最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/22/2014

映画『無人地帯』劇場公開のお知らせ


2月1日より、当方の現時点での最新作である記録映画『無人地帯』がいよいよ、日本でも劇場公開となります。

完成上映は2012年のベルリン映画祭ですからもうそろそろ2年、撮影は2011年の4月5月でしたから、三年近く経ってやっと日本で、というのもずいぶん遅い話ですが、まずは東京公開、渋谷のユーロスペース(www.eurospace.co.jp)での上映となります。





上映時間、劇場の地図などはこちらの公式サイトをご覧下さい http://www.mujin-mirai.com/Theater.html

 
予告編:http://youtu.be/mXNtBrc6jlY





今後、各地方での劇場公開も続けて行きます。今後の展開についてや、自主上映などのお申し込みなど、配給のシグロ(www.cine.co.jp)にお問い合わせ頂ければ幸いです。






公開前のプレ・イベントとして、今週金曜日、24日には東京大学の「共存のための国際哲学研究センター」で上映と討論があります。

英語字幕版の上映、討論も英語となりますが、お差し支えなければぜひお越し下さい。




1月24日(金)18時~ 東京大学駒場キャンパス 18号館4階 コラボレーション・ルーム3
 
地図 http://www.u-tokyo.ac.jp/en/about/documents/Komaba_CampusMap_E.pdf 
詳細はこちら(英文) http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2014/01/film_screening_no_mans_zone/index_en.php





この映画は2011年の4月のいわゆる「警戒区域」発令直前の福島第一原発から20km圏内と、同時期の(報道にほとんど無視された)いわき市の沿岸部・津波被災地、そして「計画避難」直前の飯舘村で撮影したものです。

といって、いわゆる「震災・原発事故」ものの映画には必ずしもなってはいないかも知れません。


我々がそのような「違うもの」を意図したわけでは決してありませんが、ただこの三重の大災害を前に映画として出来うる限りちゃんとしたものを作ろうとするしかなく、映画である以上は「作品」であり、ただ事態をセンセーショナルに伝えればいい、誰かを糺弾すればそれで映画になるわけではないことは、言うまでもなかった、と思います。




また実際に事故が起ってしまえば今さら「原発反対」は、言うまでもないことであるでしょう。






2011年3月11日の大震災と大津波は「想定外」と言われています。福島第一原子力発電所が事故に陥ったのも「想定外」の事態とされています。

そして実際に確かに、我々の社会が「想定」していなかった、「想定」出来なかった事故であり天災であったのはその通りなのでしょうし、そうでなくとも原子力発電所の事故というのは、理論的な大筋までは把握できても実際問題として「分からない」ことだらけであり、そもそも事故を起こした原子炉がどうなっているのかもデータから推計されるだけで「見える」ものでもないし、もっとも危惧される直接被害である放射能汚染にしても「見えない」ものです。




この「人類の限界を超えている」「分からない」「見えない」事態にどう向き合えばいいのかがこの作品の根本の動機であり、なんらかの集団・組織ないし個人を責めたところで、ある意味で私たちの社会や文明の発展のあり方から必然的に起ってしまったこの事態の「解決策」が見えるわけもないでしょう。




一方で我々の仕事は「映画」を作ることであり、映画がもっとも適していることをふたつ挙げるなら、それは人間をその存在の複雑さも含めて見せること、そして映画が視覚メディアだからこそ「見えないもの」を「見せる」ことです。


ですから、あえて語弊を恐れずに言えば、その意味では震災と原発事故ほど「映画的」な主題はなかったのかも知れません。




僕たちが本当はなにを「見て」いたのかが、問われる現実でもあるからです。




津波で破壊された風景をセンセーショナルな映像に撮ることはある意味簡単でしょうが、そこで何が失われてしまったのかを「見せられない」ことからそれでも「見せる」のでなしに、「これは映画だ」ということは出来ないでしょう。


その「映画的であること」をこの作品で突き詰められたかどうかは、ご覧頂いて判断して頂く以外にないことですが、「無人」の場所、これから「無人」とされるかも知れない場所を撮りに行ったはずが、結果として僕たちが撮っていたのは、とても人間性の豊かな、敬愛すべき「人間」であり、その人たちの持つ人間本来の智慧でした。




この2年間、世界各地で映画祭や大学、それに一般の劇場公開で見せて来た作品ですが、そこでいちばん評価されたのも「人間」、福島浜通りと飯舘村の人々の飾らない、冷静で、巨大な困難を前にたおやかに知的であり続ける姿です。






もう一点挙げるなら、「警戒区域」発令が噂されるなか、20km圏内の検問を通るとき、福島県警の巡査さんに「どういう映画を撮りに行くのか」と訊ねられ、「この中の春はとても美しいのに、もう地元の人でも見られなくなってしまうかも知れない。だから映画に撮っておきたい」と咄嗟に答えました。巡査さんは地震で道路が壊れているところもあるし、事故に遭っても救援に行けないので運転だけは慎重に、とだけ注意して「頑張って下さい」と言って通してくれたのでした。実際、福島県の春はあまりに美しい。


この映画は、原発災害の記録である以上に、「日本の春」とその自然と生活、「命」の豊かさについての映画です。

ぜひご高覧賜われれば幸いです。

1/15/2014

『無人地帯』日本で(やっと)劇場公開




新しい予告編です。

最新作『無人地帯』をやっと日本で劇場公開します。まずは東京、渋谷のユーロスペースで2月1日から。

上映時間は今のところ

  • 2/1〜2/7まで 11時〜
  • 2/8〜2/14まで 12時35分〜

詳しくはユーロスペースのホームページで http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=535

配給:シグロ www.cine.co.jp

公式サイト:www.mujin-mirai.com

インターナショナル・プレミアが2012年のベルリン映画祭、つまり2年近くかかってやっと日本公開になってしまいました。お待たせして申し訳ありません。

しかも撮影自体は震災直後の2011年4月5月そろそろ3年になってしまっています。

とくに出演して頂いた皆さんを始め、福島浜通りの住民、被災者の皆さんには、本当の現状を伝える映画のはずがこんなに遅くなってしまい、なんとも心苦しい限りです。


ただもっと心苦しいのは、2年も3年も経てばひとつの「歴史」の記録となり、ひとつの「作品」として見られる映画になるだろうと思って作ったものが、今でも十分に現状報告の役割をある意味果たしてしまうことです。

それだけ、政府がなにも決めないからなにも変わらない現状が続いているということ。「警戒区域」は名目上はなくなったものの、「ひたすら待たされる」現実はそのままですし、世間が未だに「同じ国の隣人」に起こったこととしてでなく、偏見と差別まで混じった好奇の目でしか見ていない状況も、まるで変わらないか、そのまま忘れ去られようとすらしています。

すったもんだが続く「除染」の問題にしても、2011年の5月に飯館村・長泥の農家の鴫原さんが「こうなる」と映画のなかで語っていた通りのことになってしまっている。


つまり最初からなにが問題で、なにが今後課題になるのかは、実は考えてみれば分かり切った話でもあったし、少なくとも巻き込まれた地元は真剣に考えても来たし、それだけ冷静で、頭も良かった。その意味では、「日本人は凄い」ということになる。

一方で東京でいろいろ物事を決めたり、報道したりしている、「エリート」であるはずの側は、なにも考えなかったのだろうか?

…とは、どうしても考えてしまう…


なお2/1からの劇場公開を前に、プレイベントとして東京大学大学院教養学部で、英語字幕版(英語のナレーション部分は字幕なし)の上映と、討論の会があります。

主催は「共存のための国際哲学研究センター」(UTCP)

日時:1月24日(金)午後6時〜 9時 
会場:東京大学駒場キャンパス 18号館4階コラボレーション・ルーム3
(地図はこちら
登壇者:マーク・ロバーツ(英・東京大学招聘研究員)、エリーズ・ドムナッシュ(仏・東京大学招聘研究員)、藤原敏史(日・映画監督) 
入場無料・予約不要(通訳なし、英語でのイヴェントになります) 

詳しいご案内 http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2014/01/film_screening_no_mans_zone/index_en.php

まあ場所が東大なんで、「日本を動かすエリート養成機関」であるこの大学が、いかに実際にはこの国をおかしな方向に導いてしまっているかの話も、してしまいそう…。

札幌のシアター・キノをはじめ、順次地方でも公開して行きます。自主上映などのご相談も含め、配給のシグロまでお気軽にお問い合わせ下さい。

公式サイトの上映情報もご参照下さい http://www.mujin-mirai.com/Theater.html


震災から2年目の四季・丸一年の記録となる続編『…そして、春』も撮影は既に終わっています。

人間の状況はまるでなにも変わらなかった一年間、自然だけは季節は巡り、変わり続け、時間は確実に流れて行く。

そのどうしようもなく宙づりな現状のなかで、それでも直接に困難に直面した人たちが「人間」であり続けること、真の「強さ」を決して失わないことの記録です。


もう2年前のベルリン映画祭で上映した際、イタリア共産党の機関誌として有名だった新聞『UNITA』が、この年の映画祭の総括であえて『無人地帯』を記事の題名にまで選び、映画祭全体の概観とも比較しつつ、こう書いていました。

桜の花が咲き誇り、小川のせせらぎが春の訪れを伝える。だがこの美しい春を目にする者はもういない、とナレーションが伝える。「無人地帯」であるのは、この福島の光景のことではない。このような事態を引き起こした我々の現代の世界にこそ「人間」がいないのだ、とこの映画は静かに訴える。

映画『無人地帯』はその実、決して「無人」の映画ではありません。双葉郡も飯館村も、人は住めなくなってしまっても、決して「無人」の地ではない。「無人」の地にしてはならない。

1/09/2014

1995年の1月17日(と3月20日)から19年


東日本大震災からもう2年と10ヶ月、そろそろ3年になる。そして神戸の震災からだとまもなく19年、同じ年に東京では地下鉄サリン事件があった。

現代の神戸市・中央区中山手通り。
左手の区画は震災で家が壊れたまま空き地になっている。

終戦から50年目にあたる年に、この二つのいわば黙示録的にも思える、戦後日本社会にとって決定的だったはずの事件が起きた時には、その偶然の持ち得る意味を誰もが少しは考えたかも知れないが、1945年8月15日の意味が安倍晋三政権のニッポン今や忘れられかけようとしているのと同様、この1995年のふたつの出来事の意味だって、そこを深く考えるよりも、地下鉄サリン事件ならばオウムを悪魔視するだけで、日本人の総体はそれを忘れてしまうことを選んだのかも知れない。

東日本大震災後に、平田、菊池などのオウム事件の指名手配逃亡犯だった人たちが相次いで逮捕された。 
平田容疑者は自首だったし、菊池直子容疑者も夫の親族に密告されてもことさら抵抗も逃亡もしなかったのは、この人たちはまだなにか、今度の震災の意味を自分なりに考えていたのかも知れない。

最近、どういう場であったかは敢えて言うまいが(というか腹が立つし恥さらしなので言いたくもないが)、比較的近しい場で、とんでもない発言を聞いてしまった。

「東北の震災がなんだ、たいしたことはない。神戸は大変だった」

…と言うのである。それも既に東京で暮らしていたので直接被災者ではないとはいえ(津波被災地が政府がなにも決めないので放置されているままの)石巻の出身の人がいる前で、だ。

神戸だって大変だったのはその通りだよ。それでも死者数でも、地震それ自体の規模で比較したって…なんてことすら言うまい。比較すること自体がおかしい、間違っているのだから。

だいたい「震災が大変だ」ではなく「政府がなにも決めないから放置されているのは大変」って話ですよ…? 
どういう卓袱台返しになってない卓袱台返しなんだよ。歴史修正主義すら論理的に成立していない安倍晋三内閣(「安重根は日本が死刑にしたから犯罪者なんだ!」自己撞着引きこもり政権)顔負けじゃんか。
東電本店とか経産省とか電力関連の関係者が、原発被災者のいる場で「自分たちは大変だったんだ、頑張ったんだ」そして「俺たちが日本を救ったんだ、なのにサヨクなメディアが」とぶつぶつ言うらしい、とこれも本ブログ前項の通りだが、また似たような話でもあろう。

この2年と数ヶ月のあいだ「被災地以外」の日本を覆っているうわべだけの「絆」「頑張ろう日本」といった連呼の裏で、被災地はお涙頂戴のエンタテインメントの題材にされ、その裏返しとして巻き起こっているのは凄まじく殺伐とした嫉妬なのではないか、とあらためて思い知らされる。

果たして1995年の震災の時の日本は、こんなにひどかったろうか? いやまだここまで劣化はしていなかったと思うが…。

「神戸の方がよかった」的な比較じゃないですよ、念のため。

2011年以降の日本では、「出来ることをやらなければならない」と言ったかけ声の同調圧力の裏で、同情され、支援されているように見える被災者への嫉妬が渦巻くかのように、「大変なのは被災者だけじゃない」という恨み言が、社会の表層やメディアでは見えないところで、延々と蠢いている(いやまあネットだとかで匿名でおおっぴらに言う者なら、すでにいっぱいいるわけだが)。

その一方で、では今回の被災者がそんなにいい目に遭っているとか、優遇でもされているのかと言えば、無論そんなわけもない。たとえば、本来なら仮設住宅は2年で終わるべき、次の段階に移るべきだし、現に神戸の震災ではそうだった。というか今の仮設住宅は神戸の震災がモデルケースで、だから法律で2年のはずだったのが、現状は仮設暮らしのまま多くの被災者が、家族やご近所の人の三回目の命日を迎えようとしている。

可燃性の瓦礫の焼却処理が、人口が少なくゴミ焼却場がそんなにはないところでは間に合わないから「広域処理」…となると全国で猛反対が起こった。一方で受け入れを支持する人たちも「放射能のリスクはみんなで分かち合い」…って?

いやだからそれ、放射能関係ないから。

あなた達、ヒーローぶらないでいいから。

福島県の瓦礫じゃないから。

宮城や岩手の沿岸部方向に放射性物質を多量に含んだ風はまず行ってないから(それでも低線量の部類とはいえ被爆が危惧されるのは、西北方向、飯舘村〜福島中通り方面だから)

「絆」なんて、実態はそんなもんである。テレビで見るのはいいが、リアルに、モノとして、迫って来られるのは拒否し忌み嫌ったのが、21世紀のこの国だった。

政府が補助金をつけてなんとか解決…と言ったところで、なぜ地元で処理施設を増設しないのか、その本当の理由は決して口にされなかった。実は補助金や輸送費も含めればそっちの方が安上がりだったかも知れないし、早かったかも知れない。だが瓦礫処理が終わった焼却設備は確実に余剰施設になるだろう(だから「雇用になる」なんて安易に言わないで欲しい)。 
地元は実はそれが怖かったのだ。なぜなら、首都圏のゴミを押し付けられるのが目に見えているから。首都圏のゴミ処理だけが、被災地の主要産業なんて話になりかねない。 
そしてこの中央集権の国の「中央」が、とりたてて意識するわけでもなくそういうことを押し付けるのを、たとえば東北地方は既にいやというほど体験して来ている。それはもう、明治時代から、戦時中も、日本の近代史のなかで一貫して。

いやほんと、「絆」なんてそんなものでしかなかった。なのに、なにを焼きもちを妬いているのだろう?

6年半後の東京オリンピックは、被災地の復興を応援するためなのだそうだ。おいおい、2020年は震災から数えれば9年後だ。聖火ランナーが被災地を駆け抜けるとかいう構想は、その9年後も瓦礫の山と更地しかない被災地でも想像しているようにしか聞こえない。スポーツで被災地の子どもを励ますって…震災当時小学生の子どもが、そろそろ成人する頃です、それ。

サリン事件や神戸の震災に、芸術表現の分野でほんとうに切り込んだのは、おそらく村上春樹だけだ(短編小説集「神の子どもたちはみな踊る」とインタビュー集「アンダーグラウンド」)。その春樹さんが東日本大震災についてはとくになにも書いていないのは、実は作品として上梓するにはまだ早すぎる、彼にとっては十分に考えるべき時間がまだまだ必要だからかも知れないとも思うし(僕だってドキュメンタリーでなければ、翌年2月には映画をベルリン映画祭で発表なんて出来ていない)、なかなか物語を紡ぎだすには難しい現状が続いているからなのかも知れない。

むしろ天変地異が人間スケールの「物語」を超えている以上に、この震災は社会全体の「大いなる物語」を産む能力を超えてしまっていたか、その能力を日本全体がバブル後の20年のあいだに既に失っていたことを、曝け出してしまった。

なにしろあろうことか、被災地のほとんどで、まだ将来のことがなにも決まっていない。つまり「なにも変わりそうにない」。

「戻れるかどうか分からない」のは、実は原発被災地だけではない。津波被災地の多くでも「なにも変わらない現実」は、なにか変わる契機さえ見えないのなら、物語を作るのにはなかなか難しいだろう。

未だに津波を食らった町や村に、巨大防波堤を作るかどうか、自民党の環境部会でも揉めている。それがマスコミで話題になったのだって、単に首相夫人の安倍昭恵さんが出席して「それはおかしいと思う」と発言したから、つまり首相がらみのちょっと微笑ましいゴシップねたとして、だった。

自分で言えば話題になる、と計算していた昭恵さんは、案外とたいしたものである。彼女がそうでもしなければ、みんな忘れていただろう。
参考まで:安倍昭恵さんインタビュー(朝日新聞) 
http://news.asahi.com/c/aduXawa3oDpg88ai

そして肝腎の被災地では、たいていの人が「ばかばかしい。今度津波があったら逃げるからそれでいいべ」というくらいに思っている(ということを、東京のマスコミは報じたがらない)。とはいえ地盤沈下もあるので、それなりの大規模土木工事は必要かも知れない。「ではどうするのか」が決まらないまま、戻ることも出来ないし諦めることも出来ない(これも東京のマスコミは報じない)。

いや政府の側では、なにも決めなければいずれ諦めるか、高齢化も進んでいるのだし、はっきり言えばどんどん亡くなって行くだろう、とタカをくくっているのだし、東京の大手マスコミだって結局は一蓮托生なのだろう。

「絆」「絆」の連呼の裏の実態がこれだ。

口先だけ「頑張ろう」「被災地を思って」が連呼されたくらいで、そんなに嫉妬しないで下さい。

報道が集中して同情モードに染まったくらいで、自分たちが無視されたなんて思わないで下さい。

その報道だってあなた達の安易なセンチメンタリズムにおもねるためにも、えらく歪んでいたのだし。

ただでさえ実態は大変なのに、過去の生活を失ったまま未来がなにも決まらない宙づり状態なのに、メディアの見せる被災者イメージ相手にそんな歪んだ思いまで押し付けてどうする?

篠崎誠監督『あれから』予告編

神戸の震災とは異なり、東日本大震災をテーマにした劇映画はかなり作られたが、篠崎誠監督の『あれから』という傑出した例外と、実は密かに震災と原発事故を受けた映画である黒沢清監督の『リアル〜完全なる首長竜の日』を除いて(ちなみに日本で最初にクビナガリュウが発見されたのは、当時福島県双葉郡なので「フタバスズキリュウ」という名前がついた)、「物語を作りようがない天変地異」に直面していることにすら気づかなかった結果…まあ、なんというか…なかなか大変なことになっていますね…。

ディザスター・ムービー作りたいなら、作ればいいじゃんかよ。そうすると「不謹慎」とか言われるのが怖いだけなんだろうけど。


神戸の町並みは、震災で確かにえらく変わってしまった。

いや実は震災がなくたって、それなりの大都市だし、10数年経てばかなり変わっていただろうが、その前の神戸を知っている人からすれば悔しいのは分からないではない。山の手の方の古い、かつては上品だった住宅地の中には、建て直しが出来ないまま、更地や駐車場になっている場所もある。


神戸港に至っては、復興計画の失敗で(国際物流の変化に対応するのではなく、「元に戻す」計画だった)港湾としての地位が下落してしまった。なのに東北太平洋岸の漁港でも、その経験から学習することなく、漁業従事者の高齢化などを考慮した整理もうまくいかず、どう「元に戻す」かで莫大な費用の問題も含めて揉めていて、結果として動かない。それを見て神戸の震災やその後の経緯を知っている人が苛立つのは分かる。

いやそういう漁港でも、「俺たち平均年齢65だべ?5年かけて建て直すってなんだ?」と皆さんおっしゃってましたよ。ただ足下を見られて見捨てられるのが分かっているから、自分たちからは「もういい」とはなかなか言えないだけです。 
日本の政府は今までだって、そこまで冷酷でもあったのです。

だがだからって、嫉妬心丸出しに東北の被災地と神戸を比較するか、普通?

そんな空虚な幻想でしかない比較をして、なんの意味があるのかも分からない。

なにが嬉しいのかも分からない。

いや神戸出身の人がそんなこと言うのなら、こちらも敢えて言わしてもらおう。

神戸の震災で最大の被災地となったのは長田地区だが、ここの復興計画がメチャクチャであることに関して、このけったいな比較を言った人物を含めたその他の神戸市民や神戸市出身者は、知らんぷりはしているが、まったく無関係で無責任というわけには行くまい。

長田地区は震災当時、「世界最大の靴のゴム底の産地」と紹介された。

関西圏の出身か、親戚などを通じて関わりがある人ならすぐ意味が分かる “暗号” である。つまり長田は、いわゆる被差別部落地域だった。

 まもなく完成予定『ほんの少しだけでも愛を』より

真偽のほどは不明だが、だから消防車が行かないので火災が広がったという噂もまことしやかに流れていたし、たぶんこのけったいな比較を言った人物を含めたその他の神戸市民や神戸市出身者は、実はみんながそう思ったことだろう。正直に、神戸市関係者以外を相手に、それを口にする人は(「あんなとこヨツとチョンしかおらんさかい」)もの凄く稀だったろうが。

神戸の震災について映画だとかが、ドキュメンタリーも含めて、ほとんど作られなかったのはこのせいだ。一応、長田地区を追ったドキュメンタリー “らしき” ものは作られたが、肝腎の問題には触れていない(いやまあ、見事にカットしたもんだ、器用に隠したもんだとは思う)。

それは元々、差別に耐えて来た土地である。東京や横浜から行ったなにも知らない学生ボランティアが途方に暮れたなどと言う話を正直に語ってしまえば、差別を助長することにもなりかねないから作るに作れなかったのだろうが、一方で「なぜそうなるのか」を深く考えようともしなかった作り手が多かったことも確かだろうし、結局は「部落解放同盟からのクレームが怖いから上映出来なくなる」で逃げた、とも言える。

いやこれもけっこうひどい話なんですよ、実態は。 
「部落解放同盟からのクレームが」ではなく、解放同盟などと話をする際のこちら側の態度が無自覚に差別的だから相手を怒らせてしまっただけ、という例だってこの業界では相当にあることは、指摘しておいた方がいい。

もう一度繰り返しておく。そもそも比較すること自体がおかしいし、嫉妬のために比較するような問題ではない。

一方で、東北の被災地の場合にあった「比較」は逆だ。「大変なのは自分たちだけではない」「あそこはもっと大変なんだ」「ここは大丈夫だから、もっと大変なところを」、救援に来た自衛隊や米兵、取材に来た者たちに「こんな遠くまでご苦労様です、まずはお茶でも」。

こんど公開する『無人地帯』に出演してくれた人や福島県内での反応でいちばん大きかったのは、それぞれに双葉郡の人は「いわきの津波被災地も大変だ」「飯舘村も気の毒だ」、いわきの人は「原発避難のなにが大変なのかよく分かった」、飯舘村なら…と、自分たち以外の人々への気遣いだった。

だがそれでも「東北の震災がなんだ、神戸は」と言うのなら、「おたくの中央区や東灘区がなんだ、長田は大変だったんだぞ」とあえて言ってやろうとくらい、つい思ってしまう(不毛な売り言葉に買い言葉だとは承知しつつも)。いやこの場合は、実は比較ですらない。長田が最大の被害を受け、復興もムチャクチャにされてしまったことに、たとえば中央区と言った神戸市の他の多くの地域も、直接とまでは言えないにせよ、責任がないとは言えないのだ。

神戸の震災自体は天災だ。それ自体についての反省は、せいぜいが「ここは地震がない」と思ってかなり無防備だったこと、で済むだろう。

だがそこで人間の社会の断絶が浮き彫りになったとき、戦後50年の節目にそれまで放置してきたことに気がつき、なにかを考え、なにかをやらなければならなかったはずだ。

だが神戸では誰もその意思を持たなかったのか?

長田の「復興」は地元を追い出すことに利用され、それは隠されたままだ。あれから19年経っても、恐らくは誰も口にしないだろう。

言うまでもなく、こんな比較や嫉妬自体があまりに不毛だ。

「神戸は大変だった」とか言いながら長田のことは知っているのに知らないフリをするなんてもっと不毛だ。

天皇夫妻は分かっているからそれは丁寧に慰問をしたが、それだけで終わって、美智子さんの手向けた花束が永久保存されるだけがその記憶ならば、それも不毛だ。

震災が「どっちが大変か」とか「あそこはうちより優遇されている」とかの比較と嫉妬の話題になってしまうこと自体、どうかしている。

まるで「どっちがより大変な被害者か」で競争しているみたいな話になっている一方で、三つのプレートがぶつかりあっている日本列島が地震国であることすら、忘れているんじゃないか?

櫛の歯が抜け落ちたように、家が建て直されないままの区画が残る中央区中山手通り。
ここはかつて閑静な住宅街と商店街だった。

神戸の震災も、東日本大震災の震源も、なぜか地震学の研究や地震対策の政策から外れていた。福島の場合も神戸でも、たかが1000年程度の、地球の地殻変動の歴史ではほんの短い期間に過ぎないあいだ大地震や大津波がなかっただけで、「ここは大丈夫」と思って来てしまっていた。宮崎駿監督の引退会見の言を借りるなら「人間中心主義は絶対に間違っている」、我々はこの地球の表面のことですら、そんなに理解しているわけでも、支配しているわけでもない。

そんな世界の認識、人間の限界を受け入れることを拒絶するかのように、ひたすら「自分は被害者だ」と言えばなにか正当化されるような勘違いがはびこっているように思えてならない。そしてそれがいつの間にか、日本社会の主流のディスコースになっているように見える。だから “より凄い、より大変な被害者”を目指して競い合っている。

でもそんな「大変さ較べ」だったら長田が圧勝でしょうよ。「東北の震災がなんだ、神戸は」なんて言ってるおっさんたちは、「ヨツに負けた」なんてのは絶対に許容出来ないんでしょうけどね。
いや瓦礫処理のために焼却場を建てて「雇用を」と言って都会のゴミを押し付けたり、福島浜通りなら原発の次に今度は核廃棄物処理場を押し付けるなら、その扱いは関西圏におけるいわゆる被差別部落とほぼ「同じこと」にすらなってしまう。

そしてこんな「うちだって(あるいは、うちの方が)大変なんだ」較べは、上辺だけの児戯にも似たゲームに過ぎず、長田のように本当にいちばん大変だったところは結局は無視される

そしてよく見れば、そうやってあたかも「どっちがより大変な被害者か」で競争したがっているかのように見える人たちは、実はたいした被害を受けていなかったりする。そりゃそうだ。被害当事者にはたいがい、そんな余裕はない。

これは差別問題とかいわゆる「差別反対」の運動とかにも共通する話だ。「反対」の運動や「支援者」は、たいがいいわゆる被差別者を語るときに、やたら女子供を持ち出して「弱者」イメージを強調する。なぜなのだろう?そしてその弱者を「支援」することで「同化」し、そのことで自己正当化を計れると思っている。その発想自体が差別的だとも気づかずに。

いやまず、その女性や子ども達が仮に怖い思いをしているとしたって、それは「あなた達」が怖い思いをしてるんじゃないから。あなた達はただの傍観者だから。

それにたぶん、その女性や子ども達だって、あなた達ほどには怖がってないから。

だいたい、ずっと差別に耐えて来た人たちは、あなた達みたいにただ「怖い」だけじゃ済まない、屈辱感も含めてもっと複雑な感情を持っているから。

あなた達と違って、それをちゃんと受け止めなきゃ、生きて来れてないから。

別に彼ら、「弱者」じゃないから。たぶんマジョリティに甘えているあなた達より、実は遥かに強いから。


村上春樹の『アンダーグラウンド』で、春樹さんのインタビューに応じた、サリン事件を体験した人たちは、みな強い、もの凄く強い。強い人だから取材に応じられたという面もあるのだろうが、本当の意味で「人として」強い。そしてみんなただの庶民、いわゆる平均的な日本人だが、高貴だ。

あの事件から日本社会の全体としてはなにも学ばず、ただオウムを悪魔視して終わるか、せいぜいがそのオウムをただ糾弾しただけの日本社会も実はファシストでオウムっぽくないか、という程度の問題意識止まりで終わってしまったとしても、それを体験した人々、生き抜いた人々は、確実になにかを学んでいるのかも知れない。

いや少なくとも、それが『アンダーグラウンド』を読む素直な感想だ。


あの連休の谷間の早春の朝、多くの人がなんの脈絡もなく、ほんの偶然で、あの恐怖に巻き込まれた。

それは個々人の人生において、アトランダムなことでしかない。

“たまたま” その日は休みを取らず出社した

“たまたま” いつもとは違う路線に乗った

“たまたま” 普段は乗らない車両に、連休の谷間で座れたからそこにいた

だが「理由」や「因果応報」が見当たらなくとも、それが起こってしまったのなら、「そこからどう自分は生きるのか」が問われる。そしてこんなに壮絶な、ひどい体験ですら、そこからでも、人間は変わることもできる。

精神科医の皆さんには、鬱病の回復期の患者さんにぜひお薦めして欲しい本だとすら思う。 
危機に直面し、ありのままの自分に気づいたとき、人間は真に強くなれるのかも知れない。理不尽を鬱病になるほどちゃんと受け止められるからこそ、次の一歩が実はそこに隠れているのかも知れない。

ちなみに神戸というのはなかなかしたたかな土地柄だから、「弱者」のふりをした方が現実面で、物質的に得られる物が多い、という計算づくなところはあったかも知れない。

それはそれで、他人がいちいち上から目線で責めるような話ではないし、だからといって神戸の出身者が「東北の連中はいい子ぶっている」とか言いだすとしたら、これはこれでまったくおかしい。いちいち比較しないでいいじゃんか。

ちなみに「神戸の震災」について作られた唯一の、これはすばらしい傑作である映画は、震災の前に撮られている。相米慎二監督の『夏の庭 The Friends』だ。どういう意味で「神戸の震災について」の映画なのかは、見れば、そして神戸を知っていれば分かります。とりあえずトア・ロードと三宮周辺が写るだけでも、「ああ」と思うでしょう。
現代の、まったく変わってしまったトア・ロード

一方で東日本大震災の場合、被災地はある意味「昔からの日本」でもあった。

それは「他人の前で涙など見せるのははしたない」、「自分が大変でも、もっと大変な他人がいることを考える」という倫理観が保たれ、かつ「天変地異にはしょせん、人間はかなわない」「起こってしまったことを嘆いたり他人を責めても始まらない」という “百姓の国” の価値観が、保ち続けられた土地でもあった。

そしてなによりも、現に多くの人が強かった。だが結果としてこの国の社会の不思議なゆがみは、“強い” 被災者に「弱者・被害者」気取りの “そこ以外” の日本が、妙に甘えてみたり嫉妬してみたりすることで終わっていないか?


そして今や、いかに “強かった” 被災者も、どんどん疲れ切ってしまっている…。

現代人の集合的な悪意や無神経・無関心、無自覚な人間中心主義どころか自己中心主義は、天変地異、大津波や放射能よりも怖いのかも知れない。

1/04/2014

本当に「巨悪」「原子力ムラ」が問題なのだろうか?


福一事故発生後、とにかく悪者にされているのだが、東京電力の本店社員や経産省の官僚や取引銀行等などが「推進派の陰謀」で事故を無視したり、恣意的に過小評価したことなぞ実はない。

なぜそんな馬鹿なことを思いつく人がいるのかも理解に苦しむ。

事故直後の刻一刻を争う現実のなかでは、空想科学小説だか松本清張じみた陰謀なんて考える余裕があるはずもなく、速やかに必要な判断を下すべく、遮二無二に働いていたに決まっているだろうに。現状では被害はなんとか最低限に押さえられているとはいえ、どれだけ危険な事故だったか、「原発はもの凄く怖いんだ」と言って反対しているはずの人たちが実は認識していないのではないか。


世論のヒステリックな魔女狩りに浮かれるお祭り騒ぎで不当に叩かれている面は確実にあるし、現実問題としてそういう報道の大衆の残酷で無自覚な横暴へのおもねりが、現代の社会では著しく本来なされるべき行動をしばしば制約するだけでも、苛立たしい話だ。


真面目な、責任感の強い、仕事をちゃんとこなす人間ほど、無益に追いつめられてしまうだろう。


メディアに露出して分かり易い例では、医学者にしても、山下俊一さんへの見当違いなバッシングを見るだけでも、怖くなってなにもできなくなってしまった医師も少なくないはずだ。 
そんななか、しかも一刻を争う決断が必要ななかで、経産省のお役人や東電本店の一部だって、本当に頑張ってくれた面はあるはずだし、それがまったく報道されないのもさすがにアンフェアだとは思う。

とはいえ現行制度の枠内でさえ(しかも原発災害ではその制度が役に立たない可能性も考慮に入れるのが当然だ)、限界のかぎりやり抜いたのかと言えば、それはやはりまったく違う。そもそも福一原発事故への政府・官僚の対応が、その第一歩からして大間違いなのだから。


報道で見る限り(といってひどい偏向で、事実関係を抽出するのがかなり難しいとはいえ)、東電本店は実はその誤りに気づいていたのが分かる。だがなにが必要なのか分かっていても、権力への配慮(というか怖さ)から押し切れなかったようなのだから、政府・権力側のやっていることがまったくよく分からない。



失礼な言い方を承知でいえば、かなり珍妙な、物事の前後がひっくり返ったような、倒錯した話だ。

東電も、あるいはそのメインバンクなども含め、今の資本主義下の株式会社の経営原則からすれば極めてイレギュラーな決断を一度は下している。つまり、原子力発電所は電力会社の「資産」でもあり、会社の資産を実質放棄するという決断は、いかにそれが恐らくは遠からず資産価値ゼロになるかも知れない施設であっても、もの凄く難しい。ところがその彼ら自身には不利であっても敢えて下した決断をひっくり返したのが、その決断を命ずる(資産を取り上げる)立場にあったはずの政府なのだから、わけが分からない。


このブログでも何度も取り上げたことで恐縮だが、原子力災害緊急対策法では、この種の大規模原発災害では原子力発電所の管理権を国が電力会社から取り上げて、政府が事故処理を指揮することになっていたはずだ。

それが菅直人首相の独断だったのか、経産省の意向にのせられたのかは不明にせよ、その責任から政府が逃げた結果、福島第一原発事故はこうした規模の原子力災害について法律に定められたこの当然の手続きすら踏まえないまま進行することになり、現在に至っている。そして事故処理の管理権・指揮権が民間企業の東電にまかされたままであることが、今に至るまでさまざまな事故対応の無駄や瑕疵、限界を引き起こしている。


ところが報道だってそれが分かっているはずなのが、経産省と官邸が事故処理の責任から逃げたことについてまったくコメントすらしない。 
マスコミで菅おろしのバッシングが始まった時にもこの肝心の問題をスルーしているため、菅首相のなにが問題だったのかは結局よく分からないまま、なんとなく辞任に追い込まれたようにしか見えず、そして菅氏は未だに「東電が撤退すると言うのを止めたのはオレだ」と威張っている。


これには東京電力やその取引銀行、大口株主などがウンザリしてしまっているとしても、それはよく分かる。しかも世論には「原子力ムラの利権」だの「推進派の隠蔽」だのと言ったレッテルで叩かれ続けるのだから、さすがに理不尽だとも思う。


たとえば、実際には炉心の緊急冷却に海水を用いることに待ったがかかったのは、菅首相がなぜか懸念を示したからだ(「再臨界の可能性」ねえ…)。 
しかも当時の福一の吉田所長の決断で中止はされていない。 
しかしその海水注入が止められたと最初報道された時には、東電が廃炉をしぶったからだとまことしやかに語られた。 
東電にしてみれば、とっくに福一という「資産」を放棄するつもりだった、そう政府に提案していたのに、最初からとんだ理不尽な叩かれ方もしていたのだ。 
その後、株主総会で廃炉を正式決定したら「遅すぎる」と批判の嵐。いやそれは、単なる手続き上の問題で、最初から廃炉のつもりですって。

事故直後に4号炉の使用済み核燃料タンクの冷却水が不足し、自衛隊のヘリコプターで注水するというメディア好みのアクロバットに防衛省が執心した(そんなことやってるヒマないよ、まったく…)。東京電力が法的に一民間企業である以上、いかに馬鹿げたことだと分かっていても断れない。おかげで最初からこれが最適だと分かっている東京消防庁スーパーレスキューの特殊消防車「きりん」の導入が、一日遅らされた。


東電がいわば「自腹」覚悟で下した決断の通り、政府が全権を握り、あとは官邸の指揮系統がしっかりさえしていれば(その調整が官房長官の最大の仕事であり、枝野氏がやったように日に何度も記者会見をやることではない)、このような茶番に丸一日を浪費することはなかったはずだ。


管理権が民間企業のままでは、さまざまな許認可制度に縛られた原子力発電所内では、事故に必要な対処をすることすらしばしば困難になる。

原子力発電所の敷地内では、なにを作るのでも原則、経産省の許認可の対象になる。その認可が下りるのに通常手続きでは2〜3ヶ月はかかるのだとか、民間企業である東京電力が事故処理の責任者であるままなので、今の福一の敷地内で事故の対応のために建てられた汚染水タンクや排水システム、配管の大部分が仮設である。


事故一年目の冬には、仮設であるがゆえに防寒対策ができなかった、経産省の権限を恐れる東電がその予算を組まなかったそうで、ゴムパイプが凍結して破断した、という話だけ聴けば思わず笑ってしまいそうなトラブルまで起こっていた。


いや笑いごとではない。こと東電はともかく、実際の作業に当たっている下請け・孫請けの地元企業の作業員は、いかに浜通りが温暖とはいえ、冬場には凍結の恐れがあることは百も承知している。だが東電や経産省の「エライ人」たちはそんな現実をちゃんと認識することよりも、自分たちの制度上の内輪の世界を優先してしまった。



そんな人間世界の権威権力構造なんて、物理学や化学の科学事象である原子力発電所のトラブルには関係がないのだが…。

こんな不条理のなか、現場は本当に自分たちで出来る限りのことをやりながら、文字通り命がけで、しばしば上に立つ人間の不見識にイライラしつつ、なんとか「ニッポンを救おう」と一生懸命…だなんて、そんなカッコつけたことを言って胸を張っている余裕は東電本店や経産省、しょせん遠く離れた東京でふんぞり返っていられる者にはあるのだろうが、現場にあろうはずもない。


そんな現場の人たちや、原発事故で避難を強要され生活を失った被災者を無視して、事故処理に必要な判断の権限と責任を負うべくして負っている(それが彼ら「エリート」の仕事のはずだ)中央官庁や東京電力本店の経営陣、株主や取引銀行などの人たちが「俺たちは一生懸命」云々と言いだすのは、やはりどうしようもなくおかしい。


なるほど、東京のメディアや、国会を取り囲んだデモは彼らを叩いただろう。恨み言や愚痴が出てくるのも分からないではない。だが「菅と仲がいいサヨクのマスコミが」などと、ネット上の右翼気取り連中の陰謀論じゃあるまいし、そんな思い込みに耽溺して自分たちが「傷ついた」ことに慰めを求めている中で、なにか根本的なことが抜け落ちてはいないか?


なるほど、原発事故をめぐる現状がここまで想定外に無茶苦茶になっているのもうなづける。

いや実際のところ、恐るべき「現実感覚」の喪失、「他者」の不在の世界観なのだ。彼らは自分たちでは社会を動かしていたり「原発事故からニッポンを救った」つもりでも、単に自分の周囲半径5m程度の内輪に引きこもった、その実、無責任に陥ってはいないか?


…というか「ニッポンを救ったんだ」なんて本当に言ってるらしい話はよく聞くんだが、本当だとしたらたとえ酒の席だろうが、安倍晋三なみのボキャブラリーの貧困が凄いんだけど…。

「なにも知らないで生意気を言うな。俺たちは現実を見ているのだ」と彼らが言い張るのだとしたら、もう悪質な冗談にしかならないことに気づかないのだろうか?僕たち一般の国民や、なによりも被害当事者である被災者が「なにも知らない」のだとしたら、政府や東電の広報がしっかりしていないから、もっと言えばあなた達自身が隠しているからではないか?原発事故につきものの風評防止の配慮があるにしたって、少なくとも被災者には伝えるべきだ。


無論、現実はそうはなっていない。 
たとえば飯舘村に「計画避難」が決定されたとき、なんと村民の皆さんは、枝野官房長官のお昼の会見でいきなりそれを聞いたのだそうだ。村役場にはさすがに打診があったが、ほとんど脅し同然に口止めをされ、各地区の区長に伝えることすら出来なかったという。 
結果、菅野村長が村民の一部を不信を買う事態にまで、そうでなくとも汚染され、避難を迫られて大変な小さな農村が、不必要に追いつめられてしまったのだ。
どう考えたっておかしな話だと思うのだが…

半径5mの、その5mがどんなに権力の中枢だか上部構造だかにあろうがしょせん自分たちの内輪でしかない世界の、その外にある実際の社会に対する自分たちの責任すら、実はよく分かっていないのではないか?
自分たちでは「現実を動かしている」「エリート」のつもりでも、象牙の塔に引きこもっているに過ぎないのではないか?

2011年の5月末に、飯舘村で出会った農家のおじさんは、「インタビューなんて答えたって俺たちに都合の悪いことが世間に広まるだけだ」と言って僕たちの撮影は断りながら、それでもずいぶんいろいろと話してくれた。


なかでももっとも印象的な、痛烈な一言は


「画面を見てオタマジャクシをいじってるだけじゃ、現実は見えないんだよ」

…だった。オタマジャクシ?つまりパソコンのマウスのことである。


このおじさんの言った通りだ。よく考えればまるで子供の遊び、実際に事故処理の全権を担ったエリートであるはずの人たちがやっていたのは、醒めた目で言ってしまえば画面をにらんでオタマジャクシをいじり続けるただのゲームにも見えてくる。


しかし現実から切り離された象牙の塔だか白亜の殿堂の住人たちがやっているその「ゲーム」が、結果として実際の社会を動かし、彼らが直視しようとしない多くの人々の生活を左右している。彼らにはその画面の向こう、オタマジャクシのしっぽのその先にある現実を感じられず、自分たちが持っている権力がなんであるのかに気づいていないのだとしたら、そのことがいちばん恐ろしい。

いや結局のところ、半径5mしか見えていないのに、画面を見てオタマジャクシをいじっているだけの人たちが原発事故の最大の責任を負っていることに、そもそも無理があるような気もする。

どうにも社会や政治を動かす責任を負っている人たちが、その責任を自覚していないことの問題が、やはり福島第一原子力発電所の事故をめぐってあからさかに浮き彫りになったことは否めない。

結局は自分たちの内輪の論理でしか考えられず、そのプライドを死守したい。その気持ちは分からないでもない。だが一方で、あなたたちのその「権力中枢」であるはずの内輪の外では、多くの人たちが現に被害に遭っていることを、忘れていいのだろうか?なぜ無視出来るのだろう?


目の前に被災者や、被災地の出身者がいても、見えないのかも知れない。その人たちがどう自分たちの言動を受け取るのかを、考えもしないのかも知れない。

ぶっちゃけて言ってしまうなら、福島第一原発事故が浮き彫りにしたのは「ニッポン全国引きこもり」であること、いつのまにか日本社会が何重もの断絶でズタズタに分断され、それぞれの内輪のなかに孤立して来たことなのだろう。そしてなによりもこの事故では、直接の責任を負うはずの人たちや、直接にその現状を伝える報道の任にある人たちまでもが、絶望的に現実から断絶されている(しかもその自覚がない)。

無論、東電とか経産省の人たちだけの問題ではない。生活そのものが奪われてしまった地元・被災者・避難民以外は皆、自分たちの半径5mだけしか見えていず、どこかで自分たちのその内輪を最優先で考えてしまっているのかもしれない。

しかも力と責任を持った人たちが、「弱者」ぶって被害者意識を口にすれば自己正当化出来ると思い込んでいる。つまり結局は「自分たちは正しい」が、イコール「ボクたちは被害者なんだ、一生懸命なのに」となり、肝腎の事故やその被害者はリアリティとしてでなく、画面の中や書類の上でしか見ていないように、どうしても思えてしまう。

確かに経産省や東電や取引銀行等の人は「一生懸命やっているのに叩かれてばかり」で「傷ついて」もいるのだろうし、同情はする(実際、世論のヒステリックさと報道の姑息さには相当に問題がある)。だがあなた達が奪われたのがプライドであるのに対し、被災者は生活そのものを奪われたのであり、その生活を守ることが、あなた達の仕事なのだ。そこで忘れられている福島浜通りの被災者のなかには、福一の現場で黙々と、立場上なにも言えずに、不条理と闘っている人も少なくない。

そのもっとも直接的にこの原発事故に直面した人たちがひたすら無視された「ニッポン全国引きこもり」状態とは、実はそれぞれの自分の半径5mの内輪に引きこもり、断絶してバラバラになった社会のそれぞれのクラスタの、保身というよりもしょせんはプライドの保守にこそ、引きこもっていることでもある。電力会社にせよ、経産省にせよ、官邸にせよ、政治家にせよ、そして東電叩きに終始するメディアにせよ、「原子力ムラの陰謀」論に固執する反原発運動にせよ、実は自分たち自身の人間性の欠如からこそ、逃避しているのではないか?

実は皆が、ものすごく殺伐とした世界観の中に、無自覚にいる。そこでは人間の社会に不可欠だったなにかが、絶望的に見失われている。

「俺たちは一生懸命やっているんだ」とどんなに言い張ったって、現に被災者が無視され、明らかに政府や東電や取引銀行の不作為ないし能力の限界の結果で苦しめられている以上、「一生懸命」やっていたとしても「責任に見合う能力がない」、そこで開き直れば「無責任」とみなされて終わりなのだ。売り言葉に買い言葉で敢えて冷酷に言わせてもらうなら、あなた達の「実績」とは、客観的にみればその程度のものでしかない。

しかももっと絶望的なのは、こうした売り言葉に買い言葉的な言辞くらいしかその人たちに伝わらない、そのプライドにダメージを与えるような言葉以外は、彼らに無視出来てしまうことでもある。

経産省とか東電、取引銀行等々の人に、ただ直接に生活を奪われた地元の人たちが無視されてる現実を指摘しただけでは、「斜めからものを見ている」とか言い出して、見当違いなお説教が始まるらしい。これでは信頼されないのも自業自得だ。これで自分たちは有能なエリートだと思い込み続けられるのだとしたら凄い。


…と、こういう当然の指摘をされてしまうと、反論出来なくなったのか「批判するだけなら簡単だ、お前達はなにも知らないくせに、俺たちはこんなに仕事をしているんだ」とますます議論放棄どころか対話拒否に走るのだから、そりゃ「あまりに世の中が見えてない無責任でしょう」と、自称有能なエリートさんたちが、福島の農家のおばちゃんに呆れられても、そりゃ理の当然でもある。
これではどんなに「俺たちは実績がある!」と叫んだって、感謝も尊敬もされるわけがない。いや彼らが固執する「実績」が、しょせん自分たちの内輪の業界でのみ通用する「実績」にしかならないように、自分たちで無自覚に仕向けていることになる。 
だがその対局には、現に原発事故に巻き込まれた十数万の直接被害者がいて、その人々の、この三年近くのあいだほとんどなにも変わらない、過去を失い、未来がなにも見えないままの、宙づりの現実がある。

まったく他人様や、原発事故が起こっているときに現場の労働者や避難させられた被災者のことを考えられずに、自分たちの半径5mしか見えていない人たちが「俺たちは有能なエリートだ」と思い込んで、批判されただけで「傷ついている」「俺たちは被害者なんだ」としか思えないのだとしたら、それを平然と口に出してしまってあとは引きこもるだけなのならば、このお子様レベルのもうひとつの日本、「そこ」以外の日本の現実は相当に怖い。

本人たちはその怖さをまったく自覚してないで、「俺たちが日本を救ったんだ」と本気で思っているらしいのだが、それこそ安倍晋三が「強い日本を守るんです」と言っているのと同等の、まさに子供の遊戯のレベルの意識でしか実はない。


もし彼らが「菅と仲がよかったサヨクがボクたちを責めるんだから」と本気で言うのなら、安倍晋三たちの中国や韓国を病的に敵視する主張の根幹が、「戦争責任なんて追究されたら日本人だって傷つくじゃないか!」でしかないことの幼稚さとも、大差があるとは思えない。 
安倍の靖国参拝の余波で、アメリカの雑誌が、靖国神社の遊就館の展示を報道してしまったと、赤旗新聞に載っていた 
この米国での報道で興味深いのは、「20世紀の出来事をめぐり『日本を被害者』とする信じられないほど偏向した解釈を提示している」と指摘していること、つまり決して「日本は正しかった」ではなく、「正義の戦争を闘った」ですらなく、「日本は被害者」だと言い張る偏向であることだ。 
「被害者」だから「正しい」のか? そんな幼稚な倒錯もない。加害者が間違っているだけだ。 
「日本は強い国」にせよ「我々は有能なエリートだ」であるにせよ、そんなに自信があるはずなのが、自身の正当性の行き着く果てが、「僕たちは被害者なんだよぉ」という泣き言しかないのだとしたら、それが「強い」あるいは「有能」な者たちの言っていいことなのだろうか?

この「有能なエリート」たちが、人類の総体の現代文明の能力をも遥かに超えているのかも知れない原発事故の帰結を左右する立場にあるのだろうか?

福島第一原発事故は、「原子力ムラ」とか「巨悪」の問題ではまったくないのではないか? 

僕たちがしばしば「原子力ムラ」「巨大利権」「巨悪」と錯覚しているその対象は、原発というポテンシャルには大いに危険な巨大エネルギーの扱いも含めて驚くほど事の重大さの実感が乏しい、リアリティの感受性に欠けた、引きこもりの、「魔法使いの弟子」の坊や達に過ぎないようにも思える。



ウォルト・ディズニー製作『ファンタジア』より
「魔法使いの弟子」

「有能なエリート」を自称する、しかしその実しょせん魔法使いの弟子さんたちが、日本を救った気分でいるのだとしたら、原発事故収集の実態は、「画面とオタマジャクシ」と見事に本質を言い当てた、飯舘村のおじさん達の見抜いた通りだった。

彼らはまったく「巨悪」「原発マネー」でも「原子力ムラ」でもない。

その巨悪イメージで東電なり経産省なり取引銀行なりを批判する…というか叩いて鬱憤晴らしをしてきた自称反原発世論もまた、彼らが自称「有能なエリート」であるのと同様に、自称「正義」ごっこでしかないのは言うまでもない。結局はこの社会のどこを切ってみても、断面に見えるのは子供じみた「ゲーム」になってしまっている。

官僚主義の問題だ、と指摘するのすらいささかピントはずれに思えてくる。その実、「妙に子供っぽい」とすら思える。

そして「妙に子供っぽい」ことに付随する重大な問題として、本質がお子様であるせいか批判に対してものすごく脆弱で、打たれ弱く、ちゃんとした説明が出来ないのは、権力の行使にも言論にも説明責任が付随しなければならないはずの、民主主義の国では致命的だ。

原発事故の対応に当たった東電とか経産省とか取引銀行の人たちが、僕らが作った映画『無人地帯』(来月1日よりロードショー)をみたら、彼らが「菅と仲いいサヨク」と蔑視したがるいわゆる「反原発」的な報道を読むよりも、遥かに「傷つく」のだろう。 


それは東京・中央の、大手メディアの人たちにしても同じことだ。 
なにしろそうした自称「有能なエリート」よりも田舎の百姓や漁師、それも生活のすべてを失おうとしている人々の方が大人であり、冷静であり、知的でもあることが、はっきり見えてしまう。 
だが少なくとも、僕たちが浜通り飯舘村で見た現実は、そうだった。

被災地を除く日本中のあらゆる場所で(そしてこと東京で)、根本的にボタンがかけ違えられているのかも知れない。


僕たちの誰もがそろって、根本的な勘違いをしているのかも知れない。


巨大な天変地異の結果、社会と文明の限界が曝け出されたときに、そこに「自分は正しいのだ」と思える立場なぞ、どこにも存在しないはずなのだ。


また、そんなことで言い争っている場合でもない。

東京電力や経産省を叩くことで「自分たちは正義だ」と思ったところで、現実はなにも変わらないのはその通りである。だがそうやって自分たちを叩くメディアや世論を「市民運動出身の菅なんかと親しいサヨクの新聞が」などと言って叩き返しても、あなた達が「ものすごく優秀なエリート」であるのなら当然負っているはずの責任はなんら果たされず、「ものすごく優秀なエリート」本来のプライドも満たされないはずだ。


メディアの側でも、自分たちの報道の瑕疵や能力不足や勘違いを批判されたら「原子力ムラの隠蔽工作だ」と言ってみたところで、報道の中身が間違っていたことに変わりはない。本来ならその中身にこそ、職業的なプライドを賭けるべきなのに。

誰を責めたところで、原子力発電所の事故は起こってしまった現実である。


そこでなにかに怒った素振りを見せるのは、現実が我々の認識や能力を遥かに超えてしまっていることの、逃避のためだけなのかも知れない。


だがこれが想定外の事故だと言うのなら、そこまでの想定しか出来なかった我々の文明の限界なのだ。



決して「想定外なんだから僕らは悪くない」と言って済むことではないはずだ。 
というより、そんなことを気にしている場合ではない。

その限界が曝け出されてしまった今、人間社会の権力構造のなかで、誰かを叩くことで自分の立場を担保する権力のゲームに耽溺したところで、恐ろしく虚しい話でしかないことに、なぜ気づけないのだろう?



もの凄くシンプルな話のはずだ。
ちょっと気づけば簡単なことではないか。哲学の基礎中の基礎でしかない。 
そこで棄てるべきプライドや虚栄は、失ったところで生きて行けないことではない。 
少なくとも、生活のすべてを奪われながら、もう3年近くただひたすら待たされている避難民の置かれた境遇とは、比べ物にならない。

福島第一原子力発電所の敷地は、戦時中までは陸軍の訓練用の飛行場だった。それが戦後コクド開発に払い下げられた。コクド、つまり西武グループ、堤康次郎は衆議院議長をつとめた政治家でもあった。塩田開発を名目に安価に払い下げられたその土地は、なぜか塩作りには使われないまま塩漬けにされ、気がつけば正力さんと堤さんが裏で握手して、東京電力の原子力発電所建設が、浜通りからみればまるで天から降って来たように決まった。

1965年のことだ。いかにも「巨悪」な話である。


福一の建設が決まったのは東京オリンピックの翌年。つまりその直前まで、首都圏の再開発工事で働くため、浜通りでは多くの農家の男手が東京に出稼ぎに行った。給料の格差は、地元の道路工事の10倍くらいあったという。福一の建設工事の日当はそれよりちょっと少ない程度。家から通えるのだし…と、このような話を「地元は原発マネーで潤ったのだ」と糾弾する前に、ちょっと考えて欲しい。浜通りと東京では給金の格差が10倍。そんな格差があるような社会にしておいて、地元を責められるのだろうか?


そうでなくとも福一の建設は、堤さんと正力さんのあいだで決まった既定事項である上に、戦後の日本で市民や地元の反対運動がなにか国が決定した計画を覆すことが出来た事例があっただろうか?



たとえば三里塚闘争を見て欲しい。 
反対した農民を「左翼過激派」と断じて潰して行ったのは誰なのか?またそのような世論誘導にみすみす乗るように突っ走った当時の(三里塚の地元以外の)学生や市民や政治家の運動に、反省点はなかったのか?


この原発事故に端的に現れてしまった今の日本の本当の問題のひとつは、今の日本が高度成長時代の巨大な遺産(よくも悪くも福一と、東京が40年間その電気で潤って来たこともそのひとつだ)をどう使いこなして行くのかに当たって、それを作り出した人たちに比べてあまりに「子供」であることなのかも知れない。

だからつい「魔法使いの弟子」という寓話を思い出してしまう。

ただしあの寓話では、師匠の魔法使いの老人が最後にことを丸く収めてくれるのが、その師匠に当たる老人のオッサンたちもまた、日本社会全体と一緒に、老成して円熟するよりも、ただ老化して退行していたりもする。

なにしろ「これだけ豊かな国になったのは誰のおかげだと思っているんだ?」だけがプライドの拠り所になっているようにしか見えないのだから、それはそれで「人間性の劣化」がかなり恐ろしい。

ではその世代の人たちにあえて尋ねるが、あなた達の世代が作り出したと胸を張る「日本の豊かさ」には、結局なんの意味があったのだろうか?


僕自身は原子力発電所にはずっと反対だったし、福一の4つの(いまは事故を起こしている)原子炉の寿命が2004年に唐突に延長となった時には既に、浜通りで映画を作るべきではないかとも考えた。



結局なにを撮っていいかわからずに終わってしまったのだが…作っていたら、それがなんらかの形で原子炉の寿命延長の決定を撤回させることにつながっていれば、この事故は起こっていなかったことになる。

だが反対は反対として、実際に福島第一原子力発電所が、まさに東京で生まれ育った僕自身にとっても含め、ずっと電気を供給して来てくれたことは決して否定出来ないし、「東京の電気は日本全体が豊かになるためだった」と言われれば、断れなかったことは痛いほどに分かるつもりだ。


だからこそ問わねばなるまい。その「豊かさ」とはいったいなんだったのだろう?その「豊かさ」の結果が、これなのだろうか?

福一を浜通りに押し付けた世代の人たちが、自分たちは「豊かさ」を最前線で支えたのだと胸を張り、「これだけ豊かな国になったのは誰のおかげだ?お前らにそんなこと言う資格はない!」の議論放棄、対話の拒絶にのみ終始するプライドに固執しか出来ないのだとしたら、そんなものが「豊かさ」の成果なのだろうか?

その程度の「豊かさ」のために浜通りは原発を受け入れ、今はその原発の事故で、住めないかも知れない場所にされてしまうのだろうか?


福一事故が「想定外」なのであれば、その誤った想定を立てた側の責任は問われるはずだ。いや組織や個人を糾弾しろというのではなく、その想定が生まれ、それを信じた文脈自体が問い直されなければならない。そんな当然のことにも気づけずに「サヨクのマスコミが」と言い張るのが、世界でもっとも教育水準が高いとされる部類の国の「エリート」なのだろうか?

高度成長の時代が産み出した豊かさ、それ自体を批判するのではない。

問題は、その豊かさをあなた達はどう生かして来たのか?日本は今でも、世界でもっとも豊かな国のひとつだ。我々はそのなかで安閑と暮らしていられるのは…しかしそれは本当に「ありがたい」のだろうか?僕たちはそれを本当に「ありがたい」と思っているのだろうか?なぜ「ありがたい」と思えないのだろうか?

その世代の(というか僕たちからすれば父の世代の)人々が、この問いに答えようとせずに、結局はカネと儒教論理で他人を黙らせようとしているだけであるのなら、その程度の自信しか「豊かな日本」を作り出したはずの人々が持てないのだとしたら、それもまたあまりに悲惨なことだ。

その人たちが老境、というよりはっきり言えば人生の秋を迎えているとなれば、「この人たちの人生はいったいなんだったのだろう?」とさえ、つい思ってしまう。

そう思われてしまうことを、この人たちは「これだけ豊かな国になったのは誰のおかげだ?お前らにそんなこと言う資格はない」だけで封じ込められると思っているのだろうか? 
まさかとは思うが、年下だろうが息子の世代だろうがなんだろうが、他人は他人であって、その他人がなにを感じどう思おうが、それは自分の欲望や願望の延長上にあるのではない、別個の、独立した人格なのだという当然の人間存在の実存すら、理解出来ないまま70の大台に乗っているのだろうか?
豊かな人生体験を積み、押しも押されぬ「実績」もあるはずの人々が、これでいいのだろうか?

その子供くらいの世代である、福島第一原発事故の直接の対応に当たった東電とか経産省とかの人たちは、確かに頑張ったのだろう。そして理不尽さのなかで鬱病などで倒れた人も大勢いるそうだ…というところで、しかしそこで彼らが「俺たちはこんなに辛かったんだ」と言って同情を買いたいのだとしたら、その被害者意識が「俺たちは有能なエリートなんだ」というごたいそうなプライドと、あまりにチグハグである。

ましてそれを被災者の困難との比較で持ち出すのなら、比較すること自体がおかしい。

ところがどうも、こういうことを平気で被災者の前で言ってしまう人は多いらしい。しかしメディアの前では決して言わない。そこではどこか、人間性のネジだかタガだかが緩んでいるか、外れている。



総理大臣が「中韓は反日国家だ!日本が嫌いなんだ!」と思い込む幻想に浸る国では、一流大学に行き、大企業なり大官庁に勤めて「俺たち日本を動かしているのだ」と胸を張るわりエリートのはずの人たちが、自分たちが批判されるのは「サヨク」のマスコミが悪いのだ、とか(当のマスコミの前では決しておくびにも出さない割には)言い出すのだとしたらちょっと… 
「俺たちは有能なエリートなんだ」と威張るんだったらそれはないでしょう、そんな子供じみた陰謀史観めいた幻想で(というか「ネット右翼」並の馬鹿馬鹿しさである)、結局「ボクたちは被害者なんだ」っていう落としどころは。 
ならばせめて「我々は正しかった」くらいも言えないのなら、いかに高給取りで、ベンツかなにかに乗っていても、気の毒になって来る。

一方で、彼らの視界にはもしかしたら絶対に入らない現実では、双葉郡で人口8万強、飯舘村が確かだいたい6千、総計で十数万、原発事故と関係ない被災地を含めても30万だから人口の0.3%とはいえ、生活を奪われた人たちがたくさんいる。

そして福島県では、家を失ったり避難にはならなくとも、いわき市で、南相馬市で、伊達郡で、郡山市や福島市で、浜通りから中通りにかけて、原子力災害の不安に苛まれ、風評被害や差別を恐れ、「放射能より怖いのは人の心だ」とこれまたあまりに鋭いことをそっとつぶやきながら、多くの生活者が今も生きている。

それともやはり、東京のエリートである人たちにとっては関心がある、視野に入るのはしょせん、同じ東京で「一流大学出身者」が多数を占める「サヨク」だけ、そこへの対抗意識だかルサンチマンだかから先は、考えられないのだろうか? 

世論が原発反対に向かうのは、原発事故が起こってしまったからには当然の流れだ。原発が最大の雇用先であった地域ですら…いやそこでは原発が生活のすぐそばにあるからこそ、今までのやり方に疑問を持って当たり前なのだとも気づかずに、「反原発なんてサヨクが」という幻想に浸り続ければ、それでいいのだろうか?




肝腎の被害者/被災者は、しょせん「田舎の百姓」だか学歴がないだかなんだか、つまりは差別蔑視対象、だから無視して済んでしまうのだろうか?

1/01/2014

あけまして・おめでとう・ございます



あけましておめでとうございます。



本年もよろしくお願い致します。



今年はまず、2月1日より、2012年の映画『無人地帯』(撮影は2011年の春)を、やっと日本で公開します(配給:シグロ www.cine.co.jp)。



まずは東京、渋谷のユーロスペース(www.eurospace.co.jp)からですが、この映画は東京よりも地方で見て頂くことが肝心な作品だと思っており、順次全国に広げて行ければ、というわけでご協力をお願いできれば幸いです。




こと関東より西では、どうしても地理的に遠く離れてしまっている震災被災地、福島県で実はなにが起こったのか、もうそろそろ3年前の記録になってしまいますが、ぜひ見て少しでも本当はどうだったのか、この災害が本当はどんな意味を持ち、そこに直面された人々になにが起こっているのかを考える、その入り口くらいは知って頂く機会としても、いささかの気負いも感じながら、これを生かさねばならならないだろう、と思っています。



この大事件の被害当事者がこの3年間、こうも東京という中心、他ならぬこの原発の電気の恩恵をずっと受けて来た東京に、なぜか無視されないがしろにされ、都合のいいときだけ利用され、実際にはなにが問題で、なにに困っているのかがまるで伝えられていない、ただ安易なお涙頂戴だけが蔓延するあまり「被災者」の映像に皆さんがいささかうんざりし、「被災地」のことも忘れがちになっているのも無理はないのかも知れません。



双葉郡の人口は8万、飯舘村、南相馬市、他の福島県内を合わせても、たった10数万人しかこの事故の実際の被害者はいないのかも知れません。

それは1億数千万人もいる日本人の、たった0.1%前後かも知れません。



しかしそれは私たちや皆さんと同じ国の住人であり、本来なら困ったときにはお互い様程度のことでいいから、まずはちゃんと忘れずにくらいはいるべきだと、実は誰もが思っていることでしょうし、少なくとも首都圏にいれば、これは僕たちが潤沢な電気に恵まれて来たことの結果でもあること、日本各地の電力会社がそれぞれに同じ構造を抱えてもいることも、ごまかし様がありません

「こうすればいい」などという答えはそう簡単に出るはずもありませんが、だからって考え続けることを放棄するわけにはいかない、そのような普通のお考えを持っている普通に良心的な皆さんには、この映画は(入場料のぶんくらいは)納得して頂けると思っています。



お涙頂戴も、偉そうに説教することも、同情を買うことも、この映画にはまったくないことは言うまでもありません。



結論めいたことも、「解決策」もありません。原発事故とは元々、それを支える我々の文明と科学技術の限界からして「よく分からない」ものであるからです(そんなものに手を出してしまってよかったのかどうかが、実は大きな問題でもある)。その「分からない」ことにどう向き合うのか、分かっていることと分からないことをどう峻別して行けばいいのか、そろそろ3年が経とうとする今になっても、まだなにも始まっていない、始めるべきところで未だに始めようともしていないのが、残念な現実です。



出演してもらった人たちに年賀状を出す、その宛先に「応急仮設住宅」と書かなければならないのは、これが三回目になります。

仮設住宅は本来「応急」であり、法的には二年の年限を持って「とりあえず」住む場所を提供し、復興の第一歩となるものだったはず。しかし二年という法的期限は、既に昨年はじめには延長が決まっています。それが仮設から先どうするのかを、決めるべき立場にある人々がなにも決めていない、ひたすら先延ばしで決定をする責任から回避しているからであることは、やはり厳しく非難せざるを得ません。

またこんなことになるとは、僕たちにとってまったくの想定外であり、それ以上にこうはなって欲しくなかったことですが、なにも本質的に変わっていない、残念ながらこのなにも本質的には変わらない現状の結果、僕たちの2年前の映画は今でもアクチュアルな現状報告としての意味を持ってしまってもいることにもなります。

昨年の年賀状には、あえて「少しでも希望の持てる年になりますように」と書きました。今年もまさか同じことを書くのは間抜けですが、書かざるを得ないのが現実です。その上で「頑張って下さい」と、その人々が「頑張れる」状態にすらなっていないのが現実でも、そう言うほかはない。

しかもこれは、「5年後に放射線の量を見て決める」が毎年のようにそこから五年後で先延ばしになる福島県の避難地域だけでなく、宮城県や岩手県、あるいは福島でもいわき市や南相馬市の津波被災地も同様なのだそうです。

「そこに住んでいいのか」、住むとしたらどのような津波対策が現実的に必要なのかも、なにも決めようとすらしていないからです。



一方で、とくに東北の、震災被災地の皆さんには、この映画だけはいろいろと納得して頂けるだろうと密かに自信はあります。

もはや人の目に見られることは当分ないであろう、浜通りの豊かで美しい春を、原発事故の結果様々な理由で失われてしまった「ふるさと」の姿の映像をちゃんと残すことが、20km圏内に入れてもらうときに福島県警の若いお巡りさんに伝えた “我々がこの映画を作る理由” でした。

「地震で道路が壊れているし、事故があっても警察は助けに行けないので運転には十分に気をつけて。じゃあがんばって下さい」と言って入れてくれたそのお巡りさんの期待に、少しはちゃんと答えられている映画が出来たとは、少し自負しております。



と同時に、この映画は日本でこそちゃんと見せなければならないのに、被災地以外の日本にこそこの現実を少しでも伝えなければならないのに、2年も時間がかかってしまったことはお恥ずかしい次第であると同時に、2年も3年も経てばこの映画は、まずはただの映画として見られる「作品」となるはずだったのが、現状は本当になにも変わっていない、だから3年前の春の記録のはずが、現状報告として未だに有効であることに、さすがに想定していなかった空恐ろしさを感じてもいます。





昨年には既に続編の『…そして、春』の撮影も終わっており、今年中にはなんとか完成しなければなりません。『無人地帯』とはまたまったく異なった映画、「日本の百姓は実は凄い」映画になります。



『…そして、春』より

他にも5年がかりになってしまった、大阪で撮影した脚本なしの完全即興のフィクション映画『ほんの少しだけでも愛を』の編集がバンコクで、タイの編集マン、リー・チャタメティクールの手で進んでいます。

僕がこれまで作って来た映画は、距離を置いてみればどれも「日本人とは何者であるのか」を巡る問題の変奏曲として出来上がっているものだとは自覚していますが、この大阪の映画は「アジア的なるものの復権(と復讐)」を目指す映画のつもりで作って来た作品ですが、気がつけば二度目に倒れられる前のほんの数ヶ月、大島渚監督から学んだことが無意識に多々現れていることに、大島さんが昨年1月に亡くなられる直前にやっと気づかされました。大島監督への献辞のタイトルをデザインしたその日に、大島さんの訃報が伝えられたのは、不思議な偶然ではあります。

大島さんのお通夜で、助監督で出演者でもあった足立正夫監督が「誰が大島の星を継ぐのか」と言われました。僕が継ぐようなものではまったくないものの、大島渚という映画作家と大島さんという人に与えられたことの意味がよくやく分かるようになって来たのかも知れません。

また大島という人は、そんな「星」の欠片を実はあちこちに、ばらまかれて逝かれた人でもあったような気がします。





昨年一年間は「日本がどんどんおかしくなっていく」ことが、決定的になった年だったのかも知れません。

ただそこで安倍晋三閣下のトンデモに文句を言うことに慣れっこになってしまうわけにもいかないし、実は明治維新以降この国が「アジア的なるもの」をどんどん去勢し、名誉白人に憧れて「アジア的なるもの」を自ら差別し排除して来たことの当然の帰結が、この安倍政権であるのかも知れない。

安倍氏が山口、長州の系譜であることは偶然かも知れませんが、明治維新からして日本自身が日本に仕掛けた植民地的な侵略戦争であり、その行き着く先が安倍晋三閣下の表象する空虚なる現代の日本であるのなら、その過ちの出発点を見直すことでしか「取り戻す」ことは出来ないのではないのか、とも思います。


吉田喜重『夢のシネマ 東京の夢』



吉田喜重監督が、映画が実は西洋の植民地主義から産まれた、植民地主義的な発明品であるという宿命を喝破していました。ですが、だからこそ「映画」というメディアが産まれたときから抱えているこの 問題をひっくり返すことこそ、僕たちがやるべき新しい表現なのかも知れませんし、またそれこそが、ジル・ドゥルーズが書いていたように、映画が世界への信頼を取り戻す道筋となるために、僕たちがとるべき道にも思えます。





…と言ったところでえらく漠然とした話になってしまいましたが、とりあえず新年の抱負として、他にも日系ブラジル移民のドキュメンタリー、さる巨匠の未撮影の脚本など、他の企画もなんとか実現すべく、とにかく頑張るしかありません…

…と、あえて大見栄を切って自分にハードルを課す一方で、皆さんの応援、ご指導、ご鞭撻、今年もよろしくお願い致す次第です。



2014年元旦