最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/25/2015

イスラム国と日本と「身代金」と


イスラム国による日本人二人人質事件は、‪期限の72時間が虚しく経過したところで、安倍‬首相がどうも本気で身代金を払いたがっていそうな展開らしい。

記者の質問に副総理の麻生太郎氏は苦虫を潰した顔で「聞いてくれるな」と言わんばかりだし、アメリカとイギリスは露骨に警戒し、アメリカは国務省も大使館も露骨に牽制発言を繰り返し、イギリスに至っては電話首脳会談の内容を(外交ルールに反してまで)リークして、安倍の日本政府に釘を刺そうとしている。

その「テロと断固戦う」側のすったもんだをあざ笑うかのように、イスラム国は湯川氏が殺害されたらしいと思わせる、湯川氏の遺体と見える写真を後藤氏に持たせた動画を公開した。どんなに安倍が口先だけは「許し難い暴挙」と言ったところで、これで後藤氏まで殺害、となればその安倍がなにをやり始めるのか、想像もつかない。

日本政府はいわば、自分で自分を追いつめてしまっていて、イスラム国側はそれを利用している。こと安倍氏自身の困った性格は、そんなイスラム国側の情報心理戦にみごとつけ込まれている。

そもそも後藤・湯川両氏は数ヶ月以上イスラム国に拘束されてはいても、特段の迫った生命の危機にはなかった(イスラム国では宗教裁判とはいえちゃんと裁判をする手続きをやろうとしていた)状態だった。それが、突然殺害予告の脅迫ビデオが出る事態の急展開は、安倍首相が中東歴訪中にイスラム国敵視を公言してしまったからこそ起きた

だが日本のメディアはその安倍氏の稚拙な外交的失態から国民の目を逸らそうと、イスラム国が残虐な「テロ組織」で「過激派」だと強調する一方で、二人の被害者のうち一人、フリー・ジャーナリストの後藤健二氏を一生懸命美化して来てしまった。

紛争地の子どもたちの境遇に胸を痛め、それを日本に伝えて来たジャーナリストとして氏を賞賛すればするほど、政府が後藤健二氏を救出しない(出来なかった、という以上にそもそも最初はやる気がなかった)で見殺しにしてしまえば、もはや安倍政権の浮沈に関わりかねない。

日本が機密費でこっそりと身代金を拠出すること自体は、政府の内部で当然検討されていてしかるべき選択肢だし、あくまで極秘裏を貫く限りはそう非難されるべきことでもない。外交、安全保障とはそういうものだし、だからこそ国家機密を守らなければならないのだ。過去には小渕首相が身代金提供を決断して人質を解放させた(そして徹底して秘密は守った・最近鈴木宗男氏がやっと明かした)事例だってある。

ダッカ事件で日本政府が取引に応じたことも、間違いだと一方的に叩かれているのは日本国内だけだ。

「テロ組織と取引はしない」ことは、確かに国連安保理の決議にもなってはいる。

しかしそれもまたタテマエに過ぎず、国家にとってもっとも大切なのはやはり、目の前で命の危機に晒されている自国民であり、完全に秘密を守るか、その政府が公には「身代金なんて絶対に払っていない」と言い続ける限りは無視するのが、国際社会の紳士協定のようなものなのだ。

それでも今、アメリカやイギリスがあからさまに牽制までするほどに本気で危惧しているのは(そしてそういう常識が一応は分かっている麻生太郎氏もえらく心配していそうなのは)、なにしろ安倍晋三のことだから自分の手柄にしたい、とにかく威張りたい、内外から浴びている批判に対抗したいだけで、「私の決断で後藤さんの命を」とか、おおっぴらに言い出しかねないことだろう。

外交が実際には国益や国際社会の信義、ないし利害よりも、国内世論への対応で左右されるのも、これまたどこでもある話ではある。とはいっても安倍政権の場合はそれが極端過ぎる、すべてが国内向け人気取りにしかなっていないどころか、首相の子どもじみた自慢や、首相とその周囲のごく一部の人たちのご機嫌取りだかのために、外交が左右されてしまうことがあまりに多いのは、由々しき問題だ。

実際、この人質事件にしても、安倍政権のやっていることは最初から、途方もなさ過ぎる平和ボケの、勘違いの連続なのだ。

それまでイスラム国にいわば「未決囚」として勾留されていた湯川・後藤両氏が突然「人質である敵国民」になってしまったこと自体、安倍が得意気に「テロと戦う自分」をアピールしたくてイスラム国敵視を明言した上で周辺国を敵対国とみなして資金供与を言ってしまったからだ。

時系列を見れば明らかなことを誤摩化そうとして「人道支援だ」「誤解だ」と、国内からの批判に一生懸命に反論したつもりになっていること自体、この政権の外交があまりに幼稚過ぎることの好例になっている。そもそも「反論」として成立していない後付けの言い訳に過ぎず国民を馬鹿にし過ぎだし、だがもっと重大なこととして、こんな子どもじみた「反論」もどきでエゴを発散したところで、イスラム国に対しても、イスラム国を決して快くは思っていないムスリム諸国相手にも、今さらなんの説得力もない。

国内的にはその首相の失態を誤摩化すために、被害者のうち後藤健二氏をしきりと立派な、純粋な人だと持ち上げることを報道にさんざんやらせた結果、いまさら後藤氏を見殺しにもできず、本気で身代金支払いを考えざるを得なくもなって来ている。だから政府は一生懸命、イスラム国と交渉するためのルートを探して情報収集に励んでいると公言しているが、売名行為や、詐欺まがいの手法で「240億円」という巨額な身代金のおこぼれにあずかろうとして交渉仲介を名乗り出る者たちに翻弄されるだけだろう。

そもそも本気で身代金が欲しくてイスラム国が2億ドルと言っていると思うのだろうか?「2億ドル」という要求が本気に見えるのだろうか?

2億ドルというのは安倍がカイロでイスラム国周辺諸国をその敵対国とみなして資金供与を言ってしまった総額とぴったり同じ金額で、つまりイスラム国側のメッセージははっきりしているし、2億ドルもの金をどう受け渡しする(イスラム国側から見れば「受け取る」)と言うのだろうか?

ほんとうに、度を越した平和ボケもたいがいにして欲しい。

日本政府とたとえ間接的にでも交渉に応じるということは、イスラム国側からすればその支配中枢の居場所を敵国(とくに米国)に察知されるリスクを伴う。日本側との交渉に間接的にでも応じて人質の安否や所在を伝えるだけでも、その情報はすぐに米国に伝わるだろう。「普通の国」ならそこも含めて、とくに米国が同盟国だからこそ絶対に情報を漏らさないように細心の配慮を徹底させるが、これまでの外交・国際政治上の経験則からして、こと日本にそれを期待するお人好しはいない

イスラム国にとってのその危険は、米軍などの空襲が続く中、かつてどうもフランスが実はこっそり身代金を払って自国民の記者を解放させたらしい時とは、比べものにならないほど大きい。今までアメリカの「テロとの戦争」に一定の距離を置いて来たそのフランスが今はその戦争をやりたくてしょうがない、というだけでも、今回の人質事案は、これまでのケースと根本的に状況が違うのだ。

イスラム国の高官と人脈があるというジャーナリスト等が仲介を言っているのを政府が無視している、という非難も一部では高まっているが、そっちもそっちで本気で言っているとしたらよほどズレている。記者会見などで公言してしまったのだから、イスラム国側が彼らと今後接触はしない。ただでさえ人質・身代金事案は極秘裏で進めるのが常識であるだけでなく、現状のイスラム国は圧倒的な力を持つ複数の「敵国」相手に戦争状態にあり、この人質事件がその結果起こっていることが理解できていないのだろうか? 紛争地帯の報道で名を馳せたジャーナリストのはずが、そんなことすら踏まえられないのか?

イスラム国は今、日々米軍などの空襲に晒されているのだ。

取引場所に現れた途端、どころかなんらかの形で返答を伝える、当然CIAなどにマークされているジャーナリスト相手にそれこそメールを使うだけでも、居場所を探知されて米軍のドローン(遠隔操作の無人対地攻撃機)にピンポイント攻撃されるかも知れない。

イスラム国側にそもそも日本と交渉する気がないという可能性がもの凄く大きいことは当然考慮に入れなければならない。どう見ても今回の人質事件・脅迫・殺人予告の最大の目的は、身代金ではない。これは彼らからすれば、日本との「戦争」であり、しかも「戦争」を仕掛けたのは(カイロで安倍があんな演説をやってしまった)日本側なのだ。

だがそのこと自体を安倍政権はなんとか誤摩化したい、安倍がカイロで自慢げにやってしまった演説がとんでもない失言だったと認められないせいで、日本の対応も日本の世論も、これが外交の問題であるはずなのに、どんどん国内限定の堂々回りに陥るばかりだ。

それにしても「あくまで人道支援だ」と強調するのなら、「日本はイスラム国を敵視したつもりはない」と声明を出さなければ筋が通らないのだが、この人たちは本当になにを考えているのだろう?

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