最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

8/04/2014

ガザの本当の戦争はイメージの戦場で行われ、SNS上の欺瞞のなかで勝敗がついている



今回のイスラエル国防軍(以下IDF)とガザを支配するハマス軍事部門の戦争は、ほんとうはなんのための戦争だったのだろうか?

イスラエルが相当の数のパレスティナ人を殺傷し、爆撃の下に逃げ惑わせていることを批判するのは重要だが、なぜ戦争になったのか、対立のコンテクストや前提条件を無視するといかにもトンチンカンで、ただ敵意だけがあからさまな「抗議」になってしまうだろう(というか既にそうなっている)。

まず今回のガザ攻撃がどうみても「侵略」目的では実はあり得ない以上、イスラエルを悪魔化するために大げさに誇張もされている抗議の大半は筋違いになる。イスラエルは2005年から2006年にかけてガザから完全撤退し、相当に強引な手段で入植地も撤去し、施政権も完全に放棄しているのである。オスロ以降の和平合意を完全に反故にするとでもネタニヤフが宣言し、侵略国としてイスラエルを弾劾する国連決議でも覚悟しない限り、ガザを再占領したり自国領に組み入れることはあり得ない。

そこまでやってしまえば、元々自分の任期中にパレスティナ独立の目処をつけたいオバマの米国が、安保理で拒否権が使えなくなることすら、想定しなければなるまい。

何人以上を「虐殺」と言うかの定義問題をやっても意味もないが、殺傷している数からして「虐殺だ」と言うのは間違いではない。いやイスラエルは「コラテラル・ダメージだ」と国際法的には主張するだろうが、国際法上は直接攻撃が許されない一般市民だから、わざと巻き添えにして殺すのは、近代の戦争では常套手段だ。

一晩で死者10万を出した東京大空襲も、攻撃目標が東京の市民であれば完全に国際法違反の戦争犯罪だった。 
だが一応は町工場が「軍事目標」ということにされ、10万の死者は「コラテラル・ダメージ」として処理されている。 
広島、長崎の原爆も、今のところそれが米国の公式見解だ。だからこそ日本人の名誉にかけて、その見解を変えて謝罪してもらわなければならないはずだが、我が国の方にその気がまったくない。オバマ政権にその気は十分にあるのに。

だがいかに「自衛とはいうが、どうみたって殺し過ぎだろう?」とは言えても(ただし戦争の目的が「自衛」であることと、そこで用いられる手段に、直接の関連性は元からない)、「ジェノサイド」「民族殲滅」が目的だとかいう勘違いをされては、イスラエル側がさすがにずっこけて笑い出してしまうだろう。


人口の20%がパレスティナ人で選挙権も含め完全な市民権を有しているし、イスラエル領内にもパレスティナ人の町はある(たとえばイエスが育ったとされるナザレ)し、三大都市のひとつハイファは半分がアラブ人だし、テルアヴィヴも南のヤッフォを含めれば相当にパレスティナ人が住んでいるし、エルサレムに至ってはアラブ人口の多さは言うまでもない。

1967年までは東エルサレムはヨルダン領だったし、今でもこと旧市街でもっとも活気があるのはアラブ人地区であり、パレスティナ人の文化的中心でもあり続けている。

それに「ジェノサイド」「民族殲滅」だと言い張る人たちは、どうもヨルダン川西岸自治区の存在を忘れているらしい。

逆に言えば、実はここまで過剰な攻撃で国際世論の注目をガザに集中させたのは、西岸から目を逸らせるためのイスラエル右派の謀略ではないか?  それこそがこのガザ戦争の真の目的にも思える。


そうとでも考えなければ、今更ここまでやる理由が(ネタニヤフ首相の地位の安泰のためを勘案しても)理解できない。ガザからは既に撤退している以上は、軍事目標を「自衛目的」で完全に破壊すれば、即座に軍を退去させなければならないのだから、ここまでやる意味がない。

だがガザと西岸では、状況はまったく違う。

ユダヤ入植地はまったく撤去されていないどころか拡張されていて、その防衛と称して膨大なIDF部隊も展開し、入植地に投石でもあろうものなら、近隣の村や町にIDFが家宅捜索に入る。

イスラエル領を自爆テロから守ると言う名目で西岸がすでに巨大な分離壁で囲まれ分断されていることは先日のエントリーで触れた通りだが、さらにもはや入植地を囲むのではなく近隣の村を囲むように鉄条網やバリケードが張り巡らされている。


「民族絶滅」は明らかに違う。パレスティナ人だけで600万、アラブ人全体なら2億だ。

だがイスラエルの支配が及ぶ範囲での「民族浄化」は、それも文化的な意味でならば、何重にもまったくその通りだと言える。

たとえば日本がアイヌや沖縄の琉球人に対してやって成功してしまっているような、尊厳と民族の自尊心を奪い、アイデンティティを喪失させ、二流三流市民に貶めるような同化服従政策である。 
パレスティナ人を二流市民、いわば奴隷の地位に貶めること。それはイスラエル市民権を持つパレスティナ人だけでも、今世紀の半ばにはイスラエル国民の半数に達するかも知れないという試算もあるなか、「ユダヤ人国家」を維持するにはかなり重要なことになり得る。

こと西岸のパレスティナ人は生活上に必要な道路すら分断され、まるで檻のような鉄条網の中に閉じ込められ、誇りもなにも奪われてしまい、しかも今回のガザ戦争を見ても、その事実に国際社会はなにも関心を示していない。

イスラエル市民権を持つパレスティナ人の状況はまだ遥かにマシだが、だからこそ「ああはなりたくない」という分断がいずれ産まれて来ることも、巧妙に計算されているのかも知れない。そうでなくともここまでイスラエル領内と西岸の格差がひどいと、イスラエル国籍の有無でパレスティナ人どうしですら話が通じなくなることも起こりそうだ。

第二次インティファーダに対応する形での西岸の再占領がもう10年以上も続くなかで、入植地とそれに付随する「防衛のための」占領地はじわじわと拡大し、パレスティナ人はじわじわと「民族としての死」に追いつめられている。



一方でイスラエルの与党リクードと、とくに連立する宗教右派にとっては、いかに和平合意でパレスティナ領となると決まっていても、西岸は手放したくないのが本音だ。

地図を見て、聖書でおなじみの地名を探してみてほしい。過去のユダヤ王国の領域はほとんどが西岸パレスティナ地域に属し、ユダヤ人の歴史とユダヤ教の聖地のほとんどが、イスラエル領ではない。

宗教極右にとっては、現代の国際政治のルールや国際法よりも「神」が優先される。世俗右派(非宗教)のリクードはそこまで現代のルールは無視出来ないが、国際世論の気づかないところで、なし崩しに西岸に浸食し、パレスティナの独立を少しでも遅らせ、西岸の市民に独立国家を求める希望を持てなくするよう、仕向けることは出来る。

平たく言えば、パレスティナ人に「やる気」をなくさせること、せいぜいが自爆攻撃のようなテロリズム以外しかやることが見当たらない立場に貶めることだ。

つまりはパレスティナ人の存在そのものが無視されるか、みんなハマス軍事部門の支持者でありハマスのテロリストの予備軍だとするイメージが作れてしまえば、それはイスラエル右派やIDFにとって明らかに都合がいい。


ガザ空襲に反対するデモや抗議は、この点ですでに実はイスラエル右派や軍の術中におもしろいようにはまってしまっている。無自覚にガザのハマスとパレスティナ人を(実態とはまったく異なるのに)同一視して、「パレスティナの人々のために」とハマス支持を言い張ってしまい、一般のパレスティナ市民のためのデモよりも、ハマスのためのデモになってしまっている場合すらある。

こうなるとデモの効果の戦略論としても疑問視せざるを得ない。 
デモが「イスラエルを地中海にたたき出す」と言い続けて来たハマス武装部門を支持し、あろうことか「イスラエルをアラブから追い出せ」と言い出す者までおり、ガザ地区からハマスが発射しているロケット攻撃すら正当化しイスラエルの生存権と自衛権を無視してしまうに至っては、イスラエルの左派ですら、そんなデモに共鳴して戦争を止めようなどとは絶対に出来なくなる。 
ネタニヤフら右派に至っては、そんなデモや抗議に耳を貸すわけがない。そんな弱腰(しかも言っている側は自分達ユダヤ人をこれまで差別して来た側だ)では、次の選挙で支持を失う理由になるに決まっているではないか。
いったいなんのためにデモをやっているのか、誰にアピールしているのか分からなくなるのは、こと3.11以降の日本のデモではよくある。あまりによくあり過ぎる。

しかも日本での抗議デモなどとなると、西岸自治区のことも、ラマラを首府とする自治政府の存在も知らない人たちすら多そうだ。

知っていたら、うかつに「ジェノサイド」とか「パレスティナ人をあんな狭いガザに押し込めて皆殺しに」とか、ヒステリックなことは言えないはずだし、IDFの攻撃を批判することがこうも安易に現在のガザのハマス政府支持へと横滑りなんて出来ないはずだ。

ガザを含めたパレスティナ自治区の正当な政府はラマラの自治政府であり、ガザのハマスはテロリズムの手段を用いて強引にガザを占領しているに過ぎない。

ところがイスラエルが既にガザからは撤退していることと並んで、ハマスのガザ支配が非合法で非民主的な圧制である事実も、今のガザ戦争をめぐる国際的な報道や議論からは完全に抜け落ちている。

そもそもなぜガザをハマスが支配しているのかすら、政治的時系列の文脈は完全に無視され、断片化されたイメージとして「イスラエルに攻撃されるハマス」であることだけで支持を集めている。

実はそう仕向けることこそが、ハマスがこのガザ戦争を起こすようにイスラエル側を挑発し続け、わざととしか思えないくらいに軍事目標を一般市民居住区に隣接させ、難民キャンプに兵士や兵器を潜ませたりする手法を使っていることの真の動機なのだろう。

ハマス軍事部門はIDFから市民を守る気などまったくなく、むしろIDFにガザ市民を殺させようとしている。そんなことをなぜやるのかと言えば、「自分達は被害者だ」と言った方が国際世論の同情を集められ、イスラエルに攻撃される自分たちのイメージを流布できるからである。

そのガザのハマスの本当の目的は、自分達の非合法なテロルによるガザ支配を、国際社会に正当なものだと認めさせることだ。そしてハマス軍事部門は見事にこれを成功させ、しかもラマラの自治政府の存在感も著しく低下させるという一石二鳥までやってのけた。

ガザからは戦争のイメージが無数に生産され発信され、SNSを通じて拡散されている。

だが西岸からはほとんどイメージが発信されない。それはこのネット上のメディア戦争のなかで、西岸がもはや存在しないと同然になってしまうことを意味する。

爆撃の被害や死者の写真なら誰でも撮れるが、じわじわと生活を圧迫されることも、生活圏が鉄条網やバリケードで囲われるか分断されてしまっていることも、映像や写真で表現するにはある程度の演出力や、時間、ないし文章力が必要となる。そのイメージを消費する側にもある程度の理解力と知識教養が必要とされる以上、SNSでクリックひとつで拡散されるイメージには向かない。

かくしてSNSのシェアと拡散効果を利用しまくったハマス軍事部門は、今やあたかも自分達がパレスティナ人を代表する政府であるかのように振る舞っているし、国際世論もその誤ったイメージを無邪気に受け入れてしまっている。


ガザを実は非合法支配して来ただけのハマス軍事部門が、こうしてこの戦争を利用してパレスティナ内部の政治対立に(いわば「外圧」で)勝利しただけでない。

実はイスラエル右派にとっても都合がいいのだ

アラファト後のアッバス議長の自治政府は明らかに能力不足とはいえ一応は普通の民主主義の政体を維持する政府であり、アラブの春の頃には国連加盟も取り沙汰された。つまりは早晩それが実現すれば、まともに交渉しなければいけない相手である。

アッバス氏自身は学者出身できちんと話のできる人間(それがアラファトの下で腐敗し切ったファタハを仕切りきれない政治的な弱みにも通じるとはいえ)ではある。 
チャンスさえあれば理路整然とイスラエルの過去10年以上の西岸に対する政策を国際社会に訴えることも出来る。 
それこそパレスティナ自治政府が国連の正式加盟国になれば、国連総会で名演説だって出来てしまう。

では自治政府ではなく、ガザのハマスが「パレスティナの代表」だったらどうなるか?今はイスラエルの攻撃があるから支持を集めるものの、それが停戦になれば、しょせん「狂信的なイスラムのテロリスト」扱いしかされないことは目に見えている。ならばこの際、ハマスを利用して自治政府の存在感を失墜させることは、合意したはずのパレスティナの独立をいつまでも先延ばしに出来るだけでも、西岸をなるべく手放したくないイスラエルにとって利にかなった話だ。


パレスティナ人に「やる気」を失わさせることでも、IDFとハマスのガザ政府の利害は一致する。

パレスティナ人に自分達の民族の独立した民主主義の主権国家なんて求められては、ハマス軍事部門だって立場がない。ラマラの自治政府の存在感を低下させることでも、西岸を国際世論に無視させることでも、一見人命をも省みない壮絶な闘いを繰り広げて対立しているかに見える双方の利害は、実はほとんど完全に一致してしまっているし、「パレスティナの人々のため」のつもりのデモや抗議までが実質パレスティナ人=絶望して狂信に走るテロリストのイメージを共有することで、実はそこにこそ貢献してしまっている。

背後でハマス軍事部門とネタニヤフのあいだで話がついていたとしても驚かない。1200人、そろそろ1300人の死者を出しているこの戦争自体が、めくらましの茶番なのである。

そしてこのガザ戦争に勝利したのはハマス軍事部門とIDFだ。双方ともに、自分達が国際世論に向けて演じたいイメージの流布も完全に成功させている。

そしてこの戦争の脇役になることすら許されずに国際世論にただ無視され、無惨な不戦敗に陥ったのが、ラマラのパレスティナ自治政府だ。

いやもっと悲惨な敗者がいる。


8年前の自治政府の評議会選挙で勝ったはずのハマスの政治部門だ。

イスラム法の強要はしない、民主主義を尊重し福祉充実を公約し、対イスラエルの交渉でもその生存権を認める方針で軍事部門と一線を画し、いわゆる「イスラム原理主義」ではなく、西洋先進国でどこでもあるような宗教を道徳的な柱とした中道保守政党に脱皮を計った政治部門は、にも関わらず国際社会の圧力で政権を失い、それでも長らく軍事部門と一線を画す、対立することすら明言して来たのが、まったく行き場を失い、2012年以降は軍事部門に吸収されてしまった。

その選挙で勝って首相になり、極めて知的で冷静でユーモアもある人物であることを見せつけたはずのイスマイル・ハニーヤが、今ではガザ政府の名目上の首相ではあるが、2006年の選挙当時に掲げた方針はなにひとつ尊重されず、ただ「かつて選挙で選ばれた人」というお題目がハマス軍事部門に都合良く利用されている、といった程度である。

この敗北の意味は皆さんが思っているよりもはるかに大きい。

2006年にハマス政治部門がちゃんとした民主的な選挙で勝ったこと、政策方針が西洋先進国でどこでもあるような中道保守で、腐敗の撤廃と福祉の重視を公約したこと、ハニーヤが自分達が支持されたのはアラファトの腐敗した政治への批判票であったと百も承知でリーズナブルな政治を目指したのに、国際的にまったく無視されたのは、アラブ民主主義の可能性が実は西洋中心の国際世論の身勝手な気まぐれによってこそ潰されたことを意味する。

その同じの国際世論が、今度は非合法で、テロの手段でガザの支配権を奪って来たハマス軍事部門の抑圧的な独裁政権を、イスラエルに攻撃されているというだけの理由で、ガザの正当政権であるかのように承認してしまっている。

これはいったいどういう偽善なのか?軽薄な気まぐれにも程がある。


いやだが、これこそが現代という時代なのだ。

アラブの春はツイッターやフェイスブックが情報流通と運動の組織化に大きく寄与した。その前にも(政府にブロックされているのにも関わらず)イランの選挙でもこうしたSNSは有効活用され、YoutubeのリンクやSNS自体のビデオ機能が多くの映像や声を伝え、アラブやイスラム世界の民主主義の希望を産んだはずだった。

だがそのインターネットで拡散するイメージの力は、すぐに暴走を始める。シリア内戦では携帯電話で撮影された膨大な映像が、その出所すら定かでないままにアラブ世界を流通し、イラクの内戦でも同じ現象が誤解を増幅させ対決を激化させている。

ラビア・ムルエ『ピクセル化された革命』抜粋

昨年のラビア・ムルエの来日公演の情報はこちら(フェスティバル・トーキョー)

ラビア・ムルエ、リナ・サネー共同演出『33rpmと数秒間』

我々の先進国は、そこにとってしょせんは中近東のどこかよく分からない場所についての映像の流通と自動仕掛け化された戦争プロパガンダ装置の恐ろしさから、ついこないだまでは無縁、つまりは無関心でもいられた。そうした情報をたまたま興味がある人がシェアやリツイートをしても、それがさらにリツイートやシェアされることは滅多になかった。


だが今回は、なにしろ国際メディアのスーパースターの座に君臨し続けるパレスティナとイスラエルの対決である。その戦争のイメージの需要と、消費したい欲望は、中近東ローカルには留まらない。

 『セプテンバー11』アモス・ギタイ編

このガザ戦争の本質は、欧米や日本といった先進国が、アラブの春を失墜させて行ったインターネット戦争の毒素に、初めて大々的に晒された事件でもある。

破壊の映像は麻薬であり、我々は簡単にその依存症に陥り、ネットは我々が際限なくそれを繰り返し消費することを可能にする。 
一見、たとえば「イスラエル軍の残虐」に怒っているかに見える人たちの神経は実は完全に麻痺し、ただ同じような映像や画像を繰り返し見ては「リツイート」なり「シェア」のボタンをクリックすることに、ある種の快感すら覚えているのだろう。

これまではせいぜい10日で終わっていたはずの、このガザ戦争のような衝突が、今回これだけ長期化したのも、それが国際的にこれだけ盛り上がり、今までほとんど関心のなかった日本でまで「パレスティナの人々が」というのがブームにまでなったのも、SNSの時代だからであり、既に中近東ではSNSをいわば映像のテロリズムとして使いこなす戦略が確立されているからである。

そうした情報の大元を出している側は既にこの3年以上の間に、狡猾な戦略論すら確立させているのに対し、我々には免疫がまったくなかったのだろう。

今回のガザ戦争の初期には、ツイッターやフェイスブックを中心に「ガザの殺された子どもたち」と称する写真が大量に出回り、それが国際的な反発に火を点けた。暴力の映像が、まさにテロルの効果を発揮した。

だがガザや、パレスティナに多少なりとも知識があるか、あるいは軍事や兵器についてある程度の含蓄があればすぐに気づくのは、それが服装や建築の様式からしてガザには見えず、爆撃の死者にも見えなかったことだ。

『無人地帯』の撮影監督の加藤孝信が、あまりに無神経な写真と映像の流布に頭に来て調べてみたところ、ほとんどがシリア内戦で出回った映像や写真の流用だったらしい。

今では実際のガザで撮った写真や映像も出回るようになり、シリアやイラクの映像の流用の氾濫は収まったようだが、死と暴力と破壊のイメージの麻薬的な効果にすっかり耽溺して脊髄反射しか出来なくしまっていることの本質的な問題は、なにも変わってはいない。

むしろ最初は実はガセであった(ガザではなくシリア内戦の)写真に騙された人たちは、騙された自分達を自己正当化するために「これは本物の映像/写真だ」とされるものをさらに熱中して拡散し、その麻薬効果に耽溺していく。最悪、「デマであっても周知する役割は果たしたんだから良かった」とまで言い出す

この産經新聞の記事によれば、IDFのツイッター・アカウントは35万のフォロワーを持ち、活発にイスラエル側の主張を(英語で)流しているという。そしてハマス軍事部門の方も負けずに自分達のアカウントや、ガザ市民と称するアカウントを用いて情報を発信し、それをIDFの暴虐に怒ったというか、その実こうした映像のテロリズムの麻薬効果にすっかり依存症になった人たちがしきりにリツイートや引用、フェイスブックのシェアやメール添付などで無限に拡散して行く。

ちょうど福島第一原発事故と同じ現象だ。ネットなんだから、PCやスマホなのだから、簡単にGoogleマップで地理的情報くらいは確認出来るはずだ。 
Wikipediaでもなんでも、歴史的な時系列を把握するための情報源もあるはずが、Wiki を引くのは自分の薄っぺらな想像を逞しくするのに都合がいい文字列だけをつまみ食いするのがせいぜいだ。 
こうして現実に人が生きていることのコンテクストが一切無視されてゆく。

かくしてSNS上で増幅されるピクセル化された死や暴力の悲惨のイメージは、決してリアルに生きている人間の生活と生存の文脈に引き戻して、たとえば地図を参考にして咀嚼されることがない。

そして歴史つまり時間的にも、地理つまり空間的にも、人間の生活と生存の文脈が完全に無視された、断片化されたイメージのテロリズムによる戦争の最大の敗者は、だからこそまたもや、パレスティナ人の総体である。


もはや誰も、生きている人間、なんとか自分達の民族の尊厳を守るか回復し、オスロ合意で約束されたはずの自分たちの国を作ろうと、最大限に知性と現実主義を発揮して来た本当のパレスティナ人を、理解する気すら持っていない。いや見る気すらない。

それはハマス軍事部門とIDFやリクードだけのやったことではない。私たちもまた無自覚に、ただの軽薄で浮気な気まぐれで、そこに加担してしまっているのだ。

そうでなくともテレビの時代から、パレスティナ人は常に、西洋が中心の(歴史的にしっかり根付いた反ユダヤ主義差別の無意識な欲望の捌け口を含めた)国際社会が求める役割を演じさせられて来た。

9.11の直後には、実はなんの関係もないパレスティナの村の映像が「アメリカが攻撃されたことを喜ぶパレスティナ人」の映像として流布したこともある。


僕がイスラエルから西岸地域に行ってみたのは、その9.11から3ヶ月か4ヶ月後のことだが、その時にさんざん聞かされたのが、まずは(これは当たり前ではあるが)アルカイーダを支持する人は一人もいなかったこと、皆イスラエルの生存権自体は認め、ホロコーストについては同情すら語っていたこと、そしていちばん驚いたのはヤセル・アラファトが嫌われまくっていたことだ。

「とにかくあのアラファトという男は、腐敗していて、自己顕示欲ばかりが旺盛で、どうしようもない」

僕もどこかうさん臭い男だとはなんとなく思っていたので、波長が合って話し易かったのかも知れないが、出るわ出るわ、会う人ごとにアラファト批判の数々!

死後明らかになったとされ国際メディアに一時ちょっと流れたアラファトの腐敗の実態は、実はその数年前にはパレスティナ人には周知の事実だったのだ。

「ちょっと待ってよ。ならなぜ彼にみんな投票するんだ?」と訊いて見た。

「仕方ないではないか。彼は世界的に有名な唯一のパレスティナ人なのだ。どんなに我々が不満でも世界にとってはヒーローであるアラファトについて、誰も我々が言うことなど耳を貸してくれない。 
彼がパレスティナを代表していれば、世界がパレスティナに寄付してくれる。 
たとえその8割がパリで贅沢暮しをしている彼の若い妻の元に送られるといっても、1割くらいは我々の社会を支える金にはなる」

そのアラファトへの批判票が一気に吹き出したのが、2006年の選挙だった。しかしなぜ彼の生前にはハマス政治部門に投票するとか、対立候補を支持しなかったのか?

「アラファトの性格からして怖かったことは正直に認める。 
なにしろ自己顕示欲しかない男だ。彼を批判するためにハマスに選挙でも勝たせてみろ。 
国際的なジャーナリズムに向けて『パレスティナ人は文明に背を向けて狂信的なイスラム教徒になってしまった』とか大げさに嘆き悲しんでみせるに決まっているだろう?」

僕がこういう話をツイートしたり、フェイスブックのステータスで書いても、まるでシェアも拡散もしないのはなぜなのだろう?聞いたときにはいちいち納得する他になかった、ものすごく説得力がある話だと思うのだが…


本日のエントリーの写真はいずれもジョゼフ・クーデルカの写真集『WALL』より
Wall Josef Koudelka - Aperture Foundation

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