最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/28/2012

『無人地帯』ベルリン映画祭用の宣伝素材づくり…

…まで、なんで監督がやっているのかよく分からないのではあるが、公式のポスターはこのデザインになった。


ここ数日は、明日から始まる最終の音声ミックス(5.1チャンネル・サラウンドのかなり変わった、映画館でないと意味を持たない使い方を模索している)の準備もそっちのけで、こうした宣伝素材の準備に忙殺されているのである。

ほぼ同じデザインながら、少し目立とう精神の(そしてベルリンへの出品がいかにも嬉しそうな)ポスターはこちら。


赤は目を引く色なので、こっちの方が目立つだろうと言えば目立つはずだけど、国際配給の Doc&Film の意見では、どうせベルリンで貼ればそこらじゅうで同じマークが目立ってるではないか、と。それはそうですね。

まあしかし、ベルリンはとても大きな映画祭だ。映画を見てもらうためには、前評判をどう作るかにしてもなにしろほぼ世界初上映なのだし、ポスターで目を引くというのは重要な手段なのだ。

かとって映画のイメージとかけ離れた客引きをやってしまうと、それはそれでかえって誤解され、悪評が広まることにだってなりかねないのだから難しい。

なおベルリンでの上映日程に関しては、本ブログのこちらのエントリーをみて下さい→『No Man's Zone 無人地帯』ベルリン国際映画祭へ

しかしパリに本社がある国際配給とのやり取りも、時差はネックであるものの今ではSkypeで直にもやりとり出来るのだから、便利になったものである。


こちらはプレスキットの表紙にする横位置のデザイン。


映画上映のデジタル化が急速に進む今日この頃、今回の上映では最初は考えていた35mmフィルムを作ることにもはや経費に見合った実があるわけでもなく、じゃあHDCAMかと思えばテープですらなく、なんとデータで納品ということになった。

これはまだ、さまざまなデジタル映像形式が混在するなか、リスクがないわけではないやり方ではあり、だからいろいろ細かいコーデックのパラメーターを指定されてもいるのだが、とはいえテープで送ったって、実際には映画祭の巨大サーバーにコピーして、そこから上映するのだ。テープ代が無駄と言えば無駄だろう。

映画のデジタル化というのは、実のところ経済的な必然性から進行しているものでもある。

確かにフィルムを作れば、本作はデジタル撮影だからネガに出力してプリントを焼いて字幕を打って、というだけですでに300万とか500万円はかかってしまうところが、DCP(デジタル・シネマ・パッケージ。大手の映画館での劇場用映画のデジタル上映は最近はほとんどが2KのDCPで、はっきり言えばアメリカ映画の場合、フィルムが複製の複製になることが多く、この方が奇麗で忠実な画で見られたりする)を作るのでも50万もかからない。

ブルーレイディスクなどはパソコンで焼いてしまえばメディアの代金は一枚100円を切っている。とはいえさすがに、ブルーレイ上映で(実はすごく圧縮されたデータだ)映画館でお客さんから1300円とか1500円とか1800円とるというのは、いかがなものかと思う。それじゃ市販品をレンタル屋で借りて自宅で見たって、同じことになってしまうではないか。

お金がかからなくなってデジタル化というのは一面、我々作家には有利な話だが、一方でその経済原理の原則からして、映画という制度的枠組みそのものがなくなってしまう危機も抱え込むことになる。元をただせば大きな画面で、大勢の不特定多数の、赤の他人の観客が集団でひとつの映像を同時に体験するというそのことこそが、上映素材がフィルムだろうがデジタルだろうが、確かに映画が映画たる由縁なのだ。

こと僕自身の作っている映画は、『無人地帯』も例外ではなく…というよりむしろもっとも極端な例として、大画面で一気に(途中で一時停止して一休みなんてせずに)見ることを想定した、映画としてのあり方を追及している。必ずしも小さな画面でおもしろいものではなく、むしろ大きな画面で部分部分を凝視したときに見えて来る細部であるとかも、こと『無人地帯』の場合は重要になる。

今最終段階に入っている音の作業にしても、浜通りの20Km圏内や飯舘村の音、遠くからのうぐいすの声ですら鮮明に聴こえる自然の豊かさと空気の透明感のなかに観客もまた身を置いてもらうため、映画として見ないと得られない体験を狙って、サラウンド音響を新たに作り直そうとしているのだし。

暗い映画館のなかで見知らぬ他人とともに、唯一の光源であるスクリーンを凝視しながら、そのなかに別の世界を見て、その世界の時間を生きること。映画館自体がこういう別世界への架け橋になるのが、本来の映画体験のはずだ。

ことドキュメンタリー映画の場合、つまりなぜドキュメンタリー【映画】なのかと言えば、「テレビでは出来ないことをやる」なんて後ろ向きの態度ではなく、映画だからこそやるべき、出来る表現、情報を得たり分かり易い感情のセンチメンタルな自己同一化で涙するのでなく、別の世界、今自分がここにいるのとは別の現実を、その世界まるごと体験させるのが、やはり映画のはずなのだ。

で、予告編の最終決定版はこちら。



それにしても、本当は映画の宣伝にいちばん向いていないのは監督本人なのだろうが…。つまりたとえば予告編なら、監督自身のお気に入りのシーンをつなぎ合わせてみたところで、それが将来の観客の興味を喚起する映像の流れになるわけではない。

本編の効率よいダイジェスト版が予告編になるわけでもないのだが、監督はやはり自分が作った本編の構造にすっかり囚われているので、基本ダイジェスト版を作ってしまいがちだ。

逆にあえて自分の映画の宣伝素材を自分で作ると、自分の映画を客観化して冷静に見なおす勉強にもなるわけでもあるのだけれど…。

とはいえ、少々疲れる話だ…。パソコンもパソコンでフル稼働だし。

1/26/2012

テオ・アンゲロプロス死去

テオ・アンゲロプロスが新作『もうひとつの海』の撮影現場に向かおうと道を渡っていたところ、バイクに跳ねられて急死したという。

テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』


率直に言えば、アンゲロプロスが偉大な映画作家であったのは、間違いなく彼のもっとも美しく端正な映画であろう『霧の中の風景』と、失敗作かも知れないが偉大な映画である『こうのとり・たちずさんで』までだと思っている…と亡くなったその日にわざわざ言うことでもないのだが、しかし『ユリシーズの瞳』以降の彼は、「世界的な巨匠」であり「保守的な祖国では不遇な左派の映画作家」であることに溺れてしまっていた感がある。

『蜂の旅人』『こうのとり・たちずさんで』の主演がマルチェロ・マストロヤンニであることになんの問題もない。晩年のマストロヤンニは真に偉大な俳優であり、しかも発音だけでギリシャ語の台詞を憶えてしまい、『蜂の〜』ではまだ完成した映画では吹き替えだったが、『こうのとり〜』では本人の声で、ギリシャ人からみてもなんの違和感もないらしい。

テオ・アンゲロプロス『こうのとり・たちずさんで』より、結婚式

撮影風景を撮ったテレビ・ドキュメンタリーでは、マストロヤンニは主な撮影の地となったフロリナの市場で撮影隊の食事のために買い出しをしていて(みんなのために料理を作るのが趣味!)、普通に売り子に「今日はなにがうまいかね」と野菜や魚を物色したり世間話をしたり…あの年齢でギリシャ語をほとんどマスターしてしまっていたのだ。

『こうのとり〜』の謎めいた元政治家を演じられるだけの貫禄と深みとミステリーを持った俳優といえば、やはりマストロヤンニに並ぶ人は当時いなかったと思う。


だがそのマストロヤンニのために書かれた『永遠と一日』の詩人の役を、本人が亡くなってしまい演じられなくなってから、テオ・アンゲロプロスの映画は変わってしまった。ブルーノ・ガンツはいい俳優だ。だが詩人の役で、その文章が作品の重要な要素だと言うのに、そのボイスオーバーが他人の声では、それだけでも映画的な厚みは消え失せてしまう。

ところが、最新作の『もうひとつの海』の準備段階で、アンゲロプロスは経済危機に直面したギリシャについて、珍しく一方的な政権批判ではなく、「右派も左派も反省して考え直さなければならない」と語っている。この態度は、マストロヤンニという盟友/名優を失って以降「巨匠」であることに頑になってしまっていた彼とは、どこかが明らかに違うと思う。

アンゲロプロスは道路を渡っていてバイクに跳ねられたそうだ。運転していたのが非番とはいえ警官だったというのが、テオらしいといえばテオらしい。

いやそれ以上にテオらしいのは、どうも『こうのとり』や『霧の中』を撮っていた頃の彼のように、どうも早足で、考えことをしながら、脇目もふらずセットに向かって歩いて行く途中だったらしいことだ。映画についての考えごとに熱中するあまり、バイクが来ていることにも気づかなかったのかも知れない。死んだことにも気づいてなかったりして。

思えば『霧の中の風景』と『こうのとり・たちずさんで』は、後の『永遠と一日』と合わせて「国境/境界の三部作」として構想されていたわけだが、それは冷戦が終わり鉄のカーテンが崩れ、しかしその一瞬の希望がまたたくまに中央ヨーロッパの混沌になったその時代のアクチュアルを、見事なまでの詩的表現ながら、ひりひりするような現実への感性を秘めた映画だったわけだ。

その彼の国のギリシャが、今はさらなる大きな危機の前に途方に呉れている。一時期はギリシャをまったく好きではなくなったらしいという噂もあったアンゲロプロスが、再び祖国のアクチュアルな問題に本気で取り組んだのが『もうひとつの海』なのだとしたら、いかにもテオらしい亡くなり方(映画の撮影中に死ぬというのは、映画作家にとってはある意味本能の、うらやましい話だし)は、あまりに残念なことだ。

未完でもいいから、見てみたい。

『霧の中の風景』より


テオ・アンゲロプロス公式サイト:http://www.theoangelopoulos.com

1/21/2012

『No Man's Zone 無人地帯』ベルリン国際映画祭へ

1月19日付けで、ベルリン国際映画祭フォーラムの部門プレスリリースが出た。

映画祭公式ホームページより
   Jan 19, 2012: Everyday Life and Fantasy in the Forum 2012

"Three films from Japan deal with the tsunami of 11 March 2011 and the meltdown at Fukushima nuclear power station. In No Man’s Zone (Mujin chitai), Fujiwara Toshi advances like a Tarkowskian Stalker into the contaminated zone around the nuclear reactors and evokes images of an invisible apocalypse. "


「日本からの三本の作品では、2011年3月11日の津波と、福島原子力発電所のメルトダウンを取り上げる。『無人地帯』では、監督の藤原敏史はタルコフスキーの『ストーカー』のように事故中の原子炉の周辺の汚染されたゾーンを突き進み、見えざる黙示録の光景を浮かび上がらせる」

…というわけで、これまで公式には言ってはいけなかった(といって、東京フィルメックス映画祭でのワールドプレミア時に、日本国内では言っていいとの許諾はとっているが)、『No Man's Zone 無人地帯』の公式出品の件も、やっとおおっぴらに言っていいわけなので、あらためて言います。

『No Man's Zone 無人地帯』は今年のベルリン国際映画祭の公式出品作品に選ばれました(って、なんだか今さら、あまりサマにならない…)

ベルリンでの公式上映の日程は以下の4回
2月12日(日) 16:30  Delphi-Filmpalast  EN 
2月14日 (火)22:00  CineStar 8  EN
2月16日 (木)14:30  Cubix 7  EN
2月18日 (土)16:30  CineStar 8  EN

予告編(英語版)


ベルリン映画祭への出品は『ぼくらはもう帰れない』(2006年)以来、2度目・もう6年ぶりになるわけだが、なにしろ世界三大映画祭なだけに、発表もギリギリだし、いろいろ大変だ。

出品者側は出品者側で、基本プレミア上映ばかりなので、映画祭に上映素材を送るギリギリまで作業を続けていたりする。『ぼくらはもう帰れない』では仕上げ作業自体をぜんぶドイツでやっていたものの、フィルムが映画祭に届いたのはプレス試写の日の朝、ドイツ語字幕版はその翌日だった。

『無人地帯』は既に東京フィルメックスで上映したとはいえ、音の作業などまだ完全ではなく、今回はその時に気づいた修正点も含めて、またフィルメックスでは2チャンネル・ステレオ上映だったので、今回は5.1チャンネルのミックスをまだこれから行うことになり…下手すると、公式上映の前日となる11日とか10日くらいに、上映素材を担いでベルリン入り、ということになってしまったりとか、どうもまたギリギリになりそうだ。 

要するに、こういう大きな映画祭に出品っていうのは、いろいろ大変なのですが、とはいえベルリン映画祭はドイツの首都の大都市のど真ん中でやる映画祭だけに、一般の観客の参加も多く、とても楽しい、いい映画祭なのだ。

その辺りがリゾート地に一週間とか10日だけ世界の映画業界が進駐していくだけの、カンヌとかヴェネチアとは大きく違うし、僕の作っているような映画には向いている。確かに通常の商業的な映画の標準から外れたスタイルとか話法を持った映画は作っているが、決して「業界内」の「プロ」向けの、お高くとまった【難解な映画】ではないし、こと『無人地帯』は下手すると、むしろ「映画業界のプロ」とくに「批評家」には、本質的に嫌われる部分すらあるので。


端的に言ってしまえば、震災と原発事故を撮った映画である以上、誰だろうが “安心して見られる映画” にはなっていないし、そのつもりもなかった。こと無人の地と化した20Km圏内(今では警戒区域)の、それも津波の被害を受けた場所を撮るにあたっては、「安心して見られる」ということなどあり得ないし、ならばそのことに正直な映画にしようと最初から思っていた。

真摯に震災の被害を前にしたとき、いったい本当はなにが起きたのか、なにが破壊されなにが失われたのかという、破壊の本当の意味すら、瞬時に判別することさえ難しい。まして基本的に人間の姿が見えない、人間にとっては異様な状態である。映像を読み解くとっかかり、手がかりがほとんどない。


普通の、いわゆる一般の、現実に虚心坦懐で真摯に向き合う人であれば、「分からない」のは当然のことだとすぐに理解するだろう。この巨大な災厄は、我々の理解の範疇を越えているのだから。

映画の冒頭の、浪江町・請戸の、漁港と町がすっかり津波で破壊された風景のパンは、凄まじい迫力であると同時に、既に理解不能な映像だろう。実際、初期の編集段階から試写をする度に、これを360度パンか、キャメラがもっとぐるぐる廻って移動しているのだと思う人が続出した。


案外と、映画を作っている側はなかなか気がつかない反応だ。なにしろ自分はその場に居たのだから、せいぜい100度か120度くらいしかキャメラを動かしていないことは分かっている。

だが確かに、言われてみれば、普通こんなに長いパン(3分37秒)を、それも望遠レンズで撮るなんてことはやらない(技術的には、撮影・加藤孝信の離れ業だ)だけでなく、なによりも映っているのが一面、混沌とした瓦礫の山、あるいは土台しか残っていない家々だったりしかない、まったく人間が見て理解できるように整理されていない風景だからこそ、見ていて混乱するのは当然かも知れない。


だったらその混沌と混乱の強烈さをいきなり印象づけて、我々がただ圧倒される他はなく、実のところそこになにが映っているのかすらほとんど “見えていない” ことを、正直に、率直に、そのまま印象づけるのが、この映画の冒頭の効果のはずだ。

ショットの終わりの方、実はまだ90度程度パンしたかどうかのポイントで、森の向こうに、ここから南7Kmほどの福島第一原子力発電所の煙突が見える。だがニュースで見慣れた独特の煙突ですら、もはや気がつかないほどに見る側の視覚が撹乱されているかも知れず、現に画面を凝視しているはずなのに、それでも見えなかった人も多い。

いや、凝視し続けることすら、困難な光景かもしれない。


それはむしろ当然のことなのだ。このショットを撮影の加藤孝信が当初躊躇したのは、決して210mmの望遠レンズでのパンが技術的に難しいからだけではない。あまりもの光景、それが40日間放置されたままの場所であること…もしかしたら瓦礫の下から、避難命令が出たために救援が来ないまま、見殺しになった方たちのご遺体が、垣間見えてしまうかも知れないのだ。

わがままな監督よろしく「いいから撮れ」と怒鳴りつけているだけ、「この画面は映画に必要だ」という判断だけに徹しているこっちの方が、むしろ異常なのだし、その監督は実のところファインダーを見ていないのだから、望遠レンズ越しに遺体を見てしまうことに怯える必要もないだけだ。


破壊の映像の混乱と混沌を前に、我々はその映像を読み解く手がかりを失う。

識別できる手がかりが実はあっても、それにすら気がつかないことも多い。この地震と津波と原発事故の災害というのは、それほどのものなのだし、避難された方に撮影素材を見てもらっても、しばらくどこか分からないことも多かった。

ナレーションで煙突が福一のそれであることを言うのは、あえてキャメラが通り過ぎた数秒後なのだが、実のところ、キャメラはその煙突を見たときに微妙にパンの速度が遅くなっているし、完成した映画ではそこで音楽(バール・フィリップスによるベースのピツィカート)を鳴らして指示すらしている。それでも、「今見えたはずだ」と言われて初めて慌てる人が多いのは、むしろ意図したことだ。

「見なかった自分」に気づいて欲しいのだ。

普通の、いわゆる一般の、この事態に真摯に向き合える人であれば「気づかなかったこと」、「理解できないかもしれない自分」という限界も、率直に受け入れるだろう。映画を見るということは、そこに見えないもの(死角にあったり、画面外だったり、文字通り目に見えないものも含め)を意識させられる行為でも、本来はあるわけだし。


しかしそれが、「自分は映画のプロ」であり「映画を理解できるだけ偉いのだ」と思っている批評家であるとかジャーナリストの一部であるとか、「自分は一般人よりも映画が分かっているはずだ」と思い込んでいるいわゆるシネフィルな人達にとっては、相当に受け入れ難い話なのも確かだ。

彼らが「難解」をむしろ喜び、その難解さを解読できる自分にプライドを持っているとしたら、「難解」ではなく「理解不能」であることは、そういう人にとっては晴天の霹靂、それこそ理解出来るはずもないことなのだろう。

ぶっちゃけ、「見ること」のプロだと思い込んでいる人達に、「あなた達はなにも見ていないのだ」と真っ正面から言ってしまっているわけではあり…。 
このアイディアは映画を作っている初期の段階から明白にあり、ただ編集のかなり最後の段階まで、あからさまなデュラスの『24時間の情事』の「君はヒロシマでなにも見ていない」との関連を指摘され、その薄っぺらな映画史のレベルで処理されてしまうのが悩みの種だった。しかし完成した映画を見てデュラスとの関連を指摘したがる人がほとんどいないのを見ると(クリス・マルケルやタルコフスキーの名前はたいていの評者から出て来るのに)、最終的にはうまくいったのだろう。 
無論これを「デュラスへのオマージュ」とか安易に思い込み、決めつけるのでなく、デュラスの指摘が鋭く正鵠を射たものであって、この映画が同じ問題意識を継承しようとしているのだと指摘したジャン=ミシェル・フロドンであるとかの慧眼であれば、ありがたいとこそ思うだけだが。

しかし津波被害を現実に目にするということには、そんな自惚れでは立ち向かえない。

皮肉なことに、破壊の度合いが中程度であれば、壊れた家や瓦礫があるから、なにがそこにあってそれが破壊されたのかくらいは分かる。

だが最も被害の激しい場所では、全てが洗い流されてしまって、元からなにもなかったのと、ほとんど判別がつかない。


しかも『無人地帯』が見せる破壊と悲惨は、究極のところそれだけではない。

津波被害の光景よりも胸が痛むのは、他の被災地と違い、こうした場所が40日経ってもそのままであり、放置されて来たことだ(そしてそれから9ヶ月経った今でも、恐らくはそのままだ)。

これもまた無論、映像だけで表現できることではない。それが私たちの現実であり限界であることもまた、映画のなかで強調している。

そこに40日間も、画面には見えないだけでまだ亡くなられた(結果として見殺しになった)ご遺体が隠れているのかも知れないのも含め−本当は救出に来たかった福島県警の警察官たちが、防護服の下で涙を呑んで遺体の捜索に当たっているという、我々の社会が気づかぬよう、忘れようとしている悲劇も含めて。

無論、原発事故についての映画である以上、その直接の被害である放射能汚染は、目に見えないものである。



20Km圏内には桜が咲き誇り、5月の飯舘村では春の緑があまりに鮮やかで、本来なら田植えが終わったはずの田んぼが枯れたままであること、洗濯物が屋内に干されていることを除けば、なにも変わらないように見える。


だが目に見えない悪夢と恐怖、見えざる黙示録とは、決して放射能だけのことではない。私たち自身や、私たちの社会そのものが、いかにこの破壊と悲惨の前に狼狽えるだけで、その自分達の不安に向き合おうとするよりは、恐怖と興奮から数々の愚かしい行動に走り、本当に困難に直面している人達を無視すらしてしまったこと、例えば20Km圏内で津波に遭って、瓦礫の下で生き延びていたかも知れない人達を見殺しにする結果になってしまい、そのことを反省するよりはただ無視して来ていることもまた、見えない悪夢と恐怖であり、見えざる黙示録の光景ではないのか?


その私たちの社会それ自体の持つ見えざる恐怖と冷酷さを、今回の震災で増幅させて来たことについては、やはり被災の現実を伝えるよりも、そこに自分達が興奮してしまったジャーナリズムの責任(というか日本のジャーナリズムの無責任さ)を無視するわけにはいかない。

20Km圏内の南に隣接するいわき市では、放射能の恐怖に怯えた(実際にはこの方角への汚染の広がりはたいしたことがなかったのに)ジャーナリズムがほとんど被害を報じようとせず、実態とかけ離れた行政区分に基づいた報道で、50Kmや60Kmも離れた市の南の方ですら物流が途絶え、地元の人が「兵糧攻め」と揶揄する状況が起こっていた。

一方、三月半ばに比較的高い汚染地帯になってしまった飯舘村ではメディアが殺到したが、地元の人はマスコミも政府も「なにも分かっていない」と感じていた。

その事実を隠そうとしないこの映画が、東京フィルメックスで上映された後でほとんどの新聞マスコミに無視されたのは、まあ想定の範囲内ではある。

なかには「日本の映画ジャーナリズムの堕落に呆れた」とおっしゃって下さった知人も少なくはないのだが、僕自身は率直に言えば「マスコミなんてしょせんそんなもんだ」とは思っていた。とはいえ流石にまったく無視、自身も被災地の石巻に通われている齋藤敦子さんが河北新報に書かれた以外にはなにも出ない、というのはさすがにびっくりしたが。

しかも東北の地方紙だけだ、という…。

また僕自身が上映後の質疑応答で、かなり厳しく震災報道を批判してしまったのもやり過ぎだったのだろうけれど…。



はい、ちょっとこれは言い過ぎました。とはいえ4月11日のこのブログでもちょっと触れたが(3月11日から4週間)、9日目に救出された少年に対するメディアの扱い方とか、さすがに常規を逸していた。


とはいえ『No Man's Zone 無人地帯』が本質的に、一部の批評家やジャーナリストにとって、映画としてどう評価するか以前に拒絶反応を示すであろうほど不愉快になり得る最大の理由は、ベルリン映画祭のカタログのためのインタビューをやってくれたクリス・フジワラが、極めて適確に指摘してくれた通りなのだろう。

There is no justifiable position to take with regard to this disaster. One of the functions of this film is to sustain that unsettling power, to make it intolerable again, to be in the presence of it.
この破壊を前にしたとき、完全に正当化され得る立場なぞあり得ない。この映画の機能のひとつはこの揺さぶる力を取り戻すこと、この災害を再び受容不可能なものにすること、災害の存在そのものを蘇らせるところにある。 

確かにこの映画は、観客に自分を正当化し得る立場や視点を、一切与えようとしていない。そうでなくてはならなかった。それが一部の観客にとって、自らの限界を突きつけられることになり、不快に思われようが。

無論、我々映画を作っている側も、そんな正当化され得る立場などには立っていないし、そんな立場が見つかるはずもない。

映画自体が、「正当化され得る、観客が同化し易い視点」などないことを、くどいほどに、あえてナレーションを外国語(英語)にするというそのこと自体において、強調すらしている。

その意味で、観ている側もなにか自分の「正しさ」に安住して、安心して見ていられるようなところは、こうした映画のなかには決して作るべきではないのだし、作っている側がそれを偽装し、そこで観客の共感を得ようとするのなら、そんなのは自己欺瞞でありファシズムの芽でしかない。


英語だからと言って外国人がそう簡単に「上から目線」で断ずることなど出来ないように、この映画のナレーションはあえて英語のネイティブ・スピーカーの声ではないし、西洋的な視点を絶対的な基準として押し付けるのとは真逆に、最後にはその西洋文明のものの見方自体が問題なのだとすら言ってしまっている(しかもエンドクレジットで明かされる通り、朗読はアルメニア系レバノン系の女優であり、書いたのは日本人だ)。

植民地主義。映画のなかではさすがにこの言葉は直接使っていないが、ヨーロッパやアメリカの世界の見方とは、人間どうしでの他国や異文化に対する態度に限らず、根本的に植民地主義的なのだ。キリスト教文明は(その実、聖書の内容に反して)世界が人間のためにだけ作られ、存在しており、世界とは自然も含めて理解し支配し搾取し得るものなのだと思い込んでいる。


この病理からは、アジア映画を評価すると称する昨今の国際映画祭カルチャーもまた、決して逃れ得ていない。

そして核分裂反応によって得られる巨大なエネルギーを利用してしまうこともまた、この病理の延長上に必然的にあることなのかも知れず、原子力発電とはこの西洋的な近代文明の必然として産まれたものなのかも知れない。

ヨーロッパの観客には確実にナレーションがそういう西洋批判、つまりは彼ら自身のあり方を批判しているように聴こえるはずであり(そう演出したわけで)、ベルリンの観客はたぶん理解してくれるだろう。だが批評やジャーナリズムがどう反応するか、ちょっと楽しみではあったりする。


1/15/2012

いわき市、あと2ヶ月で震災から1年

新作『無人地帯』の無料試写のため、今月もいわき市に行って来た。

試写の立ち会いのためというより、映画で撮った場所や人々がどうなっているのか、どうにも気になるからだ。また来月のベルリン映画祭での上映の後には、続編にも取り組んだ方がいいかも知れないと思えて来ていて、そのロケハンも兼ねてのことでもある。

写真は小名浜漁港の直売所だ。「心まで汚染されてたまるか」という心意気とは裏腹に、未だに漁業を再開できる見込みはなかなか見えて来ず、この直売所や、本来なら新鮮な海産物でにぎわっているはずの店は、閉まっているか、閑古鳥が鳴くしかない。

1年とか2年待てば再開できる、という希望があればまだ心をくじかれることもないかも知れない。

せめてどの程度我慢すればいいのか、あらゆる魚に危険な放射線値が出るわけでもなく、また同じ海域で操業するのでも、茨城の漁港や宮城の漁港では魚をとっているわけだし、なんらかの目処や、合理的に納得出来ることがあればまだいいのに、そんな希望もなかなか持てないのが現状なのだ。


厄介なことに、これは被災地の人たち自身がどれだけ合理的に考えて納得しようがほとんど関係ない。実を言えば、例えば魚の生態を直に知っている漁師の方が、どの魚には汚染がある危険があり、どの魚ならそんなに心配することもないであろうとか、だいたいは判っているはずなのだが、確実に無視されてしまうのではないか。

むしろ全てを決するのは「そこ以外の日本」のご機嫌次第であり、そして地元にもそうした「そこ以外の日本」(例えば “東京” )におもねることに心血を注いでしまう人、他所からやって来たボランティアであるとかの無神経な言葉の方が “世間の標準” だと思ってしまう人も、いないわけではない。またそういう人に限って、自分たちは “田舎” のなかでのエリート気取りだったりする。


『無人地帯』でも最も重要なシーンであろう、平・豊間の津波に絶えた築140年の家の持ち主、四家敬さんご夫妻にもやっと連絡がつき、再会することが出来た(四家さん宅の写真は、先月のこちらのエントリー「いわき市、12月」にも掲載した)。

映画のなかでは生き生きとしていた奥さんも、いささか疲れた顔をされていた。

映画のなかの四家さん夫妻

映画のことは心から、とても喜んで下さっている。

だが4月に撮影した時からそろそろ9ヶ月、大切な先祖代々の家(はっきり言ってこうなるともう、文化財だ)を早く修理したくとも、この場所に住み続けることが許されるのかどうかが、分からない。行政では集団移転させて、津波を受けた一帯を緑地にしようという話も進めている。

ほとんどの家が取り壊されてしまった今、あまりに見晴らしがよくなってしまい、かつてはこの橋から見えるはずもなかった四家さん宅の石倉まで、見えてしまっている。

ご夫妻は今は、八畳一間の借り上げのアパートに暮されているという。正月に仙台と東京にいるお子さんたちが訪ねて来ても、泊めることも出来ないで旅館をとるしかなかった。

なかには子どものぶんも入れて仮住まいを申告し、それで広い家を借りることが出来た人もいるらしい。だが映画に登場するご夫妻を見て頂ければ分かるように、そのような融通を利かせられる人達ではない。

「正直者がバカをみる」のもまた、悲しい現実である。

自分たちの年齢ではローンを組むわけにもいかない。なまじ立派な、古い建物なだけに、修理もそれなりに技術のある大工で、材料もいいものを使わなければならないだろう。それだけでも気が重いのに、それでも出来ることから始めて、ここに住み続けようと思うと決意されていた4月から9ヶ月、その決意を守るにも、動きもとれないのである。

それでも、「でももっと大変な人もいるから」と言う。

『無人地帯』を出演した方や、その関係者に見てもらったとき、驚くと同時に嬉しいのは、それぞれに「自分たちよりももっと大変な人達がいること、その気持ちが分かったのがよかった」と言われることだ。

双葉町から埼玉に避難されている岡田ヒメ子さんからは、「今年は希望を持って前向きに生きて行きたい」という年賀状を頂いた。双葉町が置かれている現状からすれば(除染で出た廃棄物の中間処理施設が押し付けられる、という話も出て来た)、どうやったら前向きになれるのか、僕らには分からない。だがその強さがどこから来るか分からないからこそ、そういう人達を映画に撮ることができたのは、語弊を恐れずに言えば、我々にとってとても嬉しい、喜ばしいことなのだ。

日本の渚百選に選ばれたこともある塩屋崎の海岸

「心まで汚染されてたまるか」。どこまでそこで人として踏みとどまれるのかが、問われている(とはいえ、被災地でもイヤな話は決して少ないわけではないし、やもすれば自暴自棄になるのも人間だろうが)。

塩屋崎の海水浴場のあたりも津波でほとんどの家が流されてしまっている。結局、「絶対に安全でなければならない」という名目で、集団移転ということになるのかも知れない。海辺にある豊間中学校の校庭は、瓦礫置き場になっていた。

このような光景を毎日目にする人達を前に、「前向きであれ」などとはとてもではないが言えない。それでも被災地の人達の多くが決してくじけてはいないのは、尊敬するしかないし、無論そんなに楽観的になれない人達の気持ちもまた、痛いほどよく分かる。

つくづく我々は、もう少し言動に気を配るべきだと思う。口先だけ「がんばろう日本」というのは容易い。だがそこになんの意味があるのか?頑張っている人達を励ますのも大事だが、一方でこの現実を前に立ち尽くす人達がいたら、その存在を率直に受け止めること以外に、私たちに出来ることはない。


被災者の気持ちは、その身になってみなければなかなか分からない。「しょせん私たちには分からないのだ」ということを、まず私たちはちゃんと理解すべきだし、そのことについて今は謙虚でなければならないはずだ。

被災地に勇気と笑顔を、などとなぜ軽々しく言えるのだろう?

どれだけ苦しんでいるのかを理解する気もないのだろうか?勇気や励ましをそんなに簡単に与えられるほどに、私たちはいつそんなに偉くなったのだろうか?

いわき市の出身である大学駅伝(東洋大)の柏原選手は、地元を励ます言葉をインタビュアーに求められ、「僕が大変なのは一時間ちょっとだけですから、ずっと大変な福島の人に」とだけ言った。これがもっともまともな言葉なのだろうと思う。

久之浜町では、津波で流されただけでなく出火もし、一面の荒れ果てた廃墟が広がっていた。

背後の岬は、津波と崖崩れで大きくえぐりとられている。

稲荷神社だけが奇跡的に残っているのが、なんとも痛ましいと共に、私たち人間が作り出し、そこで生きて来た世界がいかにはかなく、偶然に左右されていることを厳しく伝えている。

10ヶ月も経っているのに、まだ時々、火事場独特の匂いが鼻をつく。

写真の背後に見える、延焼を逃れた家々でもまた、この光景を毎日見続けなければならないのだ。想像するだけでも気が滅入りそうな生活なのだろうと思うと、やりきれない。


それでもこの人達は、ここで生き続けようとしている。人間とははかない存在であると同時に、凄まじくしなやかで、そして強い存在でもあり得るのだ。

我々が撮った『無人地帯』は、他の震災を扱った映画やニュース映像とはどこか違う、とよく言われる。なにか違いがあるとすれば、それは我々が無意識のうちにも撮ろうとしていたことが違うからなのかも知れない。「人間とははかない存在であると同時に、凄まじくしなやかで、そして強い存在でもあり得る」、そしてその人達は賢い。

そのことが我々を素直に感動させたのだ。

1/10/2012

『無人地帯』いわき市で試写(二回目)

今週末、14日土曜日に、映画『無人地帯』を現地のみなさん、20km圏内から避難されている皆さんにご覧頂くため、無料で試写を行います。

1/14(土)13:30〜磐城緑陰中学・一階視聴覚室にて
磐城緑陰中学校のウェブサイトはこちら→ http://www.ryokuin.ed.jp/

既に先月15日にも、いわき市の明星大学のご協力で試写を行うことができました。今回も主催は引き続き、いわき市の錦つなみ基金です。

予告編


この映画は今年のベルリン国際映画祭への正式出品が決まっており、映画祭のあと順次国内でも公開して行きたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

1/01/2012

あけまして・おめでとう・ございます

(毎年恒例<ちなみに昨年はこちら>、年賀メールを掲載)
旧年中にお世話になりました皆様も、あいにくお会いする機会がなかった方々も、今年もよろしくお願いします。

「アラブの春」から始まった2011年でしたが、3月11日の大地震を経た今となってはずいぶん昔のことのようにすら思えます。あまりに多くのものが失われ、数えきれない悲しみと、今もまったく解消されない困難や問題があり、今年もどうなることか不安から逃れられないままの新年ですが、それでもまた、学ぶべきこと、得られたことも決して少なくなかった一年でもありました。

自分は10年前まで山形国際ドキュメンタリー映画祭で仕事をしていたこと以外には、東北地方にはまったくと言っていいほど縁がなかったのですが、津波の破壊力に息を呑むと同時に、巨大な災厄を前にも人間らしさや矜持を失うまいとする被災地の人々にまず深い敬意を抱く他なく、そうこうするうちに4月には、撮影の加藤孝信と共に新作のドキュメンタリーを撮影しに福島浜通りに向かい(福島第一原発の周囲へ行って来ました)、5月には避難期日直前の飯舘村(福島県・飯舘村)でも撮影することになりました。

その場所で我々を驚かせたのは、一ヶ月以上放置された地震と津波の被害の巨大さや、無人の町となってしまった光景以上に、ちょうど桜が満開の季節の自然の繊細さと豊かさであり、そこでお会いすることの出来た人々の、人としての豊かさ、魅力、まっとうさ、慎ましさのなかに秘めた悲しみと、決してその運命に負けず、かといってしゃにむにあがくのでもない、知性にあふれた強さでした(原子力発電所と共に生きるということ)。

「しょうがない」という言葉が、これほどの重みと強さをもって発せられることを、自分は学ぶことができたと思っています。

破壊の大きさを描くには、そこで本当に失われたものは何だったのかを見せていくしかないと同時に、だからこそ失われなかったものもまた見せなければ、映画にはならない。

日本で製作してはただ悲惨を悲惨として搾取するだけの作品しか出来ないと考え、この映画は日仏合作とし、編集は完全にフランスで、フランス人の編集者、フランス在住のアメリカ人の音楽を得て完成させることになりました。

そして浜通りと飯舘村で撮ることが出来た素材に内包された人間性の豊かさを、編集のイザベル・インゴルドドミニク・オーヴレイ、音楽のバール・フィリップスエミリー・レスブロス、ナレーションを引き受けてくれたアルシネ・カーンジャンらの信頼するスタッフ、そして編集段階の試写で見てくれた友人たちが、日本人以上の繊細な共感を持って見てくれたこともまた、とても嬉しい体験でした。

それはまた、福島県の人々と、彼らの風景から我々が得たものは、決して現代の日本固有の体験ではなく、普遍的な意味を持つものだからこそ、映画として世に問うべきなのだという考えを、確信に変えるものでもあったからです。また彼らの力で、少しでも自分の目標というか野心に近づくことが出来たのであれば、と思う次第です。

こうして完成した映画『無人地帯 No Man's Zone』は、11月の東京フィルメックス映画祭でのワールド・プレミア上映を無事済ますことができ、2月にはベルリン国際映画祭でインターナショナル・プレミアを予定しています。

今年中には、全国での劇場公開も考えております(ほぼ同時にフランスでも公開します)ので、その折にはご覧頂いて厳しいご意見などたまわれれば幸いです。

一方、我々が撮らせてもらった福島第一原発の周辺に住んで来た人々が一日も早く生活を取り戻されることを切に願いつつも、現実の大変さは、残念ながら今もほとんど改善していませんし、そのいちばん困っている人達がなぜか無視されてしまっている状況もそのまま続いているなか、春頃にはこの続編となる映画を撮り始めることも考えなくはありません。

先日いわき市で行った試写の上映後の質疑で、涙を流して喜んで下さった富岡町から避難された方に、つい「今年の花見は富岡町の夜の森だ。それを撮影する」と、つい言って来てしまいましたし。

いかに巨大な悲劇と破壊で、命や生活やあまりに多くのものが失われてしまったのが昨年であっても、そこからですら得られるもの、学べること、より人として成長できるものがあるのだと確信できる年になることを祈りつつ、新年の挨拶とさせて頂きます。

今年もよろしくお願い致します。

2012年 元旦