最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

7/06/2017

都議選が終わったところで、「最大の争点」だったはずの築地=豊洲市場問題を考えてみる


築地市場の大冷凍庫 浜離宮より

2017年の都議選は、国政で与党自民党…というか安倍政権の体質そのものに関わるスキャンダルが次々と出て来て、すっかり安倍不信任投票の結果になった。

だがそういう流れというか「大逆風」以前には、豊洲新市場こそが争点だというのが主たるメディアの論調だったはずだ。

共産党や生活者ネットワークが移転反対と築地再整備を一貫した方針として提起して来たのに対し、豊洲への移転が決まったときの与党だった自民党・公明党は(後者が都政での連立を解消した後も)、どれだけ新市場について問題が明らかになろうとも、移転強行を崩さず、自民党に至っては早期移転のためなら問題の隠蔽すら辞さない態度を見せていた。

そのなかで小池百合子都知事が方針を明らかにしないことは、自民党からの格好の攻撃材料になっていた(というか、自民党はそのつもりだった)。

「決められない知事」という “レッテル貼り” に、ちょっと前までは豊洲新市場が抱える土壌汚染や工事の不備をさかんに取り上げていたはずのテレビを中心とするメディアも同調していたのは、国政の政権与党でもある自民党への忖度というか、その国政については加計学園スキャンダルでも、「共謀罪の構成要件を厳しくはちっともしていないテロ等準備罪(ただしテロと無関係な罪状ばかり300前後)」の審議でも、報道すれば批判的な論調にならざるを得なかったが故の、報道各社なりの「バランス感覚」のつもりだったのかも知れない。

国政の自民党への批判が殺到した結果の都民ファースト圧勝について、豊洲の「争点隠し」になって小池百合子と都民ファーストがうまく逃げた、という論もあるようだが、フタを開けてみればこんな批判はまったく当たらないことが明らかになった。

投票所の出口調査では、もっともサンプル数が多いので信頼性が高いと思われるNHKで、64%が小池知事の判断を「評価する」という結果だったのだ。


これがまたNHKの記者が開票中のインタビューで小池氏に「36%が『評価しない』と言っているがどう思うか?」と、露骨に変な質問を始めるのだから、与党への忖度の癖がぬけない政治記者は始末が悪い。 
小池氏はまったく動ぜずに「逆に『評価する』はどんな数字が出てますか?」と、NHKの詭弁を呆気なく覆してみせていた。


つまり仮に「豊洲移転が争点」だと自民党が都議選の争点を捏造しようとした企てが成功していたとしても、逆にその争点でも自民党は負けていたことになる。

豊洲=築地移転問題の真の核心は、豊洲に移転したところで中央卸売市場の機能と商売が本当に継続できるのか、だ。

移転の強行を主張した都議会自民党はそこにまったく気づかなかったようだし、メディアもまったく触れようとして来ていないが、豊洲市場に移転してしまうと、近い将来には最悪、商売がまったく立ち行かなくなる可能性すら否定はできない。

豊洲新市場の不安要素は、もっとも話題になった土壌汚染問題に限らず、建物は妙に建築費だけは高い(坪単価150万)わりに使い勝手に問題があったり、耐震強度不足の疑いまで出て来るなど、列挙にいとまがない。

しかも移転となれば、「築地」というこれまで培って来た伝統の信頼、小池百合子の言葉でいえばブランド力を放棄しなければならない。この立地だから都内から毎朝、中小の鮮魚店や料理店が買い付けに行けるのが、豊洲に移るだけでそうした上得意を失いリスクも現実的に大きい。

そもそもIT環境の革新的な進化で、中央卸売市場というビジネスモデル自体が急速に過去のものになりつつあることも忘れてはならない。

そんな環境が整うずっと前から、大手スーパーやフランチャイズの飲食店(たとえばモスバーガー)などは「産地直送」を食材の質の高さのセールスポイントとして確立して来て、中央卸売市場の商売は元から減って行く傾向があったのが、今や中小の飲食店や鮮魚店なども、ネット上のサービスを活用して「産地直送」が手軽にできるようになりつつある。

そんななかでも築地が機能して繁盛して来たのは、その「ブランド力」を支えて来た、仲卸しを中心とする「目利き」が信頼されて来た、日本ならではの文化の伝統だ。では豊洲移転を一方的に強行することで、せっかく今ある築地の付加価値を捨ててしまうのは、今の時代に賢明な選択だろうか?

小池百合子都知事が「アウフヘーヴェン」と称し、メディアが「玉虫色」「八方美人」とこき下ろしたプランは、単に築地の伝統を支えて来たプライドのある残留派への、ただ選挙目当てを考えた配慮ではない(というか選挙なら、そんなにたいした数の組織票でもあるまい)。

築地を売却せず都が再開発し、市場機能を復活させるオプションも残すというのは、現実的に豊洲市場が大失敗したとき(その不安は誰もおおっぴらには口にしないが、決して排除できない)の、安全装置でもあるのだ。

そして実際に、都民は自民党に同調したメディアの煽動には乗せられておらず、小池案が相当に地に足のついたものだったことも理解していた、ということなのだろう。結果を見れば(出口調査で64%が「評価する」)、小池百合子を「決められない知事」と責めれば都議選を闘えると思った自民党の思惑も、有権者にそっぽを向かれていたのだ。

築地市場に隣接する都立浜離宮庭園

あるいは「豊洲移転」は自民党が勝手に固執していたから争点に見えていただけなのかも知れず、マスコミがしきりに報じて来たので「争点もどき」に見えてはいたが、都民の大多数には関心が薄かったのでは、という指摘もあった。

まったく無関心でもあるまいが、都議選の主な争点だと言われれば、確かに大いに違和感はある。ほとんどの都民の生活には、直接の関係はないと言われればその通りなのだ。

それに豊洲への移転を迫って「決められない知事」と自民党が小池を批判したつもりでいたのは、昨年の11月の予定だった移転を小池知事が延期させるに至った経緯を忘れたのか、それとも無視したのか、小池都政がこの異常性に気づくまで放置して来た都議会与党としてあまりに無責任かつ手前味噌な話であり、どっちにしろ選挙の結果を左右する争点にはならなかったか、争点だというのであればむしろ小池百合子/都民ファーストの会に投票する追い風になったと考えた方が合理的だ。

だいたい、石原慎太郎都知事とその都議会与党の自民が公約した「無害化」の目処はまったく立っていない。

約束を守れないでおいて、「安全と安心を混同している」と、原発事故後の福島産の農作物への風評被害を批判するのと同じロジックを御都合主義で持ち出すのは、自民も晋太郎もあまりに無責任で言葉の重みの自覚がなさ過ぎる。

そもそも福島県の農業なら連綿とした歴史と農業を担って来た農家があり、そこへ原発事故の放射能被害があったのだから、その復興を応援するのとまったく意味が違う。汚染された農地を取り戻そうとする意志は尊いが、汚染が明らかな土地は市場の立地としてそもそも成立しない。

豊洲市場は「これから作る」計画だったのであり、好き好んで東京ガスの工場跡地に生鮮食料品の市場を作ろうなんていう根本の発想がまずおかしいのだ。

それに福島県の農業についての「絆」「食べて応援」などという政府系のプロパガンダはまったく効果がなかったし、むしろ最初から風評被害の被害当事者である農家の意識とも、まるでかけはなれていた。そして福島県で風評を多少は払拭できて来たのは、農家が放射性物質の特性を勉強し、高額な測定器まで購入して検出限界以下を目指して来た、ひたすらその意地と地道な努力の賜物だ。

現実に、今や福島県の農作物は全国でもっとも厳しく放射性物質がチェックされていて、出荷されるのはほとんどが基準値以下ではなく検出限界以下となっている(つまりデータで見る限り、むしろより安全なはずだ)。 
それでも福島の農業が商売として、産業として成立しているかと言えば、未だとても難しい状況にある。

それに対して豊洲新市場が汚染土壌に建てられているから危険というのが「風評」だとしても、その「風評」の払拭の手段は、ここに入る卸・仲卸業者にはない。払拭と信頼回復の手段を持っているのは東京都だけだ。

だから東京都がどれだけ責任を持ってやってくれるのかを見ていれば、都議会は石原慎太郎元都知事らを喚問しても、豊洲に決まった経緯も、なぜ当初方針にも設計にも反して地下空間があったのかの真相も解明できなかったし、専門家委員会も「無害化」の公約が達成できないいいわけもそこそこに、「科学的には安全」と繰り返しただけで、「風評」の払拭を放棄して「安心と安全を混同している」と世間一般に責任をなすりつけようとするだけで終わっている。

そもそも福島県の農業は元あったものを「復興」させる必要が農家にあるから頑張って来たのに対し、豊洲新市場に関してはそもそも都のずさんな行政の責任で、最初からここに移転なんてしなければなかった「風評」でしかない。

なにもハンディがあるところでわざわざ商売を新たに始めるというのは、経営判断としておかしい。

自民党は自由主義経済を支持する保守政党ではなかったのか? これではまるでスターリニズムではないか。

浜離宮は徳川将軍家の別邸で 明治以降皇室の離宮となり戦後東京都に移管された

なにかの計画を強引に進めるときに、その地元・当事者が分断するように仕向け、さらにその分断を煽ることで当事者(被害者)側コミュニティの力を奪ってゴリ押しを成功させるのは、自民党政権が使い続けて来た手口で、有名な例では成田空港がある。

昨今の沖縄の基地問題では、このやり口はさらに姑息さを高度化させている。当事者・地元・沖縄県民の分断の演出が無理ならば、ネット言論を利用して全国規模でそれを捏造する、ということまでやっている。

築地市場では、極めておおざっぱに言えば卸つまり大手は自民党側、中小の客商売の仲卸は築地の方がお客さんの信頼があるし立地的にも有利なので築地残留、という構図になっているようだが、都議会自民党はわざわざその築地市場の仲卸しの区画の視察にメディアを同行させ、「旧くて汚いじゃないか」とさんざんにその仲卸を侮辱する発言を繰り返した。

これが分断を煽る意図だったのか、単に呆れるほど傲慢で無神経で、本当にひたすら仲卸し業者を見くびって愚弄し差別しているからだけなのかは、よく分からないが、後者のように受け取られて当然である自覚が皆無だったのは、ちょっと呆れる。

豊洲移転を決めた時の石原慎太郎も、「汚い」「古い」を繰り返し、日本の科学技術を絶賛して清潔な最新鋭市場の意義を滔々と語っている。

こんな非礼な「不潔」扱いをされ続けては(築地残留派の仲卸がますます反感を強めるのは当然だ。それが分断を煽って移転を促進する狙いだったとしても、ここまでやれば空回りにしかならない。

最終的に発表された小池百合子都知事の方針が、そうした仲卸し業者が誇りとして来た築地の「伝統」に敬意を表し、築地を売却せず、市場の一部をそこに戻せるオプションを含んだものだったのは、まずこうして石原慎太郎以来、都の行政と都議会与党が作って来た分断を少しでも治めるために必要な政治判断だったし、その発表後すぐに都知事は築地に行き、土壌の「無害化」の公約を達成できていないこと(出来る見込みがないこと)について深々と頭を下げた。

築地市場の市場の仕組みの概略図

結果として基本方針が豊洲移転とならざるを得ないとなるにしても、だからこそその移転をスムーズに行うためだけでも、この判断は政治的に正しかった。現に自民党側が「玉虫色だ」「やはり決められない知事だ」「曖昧で無責任だ」とメディアも使って言い立てようが、結果から見れば64%の都民は騙されずに、地に足のついた評価をしたと言えるだろう。

というか、自民党が都政においても傲慢過ぎて、愚か過ぎたのだ。

今回の都知事選は最終的に「安倍不信任投票」となった、都政よりも国政の問題で自民党が惨敗した、という分析が主流で、落選・敗北した元議員のなかには党本部への恨みが募る者も少なくないかも知れないが、安倍が非難されたのと同じ傲慢さと手前勝手な体質、過ちを認められず謝ることを拒絶して突っ走る閉塞した自己中心主義は、都議会自民党も共有している。

浜離宮 六代将軍家宣お手植えと伝わる巨大なクロマツ

豊洲市場の問題は、メディアと世論の注目の中心になった汚染土壌対策だけではないことも、改めて確認しておこう。

都議会選が近づくに連れて「決められない都知事」大合唱に走ったあまり、メディアも忘れているのかもしれないが、豊洲新市場はやたらと金がかかって妙に最新鋭な割には、その最新鋭を注ぎ込んだら床の強度が耐震基準を満たしていないとか、仲卸セクションの区分けがターレットを使うには中途半端か狭過ぎるとか、果てはトラックの積み降ろしが最近の側面が開く荷台に対応していない、旧来の、後方の扉からの出し入れしかできず効率の悪いものでないと幅が足りない、などの様々な設計上のミスも、そのメディアが報じていたはずだ。

総事業費が7000億近く、建築費だけでも坪単価が150万という、同じレベルの高価な建築といえば黒川紀章設計の新国立美術館や、高級ホテルくらいしか思い浮かばない(と思ったら、今治市に建設中の加計学園の獣医学部が、やはり坪単価150万という凄い数字になっている)、公金を注ぎ込めるのをいいことにやたら高価格になっている。

なぜここまで高いのか?

かくも高価な「最新鋭」は運用・維持にも金がかかり、年間数十億レベルの赤字の試算が出ているのが豊洲新市場である。

建設開始と建設中に次から次へとその時点での「最新鋭」を盛り込んだプランとして肥大して来た結果、過重に無理が出るだけでなく建築費もそこまでかかってしまったのだろうか? アスベストの問題などは未解決にせよ、戦前の建築である築地で、同じ商売は十分に成り立っているのに、である。

元はガス工場という極端な汚染土壌の不適な立地だからこそ、そのデメリットを払拭するかのように「最新鋭で清潔」な超高級建造物にしようとする動機は分からないでもないが、だったら最初からそんなところに建てなければよかったのだし、しかも肝心の土壌汚染対策はまったく目標が達成できてない。

これで「早く決めろ」「決められない都知事だ」と都知事をなじって豊洲移転の早期決定を迫るというのは、あまりに一貫性がない。

築地場外市場は豊洲移転後も営業を続ける

はっきり言って、豊洲=築地問題は、進むも地獄、進まないも地獄の悪魔の選択でしかない。なのに拙速に「早く決めろ」と言うほどの無責任もない。小池百合子は「劇場型政治」と批判されて来たが、ここでは「劇場型」なら不利になる現実的で地道な判断を下しているし、結果からすれば都民有権者もそこは評価したことになる(出口調査で64%)。

そもそもガス工場、化学工場の跡地に生鮮食料品の中央市場を持って来るという判断が最初から分かり切った大間違いだった。

石原慎太郎が「日本の科学技術は素晴らしいから克服できる」とナショナリスティックな大見得を切ったたままその誤りを誤りと認められないまま(当初は東京ガス自身がこの土地の売却に反対していた)、あたかも見直し・後戻りの可能性が出てカリスマ都知事の判断の誤りが指摘されるリスクを封じ込めるかのように、都は建設費を肥大させ、当初の見積もりの甘さが祟って土壌汚染対策経費も膨れ上がり、それでも「誰かが決めたこと」の決めた誰かへの忖度で再検証もなにもできないまま、新市場の建物が出来上がってしまったところで後の祭り、となっているのが現状なのだ。

有権者の心を掴むキャッチフレーズ造りの巧い小池百合子流に言えば「昭和っぽい古い政治」が21世紀に入って、より巨大化してより派手にタガが外れて、制御不能なまま成し遂げられてしまった結果が、豊洲移転問題だとも言えるだろう。 
それが分かっていながら知事を責め立てたのなら、都議会自民党のタチの悪さも相当なものだ。

そうやって妙に「最新鋭」をてんこもりにした結果、今の築地と同規模の市場運用を想定した場合には年間数十億の赤字になるという試算が出ているのも、前述の通りだ。しかも築地と同じ規模の市場が存続できる見込みもない。

汚染土壌をめぐる風評(とも言えない。都が公約した「無害化」は現に失敗しているのだ)だけでなく、都心から遠ざかるだけでも、今まさに築地の商売を支えている顧客層(中小の料理店や小売り)にとっては移動距離が増えてしまう懸念もある。

端的に言ってしまうなら、豊洲に市場を移転したとたん、中央卸売市場の商売がみるみるうちに先細りになってしまうかも知れないことが、この移転問題の本質なのだ。

川瀬巴水 中央市場  昭和11(1936)年

市場の継続性だけを考えるなら、豊洲移転という石原時代の(結局は誰が決断したのかもよく分からない「なあなあ」でしかなかった)巨大な誤りだった判断はいったん白紙に戻し、築地再整備というのが、いちばんすっきりする解答だったのかも知れないし、筋は通るのだから、都民の信頼も回復できるだろう。

筋を通すことについては頑固というか金科玉条の共産党だけでなく、小池百合子だって本音ではそうしたかったのかも知れず、現に市場問題プロジェクトチームに、豊洲を売却・築地再整備という極端なプランも出させていた。

だがそこで現実の問題になるのはまず、これまで悪評のついてしまった豊洲新市場を売却できるのかどうかだ。

プロジェクトチーム案は生鮮食料品ではなく普通の商業施設なら使い道はあるかのような楽天的な想定もし、また住宅開発も考慮に入れていたようだが、今の建物のまま再利用を考えるにせよ、更地に戻して、というにせよ、これだけの巨大プロジェクトで変にリスクもあるものをやる企業が出て来るのかどうかは、率直なところ疑問も残る。

さらに都政として問題になるのは、7000億円もかかり、建築費だけで坪単価150万という巨大なムダをどう清算できるのか、だ。逆に7000億円もかかっていることが(そのまま損金になってはもったいないではないか、という有権者の庶民感覚も含め)、最初から問題だらけだった豊洲移転が小池都知事の登場までは都庁・都議会内でなんの大きな異議申し立てもなく進んでしまった最大の理由だったが、同じ問題が再び立ちふさがるわけでもある。

これだけの無駄を産んでしまった側の責任をどこまで追及できるのか、その責任がクリアにならなければ、「これは無駄でした」と切り捨てる正当性が担保できず、石原慎太郎とその後の2人の知事と、都議会の決めたことに従って粛々と計画を進めて来た都職員の立場もない(これが安倍政権だったら、そのテクノクラートを平然とトカゲの尻尾切りの犠牲にするのかも知れないが)。



築地が維持して来た、伝統芸的な長年の経験で培われた目で、魚の鮮度や味の良し悪しを見た目だけで見分けられる力が、ある意味すでに時代遅れになっているはずのこうした商売のやり方を支え、今やそこに極めてスペシャルな付加価値さえ産まれている。

また、これは業者にとっては迷惑ではあるものの、早朝のマグロの競りはちょっとした観光名所として外国人観光客にも人気だ。

こうした現状の築地の価値を、豊洲移転後も限定的にせよ維持できる機能として、築地市場にはすでに築地魚河岸が開設されている。

小池案の5年後に戻れるオプションを残すというのは現実的ではない、という批判は単純計算ではその通りかもしれない。だが豊洲が思った以上に(思った通りに?)うまく廻らなかったときに、本当に築地に市場機能の一部を戻すことは、現実に必要になるかも知れないのだ。

たとえば卸は豊洲で、そこで仕入れた仲卸が築地で小売りや料理店に、というのは一見非現実的に見えるかもしれないが、築地魚河岸は元々、多くの仲卸の顧客にとって豊洲が遠過ぎることを考慮して、そういう使い方を想定して作られたものだ。 
実際に廻してみればそういう流通・移送ルートは案外と速やかに確立できるものだし、また仲卸がいったん豊洲に移ったあとも、顧客のニーズを考えれば築地魚河岸を通しての商売も継続することになるだろう。 
そして豊洲ではどうにも商売にならない、となったら、再整備された築地で本格的に、というのであれば、小池の提案は非現実的どころか、極めて現実的な解決策になるかも知れない。

そのオプションを残しておいた方が、築地を売却してしまったところで豊洲はどうにもうまく行かない、さてどうしようかと、ほんの数年後にまた都政の頭痛の種になり得ることを考えれば、スッキリはしないかも知れないが、現実的ではある。

一方、巨大なお荷物である豊洲新市場について、小池都知事は羽田・成田の両国際空港との近さを立地上のメリットとしてあげていた。国内でも飛行機で全国から集まる食材や、国際的な輸出入を視野にいれるなら、確かにこの巨大なお荷物も新しい使い道は十分にあり得るのかも知れない。

むろん、それは今の世界的な和食ブームが今後も維持され、かつ日本の農産物・海産物の食の安全がきっちり維持されるなら、の話だ。失敗したクールジャパンなんてとっとと店じまいして、こうした日本本来の強み、世界的に日本人気を支えているものを守り振興することに、これからは国政も力を注いだ方がいい。


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