最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
DVD 2月20日より発売!amazon.co.jp 配信はこちら

3/08/2008

ヘンな映画の売り方

ジャック・リヴェットの最新作『斧に触れるべからず Ne touchez pas la hache』を見た。リヴェットだからヘンな映画であることは覚悟していたが、一見リヴェットにしては原作に忠実に台詞をちゃんと書いて、まともにやってるように見えて、実はリヴェット映画のなかでも極めつけにヘンな映画だ。念のため言っておくが、「ヘン」というのはリヴェットの場合は褒め言葉であり、つまり映画というメディアの本質的なヘンさをここまで鋭く作品化できる勇気というか才能というか開き直りというか、ここまでやっちゃうのはリヴェット以外ではマノエル・デ・オリヴェイラくらいなものかも知れない(ということは歳をとって怖いものナシ、ということなのかも知れませんね)。

だいたいバルザックの原作なんだから文芸映画だろうと思ってみたところで、バルザックの作品群のなかでもっとも奇妙な『13人組奇譚』のなかでも異様に奇妙な『ランジェ公爵夫人』が原作で、リヴェットのおじさまには「文芸映画」とか「時代劇」の気取った(「高級な」と勘違いする人もいるんでしょうが)ことをやる気がまったくない。ヘンなものはヘンなのである。で、『斧に触れるべからず』で「原作にまったく忠実」とうそぶくリヴェットおじさまは、豪速球にヘンな映画のなかに、まったく異様でしかない登場人物たちを観客に叩きつける…ってのも違いますね。老獪な厚かましさとはこのことか、とにかく異様なオブジェがなんの警告もなくポンと観客の前に出現するって感じかな。

ところで日本での公開題名は原作の『ランジェ公爵夫人』、でバルザック原作の文芸映画で「愛の深淵」だかなんだかの、要は高級な文芸恋愛映画として宣伝している。まあこの宣伝文句で見に来たお客は困るんだろうねぇ。プレス資料では仏文学者の先生が「フランスでは恋愛はゲームである」という(嘘だろ? わたしゃこれでもフランス育ちですがそんなの知らんぞ)というご高説をのたまわって、そういうフランスの高級な恋愛遊戯が分からなければ分からないだろうと言わんばかりである。ヘぇ〜。でも文学者先生はご自分の言葉の遊戯には耽溺できても、映画はぜんぜん見られないらしい。まあそんなことはどうでもいいのだが、そんな気取った偽りの知識を共有しないとこの映画は分からないのだ、見てはいけないのだと言わんばかりで、誰が見るんだそんな映画?

そんな気取りなどどこ吹く風、リヴェットのおじさまが見せるバルザックの世界は、いきなり主人公のモンリヴォー将軍のなんとも異様なたたずまいが目を射る。なんとも動きがぎこちなく、とくに歩き方はかなりヘン。あとで知ったのだが主役のギヨーム・ドパルデューは交通事故が元で片足が義足なのだそうだが、とにかくリヴェット先生はこの主役をやたらに歩かせるのだ。しかも音響設計が異様に生々しく、ぎこちなくも重々しい彼の足音が全編を支配する。こーゆーことを言うと「障害者差別だ!」と叩かれるのだろうけれど、リヴェット先生はそんなことまったく気にせず大胆不敵だ。で、よく考えれば義足であることを隠す方がよっぽど差別的で、義足を「障害」としてしか見られずに「個性」とは考えられない狭量でしかないんだけど、もちろん映画ではモンリヴォー将軍が義足という設定なのかどうかは一切説明なし。ただ王政復古のフランスでなんとも居場所がないモンリヴォー将軍、それもサハラ砂漠の探検で死にかけたという体験、すべてが皮層な豪華さ、偽りの「華麗さ」でしかない社交界のなかに生身の人間でしかあり得ないモンリヴォー将軍の存在が際立ち、重々しい足音ですべてを揺さぶり続ける。いや将軍だって侯爵という貴族なんだからなんとか社交界に合わせよう、優雅に振る舞おうとしているのだけれど、頑張れば頑張るほどますます、人間としての肉体の、ほとんど存在論的とも言えるぎこちなさを、さらに激しく露呈するのだ。

バルザックが描いた世界がいかにヘンで狂っているのかは映画をご覧頂くとして、「なんてヘンな映画なんだろう」と思ってみているうちに、実は映画の視点そのものがまったく「正常」というか正気であることに気づかされる。まともな人間であるモンリヴォー将軍は狂った世界のなかで自分も狂っていくしかないのだが、そのヘンさをまったく冷静に、キャメラという機械装置で人間の有り様を記録していくという映画の基本原理に恐ろしく忠実に、そしてかなりの底意地の悪さを秘めながら見せていけるのは、リヴェットが心底まともだからなのではないかとも思えて来る。

なんだこりゃ、とニヤニヤしながら(リヴェット先生の底意地の悪さを共有しながら)見ていくうちに、『ランジェ公爵夫人』はとんでもない狂気の世界に、しかしあくまでクールに観客を誘っていく。そこに映画ならではの興奮があるわけで、メチャクチャおもしろい(かなり笑える)映画なのだが…。

でも「高級な文芸恋愛映画」とか「社交界の絢爛豪華」を期待して来た客は困るだろうなぁ…。だいたいたいして金かけてないし、そのことを隠そうともしてないし。「愛の深淵」を期待して来ても、「愛とは狂気である」という真実(もっと言えば、恋愛とは人間の愚かしさがもっとも露骨に提示される瞬間であるというキビシイ現実)をなんのロマンチシズムのかけらもなく提示されたら怒る人も多そうだし…。なんで映画ってこうやって嘘をついて売られなきゃいけないんだろう? どんなに嘘をついたって、現物を見た瞬間観客にはバレバレなだけだと思うが…。