最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

12/05/2014

男の覚悟、女の決意(小沢一郎と森ゆうこの場合)


ニッポン稲作の輝かしい伝説・魚沼コシヒカリの産地であり、戦後日本政治においてもいわば伝説の選挙区「新潟六区」、田中角栄元首相のかつての地盤から、今回の衆院選では田中家の系譜の立候補がない。元外務大臣の角栄の長女、真紀子氏は選挙に出なかった。

田中角栄の政治的系譜、かつての自民党の保守王道はもう20年くらい前から自民党をどんどん離れて行ったわけだが、田中元首相が最後にもっとも目をかけていたと言われる小沢一郎氏の率いる「生活の党」にとって、ここは真紀子氏とのつながりもあって「勝てる選挙区」であると同時に、民主党から追い出されたあとジリ貧の同党にとっては「落とせない選挙区」のはずだ。

ところが選挙戦が始まって驚いた。

生活の党から新潟六区で立候補したのは、かつて民主党の新潟選出参議院議員で、小沢氏と共に同党を離れた森ゆうこさんなのである。

日刊スポーツの報道
森ゆうこ氏の公式サイト 

驚くと同時に納得も感心もするが、正直に言うと少し呆れる。いくら小沢一郎氏と森ゆうこさんだからって、ここまでバカ正直に、政治的には(というか日本の政界的には)自殺覚悟とすら言われそうなことをやるのか?

つまり生活の党はこの選挙区に、あえて田中家や小沢さんの出身母体である旧田中派・経世会の系譜だと分かる候補、今でも地元では絶大な人気を誇るはずの戦後日本最大の政治家にあやかった人を立てた方が勝てる、という誰でも当然踏襲するはずの定石、いわば「永田町の常識」を完全に無視し、ある意味これまで小沢一郎の政治的な生き方の一部であった政治的な計算すら否定したのだ。

ただし、これだけは確認しておいた方がいい。 
小沢一郎がこれまで時に「豪腕」とも言われ権謀術数の政界における「数は権力」の論理で勝ち抜いて来た時もあったのは確かだが、小沢にそれが出来たのは単に「頭が良かったから計算ができた」だけであって、小沢にとってそういうことが「得意」だったからではまったくない。 
むしろ出来る出来ないとは別次元で、そういうことは小沢にとって「嫌い」だし「苦手」でもあった。

これは小沢一郎にとって相当な覚悟を持った決断だったろうし、それをしかと受けとめた森ゆうこさんの決意もまた、並大抵のものではあるまい。

森ゆうこさんは「女性政治家」としてマスコミがちやほやしたためしがないが、考えてみたら不思議なことである。

民主党参議院議員だった当時の森ゆうこ氏の議員会館の部屋

きれいだし上品な人で、なにより理路整然と弁が立つので国会質問で活躍して来た人だが、毅然とした態度で政府答弁を問いつめる姿は…民主党政権が菅、野田の代になったときには、野党よりも与党の森さんの方が鋭く政権の問題をついて来ていて、国会中継を見る女性の多くが「かっこいい」と思って来た。つまり普通なら民主党きっての論客として、見栄えがすることも含めてメディアでひっぱりだこになっておかしくない。

森ゆうこ参議院議員(2012年当時)

逆に言えば森さんがそれでもメディアで人気の女性政治家にならなかったのは…

…うん、不思議だねえ…

いやメディアの皆さんが「かわいい女」ならいいが「頭がいい、かっこいい女」は敬遠して来た、という男尊女卑の女性蔑視だっただけでミもフタもないわけだが。

森ゆうこさんには一度、議員会館でお会いしたことがある。僕の会った限りでは、国会議員ではちょっと珍しいタイプの人だ。

知り合いに言われて、ある種の「小沢ファン」の退職後くらいの年齢の皆さんに若造一人が興味本位で混じったようなものでいささか失礼だったが、直接お会いするとまず普通にきれいな人だった。そしてすぐ気づいたのは、頭がいい、ものすごく頭の回転が早いし勘もいい、感受性もシャープだ。

だがその「頭のよさ」は決して、いわゆる永田町的なものではなかった。

回りくどいことが一切なく、興味関心の向き方がストレートなのだ。永田町の論理では、支持者のなかでも歳上で偉そうな人のヘソを曲げるようなことはやってはいけないのは言うまでもない。だが森ゆうこさんにはたぶん、そこを一生懸命に気に出来る回路が本能的にないのだろう。

実は「世間の常識」や「永田町なら当たり前」に反して、この時に結局森ゆうこさんは、「支持者」である他の人よりも彼女の話に応じて質問をぶつけて行く新参者の僕と(まあいちばん若い男性だったのも含め?)、結局はいちばんよく話をしていた。

型通りを重んじるのではなく、ちゃんと真面目に中身がある話をすることが優先される人なのは、その時によくわかった。頭がいい人にありがちで、相当に素直で裏表がない(というか裏表をいちいち作るのが面倒くさい、無駄、と思っていそう)

あと頭がいい人に特有の癖と言うか欠点も−−下らない話を聞くと顔に出る(記者相手に怒り出してしまう小沢さんよりはマシだろうが)

実を言えば柏崎苅屋原発を地元に抱えて原発反対と放射能防護を気にかけていた森さんと、『無人地帯』をベルリンでプレミアした後に一周年で浜通りに行って来たばかりの僕とは、同じ「原発は止めるべき」でも意見が合わないところも多々あったし、いかに森さんも含めて菅、野田執行部には批判的であっても、僕は当時の民主党の対応についてそれでも周りの顔が青ざめるようなことも相当に言っていたし、こと小沢一郎その人についても、震災後まったく動かなかったことには相当に批判的だった。 
森さんは僕のその意見を聞いても、言い訳めいた説明や憶測の小沢擁護は、一切言わなかった。

いやつくづく小沢一郎は腐っても小沢一郎である。

彼の選挙手法を「ドブ板」とよく言うが、そこでイメージされるような「ドブ板」なら、こういう森ゆうこさんをいきなり新潟六区にぶつけたりはしまい。

いやそれは、単に東京のメディアがいわゆる「ニッポンの田舎」をまったく理解しないまま小馬鹿にしているせいに過ぎないのでもあるが。

世間は小沢という人をまったく理解していないので「なんでこんなに分かり易い人のことが分からないの?」とトンチンカンで必ず予測が外れる記事とか報道にいつも首を傾げて来たわけだが(たとえば福田康夫政権時代の「大連立」話をめぐる話はこちら。メディアの予想と正反対の、僕が予想した通りの結果になった)、今回のこれも、いかにも永田町的にはあり得ない話であると同時に、いかにも小沢さんらしい話だ。

いやもうあっぱれなくらい「ああやっぱり、小沢一郎は小沢一郎なんだねえ」としか言いようがない、よくも悪くも。

小沢一郎と、あと鳩山由紀夫元総理には、ほとんど誰も指摘しないがある致命的な欠点があるし、それは森ゆうこさんにも多分共通している。 
育ちがいい、というか人がいいのである。 
鳩山さんがその点ではもっとも度が越していると思うが、「金持ち」というよりは子どもの頃の周囲の環境がよかったのか、「人の悪意」というものに驚くほど鈍感な時がある。小沢さんの場合はまだ「頭のよさ」でカバーしている面が相当あるとはいえ、それでも世の「悪い人」や「悪意」を理解する回路がそもそも欠けているのではないか? 
鳩山さんは総理の座を追われた後、「周囲の話を聞き過ぎた」ことを反省していたそうだ。普天間基地移転をめぐるごたごたを巡って、鳩山さんは官邸の官僚だけでなく同じ党の盟友のはずの側近までが自分を騙してハメようとしていることに、どうもまったく気づいていなかったそうだ。 
そんなもん徳之島移転案が突然メディアにリークされた時点で、ハタ目にも一目瞭然だと思うが。 
小沢さんだってその辺りは同罪で、次の首相になった菅直人氏や野田佳彦氏が自分のことも、国民との公約も、最初から裏切るつもりだったなんて想像もつかなかったろう。

かしいくらそんな小沢さん、実は恐ろしく純真で真面目な理想主義者だからって、ここまでやっちゃまずいでしょう?あなたいくらなんでもどこまでバカ真面目にお人好しなんですか、とこの人の性分を承知の上で、それでも言いたくなってしまう。

森ゆうこさんの場合は、それはもう「強い女性だから」で終わってしまいそうだが。

新潟六区はこれまでがらっぱちな田中真紀子氏の地元だったところで、その意味では「強い女」に慣れているかも、とは言っても真紀子氏は角栄の「わがままなお嬢さん」の型破りが許容されて来たのだろうし、「女が生意気な」とみなされがちな彼女を、角栄氏自身の選挙母体だった越山会が必ずしも氏を支援して来たわけではない。

今回は完全に自民党側だ。

まあ越山会に支援された候補が「アベノミクスの恩恵を新潟にも」とか演説しているらしいのは、ああ堕落したもんだ、としか言いようがないんですけどね。 
その「恩恵」で今年は米価がいきなり3割下落だとか、いくら越山会が今でも強力な集票力を持っているのであろうにしたって、傲慢過ぎるにも程があると思うのだが。

ステレオタイプで言えば“新潟の山の中”のような“田舎”はそれこそ「男尊女卑」、しかもそこにぶつけてくるのが良妻賢母か主婦イメージでもなく、自民党で増えている場末のホステス風けばけばしさでもない、勝ち気だが知的な「普通の女性」の森ゆうこさんを、それも「田中角栄の最後の弟子」である小沢一郎が、その角栄の選挙区に立てた。

小沢さんは森さんを

「選挙区の地元のみなさんが何を悩み、何を困っているのか。直接会って、胸にたたき込み、地元に根を下ろした政治家になれ」

と説得したらしい。森さんも第一声で、新潟六区を田中角栄の選挙区だけでなく、戦前は日本農民党の活動家で議員、戦後は社会党の議員を務め、日本育英会を実現させた功労者としても知られる三宅正一の選挙区として語ったという。

いや改めて気づいたのだが、魚沼コシヒカリの産地はお米だけでなく凄い土地だったのだ。角栄と三宅正一、ある意味両極のようで双方に補完し合う、日本が本来向かうべきだった道筋が、この選挙区にはあったのか。

これはふたりとも本気だ。

その本気さの意味を報道できないのなら、日本のメディアの政治報道、選挙報道の質はもうどうしようもなく低下している、と言わねばなるまい。

またここまである意味「ちゃぶ台返し」というか、既存の政治的常識をすべてかなぐり捨てたような「純粋な理念」しかない闘いをあえて選ぶべきであるほど、日本の政治は骨の髄まで腐ってしまっているとも言える。

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