最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/09/2010

あけましておめでとうございます〜寅年


…なので、四国の金比羅さん書院にある円山応挙の「遊虎図」です。今年もよろしくお願いします。

以下、毎年恒例のBCCの年賀メール文面をコピペで、新年のご挨拶とさせて頂きますm(_ _)m。


旧年中大変お世話になった皆様も、残念ながらお会いする機会を持てなかった皆様も、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨2009年には、最新作のドキュメンタリー『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』を、一昨年末の英国に引き続き、韓国、ブラジル、ポルトガルなど世界各地で上映し、満を持しての日本初上映も山形国際ドキュメンタリー映画祭にて無事行うことができ、前後編で合計3時間近い長尺にも関わらず各地で好評を得ることができました。

とくにお隣の韓国では、戦前に労働力として酷使された在日韓国朝鮮人へのかなりデリケートな言及もある映画なのに、本作を貫く敬老精神(?)や伝統文化への言及が理解されたのか、とても熱心な観客に出会えたことはとくに嬉しい体験でした。いや自分も「アジアの映画作家」なんだなぁ、という…。

また折しも10月の山形での国内初上映は、政権交代から二週間強後、本作の撮影監督である大津幸四郎氏から舞台挨拶で「この映画を鳩山さんの新政権にプレゼントしたい」という聞きようによっては皮肉たっぷりなコメントも飛び出しました。

というのも、『フェンス』は東京近郊の逗子市にある米海軍横須賀司令部・池子家族住宅(旧・池子弾薬庫)の歴史を、その土地にゆかりのある様々な日本人の個々人の視点から掘り起こすドキュメンタリーでして、戦後自由民主党などを中心とする政権が米国の助けで「守って」来た(「守ってもらって」来た?)日本という国がいかに奇妙な国になってしまったかをめぐるテーマに、当方の映画では “例に寄って” ですが、様々な角度の重層的な重なりで行き着いてしまったわけです。それから二ヶ月、沖縄・普天間の海兵隊基地の移転をめぐるすったもんだ、というか外務省と防衛省のサボタージュに世論マスコミが乗っかってしまって内閣が身動きとれず、地位協定改定どころではない現状となっては、大津さんの発言は今のところ痛烈な皮肉になってしまうことでしょう。

本年中には劇場一般公開を目指しておりまして、未見の方にはその折にぜひご高拝頂いた上で、ご意見やご指導を頂ければ幸いです。

とはいえ大津さんの痛烈発言や、山形の観客の方からの「第一部はなつかしさも感じて安心して見ていたら、第二部ではそこらじゅうに爆弾が仕掛けられていた」という映画の構造を鋭く見抜いた冷や汗もののご質問などを頂きながらも、政権交代後・日米関係の見直しを謳う新政権下の日本での上映での反応には、それまでの海外に較べていささかひっかかるものがありました。

というのも、当方の作品では “例に寄って” でもある間接話法的なあてこすりや暗示の連発…とは言ってもかなりあからさまな暗示であることの意味、たとえば「日本が攻撃されるなら横須賀は真っ先に地下司令部まで破壊する核攻撃を受けるから、そのサブが池子にあると考えるのは理の当然」という発言が、横須賀が首都圏にある以上どういう被害を意味するかなどに、日本でだけはほとんど反応する人がいないのでした。米軍人の家族のショットに重ねて「寄生虫と外来生物の話はこれくらいにして、日本政府の出す思いやり予算が年額2700億」というナレーションには、海外ではたいてい爆笑か失笑が出るのが、日本では皮肉がまったく通じていない感じがどうしてもしてしまったのは、なぜなのでしょう?

この「なぜ」は、政権交代後の政治状況、というか露骨にその意味を無効化しようとする、主に官僚リークに基づくマスコミ報道と、そこに足をとられてしまって思うように改革が進められなくなるとやれ「優柔不断だ」「小沢支配の二重構造だ」と言われてもうまく反論ができずにかえって言葉尻の言質をとられてしまう新内閣のありようであるとか、一部の大臣の完全にその所轄官庁の官僚に取り込まれてしまっているとしか思えない言動であるとかに、増々強くなって来てしまっています。その辺りの所管は当方のブログでも年頭に書かせて頂きましたが、お暇でしたらご笑覧下さい。
http://toshifujiwara.blogspot.com/2010/01/2010.html

一方、この映画を見せることだけで一年を過ごしたわけでもなく、2006年の作品『ぼくらはもう帰れない』(ベルリン国際映画祭出品、ペサロ国際映画祭「未来の映画」賞、他)の続編というか、同じような集団即興の方法論を今度は東京ではなく大阪で、昨年5月より断続的に撮影を進めて参りました。

当初は前作よりコメディ色の濃いお気軽な「ノリとツッコミ」の映画を予想していたものが、皮肉にも例の政権交代の選挙が始まったころから、むしろ閉鎖的な地方都市のしがらみとか、理念が換骨奪胎された「ゆとり教育」と称するものの弊害、さらには京都よりも歴史が古いかも知れない大阪の無自覚な歴史な古層に刻まれた様々な差別や偏見(発見したのは大阪が大変な階級社会であるということであるとか)、さらには全共闘の失敗とその世代の変容に対する以下の世代の幻滅や絶望(つまりは団塊ジュニア以降にとっての父性の不在)などなど、そうしたモロモロの身近でいながら無意識のがんじがらめから逃れられないニッポンの現代が炙り出しになるような映画に、どんどん変容して行ったのでした。

結局、自分の作る映画は常に「ニッポンとはどういう国/社会で、ニッポン人とはどういう民族なのか」をめぐるものにしかならんのだなぁ、との自覚を強いられると同時に、元々基本的に「素人」を集めたキャスト陣の一部で、せっかく炙り出して来た重要なテーマとどう向き合うかでエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を地で行くような状況が続発するような事態に陥り、我々の国と社会に食い込んだ底知れぬタブーの闇とそこに取り組むことの怖さに、帰国子女という育ちのせいかあまり考えることがなかった自分が、初めて気付いて悪戦苦闘する状況が続いているのが、正直な現状です。

またそれが政権交代をやっと成し遂げたもののその先を自分たちで食いつぶそうとしてるのかも知れないこの国の現状とパラレルになっているのかも知れません−−そこにも克服しなければならない様々な戦後ニッポンのタブーがあり、日本の市民は鳩山内閣にそれを期待して投票したはずが、今ではそれを恐れているのではないか、とも思えて来るのは気のせいでしょうか。

これを本質的に超克して顕在化する映画に出来たらもの凄い傑作になるのかも知れないと自分でも分かっていながらも、その方策がなかなか見いだせないなか、なにしろ製作費事実上ゼロの映画でこちらもとくに収入源がないまま前作と前前作のギャラでなんとか食いつないでいたのが底をつきつつあり、「これは撮り方を変えるしかない」と今さらながらに思い立ちまして機材は小さいのに画質はむしろいいデジタル一眼レフでの撮影に切り替えることを検討しつつ、さて家賃も滞納してるのにどうやったらローンを組めるだろうかと言うのが、新年にあたって差し当たり最初の悩みになってしまいました。

…と「映画作家生命の危機」にしてはかなり情けない年初のご挨拶になってしまいましたが(ここまでお読み頂いてありがとうございます)、本年もどうぞよろしくご支援・ご指導・ご鞭撻のほど、お願いいたします。

2010年元旦

藤原敏史 拝

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