最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/31/2010

2010年-この国はいったいなにを恐れてるんだろう?

今年一年間のこのブログを見直すだけでも、いささかうんざりするのだが、もっとうんざりするのはそれ以前のブログを読み返すことである。

なんともう2年も3年も前から言ってることが、そのまま今年の現状に当てはまってしまうのだ。いったいこれはどうしたことか?昨年にこの国は政権交代をして、変わろうとしたはずではなかったのか?

2009年6月に撮り始めた『ほんの少しだけでも愛を』は、この年には政権交代があるであろうことを予想して撮り始めた企画だった。

必ずなにかが変わる、その変化の瞬間が即興劇映画のなかに刻印されるのはおもしろいだろうと思ったのだ。

映画というのは常に、なにかしら「予想外」なものでなくてはいけないのだと思う。

ある意味で僕の仕事とは、その予想外の驚きの瞬間瞬間を捉えられれば、その辻褄を合わせて作品としてのフォルムになんとかこぎ付けられれば、記録であってもフィクションであっても、その時代の空気を捉えていることの意味くらいは最低でも確保できるはずだ。

いや、まあ、そうでなくては退屈だ、自分が退屈してしまうからでもあるのだけど。

撮影現場における僕の仕事とは、その空気の変化を時には予測して、時には待ち続け、時にはそれが露になるようにプッシュして抽き出し、そこになんらかの本質が見えた時にその瞬間を逃さないことだけしかないのだと思う。

つまりは、監督とかいいながら、たいしたことをやってるわけではない。なにもやってないからこそ、逆に気苦労だけは大変だったりもするわけだけど。

ロバート・アルトマンは「わたしがわたしの映画の一番最初の観客で、たぶんいちばんおもしろがってるんだ」と言っていた。

2009年に政権交代があることの予測は当たった(まあ普通は当たるでしょう、誰だって)。

だが予想外だったのは、そのことが今では『ほんの少しだけでも愛を』という題名になった映画に、ほとんどなんの影響も与えなかったことだ。

僕がキャメラを向けていた大阪の町並みも人々も、なにも変わらなかったのである。自民党のポスターがちょっと減ったくらい。

いやたぶん、そこで起こってたことの意味を、僕があまりに楽天的だったあまり、見逃していただけなのだろう。

今年になって、その意味がやっと見えて来たとも言える。それはまったく予想だにしていなかった裏切りと苦痛と、逆にいえば自分の甘さや楽観主義を突きつけられることとして--映画のことと、この日本社会の現状、とくに政治がパラレルになって。

今さら個別の例は言うまい。このブログの各項目を読んで頂ければ、読めば分かるでしょう。普天間の幻滅と怒りに、北朝鮮パラノイア引きこもり児童虐待にいじめ自殺(ってもう何十年やってるんだ?)、挙げ句に国がまるごと引きこもりだと暴露した尖閣騒動相変わらずの小沢バッシングで、仕上げは法人税減税と、個人増税は今や既定路線になってしまった。

自民党政権ですらそこに抵抗していた、財務省主導の、財務省が望んでいた通りの「財政再建」が始まってしまった。

「国民の生活が第一」じゃなかったんだっけ? 無駄削減、ひいては予算の組み方そのものを変えるというのはまったく実行されず、官僚の作った予算に民主党のマニフェストにかかる経費では、税金がいくらあっても足りるわけもない。

平気で嘘をつく人々と、その嘘に平気で騙される人々。

もはやなにも筋が通らない、筋を通すことを誰も気にもせず、閉塞感を皆が愚痴りながら、自分の現状をなにも変えようとは決してしないニッポン人。

失敗も冷静に受け止められず反省もできない国。

自分からはなにもしない人々の国。

結果論からすれば、日本が少しはいい方向に変わる瞬間を撮ってるはずだったのが、なにも変えようとしない国であることを証明するような映画が撮れてしまったのである。

鳩山由紀夫の「友愛の国」の始まりが撮れればいいな、と思っていたら、菅直人の時代を政権交代の前からすでに予言しているようなフッテージの積み重ね。

いったい何を恐れているのだろう?

20年前からもう無理があるのは分かってる自分たちのやり方を、それが有効かどうかを考えもせずに、ただ自分たちのやり方だからというだけで変えようとしない

アモス・ギタイが11〜12月に来日してたことはこのブログでは触れ損なってしまったが、彼がこう言っていた。「そんなことやってるから、日本は中国に抜かれるのだ」。

残念ながらその通りなのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿