最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

7/28/2010

子どもの虐待事件


ここのところ毎日のように、虐待死事件の報道を聞いている気がする。

先週末には昨年、大阪市西淀川区で9歳の娘をベランダに閉め出してまな板で殴る等の虐待を続けて死なせた男女の公判が報じられ、日曜には横浜市港北区で一歳の娘を木箱に閉じ込めて窒息死させた事件、今日は大阪府寝屋川市で、父親が中学生の息子にライターのオイルをかけて火をつけたという事件だ。

2009年度の全国の児童相談所に寄せられた虐待の通報や相談は4万4千210件、地域別には神奈川県が最も多く5676件、次いで大阪府の5436件だそうだ。市町村では大阪市1606件、京都市611件、神戸市381件。

児童相談所の立ち入りによる検査がわずか1件だと言うからにはたぶん氷山の一角に過ぎないのだろうし、だから地域別のデータでとやかく言うべきことでもないのだが、しかし人口が多いにも関わらず神奈川はともかく東京は少なく、人口比からすると関西の都市部が多い。

とくに虐待死など、報道されるような重大事件が、大阪府に多いのは、なんとなく分からないことでもない気がする。

大阪が残酷な町だからとか、そういう意味ではないので誤解のないように。むしろ逆だ。

家族というものの比重が個人の人生/生活のなかでより大きい、家族関係がより濃密で、親から引き継いだりしたものの意識がより大きい文化的風土があるから、そこでの関係の矛盾が暴発点に達する可能性もまた、大きくなってしまうのではないか?

逆にたとえば東京であれば、一人暮らし世帯が多いし、家族のなかでの暴力の暴発が起こる前に、離婚だとかでその関係を解消してしまえるオプションも、比較的選ぶことに躊躇が少ないこともある。

その意味で、関西の方が関東よりやさしい。

しかしその一方で、関西だとDV被害の話を、非常によく聞いたりもするのである。

もっともそれを言うなら、だいたい東京の人間は、家族の話をあまりしない。親がかわいい子どもの話を自慢げに語るのは多いが、子が親のこととか、ほとんど話さない。

関西では子供がけっこう親のことをいう。20代にもなる男の子が母親を他人に「かあさん」とか「おかん」とか平気で言う。普通は「母」か「おふくろ」だろうと思うんだが…

自由ということも、愛情も、複雑で矛盾に満ちたものだ。たぶん今の世界でいちばん問題なのは、そうした複雑さから目を背けて、すぐに善悪のレッテル貼りを即断して、表面的な解決ばかりを指向してしまうことなのだろう。

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