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12/21/2015

雪舟等楊 『秋冬山水図』(国宝)公開中、23日天皇誕生日まで


またまた展示終了前のギリギリのブログ告知で申しわけないのだが、室町時代の禅画、とくに水墨山水画の最高峰、雪舟の『秋冬山水図』が公開中だ。

雪舟等楊『秋冬山水図』秋(国宝)15〜16世紀初頭

東京国立博物館・本館2階 国宝室、23日の天皇誕生日まで

15日からの展示で、一週間強の短期間なのは、作品保護のためでもあるのだろう。

雪舟等楊『秋冬山水図』冬(国宝)15〜16世紀初頭 東京国立博物館

ちなみにこの後、1月2日からの新年の国宝室展示は長谷川等伯『松林図屏風』

『秋冬山水図』はもちろん国宝であり、同じく東京国立博物館の所蔵する『破墨山水図』と、京都国立博物館の『天橋立図』、毛利家の所蔵して来た『四季山水図巻』(山水長巻・山口県防府市の毛利美術館所蔵)と並ぶ、雪舟の恐らく晩年期に描かれた、最高傑作のひとつだ。

雪舟等伯『四季山水図巻(山水長巻)』15世紀末(国宝)
日本絵画史の屈指の傑作『秋冬山水図』は最近、裏打ちを張り替え表装をやり直した修復・大修理を経て、500年前の和紙に墨で描かれたその濃淡の無限の広がりや、雪舟の筆の勢いが、鮮烈に歳月を超えて残っていることにあらためて驚嘆させられると同時に、細部までよく見えるようになった雪舟自身の天才に改めて瞠目させられる。



いやこれはもう、単に「才能」の次元で語るべきものではあるまい。

雪舟は禅僧であり、水墨山水画は枯山水庭園と同様、ミニマルな手段のなかに世界全体ののありようを閉じ込めた、宗教的、ないし哲学的な意味を持ってもいる、瞑想の契機となるものでもある。

龍安寺 方丈石庭(史跡・特別名勝)16世紀初頭 京都市
もしかしたら密教の両界曼荼羅も意識したのかも知れない、しばしば左右対称に並べて掛けられ鑑賞される二幅の、それぞれに秋と冬を描いた縦長の、空と山と川、木、そして楼閣が、さりげなく左右対称も踏まえて配された構図のなかには、あえて春と夏が排除されているからこそ際立つ四季の循環と時間の永続姓が封じ込められつつ、かつ描かれた瞬間の筆の勢いが見て取れることから、瞬間的な即興性の表現にもなっている。



いわば密教絵画における曼荼羅か、それ以上の意味を持つのがこうした山水画なのかも知れず、一瞬と永遠が、一見なにげない二つの風景のなかに奇跡的に同時に存在していて、それが今や500年の歳月を経てなお新鮮であることそれ自体にも、またより深い、言葉になり得ぬ意識と感慨が付加されるのかも知れず、現代にこそより深い瞑想や思索に誘う絵画なのかも知れない。


雪舟は間違いなく日本美術史上のもっとも重要な画家の一人であろうが、それだけで語れる存在でも実はない。

平安朝初期に遣唐使だった空海、最澄が学んで来た真言宗・天台宗の密教が日本の公式仏教として確立し、摂関政治の最盛期には阿弥陀信仰・浄土思想が中世初期にかけて貴族から庶民まで階級を問わず流行する。その中世の日本が武家政権の時代に移行してまもなく、中国から伝来し、とくにその武家に受け入れられたのが、当時の中国でも新しい仏教の潮流だった禅宗であり、空海、最澄の時代に最先端だった密教と同様、中国からもたらされた最新の総合文化体系でもあった。

その禅の文化として伝えられたのが、ただ信仰や哲学だけではないのは、飛鳥時代の朝鮮半島からの仏教伝来、推古帝の遣隋使がもたらした中国からの直輸入の文物と技術、遣唐使によってもたらされた唐風の仏教文化が花開いた白鳳時代と平城京、そして空海・最澄のもたらした密教と同様だ。日本文化は常に、中華文化圏のなかの交易と交流の大きな流れのなかで育まれて来たものでもある。

たとえば唐様とも呼ばれる禅宗様建築では、中国風の急勾配の反り返った屋根を日本の木造建築で再現するために技術の粋が極められた。

禅宗様(唐様)建築の典型作例、地蔵堂(国宝)
金剛山正福寺 東京都東村山市 1407年
喫茶の風習も禅の文化の一部として渡来し、安土桃山時代に天才・利休の登場で茶道として独自の発展を極めるものの、本来は中国伝来であってまず龍泉窯、景徳鎮といった中国陶磁が珍重された。

青磁茶碗 銘 馬蝗絆 (重要文化財)南宋時代 龍泉窯 13世紀
足利義政 所用 東京国立博物館
利休の天才のひとつは、朝鮮の民具であった陶磁器の三島茶碗、井戸茶碗に独自の美を見出したことだ。

名物大井戸茶碗 銘 有楽 (重要美術品)李氏朝鮮 16世紀
織田有楽斎旧蔵 東京国立博物館
雪舟がその頂点を極めた禅画の山水図は、南宋の宮廷画家・夏珪の創始した絵画様式が中国の禅僧・周文によって日本にもたらされたものだ。

はっきり言えば、我々がなんとなく「和」だと思っている水墨山水画は、元をただせば中国模倣以外のなにものでもなく、秋冬山水図にしても簡略化して描かれた楼閣は中国建築だし、秋の方では中景の山陰に描かれた二人、冬では前景で坂道を登る農夫、いずれも中国風俗で描かれている。

雪舟等楊『天橋立図』16世紀初頭(国宝)京都国立博物館
明治以降、急激かつ人工的な近代国民国家像を作り上げる上で強調された歴史観は、「日本独自」を強く誇張しようとしたものだが、裏返せば遣隋使、遣唐使以来かそれ以前(邪馬台国や、「漢委奴国王」の金印)から中国の朝貢国で、常に中国の影響を受けその文化を輸入して来たことを誤摩化す歴史観でもあった。

「画聖」とまで言われた雪舟の確立したものは、その後安土桃山時代には狩野派に引き継がれ(人物を中国風俗で描くといった約束事も含め)、江戸時代の文人画に至るまでその影響は明らかだが、それが中国絵画、とくに宋朝の風景表現の系譜に属するものであることは、今日に至るまで日本ではあまり意識されていない。

江戸時代後期の北斎、広重らの浮世絵風景画がオランダ渡来の西洋画の遠近法を応用しつつそれを独自に、かつ大胆に発展させたことは、さすがに昨今では知られるようになりつつあるが、その北斎や広重にしても雪舟からの中国山水の伝統もまた引き継いでいることも、なぜかあまり指摘されない。

『秋冬山水図』冬(部分)
まして雪舟自身が明朝の中国に3年ほど留学していたことでさえ、あまり注目されていないのだが、だから雪舟の作品は中国本土にも残っていて、なかには日本にはほとんどない人物画もある。

『秋冬山水図』秋(部分)
いや雪舟がただものではないのは、その作品に賛を寄せているのが、当時の明朝の最高位の禅僧や文化人だったり、皇帝自らが謁見し、その才能を称えて高い位を授けていたりすることだ。

雪舟等楊『破墨山水図』明応5(1494)年 国宝 東京国立博物館
「日本の独自の文化」に明治以降(たぶんに不自然に)固執したあまり、雪舟の作品の認知度は、日本国内と海外では日本研究者に限定されがちだった。昨今、その流れは変わりつつある。中国本土の研究者や、水墨山水画の実作者たちが、南宋風景画の完成者であり最高峰として再評価し、注目し始めているのが、他ならぬ雪舟なのだ。

だが雪舟が明朝の中国に渡ったのは、室町将軍・足利義満の始めた日明交易のなかでのことでもある。これが外交形式上柵封体制の国交であったことから、皇国史観では義満はほとんど国賊扱いだったし、現代に至るまで一般の評価は芳しくない。

この様な狭量な近代主義のナショナリズムの歴史修正主義のなかで、日本が産んだ屈指の天才・雪舟の国際的な評価が妨げられているとしたら、なんとも珍妙だし、もったいない話でもある。

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