最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

6/13/2014

ウナギとマグロとクジラと「世界のなかの日本」


繁殖がこの何年か激減していると言われて来たニホンウナギが、絶滅危惧種に指定された。以前にも刺身と寿司の最高級食材クロマグロが絶滅危惧と判断され、「漁獲が禁止されたら日本の食文化が危うい」とちょっとパニックになったことがある。

この指定自体は学者、専門家の国際会議で決まったことで、直接の法的拘束力はないから、まず慌てないように。ただこの指定を受けて「ではどう守るのか」で、将来的にはワシントン条約の対象として輸出入を原則禁止とする、などの可能性はある。

だが「これで禁止されたら日本の食文化が」という方向にしか世論が流れないこと自体、どうにも首を傾げてしまうのである。禁漁になるか以前に、クロマグロでもニホンウナギでも、絶滅してしまえば、それこそ日本の食文化が失われてしまうではないか。

漁が禁止されたら以前に、その魚が絶滅してしまえば、永久に誰も食べられなくなる。なぜこんな当たり前のことに気づかずに近視眼的な愚痴に終始してしまうのか?

日本が日本の食文化を守りたいのなら、むしろ絶滅の危機にあることをアピールして種の保存について積極的にイニシアティブを握る、クロマグロでもニホンウナギでもそれが絶滅しないように日本が中心になってなんとかしないと、「日本の食文化を守る」上での筋が通らない。

それにこれらの種の生態や生息数、つまり絶滅させないために必要なもっとも重要なデータを持っているのが日本である。そこがきちんと動かないと絶滅を回避する有効な計画が立てられないだろうに。

ニホンウナギの場合は繁殖数がここ数年激減していてその理由が分からない、生殖に関する生態自体がかなりの部分未解明で対策が打てないことも絶滅が危惧される原因のひとつなのだが、ことクロマグロは世界的に消費が増えていることがもっとも大きな危険因子だ。

クロマグロの絶命危惧種指定の時には、中国で消費量が増えていることが日本のメディアでたぶんに敵意を込めて報道されていた。中国人がそんなに食べなければ日本人が安心して食べられるじゃないか、と言わんばかりの理屈である。

ウナギの蒲焼きやうな重うな丼は刺身や寿司ほどにはまだ国際的に人気ではないので、主要消費地は7割の日本。とは言ってもウナギを高級魚に昇格させたのはほぼ日本文化だけで、他の文化圏では下手すれば「ゲテモノ」扱いの安い、他に食べるものがないから食べる類いの魚だったのが、それでも既に3割は海外消費ぶんだそうだ。それだけ日本食の文化は世界に広がりつつある。

「和食」は昨年、世界無形文化遺産にまで指定された。

自然の恵みをありがたがりながら四季に応じた繊細な料理と独特の食と味覚の哲学を発展させ、それが貴重な文化として評価されたからだ。なのにその食文化を守ると称して、自分たちが食べて来た生きものが絶滅する危険性を無視して「食べ続けたい」ではまるで矛盾している。

日本料理が注目され尊敬を集め、日本固有の食材の世界的な消費量が増え、数が減り、絶滅が危惧されると「外国が(とくに中国が)食べるな」という世論になること自体、発想が歪んでいることに気づかないのがおかしい。

世界中で日本料理が高級料理として認識され、愛され、学ばれている結果なのだが。

おいおい、安倍政権の売りは「クール・ジャパン」で、観光産業を「成長戦略」にするのではなかったのかよ?なのに自国の文化でももっとも世界的に人気がある分野で排外主義を発揮して「中国人には食べさせちゃダメ」とか、どういうつもりなのだ?

マグロもウナギも、それを食べて来た日本の文化が世界に影響を与えている、いわば世界が “日本から学んで” いるのだ。

だからこそ、その食文化を守るためには、日本がイニシアティブをとれば世界は従う。その種が絶滅したらもう食べられないのだから、日本が自国の食文化を守るためには絶滅しないように保護して種が維持出来るようコントロールもしなければならない、そのやり方も含めて「日本人がいちばんよく分かっているはずだ」と最初から思われてもいる。だからこそ日本から発信すべきことのはずだ。

絶滅危惧種に指定されるのは、自然界のなかでその種の絶滅が危険視されているからであり、人間の政治的な都合でどうこうなる問題ではない。なのに「西洋人はそうやって動物愛護とか言っているが肉食文化じゃないか、鯨が絶滅しかけているのは西洋が乱獲したからじゃないか」と国内でブツブツと不貞腐れたところで、そんな話は西洋コンプレックスを抱えた日本人どうしでしか通用しないどころか、トンチンカンで極めて愚かにしか見えない。

このどうにもヒステリックな国内世論は、商業捕鯨が国際条約で禁止されて以来のこの国に渦巻いているものでもあり、先頃は日本が「調査捕鯨」と称して続けていることについても国際司法裁判所で違法との裁定が出てしまった。

安倍政権ではこの裁判は勝てるつもりだったらしく、首相が外務省の担当官を厳しく叱責したとの報道まであったが、なるほど科学的な事実や最新の考え方を踏まえた議論をきちんと展開していれば、日本に勝ち目がなかったわけではない。

19世紀20世紀の乱獲でもっとも絶滅が危惧されるナガスクジラの個体数は、一応は回復傾向にあるが、プランクトンが主食であるそのナガスクジラを、肉食のマッコウクジラが食べてしまう、だから増え過ぎてしまうとナガスクジラが絶滅する危険も増大する。

生態系はたいがいの生物に天敵がいて個体数が自然調整されることで成立している。ところがマッコウクジラの場合、最大の天敵とは人間が捕鯨をすることであり、人間が穫らないと増え過ぎてしまうと考えられている。

いささかややこしい話にはなるが、マッコウクジラを人間が穫らないこと自体が、人間がマッコウクジラを人為的に増加させ、人為的にナガスクジラが絶滅しかねない状況を作っている意味にもなるのだ。

これを丁寧に説明し、海の生態系を維持することを日本側の主張の根幹にまず置けば、相応の説得力は持つし、捕鯨禁止条約の精神や存在理由にも反しない。

だが日本側の実際の主張をかいま見ると、「こりゃ負けるでしょう」としか言いようがない。適度な数のマッコウクジラの捕鯨はやった方がいい、という最新の科学の生態系に関する考えからすれば決して間違ってはいない指摘までは分かるのだが、その先の「そうしなければ海の生態系が守られない。生態系を守らなければ、クジラを絶滅から救うことは出来ない」という、本来なら日本側が提示する哲学の根本の部分が、あまりになおざりなのだ。

これでは「商業捕鯨を再開したい言い訳で、なし崩しに『調査捕鯨』と称している」という不正直さが批判され訴えられていることへの有効な反論にならない−−というか日本側の主張を実際にみれば、商業捕鯨を再開したいための言い訳にしか見えないものの羅列なのだ。

その上、よせばいいのに鯨の絶滅が危惧されるのは欧米がかつて鯨油目的で乱獲をしたからだという話を、すぐに持ち出してしまう。

日本人が捕鯨をし鯨を食べて来た文化は、確かに『白鯨』のエイハブ船長みたいなのとはずいぶん異なる。だがその日本文化の特殊性と、だからそれを守らなければ行けないと言いたいことが主張の中心のはずなのに、なぜ比較例に過ぎない「欧米の乱獲」にばかり力点が行き、西洋文明が肉食文化で家畜の屠殺が日常化していることをあげつらって「西洋人の方が残酷だ」のような話にまで暴走してしまうのか?

そして肝心の、日本の食文化の説明の方は通り一遍のなおざりで、ガイジンを和食の席に招いた際に杯を片手に傾けるウンチクのレベルの話しか出来ていない。

これでは日本の食文化を言い訳に、「そんなにボクたちをいじめて捕鯨を止めさせたい欧米ちゃんたちズルい」と不貞腐れて駄々をこねているように見えかねない。

それに和歌山県のイルカ漁とか、インドネシアの少数民族が近海で捕鯨をしているような話ならともかく、実際には産業化されている現代の捕鯨では、海の恵みとして鯨をありがたく食用にするというような文化伝統の精神はもはや失われている。 
調査捕鯨を拡大して商業捕鯨の再開を目論んでいる自民党であるとかに至っては、自然界を尊重してその秩序を守ろうという意志がまるでないのに、口先だけで「日本の食文化を守る」を言うのでは、それ自体がただの欺瞞に見えてしまう。

捕鯨禁止条約はもうかなり古い条約であり、最新の生態系の研究や考え方からはズレている部分もあるし、日本の調査捕鯨の結果も含む実証的な研究によっても、鯨の保護に本当に有効なのか疑問が出て来る部分がないわけではない。

だがそれならば、日本が率先して「より鯨の保護に役に立つ条約に改正しよう」というべきところなのに、調査捕鯨を言い訳になし崩し的に商業捕鯨再開を目論んだところで(しかも頭隠して尻隠さずの下心がミエミエでは)通用するわけがない、説得力を持ち得ない、うまく行くわけがない。

クロマグロでもニホンウナギでも同じことだ。

和食が世界無形文化遺産に登録された理由のひとつは、日本の食文化が自然との共存を前提に、自然の恵みをありがたがって大切にするという非人間中心主義の精神性を持っていることへの評価だ。

ところがその日本の食文化の危機だと言いながら、個体数の激減が危惧される魚や動物を保護しようという、本来なら日本の食文化の根幹に関わる動きに反発しているのが今の日本である。

日本の本来の食文化の精神性からすれば、クロマグロにしてもニホンウナギにしても、日本が真っ先に保護と資源維持に取り組んでおかしくない話なのだ。「中国人がたくさん食べるから減ってるんだ」なんて叫んでいる場合ではない。

安倍首相が「世界の真ん中で輝く日本」とかいう本を出したそうだ。

「真ん中で輝く」かどうかまでは知らないが、日本の文化には確かにこれからの世界の未来を考える上で重要な参考になる哲学があるし、こと戦後の高度成長期以降、日本人の勤勉さと規律正しさ、争いを回避し平和裏にものごとを進める誠実な信用重視の態度は、世界中で尊敬を集めて来た。日本食が今ブームなのは、単にそれがおいしいからだけでなく、ヘルシーなだけでもなく、自然と共存しその恵みを生かす食という発想の哲学性がオシャレだからでもある。別に安倍さんが人差し指を振り上げなくても、日本とはそういう敬愛される大国なのだ。

だがそのもっとも誇りにすべき部分をうっちゃって、きちんと自分たちの主張や理念を諸外国の人たちに説明しようとする努力すら怠っているのが現代の日本だ。

いや鯨、クロマグロ、ニホンウナギの件に対する反応を見れば、日本人自身がその自分達がもっとも誇りにすべき部分をまったく冒涜しているようにすら、見えてしまうのである。

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