最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

10/13/2013

転向ユダヤ人だったヴェラスケスと『ラス・メニーナス』の謎



美は常に謎を孕んでいる。ある意味、世の優れた芸術は、そこに完全には決して理解しきれない謎か秘められているからこそ美しいのであり、そうした作品が評価されて来た理由は、たいがいは大なり小なり誤解なのかも知れない。

それでも作品は時代を超えて残り、我々はそこに隠された真実の美をどこかで直感するからこそ、それを愛し、賞讃し続けて来た。

ディエゴ・ヴェラスケスの『ラス・メニーナス』(1656年)は、スペイン国立プラド美術館の至宝中の至宝にして、西洋絵画の最高峰と謳われる。

美術史のなかで数多くの画家がヴェラスケスを称して「画家のなかの画家」と呼び、その最高傑作と多くの人が認め、愛し、崇敬して来た一枚は、今プラドの二階中央の諸王の間の、入り口から見て真っ正面に飾られている。


一見、宮廷のなにげない日常を切り取ったかに見える絵だ。

スペイン・ハプスブルク王朝フェリペ4世の幼い王女マルガリータを中心に、この少女に仕える侍女達が囲む光景、この侍女達が題名の由来だ。マルガリータはおしゃまなポーズをとっているが、彼女の左右からかしずくようにかがみ込む二人の侍女と、画面左の画家がこちらを見ていることに、いかにも日常の、さりげない一瞬を捉えたという趣きがある。


画面奥の暗がりには開けられたドアから光が入り込み、今にも部屋を去ろうとしつつ振り返る人物が、その捉えられた一瞬が過ぎ去り行くものであることを暗示し、現在のこの平穏な調和がはなかいものであることと、時間の永続性を見る者に想起させる。

なにげない一瞬だからこそ刻み込まれる、人の現実のはかなさと、時間の永遠。画面中央に立つあまりにも愛くるしい王女マルガリータも、その兄の王太子カルロスも夭逝し、スペイン・ハプスブルク王家の「青い血」がこの後まもなく途絶える歴史を知る者であれば一層のこと、ここに捉えられた調和の瞬間の貴重さに、想いを馳せるかも知れない。

だが実はこの絵には、遠近法を完璧にマスターしたヴェラスケスの大仕掛けが組み込まれていることはよく知られており、故に遠近法という西洋絵画の根幹をなすテクニックの最高の完成例とも言われる。

画面奥中央、遠近法の視線が収斂する先の焦点には、鏡のなかにおぼろげな男女の姿が見える。国王でマルガリータの父フェリペと、その王妃だ。

つまりヴェラスケスは鏡を用いることで遠近法をひっくり返しているのであり、この絵画全体を見渡す眼差しとは他ならぬ、その鏡に映る国王夫妻となる。

ディエゴ・ヴェラスケスはスペインのハプスブルク王朝フェリペ4世に仕えた宮廷画家であり、同時にその宮内長官にまで登り詰めた宮廷官僚でもあった。

絶対王朝の君主に仕える宮廷画家の最高傑作は、その絵画の切り取った世界を見る目を、国王の視線に一致させることで、その君主に仕える絵画表現の最高峰を産み出した、これはまさに絶対君主の見ている宮廷の風景なのだ、というのがこれまでもっとも流布して来た解釈である。

カトリック君主の絶対王朝の時代であればまだともかく、18世紀以降の、啓蒙主義も経て、革命の時代があり、民主主義ともなれば、ヴェラスケスのこの完璧に美しい作品のテーマはしかし、えらく時代錯誤に古くさいどころか、間違ったもの、今さら誉めるものでもないようにも思えて来る。

それでも19世紀以降の多くの芸術家たちは、この絶対君主に仕える芸術の最高の絵画表現であるはずのこの絵に深く感動し、賛美を惜しむことはなく、王の絶対性に奉仕したように解釈されるこの宮廷画家こそが、「画家のなかの画家」の賛辞を一身に集めて来た。

わけても同じスペインの20世紀が産んだ天才パブロ・ピカソは『ラス・メニーナス』を崇拝し、原画が描かれた301年後の1957年に、何枚ものヴァリエーションを連作することでオマージュを捧げている。


そのピカソ版の『ラス・メニーナス』の多くで、画面左の画家の姿が遥かに大きく、誇張されて描かれている。

これはピカソが、絶対王権の時代に王こそが全て、描かれた空間の支配者であるこの光景を見ている目であることを覆し、芸術家こそが主人なのだというメッセージを描き込んだのだと、通常は解釈されて来た。

ヴェラスケスは優れた画家であり、その技術と才能は「画家のなかの画家」と呼ぶにふさわしい。

だが彼はあくまで宮廷社会の、王に従属することに誇りを持った絵描きであり、近代の自立した芸術家ではない、と『ラス・メニーナス』は解釈されて来た。

だからこそピカソは、現代の、権力から独立した芸術家として、その権力構造を覆し、画家の優位を高らかに宣言したのだ、と。

しかし、ピカソは本当にヴェラスケスの描いた絵の主題をひっくり返したのだろうか?

一見、完璧な遠近法を表現したかに見える『ラス・メニーナス』は、一カ所だけそれが狂っている。他ならぬ画面左の画家、ヴェラスケス自身の前に置かれたカンバスが不自然に大きく、よく見ると絵筆を持った手との位置関係もおかしい。
  • プラド美術館公式サイトより 高解像度画像の『ラス・メニーナス』はこちら
光線と陰影もデリケートに計算され、柔らかな光が背景の暗がりにおぼろげに溶け込む表現から、ヴェラスケスが空間遠近法だけでなく空気遠近法の卓抜した技巧をこの一作に駆使していることが分かる。だが、カンバスの縁だけは、どこから入って来たのか分からない光で、極端に光輝いている。

画家自身の体のサイズこそ普通であるものの、ピカソは決してヴェラスケスのやったことを覆したのではなかった。むしろ本能的にヴェラスケスがこの絵で画家である自分自身を誇張していることを見抜き、その効果をピカソ一流のやり方で増幅させたのだ。


20世紀末以降のプラド美術館の綿密な調査で、『ラス・メニーナス』について今まで知られていなかった重要な事実が明らかになった。

ひとつはX線調査で、カンバスが当初はもっと普通の大きさで描かれていたこと、そしてより重要な発見は、ヴェラスケスが当初、自分を横顔の、カンバスに向かい絵筆をふるうその瞬間に描いていたことだった。

当たり前のことなのに先入観で気づかない、ということは世の中しばしばある。美術史はこれが絶対王政の時代の宮廷画家の作品であるのだから、ヴェラスケスの遠近法を完璧にマスターした技巧を駆使した大仕掛けを、フェリペ4世の視点を表現するためだったと思い込んで来た。

だがよく考えてみれば、これは宮廷生活のなにげない一瞬に時間の永続性を捉えた絵ではない。絵筆を持ちカンバスの前に立つ画家の前に、王夫妻がいる。ということは、これは王夫妻の肖像を描く画家の仕事の一瞬を捉えた絵なのだ。

一見、絵の主役に見える王女マルガリータは、実は肖像のためにポーズをとる王夫妻の目の前にいる。恐らくは、王夫妻の表情から柔和な自然さ、やさしさを引き出すために、画家の意向で両親の前に立たされているのだ。

つまりこれは画家ヴェラスケスの仕事中の姿を映す自画像なのであり、このシチュエーションのすべてが画家の仕事にこそ奉仕するためにあるだけではない。画家が自分自身を描いているということは、絵の視点は王夫妻のそれではなく、その位置に画家が自分を含む群像を見る鏡が、想定されなければならない。絶対君主の視線に一致させられているのは、画家自身のまなざしなのだ。

そしてヴェラスケスは一見さりげないが、その実計算され尽くした技巧を用いて自分のカンバス、つまり芸術家としての自分のすべてを表現する物体だけを、遠近法を狂わせることで存在を強調し、それだけでもなにかが足りないと思い、横顔ではなく、画面に正対する正面像として自分を描き直した。

黒衣の画家を目立たせる胸の赤い十字も、後から描き加えられていた。

では『ラス・メニーナス』が本当はなにを描いた絵だったのか。その解釈を決定づける新たな事実も、詳細な文献調査から次第に明らかになった。

『鍵、あるいはブレダの降伏』(1635年) 
画面右端でこちらを見ているのがヴェラスケス

従来、ヴェラスケスはセビリア出身で、若くしてその才能をフェリペ4世に見込まれ、ヨーロッパ各地に留学して様々な絵画の流派や技巧をマスターし、またその信頼の篤さから貴族に列っせられ、その宮廷の運営を監督する重責も任せられたこと以外は、その生涯はほとんど謎であった。

だがそこには、まったく意外な事実が隠されていた。ヴェラスケスの父はユダヤ人の職人であった。

イベリア半島からイスラム教徒を追い出したレコンキスタを経てカトリックの信仰が強要された時代である。ユダヤ人には亡命・移住するか、転向するか、異端審問の末処刑されるかの選択肢しかなかった。そしてヴェラスケスの一家は転向し、セビリアに残った。

つまりディエゴ・ヴェラスケスは当時のスペインでもっとも差別される階層、転向ユダヤ人の息子だった。

差別は神の意思に基づくものとされ、それと戦うことなど考えられない時代である。「豚」との蔑称で呼ばれた転向ユダヤ人が本来宮廷画家になることなぞあり得ず、まして貴族になるなんて考えられもしない。だがヴェラスケスは画家として、その大出世を実現した。

ヴェラスケスが『ラス・メニーナス』に最後に描き足したと思われる胸の赤い十字は、当時貴族だけが入隊を許されたカトリックの騎士団の紋章である。それは彼が出自を隠して登り詰めた地位の高さを誇らしげに伝えると同時に、差別と戦うことすら許されなかった時代にカトリックに屈服するしかなかったユダヤ人の、屈辱の刻印でもある。

1626〜28頃 若きフェリペ4世

フェリペ4世が、寵愛した服臣であり、その才能を愛し投資も惜しまなかった(ヴェラスケスのヨーロッパ各地への留学は、王が私財を投じて面倒をみたものだ)画家の正体を知っていたかどうかは分からない。

だがひとつ確かなのは、王は画家が自分の一族を美化した肖像を必ずしも描くわけではないことを承知の上で、中年以降の老醜が始まった顔を描くことも素直に受け入れたし、ヴェラスケスが宮廷に仕える矮人や、王子の遊び相手の白痴の少年、台所で働く黒人女中を、王一家を描く時以上の真摯な眼差しで描くことに、この画家の類い稀なる才能の発露を評価していたことだ。

1656年のフェリペ4世

ヴェラスケスの出自が、差別される転向ユダヤ人であったこと、彼がその出自を隠し、自身の才能の力でこの地位に辿り着いたこと、その事実が分かったとき、初めてこうしたその一連の作品の意味と、彼がなぜ「画家のなかの画家」と賞讃されるのか、なぜ一見宮廷の日常を描いただけに見えた『ラス・メニーナス』がこれほどの傑作、西洋絵画の最高峰になったのかが見えて来る。

王太子の遊び相手、白痴の少年フランチェスコ・レスカーノ(1640年)
矮人ながら一等書記官となったディエゴ・アセード、通称イル・プリーモ(1635年)
『ラス・メニーナス』部分

それはピカソも、彼を「画家のなかの画家」と尊敬した後代の画家たちも、誰も知らなかった事実のはずだ。それでもピカソは、その作品に描かれていたものを詳細に研究し尽くした結果、本能的にその本質を察知して、オマージュを捧げていたのである。

『ラス・メニーナス』は画家である、芸術家であることにのみ、自分が何者であるのかの答えを見いだした転向ユダヤ人の、芸術の世界のなかだけでは自分も王も矮人たちも、すべてが平等であり対等であることが出来たことを伝える、慎ましくも誇らしい自画像であり、画家とは、芸術家であるとは何者であるのかを描き切ったが故に、だからこそ絵画のなかの絵画なのだ。

ヴェラスケスが10代の末か20歳前後に描いた『台所の風景』
(1618-20年頃、シカゴ・アート・インスティテュート蔵)


その画家の秘密を、美術史のなかで誰も知らなかった。

だからこの絵が本当はどんな瞬間を描いたものであったかすら、分からなかったはずだ。それでも『ラス・メニーナス』は絵画のなかの絵画、画家のなかの画家の代表作であることだけは、誰もが認める事実として明らかだったのである。

若きヴェラスケスを代表する傑作がプラド美術館にある。『酔っ払いたち、あるいはバッカスの勝利』(1628-29年)だ。


バッカスはギリシャ神話の酒と享楽の神である。

だがヴェラスケスがその酒宴を描くとき、神とその従者はなまめかしい官能的な青年の姿となり、それ以上に見る者の目を惹き付けるのは、あたかもその二人の裸の青年に奉仕させるかのように、画面の中央に陣取り、豪快で野卑な微笑みでこちらに顔を向ける、名もなき百姓たちの迫力だ。



やはりプラド美術館の所蔵するヴェラスケスの、『ラス・メニーナス』の翌年の、晩年の傑作とされる『糸紡ぎの女たち』(1657年)は永年、実はヴェラスケスが描いたのではない形で伝えられて来て、何が描かれているのかも誤解されてきた。

この下の画像がこれまで知られて来た、加筆された『糸紡ぎの女たち』だ。上部のアーチが付け足され、左右の幅も広げられた画面では、ギリシャ神話で運命の糸をつむぐ三人の女神を、神殿の入り口に描いたものだと解釈され、ヴェラスケスの革新性は、せいぜいがその女神を美しい裸身ではなく、名もない庶民の職人階級の女たちとして描いたことだと思われて来た。


これも修復作業で上部と左右の加筆部分を取り除いた結果、斬新な構図を持った、まったく異なった絵であることが分かった。

そしてこの大胆に切り詰めた構図が表しているものも、自ずからまったく異なって来る。

神殿の内陣に見えた画面奥の、向こうの部屋に描かれたつづれ織りの図柄は、ヴェネチア派の巨匠ティツィアーノの『エウロパの陵辱』である。スペイン王室はルーベンスによるこの模写を永年所有しており、ヴェラスケスが参考にしたのはこちらだとも言われている。

ルーベンス(ティツィアーノの原画による)『エウロパの陵辱』

なおエウロパは、ヨーロッパの語源である。これはギリシャ神話でエウロパという王女が最高神ゼウスに犯され、後に王となる英雄を身ごもったことを描く絵だ。だが『糸紡ぎの女たち』をそうした神話に基づいて解釈することは、ヴェラスケスの本来描いた構図ではあまり意味がなさそうだ。

むしろこの絵では、『エウロパの略奪』はつづれ織り、タペストリーに変換されている。そして絵の主役は(従来の加筆部分を含めた場合の、壮麗な神殿ではなく)画面前の職人の女たち。画面奥の空間は神殿の内陣ではなく、ルーベンスやティツィアーノを模したタペストリーの飾られた貴族か富裕層の屋敷、あるいは宮廷だろう。

ヴェラスケスが描いたのは、ティツィアーノやルーベンスへのオマージュでは恐らくない。オマージュを捧げられているのは、その日々の積み重ねがいずれこの奥に飾られたタペストリーに至るのであろう、糸を紡ぎそれを織る女たちの仕事なのだ。

まったく異なった物語が、『糸紡ぎの女たち』の修復によって浮かび上がる。

薄暗い部屋で仕事にはげむ女たちの努力が、やがて華やかな屋敷か宮廷に飾られるタペストリーとなる、これはそれが作られるプロセスを一枚のカンバスに封じ込めた、時間の経過と永続性の絵画だ。そしてヴェラスケスにとって本当に大事だったのは、光にあふれ華やかなタペストリーでも、豪華で権力好みの、裸婦像を中心としたルーベンス的な神話的絵画でもない。

光のなかではなく手前の薄闇のなかで、日々の仕事をこつこつとこなす、名もなき女たち。そこにこそ晩年の画家は、それこそが自分の仕事、自分が自分であることの真実である、創造の神話を見いだしたのだ。


矮人のセバスチャン・ダ・モラ(1646年)

差別と戦うことすら許されもしなかった、多くの人にとっては考えることすらなかった時代に、転向ユダヤ人である出自、民族アイデンティティを隠し、棄てることでしか、自分が自分であることが出来なかった、しかしだからこそ誇らしく画家のなかの画家としての自分を獲得した天才が、晩年に見いだした真実が、ここにある。

これもまた、それは今まで決して語られることもなく、後代の加筆によって隠されていた真実であり、ヴェラスケスの秘密であり、謎である。

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