最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

3/15/2016

5年経った「復興」の正体



3月11日はいわき市のJR泉駅近くにある、富岡町の仮設住宅で慰霊祭に顔を出して来た。2012年に最初の慰霊祭を撮影させてもらった時には、5周忌にまだここに来るとは思ってもいなかった。仮設住宅は本来2年の使用を前提に設計されているから「仮設」であり、法制度上もそうなっていたはずだ。



この仮設から出て行っていわき市内に家を構えた人も多く、住む人はどんどん減って、高齢化も著しいのは否定のしようがない。

慰霊祭の手配や司会を取り仕切っていた自治会の世話役である、ほぼ同世代の友人も、すでに小名浜に家を持ち、いわき市内で新たな職を得て熱心に働いている。

富岡町では来年4月に、引き続き帰還困難になる以外の地域の避難は解除されるが、「普通だったらいわきに車で通勤することも出来なくはない」とはいうものの、帰還困難の線引きはその元の家からわずか200m先だし、その区域に入る大きな道路や町の設備は使えないままだ。町内でいちばん日常で使う大きなスーパーも帰還困難区域の手前の国道6号沿いで再開の目処が立たないまま、確か自衛隊だったか東電関連企業に貸されたか買い上げられている。



そして町のかなりの部分(桜の名所の夜の森も含む)が、今後もいつまで人が住めないままなのか分からない場所になり、北隣の大熊町、その北の双葉町は大部分が除染廃棄物の「中間貯蔵施設」になってあと30年は人は住まない。

これで本当に「復興」できるのか?いや単純に、帰って生活できるのだろうか?



富岡町の南隣の楢葉町では昨年に避難が解除されたが、帰った人は400人強で人口の6%だそうだ。

楢葉の場合は、主な日常の買い物に行く先が富岡町だったし、地震で痛んだ上下水道や道路などのインフラ、さらには医療などの生活の基盤はまだまだ整っていないし、しかも4年、5年と放置せざるを得ずに痛んでしまった家をどうするのか?

楢葉町の仮設住宅 いわき市内郷白水
兼業農家が多かった双葉郡で、これからなにをして暮して行けばいいのだろうか? 避難先の、たとえばいわき市や郡山での生活がやっと落ち着いて来ていることは、どうすればいいのだろう?

決して故郷に愛想がつきたわけでもなく、見捨てたわけでもないのに、実際問題として帰るのは難しい。町にあった商店で再開したところもあるが、原発や除染の作業員相手が中心の商売で、そこで暮らす基盤となるようなやり方をとろうにも経営が成り立つ目処がないという。

部外者は、放射能があるから帰らないのだと思いがちだが、楢葉町はもちろん、富岡町でさえ場所によっては線量は元から低いし、宅地や農地の除染も(膨大な公共予算を使って)かなり徹底して行われた。


元々、東電の二つの原発と広野町にある火力発電所で2万の直接雇用があったのが、人口8万の双葉郡だ。放射線や放射能に関する知識は元から東京などとは比べ物にならないほど詳しい人が多いのも忘れてはならない。「直接の被曝影響が出る可能性は低い」という一般的に示された見解の意味も正確に理解されているのに、それでも帰らない・帰れないのが、4年も5年も故郷を放置させられて来た人たちの現実だ。

また放射能や放射線について東京などとは比べものにならないほど詳しいということは、除染の限界についてもちゃんと理解されているということでもある。

一応科学データの根拠があるとはいえ、帰還困難のままになる場所との線引きはあくまで行政の恣意性で引かれるもので科学ではなく、この線を超えたらいきなり危険になったり安全になったりするわけがないし、宅地や農地、平野の部分は除染が行われたが、山と森林はその限りではなく、放射性物質が降り注いだままの常緑樹や、落葉樹でも放射性物質は地面に留まったままで、自然に崩壊して減るのを待つしかない。

それに福一それ自体は「冷温停止」と政府が宣言していようが、放射能漏れが完全に止まったわけではないし、溶融した核燃料の所在が確認されて安全が完全に確保されたわけでもないことも、これまで原発で働いて来た人も多いからこそ、よく分かっている人もまた多い。

ここへ来て、また不安な報道が最近出て来ているし、むしろこれまでよりも遥かに深刻だ。

「福島で鼻血が」といった荒唐無稽なデマはただ迷惑でありウンザリするだけだったが、4年、5年と経って福島県内で徹底して行われている子供の甲状腺検査の結果、これまで甲状腺がんについて言われて来た人口当りの発症率のだいたい30倍の患者数が出て来たと言われているのだ。

新聞は律儀に「両論併記」で、関係性は論証出来ないという学者と原発事故由来だと主張する学者の見解の双方を付き合わせているが、となると前者は公的な立場にある側の見解でもあるので、どうにも後者がより信じられそうに見えてしまう。なんと言っても子供の健康と生命に関わることだし、若い世帯を中心に慎重になるのはやむを得ない。

これは関係がない(ないし、「なさそう」)と言っている側の言い方も悪い、説明も足りないのかも知れないし、それ以上に、なぜ「ない」と考えられるのかの理屈に興味を持たない(ないし理解できない)ので説明を報道しないジャーナリズムの問題が大きい。

もちろん、甲状腺がんの原因物質となる放射性ヨウ素が多く環境中に存在していた(半減期は8日と、とても短い)震災と事故発生直後の個々人の被曝量を正確に把握することはとても難しい(どこに何時間いてなにを食べたかを正確に思い出せるかどうかも怪しい)が、ごくごく一部(たとえば福一の敷地内)を除けばそんなに大量に放射性ヨウ素がある環境下にいたり、放射性ヨウ素を多量に含むものを食べた可能性は極めて低いし、仮にそんな過酷な状況が例外的に福島県内にあったなら、はっきり言えばもっと大量に甲状腺がんが見つからなければ理屈に合わない。

言い換えれば、甲状腺がんが見つかった子供が集団でまとまっているのならともかく、だいたい同じ環境で行動していた(たとえば、同じ避難所にいた)子供のうちで患者が一人だけと言うのなら、放射線の影響は考えにくい。ほぼ同じ被曝量ならば、甲状腺がんが発生する確率も、そう個人差で左右されるわけではないはずだ。

個人情報に関わることでもあり、福島県の具体的にどこで子供の甲状腺がんが発見されたのかの詳しい分布を出すわけにもいかないのかも知れないが、原発事故の放射能漏れによる汚染が強い地域と甲状腺がんの発生数の相関関係でも示されれば、恐らくほとんどの人は「なるほど、確かにあまり関連があるとは思えない」と考えるのではないか。恐らく、だからこそ医学者・研究者の圧倒多数が「関連性は考えにくい」という見解になるのだろうが、その根拠をなるべく分かり易く一般に知らしめることについては、十分な努力が成されているとは言い難いし、専門家だけでなくメディアの責任も大きい。

「関連性がない」という研究者の言葉に納得出来ないのなら、とことん質問してまず自分が理解できるまで説明してもらうのが、ジャーナリズムの仕事ではないのか?

だが風評被害や不安が収まらないことについて、もっと大きいのは政府や行政の稚拙な世論対応の責任だ。どうも福一事故の放射能の拡散やその影響は(おそろしく幸運なことに、つまり遥かにひどいことになっていてもおかしくなかった)そこまでは深刻ではないようだ、というデータを見る限り科学的にほぼ精確な見解でも、原発の再稼働に躍起な政府がお墨付きでも与えたつもりになればなるほど、かえって信用出来ないのも当たり前だ。

山下俊一博士が事故当初にさんざん謂れのない中傷でバッシングされたのがいい例だが、ただ研究者・医師として誠実に言ったことでも、政府や行政がそれを支持してしまうだけで、かえって痛くもない腹を探られ邪推されてしまうのも、3.11以降の歴代首相が誰一人として在任中に原発政策の抜本的な見直しなどを口にして来ていない以上、当たり前なのだ。

菅直人氏に至っては、首相を辞めたとたんに反原発の主張を公言するようになったのだから、これではますます行政が信用できなくなって当然だろう。

今はまず福一事故の収束と検証を最優先し、原発政策の今後はその結果を見て決めるという、本来当たり前の態度を示しすらしなかったのが菅、野田の民主党の両総理で、しかも菅氏のあんな掌を返したような退陣後の豹変っぷりがあるのなら、政府のなかではよほど原発について語ることがタブーで、官僚が必死で脱原発の動きや福島第一の事故に関する “真相” を隠蔽しているのだ、と国民が疑ったとしても、むしろ当たり前だった。

なんとも足下のふらついた民主党政権が倒れ、安倍政権は特定秘密保護法や安保法制と並行して原発の再稼働も世論の反発を無視して強行しようとしている。これでは政府発表の中身でも時には事実に基づいて正確であっても、信用しろというのは無理がある。

菅政権の時には元TBSアナウンサーの下村健一氏がメディア担当の補佐官になったり、劇作家の平田オリザ氏が鳩山首相のスピーチ執筆に協力したり、菅政権でも官邸からの依頼に応じたりしていたらしいが、その割にはメディア対応の基本すらなってなかったと言わざるを得ない。安倍政権に至っては世界に冠たる大広告代理店の電通が広報を全面的にがっちりサポートし、膨大な国費で儲けてもいるというのに、世論がどう形成されるのか、人の心理の基本すら考えていないのでは税金の無駄遣いもいいところだ。

風評被害はもちろん、「福島で鼻血が」とか言いふらした人たちに直接の責任はあるとはいえ、総体で言えばそうしたデマが収まらない理由には政府のやり方があまりに稚拙だったことが無視出来ないのが、安倍政権に至っては再稼働こそが最優先、そのためには都合の悪い情報を隠蔽することこそ自分達の使命だとでも思い込んでいる態度に見える。これではしっかりと科学的な反論ですら「政府の意向だ」と邪推されるだけで、風評を打破どころか、なんとか押さえ込むことさえ、無理な相談ではないか。

これだけの過酷事故が日本の原発で起こったのだ。今後の原発政策のありようや、原発を再稼働させるかどうかは、まずこの事故を終息させる目処が立ち、なにが起こっていてなにが問題だったのかのきちんとした検証を経て、いちから考え直すべき問題でなければおかしい。

もしポーズだけでもそうした態度を菅直人政権の時点で鮮明にしていれば、実際には「隠蔽」もなにも圧倒的な情報不足(福一では停電でほとんどの計器が止まっていた)で隠せる情報すらなかった段階でも、国民の信頼を得ることは出来たはずだ。

だが菅・野田の民主党政権、そして自民党の安倍政権を通じ、一貫して政府はその誠実な努力のカケラすら見せていない。これでなし崩しのまま再稼働だなんて、まともな民主主義社会であれば正気の沙汰ではない。

むろん、原発事故とはどういう非常事態なのかを報道して来たはずが、放射能はなにが危険なのかもあやふやなままのメディアの責任も大きいし、これはそれぞれの社や個人が原発に批判的なのか推進派なのか以前の、報道の基本中の基本の矜持の問題のはずだ。

はっきり言ってしまえば、政府も地方行政も報道も、自分の「立場」だか「意見」だか以前に、まずみなさんちゃんと自分の仕事の基本をやって下さい、ということだ。それなしには福島県が風評から救われることもないし、どんなに金を注ぎ込んだって「復興」もあり得ない。

その肝心の、福島に限らず震災と津波被害からの復興の方も、いつのまにかこの5年で国費26兆円が注ぎ込まれ、それがこれからの5年は5兆円しかないそうだ。これも「いつ決ったの? もっと早く言ってくれよ、それ」と思わざるを得ない上に、「前向きに」とか「故郷を忘れない」とかの上辺の精神論にばかりにメディアも世論も乗せられて来たあいだに、その26兆円の使われ方のほうもいつのまにか、ずいぶん凄いことになっていたのが、5周年になってやっと国民にも知らされ始めている。

いわき市 久之浜 2011年12月
いわき市の場合、もっとも被害がひどかったのは久之浜、薄磯、豊間、永崎といった海岸の地域で、久之浜は津波被災後の大火災で町の海側が丸ごと消えてしまったし、薄磯も山のふもとのごく一部の高台を除いて町がほぼ流されてしまい、震災一年後に撮影に行ったときも凄まじい廃墟の風景だった。

久之浜 津波に流された家の基礎と、稲荷神社 2012年4月
その久之浜は、今はこんな状態である。



三周年の時点で家の基礎などの廃墟はすべて取り払われ、少し高台にあって津波にも火災にも耐えた稲荷神社が残っていたのが、いまや稲荷神社は周囲の地面と同じ高さになり、海側の巨大な丘から見下ろされるかっこうになる。この丘の向こうには、津波で壊れていた以前の堤防よりもはるかに大きな堤防が建てられている。

久之浜 2014年

大地震の影響で海岸地帯全体で地盤が下がっていて、かさ上げが必要だとは言われて来た。

久之浜 2016年3月11日
二度と津波で死者を出さないため、というかけ声でこれだけの大規模土木工事が行われ、なるほどこの土地は安全になったかも知れない。だがそれでも、ここは「津波が危険」ということで、居住は禁じられ、公園になるそうだ。



福島県に限ったことではない。

たとえば、宮城県女川町は新しい駅舎が完成したり商店街がオープンしたりで4周年からは「復興のシンボル」的に報道されることも多かった。もともと中心市街地が津波に浚われたのだが、そこに高台の土地を造成しても、住むことは「津波が危険だから」できない。店舗兼住居が当たり前だった地方で、商店主は都会のように通勤することになる。住宅はもっと奥地でないと建てられないと政府の方針に応じて決められている(そうでなければかさ上げ・造成計画に国の予算が出ない)のだ。

津波危険地域は住んではいけないので、津波に耐えて修理すれば住める家でも立ち退かざるを得なくなり、代替地は今後分譲されるものの、5年も待って疲弊した被災者のうちどれだけの人が、自己資金でそこに家を建てる気力を持っているのだろうか?

女川でも(原発があるおかげで町の財源は豊富なのに)人口流出は止まらないという。災害復興状宅は集合住宅の形式なのに一戸あたり建物だけで3千数百万というが、空き部屋も多いそうだ。

再び、いわき市の津波被災地に話を戻そう。



これはかつて、日本の海水浴場百選に入っていたという薄磯の、5年後の姿だ。

震災後しばらくは校庭が瓦礫置き場にされていた豊間中学校は、今やどこにあったのかも分からなくなってしまった。道路自体が作り替えられているのだ。

いわき市薄磯 豊間中学校 2012年3月11日

動画の後半は、塩谷崎灯台を挟んで南側に隣接する豊間だ。



僕たちが2011年4月に撮影した『無人地帯』で、津波の直撃を受けても耐えた築140年の家と、そこに住んでいた四家さんご夫妻に出演して頂いた場所だ。

この先祖伝来の家を修理して住むつもりだったのが、市の方針に左右され続けて修理も始められないまま、結局は取り壊しが決ったことは、2014年の2月に連絡を頂いていた。

2012年3月の四家邸 いわき市豊間
ここの道路は以前のままなので、「ここだったはずだ」ということだけが、辛うじて分かった。



一方、JRいわき駅の周囲の平地区の田町は、元から少しガラが悪い(失礼!)飲屋街だったが、それがずいぶん繁盛している。歩いていると、あちこちから「マッサージどうですか」とカタコトの、中国やフィリピンの訛りの日本語で声をかけられる



堤防造りにかさ上げの大規模土木工事と、さらに原発事故の収束作業や除染の拠点になるのもいわき市で、しかも原発事故での避難者で人口も増加し、交通渋滞などが増える一方、経済はとても潤っている。

田町から外れた、駅前の大通りの反対側にも、こんなアジアン・パブが出来ていた。



一方で、以前にはよく行っていた、富岡町から避難していたタイ料理店「サラータイ」が見当たらない。その店舗には「お化け屋敷」という、なにやら怪しげな店が入っていた。

中国やフィリピンの出稼ぎ女性たちの生き抜く、稼ぐ意志の強さは逞しいと感じ入りつつ、ふと思う。

富岡町にあった「サラータイ」も含め、かつて福島浜通りには東南アジアからやってきて日本人と結婚して暮らす女性が多かった。震災直後には、北の南相馬のほうでは、奥さんと子どもたちをフィリピンに帰した酪農家の男性が命を絶ち、この原発事故の最初の自殺者の一人となった。

今はストリップや風俗業や「マッサージ」つまりは売春でお金を稼ぐために、東南アジアや中国から女性たちがこの事故を起こした原発から南に40Kmの町で、生きている。

そこはかつて、決して豊かではないが、日本本来の農村的なコミュニティのおおらかさが辛うじて残されていた地方だった。



しかし一方で、いわき市のかつての主要産業が石炭で、今は双葉郡にふたつの原発があり、浜通り全体では火力発電所が4つある、国のエネルギー政策と、浜通りはとくに首都圏の電気を支える地方にもなっていた。

福島県が東京の電力の供給基地になったのは、昭和3年の地震と津波の「復興」政策がきっかけだったという。

福島に限らず、それまで東北地方では地元ベースの小規模な発電所が多かったのが、当時の軍需産業に必要な電力を京浜工業地帯に供給するために大規模に組織化され、「復興」は昭和6年の満州事変で始まった15年戦争と軍国主義の国策に組み込まれて行き、養蚕という明治期の大きな産業が次第に凋落していた東北地方は、さらに都市の工場で働く出稼ぎ労働者と、陸軍の歩兵の多くの出身地にもなり、戦後も一貫して差別的な扱いを受け「後進地帯」扱いに甘んじて来た。

21世紀の未曾有の大震災と津波被害、さらには原発事故まで起こった三重災害の「復興」は、今どこに向かっているのだろう?いや、最初から本当はどこに向かっていたのか、そう問うた方が正確だ。

はっきり言えば、この震災の「復興」は、実は最初から被災地ではなく日本経済の「復興」を考えてプログラムされていたことが、今や誰の目にも明らかだろう。

「絆」や「前向き」「故郷」というかけ声の陰で、実際に粛々と進められていたのは、大規模土木工事への財政出動だった。その総額26兆円、「アベノミクスの成果」をしきりに吹聴して来た安倍政権だが、なんのことはない、ここまで大量の“真水”を注入していれば、実態経済がいずれ上向かない方がおかしかっただけの話である。

第二次安倍政権の初期には実際に景気が少しはよくなったように見えたのは、安倍政権の功績でもなんでもなく、菅・野田の両政権が「復興」「絆」のかけ声で国民を騙してくれたお陰に他ならなかった。

いやだったら、最初からそのつもりだと正直に言ってくれていたら、まだよかったのではないか? 26兆円の使い方にしても、もっと日本の景気を建て直すのにも有効で、かつそこで造られたモノが被災地の復興に役立つように計画できたはずだ。

原発事故の発生当時には「政府の隠蔽」がさんざん疑われたが、実際に隠されていたというか誤摩化されていたのは、政府が隠蔽するほどの情報も持っておらず状況をほとんど把握できていなかったことだ。だがその一方で、「復興」と称する政策の不正直さは、みごとに国民から隠されて来た。

残されたのは大堤防と盛り土で津波から「安全」になったはずなのに住んではいけない海沿いの土地であり、これまた莫大な公金をかけて住む人がいないかも知れない高台移転の造成地であり、妙に建築費が高価だった割には変に都市的で被災者たちの生活文化とはちぐはぐな復興住宅と、そのぶ厚い鉄筋コンクリートの壁と鉄のドアのなかで孤立を深める高齢化した被災者たちであり、一方には26兆もの公金投入にも関わらず一向に上向かない日本全体の実態経済があり、もはやマイナス金利にまで踏み切った日銀大盤振る舞いの金融緩和…は黒田総裁が就任当時から「金融緩和は止めるタイミングが難しい」と言っていたのが、本当に止められないまま、まるで金融緩和というカンフル剤の薬物依存症になったかのような日本のマーケットの現状がある。

『無人地帯』(本編配信 Netflixもあり

東北地方の人たちは寡黙で、本音を言わない、という偏見が以前から根強かった。かくいう僕自身が家系的には父方は上方・兵庫県母方はさらに西の広島と山口の太平洋岸という素性で、そういう東北への思い込みに囚われがちな方だった。それがこの原発事故を機に『無人地帯』(2012)という映画を作り、その続編も撮影は終え、浜通りの人たちと接する機会を持って、まったくそんなことはないと分かった。

この土地の、津波や原発事故の被災者の人々はむしろ饒舌だし、その言葉は雄弁だし説得力もあるのは、それが正直でやさしい言葉だったからだ。

その正直さとやさしさこそが、この「復興」と称する過程の全体構図には欠如していたことに、5年経った今気付く。震災は、人命や奪われた土地や漁業・農業の生活以上に大切かも知れなかったものを、この日本という国から奪ってしまったのかも知れない。

いやそれは、天変地異が奪ったのではない。これは僕たち日本人の精神の人災だ。

いわき市 豊間 四家夫妻の家の跡 2016年3月12日