。浜通りが自然の豊かな、本来なら恵まれた土地だったからこそ、人がいなくなった自然は、めまぐるしく変化しているのだ。

元の警戒区域や、仮設住宅、借り上げ住宅には、その場とそこに生きる人々をもはや見捨てようとしている、終末論幻想に踊り時間感覚を失った「そこ以外の日本」とはまるで異なった、現実の重々しい、宙づりの時間が、停滞している

その周辺では、なんとなく日常が続いているように見え、また日常を取り戻そうとしながら、震災前にあった日常が決して取り戻せないこともまたよく分かっている人たちの町がある。

相馬野馬追いのお行列にて、桜井南相馬市長の口上

だがその人たちが、それでも「ここで死んでたまるか」と、人として生き延びようとしていること、「どうこの大地で今後生きていくのか」を考え抜いていることもまた、忘れてはならない。

南相馬市・原町では、今年も相馬野馬追いが盛大に行われていた。
この人たちの慎ましやかな、本来の人間としての尊厳は、守られなければならない。

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