最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

1/01/2013

謹賀新年・少しでも希望の見える年になりますように

毎年恒例(?)の年賀メールのブログ転載、昨年ぶんはこちらになります。またとくに昨年の前年総括と比較するとだからどうした、という話になるのかも…。>


旧年中はお世話になりました。


2012年は、福島浜通り・双葉郡(警戒区域となる直前)といわき市で撮影した新作ドキュメンタリー『無地地帯 No Man's Zone』を、2月のベルリン国際映画祭を皮切りに世界各地の映画祭で上映する傍ら、その“続編”となる、震災一年後から始まる一年間を記録する『…そして、春』の撮影が続きました。


『…そして、春』のきっかけは、『無人地帯』が縁で知り合った富岡町からいわき市に避難している友人が、震災一周年の前日に一時帰宅の許可が出たので、一緒に行かないかと誘われたことでした。

一方で、富岡町の桜の名所、夜の森に花見に行こうという話しがあり、その模様を撮影出来れば、原発事故発生と避難から一年後の春を撮ることで、決して負けてはいない人々の意志を伝えられる、という考えから始まった企画でした。

富岡町・夜の森の、全長2Kmの桜並木


しかし行政の側がすったもんだの末、花見のために警戒区域内に入る許可は出さず、代わりにマスコミに取材許可、という(つまり肝心の地元の人間はテレビやインターネットで懐かしんで下さい、という)気を遣っているフリだけを装いながら無神経極まりない話になってしまい(そんな桜を見ても虚しいだけです)、3月末に予告されていた避難区域の見直しも先延ばしになったところで…

…これはもう、政府は避難民に根比べを挑むかのように、なにも決めないままものごとを先延ばしにするつもりではないか。

『無人地帯』の、築140年のお宅が津波に耐えた、いわき市豊間の四家さん夫妻も、『…そして、春』で再び登場します。

言い換えれば、なにを決定するのにもその責任をとりたくない政治家も官僚も、事故で避難させられた人々が仮にもう帰れなくなるとしても、ならば政府が決定するのではなく、彼らに諦めさせることを選択したのではないか、ということ。

原発事故避難に限らず、似たようなことは津波被害の地域でも行われているようです。津波を受けた場所に今後も住めるのか住めないのか。その決定は先延ばしにされ、最悪、実は計画案が出来ているのに、まだ「住めないことになります」といった話を住民側にはなしない。


なにも決められない行政の結果、なにも変わらない一年。非日常が日常になったまま、宙ぶらりんの存在を強要される現実があるのに、「ニュース」とはなにか新しいことが起きれば報道するという、その報道の基本原理からこぼれ落ちているだけでも、被災地や被災者のことはどんどん忘れようとしている「その他の日本」。

ならばこの “なにも変わらない一年” と、一年間の四季の対比から、一本の映画が出来上がるのではないか」と企画を書き換え、春、夏、秋、そして冬と、それぞれの季節の浜通りを撮り続けることになった次第です。

 『…そして、春』企画概要(英文)

『…そして、春』は、明日の正月二日、その一時帰宅に最初に連れて行ってくれた友人と同級生、今年厄年を迎える人たちの厄払いを撮影して、クランクアップします。

予算や製作会社がつかないままの見切り発車企画で、まだまだ前途多難ではありますが、秋頃にまでは完成できれば、と思っています。

一方で、『無人地帯』の方は、世界各地の映画祭ドサ周りの一年を経て、春頃には東京を皮切りに劇場公開の予定です。

また震災前までは編集していたものの、「震災前に撮ったものを今さら完成させる意味があるのか」と思ってしまい、5時間近いラフカットのまま収集がつかなかったこともあって放置していた大阪での即興劇映画『ほんの少しだけでも愛を』も、昨年末から編集を再開したところです。


結局、この大災害も腐っても鯛の(まだまだ)先進国ならではの強みなのか、結果からすれば直接の被害を受けたのはごく一部、1億3千万の大国からすれば人数的には1%にも満たない人数で済んだこと自体はよかったとはいえ、それをいいことに、この国は結局この災害からなにかを学び、なにか変わろうとすることを放棄したとしか思えないのが、正直なところです。

実際どのような復興方針をとるのかも決められない政府の会議が決めたのは、復興予算の名目でなんにでも流用できる予算を確保しただけ? 遅ればせながらその流用の実態が告発されたのはいいものの、その流用を可能にする文言が会議の提言に盛り込まれていることは、発表当時に精読すれば誰もが気づくような話なにに、なぜ最初に「これはおかしい」とマスコミや「識者」は言わなかったのか?見て見ぬふりは、なかったのか?


そんな時代では、現代日本を蝕むアイデンティティの危機と、それと裏腹の関係にある根深い差別やいじめ問題、この国がかつて目指した「豊かさ」はとんでもない心の貧しさを生んでしまったのかも知れないという疑問は、結局は消えることはありません。

ならば「タブーに挑戦」だらけの、過激過ぎるこの映画を、あえて映画としても思いっきり過激な「意図的に破綻した映画」として完成させる意味もあるように思える次第です。内容も構造もあまりに過激で型破りなので、どこで上映されることになるのかは、まだ分からないにせよ(現状で3時間20分の大長編であることも含め)。



本年もよろしくお願い申し上げます。

新年のご挨拶を、ブログで失礼いたしました。

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