最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

2/07/2015

イスラム国による人質事件の真相


ヨルダンが日本に巻き込まれる展開になったイスラム国人質事件は、巻き込んだ側の日本がイスラム国の巧妙な心理戦で完全に蚊帳の外に置かれたまま後藤健二氏が殺害されるに至ったが、今度はヨルダンのアブドラ国王が訪米中(日本の圧力とはいえ、「テロリストとの取引」に応じかけたのを気にしたのだろうか?)に、昨年12月24日以来イスラム国の捕虜となっていたヨルダン空軍のカサースベ中尉が、アメリカの言いなりで同じアラブ人のムスリムを空爆した(つまり焼き殺した)罰を受け、自らも焼き殺された、という筋立てのビデオが公開されるに至った。

後藤氏殺害映像の後は、今度はイスラム国は中尉が米軍の空襲で殺されたと発表するのでは、と言うのが僕の予想だったのが、さすがに想定外の結末は、はるかに凄惨だった。しかもこのビデオは、どうも予め入念に準備されていたらしいことが、その凝った演出を見ても明らかで、およそヨルダンとイスラム国の人質交換交渉が決裂した1月29日からの数日間だけで準備出来るものには見えない。

そしてヨルダン政府は、中尉はすでに1月3日に殺害されていたと発表した(根拠は今のところ明らかにしていない)。

このヨルダン政府の発表が事実であれば、イスラム国の要求に日本がヨルダンを巻き込んでしまってからの展開は、中尉が最初から亡くなっていた前提で、一から検討し直す必要があるだろう。

現時点では、日本をはじめ海外メディアの取材でも、ヨルダン国営放送でも、ヨルダンの人たちは「焼き殺すなんてイスラムに反する」と言った程度のコメントしかしていない(出来ない)が、イスラム国の出したビデオの実際のロジックには、教義的にほぼ完全な整合性がある。

ビデオはアラブの同胞であるスンニ派ムスリムをアメリカに命じられた空爆で焼き殺した中尉が、その罰として同じ目に遭う、かつ呪われた罪人が神に焼き殺されるべきであるから、正統カリーフを名乗るイスラム国が代わりに焼き殺した、神罰だ、という構成になっている。

実際に、ヨルダン空軍も参加している有志連合の空爆は、イスラム国支配地域で生活している普通のアラブ人も焼き殺している現実がある(国際メディアは一致して無視しているが)。中尉はその罪をまず告白し、自分たちがやった空爆で破壊された場所を見て、そして自分が落とした爆弾の犠牲者と同じように(目には目を、の同罰賠償原則に従って)殺される。

ヨルダン人を始め、アラブ人のなかには、このビデオのメッセージ性をただ「残虐」とだけ受け取っているわけではない人も、決して少なくないだろう。なるほど、イスラム教では遺体を焼くことですら基本はタブーだが(とはいえ火葬をする国や地域だってある)、それは「焼き殺す」ことが、「神」が「罪人を」に限られるからだ。

中尉が焼き殺されたのはただ「残虐」なだけではなく、また「死者に対して侮辱的」とのみみなされるわけでもない。一方では「神罰」の意味も持っているのだ。

神学的に唯一問題なのは、神でなく人である彼らが神に反した「罪人」を焼き殺したことが、人が神の領域を犯した冒涜になるかどうかだけというのが、あくまで理屈ではそうなる。

あくまで理屈では…というのは言い換えれば、理論的にはそうなっても、敬虔な宗教者の感覚で至れるロジックでもあるまい。このビデオの製作者はイスラムの教義を旧約聖書からコーランまで、知識と教養として熟知してはいるが、心から信仰しているわけではないように思われる。

イスラム国はその名称から宗教原理主義の運動と受け取られがちだし、その前身がイラクの聖戦アルカイーダだったとなれば、ますます「狂信的なテロリスト」の印象を一般には持たれるのだろうが、今はアルカイーダとも訣別しているイスラム国において、宗教支配は実際にはひとつの「いいわけ」でしかないのではないか?

むしろイスラム国を宗教原理主義に基づく過激派だとみなすのは、恐らくあまり正確な認識ではない。理屈では宗教的に整合性はあるが、感覚的には敬虔な人ほど受け入れ難いこのビデオを構成している論理にも、それは現れているように思える。

この「建国運動」を実際に動かしている中枢の権力構造は、 旧フセイン政権つまりイラク・バース党の残党であり、アメリカのイラク戦争とその庇護で成立したマリク政権に追われた元官僚、元政治家、元軍人たちが掌握している。バース党運動は元々、非宗教・世俗主義のアラブ民族主義運動だ。その主張は汎アラブ主義であると同時に反ヨーロッパ、反植民地主義、湾岸戦争後には明確に反米も加わり、たとえば具体的には第一次大戦中に英仏が交わしたサイクス=ピコ密約(英国が支援したはずのアラブ独立運動を裏切った二枚舌外交である)に基づく現状の打破という主張は、そのままイスラム国に引き継がれている。

この点で、イスラム国を「テロリストだ」「過激派だ」というレッテルで見くびるのは根本的に間違っているし、危険な傲慢さでさえある。イラクは英国の決めた国境線の不合理で、民族や宗派宗教が複雑に入り組んだ人口構成ゆえにほとんど統治不能とも言わる国だし、現に今や完全に破綻国家になってしまっているが、その国を数十年に渡り、民族や宗派間の勢力バランスを巧妙に利用して統治してきた「独裁」が、サダム・フセイン政権だった。

イスラム国にはその政権を支えた戦略や方法論、奸智までがそのまま引き継がれていると考えた方がいい。

なにしろイスラム国の支配地域には報道が入ることがかなり難しく、全体像は分かりにくいとはいえ、倫理警察や宗教裁判、さらには公開処刑も駆使した恐怖政治の一方で、配給など民生部門を充実させる統治手法は、警察国家であったと同時に社会の平等性に配慮して福祉などは重視し、湾岸戦争後の経済封鎖の下では配給を充実させ、民衆の人気も集めていたイラク・バース党の手法を、そのまま踏襲しているようだ。

相手を「野蛮なテロリスト」だと見くびっていた日本政府が、この人質事件を通じて一貫してただ翻弄されただけたったのも無理はない。相手は独裁体制の統治に極度に習熟し、人心操作には経験豊富であるだけでなく、外交や謀略、心理戦や情報戦にかけても、そして戦争についても、プロ中のプロの、狡猾で有能な官僚や軍人の集団なのだ。

ヨルダン政府の発表を信用するなら、その彼らは1月3日までにはこのカサースベ中尉殺害の映像を撮影し、凝った編集や特殊効果を加えつつ、最適の発表のタイミングを待っていたことになる。いやこの明瞭なメッセージ性を持ったシナリオの準備から考えれば、中尉を捕縛した時点ですでにこのビデオの製作は動き始めていたのかも知れない。

ちなみに一般にメディアでは中尉が捕縛された時点の姿として報道されて来た写真は、実際には空爆の被災地を見るよう強要されている写真だそうだ。

カサースベ中尉殺害が明らかになったのを受けて、ヨルダン政府が即座にその死を1月3日だったと公表したのは、ひとつには後藤氏の殺害後に中尉も殺されたとなると、いかに多額の援助を受けて来たとはいえ、いやだからこそその札ビラで恩を着せた傲岸不遜な日本政府の言いなりになって奔走し、最後の最後で国のプライドを前面に押し出し中尉の安否確認を優先させて死刑囚を釈放しなかった結果、逆に中尉まで死なせたアブドラ国王の、かなりだらしなく、行き当たりばったりにしか見えなかったやり方が、国民の不信を買いかねないからでもあろう。

ヨルダンは、民主主義の国だとはおよそ言い難い。

歴史的に交通の要衝で、イスラエル独立後は多くのパレスティナ人も受け入れて来たこの国は、様々な部族が入り交じり、およそ強固な団結や政権基盤があるとは言い難い。権力の基盤が弱いからこそ言論の自由を担保できず、大っぴらには政府を批判する言説が口にされることが珍しい一方で、国民はアメリカの言いなりになる政府や国王を本音では「しょうがない」とは思いつつも、ほとんど信頼していない。

そんなヨルダンで既に、まだ散発的とはいえ政府批判のデモや暴動が起きている現実は、日本や欧米のメディアが「ヨルダン国民がイスラム国に怒っている」と一生懸命に自分たちに都合良く報じていることよりも、はるかに意味が重い。たとえばカサースベ中尉の出身地ですでに警察署が怒った民衆に焼き討ちされたりしているのだ。

いや一見、政府と国王を支持しイスラム国に復讐を誓うように見えるデモでさえ、国民のあいだにたまった不満が噴出しているそのハケ口に、今は形だけ政府支持の看板を掲げているだけだとみなすぐらいの慎重さも、今はむしろ賢明に思える。

やがてはこの「殺害ビデオ」が実際には「天罰ビデオ」であることも、じわじわヨルダン世論に効いて来るかも知れない。

少なくとも、ここまであからさまなメッセージ性に目をつぶって、ただイスラム国は残虐だ、残虐だと舞い上がりながら、ヨルダンで日本が引き起こしてしまったことの結果に、自分たちに都合のいい楽天的な解釈だけを当てはめることは、およそ賢いことではない。

この際、日本ではしっかり冷静に反省すべきことがある。

果たして日本を含む世界のメディアや、日本政府は、イスラム国の狙いや意図を正確に把握した上で論評したり、対策を練ったりすることが出来ていたのだろうか?

結果から見れば、事実はまったくの真逆だ。

まず最初の脅迫ビデオから、中身をよく見れば身代金要求声明だと断ずるのは難しい内容だった。あくまで安倍がカイロで「イスラム国と戦う国に2億ドル」と演説したことを、ムスリムの家を焼きムスリムを殺すための2億ドルと断じ、その2億ドルは自国民二人(湯川氏、後藤氏)に使え、と迫っているだけで、自分たちに払えとなどは一言も言っていない。

なのに政府もメディアも身代金要求だと思い込んで、そう断言した前提でしか予測や推論が出来ていなかった。

身代金の支払いに関しては、日本政府の立場からすれば絶対に公言は出来ないことであり、メディアが配慮して報道を控えたのも当然とはいえ、後藤さんの同僚や仲間でもあったフリージャーナリストを中心に、本当に日本政府には身代金を払う気がないのだと思い込み、身代金交渉の仲介をおおっぴらに申し出た人も出て来たり、猛然と批判やデモまで始めた者までいたのも、まったくの勘違いであり世間知らず・国際常識無視の間違いだった(よくこれでジャーナリストが務まるもんだ)。そもそもそれ以前にイスラム国には身代金など最初から興味はまったくなかった点で事実誤認でしかなく、一方で日本政府の方こそ、ここで人質を殺されては政府の支持率が下がるのを恐れ、なんとしてでも身代金を払って解決しようとしていた。

イスラム国が要求は身代金でないと確認(要求を変えたのではなく、誤解をといただけ)し、改めてリシャウィ死刑囚の釈放を要求すると、今度はこの死刑囚がイスラム国にとって重要な同志であるテロリストだから救いたいのだ、とテレビに出る「識者」たちや新聞報道は言い続けた。

結果からすれば、これも完全な間違いだった。

むしろイスラム国は、ヨルダンが報復として彼女を即座に処刑せざるを得ないほどの強烈なメッセージ・ビデオを最初から準備していた(つまり彼女の生死は最初からどうでも良かったのだ)。

つまりイスラム国の目的は最初から身代金でもなかったし、「同志」である爆弾テロ実行犯生残りを釈放させて救出することでもなかった。

日本への脅迫はひたすら日本政府をキリキリ舞いさせ、愚弄し、もてあそび、要するに安倍首相を徹底的にバカにすること、ヨルダンが巻き込まれて以降はひたすらヨルダンの国民感情を刺激してヨルダン政府を追いつめることが目的だったのだ。

こんなのは最初から、冷静に考えればすぐに気づいたはずのことだ。こういうと自慢めいて聴こえてしまうだろうが、現に僕は事件の顕在化当初から、一貫してそう指摘し続けている。

なのになぜメディアに登場する識者の皆さんまで、まったく見当違いのことを言い続けたのだろう?

少なくとも自分たちがなぜまったく間違った分析(というか露骨な偏向報道)に固執してしまったのか、政府の対応だけでなくメディアの在り方、世論の動きも、この際冷静に再検証しなければなるまい。

それも出来ないようでは、安倍首相が言い張っているような「テロと断固と戦う」「屈しない」「許せない」「償わせる」、そんな全てが日本国内の内輪で響き合うだけの空虚なかけ声にしかならず、かえってイスラム国の仕掛ける巧妙な心理戦の術中にどんどん嵌って行くだけだ。

ところでヨルダン政府がカサースベ中尉の死を1月3日だと言っていることに関連して、日本側の動きについてどうしても考えなければならないことがある。

外務省からの最近のリークによれば、政府と首相官邸が対策本部をアンマンに置くことに合意したのは、カサースベ中尉とリシャウィ死刑囚の交換交渉があったのを知っていて、ヨルダン政府の持っているパイプを利用できるのではと考えたから、と言うのだ。

にわかには信じ難い話である。

ヨルダン自体が中近東のいわば「ふきだまり」、スエズ運河が出来る以前は地中海から紅海に抜けるほぼ唯一のルートであった海のシルクロードの重要な港アカバもあり、アンマンはエルサレムにもダマスカスにもバグダッドにも古代から街道で繋がっている交通と交易の要衝だった。現在のヨルダンはイスラエルとすら国交のある全方位外交の国でもあり、その首都アンマンでは中近東の各国政府の諜報機関だけでなく非合法組織を含む様々な組織・運動体の人間が入り混じり、イスラエルのモサドさえ出入りするいわば「スパイ天国」になっている。だからこのような事件の現地対策本部を置くならアンマンというのが常識だ。

ところが内閣と官邸では、どうもトルコと結んでアンカラの駐トルコ大使館に対策本部を置くべきだ(トルコは「親日国家」だから、とか?)という意見が強かったらしい。トルコ諜報部はイスラム国とのパイプを持つと噂され、以前には自国の領事館員49名を解放させた実績もあるとはいえ、アンカラにいれば入って来る情報はトルコ政府が日本に供与しようとしたものに偏って限定されてしまい、完全におんぶに抱っこになってしまう。だいたいトルコ政府が日本に協力しないと判断すれば、なんの情報も入って来ずまったくのお手上げだ。

官邸が本当にそんなアンカラ案を主張したのだとしたら、「特定秘密保護法」まで決めたはずのこの人たちは、スパイについても国家の機密情報についてもあまりにもド素人でなにも分かっていない。 
彼らの無知なのに呆れるほどの暢気な傲慢さは、国家を危機に晒しかねない。

外務省の中東担当部署からすれば、常識的にアンマンが対策本部を置く最適地と判断するはずが、国会での安倍首相の答弁を聞いて耳を疑った。首相はトルコの大使館(つまりアンカラ)の選択肢にも言及した上で、「ヨルダン軍の高い情報収集力」を信頼してアンマンと判断した、というのだ。

そうなると、日本が最初からヨルダン政府とイスラム国のあいだに一応あった、捕虜となったカサースベ中尉と自爆テロ事件生残りの死刑囚リシャウィの交換交渉を、いわば乗っ取るか横取りする狙いでアンマンに対策本部を置いたのだ、という普通なら冗談にしか思えない、およそ現実性に欠如した与太話に見えたことも、がぜん信憑性を帯びて来る。

安倍首相が外交や国際政治、安全保障の常識から乖離した “不思議ちゃん” の面目躍如で「ヨルダン軍の高い情報収集能力」と言ったのは、このヨルダンが抱えていた人質交渉を差した発言以外には考えられない(「ヨルダン軍の高い情報収集力」ってなんだよそれ?タチの悪い冗談か?)

いやそうは言っても、日本の政府がいくらなんでも、ヨルダン軍将校よりも日本人の人命優先だと言わんばかりにヨルダンに協力を迫るほど傲慢であこぎだったとは考えたくないのだが、このリーク内容が事実だとすれば、イスラム国がリシャウィ死刑囚との交換をいきなり出して来たという、どこから出て来た発想か分からずあまりに突拍子もなかった展開も、確かに辻褄は合うのだ。

日本政府が最初から身代金支払いの仲介を探してアンマンで奔走していたのは確かだ。日本政府はもちろん認めない(これは当たり前のことなので政府を責めるには値しない)し、日本のメディアもほとんど報道しなかったが、最初の72時間の期限内に安倍は英国との電話首脳会談でキャメロン首相に直接「身代金を払うべきでない」と牽制されたことはその英国政府がメディアに明かしているし、米国のケネディ駐日大使は公式に日本政府にそう申し入れをし、安倍はオバマとの電話首脳会談でも釘を刺されている。日本に身代金を払う気配がなければ、かくもおおっぴらに日本政府に圧力をかけ牽制を諮るなんて非礼な真似は、英国だって米国だって曲がりなりにも主権国家相手にやりはしない。

そして後藤氏殺害後、ヨルダン下院の外交委員長が日本のメディアの取材に応じ、安倍政権が見殺しにしたのではないかという憶測の批判に対する日本政府擁護の親切心から、日本側がほんとうに一生懸命で、身代金ももちろん準備していたことを明かしてくれている。

だいたいイスラム国側が日本をあざ笑うかのように出した第二の声明で、身代金が目当てなどではないと明言した上で、ヨルダンの死刑囚の釈放という、普通の外交常識では無理難題に過ぎる条件をぶつけて愚弄して来たのも、日本が身代金を払うつもりだったことが前提でないとなかなか出て来ない発想だ。

いやもう、こうなると安倍首相はひたすら、イスラム国にしてみれば、お手軽な玩具扱いだったのだろう。

このあまりに突拍子もない条件には、日本側が驚きパニックになったのもある程度はやむを得まい(逆に言えば「バカにされていた」だけだと気づく人もいた)。

それだけ意表を突き、しかも無理かつ無茶苦茶な話ではあるが、だからこそ、この人質を用いた脅迫の心理戦におけるイスラム国の動機であり目的が、とにかくカイロで妙に自慢げにイスラム国敵視を演説した安倍を徹底的にバカにすることであった以上、その狙いには完璧だったと納得はできる。

しかしそれでも、この途方もなく意表を突いた発想はどこから出て来たのか、さすがによく分からなかった。

だが日本政府がかなり初期(当初の交渉期限72時間以内に)から、ヨルダン政府にカサースベ中尉よりも日本人二人をリシャウィ死刑囚と交換しろ、と水面下で迫っていたとしたら、イスラム国がそのリシャウィ死刑囚と後藤さんの交換をいきなり言い出し、その時点で湯川さんを殺していた理由も、すべて辻褄が合う。

つまりイスラム国にその情報は当然ながら筒抜けになっていて(アンマンだと言うのにいったい何をやっていたんだか)、ヨルダンの軍人より日本人を優先しろと迫っていた日本政府の非人道っぷりを懲らしめるために、わざと他国の死刑囚を釈放しろ、つまりは他国の主権を侵害しろと無理難題を押しつけ、しかも「そんなに人質交換が望みなら、一対一の交換だったら応じてやろう」と言わんばかりに、菅官房長官などとも関係があった(民間軍事会社を夢見て自民右派との支援もあった)湯川氏の方をあえて殺し、後藤氏一人だけを残したのだ。

どうせ国際的にはすでにバカ右翼と皆が承知済みの安倍晋三首相を、この際徹底して愚弄するための、極めて効果的な心理戦の攻撃のひとつだったのだ。

すでに別の場所で詳細に論じたことだがこの時点以降、少なくともおおやけになる場では、日本政府は「いかに日本人の命が懸かっているとはいえ、テロリストの要求に応じてヨルダンの主権を侵害することは出来ない」と引き下がるべきだった。間違っても「全力を尽くしている」アピールなんてするべきではなかった。

それが外交、国際政治の常識であり、最低限のルールだった。
安倍氏は国民の失望と支持率低下を覚悟してでも、すべてはヨルダン政府に任せるしかない、自分にはもうなにも出来ない、と宣言するべきだったのだ。

日本政府がそうやって下手に出ていれば、水面下ではいかに強圧的な交渉をやっていうようが秘密さえ厳守していれば、アブドラ国王の面目は保たれ、国王の(「イスラム教徒としての慈悲」でも「日本との友情」でも、どんな名目でもいいが、要は国王とヨルダン政府の主体的な意思としての)人道的な配慮に基づき、リシャウィ死刑囚を釈放して後藤健二氏を救出する、と言うこともまだ出来なくもなかったし、ヨルダン国民からもそこまで不満は出なかっただろう。

他国の圧力、それも経済大国の金をちらつかせた圧力に屈するのなら、それはヨルダン国民にとっては恥辱でしかない。 
だが王自らが慈悲や人道を考慮してあえて、というのならそれはヨルダンの名誉になったのだ。

カサースベ中尉がイスラム国支配地域に不時着して捕虜になったのは昨年のクリスマス、その中尉とリシャウィ死刑囚の交換という話はすぐに出て来ていたはずだが、そのまま止まっていたのは、ヨルダン政府がどうもあまり乗り気でない、国民の感心が低かったからだと言われていたのだが、ヨルダン政府がすでに中尉が亡くなっているとみなしていたのなら、積極的でなかったのも無理はない(なのにその話に飛びついたつもりでアンマンに対策本部を置くと決めたのが安倍晋三だった、ということになる)。

それがいきなりカサースベ中尉が「ヨルダン国民の息子」「英雄」となったのは、日本の政府の露骨な圧力に、日本のメディアまでが同調してヨルダンへのこれまでの経済援助額を報道したりしたその上に、中尉と後藤健二氏に対してリシャウィ死刑囚という二対一の人質交換案まで、日本政府がメディアにリークしてしまったからだ。

もちろんこちらの側から勝手に「二対一」とか言って相手側が乗る保証なぞまったくないし、ならば「日本人のジャーナリストなら我々のパイロットが先だ」とヨルダン国民の関心がにわかに高まったのは、経済援助をカタに恩着せがましく迫った日本側への反発も含めて、当然のことだ。

安倍政権はよせばいいのにいたずらにアブドラ国王(もともと決して人気のある王様ではない)を追いつめ、まだ少しは残っていた後藤健二氏の救出の可能性を自らぶっ潰してしまったことになるのだが、しかも日本人人質事件が発生した時点でカサースベ中尉が既に亡くなっていて、ヨルダン政府がこの時点ですでに知っていながら公表できないままだったとすると、ますます持って日本政府のやってしまったことは、とんでもない見当違いだった。

言うまでもなく、よほどの信頼関係がない限り、そんな情報をヨルダンは日本に提供できなかったはずだし、日本政府はまったく知らなかったからこそ、無神経にもヨルダンに「要請している」と大っぴらに繰り返したのだろう。

リシャウィ死刑囚との交換という交渉の最終段階でヨルダン政府が態度を頑にし、まず中尉の生存確認がない限り死刑囚は動かさない、と言い張ったのも、中尉が実は死んでいるという情報をヨルダン政府が把握していたのならば、一層のこと筋は通る。

すでに亡くなっているのなら強硬姿勢に反発してイスラム国が中尉を殺すというリスクはもはやないのだし、中尉が亡くなっていると公表するタイミングを逸していた以上、そのことをイスラム国側に発表させた上で、涙を呑んで後藤氏のために死刑囚を、とやるのでもない限り、後藤さんを救うにもヨルダン政府にはそれが出来る立場がなく、国民から猛烈な反発を買い、暴動や政府転覆にさえつながりかねない。

まさにそれこそが、なんと安倍政権が本気で、それもオープンなチャンネルで、メディアに向かってペラペラと、ヨルダン政府に圧力をかけていることを、それも繰り返し公言し始めてしまった時点で、明らかにイスラム国側がこの人質事件の狙いと定めたことでもあった。

ヨルダン世論に揺さぶりをかけ、ヨルダン政府の立場を危うくし、有志連合から脱落を余儀なくさせること、ヨルダン国内に自分たちへの支持勢力とまでは言わずとも、現政府への批判層を増やすことだ。

繰り返すがイスラム国は「イスラム教統治の国家」樹立を目指す宗教の運動ではない。汎アラブ主義、民族主義の政治運動であり、明確に反米、反欧州、反植民地主義の武装独立闘争だ。賛同者を増やすのはアッラーと預言者ムハンマド(とその後継カリフを称するバクダディ)への忠誠では実はなく、それこそサイクス=ピコ密約以来ずっと西洋がアラブ人をいいように弄んで来たことへのアラブ人全般からの不満と反発であり、その欧米列強に対する以上に、半ばその欧米のいわば植民地代理政府として国民をむしろ抑圧して来たアラブ諸国の政府への批判と攻撃であり、民主的な手段によってアラブ民衆の主体性を取り戻そうとした「アラブの春」を欧米が結局は潰しにかかって、結果として元から不安定だったイラク戦争以降の中近東の、さらに極端な不安定化を招いてしまった現状があるとき、暴力や威嚇を手段に用いることをただ「暴力反対」や「人命の尊重」でそれを否定することに、あまり説得力はない。

イスラム教スンニ派の教義解釈で高い権威があると言われるアズハルがイスラム国を弾劾したからと言って、エジプトにあるこの機関の見解をそう素直に受ける人は、日本人が思い込まされているほど多くはないだろう。

なにしろそのエジプトはアラブの春の人間の尊厳の革命を潰した軍政の下にあり、この日本人人質事件が起こる直前にはムバラク元大統領を無罪放免にし、カサースベ中尉殺害映像の公表の前日には183人ものムスリム同胞団メンバーに一度に死刑判決を出している。アズハルは最高指導者がそのエジプト軍事独裁体制の大臣である組織だ。

日本人人質事件の最中にもイスラム国系の武装集団エルサレムのアンサール団がシナイ半島でエジプトの軍・警察施設を襲撃し、30人以上を殺害している。

このすべてが彼らにとっては独立・建国・領土拡張(国土回復)の戦争であることを見落としては、対策もなにも建てようがない。みすみすその挑発と心理戦に弄ばれるだけだ。

だから「日本の悪夢が始る」と宣言されたからと言って、日本がテロ対策に狂奔する必要は、まだほとんどないとも言える。アルカイーダと違ってイスラム国の目的は国家建設であり、こんなに離れイスラムの国でもない日本本土を攻撃するメリットはまずない。 
逆に「テロを水際で防ぐ」と称してアラブ系の人への入国審査を厳格にしたり、警察が重点的に職務質問を始めたりすることが、これまで先進国のなかでは日本をある意味いちばん信頼して来た人たちに、日本への不満や反発を持たせ、欧州諸国がほとんどパラノイアにさえ陥っているホームグロウン・テロリストが日本でも産まれてしまうことにさえ繋がるかも知れない。

アラブ世界の政治的な混沌と破綻の諸悪の元凶サイクス=ピコ密約を妥協して受け入れたメッカのファイサル皇太子、後の初代シリア国王にして初代イラク国王にもなり、絶望と後悔に苛まれ死んだと言われるファイサル一世と同じハシーム家の王朝で、自らも不安定な国境線と脆弱な政権基盤からアメリカやイギリスの言いなりになって来た感が強いのが、他ならぬヨルダン王家である。

つまりはイスラム国の政治的理念からして、もっとも狙われ易い政府のひとつでもある。

結果からすれば‪安倍晋三‬の日本政府は、その無責任体質と分不相応な妙な目立とう精神(人質事件の関係閣僚会議に冒頭で記者とテレビカメラを入れるなんて非常識にも程がある)、そして外交常識すら知らず現実的な計算もなにも出来ない無能っぷりから来る稚拙な失策の連続の結果、イスラム国がカサースベ中尉の殺害映像を公表するのにもっとも効果的なタイミングまで、単に首相が支持率の低下と自分の誤りを認めたくない意地っぱりだけが動機の、度を越した非常識とわがままで提供してしまったことになる。

日本政府が中尉とリシャウイ死刑囚の交換交渉に割り込まなければ、中尉が捕虜になっていたこと自体ヨルダンでそんなに注目もされていなかった。だからこそイスラム国は、カサースベ中尉の死をもっとも効果的に使えるタイミングを今まで探っていたし、あわよくば自ら演出する気で準備していた。そのタイミングを、日本政府の人質事件に対する「対応(になってない)」が作り出してしまったのだ。

ヨルダン国王訪米を狙った、それも国王は当初オバマに会ってもらえる予定ではなかったというのだから、恐るべき奸智に満ちたタイミング設定だった。オバマはこんなことが起これば当然国王と急遽会談するが、その結果アブドラ国王の「米国の飼い犬」っぷりはますます印象づけられる。

追いつめられたヨルダン政府は、今はカサースベ中尉の死への復讐・報復を謳い、反イスラム国でなんとか国内をまとめようとしている。

だがイスラム国そのものは決して支持しないヨルダン国民でも、アメリカ相手にせよ、今度は日本相手にせよ、先進国に対してあまりに弱腰で卑屈な態度しかとれない国王と政府が、いかにイスラム国との対決という大義名分があろうが、実際には同じスンニ派ムスリム…いやなによりも同じアラブ人の一般市民も焼き殺している現実は、決して心から支持できるものではない。その当然ではある批判や不満を「テロリストを支持」として押さえ込もうとするのは、場合によっては火に油を注ぐことになりかねない。

しかも反イスラム国を半ば国内引き締めのため、半ば欧米列強への配慮で主張せざるを得ない現段階のヨルダン政府は、イラク軍つまりスンニ派を弾圧し虐殺までして来たシーア派のマリキ政権との共同歩調まで言い出してしまっている。 
いわゆる国際メディア(つまり欧米)はほとんど報じなくとも、ヨルダンの人たちはイスラム国の一方で、マリキ政権下のイラクがどうなっているのかも知っているのだ。

これは英国の委任統治領からの独立を許されて以来のヨルダンという国が歩んで来た、多分に屈辱的でもあった歴史への不満にも、そこから発する王制そのものへの批判にも、いずれ結びつくのかも知れない。少なくともそれこそが、イスラム国が本当に狙っていることであることは、カサースベ中尉の殺害を伝えるビデオを見れば明瞭に現れている。

「残虐で野蛮なテロリスト」とイスラム国を侮るだけで済ます限りは、我々の側の国内や、せいぜいが有志連合の内輪に引きこもった自己満足でしかない現実が、この殺害ビデオで改めて突きつけられたことだけは確かだ。