最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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7/03/2012

映画上映のデジタル化、インディペンデントにとっての利点と問題点

これを言うとたぶん業界内で袋だたきにされるんだけど…ミニシアターの経営者の皆さんには申し訳ないんだけど…僕らの作っているような小規模な、独立系の映画が生き残って行くのに必要なのは、実はシネコンでも上映されるようになることです。


いやかつてフランス映画社配給作品専門館だったシャンテ・シネや、ユーロスペース、今はないシネヴィヴァン六本木など、ミニシアター文化最盛期にいろいろな映画を見ることがで育って来た世代としては、非常に恩知らずな話なのだが、資本の論理というものはそういう冷酷なものだし、時代は技術的にもメディアのあり方的にも激変してしまった以上、仕方がない面がある。


ミニシアターとは、小規模の公開でプリント数が少ないが、いい映画が評判さえ良ければ長期間上映することもできる前提で繁栄したものだ。それはフィルムによる上映ならではの文化だったとも言えるが、今ではことインディペンデントの、僕らの作っているような映画は、フィルム上映が前提ではなくなっている。システムの構造が技術的な根本部分から変わってしまったのだ。


映画とて経済的には資本主義の論理のなかでの商売である。シネコンが入場者数の損益分岐点が低い上にヒット作一本かぶりで黒字になり、立地条件もよく「映画ファン」でないお客の目にも触れる機会が増える。「シネコンなんて」と口にしがちだが、映画作品それ自体にとってのメリットは、実はけっこう大きい。


損益分岐点が低いということは、平たく言えば多少の博打でも経済的なリスクが製作・配給側に少なくなるわけだし、かといって劇場側のリスクも高くなるわけではない。シネコンの多くの損益分岐点は、観客動員が劇場座席数の10%代前半の水準であるらしいのだ


これがミニシアター系の配給興行のサーキットだと、劇場がブランド化しているぶん配給がより多く負担をかぶりがちで、その配給は経営上、製作側に負担を求めざるを得ず、気がつけばいちばんなけなしの金で映画を作っている作家や製作がいちばん負担が大きかったりもする。


損益分岐点の部分を予め劇場が配給に払わせる保証興行なども少なくないし、そこで提示される数字が観客動員にして40%とか50%の数字だったりするが、これはもうインディペンデント映画に「死ね」と言っているに等しい。


4週間のたとえばレイトショー興行なら、それだけで140万くらいの現金を予め準備する、借金でもしなければ映画がかけられない、という計算になってしまうのだ。さらに宣伝に最低で150万くらいはかかるとすると、300万…。しかし有名ブランド化したミニシアターでも、そこまでの集客能力を劇場自体が持っているわけでは、必ずしもない。席数100の小屋でほぼ8割の入りで、やっと劇場公開が黒字、製作費の回収なんて一銭も出来ない、という計算になる。


日本の資本主義制度では、土地・不動産の資産価値がいちばん大きいから、劇場という不動産を持っている興行側がいちばん力を持ってしまう、という面もあるし、逆に言えばミニシアター側もその不動産資産の減価償却をこなさなければ破産しかねないわけで、だから採算分岐点がどうしても高くなってしまう


そしてこと今年ぐらいから決定的になってしまった要素もある−−デジタル・シネマ・パッケージ(DCP)上映対応の2Kや4Kのプロジェクターがあるかどうか。映画館で「デジタル上映」と書かれている場合、シネコンならばそれはDCP上映なのだが、これがミニシアターだとせいぜいがブルーレイや、下手するとDVDだったりする上に、プロジェクター自体DCPのそれに比べれば格段に性能が落ちるのだ。「いい映画をいい環境で見られるのがミニシアター」という文化は、これでは完全に崩れてしまう。


ブルーレイやハイビジョン受像機の普及で家庭でも高画質が楽しめる時代、映画館がよりよいサービスを提供できないとかなり苦しい。観客は千数百円というかなりのお金を払って、日常の家庭では体験できないはずの体験をしに、映画館にやってくるのだ。だから欧米の独立系の、日本でいえばミニシアターにあたる小屋は、最近では設備にもかなりの投資をして快適な劇場空間と美しい映写を確保しようとしている(またそういった劇場への補助金制度も、あったりする国がある)。


今ではほとんどがハイビジョンのカメラを使ってデジタル撮影される低予算映画を、より製作意図の通りに上映出来るのが実はシネコンになってしまっているのであって、日本のミニシアター系はこの点で完全に出遅れてしまった。


極端な話、シネコンでないと正しく上映できないインディペンデント映画も増えているのだ。


たとえばDCPで仕上げるのなら、6チャンネルや、場合によっては8チャンネルのサラウンド音声を、ドルビー・エンコーディングを経ずに、直接に個々の独立した音響トラックをそれぞれのスピーカーから出す、という形で実現できる。これはドルビーに対応したスタジオを高い賃貸料で借りなくても、6チャンネルなら6チャンネルの上映施設があって、そこの音響システムに音声編集用のツール(たとえばProTools)を接続することで、サラウンド音声の映画が作れることを意味する。しかもかなり高価なドルビー・ラボラトリーのライセンス料を支払う必要がない。


僕の最新作の『無人地帯』もこのやり方で、ほとんどお金を使わずに5.1チャンネルのサラウンド音声を作った映画だ。これはまさに上記のやり方で、東京日仏学院の映写施設を借りて、音響デザインとミキシングの臼井勝の職人芸でProToolsを持ち込んで音を作っている。設備使用については日仏学院の好意もあり、ほとんどお金はかかっていない。


昨年『カルロス』の三部作・5時間版が東京日仏学院で上映された際にも、監督のオリヴィエ・アサイヤスは音声も映像も本来意図したものではないことを上映前に断っていた。ブルーレイ用の素材での上映だったのだが、この映画もフィルム撮影で完成フォーマットはDCP、ドルビーではない独立形式の5.1チャンネルだったのだ。


そしてこうした5.1チャンネル音声の映画はDCPを導入した劇場でないと正確には上映できない。


僕らのような映画の場合、ぶっちゃけた話、今では海外の映画祭だとたいていシネコンの会場での上映が一回はあるわけで、上映それ自体のクオリティから言えば僕らのようなお金はかけられないしデジタルだが映画の職人仕事の面ではいろいろ凝って作り込んでいる低予算映画だと、シネコン上映がいちばんよかったりもするのは実体験済みである。


しかし日本のミニシアターのなかには、ハイビジョン上映ではHDCAM(業務用のハイビジョンの標準仕様)すら対応していない映画館も少なくない。民生用の、圧縮率が高いHDV方式に対応している劇場ですら稀だ。ほとんどがブルーレイ上映であり、つまり映画館ではなく大きなホームシアターとあまり変わらないのが実態なのだ。いかにブルーレイが最近ではとても高画質だとは言っても、である。


ミニシアターでも最近は複数スクリーンで客単価あたりの経費を抑え、番組数を増やして個別作品ごとのリスクを下げるなどはしているが、それが配給・製作側の採算リスクを下げるまでには至ってないのが現状で、ただでさえ小規模な会社が毎回毎回大きなギャンブルを打つことになる。ところがかつて「あのミニシアターでやる映画はいい映画だから必ず見よう」という客がついているような、有名ミニシアターのブランド力は、地方興行のブッキングが増える程度には残っているものの、観客動員それ自体に関しては20年30年前ほどの力は失ってしまっている。


インディペンデント映画はミニシアターで興行するもの、という既存の固定観念に留まっているだけでは、いかにこうした映画の製作が経済的にハイリスクどころかどんどんジリ貧になっているか分かって頂けただろうか?


しかもまたミニシアターの側でも、自劇場の番組作りでのブランド・イメージや価値の確保に必ずしも成功しなくなっている場合が多い。いい映画が作られていないわけではないのだが、海外作品も含めてそれがなかなか国内で上映されない、劇場が欲しくても配給されない場合も少なくない。インディペンデント映画でも保証興行等で公開の初期投資が高いなら、どうしても手堅いというか、いわば(こういっては悪いが)俗っぽい、あまりオリジナリティのない作品、映画の中身でリスクを負わないものが多勢を占めてしまい、プログラムが保守化し、かつてのミニシアター文化を支えた「最先端の映画が見られる」という魅力がどんどん失われるという悪循環だ。


今、このような既存の状況をさらに悪化させる上で決定的なのは、やはりDCPによるデジタル上映が急激に普及しながら、初期設備投資が高い、制度上の問題などで、ミニシアターがそこに立ち後れてしまったことだろう。


皮肉なことに、デジタル撮影機材の進化で、今では低予算でも相当に画質がいい、見ていて素直にきれいな映画はどんどん作れるようになった。しかしそれを完全な形で上映するにはDCPが必要…となるとシネコンの方が環境がいい、ということになっているのが、隠しようもなくなって来ている現状なのだ。


またそこで、ミニシアター系の興行が確立したバブル時代末期(もう20年以上前)から変わっていない、当時の映画上映態勢や社会情勢には適確だったが、今では時代に合わない慣習が多い。


たとえばフィルムだと上映プリントがあまり作れない関係上、東京での単館から順次地方で、というシステムが出来上がってしまったままだ。これはネットでの口コミや宣伝効果のメリットが極めて低い一方で、上映素材の複製が簡単なデジタルではほとんど意味がない。


ネットで話題になれば北海道の人でも熊本でも、「この映画、見たいな」と思うだろう。ところがその土地での上映ははるか数ヶ月先で、となると、やっと上映された時にはもう忘れられていたりする。


大手の大作ではDCPの登場で大量の上映プリントの作成および輸送経費が劇的に減ったので、DCPは大手に有利なだけだと思われがちだが、発想を逆転させれば、小規模で低予算の映画でもより多くの上映素材で同時に何カ所でも上映が可能になるのだ。


なのにこういうやり方がなかなか変わらないのには、映画宣伝が過去の、東京中心の雑誌出版に頼った枠組みを棄て切れていない問題も、たぶん大きいのだろう。



困ったことに、日本では新聞テレビですら実態はかなり中央集権的だし、雑誌も基本的に「東京で作られるもの」だから、地域に密着した健全なメディアが育ちにくい。文化も東京発信の中央集権的なものであり続けた歴史があり、インディペンデント映画などは完全にその枠組みで消費されて来た。

かつてミニシアター文化の確立に大きな力を持ったのが、たとえばマリー・クレールといった雑誌に蓮實重彦氏が映画評を連載し、おしゃれに気を遣うだけでは飽き足らなくなった女性たちがミニシアターの映画を見出したことも大きい。そこで上映される映画が、芸術的な先進性という「高級感」を持っていたのだ。


だがこれは今のミニシアターで上映されるとくに日本の(デジタル撮影の)インディペンデント映画には、まったく当てはまらない特質、商品イメージだ。つまりかつて蓮實氏がヴェンダースやゴダール作品の映画評を中心に確立したり、タルコフスキーの晩年の作品、テオ・アンゲロプロスの映画などによって作り出されたミニシアターのブランドイメージは、今そこで上映されている映画のほとんどに当てはまらない。今こうした劇場サーキットで繰り返されるのは、「映画への愛」といった誰も本気では信じないし、そもそも興行という観点からすれば後ろ向きで内輪向け過ぎる観念だ。


そうやって東京でまず「おしゃれなもの」として発信され地方に広がって行くというバブル時代的な考えも、ミニシアター文化の、今となっては負の面として、しかもその「おしゃれなもの」の商品価値を失った今でも、残り続けている。


東京での発信と地方での上映の時間差をなくすのなら、デジタルなら上映コピーの作成は極めて安価なのだし、ミニシアター系でも全国公開という選択肢とか、逆に地方から始める映画興行だってあり得るのに、業界の体制が今のところそこに対応しようともしていない。小規模な映画だからプリント数が少なく、だから単館上映で逆に付加価値をつける、という高級ブランド的な発想は、今では意味がないというのに。


デジタル上映であれば全国同時公開も理論上はすぐにでも出来ることなのに、誰もそういうやり方を試してみようとしない。それが今自分達が配給し興行している映画の特性を生かしたやり方になるかも知れないとしても、試してみないからうまく行くか分からず、分からないから誰も手を出さない。

東京が先行でなく全国公開とか、わざと地方から公開を始めるとかやったら、東京の有名ミニシアターがいやがってブッキングしてくれないかも知れない、という恐怖感だって、配給も製作もないわけではない。ミニシアターの興行システムに頼ってると、かえって自由がなくなることにもなりかねない。


だが僕自身の作家としての感覚でいえば、とくにデジタル製作の映画をちゃんとDCPで、つまりHDフォーマットなら2Kで十分に美しいし今後はREDだとかも使えれば4Kも、という高画質で上映できることは、業務用液晶プロジェクターでホームシアターと明らかな違いがない程度のミニシアターよりも、魅力になってしまう。映画とはたしかに映画館の漂わせる文化的雰囲気も大事だが、やはり基本は科学技術的な芸術メディアなのだし、技術的にきちんと上映されるのがなによりも重要になってしまうのだ。


とにかく映画上映の急激なデジタル高画質化の流れに、いささか出遅れてしまった日本のミニシアター系の興行だが、これまでのやり方やシステムの抜本的な見直しも含めたことを考えないとかなり苦しいし、今までのやり方だと真っ先に経済的に潰れるのが僕ら作り手であることは、忘れて欲しくないと思う。


とはいえ現状決して経営が楽ではないミニシアターの多くがDCPを導入するのは困難だろうし、シネクラブ等はさらに苦しいだろうが、ここは日本の映画文化を守るという観点から、文化庁などの政策的な戦略、補助金などがあって然るべきだし、要請すべきだと思う。


一方で僕らのようなインディペンデントの、より先鋭的な映画がシネコンに参入できるように、たとえば9スクリーン以上の施設であれば1スクリーンはインディペンデント系の映画の上映を義務づけるみたいな制度も、文化庁などで考慮して欲しいと思う。


日本の映画業界は、どうにも戦時中の反省から国や地方の行政からの支援を受けたくないと考える傾向がまだまだ強いし、それは精神論としては正しいとも思うが、現代の、見返りが即要求される経済システムでは文化としての映画を守ることはかなり難しいのだし、意識の大転換は必要だと思う。また行政や、議員などの政治家の側でも、文化を守るということは政治の重要な責任なのだという意識を持って欲しいとも思う。


先日参加したエジンバラ国際映画祭では相米慎二監督の回顧上映が大いに評判になった。日本の映画というのは世界的にみてももの凄く高い文化水準にあるものなのだ。それは政治的にも、守って行くべき価値のあるもののはずだ。文化とは国のアイデンティティに他ならないのだから。


文化の創造と継承こそが、国家の歴史的継続性を担保するものであることは、忘れてはならない。

9 件のコメント:

  1. 匿名7/10/2012

    映画館での勤務経験があり、異論がありましたのでコメントさせて頂きます。


    >僕らの作っているような小規模な、独立系の映画が生き残って行くのに必要なのは、実はシネコンでも上映されるようになることです。

    シネコンで上映されない映画をミニシアターが上映している、というのが現実ではないでしょうか?

    昔はミニシアターで上映されていたような作品も、ヒットが見込める映画はシネコンが上映してます。
    だから、ミニシアターはシネコンが手を出さない作品を上映するしかないのです。

    クリントイーストウッド監督の「J・エドガー」でさえ、上映しないシネコンがたくさんあったそうです。中国・四国地方では上映されなかったそうです。
    シネコンが上映するかも・・ということでミニシアターも上映できなかったみたいで、ファンにとっては散々ですよね。

    つまり、採算が取れなそうな映画は上映しない、というのが経営を優先するシネコンのスタイルなんだと思います。



    >ミニシアターとは、小規模の公開でプリント数が少ないが、いい映画が評判さえ良ければ長期間上映することもできる前提で繁栄したものだ。それはフィルムによる上映ならではの文化だったとも言えるが、今ではことインディペンデントの、僕らの作っているような映画は、フィルム上映が前提ではなくなっている。システムの構造が技術的な根本部分から変わってしまったのだ。


    東京のミニシアターだけだと思います。地方だと次の劇場の初日が決まっているので上映期間は決まってました。デジタルになってその縛りがなくなりつつあるので、デジタル化はミニシアターにとっても利点はあります。



    >損益分岐点が低いということは、平たく言えば多少の博打でも経済的なリスクが製作・配給側に少なくなるわけだし、かといって劇場側のリスクも高くなるわけではない。シネコンの多くの損益分岐点は、観客動員が劇場座席数の10%代前半の水準であるらしいのだ

    シネコンの経営状態を熟知はしていませんが、この記事は本当なのかな・・?という気がします。
    某大手シネコンに勤めていた方に聞きましたが、そのシネコンはほとんど採算が取れてなかったそうです。

    現に、スタッフもほとんどアルバイトか良くて契約社員です。各サイトに正社員は一人か二人らしいですよ。

    責任ある職種でも契約社員でボーナスなしはざらで、年収は250万くらいらしいです。
    そんな待遇で将来見込めないからほとんど辞めるみたいですが、会社側は高給取りはいらないから若いスタッフを循環させる方が経営的には良いのだと思います。


    ミニシアターはもっと過酷ですが、スタッフの薄給に支えられているのが日本の映画館だと思います。

    映画や映画館が好きだと薄給でも耐えれるんですよね。


    >4週間のたとえばレイトショー興行なら、それだけで140万くらいの現金を予め準備する、借金でもしなければ映画がかけられない、という計算になってしまうのだ。さらに宣伝に最低で150万くらいはかかるとすると、300万…。しかし有名ブランド化したミニシアターでも、そこまでの集客能力を劇場自体が持っているわけでは、必ずしもない。席数100の小屋でほぼ8割の入りで、やっと劇場公開が黒字、製作費の回収なんて一銭も出来ない、という計算になる。


    これは東京のミニシアターなんでしょうか?
    地方のミニシアターでここまで強気な条件は聞いたことありません。


    >なのにこういうやり方がなかなか変わらないのには、映画宣伝が過去の、東京中心の雑誌出版に頼った枠組みを棄て切れていない問題も、たぶん大きいのだろう。


    東京中心のミニシアター興行網に意義を唱えられていますが、それは敢えて東京で公開しなくても今のネット時代ではあまり関係ない、ということですよね?
    となれば、条件の高いミニシアターで無理して上映せず、東京以外の条件の低いミニシアターで上映しても興行成績にはほとんど影響しない、ということになるのかなと思います。


    >デジタル上映であれば全国同時公開も理論上はすぐにでも出来ることなのに、誰もそういうやり方を試してみようとしない。それが今自分達が配給し興行している映画の特性を生かしたやり方になるかも知れないとしても、試してみないからうまく行くか分からず、分からないから誰も手を出さない。


    フィルム上映の時でも、地方初の映画はたくさんありました。
    ご当地映画はほとんど東京よりご当地上映が先だったと思います。


    あと、ネット時代ではありますが、全国民がネットを見ている訳ではありません。
    年配の人はネットをほとんど見てないです。ネットもろくに見ず、普段は映画情報をとくに気にかけていない一般の方に対しては、「口コミ効果」というのは未だに大きいです。

    全国同時公開の効果が出るのは、テレビなどで大量スポットを出してほとんどの国民から認知されている大作だけだと思います。

    残念ながら、ドキュメンタリー映画を気にかけている人はそんなにたくさんいないですよ。

    最近だと「エンディングノート」は口コミで徐々に拡がっていった作品だと思います。

    全国同時公開してたら、すぐに打ち切りになっていたのではないでしょうか?

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    1. 「シネコンで上映されない映画をミニシアターが上映している、というのが現実ではないでしょうか?」って、あのぉ、だからシネコンにインディペンデント系ないしアート系の日本映画の上映を義務づける、っていう話を書いているんですけれど、いったいどこ読んでコメントされてるのでしょうか?

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    2. >あと、ネット時代ではありますが、全国民がネットを見ている訳ではありません。

      だからちゃんと読んでからコメントして頂きたいんですが、「ネット時代だからどうこう」なんて話はしてないんですけどねぇ?デジタルなら複製を安価に大量に出来るから、ユーロスペースなど東京の有名ミニシアターで単館ロードショーというビジネス・スキームはもはや時代遅れだ、って言ってるのですが?

      こうやって感情論だけで自分たちの立場の保身に走ろうとするから、ミニシアター・カルチャーは貧すれば鈍する、となっているのが現状なのでしょうね。

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  2. 匿名7/10/2012

    (続き)

    >そしてこと今年ぐらいから決定的になってしまった要素もある−−デジタル・シネマ・パッケージ(DCP)上映対応の2Kや4Kのプロジェクターがあるかどうか。映画館で「デジタル上映」と書かれている場合、シネコンならばそれはDCP上映なのだが、これがミニシアターだとせいぜいがブルーレイや、下手するとDVDだったりする上に、プロジェクター自体DCPのそれに比べれば格段に性能が落ちるのだ。「いい映画をいい環境で見られるのがミニシアター」という文化は、これでは完全に崩れてしまう。


    DCI規格はハリウッドが勝手に決めた規格ですが、それが世界的な流れになっているので受け入れざるを得ない面はあり、その投資が出来ないミニシアターが不利になっていることは確かにそうだと思います。

    ただ、ハリウッドの撮影とドキュメンタリー映画の撮影とでは、撮影にかける費用もカメラも照明の数も全く違うものだと思いますので、ハリウッド映画と同じ条件で上映してくれ、というのはちょっと違うのかな・・と思います。

    「ダークナイト」なんて、IMAXカメラで撮っているらしいですから。IMAXカメラで撮影された映像を忠実に再現出来るのはIMAXフィルム上映だと思いますが、日本ではもうその設備をもった映画館がないので、厳密に言えば「ダークナイト」を忠実に再現できる映画館はない、ということになります。


    私の経験ですが、ある程度のプロジェクターでブルーレイ上映であればHD撮影のドキュメンタリー映画であればほとんどのお客さんは違和感を持たず見てくれます。
    私が見てても「綺麗に映ってるな」と思います。

    藤原さんはDCPとブルーレイで見比べているから違いが分かるだけだと思います。

    比べないと分からないレベルであればとりあえずはいいのかなと私は思います。

    そのうち、DCPの機材も安くなるだろうし、安くなってから投資する方がミニシアターの経営には良いはずなので。


    >そしてこうした5.1チャンネル音声の映画はDCPを導入した劇場でないと正確には上映できない。


    ブルーレイも5.1チャンネルに対応していると思いますが、それとDCPの5.1チャンネルは異なるのでしょうか?

    異なる場合、具体的に何が違うのでしょうか?


    >しかし日本のミニシアターのなかには、ハイビジョン上映ではHDCAM(業務用のハイビジョンの標準仕様)すら対応していない映画館も少なくない。民生用の、圧縮率が高いHDV方式に対応している劇場ですら稀だ。ほとんどがブルーレイ上映であり、つまり映画館ではなく大きなホームシアターとあまり変わらないのが実態なのだ。いかにブルーレイが最近ではとても高画質だとは言っても、である。

    HDCAMの再生機を持っている劇場はほとんどないと思います。数百万するんですよね?
    HDVであれば持っている劇場はあるかと思いますが、今は配給会社がブルーレイで出すことが多いみたいです。

    ブルーレイであればホームシアターとあまり変わらないというのは確かにそうですが、超高級なホームシアターをお持ちの方は、シネコンの上映よりもブルーレイのホームシアターの方が良い、と言ってる方もいるので、ホームシアターに対抗するには、IMAXデジタルの導入とかになってきます。


    >ミニシアターでも最近は複数スクリーンで客単価あたりの経費を抑え、番組数を増やして個別作品ごとのリスクを下げるなどはしているが、それが配給・製作側の採算リスクを下げるまでには至ってないのが現状で、ただでさえ小規模な会社が毎回毎回大きなギャンブルを打つことになる。

    映画館もリスクを負って知名度の低いドキュメンタリー映画を上映しているのだと思います。


    >ところがかつて「あのミニシアターでやる映画はいい映画だから必ず見よう」という客がついているような、有名ミニシアターのブランド力は、地方興行のブッキングが増える程度には残っているものの、観客動員それ自体に関しては20年30年前ほどの力は失ってしまっている。

    これは東京のミニシアターのことですよね?

    東京発の宣伝でなくとも良いのであれば、東京のミニシアターにこだわることはないですよね?


    >一方で僕らのようなインディペンデントの、より先鋭的な映画がシネコンに参入できるように、たとえば9スクリーン以上の施設であれば1スクリーンはインディペンデント系の映画の上映を義務づけるみたいな制度も、文化庁などで考慮して欲しいと思う。

    インディペンデント系の映画は数が多過ぎるので、もし実現しても各作品の上映回数はかなり少なくなりそうですね。


    >日本の映画業界は、どうにも戦時中の反省から国や地方の行政からの支援を受けたくないと考える傾向がまだまだ強いし、それは精神論としては正しいとも思うが、現代の、見返りが即要求される経済システムでは文化としての映画を守ることはかなり難しいのだし、意識の大転換は必要だと思う。また行政や、議員などの政治家の側でも、文化を守るということは政治の重要な責任なのだという意識を持って欲しいとも思う。

    元々ヤクザの世界だったからですかね。

    国への働きかけは、全国のミニシアターを束ねようとしているコミュニティシネマさんが積極的にやってくれています。


    >文化の創造と継承こそが、国家の歴史的継続性を担保するものであることは、忘れてはならない。

    同感です。
    フランスのようにもっと映画にお金を掛けて欲しいですね。

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    返信
    1. あのぉ、このコメント欄で常々言っていることなんですけれど、こんな長文のコメントを寄せるなら、なぜまず本文をきちんとお読みにならないのでしょうか?あなたがお書きになっていることの答えは、ぜんぶ本文中に書いてありますよ?

      削除
    2. 「私の経験ですが、ある程度のプロジェクターでブルーレイ上映であればHD撮影のドキュメンタリー映画であればほとんどのお客さんは違和感を持たず見てくれます」って、あなたが傲慢なド素人であればそう思うんでしょうけど、作家とお客をバカにした劇場なんて、そりゃ潰れて当然でしょうね。

      削除
  3. 付け加えておくならば、「映画と映画館が好きなんです」とかの愛情の押し売りをするミニシアターというのが、今後確実に日本の映画文化を潰して行くことになると思う。

    返信削除
  4. 匿名3/14/2013

    藤原様

    返信頂いていた事に気付いておりませんでした。私がコメントしてもこのページにアップされなかったので、コメントは公開されていないものかと思ってました。
    藤原さんが返信するとコメントがアップされる仕組みなんですかね?
    コメントしている方がまさか私だけではないでしょうし。


    藤原さんは反論されておりますが、それでは質問させてください。


    ~~~~~~

    ①藤原さんの作品は東京のミニシアターで公開しないで全国展開出来るのでしょうか? 藤原さんの論理だと東京のミニシアターの価値はないのですから、東京で上映しなくても良い、ということですよね?


    ~~~~~~

    ②藤原さんの作品はシネコンでも上映してくれそうなのでしょうか?シネコンと言ってもいくつか会社もありますが・・。

    ~~~~~~

    ③日本のインディーズ作品の撮影がハリウッドの撮影と同レベルだと思っていらっしゃるのでしょうか? 
    映画を観る限りでは大きな差があると感じます。予算が違うので仕方ないことですが、上映に関してハリウッドレベルを要求するのであれば、撮影もハリウッドレベルでないとお客さんに失礼になるのではないでしょうか?
    これは音にもいえます。映画を観る限り日本は撮影も音もレベル低いです。要するにお金掛けていない訳ですよね。
    映画館に対して「お金掛けて設備整えろ!」と仰るなら、製作側もお金掛けるべきですよね。


    ~~~~~~


    >付け加えておくならば、「映画と映画館が好きなんです」とかの愛情の押し売りをするミニシアターというのが、今後確実に日本の映画文化を潰して行くことになると思う。

    ということは映画への愛ではなく、単に商売として映画館を維持していくことの方が日本の映画文化を発展させることになるのでしょうか?

    単に商売としてやるなら、それこそインディーズ作品は上映されることないのでは?

    映画館として楽なのは自分達で宣伝しなくてもお客さんが来てくれるメジャーの作品をロードショーでやることです。条件は高いですが、「ポケモン」にしても「ドラエモン」にしても「踊るシリーズ」などのようなテレビドラマ映画にしても、何もしなくてもお客は来ます。

    けど、知名度の低いインディーズ作品は自分達で一生懸命宣伝しないとお客さんは来てくれません。

    だから、商売としては、インディーズ作品は旨みがないのです。
    旨みがあるのはメジャー作品です。

    そのおいしくない作品を映画への愛故に上映しようとするのがミニシアターです。要するに映画バカです。

    私にはそんな旨みのない商売は出来ないので映画館から足を洗いましたが、人生をかけてミニシアターを維持し、映画文化を支えている人がいることは間違いありません。

    ミニシアターがなくなれば、インディーズ作品上映する映画館はなくなりますよ。

    返信削除
  5. すみませんが、レベルが低過ぎてまったくお返事する気になりませんね。あなたが「日本のインディーズ作品の撮影」と「ハリウッドの撮影」を比較するときに、そこにかかっている予算額だけで判断している時点で、悪いけどそんな人が経営するミニシアターで自分の映画を上映してもらうなんて侮辱としか思えませんね。

    映画の撮影のよしあして金額で比較するものではないし、まして他作品と比較してどうこうするもんじゃないでしょう?どこまで意識が低いのだか、呆れます。

    >①藤原さんの作品は東京のミニシアターで公開しないで全国展開出来るのでしょうか?

    僕は自分の映画が世界中のどこかで上映され、資金が回収が出来ればいいので、別に日本で公開しなくてもとくに構いません。ましてやお金がないところで必死にハリウッド映画の真似事をやらなきゃいけないとか思い込んでいるほど意識の低いのが今のミニシアター業界なのだとしたら、存続する価値もないんじゃないかと思いますが?

    >②藤原さんの作品はシネコンでも上映してくれそうなのでしょうか?

    いわゆるシネコンで公開した国もありますけど、それがなにか?

    で、あなたは本文のなにを読んでいるのでしょうか?インディペンデント系の上映を1スクリーンとか義務づける、政策的な映画保護振興策を提案してるんですけど?

    >ミニシアターがなくなれば、インディーズ作品上映する映画館はなくなりますよ。

    つまりこんな品性の欠如した脅迫もどきをやるような人間に、映画業界になんぞ関わって欲しくないわ、穢れるわ、っていうのが僕の正直な本音になります。

    返信削除