最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

4/10/2008

政治部の記者は小沢一郎が嫌い?

本日の党首討論の逆ギレした福田首相はなかなか一見の価値があった。ニュースで抜粋を見ただけなのが残念で、フルバージョンで見てみたいものだ。しかし国会対策、国会運営で「かわいそうなくらい苦労している」って、無駄で無謀なことをやって苦労しているだけでしょうに。

だがその午前中に否決された日銀副総裁人事については、マスコミの論調はなんだかおかしい。鳩山由紀夫の顔を潰してまでの小沢のゴリ押しなのは、そりゃそうなのだが、「政局狙い」? ゴリ押しをしたのは原理原則論でしょう。それも原理原則をゴリ押しせざるを得ない状況を作ったのは、福田サンご本人ではないですか。人物本位なのであれば渡辺さんでも確かに専門知識などで問題はないそうなのだが、「財政と金融の協調」を言ってしまったわけで、官僚支配と行政の腐敗の構造を改革すると主張している小沢民主党がのめるわけがないでしょう。「バランスをとったパッケージ人事」って、「財務省に配慮したバランス」と自ら言っているようなものではないですか。これじゃ天下りという「形式」の問題ではなく、天下りの最大の問題である、天下ることで権限と利権と影響力を省庁が確保する構図そのものではないですか。

なぜか「権力闘争」というレベルでしか論評できないのが政治報道なのだが、国民にとって直接問題なのは権力闘争ではなく「国家のかたち」をどうするのか、という国家論、思想的な対立のはずなのだが、マスコミの政治部が真っ先にそこから逃げているように見えてしまう。というか、政治記者は結局は自民党におんぶにだっこだから、永田町の内輪の「勝った負けた」に過ぎないレベルでしかものごとが見えていないのかも知れない。まあ、なにせ某最大手新聞社の、政治記者あがり(ってことは自民党有力者の番記者あがりの)会長が、政界のフィクサー気取りで「大連立」とか構想しているんだから。彼らにとって小沢の原理原則論は、ほとんど宇宙人の意味不明の言葉のように聞こえているのかも知れない−−官僚組織なしにどうせ政府が維持できるわけがない、という思い込みで。当の小沢サンは「これは革命なんですよ」とすら(えらく分かり易く!)言っているのだが。「革命」が目的であって権力闘争はそのための手段に過ぎないのだが、政治関係の報道関係者には手段のマニュアルしか目に入らないのだろうか?

…というか、小泉時代以来「改革、改革」が流行語のようになっていて、昨年の流行語大賞の「どげんかせんといかん」ってのも要はそのバリエーションなのだが、本当に「変える」気がこの国にあるのだろうか? 政治家や官僚に限った話ではない、我々日本人全体が国を「改革する」、ということは我々自身が我々自身の意識を変えなければいけないはずだ。「どうせなにも変わらないさ」とうそぶくのは、実は変わる勇気がないことのカムフラージュなのかも知れない。というか、とりあえず「改革、改革」が上辺だけなのがバレた時点で「郵政民営化!」だけで自民党を大勝させてしまった国民に、本当に「変える」(あるいは「変わる」)気なんてあったんですか? 少なくとも政治部の皆さんにとって、それは本当はもの凄く困ることなんでしょうね。あと田原総一郎その他の皆さんも。だって今までの権力と癒着した情報入手が通用しなくなるんだし、権力者のお仲間のフリの優越感もなくなっちまうんだから。だから小沢民主党に不利なように,不利なように報道するわけで、ざっとネット上のニュースをブラウズした感じではそもそもの政府のあり方についての考え方の違いをちゃんと報じているのは、外電系のロイターだけだ。

福田さんの自爆戦略の最たるものという感じの首相答弁(って、答えじゃなくて質問が多かった…)なのだが、うがって見れば実は本当にいいたかったのはいちばん最後の「道路特定財源の一般財源化」のことで、「閣議決定だってやっていいですよ」と言うためのパフォーマンスだったのかも知れない。さすがに「党議決定」とまでは言えなかったようで、そこまで言わないと本当はいけなかったのだけど(内閣総辞職させてしまえば、閣議決定はなかったことにできる)、感情を露にして小沢を「攻撃」している(と伊吹幹事長は苦笑しながら一応エールを送っていたが)なかで、あっさりと党内で反発がすさまじいはずのことを、国会で約束してしまった、というかしまえたのだから。「ねじれ国会で民主党のせいでなんにも話が進まない!」という悲鳴は、実は「だから自民党が妥協しなければいけないんですよ」と党内を裏で説得するために言っているようにも聞こえる。これでとりあえず、閣議決定をやらなければ問責決議→総辞職か解散という流れを、福田自身がヒステリー(のフリ?)の流れでまんまと明言・確約してしまったのだ。伊吹サンの苦笑がこわばっていたのは、もしかして彼も気がついたからかも知れませんね。これで彼が幹事長の座に留まっていたいなら、道路特定財源の一般財源化の議論を党内で進めなければいけないことを。

で、「自民党対民主党」は権力闘争だし、政界再選含みなどいろいろあるのかも知れないし、政治的に現実を変えるには確かに権力闘争は必要不可欠だ。だがそれは手段であって目的ではない。政権交代がとりあえずいちばん分かり易い変え方だから政権奪取の闘争にはなるのだが、福田サンの真意が上記に近いものだとすると、話はもっと複雑になる。いずれにせよ本当に重要なのは、小沢の言うところの官僚支配と行政の腐敗の構造の巨大財源のひとつである道路特定財源をなくすかどうかが、「国家のしくみ」の実態を変える上でけっこう本質的な一歩になりうることだ。で、「官僚支配と行政の腐敗の構造」はとりあえず変えないと本当にマズいわけで、ただしそれは自分で判断も思考もせずに官僚的システムの自動運動を忠実にやってればいい、マニュアルと先例がすべて指示してくれて、というこの国の社会のなかでの我々の生き方自体を変えることでもある。それはおっかないことにも思えるが、一方でこの社会の全体を覆う不自由さを打破することにもなる。

もっとも、現実に対しても自分自身についても盲目になって、不自由さを不自由さと自覚せずにいれば平穏に生きられると思い込んでいれば、自由くらい恐ろしいものはないのかも知れない、というわけでエーリッヒ・フロムに行き着いてしまうわけですが…。

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