最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

11/29/2008

裁判員を辞退するコツ


最高裁判所が裁判員候補名簿に載った人への通知と調査票を昨日発送したそうだ。この調査票に記入した後で今度は実際の裁判になったら改めて呼び出しがかかり、ってのもえらく手間のかかる話で、郵送と事務経費だけでも税金が…なんてつい考えてしまうのだが、世論調査などだとえらく評判の悪いこの制度、裁判所も神経を尖らせてるからこそ、ここまでバカ丁寧にやるんでしょう。

世論調査だと過半数が消極的、というわけで辞退の理由もずいぶん寛容に認める方向で、「本人がいないと支障が出る」という辞退理由にはナンバーワン・ホステスでも当てはまるんだとか。確かに法の目から見て職業に貴賤はないのだから、そのホステスがいなければ店の営業が成り立たないのなら、辞退を許され…って夜の仕事で裁判は日中だから大丈夫じゃないんですか、とか言われたらどうするんだろう?

辞退する理由はいろいろ認められるらしいが、どうしてもやりたくないのならまず確実に採用されないやり方もある。「死刑制度絶対反対」「自分は絶対に死刑に反対する」と面接で主張すること。代用監獄制度などなど、日本の刑事手続きで指摘される様々な問題、刑法上はやっちゃいけないはずなのに実態は自白偏重であることとかに対して、強い懸念を表明して「公正な裁判などそんな状況ではあり得ない」と言うこと。

あとは裁判官の性格にもよるが、過去何年間かのどうにも疑問の残る判決を列挙して「裁判官は信用できない」「非常識」と断言すること。

まあこれは一種の論理倒錯にはなるんですが、つまり極端にいえば裁判官が「信用できない」「非常識」だから市民の裁判員で常識を裁判所の判断に取り込みましょう、というのが制度の趣旨なのですから、「現状では公正な裁判などそんな状況ではあり得ない」と言うくらい極端に疑り深い人がいてこそ意味があるのだけれど、果たしてそういう裁判員に裁判官が耐えられるかといえば、やはりそれは人情ということになってしまう。あとは裁判官の人格に任せるということになってしまうのだが、とはいえこれはもともと裁判所よりの人間ばかりが裁判員になるという危険性をはらむ制度ではないか? すでに裁判所と検察、あるいは警察とまで癒着というか、そういう偏った判断がしばしば指摘されるなかで、公平な裁判員制度を維持できるのか?

あるいは逆に、極度な厳罰主義を主張して「こんな犯人は絶対に死刑だ!」と叫んだら、いかに検察・国家権力べったりの裁判官でもさすがに採用しないでしょうが。

逆に言えば、裁判員になりたかったら、面接でよほど猫をかぶらなければいけないのかも知れない。なんて軽口はともかく、この裁判員の選定プロセスも、制度上の大きな問題ではないだろうか? 裁判員制度導入の現実的な理由のひとつが、裁判の結果がしばしば「非常識」で市民感覚からかけ離れていること、とくに検察と裁判官の癒着とまでは言わないが、同じ法務省の所属だし人事交流もあるしで、刑事裁判の判断があまりに検察よりになりがちなことだとされる。日弁連では日本の有罪率が異常に高いこと、とくに検察の立証が充分とはいえないのに恣意的な有罪判決が少なくないことを挙げている。ならば裁判所に選任が一元化される裁判員で本当にいいのか?

一方で、アメリカの陪審制と違って裁判官と裁判員市民の合議制なので、ただでさえ裁判官が判断を主導しがち(つまり裁判官は「プロ」であり、判例など挙げてを説得されれば市民はそれに従ってしまう)なのに、そのうえ裁判員選定の段階で裁判官が自分の気に入らない人間を排除できるシステムになっている。これだと検察側に判断が偏重しがちだと指摘される有罪判決の多さに、ただ一般市民の参加が形式的な「いいわけ」として正当化に利用されることになりかねない。

また裁判員参加の裁判が殺人、傷害、危険運転致死罪などに限られ、国家賠償訴訟や贈収賄が対象になっていないのも解せない。つまり一般市民が裁くのに参加できるのは、一般市民が犯した(かもしれない;推定無罪原則で、合理的な疑いを排除して確定できるまでは『犯した」と断言はしてはいけない)犯罪に限られ、国家や権力者を裁くことはないというのでは、市民の司法参加としてはあまりに国家や権力者にとってご都合主義じゃないか。

参加したがる市民が少なくて不人気の新制度であるがための妥協の数々も、ここまでやってしまうとちょっと危険だ。拘束期間はそんなに長くないとアピールするために、平均して三日しかかからないと法務省では言っているのだが、こと裁判員裁判の対象となるいわゆる重大犯罪、たとえば殺人だと、動機を含めて複雑な事情が絡んで来ている場合が多い。

このブログでは元厚生次官宅連続襲撃事件を数日にわたってとりあげたが、さてこの事件にしたってたった3日、三回程度の評議で、この犯罪の特質を理解して量刑まで決められるのか? 考慮すべきことはずいぶんありますよ。たとえば僕自身が疑っている可能性を裁判員が指摘したとき、その要請で精神鑑定はやってくれるのか? やったとしたら三日では決して済まないだろうし。まあ二人殺したから自動的に死刑、っていうんであれば3日どこか3時間で済むんでしょうが、だったら裁判員制度なんてそもそも要らないわけだし。

裁判を短期間で済ませるために公判前手続きが行われて論点が整理されることになるのだが、これが公正に行われるものなのかも疑問が残らないわけではないし。

折しも死刑制度廃止の世界の趨勢に逆らうかのように、日本では厳罰化をマスコミがあまり節操があるとは言いがたい単純な感情論で求める流れが強く、世論の8割が死刑制度を支持していることになっている。たった3日、三回程度の評議なら、感情論が勝って死刑判決が乱発されるかも知れないが、近代法治主義国家としてそれでいいのかといえば、司法への市民参加が実質上の市民リンチになってしまうとしたらそれは極めて危険なことだ。

だが一方で、マスコミが「死刑です! 死刑です!」と興奮して報道し、刑が軽ければ全紙・全テレビががっかりしたような批判的論調に染まる風潮を国民が支持してるんだとしたら、裁判員になることを躊躇する風潮、「他人を裁きたくない」から辞退したいというのは、自分が不特定多数の「社会」の一部である限りには死刑を喜ぶのに、自分が個人として裁判に関わるのは嫌だというのでは、あまりに無責任で身勝手な話ではないかとも思う。

とりあえず死刑判決に限っては、多数決でなく全員一致でないかぎりは出せないという法改正はしてほしい…って、数ヶ月前に国会で話題になったはずだが、どうなったんだろう? やっぱりこれが通らない限り、裁判員にはなりたくないのは正直なところだ。

いくら一審だけで再審で覆る可能性があるとはいえ、死刑ほど取り返しのつかない判決まで多数決というのは…。しかも裁判官が評議を主導する可能性が高い…。しかも世の中の流れは無節操なまでに「死刑にしろ!」。しかも裁判官の考え方は基本的に検察よりで、立証が多少不確かでも、被告が犯行を否認していると「反省してない」で厳罰って、もし本当に無実で、自白は代用監獄で強制されたものだったら、どうするんだ?

元警察官僚の亀井静香代議士が、「ほとんどは代用監獄で拘禁反応が出て精神的にボロボロになったところで自白調書に署名する」とテレビで言ってたんだぞ。

11/27/2008

「バールは鉄アレイより重いから、バールで身体を鍛えている」

あまり気持ちのいい話ではないので、写真は相殺するため? 東京都心から一時間圏内で恐らくもっとも美しい場所

元厚生次官宅連続襲撃事件で、最初に政府高官がそう思い込んでしまった手前どうしても「テロ」と言い張りたい警察などの思い込みの最後のよりどころだった容疑者の収入源(無職なのに家賃滞納もない、などなど)は、ネットを使った株のデイトレードだったらしい。テロ組織説の根拠だった情報源、なぜあの二人の元次官を狙い、住所まで特定したのかも、元はネット情報だったのだろうし、国会図書館で調べたと供述しているわけで、犯罪のあり方というのも急激に変化している。

もっとも、この事件にすわ「テロ」だと浮き足立った、というか「テロとの戦争」に興奮しちゃったらしいのは、政府それも麻生総理にごく近い官邸あたり(副官房長官とか)だったそうな。そうこうしているうちにインドで本当の政治テロ事件が起きて邦人の死者が出ても、「テロは許しがたい」と口にする以外に対応がほとんどできてない日本政府である。

先日も小泉毅容疑者を精神鑑定をすべきと書いたので、いわゆる厳罰主義のミギっぽい人々には怒られそうだ。このブログが炎上していないのは単に読者が少ないからってことなんでしょう(笑)。でもそうやって怒るとしたら刑事裁判や刑法が分かってないわけで、アスペルガーとか高機能自閉症は心神耗弱だとかの問題ではありませんから、責任能力には関係がありません。量刑とか刑罰の問題でなく、動機や犯行にいたる経緯、個々の行動の理由をちゃんと把握するためには、「テロだ」などの先入観を棄てて犯人側の心の動きや行動パターンを考えるために必要だ、というだけの話である。強いて言えば動機の形成に関して若干の情状酌量の余地はあり得るかも知れませんが、そんなことを言い始める段階では今はまだないし(それは動機などがある程度、裁判に耐えうるだけ解明されてから初めてでてくる話のはず)、重罪にしたいから都合の悪い話は排除するっていうんじゃ、法治国家の名が泣きます。法治国家における刑事罰はあくまで「自己責任」です。復讐の感情論じゃありません。

一方で自分はヒダリっぽいと思っている人々からは、いわゆる「障害」を抱える人への偏見を助長するのでけしからんと怒られるかも知れませんが、容疑者がアスペルガーとか高機能自閉症などを抱えているとしても(その可能性があるから精神鑑定したほうがいいって言う話ですよ、あくまで。完全に誤解してヒステリックに怒る人もいるんでしょうが、鑑定結果で「問題なし」ならそれはそれで鑑定した結果です)、そういう障害があるから犯罪者になるなんて、誰も一言も言ってません。そう誤解した人がいたとしたら、そういう誤解をするような短絡的な発想こそが、この種の障害に対する偏見を蔓延させているのだとはっきり言っておきたい。

今回の事件について秋葉原事件の加藤智大容疑者との類似を指摘する人もいて、確かに根本的な動機は共通性があると言えるだろう。ただし加藤容疑者は特に障害のようなものはないという精神鑑定が出ているし、実際にそうなのだろうと僕も思う(というか検察が早々に精神鑑定を依頼したという報道には「意味が分からん」と思った)。少なくとも今現在知られていたり推測されている精神の障害を思わせる行動は加藤容疑者にはない。むしろいわゆる健常者の病理というか、そういう動機と行動のパターンで、強いて言えば犯行のやり方が、ナイフを靴下に差し込んでいただけだったとか(そりゃ走れば落ちるよ)、幼稚すぎることが気になるくらいだが、それって人生経験からきちんと学んでないか、現実的な経験が足りないっていうこと、むしろ教育の問題でしょう。

少々強引に比較するなら加藤容疑者の場合の作業着をとり上げられたと誤解したことにあたるものが、小泉毅容疑者の場合は34年前の記憶が精神の構造の特殊性によって引き金になったのだろう。だとすれば、たとえばアスペルガーならば34年前のことが今の行動の直接な引き金になるのも、“理不尽” に見えるかも知れないが本人のなかではなんら異常なことにはならない。ただものごとの記憶の仕方や時間の受け取り方の感覚に特徴的なものがあるという可能性だ。

いずれにせよ殺意が心の中に起るかことそのものについては、発達障害には直接的な関係はない。アスペルガーでもやさしくて思いやりの強い人もいれば、いわゆる「健常者」で性格がねじまがって自分本位で意地の悪いヤツや、暴力的なヤツもいくらでもいる。ここでいわゆる発達障害がからむ可能性があるのは、まず34年前の犬の復讐が出て来ることに関してで、「不可解だ(だから裏があって組織犯罪のはずだ)」と言うのなら「そんなに不可解ではない(だから小泉毅容疑者の単独犯行でじゅうぶん辻褄は合う)」というためだけの話だ。

なんでも短絡に結びつけては行けない。ある特定の個性や人格、資質を持った人(つまり、どんな人でも、ということにしかならない)がある特定の外的な刺激を受けたときに、その結果としてどういう行動に結びつくかは、レッテルを貼って分類したり一般論にしたりする話ではない。それこそ論理倒錯もいいところで、そんなもん人それぞれのケースバイケースでしかない。人格形成や行動において先天的資質と後天的な環境要因がどこでどう絡んでどのような結果をもたらすのか、それが特定できるほど現在の人類の科学は進歩していないし、どんなに進歩しても実のところぜったいに解明も特定も完全にはできない。たった一人の人間であっても、その人生に起こったすべての事実を把握してその影響を分析するということ自体が、ありえないことなのだから。

いわゆる「発達障害」は現在では「先天的」な脳の機能の欠陥と考えるのが大勢で、医学的には確かに障害と定義づけるべきことなのだろうし、実際問題として自閉症と診断されるようなレベルになれば実際に生活を営むのに困難も多々出て来て、特別な訓練やリハビリ、薬物などの医学的処置による治療は必要になるのだろうから確かに「障害」と認識されるべきことにはなる。

ただし現在の「障害」ということ自体に医学的には大雑把に言って二通りの定義付けがあって、一方では日常生活などに支障がある、文字通り「障害」になるということでそれはしかるべきサポートが行われるためにも必要なことなのだろうが、もう一方では「健康」「健常」を想定することでそこに当てはまらないことを「障害」となるわけで、後者に関しては「じゃあ『健康』ってなんなのよ?」という疑問が当然出て来る。

身体の問題だってじゃあ完全に健康な人なんて、30年以上生きていればそんな人はいるはずもないし、それはいわゆる精神的、ないし脳の機能における「障害」だって、鬱病などの後天的な精神障害でも同じことだろう。「発達障害」のように先天的と推測されることでも、知能の障害を含まないレベルにおいては、「個性」とどこで線引きするのかといえば、日常生活などに支障があるという漠然とした話に持って行くしかないのではないか。別に日常生活に支障がなければ、「個性だから」で放っておいていい話なのだし、たとえば「絶対音感」とか「写真的記憶」と俗にいわれるように、逆に才能に結びつくことだってある。

生前にはこういう「障害」が医学的に認識されていなかったが、グレン・グールドの「奇行」がいわゆるアスペルガーの特徴にかなり一致するのは、よく言われることだが、だからってグールドに「日常生活に支障」があったとは思えないし。ちなみに僕自身、一回騙されてその種の問診のふりをした、実は「グールドの特徴集」だった問診チェックリストを受けました。ほぼ百発百中(笑)。ちなみに発達障害の診察の初歩的な問診チェックリストは7割くらいだったっけ、「別に生活の支障があって困ってるようには見えない」で以後突っ込んだ診察は「必要ない」そうです。いや困ってるんですが、無意識の声の聞き分けができずに空港で呼び出されてもまったく聞こえないとか、季節の変わり目だと体温の調整とかどれだけ厚着すべきかが分からなくなるとか、編集の最終段階になると気がついたら徹夜していることがしょっちゅうだとか…

犯罪の背景に公汎性発達障害などが指摘されると、偏見に基づく差別を招かないようにということで、「◯◯の人がみんな犯罪者になるわけではない」「ちゃんと生活している人もたくさんいる」という言い方が、いわばいいわけのようにされるのだが、まあ一応その通りではあるのだけれど、なんだか見当違いの論理倒錯、わざわざ言う必要がないどころか、かえって誤解を招くだけのような気がする。むしろはっきりと、「議論のレベルが違うだけの幼稚な誤解」「関係ないんだからそういう議論がおかしい」と言ったほうがいい。

小泉毅容疑者に話を戻せば、そうした「障害」とされるものの傾向が疑われるのは、34年前の保健所のことが彼の頭の中では現在に元厚生次官をターゲットにした理由づけになることと(保健所が厚生省の所轄であり、その役人のトップは厚生事務次官なのだから、筋は通っている)、元次官を特定して住所を調べ上げ、あれだけの犯罪を成し遂げる卓越した能力の部分で(あいまいな「常識」よりも「論理」なのでなにかを成し遂げることについての行動も合理的)、彼の精神や論理の立て方の構造の特殊性が関わっているのが主な理由だ。だから精神鑑定をやった方が、実行行為の各段階における動機は説明し易いというだけの話だ。


こうなって来るとこれが「医学」の問題なのかも不明確になって来るが、実際のところ「医学」の問題では本当はないのだろう。要は我々が自分とは異なることについてどれだけの寛容さを持って他者を受け入れられるのか、社会全体とそれを構成する一人一人の意識の問題であると同時に、自分自身についての自己認識の問題なのだろう。

もっと言えば、他人の精神や論理の構造が単に自分たち「健常者」の「常識」と違うからといって、そのこと自体が「異様」で「理不尽」で「不可解」とみなす傾向があり過ぎるから、精神鑑定をやった方がいいという話になるわけでもある。自分はそう考えないことでも、他人がそう考えたのなら「そういうのもあり得る」と思えて、その相手の論理から推測できないのなら、近代法治における刑事罰なんて本来は出来なくなります(「殺意」など内面を認定しなければいけないところに近代法治の、「現代」から見た限界がある、とも言えなくはありませんが)。殺人が悪いのはあったり前のことだが、そのこと以外で容疑者の行動が「異様だ」と倫理的なレッテルを強引に貼付けてモンスター化するのは、それは極端な話ファシズムというか全体主義でしょう。「テロだとしたら絶対に許せない」とかの理屈の方が、僕からみればよほど倒錯してみえる。ブッシュ政権のまき散らした雰囲気に流されているだけのまったくの非合理でしょう、それは。「日常生活に支障」で言えば、そっちの方がよほど重大な支障がある。

容疑者は出頭前に家財をリサイクルショップで処分したそうで、そのなかにはバール(重さ約20キロ)もあって「鉄アレイより重いバールで体を鍛えている」と話したという。いわゆる “常識” で考えたら奇異な話に思えるかも知れないし、これをもって「反社会的な性格」を示唆するなどと言い出す人もいるかも知れないが、純粋に論理的に(字義通りに)考えれば実はまったくまっとうな話だ。鉄アレイ製造業者は困るかも知れないけれど、要は重いモノを動かすことで身体を鍛えるのだから、バールの方が重いならその方が合理的だよね、そう言われてみれば

付記するなら彼が人間関係でことごとく失敗して来ているのは、この手の「障害」がいわゆる「空気が読めない」ところ、無意識のうちに周囲の人間の反応を察知して順応するような能力に問題があるとされることと、恐らく関係がある。そうしたの障害は孤独な立場に追いつめられる可能性を高めることにはなるが、障害それ自体が孤独な、あるいは反社会的な人格、攻撃的な人格を意味するわけではまったくない。

いわゆる健常者だって社会から疎外されて敵意を持って扱われれば、社会全般に対して殺意を抱くのはまったく同じことだ。小泉毅容疑者について「アスペルガー症候群などの可能性がある」と言っているのは、あくまでその殺意を彼がどこに向けたのか、自分のなかでどういう理屈付けをして正当化しているの論理パターンと、具体的な犯行のやり方の特徴を理解するためにはそう考えられる可能性が高い、と言っているだけだ(というか、そうした障害の「特徴」とされるなかでも代表的なものにほとんどが合致する)。たとえばマスコミで「理不尽」「理解できない」「不可解」と言っている評価が、「いや別に、『特殊』かもしれませんが『理解できない』ことはまったくありませんよ」という意味でしかない。だから精神鑑定してみればいいじゃない。精神鑑定は量刑や責任能力の問題だけにしか用いない、なんて法律はないんだし、真実を明らかに、というのであれば、単独犯なら動機の醸成と犯人の心理は「真実」の重要な一部なのだから−−ということ自体が近代主義の限界であって、たとえば「現代映画」であればそこに批判的でもあるのではあるが。

アスペルガーなどを抱えた人間の方が無意識に「空気を読む」能力に欠けているから孤独な立場に追いつめられて反社会的になる可能性が高いというのは、「空気を読め」を強制して多数派が「自分と同じ」であることを少数派に強制する社会の側の狭量さの問題の方が、よっぽど大きいんじゃないか。民主主義が最終的に多数決をとるというのは、多数派の都合やわがままが「正しい」と言う意味ではまったくないのは、いまさら言うまでもない。9/11以降「テロ」という言葉に絶対悪みたいな印象がついてまわる「常識」が世界に蔓延していようが、悪なのは他人様を殺すという行為であってその動機に含まれる政治的主張まで含めて「悪」とみなすのは倒錯であることになんの変わりもない。倒錯どころか権力側の悪質なプロパガンダだよ、そんなの。

分かり易いたとえでを言ってしまおう。鉄アレイではなく重い鉄製バールで身体を鍛えているという話をされたとき、あなたならどう思うのか? 「おかしい、気持ち悪い」と思うのか、そういう発想がある種の「障害」の特徴と言われて「病気ならしょうがない」と思うのか(ちなみに現実の日本語の使われ方において、「精神障害」の「障害」は「病気」の言い換え語にしかなってない)、素直に「それも一理あるよね、おもしろい」と思えるのか。大部分の人は一番目に凝り固まって「異様だ、気持ち悪い」という。ならばまだ二番目で納得してもらえるほうがまだマシという程度の問題でしかない。もちろん本当は、いちばん人間的にまっとうなのはこの三番目だ。

もちろんその理屈には理屈で受け入れながら、自分では鉄アレイを使っていていっこうに構わない。そう思えば二番目みたいな中途半端な考え方に留まる必要性なんて、実はほとんどない。ま、それが出来ないのが「健常者」の思い込みの限界なんでしょうけどね。

つまり「健常者」は自分の精神構造の枠内に囚われてそこしか見えない、自己を客観視できず他者に対して盲目なのだとしたら、それこそ「健常」ってなんなのよ、ということになる。

11/25/2008

メンツと発想の限界(警察の場合)

「すわ年金テロ」と連日新聞紙面とテレビ報道を独占し、政府高官が「テロだとしたら許せない」と口走り(そうじゃなくて政治テロだろうがいかなる理由があろうが、殺人は許せないんだろうが)、首相が「よく知らネェけど」とのたまわった厚生元次官夫妻連続殺傷事件は、犯人出頭で一応の解決となった。

もっとも警視庁および埼玉県警にとっても、政府にとっても、なかなか「一件落着」にはならない話だ。指紋は採取できず足跡から靴底は特定できても大量生産・大量流通品なので犯人特定には結びつかず、おおがかりな聞き込みをかけても、都市およびその近郊の住宅密集区域だというのに目撃情報は乏しく、埼玉の件は殺害翌日まで事件自体が発覚せず、ずさんなまでに乱暴な犯行に見えるわりには手がかりがなくて新聞には「長引くかもしれない」という担当刑事の不安も報道されていた、その晩に、まさに人を食ったように、警察の鼻をまんまと明かしたように本人が、それも堂々と桜田門の警視庁にいきなり出頭したのだ。警察のメンツ丸つぶれ、犯人にいいように右往左往させられた挙げ句、「ホラ、お前らじゃ俺は捕まえられんから、出て来てやったぞ」と思いっきり馬鹿にされたような格好になってしまった。彼はわざわざ「年金テロなんて関係ない」とも、供述で明言してしまっているらしいのだから、ますます警察も政府高官も当て外れ、メンツ丸つぶれである。それはもちろん、「年金テロ」と報じ続けたマスコミも同様だが。

警察幹部OBがあたかも予測していたかのようにテレビでは偉そうに言っているが、連休中の夜遅くに出頭されたので大慌てになっている様はしっかり報道に映っているし、小泉毅容疑者が住民票を持参していたという誤報までリークしてしまい、公式記者発表でわざわざ否定しなければならなかったほどである。産經新聞にでた警視庁元幹部のコメントでは「報道を見て逃げられないと観念したのではないか」と言っているが、実際に報道されていたのは(つまり警察がマスコミに発表していた内容は)犯人は自分に結びつく手がかりをほとんど残していないどころか、「年金テロ」説が警察当局・関係者や政府首脳の見解で、佐々淳行氏なんて「僕なら社会保険庁で懲戒免職された人間のアリバイを調べる」と言い切ってたほど。それには違和感があると疑問を呈していたのは、一部の作家やジャーナリストが主だった。

報道によれば容疑者は動機として少年時代に犬を保健所で処分された、彼の立場からすれば「(家族を)殺された」ことの積年の恨みを挙げているという。警察はこの動機を「信用できない」と言っており、報道でも「理解できない」とあたかも裏があるはずだという態度は共通し、コメントしている警察OBのなかには彼の動機の供述は嘘だと決めつけて公安部がかならず何か見つけるはずだとまで言っている者までいる。まるであくまでも当初想定した組織犯罪、思想的テロでないと当局の沽券にかかわる、絶対にそうだと思い込みたいと意地を張ってるみたいにも見えて来るが、果たしてどうなのだろうか? もちろん今後の取り調べを待つべきだとは言っても、今のところ組織性の匂いは、まったくしないのだが。もちろん念のためにそっちの捜査もするべきだろうが、一方で動機を解明したいのなら早くやった方がいいのは精神鑑定だ。

夜10時少し前の出頭だったわりには、容疑者の父親はもちろん、住んでいるアパートの大家さん、近所の住人まで翌日の朝刊に間に合うようにインタビューされているのだが、そこから見えてる来る小泉毅という人物像は、少なくとも論理的な推論として決して「理解できなく」も「不可解」でもないし、犬を殺されたからという動機も、確かに常識的には突飛に見え、意表を突かれたことではあるにしても、そう言われてみれば十分にあり得る話でしかない。

それどころか今分かっている限りのことから判断するだけなら、現代の犯罪心理学からすれば非常に明解な説明はとりあえずついてしまうのに、警察OB、それも捜査一課だとかの関係者が思いついてもいないとしたら、あまりにも間が抜けている。

もちろん、誤解や偏見を招きかねないからうかつにおおやけに口にすべきでない推論だと判断しているのかも知れないのだが、だからってなにも強硬に組織犯罪・思想テロ説を主張する必要もないはずだ。まさかカムフラージュってこともないだろうし。となるとやっぱり気がついてないのか?

とりあえず分かっていること、報道されているころから動機を推論するのなら、最近は教育問題であるとか、あるいは青少年の “不可解" な凶暴な犯罪、たとえば親殺し事件でいささか使われ過ぎで偏見を呼び起こすほど繰り返されているタームを考えざるを得ない事件だ。容疑者が46歳だからといってそれを思いつかないとしたら、医学的に言えば年齢が高いぶん環境要因が複合的に絡んで来ているから特定は難しくなるにしても「よくなる」とは限らないし、そう推論すべき兆候はすでにさんざん報道されている。子どもの頃は明るく活発な子だった。高校生のころから数学に抜群の才能を発揮していた。だが大学ではなぜか留年を繰り返し8年を経て中退、その後はコンピューター関係に就職するも「人間関係」に失敗して退職。職を転々としながら常に人間関係で失敗し、10年間は親とも連絡をとっていない。出頭時にもまるで罪悪感のそぶりもみせず、テレビに映った連行される姿も堂々としている。これだけ揃えばとりあえず高機能自閉症、なんらかの発達障害、とくにアスペルガー症候群を疑って精神科医に診察か鑑定を依頼する条件は、すでに揃っている。

警察は46歳無職という容疑者の経歴に偏見を持って、彼の知能を過小評価しているのだろうか? OBなどが「厚生行政に詳しくなければ分からないはずだ」とか繰り返し、だから背後に思想的なテロ組織がいるはずだと言い張っているのだが(んでもって「公安部」って、発想があまりに安易に思想弾圧的で、戦前の特高の時代からぜんぜんメンタリティが変わってないのだろう)、小泉容疑者の犯行に必要な程度の情報は、厚生行政、厚労省の諸問題を論じているサイトをネットの使い方に長けた人間が調べ上げれば出て来るはずだ。とくに年金問題批判の議論はネット上にはあふれているし、だから年金行政の中枢にいた二人の次官経験者、それも現在の基礎年金制度作成にこの特定の二人を名指しで批判しているサイトだってあるだろう。報道によれば合計10名ほどのターゲットも考えていたことが分かったそうだが、今現在、「官僚は悪いやつら」、とくに犬を殺した保健所への恨みで厚生官僚を狙うのなら、被害に遭ったお二人は、真っ先に住所まで含めて出て来るだろうし、それだけの理由でこの順番になるのも、別に理解できないことではない。

あるいはいわゆる小泉改革が結果として日本社会にずいぶんとダメージを与えてしまったことへの怒り(容疑者がいわばフリーターか、派遣労働に近い立場にあったこともあり得るし)も影響しているとすれば、小泉が厚生大臣を二度勤めていることと、「犬を殺された」保健所を所管する厚生省と結びつけて、いずれも小泉厚生大臣の次官だった二人を狙うというのだって、論理の飛躍に見えるかもしれないがアスペルガーの特徴のひとつはそういう言葉の「字義通り性」に基づいた発想と論理の展開だというのも、とくに犯罪心理学では注目されていることのはずだ。

そしてなによりも、アスペルガーは確かに社会性が低くて人間関係で失敗することが多いから出世する可能性は低いかも知れないが、知的能力にはまったく関係ないどころか極めて優秀な人間が多い。んでもって、お父さんのインタビューを見る限り、小泉毅容疑者は知的能力、とくに数学的、論理的能力は傑出しているらしい。46歳の容疑者の社会的地位の低さから彼の能力を過小評価して、だから「組織的なはずだ」「思想テロ」の背景があるはずだと思い込んで単独犯の可能性を排除するのは、少なくとも警察の捜査としてあまりに稚拙だ。最初に「思想テロだ」「組織が動いている」と思い込んだ警察当局のメンツを保ちたい心理が、彼らの目を閉ざしているとしたら、そりゃ捜査を担当する立場としてあまりに頼りない。

もちろんアスペルガーなどの発達障害をすぐに犯罪と結びつけるのは原因と結果を混同した論理的倒錯に基づく偏見に過ぎない。だがそうした精神構造の特性を理解もせず、ただ偏見だと言われるのを恐れて、このような特徴的な犯行パターンの場合にそれを考えないのも、同じくらい論理的に倒錯した偏見だと言わざるを得まい。

11/20/2008

いいかげん…すでに飽きて来てるけど…

吉田茂の出来の悪い孫はホント、なんとかならないものか。昨日は全国知事会で医師不足という緊急事態の問題について…

医者の確保をとの話だが、自分で病院を経営しているから言う訳じゃないけど、大変ですよ。はっきり言って、最も社会的常識がかなり欠落している人が多い。ものすごく価値判断が違うから。それはそれで、そういう方をどうするかという話を真剣にやらないと。全然違う、すごく違う。

…これでかつての自民党の有力支持団体、日本医師会の自民党離れは決定的でしょうね。医師免許を持ってる中山元外務大臣(通称お茶の水博士)、やはりお医者でもありお医者の息子でもある武見さんなどの自民党議員や、やはり医師である公明党の坂口さん(元厚生大臣)だとかは、どう反応すればいいんでしょう。“自民党をぶっ壊す” 確信犯の自爆行為だとでも思わなければ、説明がつきません。

しかもぶらさがり記者会見での釈明?はこんな感じ…

お医者さんになったおれの友達もいっぱいいるんだけれど、何となく意見が全然、普段からおれとは波長の合わないのが多いな

(この「釈明」部分がなぜかテレビのニュースでは使われていないのは、やっぱりテレビは政府許認可の免許事業だから?)

…そりゃあなたと波長の合う人は、世の中そんなにいないでしょう。なにしろ昨日に続いて今日は、幼稚園のPTA全国大会とやらに招かれ、PTAつまり「ペアレンツ・アンド・ティーチャーズ・アソシエイション」、「親と教師の連合」なのに、「子どもよりも後ろにくっついている親が大変」「子どもよりも母親にしつけが必要」と言っちゃったとか。漢字が読めないどころか言葉も知らないらしい、68歳にもなるのに。

麻生サンの話だけではあまりに不快になるので、写真はまったく関係なく英国シェフィールドの風景いろいろ、です。

閑話休題。ここまで壮大に読み間違えに失言がオンパレードだと今更ここまで突っ込む気もしなくなるのだが、元厚生次官宅連続襲撃殺傷事件について、わざわざ異例の午前中のぶらさがり会見を官邸側の呼びかけでやりながら

二つの関係が明確になった段階において、これはテロとみなして断固たる処置をとる。ただ、今の段階では単なる傷害か何とかって決まっていないんだろ。よく知らねえけど


…だそうです。「単なる傷害」でなく、人が二人死んでる殺人事件です、総理。「決まってないんだろ」ってのも変で、「判明していない」「警察がまだ断定してない」だけで、事件はすでに起ってるんですからこれから「決まる」ことじゃありません。「よく知らねえけど」っていう言葉遣いに至っては…。

総理がこれなんで比較問題であまり気にされてませんが、舛添厚労相の発言だってかなりおかしい。「テロだとしたら断固許せない」って、テロだろうがなんだろうが、動機がなんであれ殺人は許せないんでしょうが。

人の命をなんだと思ってるんだ? それに幸い命に別状はなかったものの、中野の事件では襲われたのは72歳のおばあさんである。大変にお気の毒であると同時に、フツーの日本人の感覚からいってとりわけ許せない類いの犯罪じゃないか。政治家がそんな基本的な倫理観も欠如していてどうするんだ?

11/19/2008

政権危機を報じたがらないマスコミと、この期に及んで給油法案の時代錯誤

政府が二次補正予算を今国会で提出しない限りは民主党がテロ特インド洋給油法案を採決しないと対決姿勢を見せているので、麻生氏は国会会期延長・60日ルールの参院みなし採決も辞さないと言い出している。それなら12月末まで、金融強化延長法案まで含めるなら越年国会も辞さないという話にならざるを得ないわけで、それでも二次補正予算を出さないのなら、その前に平成21年度予算の審議が始まっちゃうんじゃないかみたいな政治日程になり、もうわけが分からない。

政治部記者というのは分かっていても政府に都合のいいことを書く癖が抜けないらしく、先月末の二次補正予算・緊急経済対策記者会見でも政治部はあのめちゃくちゃな案をその時点ではある程度は評価し、一方経済部は「景気対策にならない」と酷評する記事が各紙で目立っていたが、今回もことの本質をあえて無視して民主党が国会の手続き論を反古にしたことばかり批判したがっている。一部のテレビに至っては「民主党に批判が相次ぐ」と言って批判しているのは政府与党の執行部ばかりじゃん(爆笑)。ニュース23のTBS社員でないメインキャスターの後藤氏と、あとは毎日の社説だけが「要するに麻生政権が不評の定額給付金などの審議で徹底的にやられるのを恐れているだけだ」とちゃんと問題の本質を指摘しているのだが、毎日だとやはり「社説」だけあって、 “公平を期して” 「民主党の態度もいただけない」 と書かなければならないのは、やはりそんなに政権与党のご機嫌が気になるのだろうか。

「テロ対策を政争の具にするのか」と日経読売は批判しているが、ちょっと待て。小沢民主党は最初から給油による対米隷属法案には去年からずっと反対している。今国会で反対を明確にすることで採決に応じて早期成立させる姿勢に出たのは、解散総選挙で政権交代という目標が大前提だからであって、民主党が勝って政権交代してしまえば、速やかにインド洋における給油活動は停止する方向で政策転換をすればいいから、表面上は早期解散を前提にとっとと否決することでいわば成立に “協力” した(ようにも見える)だけの話だ。永田町のシステムを熟知しているはずの政治記者たちがそんなことも理解できないはずはない。なのに気づかないふうを装ってまったく論理的に破綻した野党批判とは。

毎日新聞には先頃亡くなった筑紫哲也さんについてのこんな記事がでているが、そこで筑紫さんのこんな言葉が紹介されている

新聞もテレビ局も、会社員ジャーナリストの限界が、すごくありますね。以前、TBSの社長と酒飲んだ時、『なんでそんな大金を払って僕を雇っているの』って聞いたらこう言ってました。テレビ局は言論機関、公共性を果たさなくてはならない。きれいごとだけじゃなくて、力、すごみがないと、小さな企業、免許事業だから国にしたい放題やられる。だからあいくちがなくちゃならない。それを全部自前(の社員)でやると差し障りがあって、がんがん言われる。誰かにやってもらわないとならない--。『要するにおれは弾よけか』と言ったら『そんなもんですな』と。非社員にそういうことをやってくれる人が必要だと。で、僕の役割があるんですね


「あいくち」(「匕首」、吉田茂の孫には読めないんだろうが、短刀のこと)とはまた、筑紫さんのトシというか世代がよぉく分かる語彙の選択ですが(^^;)、その後を引き継いで、やはり非社員の後藤さんがバッサリと麻生政権の「無責任」と「進んでも地獄、退くのも地獄」の政権ドン詰まり状況を率直に指摘できるのも、「匕首」だからってことなんでしょうか。googleのニュース検索にはさっき毎日新聞の一時間前の記事として「自民党内から政権批判が相次ぐ」という見出しがでていたのだが、リンクをクリックしてもその記事はでて来なかった。掲載一時間で削除されたのかよ。

警視庁の警視が酔っぱらい運転で逮捕されて、つくづくいろいろ不祥事の起る政権だが、そういえば田母神前空幕長の文民統制違反と森元首相もからんだアパグループと自衛隊・田母神氏の癒着問題、それに統合幕僚学校に「歴史観・国家観」という授業を田母神氏がもうけて招いた講師のリストを防衛省が黒塗りにして名前を隠した問題も、すっかり報道されなくなってしまった。これはこれで極めて重要な、日本の民主主義と法治主義にかかわる重大問題なんだけど。もっとも、例の黒塗り氏名のリストは、所属大学等や肩書きは塗りつぶされてなかったので、だいたい誰が来たのかの推測はつくんですけどね。それにしてもなぜマスコミはこの問題を追及しないわけ? いつのまにか社会の話題は大学生の大麻汚染で、厚生省に所属する麻薬捜査官がいきなり熱心に大麻取り締まりを始めたのは、政治問題から話題をそらすためのパフォーマンスかと疑いたくもなる。

脱線するなら一応我が母校ってことになる早稲田大学で逮捕者がでている件の報道についてひとこと--早稲田のリベラルでやんちゃな校風からいってでこの手の問題に早稲田が無関係であるわけがなく…というのは今の早稲田大学には必ずしも当てはまらないのだが、この件での逮捕者の多くが「国際教養学部」の学生ということで、報道ではなぜかボカしているが、国際教養学部って昔は国際部と言って、僕も交換留学でアメリカの南カリフォルニア大に行かせてもらったのだが、この学部に所属の学生というのは、要するに留学生。外国人であることをボカすのには、大学の大麻汚染を実態以上に深刻に見せる情報操作じゃないかとも疑いたくもなる。多くの諸外国では大麻程度はテクニカルには非合法でもあまり取り締まってないから、外国から来た留学生がその感覚でいるってだけの部分も相当にあるんじゃないの?

そこも含めて、なんだか政治や政府の問題や、官僚や国家公務員のスキャンダルから世論の目をそらすパフォーマンスに見えてしょうがないんですよね。

それはともかく、麻生政権や外務省、防衛省はテロ特インド洋給油法案をオバマ大統領就任までに通すことに必死だ。その理由がケッサクなのだが、オバマ氏はイラクからの16ヶ月以内の撤退を公約にし、昨日紹介した60ミニッツのインタビューでもグアンタナモ捕虜収容所の閉鎖などを明言する一方で、選挙中からイラクから撤退してアフガニスタンの治安回復とアルカイダ解体、ビン・ラディンを捕える(あるいは殺す)ことに集中するべきだと主張している。だからオバマ政権に協力するためにアフガン駐留多国籍軍への給油を継続してアピールしたい、っていう話なのだが、それのどこが「国民生活を左右する重要法案」なのかさっぱり分からん。

確かにアフガニスタンに集中することはオバマ氏は明言し続けているし、アルカイダから米国を守ることも繰り返しているが、それが軍事的手段によってなのかどうかは、オバマ氏は「あらゆる手段のなかでもっとも現実的な」としか言っていないし、アフガンの現状を分析すれば、アメリカ国民はほとんど知らないだろうが、軍事作戦はまったく成功していない。アメリカ兵の戦死をこれ以上無駄に増やさないことをオバマ氏は公約しているし、民主党系だけでなく共和党系のシンクタンクでも「テロとの “戦争”」は無理があり過ぎる考え方だという指摘を発表していたりする。オバマ氏はこれからまだアメリカ国内世論を説得しなければならないにせよ、軍事よりは国際警察権の執行、安全保障よりは国際協調による治安の維持、内戦の政治解決という観点でアフガン問題を考える国際的な流れが出来つつあって、カルザイ政権でももう数ヶ月前からタリバン側と交渉に入っているというのに、ただ「オバマ政権のご機嫌取り」しか考えられないでなにが「外交・安全保障の麻生」なんなのだろう? 

ちょっと冷静に考えなさいよ。まだ具体的なアフガン政策はオバマ次期政権は発表していない(アフガンの治安回復とアルカイダ壊滅とビンラディン逮捕という抽象的目標を提示しているだけ)のに、ブッシュ政権が始めた「テロとの戦争」の枠内の「給油」が有効だとオバマ政権が判断するかも分からない。昨晩NHK「クロースアップ現代」でジョゼフ・ナイ氏(現ハーバード大教授、ということはオバマ氏の母校)のインタビューを久々に聞いたが、自民党政権が嫌っていたカーター、クリントン民主党政権の外交ブレーンであった同氏も、「テロとの戦争」という考えは維持できないしアメリカのメリットにもならないことを示唆してましたよ。

なんといっても悲惨なのは、日米関係が日米安保で喰っている日米双方の軍需産業のバックアップを受けた、アメリカでいえば共和党系の人脈で牛耳られている、というか食い物にんされている日本外交のお寒い現状では、民主党系にはあまりパイプがない上に新人オバマ氏に関してはまったくコネがなく、しかも未だに安保条約によって日本はアメリカの属国の地位を保証されているという発想から抜けられず、外務省も防衛官僚も要はアメリカのご機嫌取りしか発想がないという。ナイ教授は「日本とアメリカは単に友好国であるだけでなく同盟国。オバマ政権が中国を重視して日本を無視するなどというのはまったくの杞憂」と言い切ってましたが、「同盟国」って意味が分かってるのかね、麻生サンは。たぶん分かってないだろうなぁ…。決して「属国」という意味じゃないし、とくにオバマ氏の外交政策がブッシュ的な強権的な一国覇権主義とはまったく異なったものになることだけは、それは選挙公約や演説の内容、彼がどのようなブレーンを持っているかを把握している限り、そして現在のアメリカの置かれた国際的な立場を考えるかぎり、明らかなんだけどねぇ。

だいたい麻生さんも出席してたG20なんて、欧州と新興国からのアメリカ批判大会になってたじゃん。給油法案で必死に新政権のご機嫌をとらなきゃ、なんて態度に喜ぶような外交政策は、オバマ政権はとらないだろうし、だいたいとれるわけもないのは、冷静に考えれば分かりきった話なんだけど。日本が賛成できないことなら賛成できないとか、これは協力できないとか、きちんと筋を通して言うのもまた、同盟関係なら当然なんですよ。

CHANGEなんだってば、CHANGE! そのCHANGEを日米関係を日本にとっても独立国として有利に、出来ることならお互いにとって有益にするのが、日本政府が今やらなきゃいけないことだろうが。いまさら属国じゃないんだからさ(いややっぱり属国なのか?)。

11/18/2008

次期米大統領インタビュー


Watch CBS Videos Online

TV報道などですでに話題の、CBSの60minutesのオバマ夫妻インタビューです。ちゃんと選挙キャンペーンのウェブサイトにすぐにアップしている素早さがすごい。まあ政治の話題ではたいした内容でもなく、経済危機について「イデオロギーにこだわらない」といささか八方美人な発言ですが。むしろ夫人の登場でホワイトハウスへの引っ越しの話とか子育ての話題で気さくな人間性を強調してるところが、いかにもアメリカ政治ということか。

子育ての話題もふんだんなのに、入ってるCMがバイアグラってのは、笑っちゃう(子どもに見せられないよねぇ)。

一方、なにも進まない日本政治はどうなっちゃってるのか? まあテレ朝世論調査で支持率30パーセントを切ってしまったなかで、本来やらなきゃにっちもさっちも行かないことをやるわけにも、自民党としてはいかないんでしょうが。でも解散総選挙する以外に、もうなにもできないでしょうに。そりゃ惨敗は避けられないとは言っても、現に選挙向け総裁として選んだはずの麻生サンでかえってこうなってしまえば、まだ福田サンでやったほうがマシだったんじゃないんですか?

経済危機って、それこそ素早く対応するかどうかが決め手なんですが…。上記の世論調査もちょっと分からないのが、麻生政権にダメ出ししておきながら、総選挙は来年度予算成立後の来春が最多数になってます。じゃあ支持できない政権が国会運営もロクにできないまま、来年度予算どころか鳴り物入りの二次補正予算を国会に提出もできないまま、放置しておこうということなんでしょうか?

Yes We CanにChangeのかけ声だけで経済危機を打開できるとなんとなく思ってるみたいなアメリカ合衆国国民の楽天的な楽観主義もちょっと凄いとは思うのだが、文句は言いながらも変化は恐れる日本人というのも、それはそれで八方ふさがりに自分たちを追い込むだけな気がしますが。結局、2005年の総選挙の時以来、変えさせる振りだけで自分が変わる気なんてまったくない日本人全体の集合的臆病さがバックファイアし続けているだけにも、思えてしまう。

小沢民主党代表が麻生との党首会談で、給油継続法案などの審議拒否を持ち出したことにしたり顔で批判する向きも多いようだが、「駆け引きはいやらしい」という潔癖性も分からないではないとはいえ、そもそも解散もしないし国会会期延長もやりたくなく、評判が悪いから定額給付金を含む補正予算案も出さないという自民党がおかしいわけで、常識で考えればとっくに解散してなければいけないはずなのだ。なにもできなくてもただ与党というポジション、なにもできないというのにただ総理という地位に固執しているだけの現政権がおかしいわけで、これぐらいの豪速球でも突きつけなければ…ってところが、それを突きつけられてものらりくらりの麻生政権っていったい…。前二首相は政権投げ出しで不評を買ったが、もっと無責任があり得たこと自体が想定外といえば想定外。

解散権は確かに総理にあるのだが、こうなると究極の開き直りでしかない。だが一方で上記の「総選挙は予算成立後」36%という数字も、「経済危機の現在に政治空白」という与党のプロパガンダに騙されているだけなのか、現に鳴り物入りで二次補正予算案を総理自らの会見で表明しても、株価だってまったく好転しないではないですか。好転するわけがない。麻生政権はなにもやってないで文字通り政治空白、給付金をめぐる閣内の意思不統一でますます空転し、景気対策は日銀が元々低かった金利を焼け石の水のように微減しただけなのだから。

11/14/2008

ところで本ブログが3ヶ月ほど更新がなかったもので…


…チェックいただいている皆様にご心配をおかけいたしまして、どうもすみません。いえご心配いただくほどのことでもなく、要するに新作『フェンス』のワールドプレミアが決まっていたので、仕上げで忙しかったのが最大の理由です。

それもただ演出・編集としての仕上げの作業、作品の中身のことだけでは済まなくなってしまった。プロデューサーが親御さんの介護に時間をとられ、映画祭出品が決まっているのに身動きがとれなくなり、完成段階でいきなり監督だけでなくプロデュース業務まで背負い込むことになってしまったのだ。今更上映をキャンセルもできずに、なんとか仕上げたものの金銭的なことはこれからどうしようか、と言ったところではあったりして…。

一本の映画でなく二部構成の独立したそれぞれ一時間半近い映画が二本、合計で2時間50分近い大作で、さて公開の形態は二本バラバラでいいのか、このままだと劇場に悲鳴をあげられてしまうので二時間弱の短縮バージョンを作るのかどうかと、まだ問題は山積ではありますが。

その上、さる9月24日にはアテネフランセ文化センターで亡き佐藤真さんについての講演を仰せつかり、映画的な関心として極めて近いところにいた人だっただけに逆にニアミスを繰り返すばかり、とくに『阿賀の記憶』『OUT OF PLACE』と佐藤真の映画作家としての本性がついに明らかになっていく時期において僕の方は批評から撤退しつつあったせいで映画は見て「すごいことになってきた」と思いつつもなかなかそれを表明するあまり機会もなく、そこで亡くなり方がああいうものだったので罪悪感も含めて「えらい重責を引き受けてしまった」と言うわけで『フェンス』の作業の合間にはブログを書く代わりに講演を準備していたような次第でした。なにしろ「映画史のなかの佐藤真」というえらく巨大なお題で、しかも「論じられるのは藤原君しかいない」とまで、アテネフランセ松本さんのえらい買いかぶりなのか、人を乗せるのがお上手なのか…。

講演がひとまず終わり、改めて映画作家・佐藤真の全体像を見直して一段落ついたところで、今度は自宅マンションの階下から火事が起こり、直接の類焼はベランダ部分だけで済んで丈夫な鉄筋コンクリに耐火ガラスをふんだんに使った比較的古い建物だったことに感謝する一方で、もともと呼吸器系が弱いせいもあって、煙のせいで入院はするは、ベランダだけでもやはり電気系統がやられてこの仕上げの忙しいときにしばらく作業ができなくはなるわ、電気が復旧してみれば外付けハードディスクが故障していたことが分かり、一部の映像ファイルが欠損していて復元しなければいけないわで、資金集めどころではなく完成させるのがやっと。スタッフの、というのには大御所過ぎる“フジワラ組”のメインスタッフ、撮影・大津幸四郎音響デザイン・久保田幸雄の大ベテラン、というか巨匠お二人には迷惑と心配かけどうしでしたが、お二人と、ミキシング担当の協映スタジオの皆さん、今回は映像のタイミング作業で参加の『映画は生きものの記録である』の撮影・加藤孝信の各氏のおかげでなんとか完成にこぎつけたこと、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

心配しないで下さい、と言っておきながら心配されそうなことばかり書いていますが、さて完成はしてワールドプレミアはやったものの、支払いをどうするのかとか、なにしろ監督が自主製作を兼ねるとなると2年分の仕事のギャラなんて後回しにせざるを得ませんし、じゃあ家賃はどうするんだとか、生活費とか…心配かけついでですみませんが、心当たりある方は、仕事紹介して下さい(汗)。

こんな準備中の企画もありますので…

「東京駅」
「三里塚・赤い土」

(再生には最新版のQuicktimeが必要です)

『フェンス』はシェフィールドでの上映では見た人には圧倒的な好評価だった。もっとも、その理由のひとつを邪推してしまえば、英国のドキュメンタリーといえばテレビ局の出資が大部分で、日本のテレビ・ドキュメンタリー、たとえば『Nスペ』みたいな局のフォーマットを「これが公平中立でテレビにふさわしい」と押し付けられるようなことはないにせよ、やはりいわゆる「映画的表現」がそこまで自由にできるわけでなく、ナレーションで説明はするし外国語なら声は吹き替えみたいなことまで強要されるようなテレビ的圧力が重くのしかかるなかで、合計の上映時間も長く、確信犯のスローな構成で、たっぷり時間をかけて「事実」よりは生活感や人柄、空気感と時間を写し込もうとしていて、ナレーションは最低限だし「客観的な説明」とはおよそ無縁、単一の政治・社会的なテーマに収斂していくような構造はまったくとらずにむしろ拡散していくような展開などなど…つまり時代錯誤なまでに徹底して映画的な作りがただ珍しかったから、おもしろがられただけ、なのかも知れません…

…ってさすがに、こそれだけでもないのでしょう。なんといったって大津幸四郎のキャメラはやはり圧倒的に美しく、時に官能的、時にはシャープに批評的だし、そこに切り取られた旧・池子村および旧・柏原村の人々、つまり帝国海軍の弾薬庫にふるさとを追い出され、そこが米海軍基地になって60年以上戻れないまま、それぞれに戦後日本のなかで苦労してきた人々、とくにいずれの戦後まもなくご主人を亡くされて家族と家とを守り続けてきた二人の未亡人、相川キサさんと鈴木千枝さんは素晴らしくチャーミングで、いろいろ苦労して来ただけに達観した人生観は大変な迫力と説得力だし。

主観的に言えばドキュメンタリーで自分がやりたかったことを全部やってみようとした映画、いわば好き勝手の産物。ですが客観的に見れば、あくまで型破りではありますが、それなりにいい映画なんでしょう。戦争の歴史と米軍基地問題が表向きの主題なのに、「やさしさと敬意」が絶賛されて「lovely」と言われているし、とくに相川さんと鈴木さんの痛烈なユーモアには、爆笑が起ってましたから。

ただ問題は、見ている人がもの凄く少ないということで…。その上今時の世界的な標準でも「商売になる映画」とは正反対のことばかりやっているので、なかなか資金の回収には結びつかないんだろうなぁ…。

ちなみに今日のタイトル写真は昨日とおなじ、シェフィールドの駅の裏にそびえ立つ、30年くらい前に建築途中のまま放置されたル・コルビュジェ風の集合住宅の残骸。鉄鋼産業が盛んなころに大量の労働者が住むために計画されたんでしょうが、「産業空洞化」を具現した風景みにも見えて来ます。

モノを作ることで価値を生産するという古典的な資本主義の実体経済が成り立たなくなった先進国(言うまでもなく、労働コストが高いので単純労働主体の製造業は発展途上国に移転するしかなくなる)が、レーガノミクス辺りから見いだした生き残りが金融だったわけですが、それが崩壊した今、たとえばアメリカ国民は結局のところ経済危機からの脱出を求めてオバマさんの「yes, we can!」に希望を託したわけであります。就任する前からアメリカを代表する自動車会社GMの破綻という問題に直面するオバマさんですが…

イギリスに着いたときにはオバマさんの勝利が決まっていて、シェフィールドの映画祭ではアメリカ本国以上に喜んでましたし、もちろん当ブログとしても彼の引き起こす「change」に期待はしていますが、とくにアメリカの場合20年間だましだましやって来ただけにますます巨大化したこの根本的な矛盾にどう向き合うのかが遅かれ早かれ問われるのでしょう。つまり豊かな先進国になれば、それ自体が繁栄の継続の足かせになる、先進国の繁栄はモノを生産するということからはいくぶん離れた、せいぜいが付加価値の部分にしか依拠できなくなるという…。そりゃまったく同じクオリティの生産行為であるなら、物価が安いつまり労働コストが低く抑えられる発展途上国に産業の実態が流れるのは、資本の論理からいえば当然なわけであって。

…マルクス的回帰ってのも、悪くないかもしれない…。なんだか愚痴ばっかりになってしまった。

11/13/2008

権力の意味と責任が分かってない人々


先日書いた通りの諸般の事情で8月からずっと書いていなかったので、本ブログで総理大臣としての吉田茂の出来の悪い孫に言及するのは今回が初めてになる。とはいえここまで出来が悪いとはさすがに想定外の予想外で、「政局よりも政策」「景気回復を最優先」と大見得を切っておきながら、目玉はなんと「定額給付金」? これまでさんざん民主党を「財源論」で批判して来た舌の根も乾かないうちに国債の利子支払いにプールされていた特別会計の準備金を2兆円ばらまくって? 

福田前首相が公明党に呑まされた定額減税なら手続きはそんなに難しくないのが、それじゃ選挙に間に合わないから年度内に現金を、というだけでもむちゃくちゃ。大規模減税は実際には確定申告以降でないとお金がまわらないとはいえ、景気というのは気分の問題でもあるので、減税のアナウンス効果のアドバルーンだけである程度の浮揚効果が実はあったりするのだが、現金を配ったってほとんど経済効果がないのはすでにさんざん指摘されているのに、それでもやるという。それでも「経済の麻生」を自己主張したい首相って…?

どう考えても経済とか景気ということがなにも分かってないこのヒト、定額給付と引き換えに3年後には消費税引き上げって、「お小遣いをあげるから三年以内に使いなさい」って…。景気対策に全力を挙げる人がなんで大幅増税の話をするのだろう? 前代未聞の白痴内閣か、これは?

日本経済の最大の不安要因が年間GDPの1.6倍あるという債務なのに景気対策にもならなければ社会保障政策としては杜撰極まりない「目玉」で税金の無駄遣いって、なにを考えているのだろうかこの首相は。経済のことなんてなにも分かってないどころか、「ホッケの煮付け」に、「未曾有」を「みそゆう」と読んだとか。マンガは難しい漢字にはフリ仮名がついてますからね。それにしても日本政治の常套句である「前例を踏襲」の「踏襲」が読めなかったとか…。いったい何年政治家やっているんだろう。挙げ句の果てに定額給付金の事務的な詳細や所得制限はぜんぶ「市町村で決めて下さい」で、それを「地方分権だからいいじゃないか」って、この無責任発言連発だけで、次回の総選挙での自民党の獲得票数はどれだけ激減するんでしょう。

だいたい人をバカにしてるよね。一人あたり1万2000円お小遣いをあげて、土日に自家用車は高速1000円でどこまで行ってもいいから、家族旅行に行ってお金を使いなさい。そしたら内需拡大で景気浮揚、とでもいいたいのだろうか? さすが渋谷に豪邸住まいのおぼっちゃまの金銭感覚はすごい。

と思っていたらもっとすごい大バカものの登場である。田母神前空幕長。いわゆる修正主義的な右派歴史家の秦郁彦氏からまで「幼稚すぎて不愉快」「徳川埋蔵金伝説並みの妄想史観」とバッサリ酷評される論文で鼻高々なのもご愛嬌だが、そもそも航空自衛隊の最高位にある軍人が、軍人の責任をなにも分かっていないらしい。

…と呆れていたらマスコミのコメンテーターも政治的になにが問題なのかよく分かってないコメントが相次ぐので困ってしまう上に、本人は「言論弾圧だ」と言いたい風情で、ネット上ではそれを支持する意見までちらほら…。あのぉ…単純にテクニカルな法的手続きの問題として、政府見解や防衛大臣の表明した意思、最高指揮官であるところの内閣総理大臣が公的に踏襲(「ふしゅう」でなく「とうしゅう」ですよ麻生さん)している見解に背くことを公に表明するのは、幕僚という指揮官の立場にある軍人として自動的にNG、事実上の命令違反にあたり、まともな軍隊なら即刻更迭ものの軍紀違反なんですが…。右派気取りが軍人の基本的ルールも分かってないっていったい…。

もっとも田母神前空幕長は防衛省の事情聴取に、元首相の名前を二人挙げて自分の正しさを主張したそうな。その一人は当然、「神の国」発言の森喜朗。もう一人ってのは田母神氏が空自のトップに就任したときの総理だった「美しい国」のおぼっちゃまか、横須賀が地元だというのに米軍大好きの小泉のことかも知れないが、ほどほどに汚職に染まって灰色だったが戦争嫌いで現実主義の穏健派でもあった田中派系の勢力が落ちると、岸伸介や福田赳夫系の流れ(なぜか息子の康夫氏は除く)って、かなり非現実的に国家主義的で、ファナテイックに危険でもあるんですよね。森元総理となると、今回の騒動の発端になった懸賞論文を公募したアパグループと森のあいだの黒い噂は有名だったり、立派に灰色な噂まで多いし。

ちなみに新聞各紙の社説などは、さすがに文民統制の上で問題(つまり田母神氏個人がなにを考えようが自由だが、そのような国家政府の公式見解に反する思想を公に出す時点で高位の自衛官の資格がない)との指摘でこの愚行をバッサリ批判しているものの、参詣新聞だけは例外。ただ、なにしろ論説委員が田母神氏に最優秀賞を与えた審査員の一人だったというから、必死で自社の保身に強弁を張っているというのがミエミエなのがいささか哀れではある。論文の中身がまた「最優秀賞」どころか、日本軍側の資料の表層的な読みのみで「南京事件」を著したことで歴史家としての見識にはいささか疑問符がつきかねない秦郁彦氏にまで「徳川埋蔵金伝説並みの妄想史観」「幼稚」と言われてるんですから、それを大新聞の論説委員が最優秀賞に選んだって? 論説委員にしちゃお勉強が足りないようで…。

国会参考人招致の前の午前中に行われた自民党の防衛部会ではまず座長の仲谷元防衛庁長官(第一次小泉内閣)と、現防衛大臣のハマコーの息子が、事情説明して陳謝したそうだが、ところが出席の委員からは田母神氏を擁護する発言が相次いだとか。ずっと政権与党の政党で、それも防衛部会のメンバーであるからにはこの分野の専門家を自任する国会議員たちが、文民統制の基本すら分かっていなかったのである。つまり彼はあなた方の権威を否定する越権行為をしたってことなんですよ。いったいどうなってるんだ?

11/11/2008

英国・Sheffield Doc/Festに行って来ました


『フェンス』のワールド・プレミア上映で英国・北イングランドのかつての鉄鋼都市シェフィールドで開催されたドキュメンタリー映画祭に行って来ました。やっと完成・上映の機会が出来たというか、むしろここが決まっていたのでそれに合わせてやっと完成させたというのが真相のような気もしますが。

この映画祭には昨年も行っているので、シェフィールドの街の印象その他について詳しくはこちらの昨年の記事をどうぞ。鉄鋼産業がなくなってしまって20年くらい、英国の産業空洞化の典型みたいな雰囲気を昨年は感じていたので(ちなみにタイトル写真はなぜか建築途中のまま 2〜30年放置されているル・コルビジェっぽい集合住宅の残骸)、現在英国は世界金融危機のダメージを受けているはずだしさぞ不景気なのだろうと覚悟していたわりには、むしろ昨年よりも穏やかな感じだったのは、気のせいだろうか? 金融危機の前から主幹産業がなくなってる街だけに、いまさらどーってことないからなのかも知れないし、あるいはアメリカ大統領選挙の結果にイギリス人がアメリカ人以上に喜んでるからかも知れないが。






今年は小川紳介監督と小川プロの小特集があったので、元小川の助監督・飯塚俊男さんも一緒の旅で、わりと久々に小川紳介の最高傑作『三里塚・辺田部落』も再見。映画祭側から小川プロ特集で呼ぶゲストは誰がいいかと訊ねられたので飯塚さんを推薦し、飯塚さんの『映画の都・ふたたび』も見てもらったところこれも上映したいということになり、故・福田克彦さんの『映画作りと村への道』(『辺田部落』のいわばメイキングだが、これ自体がなかなかの傑作)もプログラムに含まれていたりで、小川紳介というひとりの監督ではなく小川プロという集団と、村落共同体に基づいた日本的コミュニティをめぐる組み合わせになっていたのかも知れない。

だとすると『フェンス』もまた表向きは池子米軍基地問題をめぐるドキュメンタリーではあるが、実際には米軍基地そのものよりも、戦前に海軍に接収され、戦後は米軍が居続けたことで失われたふたつの農村(池子村と柏原村)をめぐる記憶と、現在の米軍がいる池子から、日本が戦中戦後を通じて失って来たかつての日本を想起するようなドキュメンタリーなので、小川特集とこれを両方見た人(が大部分だったりもするわけだが)にとっては頭のなかで話がつながるのかも知れない。村落共同体、里山、自然との共生…

もっとも、昨年はここで『映画は生きものの記録である』を上映している上に『フェンス』のメイン・スタッフが撮影監督・大津幸四郎、音響監督・久保田幸雄だったりするせいもあるのだろうが、上映前の紹介で「土本や小川の精神を引き継ぐ」みたいに紹介されたのは、「そりゃまったく違うだろう?」と思わざるを得ないのだが…。

日本のドキュメンタリー史からの影響を云々するのなら、意識していたわけでは必ずしもないものの、一番大きいのは「見えないもの」「すでに失われたもの」「不在」をこそ映画に撮るという共通の興味において、昨年亡くなった佐藤真さん(写真は『Self and Others』)なのだし、第二部のタイトル前に献辞を入れている楊徳昌(エドワード・ヤン)と、あとジョン・フォードの最高傑作『シャイアン』、あるいはアントニオーニの方が、直接的な影響はずっと大きいわけだし。



…あと映画以外では、ターナーとセザンヌと、広重、円山応挙ですかね。極めて日本的な風景と建築についての映画でもあるので、日本美術が参照になってしまうのは自然ではありますか。