最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

8/10/2010

65年前、62年前、原点に帰る

以下は先日、久々に上映して自分でも久々に見直した、デビュー作のいちばん問題のシーン。

藤原敏史『インデペンデンス アモス・ギタイの映画「ケドマ」をめぐって』(2002) 抜粋

アモス・ギタイの『ケドマ』は1948年の戦争(イスラエル独立戦争/第一次中東戦争)を描いた映画で、これはそのアモスに「新作を撮るからイスラエルに来ないか? カメラを持って来い」というほとんどものの弾みで撮ってしまった(撮らされてしまった)映画、いわゆるメイキングのはずがぜんぜんメイキングになってない作品なのだが、1948年の戦争はそのまま、1945年に終わった戦争、ヨーロッパから移民したユダヤ人にとってはホロコーストに引き続き起った戦争だったのは、言うまでもない。

Facebook 上で「友達」になった重信メイさんから紹介されて、イスラエルの最大の日刊紙「ハーレツ」に出ていたギデオン・レヴィの論説を読んだ。

"This illusory left wing never managed to ultimately understand the Palestinian problem - which was created in 1948, not 1967 - never understanding that it can’t be solved while ignoring the injustice caused from the beginning. A left wing unwilling to dare to deal with 1948 is not a genuine left wing."


翻訳する気力がないのでざっとだけ概説すると、要するに1967年の戦争でイスラエルが現在の西岸とガザを併合したことを問題の原点とみなすかのようなイスラエル左派への痛烈な批判である。すべての原点は1948年にあり、そもそも最初からあった不当さを無視する限り、真の意味の左翼とは言えない(し、紛争を解決することなどできるはずもない)、という主旨。


アモス・ギタイ『ケドマ』(2002) ホロコーストを生き延びたメナヘムとハンカは、クリバノフの案内でパレスティナを旅する途中に、アラブ難民の一団と遭遇する。


今日は家人の健康上の問題の検査待ちだったりして、まとまった文章を書く気力もないので話は飛ぶが、NHKでいわゆる「シンドラーのリスト」の生き残りについてのドキュメンタリーをやっていた。

戦時中の話はスピルバーグの映画も引用しながらの普通の作りなのだが、終戦後の話になってからがぜん刺激的な番組になる。

今まで戦後史のタブーであった、収容所を出たユダヤ人たちがナチスから解放されたはずのヨーロッパで迫害を受け、クラクフではリンチや虐殺まであったことが詳言される。これはなんとなく知ってはいたものの、45年のドイツ敗戦から48年までのあいだになにがあったのか、ほとんど語られていないし知られてもいない。

戦後のシンドラーのイスラエル訪問時がちょうどアイヒマン裁判の直後で、イスラエル国内に「魔女狩り」的な雰囲気があったことも語られる。

裁判でアイヒマンと協力関係にあったシオニスト勢力があったことが暴露され、「対独協力者」のユダヤ人を糺弾しようという空気のなかで、生き残り達があえてシンドラーの功績をあえて、いささか美化しようとしてまで彼を護ろうとしたこと(ナチ党員であったシンドラーにとってユダヤ人の命を救ったのも元は金儲けだったことをじゅうじゅう承知の上で)。一方でドイツに帰国したシンドラー氏が、人種差別主義者に暴行されていたこと。

そんな一方でスピルバーグの映画で悪役だった、残虐な収容所所長の娘が、今ではイスラエルに住む生き残りの証言者と親交があることも紹介される。

NHKなんだからこうやって今や理解しあえる元は「敵」どうしを結びつけることで、希望を持たせて終わらせるのかと思ったら、違った。

番組の最後は、シンドラーのリストに載れたために生き延びれた現在84歳の老人の、告白だった。

番組の最初から登場していて、一緒に生き延びた妹や、妻との会話も紹介されている人物だ。シンドラーのことを語らなければならないと思って来たが、それがやはり辛過ぎる、この歳になって自分がなぜあの戦争を生き延びたのかが分からない、と告白もしていて、妻がその彼に「もう忘れて、生きなければいけない」と語りかけていた。

ガンが見つかって入院した老人が、恐らく家族にも誰にも今まで語っていなかったであろうことを、カメラに告白する。

収容所にユダヤ人のカポー(収容所で準看守の役割をしていた囚人)がいた。

そのカポーは、多くのユダヤ人を殺していた。

戦争が終わってソ連軍が来た時、そのカポーを捕えていた彼らユダヤ人は、どうしたらいいかをソ連兵に訊ねた。

兵士は「彼が他人にやったのと同じ目に遭わせるのがいい」と答えた。そして彼らは、そのカポーをリンチして、殺してしまった。


ベッドに横たわって点滴を受けながら、老人がそう涙ながらに告白する。

正直に言ってしまうなら、こればかりはほとんどNHKに嫉妬するしかない。「あー!ここでここまでズームアップしちゃだめだよ」とかつい思ってしまうのが、こういう稼業をやっている人間の性なのかも知れない。いやたぶん、スティーブン・スピルバーグ本人がこのシーンを見たら、もっと嫉妬すると思う。

しかしよく考えれば、この老人と同じような語れない体験を持った人は、まだまだたくさんいるはずだ。

それを聞き出してしまえたこの番組のスタッフは凄いと認めざるを得ない。ほとんどの人は、これだけは墓場に持って行くはずだし、そこまで語ってくれるほど信頼されることは、めったにない。


1948年が原点だとしてもそのさらに原点には1945年があり、それはイスラエルや中近東問題についてに限ったことではなく、今の世界がこうである原点の多くが、やはり1945年にあるのではないか。

大文字の歴史、政治であるとかについては、すでに多くが研究され語られているかもしれない。しかしそこしか語って来なかったことはせいぜいが今日菅直人が発表した談話の「痛切な反省とおわび」程度の薄っぺらな言葉に収斂され、政治の文脈ではそれはそのおわびや反省の「心」ではなく(その「心」が本当にあるのかどうかも疑わしいが)、それが民主党政権内の権力闘争や国際関係の文脈のみで消費されてしまう。

だがたとえば65年間、19歳のときに犯した殺人の記憶をずっと隠し持って来た老人のような、その一人一人の「心」に、語れることも語れないことも含めて耳を傾けて来たら、中東紛争はあそこまで泥沼にならなかったかも知れないし、たとえば被爆者の「心」に耳をもっと傾けていれば、ヒロシマ・ナガサキからオバマの核廃絶演説までもこんなにも歳月はかからなかったのかも知れない。

我々は外向けの自分達の側や自分達自身の自己正当化にかまけるあまり、本当はなにが起ったのかの人間的な真実から、65年間ずっと目を背けて来てしまっているのかも知れない。

だいたい、そうやって自分たちの側を正当化することで「敵」を排除する理由づけばかりを求める空気のなかでは、自分もまたカポーを殺してしまったことを、老人が65年間語れなかったのも、無理もない。

すでにシンドラーの工場で働いたおかげで助かったのだって、それは軍需工場であり、ドイツの戦争に協力していたことになる。だからイスラエルを訪問した際のシンドラー氏を賛美するために(賛美する空気を作らなければ彼も、自分たち自身も糺弾されてしまう)、彼らは自分たちが銅製品(つまり、兵器にはならない)を作っていたのだと、嘘まで言っていたのだ。

あの戦争から我々は何を学べるのか?

何も学べないまま時間だけが過ぎ去り、人々は鬼籍に入ってしまうのかも知れない。

だとしたらこの惑星が人間の生存に適した場所であり続けることについて、あまり希望はない。

「原点はなにか」。いろんな意味で現代の我々はそこを無視してばかりいるのかも知れない。

なにも政治とか国際紛争とか民族の問題だけでなく、一人一人の生き方の問題として。

8/01/2010

慶應大学教養学部での授業の総括・上映会

急なお知らせになってしまいますが、明日…いやもう今日なんですが、13時より、慶應大学日吉キャンパス『来往舎』シンポジウム・スペースで、4月から「アカデミック・スキルズ」という授業で教えて来た学生たちの作品上映と、授業の報告を行います。

15時からは「世界に目を向けるための映画上映会」というわけで、2002年の筆者のデビュー作『インディペンデンス アモス・ギタイの映画「ケドマ」をめぐって』を上映します。

ちなみにこの映画の本歌とりの本歌の方というか(元はメイキングとして依頼された企画)、アモス・ギタイ監督の2002年作品『ケドマ Kedma』は、この秋東京日仏学院と東京フィルメックス映画祭で開催される「アモス・ギタイ特集」で、日本国内では久々にフィルムで上映されます。


映画作りの教え方としてはかなり変則的なやり方を実験してみた授業ですが、慶應の学生たちは優秀でした。

優秀すぎて授業で作る本格企画ではあまりに野心的になり過ぎて、明日の上映にはなかなか間に合わない作品も多いのだけが残念(汗)。

しかし今年の前半はなんだか慶應づいてた半年だったなぁ。出身校で今でも近所に住んでいる早稲田とは、ほとんど関わりもないのに。