最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

8/15/2013

68年目の敗戦・そして「戦後」は終わろうとしている


今年68年を迎えた広島の原爆忌に発表された被爆者の平均年齢は78歳だそうだ。

被爆者の生存年数は極度に個人差があるので、ただの数字上のお遊びになってしまうとは思うが、被爆当時の年齢が10歳という平均だとするとちょっと「あれ?」と思ってしまう。実際に10歳で被爆した人は、ほとんどいないだろう。僕の勘違いでなければ、市内の満10歳の子供(小学校の高学年)は学童疎開で田舎に送られていたはずだ。

このように学童疎開の意味もおぼろげにしか分からない世代が、現代ではほとんどであって、被爆体験自体も、そこを生き延びた人々や当時を知る実体験者の記憶であったものは、それを直接には知らない世代にとっての歴史に変わって行く。それ自体は当たり前の時間の流れで、とやかく言うものではない。

歴史が歴史として、ちゃんと理解され継承されて行くのであれば。

「戦後」もすでに68年、「もう戦後ではない」と言われたのは1950年代のことだが、そろそろこの「戦後」という時代区分が過去になっても、そのこと自体はおかしくない。

ただ問題なのは、その過程で記憶が歴史になるべきところが、記憶は忘却され、ときになんとも珍妙で、いささか現実ばなれしてあらゆる意味で独りよがりなファンタジーに、都合良く塗り替えられそうなこと、それが現実離れしていることに気づけないほど、我々の感性が鈍化しつつあることだ。

小津安二郎の『東京物語』は、「もう戦後ではない」と言われた時代の、戦争の記憶の亡霊に取り憑かれた人々の物語である。

原節子演ずる紀子の夫、平山家の次男・昌次は、戦場から帰って来ていない。その未亡人である、血縁はなく、戦死者の夫/息子という不在によるつながりしかない嫁の彼女だけが、上京した老夫婦と自然な、あたたかい人間関係を結ぶ。



周吉「この昌次の写真、どこで撮ったんじゃろ?」
紀子「鎌倉です。お友達が撮って下さって」
とみ「そう、何時ごろ?」
紀子「戦争に行く、前の年です」
とみ「そう。まばゆそうな顔をして」
周吉「うーん、これも首をまげてるなぁ」
とみ「あの子の癖でしたなあ」

『東京物語』という題名からすれば不自然ですらあるのだが、空襲でほとんどが破壊されながら数年後には復興した東京も、その都市を代表するランドマークも、この映画にはまったく写っていない。わずかに宮城前広場と銀座が、老夫婦が紀子に連れられて乗る観光バスの車窓からかいま見えるだけであり、彼女がデパートの展望台(というか階段)から老夫婦に東京を見せる時にも、小津は頑として、復興した大都市・東京の風景を見せず、極度に抽象化された階段と、三人の後姿しか見せない。



対照的に、映画の冒頭では、空襲で焼けなかった尾道の歴史的な街並が、整然と並ぶ屋根を端正に捉えたショットの積み重ねで丹念に見せられ、尾道を代表するランドマークも冒頭ショットの船着き場の石灯籠から、しっかり映画に組み込まれている。

老夫妻が上京からの帰りに、三男・敬三(大坂志郎)の住む大阪に寄るときも、小津はこの短いシークエンスでもっとも合理的な、瞬時に大阪と分かるランドマーク、大阪城を見せる。だが東京ではここと分かる場所といえば、空襲で焼けなかった上野寛永寺の門前くらいだ(いや今では、これがどこなのかを分かる人も少なそうだ)。そのあと上野の陸橋から夫婦が東京を見渡すときも、二人がその大きさに関心する、見事に復興して繁栄した東京はまったく写されず、コンクリの手すりの向こうに隠れている。

空襲の焼け野原から復興した東京を、小津は敢えて見せない
「なあ、おい。広いもんじゃなあ東京は」 
「そうですなあ。うっかりこんなところではぐれでもしたら、一生涯探しても会わりゃしゃあせんよ」


東京に住む幸一(山村聡)、志げ(杉村春子)、紀子の住まいがどこなのかも「あちらの方」程度でしか示されず、見当がつかず、小津おなじみの「枕ショット」も、この映画における東京では、煙突、洗濯もの、看板、屋根と土手、団地といった情報だけが分かる、極端に抽象化された記号的な映像のみ。小津映画で登場人物が酒を飲みに行く際に必ず入る、飲み屋の看板が並んだ路地のショットですら、『東京物語』では提灯のアップだけで処理されている。東京駅に至っては、東海道線の発車時刻掲示板だけが場面の転換を示しているほどだ。


まるで空襲で徹底して破壊され、戦後8年ですでに元以上の大都会に復興した東京には興味がない、その映像としての東京の不在が、昭和20年3月10日に10万人の死者を出した、戦争でなくなった戦前の東京の亡霊を浮かび上がらせるかのように。

『東京物語』では、人物たちが室内に座っている、その満たされた構図から、誰かが起ち上がって席を外し、不在の空白が出来る、その不在の空白を埋めるように別の人物がフレームに入って来てその空間を占めることで構図が再び完結し、シーンが終わる、という演出が繰り返される。


すべてが「不在」と、その不在に気づきながら、それが気づかれぬのように装う、その不在の空間を埋めることで展開する。


その不在の中心にいるのが、戦死した息子だ。父母にとっても妻にとっても、日頃なるべく口にしないからといって忘れられるものではない。姉や兄には、そのことを考え続ける余裕がもはやない。

戦後の日本人にとってのあの戦争とは、そういうものであった。『東京物語』において、死者たちが戦争でいかについえたかについて口にされないのは、それがめったに語り得ない記憶である(その記憶の中身も含めて)ことを生者たちが理解し合っているからである。

死者達や、戦争で破壊された都市は忘れられたのではない。むしろその彼らの不在こそが、生者たちの心の底に実は刻印されていることを、だからこそますます語り得ぬことを、「戦後」の日本に取り憑いた不在の亡霊をこそ、この映画は実は見せているのだ。

とらわれていては生きていけないが、安易に忘れてしまうことは「許されない」以前に、忘れることが出来ないものが、戦後の日本にとっての「戦争」だったはずだ。

母・とみ(東山千栄子)が亡くなり、父・平山周吉(笠智衆)は紀子に、昌次のことはもう忘れていい、新しい幸せを見つけるように諭す。紀子は既に夫を思い出さない日も多いこと、このまま自分が昌次を忘れてしまう不安、忘れずにいれば、すでに大きく変わってしまった日本のなかで自分の将来に底知れぬ恐怖があることを告白する。


「わたくし、いつまでもこのままじゃ居られない気もするんです。このままこうして一人でいたら、いったいどうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が、なにごともなく過ぎて行くのが、とっても寂しいんです。どこか心の隅で、なにかを待ってるんです。わたしずるいんです。そういうこと、お母様には申し上げられなかったんです」

これは『東京物語』が作られ公開された当時の日本では、多くの人が、それまでの焼け跡の日々を生き延び、戦後の復興に邁進するために、止むに止まれず心の底に隠していた感情だった。

戦場で昌次や、兵士となった日本の息子達がなにをやったのかもまた、決して語られない、語り得ない(なぜなら、実はなにがあったのか、日本軍がなにをやったのかも、皆が察していたから)ことも含めて。

だからこそ、周吉は紀子の魂の告白に、ただこう応える。

「やっぱりあんたはいい人じゃ、正直で」

紀子も含め、平山家の家族とて、この時以外には昌次が戦死していることですら、あたかもなんでもないことであるかのように敢えて振る舞っていた。父母はそこにもういない次男の子供の頃のしぐさであるとかを、普通の想い出話のように楽しげに語りさえしていた。

そして父・周吉は、その戦後における戦争と戦死者の不在を抱えつつ、それでも忘れること、しまっておくことでしか人生が続かないことを、あえて紀子を「赤の他人」と呼ぶ言葉に託すのである。

「いやあ妙なもんじゃ。自分らで育てた子供よりも、いわば赤の他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた。礼を言うよ。ありがとう」

あくまで優しげな、しかしその実壮絶に厳しい決意を込めた、決別の言葉である。しかしそう告げる前に、周吉は紀子に亡き妻の形見として、時を刻む懐中時計を、「こんなもの今時流行るまいが」と言いつつ、与えている。


このシーンの時間を刻む汽船の規則的な音が、時計の音としてずっと紀子と共にあり続けることを、そっと願うかのように。

すべてがあの戦争からの時を刻み続ける音の規則的なリズムに収斂されるかもように、紀子を不安にさせるなにごともなく過ぎて行く一日一日の時間が、これからの日本の戦後にもずっと刻まれて行くかのように。

いわば赤の他人、しかし実は他人ではない。不在の死者を通じて結び合う家族だからこそ、彼女の「戦後」の幸せのために送り出さねばならない。

そして周吉は、空襲を受けず戦前のままの風景の尾道に、ひとり取り残されることを選ぶ。

平山家の庭には、不在の死者をそっと弔うかのように、地蔵が並んでいる。


こうしなければ、生き続けることが出来なかった。だが忘れてしまっていいのか? 

豊かになった戦後の一瞬に、小津は静かに、ポンポン蒸気と懐中時計の刻む規則的なリズムが時間の永続性を刻み続ける場に立ち止まって、この決して癒されぬ不在の哀しみを、そっと思い返すよう観客を誘ったのだ。

『東京物語』が世界的な名画に、小津安二郎が世界的な巨匠になったのは、ある意味偶然だ。これは同時代の溝口健二や黒澤明の諸作のように、復興した日本から堂々と世界に売り出そうとした映画ではない。たまたまロンドン映画祭が、製作から数年後に選んで上映したのを契機に、次第に知れ渡るようになったのだ。 
小津が同時代の、戦争から立ち直ったかに見えた同朋に、そっと差し出した戦後日本の密やかな悲しみを、当時の日本人はまさか西洋人にも理解されるものだとは、思いも寄らなかった。 
その不在の哀しみは、周吉と紀子の会話のように、決して直接には言葉に出来ぬ “その不在、その記憶” を、密やかに通じ合わせる傷ついた魂の交信と言ったものでしかあり得ない。
『東京物語』とほぼ同時代に、女優・高峰秀子は、成瀬巳喜男と木下恵介と組んで、小津ほどの「不在」をめぐる間接話法だけに徹したわけではないが、やはり「戦後」における「戦争」の不在をマーキングする二本の映画を作っている。 
成瀬の『浮雲』と、木下の『二十四の瞳』だ。 泣き虫の大石先生と戦後のすさんだ時代に身を落として行くゆき子、この二人の女は、もはや語り得ぬ不在となった戦争の記憶を背負った表裏一体なのだ。
このどちらも、最近になってやっと本格的に海外に紹介されて圧倒的な評価を得ている--当時この二本の高峰と共に落涙した多くの日本人は、しかしこれらの映画が外国人に理解されるとも、やはり思いもよらなかったことだろう。

     木下恵介『二十四の瞳』

それが実体験を抱えた当事者の「記憶」としての戦争、あるいは戦後の本質であった。日本の戦争は、それだけ重い記憶だったはずだ。

なのに67年も8年も経った今、そんな時代も、その前の戦争も肌で知っているはずの山田洋次が、なぜ『東京家族』という小津の中途半端なリメイクを作ったのか、昭和8年生まれの時代の実体験者ですら、その時の感情を忘れ、不在の死者たちへの思いが欠落してしまっているのだとしか思えない。

皮肉なことに、『東京家族』でまともに見ていられる人物は昌次と紀子だけだ。小津において不在であったが故に最大の意味を持っていた昌次の、その不在を埋めるために山田洋次が書いた、薄っぺらな今時の若者ステレオタイプの嘘くさい設定を、それでも自然に演じ切れてしまった妻夫木聡と、これまた途方もない難役になる現代版の紀子に不思議な存在感で説得力を与えた蒼井優には感嘆する他ないが、どんなにこの二人の若い演技者が傑出して優れていても、やはり「こんな人間いないだろう?」というファンタジーでしかない。 
いや蒼井優の紀子に至っては、もはやここにはいない「戦後」の日本人の亡霊であるからこそ、中途半端に現代に置き換えられた他の人物とは圧倒的に次元の異なる存在感を発散しているとしか思えない。

なぜ戦争と戦後に多感な性根時代を過ごした山田洋次が、『東京物語』が「戦後」だからこそ成立した映画であることにも気づかず、小津と野田高悟が書いた紀子が、戦死者という不在を内に抱えた人物だからこそ成立していたことにも気づかず、かように不器用なリメイクを、しかもとってつけたように東日本大震災への無理矢理な言及までねじ込んで作ってしまったのかは、およそ理解に苦しむ。


ところがその強引な偽善であるのがミエミエの震災への言及を担うのが蒼井優と妻夫木聡なので、それっぽく見えなくもないのが、山田洋次は馬鹿なのかしたたかなのか、東大出の映画監督って、頭が悪いのか頭がいいから俗受け確信犯狙いなのか、さっぱり分からない。たぶん人は悪いんだろうけど…。

だがそれだけ、戦争と、戦後は遠い、忘れられた過去に、実体験者のなかですらなってしまったのかも知れない。

小津、成瀬、木下によって「映画史」には鮮明に刻印され昇華されたにせよ、決してその記憶そのものが「歴史」として消化されることもなく。

再び『東京物語』、紀子は周吉に告白する前に、義妹の京子(香川京子)の潔癖な若さゆえの姉や兄への批判を、こう諭す。


京子「他人同士でももっと温かい。親子ってそんなものじゃないと思う」 
紀子「だけどね、京子さん、あたしもあなたぐらいの歳では、そう思ってたのよ。でも子供って大きくなると、だんだん親からはなれて行くもんじゃないかしら。お義姉さまぐらいになると、もうお義父様やお義母様とは別の、お義姉さまだけの生活ってものがあるのよ。お義姉さまだって、決して悪気であんなことなさったんじゃないと思うの。誰だってみんな、自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」

『東京物語』は、表面上は東京に出た子どもたちが老夫婦に冷たい、という物語に見える。

だから「他人同士でももっと温かい」はず。今の世の中はあまりにも冷たくなってしまった。

だが本当に「冷たい」のは、戦争とその死者たちの記憶を、現代の日本に生きる者が、たとえそれが家族であっても、忘れたかのようにして振る舞って来なければならない日本の現実のことなのだ

だからこそ、自分の生活が一番大事…だがそれで済まされるのかは、重大な問題でもある。「なぜあの戦争が起こったのか?」を考えたとき、誰も戦争を止められなかったのも、「国を守る」ですらなく、それぞれに社会のなかで守りたかった目先の生活があったからだ。

だからこそ、小津は敢えてその問いをポンと映画のクライマックスの直前に放り出す。戦後の日本が、すでに同じ状態に陥りつつあることを、さりげなく示しながら。

今年、製作60周年になる『東京物語』の、日本人にとってのその存在は、今や痛烈な皮肉である。世界映画史の最高の名作のひとつとして、今や世界中で見られている映画が本当に「理解」出来るのは、それでもあの戦争と戦後の歴史を背負った、日本人だけだ。

最初からこの映画の画面には、そこにあえて写されていない戦争の死者たちと、戦争の痕跡どころか復興すら画面から隠されているからこそ、確かに映っている。そのことに気がつけるのは、このわずか8年前に東京が一面の焼け野原であったことを忘れようがない日本人だけだ。

映画が弔う死者が、映画のなかで死ぬ母だけでなく、戦死した昌次であることに気づけるのは、日本人だけだ。

だが今や日本人でさえ、これを隠された死者達の記憶についての映画であると気づいて見はしないだろう。そこに家族の崩壊の悲哀だけを見る、世界中のどの観客とも変わらない見方でしか、もはや我々は『東京物語』を見てはいまい。

かくして「戦後」は終わり、あまりに重いからこそ生きていくためには滅多に語り得なかった戦争の記憶は、ただの忘れられた過去になってしまったようにみえる。

テレビだとNHKは八月を「戦争と平和を考える月間」にしているらしいが、今年の目玉番組は斉藤由貴が緒方貞子氏を演ずるドキュドラマだという。19世紀ならフローレンス・ナイチンゲール、20世紀なら緒方貞子と言っていいくらい平和に貢献した勇気ある女傑であり、その活躍を通して今もなお世界で続く戦争や、そこに巻き込まれた難民に思いをはせるのは、まことに結構なことである。

だが緒方氏をとりあげることが、そういう純粋な企画意図でこの8月の目玉番組になったわけでもあるまい、というところが困ってしまう。

第二次大戦の話では暗過ぎて視聴率が稼げない、日本の軍国主義の話では政界官界がおもしろい顔をしない、原爆や空襲の話にすれば、加害者はアメリカとなるのも政治的に都合がよろしくないし、ここはひとつ日本人がポジティブなヒーローの話を、という下心が露骨過ぎる。

逆に戦時中の作家と戦争協力を取り上げた番組も、これとか戦後の半島からの引き上げの話と抱き合わせだから成立したのかも知れないが。

これが68年の時代の流れなのかも知れないが、とはいえ他人同士でだって、戦争で苦しみ命を落とした死者たちに、「もう少し温かい」のではないか?こうも簡単に忘れ去っていいのだろうか?

元来、8月の定番といえば空襲に遭ったり、原爆のこと、あるいは戦場の兵士の悲惨な体験であっても、狂奔する軍国主義の戦争に意に反して翻弄される名もなき庶民の苦労話だった。

日常には忘れていても8月には思い出すのは、平和憲法を選び、二度と戦争はしないと誓った我々の父母や祖父母の体験を、我々が決して軽んじはしないことの証のはずだ。それは「普通の国」だのの軽薄な言葉や、軽率な「安全保障」だのの安易な言葉で軽々に論じていいことではない。

  「被害者としての日本人」の反戦映画の傑作『ビルマの竪琴』(竹山道雄 原作・脚本 和田夏十・監督 市川崑)

有名人でも山本五十六元帥のように、意に反して戦争で活躍する、そのこと自体は有能なヒーローに見えつつも、その実翻弄された人物であることがドラマの鍵だった。

『私は貝になりたい』のようなB級C級戦犯の不当判決の逸話を、A級戦犯免罪の理由に利用するなんていう、呆れ果てる破廉恥な非常識は、以前の日本ではあり得なかった。

B級C級はあくまで命令されただけ、翻弄された庶民だったと認識されるのが常であり、だから共感されたのだ。「日本人の被害者意識」を叱責した大島渚ですら、『戦場のメリークリスマス』のサディスティックなハラ軍曹(ビートたけし)を、最後には翻弄された庶民が狂ってしまったのだと見せて終わらせている。


戦争を始め、戦争を命じたA級とは違うし、A級に最大の責任があることは、言わずもがなの共通了解の真実であり、だからこそあまり語られもしなかった。


むろん実際には、靖国神社に今も集う戦争生き残りの人の多くが、A級戦犯も祀られていることに不満を持っている。 
ここ10年ともなると露骨に批判する人も少なくない。 
まず戦死者ではないA級戦犯には靖国にいる資格すら本来ないだけではないのだし、なんと言ったって、戦友達は誰の命令で、誰のために死んだのか?

そんな傾向を大島渚は「被害者意識に耽溺する無責任」と厳しく批判したわけだが、時代は大島さんの叱責とは逆方向に進み、昨今の流行は、たとえばTBSは沖縄戦当時の沖縄知事を緒形直人に演じさせるらしいが、「民を守ったヒーローの日本人」を称揚する(って、実際に沖縄は守られてないし、人々が守られるべきだったのがアメリカからだったのか、それとも日本軍からだったのかも、沖縄戦の場合は判然としない)ことであるらしい。緒方貞子氏がとりあげられるのも(頭が下がる他はない大変な女傑であることは確かにせよ)そんな「日本人は人命を救ったヒーローだった」路線に見えて来て、なにかうさん臭い。

意に反して戦争に翻弄される庶民の主人公の裏には、唯々諾々と進んで戦争に翻弄されたさらに多くの庶民がいたことこそ、歴史として客観視したときに明らかな警鐘であるはずなのだが。

自分の生活が一番大事。だから戦争で不在になった者を日々思っているわけにもいかない。

だが忘れてしまっていいのか?

あるいは、忘れたくても忘れられない傷を負ったものたちは、逆に社会から取り残されるのだろう。彼ら自身が、居ながらにして不在な、過去の亡霊のようになりながら。それはたとえば被爆者であり、戦争遺児であり、『東京物語』の平山夫婦や紀子のような遺族たちであり、無惨な死に方を強制された戦友達を忘れられない、本当に心から靖国神社にお参りしている人たちであり、またかつては「日本人」ということにされ、「お国のため」(実は自分の国ではない、征服者のため)を強制された、従軍慰安婦制度などの被害者でもある。

安倍晋三首相の口癖であるらしい「後世の歴史家が判断する」云々に従えば、もはや立派に歴史であるその過去を後世の我々が客観視する限り、その時代に戦争に反対した国民はほとんど見当たらない。

「しなかった」のか「出来なかった」のかは微妙に問題が残るところではあり、だから歴史家が検証し続けていることでもある。そこでも、小津が紀子のために書いた台詞の言葉が、重い意味を持つ。




紀子「そうねえ…。でもみんなそうなって行くんじゃないかしら?だんだんそうなるのよ」  
京子「じゃあ、お義姉さんも?」 
紀子「ええ。なりたかないけど、やっぱりそうなって行くのよ」 
京子「いやあねえ、世の中って」 
紀子「そう。いやなことばっかり」 


ところが後世なんだから多少は客観視出来るはず、自分たちの生活とはもはや直接関係はずの戦後世代が、「お国のため」という定型句すら忘却した上に、およそ眉唾でしか見ていられない、ヒロイックなフィクションに実際の過去を塗り替えるのが、今の日本のトレンドであるらしい。

いやヒロイックな(実在の)人物ならまだマシな方で(とはいえ渡辺謙が演じた『硫黄島からの手紙』の栗林中将とか、実際の生き残り兵からは「あんなかっこいいわけがない」と悪評プンプンだったが)、たとえば口先だけは勇ましく「自虐史観」批判を展開する皆様が作り上げている日本観ともなると、悲しいくらいにみじめなのである。

まだ緒方貞子さんの活躍なら、憧れる子供や、触発されて難民問題に関心を持つ若者が出て来るのはとてもけっこうなことなのだが、どうも安倍さん辺りと仲が良い、今時の日本の極右な方々が言い張っているような(安倍さん自身が信じ込んでいそうな)、あまりに哀れな日本の物語となると、教育上の効果すらおよそ期待できまい。

なにしろ、どうも彼らに寄れば、近代の日本は欧米の人種差別と植民地主義にいじめられて耐え抜いて、ついに我慢の限界でキレた哀れないじめられっ子であったらしい。

あるいは、そんな欧米の人種差別と植民地主義から守ってあげるために、朝鮮半島を保護してあげることにして、さらにしっかり守って発展させてあげようと併合してあげた、えらく親切というか余計なお世話の馬鹿みたいなお人好しな国が、日本だったということらしい。

さらに貧しい朝鮮半島の女性に売春という高給の仕事を与えて救ってあげたのが日本軍であるらしい。なのに従軍慰安婦問題などと言って日本を責める韓国はひどい、のだそうだ。

ふ~ん、そこまでやさしくしてあげた相手に、こうもツレなく嫌われるんじゃ、「誰にも理解されなでかわいそう」と同情してあげたくもなるのと同時に、「そりゃ誤解される方がよほど不器用だったか、ただの馬鹿の独りよがりの勘違いだったんじゃねーのか?」と、つい疑ってしまいます。

なんだかツンデレな女の子に相手にすらされずに逆恨みしている、非モテないじめられっ子クンで今はオタクのまま中年が、自分のことを完全に勘違いして恥ずかしげもなく喚き立てている泣き言みたいではないか、この「自虐史観」に怒ってるらしい皆さんの日本観って。

それが本当に過去の日本だったのであれば、それこそ「空気が読めない」コミュニケーション障害かなにかの、徹底的に社会不適合者じゃなかろうか?うぅむ、だったら鎖国し続けたままの方が、まだよかったんじゃない?

あまりに哀れ過ぎ、無様にかわいそうなだけの日本像であり、子供が憧れようもない、馬鹿にしそうなフィクション。なのに教科書まで作ってしまうんだから彼らは歴史だけでなく、教育を、つまり未来をも馬鹿にしている。

歴史つまり過去への感性も、次世代の教育つまり未来への感覚もない。恐るべき停滞した時間の漫然と続く刹那感の自己中心性しか、そこには見い出せない。自分につながり、それがあったから今の自分がいる過去も、今の自分達からつながって行く未来への時間感覚すら喪失し、この場を生きる自分たちの、それも社会性の抜け落ちた自己中心的な自己の正当化にしか興味が持てないのが、安倍晋三と戦後68年の日本のようだ。

しかも守ってあげようとした中国韓国から今はいじめられて悔しい、あいつらは反日なんだ…とかいう話なると、なんかこっちの方が遥かに自虐的な自己アイデンティティ認識過ぎて(日本は常に誤解され仲間はずれにされていじめられるかわいそうな弱者であるらしい…いや、世界有数の大国ですけど?)、個人レベルなら一度しっかりカウンセリングでも受けて考え方を整理した方がいい、そうしないと本格的な精神障害になりそうに思えて来る。

もちろん実際の歴史をきちんと把握しようともせず、ご都合主義のつまみ食いの強引なつなぎ合わせをやってるから、こんな支離滅裂になってしまうのに過ぎないわけだが、こういう極端な(いささか病的な)例はともかく、昨今の日本は確実に、自国が過去に受けた戦争の惨禍にも、その戦争を自ら始めてしまった歴史にも、無頓着な国になりつつある。

誰だってみんな、自分の生活がいちばん大事になってくる」と言ったって、もはや我々の生活を左右するようなことではない。もう歴史となった過去のはずなのだが。

慰安婦問題への「反論」と称するもののなぞ、「どこまで戦中の日本の基礎知識すら欠けているのだろう」と呆れてずっこけるような話ばかりだ。高給を謳う募集広告を「証拠」と言われたって、こいつらどこまで世間知らずなんだと思うだけだし(大本営発表、とかの皮肉も通じない人々と思われマス)、「お国のため」の殺し文句の強制性は日本人でも逆らえなかった時代とも知らずに「強制だった証拠がない」とか、もはや「民衆はパンがないと言っているが、お菓子を食べればいいじゃない」と言ったというマリー=アントワネットばりの浮世離れっぷりだ(ちなみにフランス大革命当時に王妃が実際にそんなことを言った、という史実は確認できない)。

満州や半島からの引き上げ時に、方正の集団自決などの悲劇があったのは事実だ。だが南京大虐殺への「反論」のつもりで引き上げの苦労を持ち出されたって、「お前ら時系列と言うことを知らんのか」で話が終わってしまう。新撰組が時間の確認に腕時計を見る、というのに近い時代錯誤っぷりだ。

今年4月の核拡散防止条約の会合で、核兵器の使用を「あらゆる場合において」非人道的とみなす決議に、日本は署名しなかった。唯一の被爆国、誰よりも核兵器のもたらす悲惨を知っているはずの国民が、である。

さらに困ったことに、この事実を伝えたのは原爆忌のNHKなら広島と長崎の各放送局の直接担当分、平和祈念式典の生中継と、7時のニュースなどの生中継枠だけだ。

日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。 
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。 
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。 
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。 
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです
長崎市・田上市長の平成25年の平和宣言全文 

広島の松井市長は直接言及はしなかった(しかし他では、政府に厳しい批判が多い平和宣言だった)が、長崎の田上市長が読み上げた平和宣言がはっきりとこの被爆国にあるまじき行動を責めたことにも、東京の本局は言及しない。

もはや日本人は知らない、興味すらないのかもしれない。

だとしたら、『東京物語』の京子の台詞を借りるなら、「他人同士でももっと温かい。親子ってそんなものじゃないと思う」 。

アメリカ人の多くは、今だに広島・長崎の原爆を「戦争終結のためには必要だった」と正当化できると思っているが、それは単純に実際に広島や長崎の受けた惨禍を知らないからだ。

大浦天主堂、つまり当時のアジアで最大のカトリックの大聖堂が、原爆の爆心地近くにあったことなど、敬虔なキリスト教徒のアメリカ人ほど知れば絶句し、原爆使用は正当化され得ないと気づく(だから当初は保存されるはずだった天主堂の廃墟が撤去され新たに再建されたことには、保存派の市長が訪米後に撤去再建派になったなど、どうもアメリカ政府の圧力がかかっているとみなすべき根拠も多々ある)。

ちなみに僕は小学校が、戦争は弱いくせに核保有国のフランスだったわけだが、原爆なんてなにも知らなかった同級生が「フランスは核兵器を持ってるから日本より強いんだ」と(まあ、なんと無邪気に。男の子って基本バカです)言うので、ムカついて、家にあった原爆の本をごっそり翌日学校に持っていって、「これを見ろ。こんな酷い武器を持っていることがそんなに嬉しいか」とやって喧嘩に勝ったことがある。 
喧嘩は圧勝、かつ先生がすぐに気づいて、即座に反核・平和主義の授業になった。ええ、核保有国でも、核兵器がどれだけ邪悪で非人道的なものか、まともな学校の先生なら必ず教える。 
よほどおかしな思想に洗脳でもされていない限り、「こんなこと、人間が人間に対してやるのは決して許されない」と思うしかない悲惨なのだ

アメリカでだって、広島や長崎で実際に起こったこと、今でも被爆者に起こっていることを少しでも知った上で、それでも「パールハーバーが」なんて言い出す輩は、核兵器の直接関係者の苦しい言い訳でもない限り、よほどの馬鹿であろう。

そりゃエノラ・ゲイの乗員やその遺族ともなれば、頑強に(実は自分達が間違っていると分かっていながらも)原爆投下を正当化するしかあるまいが。

実際にちゃんと話してみなさい。滅多にそんなのはいない。アメリカ人は、ただ知らないだけなのだ。

再び、田上市長の今年の平和宣言より


このむごい兵器をつくったのは人間です。 
広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。  
核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。  
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。 
だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

だが「立ち返るべき原点」を知らないのは今や、日本人でもどっこいどっこいかも知れない(だからアメリカ人にも説明出来ない)。知らないし想像力も、死者への敬意も謙虚さもない。

原爆忌に当然ながら反核団体や反戦団体が当たり前のことを訴えると、「騒がしいのは追悼の邪魔だ、プロパガンダだ出て行け」とか言い出す輩まで出て来るのである。

そういう君たちは、いったいなにを「追悼」しているつもりなのか?

プロパガンダを言うのなら、広島と長崎の原爆忌は、その日があること自体がまぎれもない反核のプロパガンダである。パブリックな儀式で幾十万の死者や被爆者を思い追悼することは、優れて有効なプロパガンダの手段だ。

そしてそれは、圧倒的に正しいプロパガンダだからうむを言わさぬほどに有効なのだ。

再び、長崎市の田上市長。

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。 
かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。 
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。 
68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。 

未だに核保有国である大国が発言権を持つ国際社会の実際がなんであろうが、そのような核兵器に頼った疑心暗鬼な「安全保障」の「核抑止論」などのプロパガンダが、いかに道徳的な誤りであるかを糾弾して来たのが、広島であり、そして長崎である。

2009年には将来の(どんなに遠い将来になるにせよ)核廃絶を方針として打ち出したオバマ政権は、だからこそ米国民に核軍縮を納得させるためにも、日本の協力が欲しい。

アメリカ人が原爆を、広島と長崎で何が起きたのかを、知らないだけなのだから。

オバマが広島と長崎に行けば、米国のメディアは原爆がどんな被害をもたらしたか、報道せざるを得ない。そうすれば、アメリカ人もまた知ることになる。知ってしまえば、自国が膨大な核兵器を保有したこと、それを実際に人間相手に使ってしまったことに納得するのは難しくなる。

ええ、メディアを用いた世論対策、プロパガンダ戦略です。なんか問題あります?

被爆の事実を伝えることほど、強烈にして非の打ち所のないプロパガンダはない。よほどおかしな思想に洗脳でもされていない限り、「こんなこと、人間が人間に対してやるのは決して許されない」と思う他はないのだから。

しかし今年もルース駐日大使が(三年連続で)平和祈念式典に列席し、あわせてオバマ政権の目指す核廃絶に日本の協力を望む、という主旨の声明も出しているのを、日本政府は無視しているし、メディアでもせいぜいベタ記事だ。

そんな事情もちゃんと報道されていれば、広島で安倍首相が読み上げたあいさつ文がいかに薄っぺらな偽善に満ちた欺瞞に過ぎないか(全文はこちら)、非難の声があがって当然なわけである。だが、その首相の挨拶も生中継以外ではまず電波に乗らない。

「来年は、我が国が一貫して主導する非核兵器国の集まり、「軍縮・不拡散イニシアチブ」の外相会合を、ここ広島で開きます」ってねぇ、安倍さん…あなたなに考えてるの?

オバマの核削減の動きも、松井市長が既に平和宣言で言及し、それが世界の潮流だと言ってるんですよ。なのに…安倍さん…

…非核保有国を広島に招いて「責務を果たしている」とか暢気なこと言ってないで、オバマ連れて来いよ安倍さん。

アメリカ大統領と言えども、公式ルートで広島訪問を打診されれば、それが世界中でおおやけになれば、そう簡単には断れない。しかもオバマ自身が「道義的責任」も明言し、来たがっているのだし。

それにしても、こうなると怒りを通り越して呆れる他はないあいさつ文ではある…。

戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。蝉しぐれが今もしじまを破る、緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見いださずにはいられません

…ってあんたねぇ、松井市長が被曝差別の悲しい体験をも盛り込んだ平和宣言を聞いたあとで、この人はよくもまあ、こんなことを言えたもんだ。

他人だってもっと温かいはずだ。まして同じ日本人、その子・孫らの世代の日本を代表するのが、首相として広島のあの場にいたあなたではないのか?

官僚の作文を朗読しただけなのは分かる。だがそれでも、安倍晋三氏は、こんな駄文を広島で、原爆忌に読み上げて、恥ずかしくならなかったのだろうか?

こちらが広島市の松井市長の、今年の平和宣言の出だしである

幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ家族を持てず、孤老となった被爆者。「生きていてよかったと思うことは一度もなかった」と長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、深い傷跡は今も消えることはありません。 
生後8か月で被爆し、差別や偏見に苦しめられた女性もいます。その女性は結婚はしたものの1か月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、優しかった義母に「あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー」と離婚させられました。 
放射線の恐怖は、時に、人間の醜さや残忍さを引き出し、謂(いわ)れのない風評によって、結婚や就職、出産という人生の節目節目で、多くの被爆者を苦しめてきました。 
無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。 
原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。 
辛く厳しい境遇の中で、被爆者は、怒りや憎しみ、悲しみなど様々な感情と葛藤し続けてきました。後障害に苦しみ、「健康が欲しい。人並みの健康を下さい。」と何度も涙する中で、自らが悲惨な体験をしたからこそ、ほかの誰も「私のような残酷な目にあわせてはならない」と考えるようになってきました。 
被爆当時14歳の男性は訴えます。「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば戦争を避けることは決して夢ではない
  
一方の安倍晋三首相、未認定原爆症問題に言及したのはいいが…

原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう、最善を尽くします。被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や被爆された方々の代表を含む関係者の方々に議論を、急いでいただいています。

これではかえって被爆者に失礼だろう…。

平和宣言が、黒い雨の降った地域や被曝量の実態が、政府の認定基準と異なることにも厳しく言及していた、それはもはや科学的なデータで実証された揺るぎない事実であり、政府の誤ったデータ(あるいは、恐らくは恣意的な虚偽)故に大量の未認定の被爆者が出てしまったことは、もはや明らかなのに。

「議論を急いで頂く」なんて他人に丸投げのけったいな敬語を用いた、無責任な官僚答弁で済ませられることではない。本来なら、政府の代表として、それが過失にせよ、意図的な隠蔽だったにせよ、謝罪しなければならないことだ。

ちなみにこれは米国で原爆資料が国家機密指定から外れて以来すでに10数年、次々と明らかになっている新事実のひとつだ。 
未認定原爆症は科学者が立証して政府が認めているよりも少ない被爆量でも健康影響があるからだ、というのはまったくのデマであり、事実は真逆に、これまで政府が認めて来たのよりも遥かに被曝量が多かったから、悲惨な被ばく被害が広がり、かつ未認定として放置されたのだ。 
福島原発事故で、松井広島市長が平和宣言で言及した被爆差別や風評が、今度は福島県について再燃しているので、こうした誤解はちゃんとクリアにしておきたい。 
広島と長崎の原爆に寄る被曝量は、未だに日本政府が固執し、福一事故後ににわか反原発になった人たちもなにも知らずに踏襲している推定量より、遥かに、桁違いに多い。 
「低線量被爆が」ではない。相当に高線量の、命に関わる被爆が、無視されて来たのだ。

いったいどこの国の総理大臣なのか分からなくなるが、安倍さんが求める「戦後レジューム」云々(regimeだからどう読んでも「レジーム」だと思うが)というのは、どうも実際の支配体制(つまり戦後regimeって、自民党と官界だろう?)ではなく、こうした記憶や、当然の国民感情をうやむやにして、あわよくばきれいさっぱり忘れてしまうことらしい。

そのニッポン国の、どこの国の公共放送か分からないNHKは、広島原爆忌の7時と9時のメインのニュースで、平和祈念式典よりも米大リーグの薬物スキャンダルの方が放映時間が長かった。

さて68回目の終戦の日(敗戦記念日だが)は、どうなるのだろう?

第一回(昭和22年)の広島の平和宣言には、

「けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから」

と書かれている。

ちなみに広島市の復興局で作成されていたこの宣言を、日本政府が握り潰そうとした経緯がある。起草していた担当者を守ったのが、GHQが広島市復興局に派遣していた担当の青年将校だった。この史実をもってしても、安倍のスピーチの「戦後の日本の先人」を馬鹿みたいに美化した下りは噴飯ものだ。

この昭和22年に発せられた平和を希求する心がしっかり歴史として刻み込まれるならともかく、こんな誓いをしたことすら忘れた、戦争の惨禍をなにも知らない、学ぶ気すらない人たちが、だから戦争ごっこに憧れるのだとしたら、困ったものである。

かくして「戦後」は終わろうとしている。あまりに重いからこそ生きていくためには滅多に語り得なかった戦争の記憶は、ただの忘れられた過去になってしまったようだ。この多くの日本人が苦しみ、日本人が多くの他者を苦しめてしまった過ちを、繰り返してはならないはずなのに。

繰り返さないためにも、忘れてはならないはずなのに。68年も経てば、もはや辛過ぎて語り得ぬ体験ではなく、歴史として冷静に見つめ直すべき時なのに。

ただしひとつだけ朗報、安倍さんを仰ぎ奉って中国や韓国と戦争したくてウズウズしているらしい人たちの誰一人として、15年間の戦争、たとえば兵站の確保すらやってない中国戦争を生き延びた日本兵たちのような、精神力も体力もない。 
つまり、戦争なんて出来っこない。 
アメリカ製の高価な装備とかを持ってたって、それだけじゃ(全面核戦争でもなければ)戦争なんて出来はしません。そんな意識じゃ確実に負けます。昭和16年の日米開戦よりももっと勝ち目のない戦争にしかならないし、4年どころか数週間ともつまい。 
ただね、そんな時代錯誤で幼稚な、出来もしない戦争ごっこファンタジーに耽溺してたら、戦争以前に外交でメチャクチャになって、負けます。それはそれで困る。だいたい、亡くなった人たちに申し訳ない。

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