最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

11/29/2015

侯孝賢と久隅守景、それでも世界はあまりにも豊かで、かくも美しい


久隅守景は、恐らく慶長年間に生まれ元禄時代まで活躍した画家だが、生没年すらはっきり分からない。徳川幕府の御用絵師・狩野探幽の弟子として頭角を現し、狩野派四天王とも呼ばれ、師・探幽の姪を妻ともしているが、生涯養子になるなどして狩野の名を名乗ることはなく、なんらかの事情で探幽門下を離れている。一説には娘でやはり絵師となった清原雪信の駆け落ち騒動や、息子でやはり狩野派門下だった彦十郎(狩野胖幽)が破門・佐渡に遠島となった責任を取ったとも言われるが、詳しいことは分かっていない。

久隅守景「納涼図屏風」(国宝)東京国立博物館蔵
いずれにせよ狩野派の有力な弟子という絵師のエリートコースを外れ、流浪の身となった守景の生涯には、分かっていることがほとんどないが、作品だけは遺されている。それを見ると狩野派を離れたことで、その高い技巧をしっかり継承しつつも権威的な形式や約束事の体裁から離れた独自の画風を打ち立てたことが歴然としている。

こと耕作図などの主題で庶民の生活に類い稀な感性を見せたことに評価は高く、例えば晩年の作と推測される「納涼図」は国宝に指定されている。

サントリー美術館 逆境の絵師 久隅守景展 29日まで

圧倒的な技量を持ち、狩野派一門では特に淡彩や水墨の風景画を特に得意とした守景は、その狩野派を離れた後、どうも加賀の前田潘に招かれ(狩野派にいたときには前田家の菩提寺の襖絵を手がけている)逗留していたらしい時期から、農耕生活を主題とした作品を多く残している。『納涼図』もそんな一枚だとみなされるが、他にも例えば傑作が多い何枚もの四季耕作図では、石川県立美術館、京都国立博物館の所蔵作がそれぞれ重文に指定されている。

四季耕作図 石川県立美術館 (右隻)
個人蔵でサントリー美術館の展覧会で展示されている「旧・浅野家本(重要美術品)」も驚くべき傑作…と言うより「驚き」つつもまず、いとおしい傑作だ。どうも加賀の前田家から広島の浅野家に、輿入れに際して贈られたものらしい。

四季耕作図 旧浅野家本(左隻)
日本の絵巻物や屏風は、時系列や物語が普通は右から左に展開する。守景の耕作図ではこれを逆転させ、四季の春が右端ではなく左端から始まる構成を好んだ。

通常とは逆に左から右に展開する流れを自然に見せるため、守景は随所に左から右に向かう動きを描き込んでいる。旧小坂家本の四季耕作図では最後は米俵が蔵に入れられる所で終わるが、つい右から見始めると蔵から俵を出しているように見えてしまいかねない。それではおかしいので左から見始めると、例えば左から右に旅する人や川を渡る人や牛がいる。

四季耕作図屏風・旧小坂家本、左隻
定石通りに右から左へ四季を移り変わらせるのであれば必要ないが、それを逆にして理解させる工夫が、画面に人が生きる運動を組み込むことで生き生きとした効果に結びついてもいる。

公式の美術や文化では中国の意匠を借りるのが律令制の時代以降、江戸時代でも日本の慣例で、耕作図はただ目を楽しませるだけでなく、藩主など武家の棟梁や跡取りに庶民の生活を想起させる儒教的な徳育の役割もあり、だから人物の服装などは中国風が慣例だった。旧浅野家本の四季耕作図もこれに倣っているが、実際の日本の農民の生活をつぶさに見つめたのであろう細やかな表現が、狩野派では山水画の名手として知られた山河の描写との絶妙な組み合わせと並んで、守景の耕作図の特徴として挙げられる。



例えば旧浅野家本の春では、父親が田起こしをする背後の家には母親が幼子とともにいて、その家の脇では二人の息子であろう子どもたちが遊んでいる。

田植え前の初夏の場面の驟雨の描写、雨宿りで慌てて駆け込んだ人で小屋がすし詰めになっている様子など、まことに生き生きとして楽しい。

守景の耕作図では儒教的な目的に基づく約束ごとに従った農作業の風景は画面の主役ではなくなり、風景や農作業以外の描写が、等価に存在する。そんな全体像の美しい統合のなかに、ささやかな庶民の生活が類い稀に美しいものであることが慎ましくも豊かに謳い上げられている。

どの人物も、もちろん耕作図の約束事である農作業の情景でも、細やかに描き分けられたその顔には、さりげなく、ささやかながらも安らかな、幸福の表情が丁寧に描き込まれている。このように守景の大作屏風は、まずとにかく描写が細かく、その丁寧さにばかり目が行きがちだが、それを成立させている構成力の凄さを見逃してはなるまい。



わざとルール通りで見るものにとっても当然の右から左という展開を逆転させても成立させていることも、その高い構成力の好例だろう。

だからといって別に守景が力量を誇示しているのではあるまい。

見せ方を変えることで見る者の感受性を呼び覚まし、より丁寧に、新鮮な気持ちを設定することが、丁寧な細部へと観察を自然に誘う。そうやって左から右へと見て行くと、守景の耕作図にはハッとさせられ立ち止まる瞬間が度々ある。


逆転させられた展開は、ただ漫然といつも通りに右から左に見て行くのではないため、見る者にその絵を追って行く時間を意識させる。するとその目の動きの視野に突然、丘の向こうに上半身だけ見える後ろ姿、空を飛ぶ渡り鳥の群れ、慎ましやかな小屋、薄墨でサッと描かれた山、木の下でまどろむ男などが突然目に入って来るのだ。

観客の視線の動き、つまり絵の四季の時系列の流れに、さざ波や、波紋が立つような瞬間が次々と介入していく。単に描写が細かいだけでなくこうした発見がさりげなく組み込まれ、見れば見るほど引き込まれて行く守景の絵には、だからこそ一日中見続けても飽きることのない豊かさがある。

そんな久隅守景の絵を見に行ったのは、侯孝賢の『悲情城市』(1989)がかなり久しぶりに大スクリーンで上映された後だった。

侯孝賢『悲情城市』
そうすると『悲情城市』でやっていることが、時代も場所はもちろん、主題性や政治性でもなんの共通項もないはずなのに、二人の芸術家がとても近いなにかを持っていることを意識させられてしまう。

『悲情城市』は1945年の日本の敗戦で台湾が中華民国に帰属してから今度は本土を追われた民国政府が台湾に移るまでの4年間を背景とし、国民党独裁の戒厳令下では語られなかった現代台湾建国史の暗黒面を初めて正面から描いた作品であり、その意味で極めて政治性も強い。


『悲情城市』林家の人々
と同時に(より厄介なことに)、この映画の見せる台湾現代史は台湾の人間であれば(本省人にせよ、外省人にせよ)なんとなく直感的に勘づいていたり、国民党の独裁・戒厳令下では語り得なかったものの実体験していた、つまりは実は知っていたことや自身の記憶と即座に結びつくのに対し、初上映されたヴェネチア映画祭(金獅子賞を獲得)でもどこでも、観客にとってはまったく知らない、そんなことがあったと考えもしなかった歴史であり、しかもその状況の複雑さは想像もつかないだろう。

台湾に漢民族が定着したのは、明朝の頃だ。外からは「同じ中国人」に見えても、その頃から台湾に住み続けた漢民族(本省人)の言葉は文字や文法は同じでも語彙やとくに発音が異なるし、一方で漢民族にはいわゆる客家など、商業民族として東アジア・東南アジアに幅広く展開して来た者も少なくない。

そして1895年から半世紀、台湾は清朝から日本に割譲されその植民地支配下にあり、日本語も教育されたし、1930年代からは皇民化教育もあり、1937年の盧溝橋事件以来の日中戦争では、日本の一部として中華民国と戦争状態だった(台湾は中華民国の成立以前から中国本土から離れているし、中華民国側に立って日本支配に対抗するという考えもあまり広まらなかった)。要するに、事実上別の国として半世紀かそれ以上歩んで来た上に、こないだまで敵どうしで戦争もやっていた間柄である、それが台湾省としてめでたく中華民国に「復帰」するなどと、およそ言える状態であったはずもなく、国民党に限らず本土から新たにやって来た人たち(外省人)との軋轢が起こるのも必然だった。

だがこうして歴史背景を説明すること自体が、侯の映画の精神に反してしまっている気がする。

『悲情城市』では、観客がなにも知らないからといって映画が説明して情報を補ってくれることはない。代わりに例えば酒席の笑い話で、中華民国の青天白日旗の揚げ方が分からなかったから太陽が昇るのだろうと思って逆さに掲揚したとか、そんな話題が出て来る。あるいは、映画の中心となる林家の人々、その四男・文清(トニー・レオン)の写真館を兼ねた家の居間は、日本式の座敷で床の間もある。



台詞が台湾語であることも外国人にはあまり関係がないことだが、よく聞くと「父さん」という意味で「トウサン(発音の当て字で「多桑」と書く)」と言っている。文清の親友である寛栄(呉義芳)の名前の読みは「ヒロエ」であり、妹の寛美(辛樹芬)は「ヒロミ」と呼ばれている。

侯孝賢『悲情城市』、文清と寛美
映画が1945年8月15日から始まって最初に聴こえるのが玉音放送だし、文清たちの小学校の恩師だった小川先生が認知症を患い、娘の静子が困惑していたり、そして日本に引き揚げることになった静子が寛栄には兄の遺品の竹刀と漢詩、寛美には和服を記念に贈るといったシーンもあるが、それを物語上の情報としてだけ見て「日本人と台湾人の交流」とか「台湾人は日本を恨んでいない、親日なんだ」などと日本人観客が都合良く思い込めるようには、この映画は演出されていない。

玉音放送のあいだじゅう、林家では長男・文雄(陳松勇)の妾のお産でそれどころではなく誰も聞いていないし、林家の隠居した父(李天禄)は国民党の官吏に自分は日本人に「やくざ」と言われても従わずやりやっていたと誇らしげに言う。


林家では次男と三男・文良(高捷)が出征し、次男はルソン戦線で行方不明のまま、三男は中国本土の戦線から発狂して帰郷する。やはり酒席のシーンで、台北からやって来た呉先生という民主活動家が「清朝も日本も台湾人のことなんてなにも考えていなかった」と断ずる。ちなみにこの呉先生を演ずるのがこの映画の脚本家で台湾人の呉念真、共同脚本の朱天文の家系は大陸出身、侯孝賢自身は客家の家系で戦後台湾に来た外省人だ(それが『悲情城市』も次の『戯夢人生』(1993)も、徹底して台湾人の視点から見た台湾史であることにも注目)。


当然のことだが(しかし日本人には誤解する人も多い)『悲情城市』はそもそも、日本時代を評価するかどうかという映画ではない。ただ現実として台湾は50年間日本統治下にあったのだし、台湾人は日本人と接して暮らし、親しくもなり、日本の文化や、日本経由で入って来る西洋の文化も、吸収して来たのだ(文清が蓄音機で寛美に、元はドイツ民謡の「ローレライ」を聴かせるシーンもある。寛栄や文清、それに呉先生たち民主派は、マルクスも読んでいるが、これは台湾だけでなく中国本土にも、日本経由でもたらされたものだ)。

国家を巡る大文字の政治ではなく生活であり、侯孝賢はその生活つまり人の生きる現実から台湾の政治史を見よう/見せようとしている。この視点の取り方こそが真に政治的であると同時に、生活の細部から人間性を構築するデリケートな眼差しこそが侯の演出の骨肉であり、それは時代や国を超えて久隅守景の納涼図や農耕図と通じ合っているのではないか?



こと四季農耕図の描写が服装・風俗では中国のそれに倣っていることに、中国服を着ていても守景が描いたのは日本の農民であり、侯の映画では台湾人(漢民族)が日本家屋に住んでいることの親和性も作用するのかも知れない。

いや侯孝賢の映画に久隅守景の絵画に共通するものを見出し得るのは、別に偶然の一致でも単なる思い込みでもなく、台湾、中国、日本の歴史的な、文化史上の関係性からして、そうなっていてもなんの不思議もない。

久隅守景「耕織図屏風」東京国立博物館
侯の映画というとカメラの動きを最小限に抑えた引き気味の画面構成や長廻しが、1980年代末に国際的な注目を集めた頃から小津安二郎、溝口健二の影響とみなされることも多かったが、何本か恋愛コメディなどのいわば商業的な映画を手がけ、『風櫃(フンクイ)の少年』(1983)辺りから次第にその作家性があきらかになった時、決定的な変化は、侯本人によれば中国絵画を見始めたこと、そこでとくに宋代の山水水墨画の表現がリアリズムだと気付いたことから、彼の映画における空間の捉え方が決まって来たのだという。

宋の山水画といえば禅宗と一緒に日本に伝わり、今日では中国本土でも宋・禅宗の山水水墨画の最高峰であり完成者との評価が固まりつつあるのが、日本の禅僧・雪舟等楊である。

雪舟等楊『天橋立図』(国宝)
守景が学んだ狩野派は、その中国由来の禅画の伝統に、日本の「やまとえ」の影響も交えたスタイルで名声を確立した。

久隅守景「宇治茶摘み図屏風」
久隅守景もまた単に日本の画家と言うのではなく、中国絵画の強い影響からもまた多くを学んだ画家なのだ。

侯孝賢『恋恋風塵』(1987)

侯孝賢は久隅守景の絵画を見たことなぞまずないはずだが、それでも両者に共通点があるのは大きな歴史の流れから見れば当然になるし、『悲城城市』の上映後の質疑応答では、侯自身が同様のことを言っていた。


唐代を舞台にした最新作『黒衣の刺客』では唐招提寺でのロケもやりたかったとか、奈良や京都に現存する中国の文化や様式通りの建物の存在も指摘しつつ、遣唐使や更にその前の法隆寺にも遡って侯は「中国、日本、台湾は本来ひとつの文化圏でいろいろな交流や影響関係がずっとあった」と言うのだ。

侯孝賢『黒衣の刺客』(2015)

『童年往時』(1985)で国際的な注目を浴びるに至った時、世界の映画界が侯の作家性がどこにあるのかを把握出来ていたとは言い難い。過去の映画からレファランスとして溝口健二や小津安二郎との関係性が盛んに例示もされたが、彼の映画が本当に衝撃的だったのは、時間と空間の捉え方がそれまでの、ほとんどの場合いわば西洋文化圏の影響下にあり続けて来た映画とどこか根本的に異なっていることであって、ただ当時の批評がそこをうまく指摘できていなかったのではないか?

それは西洋絵画と東洋絵画の根本的な空間構成の在り方の違いにも起因している。一言でいってしまえば、ことルネサンス以降、西洋絵画とは画面をひとつの自己充足した空間と捕らえてその枠内を満たして統合的な美を創造する営みだった。

侯孝賢『風櫃の少年』

対して、侯が影響を受けた宋代の風景描写などはむしろ目の前の世界の要所要所を切り取りつつ、前景、中景、遠景へと複合的に再構成していく描き方がされていて、空間遠近法の消点のような中心を必ずしも持たず、多中心的で重層的である、あるいは中心よりは枠組みの絵画であって、つまり絵自体の画面の枠組みがあり、そのどこを見るのかで視野の枠組みが意識される。

久隅守景色「山水図襖絵」瑞龍寺(前田家菩提寺・富山県
そうした表現の発展のなかで必然的に枠には常に外側があることを前提とし、直接見えるものと見えないもの、そしてその相互の関係性に意識が向かうことにもなる。

侯が自分の映画の画面構成においてそんな意識を継承していることが明確になったのが『風櫃の少年』だろう。



この映画では画面の枠外に、視野から外れた空間があることへの意識が極めて明確で、画面の外からのアクションの闖入や、カットが変わったりパンすることで、見えていなかった外側の空間があきらかになるシーンであるとかが非常に多く、主人公の三人組がその一人の姉を頼って高雄に行く時に、ギャグとしてさえ使われている。

探している通りの看板が彼らの視界の外、そしてフレーム外にあって、道を尋ねた相手が上を指差し、カメラがパンアップすると街路表示の大きな看板が見える。ここでは通りの反対側にカメラがあって、西洋的な映画叙述なら完全な客観ショットとみなされるにも関わらず、まったく立ち位置が違う人物たちとカメラにとっての見えるものと見えないもの、つまり主観性が一致していることも注目すべきだろう。



この主観描写の物理的な位置関係に必ずしも囚われない見せ方が『風櫃の少年』では、空間だけでなく時間にも援用される。回想シーンの挿入され方、回想への移行の仕方が独特であるだけでなく、その回想のなかで過去の自分自身を思い出している本人が見るのだ。



従来の、単一の視点から見た空間描写という西洋絵画の伝統の影響下にある映画叙述で見てしまえば、侯がいわゆるPOV(視点・主観ショット、人物の見ている位置にカメラが置かれる)を滅多に用いず、カメラは常に物理的に人物たちの外側の、いわば客観的な位置にあって、それも引き目に置かれ続けることから、彼の映画が実は主観描写を多用していること、ただしそれが西洋的な単一の視点その延長上で整合性が付与される時系列に囚われるものではないことが、意識されにくかったこともあるのかも知れない。


こうした回想への入り方は、『悲情城市』ではさらに発展する。回想が誰かの視点に必ずしも囚われるものですらなくなるのが、日本に引き揚げる静子が寛美と会うシーンに日本時代の回想が挿入される時だ。その過去の光景が寛美の記憶なのか、静子の記憶なのか、その場にいない寛栄の記憶なのかは、むしろ意図的に混合されている。いや、むしろその回想は寛美と静子が語り合った内容なのかも知れず、三人の共有する記憶なのだ。


あるいは、国民党の弾圧を逃れ山中に拠点を作った寛栄達を文清が訪ねるシーンは、聾唖の文清と寛美の筆談による会話から突然山の中にシーンが切り替わり、その最後に再び寛美と文清のシーンに戻ることで、初めて回想だったことが分かる。



『鷹狩り図』は、久隅守景の最後期に描かれたとみなされる大作だ。

久隅守景色『鷹狩り図屏風』右隻
一見、大きな画面に縦横無尽に鷹が宙を舞い、白鷺や鶴を捕らえ、所々に緑の木々の生い茂った地面を、鷹匠や鷹狩りの人足が走り回っているだけの絵に見える。

久隅守景色『鷹狩り図屏風』左隻
日本美術の慣例に従って右から見て行くと、まず右下には休憩している人足達がいて、あくびをしている者なども見える。



一方、左下の隅では子どもたちが松の木の下で遊び、そのすぐ近くで松に止まった小鳥を捕らえようとする鳥刺しが見え、その上を鷹狩りに到着した殿様の一行が歩いている。



つまりこの屏風もまた守景流に、普通とは逆に左から右に時系列が展開しているのだ。

だがそう気付いて、左から右へと見て行くと、狩の光景では右から左、左から右、上から下と鳥たちと人々の運動のベクトルはダイナミックに全方位に向き、ある一群の動きを目で追うと、突然別の一群の別の運動の力学的な線と衝突する。


ぱっと絵の全体を見ただけでは見落とすディテールがそうした運動の線、画家が仕込んだ観客の視点の動きを誘導する線に従って見て行くことで、新たな発見として視野に入り込んではっとさせられるのだ。

静止した絵画画面のなかに時間と運動を描き込んで行く守景の真骨頂は、見ていて飽きることがなく、絵に描き込まれた動線に心地よく誘われながら凝視するほどに、いろいろなものが見えて来る。



単に生活への眼差しと言ったアーティストの精神的な態度だけでなく、静止して見えるものの中に動きと驚きを仕込み、描かれた内容ではなく視線の運動がこそがドラマとなる表現もまた、久隅守景と侯孝賢に合い通ずるものであり、17世紀の日本の画家が機械としての映画が19世紀の末に発明される200年以上前に、映画あるいはアニメーションを、表現としてはモンタージュも含めて、発明していたのかも知れない。



『悲情城市』はカメラがほとんど動かない映画で、多くのショットは端正な構図で情景を見つめ続け、せいぜいが緩やかなパンでひとつの場の別の方向に移るだけだが、その静的なカメラワークでもって『悲情城市』をただ静的な映画と見るべきではない。

なんと言っても中心となる林家は「やくざ」であり、家業はその側面も含めて長男が継いでいるが、精神病から快復した三男や子分たちが大陸から入って来た麻薬や闇紙幣の取引に手を出して、本土系のやくざと争いが起こる。そうした本省人(台湾人)と外省人の庶民レベルの衝突の中から、日本軍に従軍した台湾人の密告も始まり、三男・文良は「売国奴」つまり中国本土での戦犯容疑で捕らえられ、拷問されて再び発狂してしまう。そんな軋轢のなか、中華民国・国民党の初代台湾総督陳儀の腐敗した地方政権が、四男の文清たちの台湾民主化運動の人々の弾圧を始める。最新作の『黒衣の刺客』は唐代を舞台にした時代劇でこの監督初のアクション映画だと言われているがとんでもない、『悲情城市』で既に侯孝賢はアクション映画を、それも斬新な演出で撮っていた。

わけてもギョっとさせられるのが、動きの少ない構図のその画面外から、突然暴力がフレームインするやり方だ。



また直接のアクションのないシーンでも、例えばまず林家の本家の玄関ホールからその置くの部屋にカメラが向けられ、そこから文雄たちが驚きの声を上げて出て来る。カメラは彼らを追ってゆっくり右、入り口がある方にパンすると、拷問された文良が担ぎ込まれて来る。

このように、観客の見ているものの中になにかが突然入り込んで来る表現は、『四季耕作図』などで久隅守景が使いこなし、『鷹狩り図』屏風で完成された視覚情報による話術・叙述のテクニックにとてもよく似ている。



人生は驚きに満ちている。その驚きをどう見て、どう受け止めればいいのかに気付くとき、世界はあまりに豊かさに溢れている、侯の映画と、守景の絵は、そのことをこそ表現しているのかも知れない。


『悲情城市』の終わりに、林家ではやくざの抗争で長男・文雄が殺され、次男は未だ南洋から復員せず、三男の文良は日本の戦争犯罪に加担した疑いで国民党の拷問を受け再び発狂し、民主化運動に参加していた四男の文清は国民党に逮捕される。それでも残された家族は、四人の息子をすべて失ったに等しい隠居した父(李天禄)を中心に食卓を囲み、黙々と食べ続ける。



1949年12月、国民党は台湾に移った。それから30余年を経て、台湾は民主化する。

この映画が作られたのはそのほんの数年後、蒋介石が台北に移った40年後だ。食べ続け、生き続け、そして台湾は真に解放された。

出世や成功の道を閉ざされて名もなきとは言わずとも地位なき画家になった久隅守景が到達した農耕画の世界はその世界の豊かな美しさに満ち、侯孝賢のそれ自体は残酷な歴史の悲劇である『悲情城市』は、悲劇であるにも関わらずだから根源的に楽観的な映画なのだ。

それは久隅守景が狩野派を離れ流浪の身で描き続けた絵の至った境地にも通じる。

11/27/2015

原節子(1920年6月17日〜2015年9月5日)



原節子が9月に亡くなっていたことを、親族が先頃公表した。二ヶ月以上黙っていたのは、本人が「騒ぎにしないで欲しい」と言い遺していたからだという、いかにも原節子らしい終わり方だった。42歳での突然の引退は、いろいろ憶測しても始らないと思う。

とはいえ、いろいろ言いたくなるのが人情というもので、東京新聞のコラムでは『東京物語』で原演ずる紀子が言う「いいんです。あたし、歳とらないことに決めてますから」と言う台詞を引用していた。http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015112702000171.html

だが『東京物語』の、このもっとも恐ろしく哀しい台詞のひとつが、ただ「永遠の処女」で42歳の美しさの絶頂で引退した原節子を修辞する言葉としてしか受け取られなくなったのだとしたら、確かに文字通り「戦後は終わった」のだ。

夫・昌二が出征したまま帰って来ない8年間、ずっと平山家の嫁であり続けて来た紀子と、息子が戦死したのかどうかすら分からない平山夫妻にとって、戦争が終わって8年のあいだ、時間は止まっているのだ。紀子が「あたし、歳とらないことに決めてますから」と言うのは、彼女の時間が止まっていることを示す言葉なのであり、平山夫妻が気を揉むのは、自分達はいいがまだ若い彼女を、この止まった時間のなかに留めたままでいいのだろうか、ということである。

『東京物語』の家族が崩壊するのは、次男と共に時間が止まったままの父母、そして紀子と、生活を続けなければならない長男、長女、三男の進み行く戦後日本の時間が、根本的に相容れないものであるからだ。と、同時に、空襲で焼け野原になったのがたった8年で大東京として復興していた東京を、その繁栄の裏にひっそりと戦争の傷を隠し続け、その両者が断絶を抱えながら共生している都市として、小津は映し出す。『東京物語』はそんな1953年だからこそ成立する日本の慎ましい肖像であり自画像であることをひっそり、分かるものにだけは分かるように秘めやかにあり続けているからこそ、普遍的な家族の物語として永遠に輝くのだ。


そして母とみは死に、父周吉は紀子に形見としてその時計を与える。もう紀子の時間が止まったままではいけない、と残酷な宣告を、最大のやさしさで伝えるために。


1945年8月15日から始る侯孝賢の『悲情城市』では、中心となる林家の四兄弟のうち、次男が日本の軍人としてルソン島に行っていて、そこから帰って来ていないままだ。これは侯の小津への密やかなオマージュなのかも知れない。

いや、『悲情城市』は1980年代の民主化でやっと台湾史のもっとも困難で残酷な時代(日本植民地から中華民国に復帰してから本土を追われた中華民国政府が台湾に移るまでの四年間)を語れるようになった侯孝賢たち台湾の映画人にとっての『東京物語』なのかも知れない。その四年間に始った苦難と戒厳令の時代が終わった時、それを忘れないため、語るために作られたのが『悲情城市』なのだから。

小津安二郎『麦秋』
侯孝賢『悲情城市』

台湾の人たちは、その暗黒の歴史が終わった時に、この映画と、『クーリンチェ少年殺人事件』(エドワード・ヤン)という二本の映画が産まれて幸運だったと思う。もちろんこの二本の映画が台湾で多くの人が見て来た作品では必ずしもないことも事実なのだが、それでも台湾の人々が自分達の複雑な歴史を見つめられているからこそ、今や東アジアでもっとも民主主義が定着している国になったのは間違いないはずだ。


それならわが日本はどうなのか、ということになる。原節子は10代で1930年代にデビューし、日独合作の『新しき土』(1937)で彼女を見たアメリカの大プロデューサー、デイヴィッド・O・セルズニックがアメリカに招いて世界的スターにする、と野心を燃やしたという伝説がある。それは日中戦争でどんどん日米関係が悪化するなかであり得ない夢となったが、原が文字通り国民的大スターとなったのは戦後、大柄で目鼻立ちのくっきりした、ある意味日本人離れした原節子の健康的な美しさが、新しい民主主義の時代を象徴するものにもなったからだ。

今井正監督『青い山脈』
黒澤明監督『わが青春に悔いなし』
小津安二郎が心底、恐ろしく知性にあふれる映画作家であるのは、そのいわば戦後の象徴であった原節子に、『晩春』(1949)『麦秋』(1951)では基本そのイメージに沿った役をやらせながら、決定打となる『東京物語』では、だからこそ真逆の存在として彼女を用いたことにある。その時、この映画では山村聡の長男、杉村春子の長女に代表される戦後の新しい日本の現実は、すでに原節子がそれまでの数年間体現して来た健康で無邪気に良心的なものでは、すでになくなっていた。

原節子はなぜ1962年に引退したのか?高度成長が始った日本において、既に占領が終わって新日本が始った1953年の時点で時が止まっていた紀子のような存在の、居場所はどんどんなくなって行った。戦後まもなくの平和と民主主義への歓迎すら、経済復興のなかで次第に色あせて行った。

成瀬巳喜男監督『山の音』
だから女優として別の役柄を選べばよかったという考えもあるだろうし、既に『東京物語』と前後して、『麦秋』と同年に黒澤明の『白痴』、『東京物語』の翌年に成瀬巳喜男の『山の音』、そして再び小津と組み笠智衆と親子を演じた『東京暮色』で、原は「戦後民主主義を代表する健康さ」とは真反対とも言える、異なった役柄を演じて来てもいる。

黒澤明監督『白痴』
だがそれでも、『東京物語』で紀子が体現した、保守伝統に囚われたという意味ではなく純粋に日本的な(と言っていいだろう)良心とやさしさとある健全な頑固さ(「それでいいんじゃよ。あんたは本当にいい人じゃ」の居場所が(すでに戦後が終わった時点で、だからこそ彼女の時間は止まっているのだ)、1962年以降の日本社会と日本映画になくなっていったのは確かだ。

それにしても今から見ると、原節子の絶頂期だった1949年から引退までの時代、日本映画は現代なぞよりもずっと女性の人格を尊重し、女性をきちんと人間として見る映画になっている。これも皮肉だ。

小津安二郎『秋日和』

11/21/2015

東京国際映画祭で考えた、映画がストーリー・テリングではなくなるかも知れない未来

マルコ・ベロッキオ監督『私の血に流れる血』
東京国際映画祭ではプレスパスをもらっているのにいささか後ろめたいのだが、つい自分の映画で招んでもらった映画祭と同じような感覚で、どんな記事を書くかとかの計画性もない行き当たりばったり的に見る映画を選んでしまった。

あくまでプレスなのに「今年の映画祭は」とか「今の映画の世界が」とかの立派な総論は言えそうにない。なにしろパスをもらってP&I試写の予定を見て、真っ先に予約を入れてしまったのが黒澤明の『乱』なのだ。30年前のこの映画が改めて「すごいな」と言うだけですっかり満足してしまい、すでにほかの映画は「もう見ないでもいいかな」とまで、つい思ってしまったのだから、まこと困った怠け癖である。

黒澤明『乱』について
http://www.france10.tv/entertainment/5401/

黒澤明『乱』
とはいえ、とりあえずフレデリック・ワイズマンやマルコ・ベロッキオのような大先輩の巨匠は勉強になるから見ましょうね、小栗康平監督の新作は藤田嗣治なんだからこれは最優先でやはり見ないとな、と心を改め、あとは毎年この東京映画祭の時期に会う、某映画祭でアジア映画のアドバイザーをやっている友人にオススメを訊いたら、たまたまフィリピン特集の『グランマザー』のポスターの前で立ち話していたので「これは絶対に見た方がいいよ」と言うわけで見たら凄かったので、この流れでフィリピン特集はなるべく見ることにしよう、そうだコンペやアジアの未来も見なければとなると、カタログで写真と説明を読んで、ブラジルの精神医療の革新的な実話ならとりあえず見よう、という感じなんだからいい加減なものだ。


だから「映画祭」の今年の評価を出来るわけもないのだが、結果としてたまたま題材に引かれて見たその『ニーゼ』が東京グランプリになり、そこでこの映画祭というより今の映画の世界の流れで気になることを考え始めてしまったのは、その『ニーゼ』とマルコ・ベロッキオの『私の血に流れる血』を、偶然にも同じ日に見たからだろう。

『ニーゼ』は1944年のリオデジャネイロの国立精神病院が舞台。ロボトミー手術や電気ショック療法が最先端だった時代に、女医ニーゼ・ダ・シルヴェイラは行動療法に絵画などの美術製作を持ち込む。重度の統合失調症で手のつけようがないはずの患者達が人間性を見せ始めるだけでなく、彼らの作品は美術界の注目を集めることに…という凄い実話を、手堅く、分かり易いヒューマニズム的な演出でまとめているのだし、文句のつけどころは特にない良質の映画だと思う。患者の病状やそれが変わって行く丁寧な描写も、まあ勉強にもなった。

『ニーゼ』(東京グランプリ受賞)
この映画の副題は「狂気の心(ないし狂気の核心)」だが、精神医療そのものをとりあげた同作に対し、同じ日の晩に見たマルコ・ベロッキオの新作ではまず17世紀の修道院で異端審問・魔女裁判が始る。つまり、見ようによってはこれまた「狂気」の話であり、そして映画として「狂気の心(ないし核心)」がはっきり、リアルに、触覚的に写っているのは、どう考えたって精神医療の現場を見せる『ニーゼ』ではなく、『私の血に流れる血』だった。

正直『ニーゼ』のなにがつまらなかったのかが、比較の問題でよく分かってしまったのだ。ストーリーは狂気、狂気の創造性こそが主題なのに、映画的にはその狂気がどこにも見えない、去勢され調教された「(愛すべき)病んだ人達」のサクセスストーリーにしか見えないのだ。治療と患者の心が開かれて行くプロセスもまたヒューマニズムの予定調和で、やさしく接したら患者の人間性が見えて来たからこの医者は偉い的な図式に過ぎず(まあ実際の医療の現場では、これ物凄く大事なことだけど)、なんというか…とても「健常者」的で、患者達も結局「見た目は変だがいい人」でしかない。

映画の中の美術評論家が「潜在意識こそ芸術の源泉」と言うが、彼らの作品が潜在意識を表象しているかのような暗号解読的な説明はあるものの、どれもまず普通にいい絵や彫刻であっても、「これが潜在意識の豊かな世界なのか」という感覚は、映画的な存在感を持って捉えられてはいない。いやいちいち言語化されて意識レベルに矮小化されてしまうから、絵の方までそう見えてしまうのかも知れないが、その絵画に「圧倒」はされない(それに対し『FOUJITA』で登場する藤田嗣治の戦争画にはやはり圧倒される他ないのだが、この作品については後述)。

 マルコ・ベロッキオ監督『私の血に流れる血』予告編

それにしてもこのベロッキオの新作では、いったい何が起こっているのだ?! ルネサンス時代の異端審問の展開は、イタリア中部の明るい初夏の光と修道院の暗がりが強烈な陰影のコントラストを産み出し、超一級のゴシック・ノワールとも言うべきスリラー演出が、次第にホラーの様相をも呈する。主人公の兄である神父はなぜ自殺したのか? 魔女かも知れない修道女の謎めいたまっすぐな眼差し、彼女の誘惑、そこになにが隠されているのか分からない修道院の禁域、彼女が彼に密かに手渡すその禁域の鍵に、一方ではその彼女をなんとしても魔女と断罪したがっている教会上層部の陰謀があり、どうもその黒幕はヴァチカンらしい…。

主人公が寄宿する屋敷には敬虔な未婚の姉妹が住み、その名はマルタとマリアという新約聖書ネタも出来過ぎだが、案の定若くセクシーな主人公の騎士の肉体的な存在が敬虔な独身姉妹を惑わし、その抑えられて来た性の欲望も…精悍な細面に髭と長髪の彼が寝台に横たわり、その両側に姉妹が寝そべるショットの照明はまるでカラヴァッジオ、男の姿はむろんイエスに重なり、一昔前なら教会に大弾圧されたんじゃないと思ってしまうほど謎めいた誘惑と徴発に満ちたこの映画のセクシーさはどうだろう?

ベロッキオは聖書やカトリック神学や教会史の闇をめぐる膨大な知識教養を駆使し、次々と提示される謎の鍵めいた要素要素に観客は映画に引きこまれながら、いつまでたっても全体像が見えて来ないまま、主人公も、そして観客も、どんどん視野が狭まって行き、まさに狂気の心、統合失調症的な感覚の内奥へと誘導され、修道院内の狂気の核心らしき禁域へと誘惑されて行く。いつまで経っても悪魔との契約の証拠を見せない修道女に、神父達のなかには「聖女」と心打たれる者も出て来て、そこでヴァチカンの黒幕の廻しものらしい院長が下す決断が、これまたあまりに残酷で狂っている。



ふとその日中に見た『ニーゼ』のことを考えてしまうのが映画祭体験の困ったところで、繰り返すがこちらの時代は1944年のブラジルだ。

病院の男性医師達がアイスピックで前頭葉を破壊するロボトミー手術や電気ショック療法で患者を大人しくさせることに成功するのは、もちろん当時の精神医学の支配的な傾向だったものの今思えばひどく残酷なわけで、ヒロインがそれに反発するのはいい。

だがそれが1944年のブラジル、つまりゼツリオ・ヴァルガスの軍事独裁政権下だったことは、知識があれば当然考えることだろうが、ブラジル近代史を知らない観客にとってはなんの関係もなく意識もされないままに、この映画は進行してしまう。

いや別に、そうした政治的・歴史的な背景の情報を、観客に明示すべきという意味ではない。

『私の血に流れる血』なら、1617年という冒頭の字幕を見落としても、イタリア史や西欧中世史を知らなくとも、修道院という特殊な空間に意図的に閉ざされた演出に、時代の抑圧と狂気が、知識の有無に関係なく観客にほとんど触覚的に伝わるように確かに刻印されていて、その緊張感のなかで我々はこの異端審問の行く末を見つめる。



だが『ニーゼ』の場合、彼女のやっていることが単に新しい精神医学であるだけでなく、ただ新しい芸術の創造であるだけでもなく、まさにヴァルガス独裁という政治的・社会的な文脈において強烈で革命的なインパクトも持つことが…ただ美術評論家の台詞で述べられる以外には、なにもないのだ。ただ病院の男性医師たちが権威主義で意地悪なだけにしか見えないのは、監督の演出力が足りないのか?脚本の世界観が未熟だったのか?いやどうも、分かる人には分かるだろう程度の情報は示しつつも、そこには極力触れたくないというのが意図だったように思えてならない。

それはニーゼのもとで芸術的天才を開花させる患者達が、統合失調というより見た目は変だが実はかわいい人たちに見えてしまうことにも共通した、作り手の側の意図的な態度なのかも知れない。言い換えれば、シノプシスを聞くだけですぐに想像がつくテーマ性のヒューマニズム的な結論の枠内に収まるように、観客が宣伝文句を見て期待した通りの「感動」に到達できるように、この映画が最初から作られているのではないか?果たしてそれが本当に「映画」なのだろうか?僕としてはニーゼ・ダ・シルヴェイラ博士の偉業を知れたのはありがたかったし、ブラジルで撮る企画も準備中なので参考にもなった。だがこの映画から、自分は本当になにかを「学べた」のだろうか?

黒澤明『乱』
驚きや学ぶところ、不意打ちなしに、映画は映画たりえるのだろうか?『乱』は、30年前の公開時以来ではなくさすがに何度か大人になって見直している映画だが、今回のデジタル復元版でも、新たに驚かされる発見がいくつもあった。黒澤の端正な演出と計算されつくされた逸脱に、今回ほど深く学ばされたことはなったかも知れない。

黒澤明『乱』
ところで『私の血に流れる血』の方は、異端審問裁判がクライマックスに達し、なのに真相どころか今なにが起こっているのかも、まだまだ分からない。そのまま突然、冒頭ショットと同じ角度から修道院の正門玄関ホールが写し出されると、なにか散らかっていて荒れ果てたように見える。それどころか門扉の狭間から覗き見ると、真っ赤なジャガーが駐車しているのだ。「しまった、やられた」とその時にやっと気付かされる。我々が固唾をのんで見守っていた異端審問も、伏線のように小出しにされて来た謎の鍵めいたディテールも、陰謀の匂いが濃厚に漂っていると我々が思い込んで来たのも、真相の探究も…

いや、そんな真相は最初からなにもなく、ベロッキオは観客の興味と注意力を釘付けにするためのいわばネタとして、深い歴史の知識と教養に根ざしたディテールを華麗な演出のテクニックとして駆使していただけなのだ。「騙された」と思う間もなく、今度は現代の観客がすぐ分かるドラキュラ映画のクリシェがひねったギャグとして提示されるに至り(犬歯の治療を求める伯爵と歯医者のとぼけた会話は抱腹絶倒もの)、我々は自分が騙されたことを痛快におもしろがるしかない。

映画のことを僕たちが「ストーリー・テリング」の芸術だと思い込んで来たとしたら、ここには超絶技巧と悪戯心に満ちた知性の詰まった「テリング」はあっても、ストーリーなんてなかったのだ。異端審問のストーリーから自動的に思いつくヒューマニズムや反権威主義、宗教や神秘主義のテーマ性なども、ただ我々が勝手に読み込んで思い込んでいただけで、映画それ自体とはなんの関係もなかったのだ。

だが逆に、観客が見たその主観を通してではない「映画そのもの」なんてものが、あり得るのだろうか?絵画なら、誰が見ないでも絵それ自体は物理的に存在している。彫刻も同じだ。だが映画はそれが上映されている瞬間瞬間にしか存在しないし、観客の主観と言うフィルターを通して以外には事実上ないに等しい(だいたい映画が連続した映像に見えること自体が、ただの目の錯覚だ)。「客観的」には、『私の血に流れる血』は実はばらばらのシーンが荒唐無稽に羅列されているだけだ。だがそのこと自体がストーリーを無自覚に追ってしまう我々の意識とデリケートに衝突し、その観客の脳内体験以外に、実は「映画」は存在しない。

アンジェイ・ズラウスキ監督『コスモス』
巨匠と言うには異端すぎるかも知れないが、大ベテランなのは間違いないアンジェイ・ズラウスキの久々の新作『コスモス』も、ベロッキオと同じ問題意識を共有しているように思える。この映画もまた謎解きミステリーの「テリング」はあるのだが、解明される事件の真相というストーリーは…こちらの場合はもう最初からなにもないことが自明なのが、イタリアとポーランドの文化の違いなのかも知れない。良くも悪くもズラウスキ、下品なまでに露骨であるが、ここまであっけらかんと、しかし技巧を尽くしてやられるとひたすらあっぱれで、なにしろ小説家志望の落第法学生が注目する謎が、そもそも最初から「なんじゃそりゃ」なのだ。

じゃあスリラーの謎解きは単なる言い訳で裏プロットがあるのかと思えば、確かに成り行きで主人公と同行することになる青年は明らかにゲイで、主人公のことが実は好きなのだが、ズラウスキ映画なのだしそういった性の世界が裏テーマなのかと言えば、なんとただのコメディ・リリーフである。ちなみに同性愛蔑視や差別をまったく感じさせず、ステレオタイプの分かり易くコミカルなゲイの人物なのにそれを尊厳を持って演出できるのは、大ベテランの見事なまでに余裕たっぷりの達観であろう。


我々は一方では「差別だ」と言われるのを恐れ、他方では一部観客のホモフォビアな本音にも配慮しつつ、妙に遠慮してくそまじめを装ってしまうし、まして観客をミスリードするための仕掛けに使うなんて思いもよらない。男女の恋愛なら平気でそれが出来るのに、である。これって差別意識ですよね?

COSMOS EXCERPT 01 EN from Leopardo Filmes on Vimeo.

ベロッキオが練達の奸智で観客の意表を見事につき続け、我々が勝手にミスリードの罠に自ら入り込むようにグイグイと「騙して」引っ張ってしまう最高級の文学的詐欺師だとすれば、『コスモス』は最上級の技量で音楽的に構築されたアール・ブリュットと言える。だいたい主人公が狂っているのは確かだし、二人が滞在するブルジョワ家庭の下宿屋の面々もみんな大なり小なり狂っている(唯一まともなのはゲイの青年だけだったりする)以上に、演出のテンポそのものが、見事にわざと狂わされている。というか、ここまで早口言葉な映画というのも珍しく、それもハワード・ホークス的な端正なスピード感ではなく、乱暴なまでに狂騒的な早口映画に、見終わったときに思わず「生麦生米生卵!隣の客はよく柿食う客だ!」と対抗して口走りたくなってしまった。

しかも変な造語がポンポン飛び出してはそれがギャグに昇華はされるし、落第法学生の文学青年がトルストイだのサルトルだのスタンダールだのと言い出すたびにゲイの青年が「誰それ?友達?」とかベタ過ぎるギャグも妙におかしいし、挙句にスタンダールの「赤と黒」の映画化のDVDを見て「ジェラール・フィリップっていい男だね」とか…もうギャグのクオリティではなくその密度が、異端の芸術である。

 COSMOS EXCERPT 02 EN from Leopardo Filmes on Vimeo.

スズメの首つり死体に鶏の首つり死体、次は毛を抜かれ食肉加工された鶏の首つり、グリンピースに突き刺さるつまようじ、斧、矢印などなど、きわどい精神分析・潜在意識触発系のネタもふんだんに登場し…そして、実は「ストーリー」も、そうした諸要素の解読から導き出されるべき「テーマ」も、なにもないのがこの映画の楽しさであり凄さだ。これもまさに「狂気の心」の体感体験ではないか?

 COSMOS EXCERPT 04 EN from Leopardo Filmes on Vimeo.

「テリング」すべき「ストーリー」をあえて確信犯で放棄したことで、ベロッキオとズラウスキは映画的としか言いようがない凄みのある狂気を堪能させてくれた。一方でものすごく可能性に満ちた主題を、ストーリーとその表層的なテーマの枠内でのみ語ったかのように見せかけるだけの、妙におとなしい映画が『ニーゼ』だった。

あるいはチベット映画の『河』や、フィリピン映画特集の多く(例えば日本におけるフィリピン人移民労働者たちを描く群像劇『インビジブル』や、地方農園の地主と小作の関係を描いた『バロットの大地』、どちらもフィリピンとフィリピン人の現実において重要なテーマの作品だ)も、やはり妙におとなしく良心的なストーリー性に収斂してしまい、その行きつくストーリーやテーマは最初から予想がつくレベルの一般論に終始し、もちろんいい映画ではあるが、しかし言うなれば観客が自分の善良な価値観を再確認してホッとできるような作品に終わっている。実はよく見れば明らかな矛盾があるのも(例えば『河』も『バロットの大地』も、前者は羊、後者はアヒルの飼育の話だが、大事に愛情を込めて育てた家畜を、いずれ殺して食べるという問題には、触れようとしない)、それに気づかせると観客が不愉快になるので避けているように見える。

Photo courtesy of Zipporah Films, Inc. www.zipporah.com
その点からするとやはり凄いのがフレデリック・ワイズマンだった。『ジャクソン・ハイツ』は意外性に満ちまったく今のアメリカ社会の全体像から想像がつかないシーンの連続ながら、それでも明確に「現代アメリカ社会の、そのステータス・クオの公正で精確な肖像」であり、しかも『At Berkley』以降の巨匠の新路線として、人類とその文明における重要な思想の意義を再検証・再確認させるテーマ性重視の作品でありながら、観客が体験するのは決して、「自らの価値観を再確認して安心」ではない。『At Berkley』では知性と教養、『ナショナル・ギャラリー』では美と芸術の価値を再確認したワイズマンがここでとりあげるのは、アメリカの存立理念そのものである民主主義と基本的人権と多様性だ。この最新作はかつてなく楽天的でやさしいワイズマン映画だが、しかし『ジャクソン・ハイツ』を見る我々は決してホッとなどしていられない。

『ジャクソン・ハイツ』評
 http://www.france10.tv/entertainment/5408/

むしろ映画が示す豊かな多様性を、豊かで多様で美しいと素直に思えるのかどうか、我々自身の限界が、穏やかに、やさしく、ゆったりと、しかしある厳しさと狡猾さを持って試されていく。たとえば生きた鶏がハラール(イスラム戒律仕様)のチキンに加工されるシークエンスがある。いやハラールと言って要するに鶏を屠殺するときにコーランを唱えるだけで、あとはまったく機械的作業だし、首を切られても鶏はまだバタバタ動いている、その新鮮な状態でどんどん加工されていくのだが、これをもって「イスラム教徒は残酷だ」と思い込みかねない間抜けな観客がいたとしたら、シークエンスの最後にその町工場の看板がちゃんと映り、スペイン語で「生きた鶏」と書かれている。つまりこのシークエンスが「残酷」に見えたとしても、宗教の風習はまったく関係がない。ヒスパニックの工場が多様化するジャクソン・ハイツの人口に合わせてムスリムにも対応しているだけであり、何教徒だろうが鶏にとっては残酷なやり方で加工されたチキンを、我々現代人は食べているのだ。

そうやって見ている自分が映画に試されながらも、『ジャクソン・ハイツ』は心から明るい気持ちで見られる映画だ。

IN JACKSON HEIGHTS Official Trailer from Zipporah Films on Vimeo.

近年のアメリカ都市部の土地バブルで、この多様性が具現した街がいつまで存続できるかもわからないし、その多様性も決して万全ではないし、それでもこの街がアメリカのなかで珍しくうまく行っている奇跡の街であることも痛感しつつ、我々はワイズマンとともにここに生きるあらゆる人たちを祝福してこの映画を見終わる。ラストで巨匠が、これまで自らに禁じて来たような編集によるトリックで、はっきり祝福の意思を表明する時には、心からの拍手で賛同してしまうだろう。いやそのエンディングが映画のインチキであり作り手の創作だと百も承知で、それでも祝福したくなる街がこの映画のジャクソン・ハイツであり、祝福すべき人々の日常が、ここにはある。

ワイズマンの映画は例えばジャクソン・ハイツのゲイパレードの準備、たとえば新移民がアメリカ社会に居場所を見出し定着していくプロセスといった、いくつかのストーリー的な縦糸で巧妙に構築されていて、そこにはまだ映画がストーリーテリングの芸術であり続けられるかすかな希望が残されていた。一方、本来の映画の映画らしい古典的なあり方、ストーリーとそれを語るテリングのフォルムが見事に一致した時に生まれる豊かさと美しさを、過酷で残酷で醜悪でさえある現実をしっかり捉えながら実現した作品が、先述の『グランマザー』、監督ブリランテ・メンドーサの2009年作品だが、この6年前の映画がまったく古びていないというより、むしろ今の映画のほうが古びて見えてしまうのも怖い。

ブリランテ・メンドーサ『グランドマザー』冒頭

6年前、まだ映画は僕らが考えて来たような「映画」であることが出来たのだ。いやこれだって、徹底的なリアリズムに根差し、時にそのリアリズムを逸脱した過剰さに踏み込みつつ(たとえばこんな大量の雨なんていくらマニラでも現実には絶対に降りませんよ)、しかし物語というか事件の顛末には「ありえないだろ!?」と思わず言いたくなるようなエンディングなのだが、なんとこんなとんでもない現実こそがフィリピンなのだそうで、これも一層の衝撃だった。しかも始末の悪いことに、我々の通常の道徳では明らかに「おかしい」結末が、しかしこの映画の世界ではもっとも合理的で妥当な結論としか思えなくなるのだから、まさに映画演出の王道である。我々の知らない現実を発見させ、その世界に生きさせ、学び、考える道具としての映画。だがSDのデジタル・ビデオ撮影で35mm変換のこの映画から6年後、2Kつまりハイビジョンないし4Kのデジタル撮影でデジタル映写が普通になった今、別にフォーマットの問題でもないだろうとは思いたいが、そんな力を映画は失ってしまったような気がしてならない。

我々はフィルムに慣れてしまった映画を通した現実の見方に変わる、新たなデジタルの映画の見方、見せ方を模索することもできないまま、妙に保守的な方向に引きこもってしまってはいないか?もちろんこれは、デジタル撮影でもフィルム的な質感を求めてしまいがちな自分も含めてのことだ。

そんななか、やはり今回の東京映画祭を代表する映画は、僕にとっては小栗康平の『FOUJITA』だった。

小栗康平『FOUJITA』予告編

正直、僕はデビュー作『泥の河』(これは80年代日本映画の最も美しい一本に入る傑作だ)以外の小栗映画はそんなに好きではなかった。僕の「映画」に関する考えがやはり古くさいものだからなのかも知れないが、小栗的な、例えば俳優の「生き生きした演技」を求めない、むしろ人物も事物も風景も等価に見せようとして俳優の存在感を抑え込んでしまう演出論が「映画的でない」と思ってしまって来たせいかも知れない。それはフィルム的ではないのかも知れない、という疑念は今でも変わらないが(小栗の全作が近所で上映されるので見直しているところだ)、デジタルという新たな素材において、まさにその質感にぴったり合った、デジタルがフィルムの不完全な代替品ではないと確信できる新しい表現が『FOUJITA』には満ち溢れているし、むしろ人物も事物も等価に映し出そうとする小栗の試みは、デジタルのほうが明らかに成功している。その主題が絵画、それも藤田嗣治という選択も驚くべき知性だ。

デジタル技術の映画製作における使われ方は、まず特殊撮影効果や合成で、だから実写映像っぽく見えるアニメーションを作ることが必然であるかのように発展して来た。藤田嗣治という画家を取り上げることで、小栗はこの映画のデジタル利用の最初の一歩の大きな誤りをあっけらかんと示し、しかも最初のたった2カットで己の正しさを証明してしまう。


ファーストカットはパリのアパルトマンの中庭に建てられた藤田の木造二階建てのアトリエ外景で、猫が屋根を歩いて横切るのは藤田の猫好き伝説への目くばせ(そしてこの映画で猫が映る唯一のカット)だ。そしてセカンドショットでは、そのアトリエのほの暗いなかに、台所の白い壁とそこに掛けられた食器、テーブルがほんのりと浮かび上がる…と思ったら、やがて藤田の乳白色の時代の静物画だったことに気づく。「あっ!」と驚きとともに気づかされる。デジタルは写真動画とアニメーションの境界を曖昧にしたのではない。実は絵画と写真の境界をこそ、なくしたのだ。

このセカンドショットの静かな衝撃から逆算すると、ファーストショットは完全なデジタル絵画だった(ちなみにアトリエの内景外景ともに、実はスタジオでのセット撮影だ)。かつてまだデジタル技術がここまで完成されておらず、フィルム転写にも限界があり、かといってデジタル映写が映画館の大スクリーンには耐えられなかった頃、エリック・ロメールが17世紀の時代物の背景を全部絵画にしてしまう、当時は突拍子もなかった実験をやっていたが、実写との合成技術も進化し、処理できる情報量も飛躍的に増え、そして映写がデジタルになった今では、実は絵画である映像を実写のなかでここまで「自然」に見せることが出来てしまう。そのデジタル映写のなめらかで平板な表面性を、小栗は最大限に活用する-あたかも藤田の20年代パリ時代を特徴づける、乳白色の半透明な膜のような質感みたいに。


この新しい表現、写真と絵画の融合が時間性を持って提示される体験を、もはや映画と呼んでいいのかどうかすら分からない。これは絵画に時間性を付与した新たなデジタル芸術なのかも知れない(小栗映画なのだから、動きは運動の表現ではなく、ましてストーリーを展開させるためのわけもなく、時間の経過のために起こっているのは言うまでもない)。ただこれが新たな未来の方向性を提示しているのは確かであり、それが今後映画となるのか、映画がまた違った方向に進むのかは今はまだ分からない。

いや今いちばん心配なのは、映画がこの現状の停滞のまま、滅びて続けてしまうことなのだけれど。



と、ここでついまた『ニーゼ』に話が戻ってしまうが、ニーゼ・ダ・シルヴェイラ博士は自分の患者たちのことをユングに報告し、その助言と励ましに大いに触発されたという史実があるのに、この映画で展開されるユング理論を援用したはずの患者作品の解釈は、なんだかフロイト的なレベルに終始しているのも疑問だった。


一方、小栗康平は藤田嗣治を「徹底した近代合理主義者で個人主義者」と言っていて、つまりはフロイト主義的な人物なのを、小栗の映画は決してその近代主義的なスペクトラムではとらえようとしない。ユングの名前なぞ誰も口にしないのに、『アッツ島玉砕』と『サイパン島同朋臣節を全うす』の二枚に挟まれた戦争画の時代は、明らかにユング的な視点で映し出され、そのなかで自らの個人主義にこだわったはずの藤田という「個」はどんどん、その時代の「日本人」ではなく「日本そのもの」に取り込まれ、同化するかのように曖昧になっていく。

藤田嗣治『サイパン島同胞臣節を全うす』東京国立近代美術館
20年代パリ、乳白色の時代の藤田はその白い肌の裸婦像で人気を博すが、それを描く藤田はなにか醒めているし、小栗の映画はと言えばだから乳白色のスタイルに映像を似せるなんて分かり易い真似はせず、しかし例のセカンドショットの台所と、もう一枚の静物画以外には、裸婦画などは単なる小道具のようにしか映さない。いや、これは僕の偏見もあるのかも知れないが、映画でも、本物の絵でも、乳白色の時代の、あたかも半透明な膜で覆われたかのようなスタイルの藤田作品は、静物や無人の家の情景の方が、ずっと強烈な存在感を持って見えてしまうし、映画でもそうなっている。

あるいは、決してスタイルの模倣ではなく絵=画面としての在り方が、藤田のそれと小栗の映画のそれが一致しているとも言えるのかも知れず、言い換えれば小栗映画では人物と事物は等価に映し出され、運動は動きやアクション、ストーリーの展開ではなく時間の経過のためにそこにある、その本質が藤田の乳白色の時代の「狂気の核心」と重なっているせいなのかも知れない。それが藤田という個の作り出した表現という意味では個人主義なのかも知れないが(ちなみに彼は生前、独特の白を出すテクニックは自分の表現だからということで、誰にも教えなかった。解明されたのは死後の修復作業においてだ)、反人間主義的な表現であって、よってフロイト主義的な個人記憶・集団記憶の枠内に収まらないのも確かだ。

そんな藤田が『アッツ島玉砕』について「画家だから戦争の情景は描けない、描くのはあくまで人間」というのは一見矛盾して聞こえるが、彼はあくまで「だが戦争には動きがあり、動きを描くのには腕が要る」と絵画の技巧の問題としてのみ話を続ける。戦場の残虐の本質を描き切ったとしか見えない『アッツ島玉砕』が戦意高揚絵画として「活躍」した当時の日本も謎だが、その謎が心理主義をまったく排除している藤田の言葉の謎と重なるとき、戦後藤田が「戦争協力者」と弾劾された際の議論の一切が無効化する。ここから始まる戦争絵画の時代編の『FOUJITA』をどう解釈するのか、これから公開されるのだし謎解きめいた解釈ごっこは控えたいが、「狐の意味が分からない」という声も大きいのでこれだけは言っておこう、「ユングですよ」と。



言い換えれば、「徹底した、骨の髄からの近代主義者」の藤田嗣治を描くと口では言いながら、小栗康平の『FOUJITA』は完全に近代主義の物語芸術としての従来の映画を逸脱している。『サイパン島同朋君節を全うす』の準備中に藤田がサイパン島の玉砕の模様の写真や映像を見るのは史実としてはあり得ない(米軍が撮影した記録フィルム、それも昨年公開されたカラー版)のも、もちろん意図的だし、この作品が近代主義を逸脱し超越している以上、およそ批判されるべきポイントではない。ただその行きついた先こそが現代映画なのか、それとも小栗にとって『泥の河』の加賀まりこと「きっちゃん」母子への回帰、つまりは近代以前の古来の日本そのものの亡霊への回帰なのかは、今は分からない。ただ終幕に『サイパン島同朋君節を全うす』が映し出されるその見せ方も、タルコフスキー的でありユングであると同時に、死も屍も水も、生ける人間としての個が消え去ることも、それが過去なのか未来なのかは未だ不明だが、とにかくすべてが、本来の「日本そのもの」である。

最後に指摘しておくと、一般に乳白色の時代編と戦争画の時代(あるいは濃褐色の時代)編の二部構成と言われている『FOUJITA』は、どう見ても三部構成だ。この映画が見せる藤田嗣治ないしレオナール・フジタの時間は、30代と還暦前後だけではなく、最後は80歳の時間なのだ。ここはフランス語で年号と年齢を書きレオナールと署名しているところに、ちゃんと日本語字幕を入れた方がいいと思うのだけど。なおちなみに、この第三部80歳のパートは、明らかに第一部で藤田がフランス中世美術の至宝「貴婦人と一角獣」のタペストリーを見るシーンと呼応している。この映画で絵画がただの小道具でなく絵画としてはっきり映されるのは、藤田作品以外では、このタペストリーと、あとは能面、そして歌麿、広重だけだ。

藤田嗣治『アッツ島玉砕』東京国立近代美術館