最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

9/04/2011

カルティエ現代美術財団の『ヴードゥー』展が素晴らしかった件


7月9日から、最新作『NoMan's Zone』の編集でパリに来ている。8月の頭だけは福島県内で、原発事故の避難地域を離れて福島県内にお住まいの人たちの取材で一時帰国していたが、なにしろ休みは日曜だけで朝から晩まで編集室に閉じこもっているのに近い状態なので、滞在している13区のアパートからそう離れていないカルティエ現代美術財団にも、今日になってやっと行って来た次第だ。

ヴァカンス季節のパリなのに美術館にもめったに行かないんですからねぇ。困ったもんだ。

お目当ては4月から開催中の「ヴードゥー Vaudou/Vodin」展である。ヴードゥーと言っても、西アフリカの黒人が奴隷としてアメリカ大陸に連れて行かれて発達したヴードゥー教ではなく、その起源となった西アフリカのアニミズム文化についての展覧会で、主にベナン共和国起源の彫刻などの展示だ。

これが素晴らしいのである。

まずいわゆる解説がほとんどない展覧会なのが、展示してあるものはいわば文化人類学的な角度でのみ見られがちな文物であるのを、あくまで美術展として見せようとする態度として非常におもしろい。展覧会の総監督はデザイナーで造形美術家のエンゾ・マリ。美術の展覧会の常識すら排除して、作品の題名や素材などの表記も展覧会場の作品ごとのそばにはなく、配布される紙である。

歴史文化背景の説明のパネルなんてのも、最小限の地図やアニミズムの基本的な概念が慎ましくかけられているだけで、興味があれば配布される資料を見ればいいようになっている。

だから会場内はとてもすっきりしていて、とくに地下展示室は、壁も黒く塗られた暗がりの中に、立方体のケースに収められた呪術儀礼の彫像が、丁寧に照明されて浮かび上がるのである。


よけいな文字情報もないから、観客はこのひとつひとつの小さな像に食い入るように見入ることになる。そうすると次第に目が慣れて感性が鍛えられて、この独特の彫像がさまざまな素材で作られていることに気づく。基本は木だったり、ときに金属やテラコッタも使われているが、そこに布や縄、鎖、奴隷の足輪から、錠前、薬瓶などがくくりつけられていることに気づく。

そこか気になったら、配布された個々の作品資料を見れば素材は列記されている。さらには鳥のくちばしや頭蓋骨、動物の骨、さらには人骨まで使われている、そのすべてが黒々とした釉薬のようなものに覆われていて真っ黒なかに、ときどき素材本来の色(ビーズなど)や貝殻の白さ、骨の色などが見えて来るのだ。

この釉薬のようなもの、解説にはSacrificial Patinaと書いてあるのだが、これは儀式のときに生け贄の血をかける、その血が凝固したものらしい。

一歩間違えれば植民地主義丸出しの、「野蛮国」の奇妙で野蛮で残酷な風習を紹介するみたいな話になってしまう、普通に学術的にやってもそうなってしまいかねない展覧会なのだが、まったくその失敗はなく、神々しいまでにミステリアスな西アフリカのアニミズム文化に引き込まれて行く計算は、実に見事なものだ。

しかしそれはもちろん、展示されている個々の彫像が、いずれも無名の芸術家の作ではあるが、素晴らしい精神性を秘めて多くのことを訴えて来る傑作ぞろいだからだ。

独特の文化でデフォルメされたその形態のなかに、我々は、そこで識別される素材と、識別される表象対象(男根があれば男であり、乳房は女であり、子供を抱いた女は豊穣の神なのだろうし、男神の像の身体のあちこちに水平に、ひもや鎖がつけられたクイが打ち込まれているのも興味深い)が混然一体となった精神世界に、ぐいぐい引き込まれていく。

このまったく未知でありながら、アニミズムであるからには原初の文明のあり方にもっとも近いだけに、どこかで万人の深層心理にリンクするであろうなにかを秘めた、その世界に没入することは、ある意味で優れた現代美術の展覧会を見るのと同じ意識の働きでもある。

そういう大胆に芸術の本質に迫るところがまた、カルティエ財団のおもしろさでもあるわけで。

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