最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

1/24/2010

不完全でなければ存在理由を持ち得なかった映画

承前、あるいは「壊れた映画」の可能性について〜

     --I N / O U T --

映画の根本とはある空間と時間を、フレームとショットの時間的長さで切り取る行為にある。そこに写し出されるのはそのフレームの枠内のことについて、そのショットの持続時間についてのことであると同時に、そのフレームの外側にあるもの、ショットの始まる前と終わった後の時間を、常に意識させるものでもある。その中にあるものと外にあるもの、見えるものと見えないものの緊張関係にこそ、映画の本質があるとも言えるはずだ。

小津安二郎『東京の女』

あるいは、映画が複数のショットによる構成のなかでストーリーを語り始めたとき、その映画作品とは物理的にいえば空間をフレームの枠組みで捉えたものの時間的断片の羅列に過ぎない。物語とは、その断片と断片の接合部のそのなかにこそ存在する、というよりもその狭間に観客が読み取るものに過ぎず、映画そのもののなかに実はストーリーはないのだとも、言ってしまえるだろう。

 『東京の女』(1933)

映画の物理的な存在の本質がそういうものだからこそ、映画史とは「表象不可能なもの」、映画に直接写せないものをどう撮るかに挑戦して来た歴史でもある。その意味で第二次大戦前の映画でもっとも先鋭的かつ映画的な映画を撮って来たのは、「ドアの向こうにすべてがある」と言わんばかりのエルント・ルビッチであり、『ミカエル』における謎めいた「大いなる愛」、『裁かるるジャンヌ』における「信仰」、『吸血鬼』における「恐怖」(怖いものを見せて観客を怖がらせるのではなく、恐怖という感情を分析する映画)と、映画が決して撮ることができない精神・内面・魂を撮ろうとし続けたカール・Th・ドライエルであり、小津安二郎なのかも知れない。

エルンスト・ルビッチ『極楽特急』

カール・Th・ドライエル『ミカエル』

そしてこと第二次大戦後の映画史は、その戦争で人間たちが犯した二つの「表象不可能な悲劇」に取り憑かれている。ひとつはもちろんホロコーストであり、「再現」を試みた映画はことごとく通俗で陳腐な偽善的な駄作になって来ており、もう一方の、より表象不可能性に満ちあふれた主題に、原爆がある。


アラン・レネ『二十四時間の情事

「君はヒロシマでなにも見ていない」「うそよ、私はすべてを見たわ。原爆資料館も、被爆者の入院している病院も」、アラン・レネの『二十四時間の情事』、本来の題名は『ヒロシマ、わが愛 Hiroshima, Mon Amour』はその表象不可能性にこそ取り組むことで描けないものとしての広島を、理解不能のヒロシマ(フランス人にとっての)/語り得ない広島(恐らくは被爆者であることを隠している日本人にとっての)の交歓と衝突のなかに浮かび上がらせるドラマだった。

レネはその前にホロコーストを扱った『夜と霧』を作っていて、ここでは記録フィルムのなかの光景とレネが撮影した時点での現在のアウシュヴィッツの風景のはざまに、見えざるホロコーストが浮かび上がる映画である。この映画における記録フィルムの使用は誤解されかねないスレスレのものであり、実際にしばしば誤解されているのだが、あの記録フィルム引用もまたホロコーストは写していない。写っているのはあくまで、連合軍が入ってそれが終わった直後の、「事後」の悲惨でしかなく、強制収容所をなんとか生き延びているか、そこで殺されてしまう人間たちではない。殺されたあとの冷たい骸だ。人間が人間を極限まで虐げるその姿は、フィルムに写せていない。そのなかでどう人々が生き、死んだのかも写せないまま、映画はかつてはそうした人間であった物体がモノのように扱われなければならなかったことだけを、見せる。

アラン・レネ夜と霧(英語字幕版)

『夜と霧』でホロコーストを表象しているのはジャン・ケイロルの手になるナレーションのテクストのみにおいてだが、この文章もおよそルポルタージュでもリアリズム文学でもなく、ひたすら詩的な韻文があえて選択されているし、聴いているだけで実は字幕翻訳なしでもじゅうぶん見てられるし、聴いていられる。そしてもしかしたら、本当にこの映画がホロコーストを描けないことで描き切った映画の傑作になっているのは、ハンス・アイスラーの音楽が最も大きな役割を果たしているのかも知れない。

映画とは「見るもの」であるはずなのに、レネがホロコーストを描き得たのはこれを「見えない映画」であるがための「聴く映画」にする決断があったからこそなのかも知れない。

とは言うものの、フランス人であるアラン・レネは、ナチス・ドイツのホロコーストと、アメリカが落とした原爆によるヒロシマ(と、ナガサキ)の、その双方において当事者ではないし、まして加害者の側ではない。

だからこそ「見せられないことについての映画」であるために、マルグリット・デュラスの脚本による映画『ヒロシマ我が愛』は、ヒロシマという男性に対してフランスのヌヴェールという女性が対置し、ヒロシマ(岡田英次)についての映画である以上にヌヴェールという女/ヌヴェールと呼ばれる女(エマニュエル・リヴァ)についての映画となっている。占領下のフランスでドイツ兵と恋に落ちたが故に、フランス解放時に恋人は殺され,自らは対独協力者として虐げられることになった彼女の、そのフランス人とドイツ人、アメリカと日本と言った国籍に基づく対立関係ではなく、女が女であったことがゆえに耐え忍ばなければならなかった語り得ない生存の苦難だけが、ヒロシマという男と辛うじて等価の位置におかれうるものだったのだろう。

そしてだからこそ、冒頭のオフの声(画面の外から聞こえて来る声)による会話の通り、「君はヒロシマでなにも見なかった」、映画もまた撮影当時の現代の広島は見せながらも「ヒロシマ」については、なにも見せないしそもそもなにか見せられるわけもない映画として、レネの長編処女作は存在している。

その原爆の被害者である「国」の日本ではどうか? 「見せられないもの」、表象不可能なものとしての原爆に取り憑かれていると同時に、レネが一本だけ日本で撮ってそのまま日本に置いて来てしまった映画『ヒロシマ、わが愛』を、引き継いでしまった映画作家、だからこそ映画では見せられないはずのものにこそ、映画の限界にこそ挑戦して来た映画作家に、吉田喜重がいる。

吉田の『さらば夏の光』はヨーロッパを旅する男女を見せるが故にそこでは決して見せられない街・長崎についての映画であり(元の企画がJALのヨーロッパ7都市就航記念のPR映画だった)、仏リヨン市歌劇場の委嘱でプッチーニの『蝶々夫人』を演出したときには「日本人がこのオペラを演出するには、このオペラに反し、覆す反マダム・バタフライにするしかあり得ないでしょう」と言い放ち、アメリカの海軍将校ピンカートンと長崎武士の娘(なのに芸者?)のお蝶さんの植民地主義ベタベタなラブストーリーを、長崎に落とされた/ピンカートンの国アメリカが落とした原爆についてのオペラに仕上げてしまった。




吉田喜重さらば夏の光

『鏡の女たち』は元は長崎が舞台のカズオ・イシグロの処女小説『女たちの遠い夏』の映画化企画であり、この原作からの映画化が暗礁に乗り上げた時点で吉田は舞台を広島に移すことを余儀なくされたのだが、そこであえてキッチュな記号としての原爆ドームとやはりキッチュな記号になってしまった太田川の流し灯籠を前にして、岡田茉莉子が原爆体験としては絶対にありえないことが原爆の被害の科学的実態を多少なりとも知っている者にはあからさまに「これは事実ではない」と分かってしまい「おかしい」とすぐに思ってしまう、アンリアルな原爆体験をあえて語らせる。



『女たちの遠い夏 The Pale View of the Hills』の直接の映画化だった段階の脚本では、岡田茉莉子のヒロインは原爆体験を一切語らない。それが語り得ないものであり、語ったとしても理解され得ない、伝わらないもの、被爆者どうしにしか本当は分からないことだから。イシグロの小説は現代に英国で暮らしている被爆体験を持つ女性が、1950年の長崎を回想する、そのフランシュバック構成になっている。吉田のその段階での映画的野心は、現代のヒロイン(長女が動機不明の自殺をして一年後、次女が妊娠して遺伝性の被爆を恐れて出産を躊躇している)と、回想のなかの20代の彼女を、岡田茉莉子が演じ、長崎のフラッシュバックのなかの共演者はあえて岡田と同年代の俳優が演じることになっていた。




吉田喜重『鏡の女たち』

「なぜならばこれは彼女の夢なのですから、夢の中では自分も当時の知り合いも一緒に歳をとっているのです」というのが吉田の考えだった。恐ろしく大胆に、うわべではリアルに見えるひとつの完結した世界観の創造を必要とする劇映画という制度を「壊す」企画であったのは、テーマが原爆だったからだろうと同時に、それこそが映画だからでもある。それが原爆という表象不可能な、描き得ない、見せられない映画を作る映画作家・吉田の決断だった。

『鏡の女たち』という形に変容(メタモルフォース)して完成した作品もまた、フィクションであることを曝け出すことでフィクションを「壊す」ために、意図的に「壊れた」映画だ。繰り返し映し出される割れた鏡、日傘、影絵のたわむれ、イシグロの小説の映画化の段階では人物描写のなかで重要な意味を与えられていた視覚的モチーフは、『鏡の女たち』のなかに形だけ、物理的にだけは引き継がれているが、それらの物語的な意味づけはまったく剥奪され、このフィクション映画のストーリー構成のなかでは宙ぶらりんになるように意図的に仕向けられている。





母、自殺した長女、出産するかどうかを悩む次女という三人の女と、次女が妊娠しているであろう胎児の女、回想のなかに現れるパンパンらしき女とその娘の、6人の存在すると同時に不在でもある女たちも、あえて不完全で確信犯的にリアリティを欠く設定で母(岡田茉莉子)、記憶喪失で彼女の娘であるらしい女(田中好子)、その娘つまり孫(一色紗英)の三人(と同時に、田中がもし岡田の娘では実はなかったとしたら、三人の広島にいる女と、やはり不在である女一人)というあえて中途半端な設定に置き換えられて、やはり宙ぶらりんである。

この不完全のまま完成されなかった、完成され得なかった『女たちの遠い夏』と、そのメタモルフォースとして意図的に不完全なフィクション映画として作られたようにしかしか見えず、物語に頼るのではなく映画としての映像と音のリズムによってのみ構成された映画『鏡の女たち』のことを考えていて、ふと吉田の二本の旧作について思いついたことがある。

ひとつは吉田が個人的にもっとも好きだという、伴侶であり共犯者である女優・岡田茉莉子との出会いになった映画『秋津温泉』のことだ。



吉田喜重『秋津温泉』

吉田にとって『女たちの遠い夏』『さばら夏の光』の変則的な続編でもあったのだが、その企画が長崎から広島にテーマが横滑りした時に、『鏡の女たち』は実は『秋津温泉』の変則的な続編になったのではなかったか?一見完璧なメロドラマに見えるこの名作を、吉田は「わたしは女と男の出会いと分かれの繰り返しの断片を見せているだけ、観客はそこに自分で物語を見いだして、泣いて下さるんですね」とよく言っているのだが、その通りの映画として見たとき、『秋津温泉』には主人公の男女の動機付けなどが一切ない。

なんとも圧巻な昭和20年8月15日のシーンで、岡田のヒロインと母は玉音放送が聴かれている寺の門前を通るのだが、「なに言ってるんだか分からないわね」とだけ言って通り過ぎる。そして長門裕之にそれが終戦の宣言であったことを知らされて大泣きに泣くとき、彼女がなぜ泣くのかはまったく説明もされないし暗示すらされていない。あたかも吉田が、「これはあの瞬間を共有した日本人どうしでしか、分からないことです」とあっさり言い切っているかのようだ。

吉田喜重『戒厳令』

もうひとつは『戒厳令』。ほとんどが屋内と夜間に進行するいびつな北一輝伝映画のなかで、北(三国連太郎)が中国人の養子と街を見下ろす高台を散歩しながら「正午になり、戒厳令が発令される」というモノローグを語るシークエンスである。このモノクロ映画の、異様なほどまばゆい光の白さに満ちる映像が見せる東京の街(実際のロケ地は京都だったが)では、白トビしていて街そのものはほとんど見えない−−意図的に見せられていない。この太陽の光というにはあまりに明る過ぎる風景のなかで、その光によって見せられなくされている街とはなんなのか? いやここで見せられているのは光そのものではないのか? ではその光そのものとはなんの光なのか? それは2・26事件のときの1936年冬の東京であるはずがない。この光は異常に暑い晴天の日だったと言う1945年の8月15日の「正午」であり、そしてそれ以上に…北のモノローグの「正午になり」を「8時15分」に置き換えたとき、吉田のフィルモグラフィに埋め込まれた1945年8月という痕跡のすべてが明らかになるような気がする。


『秋津温泉』のヒロインは、実は広島か長崎で原爆を体験した女性なのかも知れない。いずれにせよ映画は、秋津温泉に疎開したまま住みついている彼女が戦争中、元はどこにいたのか、なにも語っていない、あえて な に も 見 せ て い な い

こちらのWeb上スチル集もごらん下さい。
http://www.facebook.com/album.php?aid=139715&id=705892077&l=ae3aafd87a

1/18/2010

長廻し撮影の演出

ミケランジェロ・アントニオーニ『ある愛の記録』


オーソン・ウェルズ『マクベス』


オーソン・ウェルズ『黒い罠』


アントニオーニ『さすらいの二人』


自分の映画もひとつくらい…

『ぼくらはもう帰れない』藤原敏史

1/15/2010

成瀬巳喜男の演出

1966年、晩年の円熟の頂点にあった成瀬巳喜男が発表した大変な問題作『女の中にいる他人』より、夫が妻に告白するシーンをふたつ。



親友の殺された妻の愛人が、実は自分だったことを告白する夫。



ところが第一の告白が真実ではなかったことを告白…。『男の中にいる他人』と言った方が内容からするとふさわしいのではないか、とも思えて来る映画だが、ラストでやっぱり『女の中にいる他人』が浮かび上がる…。

台詞中心の濃密な心理劇になりかねないものを、一見平凡に思える当たり前の空間のなかに人物をどう配置して動かすかで映画的に処理して行く成瀬の演出、見事なものです…。

1/14/2010

不完全であるが故に存在理由を持つ映画もあっていいんじゃないか?


小津安二郎『東京の女』(1933)

昨日、セルゲイ・エイゼンシュタインの企画倒れに終わった企画『ガラスの家』についてのローザンヌ大学教授のフランソワ・アルベラ氏による講演を聞きながら、完成されていない、未完であったり不完全であるからこそ意味を持つ映画、ということを考えさせられた。

この小津安二郎のサイレント作品(ここで公開してもこれ、著作権切れてるから大丈夫ですよね)の場合、当時の検閲で不完全な形しか残っていない映画とされている。実際、僕が初めて見た時にたまたまた一緒だったヴィム・ヴェンダースとソルヴェイグ・ドマルタンに、あとでストーリーについて質問攻めにされたこともあって、つまり見てるだけではなぜこういう展開になるのかもよく分からないかも知れない。もっとも、そのズタズタになってるストーリー展開をちゃんと説明できたんだから、「分かる人には分かる」、検閲の結果物語展開上の重要なポイントが抜けてる前提で見て行けば、戦前の日本でなにが検閲対象になったのかを分かって見ていれば、すごく面白い作品なのだが。

ご覧になる人に一応、説明。この映画の物語の設定のキモは、岡田嘉子演ずる姉が共産主義者であり、当時非合法だった運動の資金稼ぎのために売春をしていて、しかし江川宇礼雄の弟とその恋人の田中絹代は、彼女が売春しているということだけを警察に知らされてショックを受けてしまうことから悲劇が展開する。

岡田嘉子自身はこの映画の後、共産主義者であった恋人・杉本良吉とソ連に亡命して大スキャンダルになるわけだが、そういうことを知って見ていると彼女が売春を責められてもまったく動じず凛としていることへの感銘が深まるかも知れない。岡田はある意味、フィクションの人物を演じながら自分自身を演じ、この役を演ずることで自分を研ぎ澄ますことにもなったのではないか?

     『東京の女』の岡田嘉子

一方で、小津はどうだったのだろう? 彼はなぜこの映画を作ったのか? 確かソルヴェイグ・ドマルタンが言い出したことだったのだけど、「共産主義運動や売春が検閲されるのは分かってるのになぜ小津はこの映画を撮ろうとしたの?」、そこでふと思いついたのが、もしかして検閲され話が一見わけが分からなくなることを百も承知で、最初から不完全な映画になることを意図して、この映画を撮ったのではないか?

実際、僕はこの作品を、小津のサイレント映画のなかでも屈指の傑作だと思うし、この映画の独特の、ほとんど凶暴なまでの力と不可解さに圧倒もされる。その力強さは要所要所があえて抜けている、岡田嘉子の行動の動機が我々観客にも隠されていて、江川宇礼雄にも分からないと同様に我々にも完全には分からないところに多くを寄っているのではないか?

共産主義活動が当時の映画で完全にタブーであるほどなのだから、岡田嘉子の本人にとっても彼女本人にとっても、誰にも理解され得ないことを百も承知で貫かれる自分の信念に生きるその姿が、より強烈に印象づけられるのではないかとも思う。小津は最初からそれが分かっていて、わざと “壊れた映画” としてこれを構想し、作り上げたのかも知れない。

映画とはフレームに切り取られたなかにあるものとその外側にあるものの問題である。言い換えれば、見えるもの以上にそこに見えないもの、見せられていないものの問題である。そのメディアの本質の力を引き出すには、あえて完成された物語とフォルムを持たない映画というのを、今こそ作る必要があるんじゃないかとも思えて来る。


そう考えながら戦後の、よく知られている小津の端正で静謐とされる一連の家族劇も見てみよう。一見、この『東京の女』の持つ凶暴さとは真反対の落ち着いた映画を、50代の成熟した小津は作り続けたように見える。キャメラは動かず、その位置は小津独特のルールに厳格に従って決められ、その映画は極めて合理的に作られたものに見えるし、その端正なまでに完璧なフォルムの探求が、小津の映画を崇高なものにしているように思われて来ている。

だがたとえば、そうした戦後の端正で完璧なフォルムを持つ小津映画のひとつの頂点であり、原節子・司葉子を東宝から迎えた豪華キャストで予算規模も大きく、梅原龍三郎の絵などの本物がさりげなく使われるなどもっとも豪華な小津映画であるはずの『秋日和』のフレーミングを見てもらいたい。



よく見るとこのフレームの切り方、そのなかにあって見えることと、その外にあって見えないものの関連のラディカルさは、すさまじいものではないだろうか?

こちらのウェブ上フォトアルバムもご覧下さい。
http://www.facebook.com/album.php?aid=136668&id=705892077&l=c6163535bf

1/09/2010

あけましておめでとうございます〜寅年


…なので、四国の金比羅さん書院にある円山応挙の「遊虎図」です。今年もよろしくお願いします。

以下、毎年恒例のBCCの年賀メール文面をコピペで、新年のご挨拶とさせて頂きますm(_ _)m。


旧年中大変お世話になった皆様も、残念ながらお会いする機会を持てなかった皆様も、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨2009年には、最新作のドキュメンタリー『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』を、一昨年末の英国に引き続き、韓国、ブラジル、ポルトガルなど世界各地で上映し、満を持しての日本初上映も山形国際ドキュメンタリー映画祭にて無事行うことができ、前後編で合計3時間近い長尺にも関わらず各地で好評を得ることができました。

とくにお隣の韓国では、戦前に労働力として酷使された在日韓国朝鮮人へのかなりデリケートな言及もある映画なのに、本作を貫く敬老精神(?)や伝統文化への言及が理解されたのか、とても熱心な観客に出会えたことはとくに嬉しい体験でした。いや自分も「アジアの映画作家」なんだなぁ、という…。

また折しも10月の山形での国内初上映は、政権交代から二週間強後、本作の撮影監督である大津幸四郎氏から舞台挨拶で「この映画を鳩山さんの新政権にプレゼントしたい」という聞きようによっては皮肉たっぷりなコメントも飛び出しました。

というのも、『フェンス』は東京近郊の逗子市にある米海軍横須賀司令部・池子家族住宅(旧・池子弾薬庫)の歴史を、その土地にゆかりのある様々な日本人の個々人の視点から掘り起こすドキュメンタリーでして、戦後自由民主党などを中心とする政権が米国の助けで「守って」来た(「守ってもらって」来た?)日本という国がいかに奇妙な国になってしまったかをめぐるテーマに、当方の映画では “例に寄って” ですが、様々な角度の重層的な重なりで行き着いてしまったわけです。それから二ヶ月、沖縄・普天間の海兵隊基地の移転をめぐるすったもんだ、というか外務省と防衛省のサボタージュに世論マスコミが乗っかってしまって内閣が身動きとれず、地位協定改定どころではない現状となっては、大津さんの発言は今のところ痛烈な皮肉になってしまうことでしょう。

本年中には劇場一般公開を目指しておりまして、未見の方にはその折にぜひご高拝頂いた上で、ご意見やご指導を頂ければ幸いです。

とはいえ大津さんの痛烈発言や、山形の観客の方からの「第一部はなつかしさも感じて安心して見ていたら、第二部ではそこらじゅうに爆弾が仕掛けられていた」という映画の構造を鋭く見抜いた冷や汗もののご質問などを頂きながらも、政権交代後・日米関係の見直しを謳う新政権下の日本での上映での反応には、それまでの海外に較べていささかひっかかるものがありました。

というのも、当方の作品では “例に寄って” でもある間接話法的なあてこすりや暗示の連発…とは言ってもかなりあからさまな暗示であることの意味、たとえば「日本が攻撃されるなら横須賀は真っ先に地下司令部まで破壊する核攻撃を受けるから、そのサブが池子にあると考えるのは理の当然」という発言が、横須賀が首都圏にある以上どういう被害を意味するかなどに、日本でだけはほとんど反応する人がいないのでした。米軍人の家族のショットに重ねて「寄生虫と外来生物の話はこれくらいにして、日本政府の出す思いやり予算が年額2700億」というナレーションには、海外ではたいてい爆笑か失笑が出るのが、日本では皮肉がまったく通じていない感じがどうしてもしてしまったのは、なぜなのでしょう?

この「なぜ」は、政権交代後の政治状況、というか露骨にその意味を無効化しようとする、主に官僚リークに基づくマスコミ報道と、そこに足をとられてしまって思うように改革が進められなくなるとやれ「優柔不断だ」「小沢支配の二重構造だ」と言われてもうまく反論ができずにかえって言葉尻の言質をとられてしまう新内閣のありようであるとか、一部の大臣の完全にその所轄官庁の官僚に取り込まれてしまっているとしか思えない言動であるとかに、増々強くなって来てしまっています。その辺りの所管は当方のブログでも年頭に書かせて頂きましたが、お暇でしたらご笑覧下さい。
http://toshifujiwara.blogspot.com/2010/01/2010.html

一方、この映画を見せることだけで一年を過ごしたわけでもなく、2006年の作品『ぼくらはもう帰れない』(ベルリン国際映画祭出品、ペサロ国際映画祭「未来の映画」賞、他)の続編というか、同じような集団即興の方法論を今度は東京ではなく大阪で、昨年5月より断続的に撮影を進めて参りました。

当初は前作よりコメディ色の濃いお気軽な「ノリとツッコミ」の映画を予想していたものが、皮肉にも例の政権交代の選挙が始まったころから、むしろ閉鎖的な地方都市のしがらみとか、理念が換骨奪胎された「ゆとり教育」と称するものの弊害、さらには京都よりも歴史が古いかも知れない大阪の無自覚な歴史な古層に刻まれた様々な差別や偏見(発見したのは大阪が大変な階級社会であるということであるとか)、さらには全共闘の失敗とその世代の変容に対する以下の世代の幻滅や絶望(つまりは団塊ジュニア以降にとっての父性の不在)などなど、そうしたモロモロの身近でいながら無意識のがんじがらめから逃れられないニッポンの現代が炙り出しになるような映画に、どんどん変容して行ったのでした。

結局、自分の作る映画は常に「ニッポンとはどういう国/社会で、ニッポン人とはどういう民族なのか」をめぐるものにしかならんのだなぁ、との自覚を強いられると同時に、元々基本的に「素人」を集めたキャスト陣の一部で、せっかく炙り出して来た重要なテーマとどう向き合うかでエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を地で行くような状況が続発するような事態に陥り、我々の国と社会に食い込んだ底知れぬタブーの闇とそこに取り組むことの怖さに、帰国子女という育ちのせいかあまり考えることがなかった自分が、初めて気付いて悪戦苦闘する状況が続いているのが、正直な現状です。

またそれが政権交代をやっと成し遂げたもののその先を自分たちで食いつぶそうとしてるのかも知れないこの国の現状とパラレルになっているのかも知れません−−そこにも克服しなければならない様々な戦後ニッポンのタブーがあり、日本の市民は鳩山内閣にそれを期待して投票したはずが、今ではそれを恐れているのではないか、とも思えて来るのは気のせいでしょうか。

これを本質的に超克して顕在化する映画に出来たらもの凄い傑作になるのかも知れないと自分でも分かっていながらも、その方策がなかなか見いだせないなか、なにしろ製作費事実上ゼロの映画でこちらもとくに収入源がないまま前作と前前作のギャラでなんとか食いつないでいたのが底をつきつつあり、「これは撮り方を変えるしかない」と今さらながらに思い立ちまして機材は小さいのに画質はむしろいいデジタル一眼レフでの撮影に切り替えることを検討しつつ、さて家賃も滞納してるのにどうやったらローンを組めるだろうかと言うのが、新年にあたって差し当たり最初の悩みになってしまいました。

…と「映画作家生命の危機」にしてはかなり情けない年初のご挨拶になってしまいましたが(ここまでお読み頂いてありがとうございます)、本年もどうぞよろしくご支援・ご指導・ご鞭撻のほど、お願いいたします。

2010年元旦

藤原敏史 拝

1/01/2010

2010年:日本人は自らを自由にできるのか?

大晦日の日経新聞一面に、この一年を象徴するデータをグラフにして紹介するコーナーがあった。経済について「成長回復するが雇用は厳しく」という見出しがついている。素朴な疑問−−この見出しを書いたデスクは、自分があまりに奇妙な文を書いていることに「これってあまりにヘンじゃない?」と思わなかったのだろうか?

経済が成長しているのならなぜ雇用が厳しいって、「成長」の基準や指標に意味がないだけではないか。2008年の世界金融危機以来、世界経済は実はまったく回復していない。株価は上がっても欧米でも失業率はむしろ悪くなっている。それを「成長回復」と言っている経済って、いったいどういう経済なの? 人々と社会を豊かにすることなく、いったいなんのための経済システム、経済政策なの?

市場を流通するキャッシュフローの総額だけで経済を計ろうとしたところで、現在の経済システムではその金額自体が多分にヴァーチャルなものであることは、リーマン・ショック前に先物相場だけで原油価格や穀物価格が乱高下し高騰した事態だけでも十分に学習できたはずだ。ところがドバイ・ショックが引き金を引いた円高に、「今がFXのチャンス」と金融業界の宣伝がまことに賑やかである。

一昨年の米国の大統領選挙を左右する大きな要因はリーマン・ショックによる大不況、レーガノミクス以来の金融資本主義の破綻に米国民が嫌気が差して求めたCHANGEだとされるし、今年の日本の政権交代も小泉的市場原理主義、「負け組」とかのイヤな言葉や、深い哲学的な意味があることを薄っぺらの表層に勘違いした「自己責任」が横行し、政府は「イザナギ景気以来の長期の経済成長」と言い続けるのに一般生活者には実感がなかったどころではない、「派遣切り」のルサンチマンがひとつの動機とも推測されている秋葉原の無差別殺傷事件だってリーマン・ショックの前の話だった。

まあ「イザナギ景気以来の長期の経済成長」だって実態は自民党政権が日銀に(好景気で成長基調なはずなのになんで?)超低金利政策を押しつけ続けて市場に流通するマネーを水増ししてたこともあるんだろうし、現政権の予算編成が始まったら税収見積もりが9兆円も減った−−というか前政権下での見積もりが、麻生サンへの官僚からのリップサービス(というか選挙対策)で9兆水増しされてたわけでしょ、要するに。

そうしたフィクショナルでヴァーチャルなマネーが現実になって現実生活を破壊し、それをヴァーチャルでフィクショナルな政治的欺瞞で誤摩化し続けた末に、ついにアメリカで、続けて日本で起った政権交代とはなんだったのだろう?

アメリカでほぼ一年、日本でも百日が過ぎたこの年越しの時に、もう一度我々もまたその一部であった(まあこのブログを読んでる人はあえて共産党とか、連立するのは分かっていても社民党に入れた人も多いのかも知れないけど)変化の意味、そこで我々が意思表明したことはなんだったのかを考えてもいいように思う。

たとえば、果たして我々はガソリン税が半額になることのために「暫定税率撤廃」に賛成したのか? 「ガソリン値下げ隊」をやってた原油価格高騰時には値下げも切迫した問題だったにせよ、むしろ「暫定」と言いながら何十年もその税率が維持されていたり、高速道路にしてもいずれ無料になるという約束だったのにそれを履行できないことをおかしな理屈で誤摩化し続ける、その欺瞞的なやり方がイヤになったのであって、一方で地球の未来を考えれば高速道路が無料になって車の利用やガソリンの消費が増えるのはそれはそれで問題なわけだし、民主党は環境重視も政策に掲げていたのだし、我々がもっとも腹が立ったのは、政府が守ろうとしていた制度そのものの、隠しようもない不正直さではなかっただろうか?

あるいは市場のキャッシュフローの量だけで「イザナギ以来の長期経済成長」と詐欺めいた数字が踊り、我々の生活は問題だらけなのにそのフィクショナルな数字だけで為政者が自己満足し、ちまたでは「負け組」だとか言われてしまう世の中。ちょっと社会にでて仕事をすれば役人がえらくお金もマンパワーも無駄遣いしてるのも分かってしまうし、しかしそこから我々の給金とかギャラも出ていたりすると(ゼネコンならまさにその金で会社がもうかってるわけだし)文句も言うに言えない不正直さのしがらみに自身も絡めとられてしまい、社会の不平等の共犯者にされてしまう、そんな政治にウンザリしたのではなかったのだろうか?

いろいろ差し支えがあるので特定は伏せるが、僕の周囲でもどっちかといえば左派あるいはリベラルな人々のなかで、事業仕分けに恐々としている人々が最近多いのに驚く。

だいたい文部科学省・文化庁所轄の事業とか独立行政法人、あるいは助成金の対象だったり、こないだの事業仕分けで見事に仕分けられてしまった国際交流基金がらみで助成金があったり外郭団体だったりのことである。自民党政権が嫌いで、小泉内閣の脅威の支持率に「絶対に水増しされた数字だ」とか「周りに支持している人なんていないのにどうなってるんだろう?」と言ってたような人たちが、今や自民党と言う名目で官僚支配だった時代が懐かしいかのような口ぶりで、「経済効率だけ考慮して一時間の話だけの事業仕分けはけしからん」みたいなことを言うのは、なかなか不思議な光景に思える。

僕自身もそういったところと仕事をしたり、助成金をもらってたりもするから、逆に事業仕分けがあれば、たとえば交流基金関連で外務省天下りの「理事」とかが仕事もしないお飾りで高給を取っていたり、海外映画祭で交流基金の助成で招聘されたりするといかにも「俺が呼んでやったんだ」みたいな態度でこちらがどんな映画を持って来ているのかも知らない現地代表者にウンザリする(ちなみにたとえばフランス政府で同等の機能を持つCultures Franceだと、招聘した作家をいろんな人に紹介して頑張って売り込みしてくれる)、そういった連中に消えてもらう大きなチャンスだと思うのだが。

実際、事業仕分けで切られた事業の多くは、担当官庁のお役人が事業内容の説明もちゃんと出来ずに厳しい判定を食らっているわけで、問題は彼らに自分たちを代表させていることに過ぎない。たとえばフィルムセンターならフィルムセンターで、本当に予算を切られたくないのなら、文化庁は現場で働いている主幹だとかに仕分けで説明させるだけで、説得力も結果もずいぶん違うはずだ。

いや省庁の担当者が行かせてくれない、彼らが自分で行ってしまうというのなら、まず自分のやってる仕事の意味を守るためにも「現場が行くべきだ」と主張だけはするべきだし、一方で民主党は陳情を党に一本化するということをやっている…というのもマスコミは「自民党潰し」としか報道しないので意味が分かってないのかも知れないが、要するに自分の地元の民主党代議士であるとかに陳情しても、これまでの政官財の癒着で有力者とか官庁の紹介やコネがないとと言った制約ぬきに、説得さえできれば党の上に上げてもらえる可能性もあるはずなのだ。その陳情制度改革とセットで、小沢一郎は新人議員を「次の選挙のため」と口説き落として精力的に地元周りをやらせているではないか。

だいたい文化事業の独立法人に独立採算制だなんて強引でバカ単純な経済効率を持ち込んだのは自民党の「行政改革」である。公開が原則の民主の事業仕分けは、単に金銭の収支の問題ではない経済効率、文化政策が国として必要なのを認識した上でそのなかで官僚の中抜きや天下り官僚などの無駄がないかをチェックするようになっている。しかし文科省の官僚とかに代弁させたら、彼らは当然ながらその事業を守るかどうかよりも自分たちと自分たちの先輩のポストを守ることを最優先する…と説明がちゃんとできないから当然ながら事業が切られる可能性が高いわけで、だから官僚やお飾りの天下り理事でなく、現場で実際の事業をやっている人間が行けばいいだけの話ではないか? それは現政権の掲げる「脱官僚」「財政規律の健全化」「国民のための政治」といった目的にも、少なくとも理屈の上では合致するはずなのである。

ところがそう言う話をしても、周囲で理解してくれる人はいない−−というか、つまりは自分が行けばいいのだと言うところまでは分かったところで拒絶反応が起る。そんな説明したって議員とか仕分け人には通じない、とか言い出すに至っては、なにあなた方がやっている文化事業とか国際交流とか、そんな説明もできないほど社会に無益で無意味なものなんですか、と毒づきたくもなってしまう。「いや彼らは素人だから…」って文化ってそんな専門家だけが共有するスノッブなものなんでしょうか? それなら公金を使ってそれを維持する必然がそもそもないでしょう?

なにも難しい理論が要るわけではない。川端達夫 文科相がフィルムセンターの相模原倉庫を視察し、映画の復元のための細かな手作業をつぶさに見た上でぶらさがりの記者団に「こういうものはきちんと守っていけないといけませんね」とコメントしたそうだ。残念ながらそれはまったくマスコミ報道に使用されなかったらしいが、今回の政権交代が与えてくれるいろんな効果のひとつというのは、そういう本来の人間的な価値の側に向けた価値観の転倒、これまでの元からたぶんに非人間的だった上に経済観念のレベルでも虚飾が崩壊した価値観(「成長回復するが雇用は厳しい」のならそれはその「成長」の基準となる価値観の誤りが証明されただけだ)や、耐用年数を過ぎた官僚制度にまとわりついたしがらみを断ち切り、はっきり言えば我々日本人が人間としての本来の自由を取り戻すチャンスであるはずだ。

僕自身、かなり先鋭的な手法を使って、いわゆるテレビ・ドラマとかハリウッド商業映画、ドキュメンタリーなら「NHKスペシャル」とはぜんぜん違うスタイルで映画を作っているし、そういう基準から言えば「難解」な作品なのかも知れないし、『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』(2008) なんてのを長島防衛政務官あたりに事業仕分けされたら日米安保の是非を巡ってまったく違った次元の大激論になるかも知れず(勝つ自信はありますよ、ちなみに)、年を越して大阪で撮影が続く即興フィクション映画『ほんの少しでも愛を(仮題)』では差別とか偏見、加虐とか虐待的な人間関係などの、かなりディープで必ずしも心地よいものでもないテーマも背景に、大阪の淀んだ地下水脈とも言うべき歴史の地層を意識化させる映画になって来てしまいつつもあるから、薄っぺらな「事業仕分け」なら、あるいは仮に助成金をくれる側の官僚が行ったりしたら、たぶん真っ先に「マニア向けのもので公共性がない」として切られてしまうだろう。

だが作っている側からすれば、見た人が「素人」でもなんでも誰でもいい、あくまでまともに知性と感性のある普通に賢い人々に見てもらえれば、そこで映画と一緒に考えてもらうための映画であり、一部の批評家だとか業界人には偏執狂的だとも言われるほどの執拗なスタイルと複雑な構成も、我々の生きている世界が複雑な場所である以上、その複雑さについて考えてもらうための選択であるつもりでやってることだ。

別にただ長廻しや断片を重層化する構成が好きだからというだけでやってるわけではない。フィクション映画であえて素人を使うのも、(もちろん映画的な実験でもある一方で)そこから真実の演技を引き出せれば職業俳優には難しい生身の人間の深みを見いだせるからだ。

通じるかどうかはともかく、一応自分のやっていることをただ「映画好き」とか「映画業界」のなかだけで通じるボキャブラリー以外のやり方で説明し正当化が出来るだけの論理は、日頃から準備しているし、そうやって常に意識化しているからこういうことをやり続けられるという面もある。というかたとえば素人を使うことについては、「演技」とか「俳優の仕事」に興味がある人以外は意識してもらう必要すらない、そのレベルで通用するくらいのことはやってもらっている(し、出来なければ消えてもらうしかない)。

そこから先は自分の説得力、それ以上に自分の作品の説得力の問題だろう。こちらは年に何本もある助成金の対象のせいぜい数年に一度の対象に過ぎないし、一応は芸術家のはしくれである以上、故ロバート・アルトマンに口癖のように言われ続けた「ヴァン・ゴッホは生涯で一枚しか絵を売っていない。芸術とはそういうものだよ。私は運がいいだけだ」という言葉をかみしめるしかないし、その覚悟は最初からしていなければならない。

公金を使った文化事業ともなれば、もっと普遍性のある一般的な議論でその事業の正当性を、突き詰めれば文化とは国や民族のアイデンティティの根本であることも含めて、堂々と理論化できる同時に、自分たちの事業がいかに社会にとっていちばん大切な人が人として生きるということの意味に貢献しているかくらい、いろんな形で説明できるはずだ。

もちろんそこには、小泉時代に嫌らしい勘違いで喧伝された「自己責任」とは違った次元の、真に哲学的な意味での「自己責任」を一人一人の日本人のなかで回復させる必要がある。小泉純一郎の時代のまっただ中に作った『ぼくらはもう帰れない』(2006年ベルリン映画祭出品作品、同年ペサロ国際映画祭『未来の映画』最優秀賞)という映画は、コメディタッチではあるものの、中心にあるのはそんな時代のなかでも本当の意味で自分の人生に責任を持つということの意味を模索する、模索しなければならない人間たちを見せることだった。もっともそれをやったのは別に僕の意図ですらない。集団即興のフィクションだったこの映画がそういう方向に収斂したのは、出演していた若者たちが自らそういう模索をすることの大切さに自然に気付いて行ったからに他ならない。

そういうことに気付くフィクショナルな映画の枠組みがあったから出来たことなのかも知れないが、今のこの新しい時代、歴史的転換のまっただ中とは、そういう枠組みが現実に我々を取り囲んでいることに他ならない。そのなかで我々にそれができるのだろうか? 政権交代から百日ちょっと経った今、そこに大いに不安を覚えてしまうのも確かだ。

率直なところ、昨年のうち半分以上を新しい集団即興劇映画、つまり出演者が自由にやりたいこと、表現したいことをやることからすべてが始まるはずの映画『ほんの少しだけでも愛を』を撮り続け、未だクランクアップできずに延々と続けているなかで気付いたことでもあり、「事業仕分け」をめぐっていろいろな知り合いと議論したことにもつながる−−この国の少なくとも半分以上の人々は、自由であるということ、自分が自由な一個人として自分の意思と良心でこの世界に関わって行くという、近現代の到達した人間存在の根本であるはずのことを、不思議なほど、まったく不条理なほどに、恐れているのではないか?

2010年がいろんな意味でこの僕の危惧が単なる杞憂、誤りであったことが証明される年になることを祈らずにはいられない。

…っていうか、そのためにも映画撮り終えないといけないな…。