最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

11/16/2013

トウキョウから遠くはなれて


誤解を恐れずに敢えて言ってしまおう。被害の規模から考えれば、この種の原発事故として、福一事故は驚くほど運がいい。

こんなこと言ってしまっては、いつ家に戻れるのか、諦めるべきなのかの目処すら立たないままの避難されている皆さんや、原発の現場で日々過酷な労働条件で闘っている作業員の皆さんに申し訳ない気もするが、たぶんその皆さんがいちばん分かっておいでだろう。

大気圏中に拡散した放射性物質のほとんどは、3月15日の水素爆発で2号炉から放出され、風で北西方向に拡散したものだ。それ以降も放射性物質が大気圏に出てしまうことが完全に封じ込められているわけではないが、それでも実際の放射能汚染被害は、ほとんどがこの2号炉の爆発由来のものだ。

そして太平洋に大量に流れ出し続けるままになっている汚染水も、2号炉のものだ

今回の事故当時、4号炉はたまたま定期点検で空だったものの、大ざっぱな単純計算でも本来ならこの4倍の被害でもおかしくないのだし、2号炉だって津波で冷却系が失われた原子炉としては、もっとひどい事態もあり得た。

さらに地震の影響は現状未確認のままだが、それだってもっと大きな被害をもたらした可能性はもちろんある。

4号炉では運び出しが始まったが、それぞれの原子炉建屋には使用済み燃料の冷却プールがあり、そこで保管冷却中だった核燃料もある。

すべてが2号炉の炉心並のトラブルになっていたら(そしてそうなってもおかしくなかった)、たぶんに大ざっぱな、素人に分かり易い「目安」で言ってしまえば、今の4倍どころか8倍以上の被害規模になっても、不思議ではなかった事故なのである

運がよかった、事故初期に、吉田所長(当時・故人)をはじめ現場の皆さん(その多くは下請けの、双葉郡地元の作業員)が、優秀で冷静で、ふるさとを守るためにも死にものぐるいで頑張ったからこそ、なんとかこれで済んでいるのである。

今後の原発事故でも同じように行くとは限らない。この事故だって今後もこのままなんとか、最低限の被害で抑えられるとは限らない。

その現実だけでも、原子力発電をこのまま続けて行くことに心から賛成できる人はめったにいないと思うのだが、原発を止めるべきではないかという議論はこの2年半、まったく進んでいない。

「反原発」も「脱原発」も、ただのかけ声止まりなままだ。

時々なにか問題が明らかになり報道されると、「東電けしからん」で盛り上がること、それ自体は別に構わないが、東電を責めるだけで事故が終息するわけでもなく、まして電力会社を追いつめただけで脱原発が可能になるなら、誰も苦労はしない。

それどころか僕たちの国が資本主義の社会である以上、現実はまったく逆だ。

長期的な脱原発方針ないし原発ゼロ方針の決定なしに、ただ「再稼動反対」だけを行き当たりばったりに唱えるのでは、営業運転出来ないままの原子炉をいつでも稼動出来る状態に維持する経費だけで、電力会社の経営は圧迫される。早晩、「これ以上は経営上無理」でなし崩しに再稼動になるのは目に見えている。そうなった時に今のままのヒステリックな東電叩き、電力会社憎しだけの「反原発」では、なんの説得力を持ち得ないのだ。

昨年、大飯原発が再稼動された時にしても、「さいかど〜はんた〜い」と連呼するだけでは阻止出来るわけがないのも最初から分かっていたはずだ。電力の需給データの公表、その精査を当時経産大臣だった枝野幸男氏に要求することも考えず、「現時点では反対」という分かり易過ぎる欺瞞に引っかかって支持を表明するような始末では、そもそも本気だとすら思われていない。
需給データも提示しない政府に「電気が足りない」で押し切られたのだから、反対デモとしてずいぶん間の抜けた、無惨な敗北だった。いやむしろ、世論のガス抜きがしたかった、「反原発の主張は現実的でない、反対する者は世間知らずなのだ」という印象を強めたかった官邸側との出来レースだったと言われれば、大いに納得できてしまう。
野田首相(当時)と面会したら、ネット上のハンドルネームを名乗って世間の失笑を買うくらいなんだから、本当に世間知らずのお子ちゃまのデモごっこに過ぎなかったわけだし。


元首相の小泉純一郎氏にはいろいろ前科があって、おいそれと信用できないのは分かる。だが、彼がこの件で言っていることはまったく正しい。

首相が決断しないで誰が決断するのか?

世論調査によれば、すでに8割前後が、少なくとも原発政策がこのままではいけないと思っているはずである。その国民を代表して決断を下すべきは総理大臣だし、ロジカルに考えれば考えるほど、結論は見えているはずだ。


「小泉は首相だった頃は推進派だったはずじゃないか」

その通りである。確かに原子炉の設計寿命の法的規制を35年から40年超に延長したのも、小泉政権の時だ。

で、だから?それがなんの批判や、小泉氏への反論になるの?

福一事故のようなことが起って、それでまったく考えが変わらないと言うのなら、その方がおかしい。

今までの反原発・脱原発の議論のなかでもっとも現実性の高い、プラグマティックで説得力のある正論を言っているのは小泉氏だ。本気で原発を止めたいのなら、止めるべきだと思うなら、これを利用しないテはないはずだ。

「福一事故で考えが変わった」、これも一般市民にとってもっとも正直に共感出来ることのはずではないか。いや逆に、これだけの事故にも関わらずほぼ最低限の被害で済んでいるのは、最後の警鐘とみなすべきだ。今考えを改めないで、どうするのか?

そういうあなた達だって、福一事故の前に「原発は止めるべきだ」と本気で考えていたのだろうか?

関心すら持っていなかった、福島浜通りに東京の電気のための原発がふたつもあったことすら、「原発ムラが隠していた」からではなく、自分たちに関心がなかったからこそ、知らなかったのではないか?
そのこと自体を責めているのではない。ただそれを誤摩化して絶対正義であるかのように気取るのはおかしい。 
過ちに気づいて改められる限りにおいて、間違える権利もあるし、それを乗り越えて自分で選択する自由こそが、我々の基本的人権なのだ。それでいいではないか。

いや実際には、一昨年の事故の発生以来、今までだって、あなた方は本当に原発の問題やこの事故に関心を持って来たのだろうか?

たとえば今年の夏になって突然、汚染水漏れがスキャンダルになったのだって、かなり不思議な話だ。

2号炉の格納容器下部、サプレッション・チェンバーが大きく破損して、そこから燃料を直接冷却して放射性物質を多量に含んだ水が漏れているのは、事故当初から分かっていることだ。

だがこの水漏れも結局は、オリンピック招致の邪魔になりはしないかで話題になっただけ、どこから、なぜ水が漏れているのか、なぜそんなに汚染水が出てしまうのかを確認することもなく、めでたくオリンピックがゲット出来てしまえば、もうその対策ですら一面にもトップ項目にもならない。

まあ最初からこんな調子だった。

この2年半以上、なんにも進んでいないだけなのかも知れない。そしてそれは報道の問題だけでなく、「反原発」運動だって変わらない。それにしたって2年も経っているのに事故の現況を体系的に理解しようとすらしないのは、どういうわけなのか?

この汚染水については、オリンピック招致の過程で安倍氏が「世論の関心も高い」(って、どこが?)として国の積極介入を表明して報道の注目を集め(そこで初めて「世論の関心」が高まったんでしょうに安倍さん)以来、さすがに歪曲や隠蔽の意図ははっきりして来た。

いやなんだかもう、この総理大臣閣下が関わると、報道で歪曲や隠蔽が起るのがお約束になっているみたいだ。

今や報道で完全にうやむやにされているが、最大の問題は、事故当初からずっと2号炉から漏れ続けている推計一日300tという汚染水のはずだ。安倍首相がはっぱをかけて、凍土の壁を原子炉と海の間の土のなかに造り、といったまたずいぶんSFチックな対策も発表された。党の方でコンクリートで地中に堰を造ることが提案されたら、首相のメンツを潰すのか、と官邸が怒り出す一幕もあった。

いや地下に空洞があった場合だとかを考えたって、コンクリの方が確実じゃないのか?

それがいつのまにか、2号炉のサプレッション・チェンバーからの汚染水の話が消えて、話題は今や福一の敷地を埋め尽くす多量の汚染水タンクからの水漏れのことにスリ替わっている。

そのタンクでなぜ水漏れが発生するのか(なぜ水が漏れるようなタンクだったのか)の根本的な理由も考えずに東電を「いい加減だ」と責めて済むのなら、こんな楽チンな話もない。 
直接的には様々な理由があげられるが、端的に言えばすべて、事故の処理が決して国の管理ではなく、法制度上は民間の一営利企業である東京電力の管理責任で行われているが故の限界だ 
本来、大規模原子力災害は、国が電力会社の財産権を制約する形になっても、強制的にでも政府が管理権を掌握すべきものだ。福一事故の場合は、東京電力自らがそれを申し出たのに、拒否したのが当時の菅直人首相だ。 

だいたいそのタンクだって、溶けた燃料を冷やした水の置き場がすぐになくなるのは、事故後数週間で分かり切っていたはずだ。

事故初期に政府高官が「タンカーをチャーター」と言い出して、そんな話を船会社が飲むわけもなく立ち消えになり、静岡にあったメガフロートを買い上げて等々のすったもんだもあった。高濃度汚染水の収納先がないため、事故前の極めて低濃度の水を溜めていたタンクを空にすることになってまたもやマスコミが大騒ぎし、「海洋テロ国家だ」と一部のジャーナリストがわけもわからず叫んだりした時点から、基本的な問題はなにも変わっていない。

この時には、ようやく津波の瓦礫の後片付けが済んだいわき市の四倉の漁港で、TBSの取材班が漁師さんから東電を非難するインタビューを撮ろうとしていたのだが、漁師さんは目を白黒させるばかりだった。
漁師にしてみれば、遥かに高濃度の汚染水の漏洩を少しでも減らせるのなら、汚染水とはいえかなりの低濃度、海洋で拡散すればすぐ問題のない数値に落ち着くものが放出されるのはやむを得ない、という計算はすぐに出来る。海洋汚染は漁業にとって、リアルな現実の問題なのだ
『無人地帯』の撮影で四倉に行った際、この同じ漁師さんに会った。 
開口一番「インタビューはもうたくさんだべ」と言われたが、話はずいぶん聞かせてもらった。「ここはもう年寄りばかり。復興って言ったって5年もかかるなら、四倉の漁はもう続けられないよ」と言うわけで、小名浜漁港に行くよう勧めてくれたのも、その人だった。

2011年4月22日、小名浜港


そして案の定、2011年の末にはすでに、野田首相(当時)の収束・「安定冷却」宣言の陰で、もの凄い数のタンクが敷地内に林立していたのだが、この写真は東電の広報がホームページから取得できるようにしていたし、ニューヨークタイムズに掲載された記憶もあるのに、日本のメディアにはまったく出て来なかったし、「反原発デモ」などで言及する人もいなかった。

正直、こうなると東京電力の社員にもちょっと同情したくすらなる。

むろん東電の態度はいろいろ問題だらけなのだが、自分たちがちゃんと考えもせず、公開になっている重要な情報すら無視して「とにかく東電が悪い、隠蔽しているに違いない」一本槍では、さすがに嫌気も差すだろう。

だいたい東電に問題が多いのは、別のところ、こと今まで東京の電気を作る仕事に貢献して来た地元の人たちに対してだ。
補償問題はいつまでも曖昧なままな上に、いざ浜通りの地元から責められる立場になると、無自覚な東京のエリート風が鼻に付き、木で鼻をくくったような、「田舎」だと馬鹿にした態度になるという。

そして今年の夏、突然に、オリンピックがらみで騒ぎ出すだけでは、さすがに脱力する。

政府がやっと国費注入を決断したのは評価したい…と思ったら、「カネは出すが責任はとらない」が露骨なのだから、いやになってしまう。

資金面以上に、法や制度の壁、行政組織の課す制約からしても、処理方針自体に政府の決断がなければなかなか進まない、営利企業の枠内でやるのでは、現場の作業員の給料すらリストラ対象になるのだって、資本主義では理の当然なのに。

汚染水問題は、亡くなった所長の吉田さんが最初から「水との戦いになる」と言っていて、僕らだって水が象徴的な意味を持つからこそ、『無人地帯』でも最初から水のショットはなるべく撮り溜めて、音響設計でも水流の音にこだわったくらいなのだが、なぜこんなに汚染水が出ているのかを、大手のメディアでもネット論客でも、ぜんぜん説明してくれない。

実はよく分かっていないんじゃないか、とすら思えて来る。

なにが問題なのか分かっていたら、2号炉と海の間を凍土の壁でせき止めて、とかの政府案には「それは危ないのでは」と疑問が出ておかしくないはずだ。

今の課題は、汚染水が漏れる量を減らすことではなく、汚染水が生成してしまう量を減らすことのはずだ

なんとか溶けた燃料の冷却に使う水を濾過し放射性物質をある程度取り除き、同じ水を繰り返し使うサイクルを確立すること。それが出来ない限り、いくらタンクを増設したってきりがない、いやもう限界だ。

ところが2011年当時、メディアとくに一部のジャーナリストがわけもわからず「海外の叡智を」と言い出して菅首相(当時)がフランスのサルコジ大統領(当時)に買わされたAREVA社製の浄水装置がすぐに故障してまったく使えなかったことも、東電も政府も発表しているのにほとんど記事にならなかったし、今の国産の浄水装置ALPSが故障したことも、修理が終ったことも、ごく小さな記事にしかならない。

いやだって、事故の解決の本丸はここですよ?ALPSが稼動し、そこにこそ十全に予算を、国費も含めて投入し、増設出来れば、汚染水問題解決の目処は立つ。それまでは、水との戦いは続く

2号炉の場合はその上で、サプレッション・チェンバーの破損状況を把握して修理、漏れている穴を塞がなければ、汚染水の大量海洋漏出は止められない。

そのためにも現状汚染水があふれ、その一部が海に大量に流れ出ている、この現状をまずなんとかしなければならない。その目処も立たずに凍土の壁とやらで安倍さんの大好きな「ブロック」をやってしまえば、今まで地下水脈を経て海に流れ出ていた汚染水が逆流し、破損部分修理の目処がますますつかなくなる。

こんな順番は、1足す1は2レベルの、簡単な理屈のはずなのだが、その1足す1は2の計算みたいなことをメディアも、ジャーナリストも、政治家も、誰もやっていないようにしか見えない。
こんな報道やネット上論客ばかりでは、一般市民がなにがなんだか分からなくなるのも無理はない。



「日本人なんてそんなに暴れたり、暴動なんて起こさないと思うんだよな。知識もあるし、しっかりしてると思うよな。(だから)はっきりしてもらえば」
––映画『無人地帯』より、飯館村・長泥の鴫原区長


今度の週末から台湾の台北で、核廃絶の映画祭があり、そのオープニング作品で『無人地帯』が上映される。


台湾も原発開発を続けている国だし、舞台あいさつや質疑応答、取材なども受けなければいけないので、お国の原発自事情を簡単にでいいから教えてもらおうと、送ってもらった資料をみて驚いた。4つあるうちの3つの原発が、首都・台北から直近の海岸地帯にある。いずれの原発も、30Km圏内の人口が700万を超える

これでは事故が起ったら大変な、収集不能の、国が滅びるような事態になるのだが、逆に敢えてぶっちゃけて言ってしまえば、今の日本と較べれば、台湾は正直なだけいいような気もするのである。

受益者がちゃんとリスクを負っているじゃないか

「東京に原発を」という、その昔、反原発運動のあいだで冗談半分で言っていた話は、日本の場合は地質学上無理なのだが(関東平野全体が比較的新しい堆積土壌だし、東京の海浜部はほとんどが近世以降の埋め立て、地盤が弱過ぎる)、いかに頑丈な岩盤が必須とはいえ、250Km先の福島浜通り、新潟の柏崎、果ては計画中のものなら下北半島まで(あそこも2つのうち1つは、東北電力でなく東京電力)、最大の消費地東京を賄う東京電力の原子力発電所は、いずれもその管内の外どころか、遥か彼方の東京から遠くはなれて立地している。

それをいいことに、東京オリンピックの誘致に当たっては元皇族の竹田宮のJOC会長が「東京は250Km離れているから安全」と繰り返すとか、あまりに無責任にも程がある。

元とはいえ皇族がこれではまったく困ったものなのだが(民草のなかで最も大変な思いをしている者たちを慮るのが、「天皇」の文化的な役割だ)、一般市民だって他人のことを言えたものではない。

福一事故以来、こと僕たちの映画の業界では、「フクシマから遠くはなれて」だの「フタバから遠くはなれて」だの、60年代のフランスの映画『ヴェトナムから遠くはなれて』にひっかけてずいぶん軽薄なことを、東京では言って来た。

冗談じゃない。

そんなことを言うのなら、「トウキョウから遠くはなれて」こそが正しい。

ましてフランスの映画作家たちが「ヴェトナムから遠くはなれて」と言っていたのは、旧植民地とはいえ確かに遥か彼方な他所の国で、ヴェトナムの人々がその映画を見ることもたぶんなかったのに対し、福島と東京は…

「ずっと送電線でつながってたんだけどねえ」とイヤミのひとつも、本来なら言いたくなる。

それに常磐線の特急や、高速の常磐道に乗れば2時間強しかかからない。福一事故で国道6号線や常磐線が遮断されてしまい、浜通りの双葉郡以北は20Km圏をぐるりと遠廻りすることになり、東京はずいぶん遠くなってしまったが、今だっていわき市の仮設だとかからは、東京はなにか用事があればちょくちょく出て来れる場所だ。 
ここの出身者で東京で勉強する人、住んで働く人たちだって多い。
つまり、福島から見れば「遠くはなれて」なんて実はいないはずなのに、東京ではなにも考えずに「遠くはなれて」なんて言っている。これでは決して距離ではなく精神の問題で、「心がなんと遠くはなれてしまったのだろう」「そんなところにせっせと電気を送っていたのか」と、がっくりも来てしまうだろうし、腹も立つはずだ。

いかに「当事者のことは分からない」「立場が違うのに代弁は傲慢だ」とか言い訳したところで、この程度の、いわば最低限の想像力も働かないことに開き直るのは、それこそ傲慢だ。

まして僕らのやっている映画という稼業は、他者を撮ること、他人様にキャメラを向けることが本質である。「分からない」とかいって傍若無人に、それ自体が武器であるキャメラを向けるなんて、やってはいけないはずだし、そもそも映画で撮れる絵にならないから、行為自体が無意味になる。ますますもって、無駄なことで他人様のお時間を拝借して迷惑をかけてはいけない。

別にはなれた遠くの国のことなら構わない、というわけではないが、身近な隣人のことをこうも無視できる、人間扱いせず「対象」として、自己の思い込みや願望の投影先だけとして扱える、相手の立場を想像すらしないのでは、さすが倫理観のタガが外れ過ぎで、自分を取り巻く世界に対する認識が狂っている

その上、原発が立地した現地の当事者は確かに福島県であり青森であり宮城であり、あるいは関西電力なら福井県だったりなど、要するに東京や大阪などの大都市からみれば「田舎」、「僻地」扱いの土地であるとしても、その電気を使って来た方の当事者、巨大消費地は主に都会、つまり僕たちなのだ

原発の「恩恵」を言うのなら確かに、たとえば人口8万の福島県双葉郡で、原発ふたつと広野の火力発電所で直接雇用は2万くらいはあったはずだ。

つまり経済と雇用が原子力と東電なしには成立しなかった、その以前、高度成長時代前半にはどの家でも出稼ぎは当たり前だったのだし…と、そんな話を「恩恵」と言ったところで、元を糾せば戦後の日本が中央集権の、地方の地場産業を重視しない経済構造を採用し、その地方は最初から不利で不公平な立場に置かれて来たのではないか。

いや厳密に言えば戦後に限った話ではない。 
東北地方で作られた電力を京浜工業地帯に供給するシステムは、元々は軍需産業つまり「お国のため」に押し付けた構造だ。

最初から不公平な構造があるのに、それにのっかって東京なり大都市がまず豊かになったその側が、自分たちが電気をふんだんに享受して来たことは忘れた顔をして、「原発で潤っただろう」などと言うのは、あまりに厚かましい

東京でこの事故以来、にわかに「反原発!」「フクシマから遠くはなれて!」と言っている人たちが、実は恥ずかしくてずっと逃げ続けている、誤摩化している事実がある。

あなた達は2011年3月11日の夕方以前に、福島の原発の電気を東京でずっと自分達が使っていたことを、知っていたのだろうか?

正義ぶって東電や政府を叩く者たちが、誰もこの問いに正直に答えない。

「騙されていた」「知らされていなかった」とは言わせない。

事故のわずか7年前、2004年に、福島第一原発のことは、大きなニュースになっていた。

小泉政権の時に国が原子炉のそれまでの法定の設計寿命を35年から40年以上に伸ばす決定をしたことは、5大紙すべて一面に載ったはずだし、TVのニュース番組でもトップニュースで、『報道ステーション』などはかなり大掛かりな特集を組んでいた。

知らなかった、興味も関心もなかった、忘れていた、と正直に認めればいいものを、なぜ誤摩化し、逃げるのだろうか?それでは却って不信感を招くだけでなく、単純に失礼であることすら気づかないのだろうか?それが僕には未だに、さっぱり理解できない。

小泉純一郎と同じでいいじゃないか。これだけの事故があって、考えを変えない方がおかしい。

「ずっと電気を使っていたのに、知らなくてごめんなさい」とさえ言えば、たいがいはそれ以上責められることなんてまずない(先方にしてみれば、認めてくれればそれで結構、今さら責めたって始まらない)、ただやっとお互いに話がし易くなる、やっと対等の関係になるだけだ。

その対等な関係を拒絶したいだけなのだとしたら、この人たちは結局は原発にも原発事故にも興味がないまま、ただ流行のお手頃な自己正当化のツールに飛びついただけなのだろう

2004年のその当時にも、プルトニウム再利用の問題なども重なり、各メディアは報道を続けようとしたものの、あまりに一般読者・視聴者の関心が薄かったので途中で立ち消えになってしまった。

我々は「安全神話に騙されていた」のではない。そんな自分を甘やかす嘘はもうやめよう。東京が遠くはなれているのをいいことに、原発の排水で近海では魚が巨大化しているんだ的な都市伝説をなんとなく面白がるだけで、関心がなかったのだ。

そして今も、結局は「フクシマから遠くはなれて」であることに変わりはないようだ。

竹田宮だけでなくみんなの本音が、「250Km離れてるんだから東京は安全」なのだ。自分たちだって危険かも知れないと思っていたら、こんな態度では済まないはずだ。

一応は反原発を掲げて先の参院選に当選した議員だって、山本太郎氏とか「さすがに2年も経ってその主張内容はないだろう?」という公約の中身だし、またその太郎議員ももはや反原発の主張ではなく、「天皇陛下にお手紙を渡したけしからん」でしか話題の人にならない。
双葉町の前町長だったのが、すっかり「東京」におもちゃにされ搾取された井戸川さんなどは、同じ選挙で南相馬市の仮設住宅でタイベックスを着て街頭演説をやっていたらしい。
結局アピールする先は、どれだけ実は無関心で軽薄で薄情だろうが、東京なのだ。「トウキョウから遠くはなれて」しまった地元の人、元は町長の井戸川さんですら、自分の地元を無視するように洗脳されてしまった。

ここで自称「反対」の側だけを責めるのもフェアではない。「反原発」に対して「反・反原発」なるものも出て来ると、輪をかけて軽薄な人でなしだ。

原発がなければ自分たちの電力が足りなくなる、と正直に言うのならまだいい。だが他人ごとのように経済が云々、挙げ句に「地元の人が困る」から再稼動と、無節操に「地元の人」の人格を無視して玩具にする無責任な独善っぷりは、まさにどっちもどっちで、非人間的だ。

むろん現実問題、原発の地元はいずれも雇用を原発に大きく依存しており、全国の原子炉が停止状態では13ヶ月ごとの定期検診もなく、仕事がなくなってしまった下請け業者の経営は苦しい。だが、だからって即「再稼動を早くしてくれ」などという話になるわけは決してなく、今のようにこれからどうするのかが決まらないまま運転停止の状態がいちばん苦しい、この中途半端さをこそなんとかしなければならないのだ。

ちょっとは想像力を働かせてみて欲しい。

原発の地元だって、作業員の皆さんだって、あなた方と同じ人間なのだ。「当事者性の欠如」などと小難しい言葉で自己正当化を計ってないで、普通に想像や推測が出来るレベルまでは、当然配慮もすべき、考えるべきだ。

福一原発事故が起ってしまった今、喜んで原発の仕事を続けたいと思う人がどれだけいるだろう?元請けの電力会社も政府もここまで自分たちをないがしろにすると分かった今、忠義や恩義を感じるだろうか?

それでも原発を止めて行く、という政治の決断が(首相の、国会の決断が)下されない以上は、原発をちゃんと動かせる専門の労働者は絶対に必要になってしまう、その責任があるから、転業も転職も出来ないのだ。

いやまったく、原発で働く人たちに少しは、敬意とすら言わない、他人様を人間扱いする意識が持てないのだろうか?

いつのまにか巷では、福一で事故収束のため働いているのはヤクザがらみの犯罪予備軍だらけということにされてしまっている。「なんだ結局、差別対象の“汚い仕事”扱いなのかよ?」と偽善と差別意識がむき出しになるのにもウンザリする。
確かに事故初期から現場に入っていた人のなかには、法定被曝量を超えてしまってもう働けない人も出て来ていて、人手不足はどんどん問題になって行くだろうし、とりあえず水で溶けた燃料を冷やす段階で悪いなりに安定はしているので、必要な人手は原子炉の専門家よりもタンクの増設、瓦礫撤去、痛んだ原子炉の補強などの土木系が増え、東電もお金がないのでずいぶん安い賃金で、という現実もある。 
だがだからって、暴力団系の口入れ屋がすべてを仕切っているような話でももちろんない。

だいたい「福一の現場の労働者が衝撃の告白」って、ちゃんと現場が分かっているベテランはそう簡単に出られないってば。下請け、孫請けなんだから、自分のクビだけでなく会社に響く。責任ある、実際の事故収束に頑張って取り組む立場にある人たちこそ、簡単にはしゃべれないのだ。

僕たちも『無人地帯』の続編『…そして、春』の撮影で、そういったプロの証言もずいぶん聞いて来た。ただし基本的に表には絶対に出せない、映画にもそのまま使えない。インタビュー撮影なんてこっちから「やらないでいい」と言うくらいでなければ、信用されない。

僕たちが提案したのは、誰から聞いたのか分からないくらいまで内容を切り詰めて文章に起こす、様々な人の話を基にいわばフィクショナルな作業員の人物を創造した言葉を、ナレーションとして俳優に朗読してもらうことだ。こうでもしなければその人たちを守れないし、その現実の生活を侵害する権利なんて誰にもない。

雇用と生活を守るだけでなく、「原発で働いてるんだから推進派なんだ」とすぐ罪人扱いする人たちの、無神経で身勝手な攻撃だなんて理不尽も、それ以上に阻止しなければならない。

テレビでよくやる、顔にぼかしをいれたり背中からとか、曇りガラス越しで、声を変声機でいじって、というあのやり方はみにくいだけでなく、知り合いが見ればだいたい分かってしまうのである。まさかそんな我々の業界では常識であることを黙って取材して、せっかくお話してくれる人を騙すわけにもいかない。だいたいそうやって話を聞くプロセスで、親しい友達にもなっているのだし絶対に裏切れない。

ツイッターで発信している人には何人も「本物」がいるが、これはそれなりの立場の人たちなので、本社が把握してもクビを切ったり契約解除は出来ないからだ。 
その立場のギリギリで、少しでも世間の無理解をなんとかしようと頑張っている皆さんの勇気と知性は、心から尊敬する。

だがそんな直接に事故に直面する人々のことは忘れたのか眼中にないのか、もはや福一は東京にとって、時々思い出したように話題にするだけで、本質的な興味は誰も持っていないようにも見える

もし本当に心配で、興味や関心があるのなら、この事故がいったいどういう事故なのか、素人でも分かる基本的な部分くらいはさすがに踏まえるはずだ。

もっとも、メディアもそういった報道にはなんの関心もないらしく…というかよく分かっていないままにその時その時の話題にとびついて報道するだけでは、そのメディアを通じて情報を得る一般市民に分かれという方が無茶ではあろう。

僕ら普通の一般市民には直接関係のない、細かな話かも知れないが、あまりに誤解がひどいので、ちゃんと確認しておこう。

事故現場や、あるいは東電や政府の直接担当者たちが、基本的で重要な情報を隠している、状況把握に必要な事実を隠しているわけでもない。問題はそこから先の情報の伝達にある。

まず震災・事故発生当初の官房長官・枝野氏以来、今では安倍晋三総理に至るまで、政府を代表して発表している人たちがまず、よく分かっていないらしい。

枝野氏は、国会事故調の調査に答えた時点で、氏が官邸記者会見で発表したことにほとんど嘘や間違いがなかったにも関わらず、本人は嘘をついているつもりでいたことが分かってしまった。

安倍氏に至っては…。一日300tと推計される汚染水を、どうやってブロックするのだろう?いつから福一の港湾部0.3平方キロはぜんぶ堤防で囲われたのか知らないが、そんなことやったらすぐに溢れるよ。

東電だって、記者会見をやっている広報がどこまで理解しているのか怪しいものだが、データを書類で渡しているはず。それでも恐らく記者さんたちはちゃんと見ていないか、読み方も知らないで報道気取りなのだろう。

分からないところがあれば質問すればいいはずなのだが、「分からない」ということを認めたくないらしい。これは政治家から記者、ネットで発信する人たちに至るまで、みんなこんな調子だ。皆さんあまりにも勘違いしているのではないか?原発事故とはそもそも、分からないことがあまりにも多いものなのだ

事故当初、一部の原子力の研究者がテレビに出ては一生懸命説明していた。本物の研究者であればあるほど、事実として確認が出来ないこと、把握出来ない状況は、分からないとはっきり言う。元々原子炉の運用システムが停電でダウンした事故で、計器が死んでいるんだから分からないことだらけなのだし。

ところがテレビのキャスターの多くは、研究者がそこまでは分かっているから分かり易く説明している部分ですら理解せずに、「チェルノブイリが」「メルトダウンが」とだけ、言葉の意味もよく分からず繰り返し、「それはまだ分からない」と本当のことを言った研究者は「御用学者」扱いである。 
実はなんにもよく分かっていなかったNHKの解説委員がもてはやされ、さすがに現場などから苦情が来て、この解説委員が出られなくなると、「原発ムラに潰されたのだ」の大合唱となった。

そんな混乱した、情報が錯綜するばかりだった2年半前以来、ことの本質はなにも変わっていない。

この事故が「レベル7」と決まった時の、皆さんの喜びようも忘れられない。

「レベル」が6なのか7なのかよりも、この事故の固有の事象がどういうことなのかを正確に把握することの方がよほど大事なはずが、レベル6じゃないかと言う人がいればまた「御用学者」の大合唱だった。

原子炉と原発の常識では、臨界中の炉心が爆発崩壊したチェルノブイリの「メルトダウン」で「レベル7」と、今回の地震後自動停止中だった原子炉の冷却系派損による炉心の崩壊熱による溶融は、かなり異なった事象のはずなのだが…

だから「政府がメルトダウンを隠蔽した」というのも、まったくの虚報である。当初「メルトダウン」はチェルノブイリ事故のような、臨界炉心の崩壊を意味していた(…はずだ。上杉隆さんらが意味をぜんぜん分かっていなかった可能性は相当にある)。その定義では、福一事故は「メルトダウン」とは言えない。だから枝野会見で当初「メルトダウン」とは言わなかったのは、単に用語の問題に過ぎない。だからこそ必要だったはずなのに無視されたのは、用語ではなく事故のメカニズムこそちゃんと理解されるような説明だ。

逆にいえば、やれ「レベル7」だ、などと大騒ぎする必要もなかった、ということでもある。

…というか、「レベル」なんて元々、そんなに意味があるような、こだわるべきポイントですらなかった。ただなにがどうなってるのかよく分かってない、分からないとは自覚すら出来ない人たちにとって、分かり易くとっつき易い「記号」に過ぎなかった。

福一原発事故は、なんと言っても「想定外」事故である。

1965年に建設が決まって以来、先述の2004年辺りまで関係者が信じていた事故可能性の想定は、単なる間違いだったのだ。

そして人類がこれまで把握している「最先端科学」なんて、まだまだその程度なのだし、今の知見だってどこまで当てに出来るのか、さらなる「想定外」が起らない必然はどこにもないのだ。

そのことこそが、今回の事故の教訓のはずなのに、「いや新しい、厳しい想定だから大丈夫です」と言われて、本気で安心できる人がいるのだろうか?

なにも学習出来ていないどころか、ここまで日本社会が(世界でもっとも識字率や就学率が高いとされる、教育大国のはずが)科学的で冷静なものの考え方が苦手だったというのが、僕には正直、いちばん想定外だった。

原子炉の中は見えない。放射線が強過ぎて目視で確認なんて絶対に出来ない。核分裂の現象は理論的にはかなり解明されているが、それでも理論は理論、実際に分からないことは、分からないのだ

この「分からない」ということすら分からない社会に、原発の電気を使う資格なんてない日本はおよそ原発なぞを利用して電力を享受する資格なぞない、怠けた社会、勉強しない国、自分たちにだけひたすら甘い国だったのだ。

それをちゃんと反省するのなら、日本の原発政策の将来に於いて、とられるべき道は目に見えているはずなのだが…。

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