最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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1/18/2013

「記憶の風化」をめぐって 〜神戸の震災から18年

昨日は神戸の震災の18周年だった。マスコミ報道でもインターネットでも、判で押したように「記憶の風化」が語られるが、それは無理もない話だろう。

というよりも、神戸市の人口の40%がすでに震災を知らない世代であることを指して「記憶の風化」と批判めいていうこと自体、自己撞着した「為にする議論」の典型に思えてならない。

最初から体験すらしてないことを「忘れないように」と言われても、困るわけで。

それに震災後に生まれた世代や、そのあとに神戸にやって来た人が、語り伝えられることによって記憶を引き継いでいないと、誰が言えるのだろう?それが実体験者の記憶の生々しさや、震災の実体験のその通りではないからと言って、震災があったことを認識していないわけではないし、その過去から学んでいないわけでもない。

18年経てば、過去は歴史となる。

歴史として自分たちのなかで整理をつけて、ある程度客観視できるようにしなければ、過去の悲惨の生々しさに囚われているだけでは社会は存続できないし、その社会のなかの人間も生きて行けない。

それに「震災の記憶の風化」とか、その記憶を引き継ぐべき、と言うこと自体が、すでに別の記憶を抹消し忘却している言動に他ならない。

「神戸」がもはや震災でしか語られない都市になってしまったことそれ自体が、神戸の歴史の記憶の風化であり、忘却ではないだろうか。

それは震災の悲劇の矮小化でもある。

東北の被災地でも、福島県でも、津波の恐ろしさや原発事故の大変さを語ったり、被災地の映像や写真を撮るときに、その光景や逸話のスペクタクル性にばかり気をとられる我々は「そこで本当はなにが失われたのか」を忘れがちだ。

誰とは言わないが、東北の震災の直後にドキュメンタリー映画を撮りに行った面々が、移動の車中で「死体を撮りたい」「テレビでは死体はタブーだから、死体を撮ることに意味があるんだ」とばかり議論していたという。この面々は結局、被災地で発見された遺体に傍若無人にキャメラを向けて、遺族に罵倒されて追い返され、それを作った映画に組み込んだら、その「正直さ」を褒め讃える批評家や研究者、「後ろめたさ」を繰り返す作家たちに共感する観客がずいぶん出た。

その時に、その遺体で発見された人には人生があり、歴史があったこと、我々がそこに接し、それを知る機会が失われていることは、まったく意識されていない。ただ死体というモノ、裏返しの祝祭としての破壊に対するフェティシズムを、「後ろめたさ」を語る「正直さ」という倒錯した偽善で塗り固めているだけだ。

ビートたけしの昔のギャグ、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を、歪んだクソ真面目さで、倒錯した自己愛のために繰り返しているだけとも言える。

「赤信号」でもみんなで渡っているんだから、私たちは悪くないじゃないか、とでも言わんばかりだ。

生々しい遺体や、破壊の光景が「忘れられている」からといって、それを指して「神戸の人たちの間で記憶が風化しているのだ」と断ずるのは、そうしたイメージだけを消費する側の傲慢であり、差別意識ではないかとすら思えて来る。

再建された生田神社



神戸の震災から18年経ったときの言説に違和感を覚えるのは、自分が神戸の住人ではないが、神戸を知っていた記憶はある、という微妙な関わりと距離があるからでもある。

1995117日の朝、NHKのテレビで生中継されたヘリコプター空撮や、NHK神戸放送局の社屋から撮影された映像がショッキングだったのは、一面家が倒れ真っ平らになった光景が黙示録的だったからよりも、そこになにがあったかを自分が知っていたからだ。

テレビで生田神社の銅拭きの屋根が地べたに落っこちているのを見た時に、それ以前の生田神社が自分自身の人生や歴史に関わっていた記憶がある者は、「あの生田さんが」とまず思う。

震災前は閑静な住宅街街と商店街だった中山手通りは、
震災で家が壊れたまま駐車場になっている土地も多い。

それは地震の猛威を見せる映像であると同時に,それ以上に「あの生田さんが」壊れてしまった、喪失の映像になる。東北の震災の映像にしたって、我々はこの「なにが失われたのか」をめぐる被災者と部外者の差を、忘れてはならないのだ。

それが3.11以降、震災をめぐって撮影され流布された映像のほとんどに欠けている視点でもあり、逆にいえば無名の地元の人々が、いわば“素人”が撮ったYoutubeなどの津波映像が今でも力強い理由でもあるのだろう。

一方で、今はまっさらに再建された生田神社しか、今も神戸市で生活する人たちの記憶にないとしても、それは責められることではない。人は生き続けなければならないからだ。

この中山手通りに建っているマンションの敷地が、震災では半壊だった
ものの修理にお金がかかりすぎるので売却せざるをえなかった父の実家。
元・天理教東神戸分教会。
神戸の震災から18年の同日に、訪中している鳩山由紀夫氏が南京大虐殺記念館を訪問したことが問題視され、現職大臣が「国賊だ」などと言っているらしい。

こっちの記憶の風化の方がはるかに怖い。

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