最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

10/25/2021

「眞子さまの結婚」をめぐる誹謗中傷オンリー乱痴気騒ぎで秒読み段階に入った、今さら手遅れで避けられない天皇制の崩壊


まず、誹謗中傷にしてもあまりに馬鹿馬鹿しい低レベルであることは、真っ先に指摘しておかなければなるまい。秋篠宮家の眞子内親王の婚約者・小室圭氏にまつわる「金銭問題」とは、彼の母との婚約を自ら破棄した「元婚約者」の、相当に馬鹿げて非常識な言いがかり、でしかない。


一般社会の常識で言えば、女性の側から婚約を破棄された場合でさえ、男が「金返せ」などというのは、女性の側が最初から結婚詐欺を目的としていたのでもない限り…まあ、あまりにもみっともなくて誰にも相手にされないだろう。


まして「元婚約者」は自分から、なんら正当な理由も示さずに婚約を一方的に破棄しているのは、よく読めば本人が最初から言っていた通りだ。


そもそも借金なんて存在せず、小室圭氏にはなんの義理もない「金銭問題」の虚偽言いがかり


「元婚約者」が当初は「借金」と主張していたことの発端それ自体が自分自身の「婚約不履行」、そもそも自分が一方的に約束を破った非倫理であるのは当然のこと、立派な不法行為でもある。小室氏の母の側から慰謝料・損害賠償を請求すれば自動的に勝訴するレベルの話であるばかりか、「元婚約者」が週刊誌に語っている事情自体、およそ同情とか「やむを得ない」と認められる内容ではなかった。


一般的な社会常識からして、婚約関係にある時に渡した金が後から「借金」扱いになるわけもなく、まして小室圭氏から見れば「元婚約者」はかくも不誠実に母を裏切った、決して許せない相手にしかならない。それを「お世話になっただろう、感謝しろ」などとは、どこまで常識も倫理もぶっ飛んだ、母子家庭差別もあからさまな言いがかりなのだろう?


「元婚約者」の当初の主張だった、自分が小室氏の学費を出したというのが真っ赤な嘘だったことも、だいたい「借金」なぞではなかったことも、「元婚約者」自身が既に認めている。小室圭氏の国際基督教大学の学費は、本人が優秀な学生であることが認められたが故の、給付奨学金だった。


だいたい最初から、こんな与太話をよくもまあ、週刊誌が記事にしたものである。普通の民間人相手にこんな報道をしたら即座に名誉毀損訴訟を起こされ、敗訴はほぼ自動的に決まっている。


なのに週刊誌が競ってこの「元婚約者」の言い分を記事にしたのは、天皇家が国民相手に訴訟を起こすなんてことがあり得ず、その天皇家と婚約した小室氏も訴訟を起こすわけにはいかない、と分かっていたからだろう。


訴えれば勝訴確実な名誉毀損でも、訴えられない天皇家の立場


天皇家と争うとなれば、かつてなら「朝敵」、一昔前なら「非国民」になってしまうし、逆にだからこそ、裁判所もとてもではないが公平な判断ができる立場ではなくなる。一国民を民事訴訟であってもそんな立場に追い込むことは「国民統合の象徴」として、天皇家には決してできない。


ここまで悪質だと刑事で侮辱罪や名誉毀損罪が適用されてもおかしくないレベルだが、逆に相手が天皇家であればこそ、その摘発はどうしても政治性を帯び、「言論弾圧」と誤解されてしまうので、官憲もそれが難しい。


いわば天皇とその周囲に関しては、誹謗中傷と名誉毀損の無法地帯になることが、今回の騒動で明らかになってしまったわけでもある。


天皇こそがクレーマーが理不尽であればあるほどその被害に対しまったく脆弱で、いくらでも食い物にされかねない立場に天皇家があると分かってしまっただけでも、天皇制の根幹を揺るがすことになりかねないのだが、裏返して言えば天皇制はだからこそ国民の良識があってこそ維持され得るもので、それがなくなれば崩壊するしかないシステムだった、とも言える。


「金目当て」「皇室にたかる」は「元婚約者」とマスコミの側


小室氏の代理人の弁護士が交渉している「解決金」も、本来ならまったく不要なものだ。だが天皇家から訴訟を起こせるものでない以上、ぶっちゃけ金ならやるから黙れ、と言う類のことをやらざるを得ない。元婚約者は「返せ」と言っていたはずの400万を受け取れないと言い張り、交渉は暗礁だと言う。


残念ながら小室氏もその代理人も、秋篠宮家も宮内庁も、考えが甘過ぎたと言わざるを得ない。「元婚約者」もその「代理人」と称する元週刊誌記者も、この馬鹿げた言いがかりででっち上げたスキャンダルで、どれだけ儲けているのか? 今後も「金のなる木」、どんな馬鹿げた荒唐無稽でも、小室氏の母とのプライバシーについて嘘ばかり言っても、いくらでも買い手がいるのだ。今更たかが400万でこれを「解決」して、金づるを手放す気など、あろうはずもなかろう。


騙される国民もどうかしている。逆に小室氏が「皇室にたかる」などと言うのはそもそもあり得ない話で、天皇家にそんな自由になる金なんてないし、そんなことは小室氏も眞子内親王と交際を始めた時点ですぐに分かっていたことだ。むしろその小室圭氏が内親王と婚約、と聞いたとたんに未練がましく恥晒しにも名乗り出て来た「元婚約者」こそ、その動機こそがまさに「皇室にたかる」なのは一目瞭然ではないか。


だが宮内庁も秋篠宮家も、どう対応していいか分からず、結果として事態をどんどん悪化させてしまっているように見える。


危機管理の要諦で言えば、こう言う悪質な中傷に対抗するには「攻撃こそ最大の防御」ではある。宮内庁や秋篠宮家もそうするべきだった、と言おうとしたところではたと気付かされる。そんな態度で天皇家が振る舞わざるを得ないとしたら、そんな天皇家が天皇として機能するだろうか?


挙句に「年金不正」で「刑事告発」?世間知らずで荒唐無稽すぎる悪意の暴走


学費でないなら生活費だ、とこれまた無理がある決めつけで、「元婚約者」から生活費援助を受けていたなら小室氏の母が亡夫の遺族年金を受給しているのは違法だとか、挙句に詐欺だとか刑事告発だとか言い張る誹謗中傷に至っては、ネット、SNSに一日中張り付いているだけでデートどころか人付き合いもなく、生活力も皆無な引きこもりの戯言はここまで世間知らずの歪んだファンタジーになるのか、と呆れる他はない。「元婚約者」の主張する「400万円」と言ったところで、月割りにしたらどんな額になるか、計算もしないのだろうか?


遺族年金の資格を失うには、婚姻して夫が扶養義務を負うか、事実婚で生活を共にして家計を一緒にするか、せめてその母と息子の小室氏、同居する小室氏の祖父の生活費に見合う金額、つまりどんなに低くみても月額10数万の収入にならなければ、こんな馬鹿げた言いがかりが成立するはずもない。まったく、生活を親族に依存して自分が生きていくだけで1ヶ月何万円かかるか計算したこともない方々は、まことにお気楽に現実離れ、ということなのだろうか?


元婚約者の「学費」という虚偽主張(つまり疑問の余地なく誹謗中傷で名誉毀損)に絡めていえば、小室氏の眞子内親王との婚約内定後のアメリカ留学も、学費自体は給付の奨学金、生活費は婚約内定当時に小室氏がパラリーガルとして勤務していた法律事務所の出資だという。「留学」と言ってもニューヨーク州のロースクールへの「留学」のようなことは、政府官庁や大企業で将来有望な人材への先行投資として、他にもMBA取得などごく当たり前に行われている。たとえば昨今テレビのコメンテーターとして活躍している元財務官僚の山口真由・信州大学特任教授も、財務省からの派遣、つまりそれこそ「国民の税金」で留学し、ニューヨーク州の弁護士資格を取得している。


小室氏がもともと所属し、留学に当たって生活費も出した法律事務所にとっては、投資のはずがリターンもなく、お気の毒としか言いようがない。日本企業がニューヨーク州でビジネスをする際などの法務を担当させられる人材として、将来の事業拡大を睨んだいわば「先行投資」で小室氏を留学させたのに、小室氏への暴力的で命の危険すら伴うような激しく理不尽な誹謗中傷が渦巻く日本国内では、その計画は頓挫するしかない。かくして小室氏は今、ニューヨークでも屈指の有力法律事務所に勤めている。


ニューヨーク州弁護士会の法学生対象の論文コンクールで2年連続で入賞、昨年は2位で今年は1位というほどの人材ともなれば、小室氏を留学させた日本の法律事務所にはますます同情しかないが、むろんだから小室氏に「金返せ」などと言う話には、なるはずがない。


いずれにせよ「無職のニート」などと小室氏を「批判」したつもりの人たちは、自分たちこそが世間知らずだったと、心から恥じ入って反省していただく他なない。「身の程知らず」とはあまりにものを知らなかった自分たちにしか当てはまらず、真逆に超優秀なエリート・コースを着々と歩んでいるのが小室圭氏なのだ。


実のところ令和の皇室女性の嫁ぎ先に、これほど完璧な相手はいないのではないか、というのと同時に、かくも情報リテラシーが欠如してなにも理解できないままの日本社会はここまで堕ちて、世界の流れからも溢れ落ち、ひたすら後ろ向きになっているのだとしたら、より心配になるのはその国民意識についての方だ。


「皇族の結婚」を変えることで天皇家が進めた戦後民主主義の静かな革命の終焉


比較するのも申し訳ないが、家柄こそ先祖は戦国武将の黒田如水(大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公)で黒田公爵家の嫡流とはいえ、こう言っては難だが某メガバンクから転職して都庁に勤めているが幹部でもない一職員の元・紀宮清子内親王の夫と比較しても、封建制丸出しの出自血統の絶対視でもない限り、むしろ21世紀の内親王の結婚相手としては、平成の皇太子妃が「男女雇用均等」の象徴とまで言われた外務省きっての抜群に有能な若手外交官・小和田雅子氏だった流れの延長としても、小室圭氏と眞子内親王の結婚は現代の皇室にとってむしろ理想的ですらある。


若い世代からは「親ガチャ」、生まれる親は選べず、その親の収入や社会的地位で自分の人生も決まってしまう閉塞感に満ちた嘆きも聞こえる中で、小室氏は母子家庭出身のハンデをものともしない、いわば「親ガチャ破り」の道を歩んでいる。一方の内親王はある意味、究極の「親ガチャ」に囚われた立場だったのが、自らの意思の結婚で、女性蔑視を跳ね返す女性の自立のモデルを示そうとしている。


そんなことにも気づけないこと自体が、令和の時代の日本社会の絶望的な閉塞を、示してはいないか?


たとえば小和田雅子氏が皇太子妃になった時代の、バブル崩壊直後の日本であればまだ、このように海外に「雄飛」する優秀な人材はもてはやされ、祝福と共に憧れにもなっただろう。しかも母子家庭と言うハンデを乗り越えてならなおのこと、それが令和の日本では、むしろ小室氏が優秀であればこそ、嫉妬やっかみとしか思えない悪意剥き出しに、ムキになって小室氏を「ニート」呼ばわりし、やれ長髪が、やれ記者への態度が、果てはネクタイの柄にまでケチをつけて、執拗に誹謗中傷を続けているのである。


そもそも血統出自について言えば、現・上皇后、昭和の皇太子妃が「平民出」の正田美智子で、むろん実際には小泉信三や元・初代宮内庁長官の田島道治ら、戦後民主主義に合わせた皇室改革を託された人々が考え抜いた人選だったにせよ、軽井沢での「テニスコートの恋」が演出され、「恋愛結婚」として国民に熱狂的に受け入れられたことの意義は、一体なんだったのだろう?


その平成の天皇の母・香淳皇太后は、久邇宮良子女王つまり皇族だった。大正天皇の皇后で昭和天皇の母(上皇の祖母)は九条節子(読みは「さだこ」)、明治天皇の皇后は一条良子(読みは「はるこ」)、どちらも前近代であれば最高位の貴族である藤原北家の中でも最高の家格の公家である五摂家の、一条家、九条家の出だ。前近代であれば天皇家の内親王や女王が結婚するのでもどこかの宮家でなければ五摂家のレベルの公家、江戸時代でも徳川将軍家の血統の大名などに限られていた。


ちなみに内親王や女王の嫁ぎ先の多くが宮家、つまり近親結婚が多かったという史実は、「天皇は男系で万世一系」という昨今やたらかしましい論がいかにナンセンスな詭弁であるかを示してもいる。歴史的伝統では内親王に直接の皇位相続権があったのも含め、天皇家は代々血統そのものを重視するのからこそ、その血統の純粋性を維持するための近親結婚が多かった。


父系母系ではなく血統そのものが重要だからこそ、天皇の母も可能な限り母親も天皇家か、せめて最高の家格の公家・貴族と定められていた。母の身分が低かった江戸時代の光格天皇などは自らを傍系と自認し、だからこそ逆に大嘗祭の復活などの朝廷の古式の復興を進めて天皇の権威を高め、徳川幕府に対しても強い態度で臨んだりもしている。


こうした天皇制の相続原則は白鳳時代・天武天皇と持統天皇の夫妻から奈良時代初期かけての、律令制の制定の一環として成分化され完成したものだ。律令は中国・唐王朝の政治制度の模倣が基本だったが、皇位の継承権に関してだけは中国の皇帝の伝統である父系相続ではなく、母系つまり「女系」の血統も重視される日本独自の制度になっていたことこそが、真の「伝統」のはずだろう。


近代天皇制でも結婚はかつての身分制に基づき、しかも近親結婚が多かったからこそ、戦後の天皇制で昭和の皇太子妃つまり次世代の皇后に、宮家の出身でも華族の出身でもなく「平民出」を「恋愛結婚」として迎えることが、新しく生まれ変わった民主主義国家のためにも極めて重要だったのだ。


血統に基づく世襲君主の天皇が、全国民の平等を前提とした民主主義の「国民統合の象徴」になること自体、矛盾しているといえば矛盾しているが、だからこそ新しい戦後の皇室には身分・出自による差別を率先して否定することが求められての、「皇太子妃美智子さま」のご成婚だった。


血統・家柄へのこだわりで近親結婚が多過ぎて、国民の信頼を失いかけていた皇室を変えた平成の天皇夫妻


また一方で、国民目線からみればよりリアルな危機感というか違和感を解消する意味もあった。戦後の「人間宣言」でより国民の前に登場することが増えた天皇とその一族の中で、幸い皇太子の継宮明仁親王(現上皇)こそいわば「まとも」だったものの、皇族には近親結婚が多過ぎたことが原因と思われる遺伝的な先天的障害が疑われる人物があまりに多かったのだ。


いや戦後に限ったことでもない。大正天皇には軽度の脳性麻痺があり、病弱でもあった。その脳性麻痺が「お脳の病気」と言われ、先進的な自由主義者で知的にも優秀だった大正天皇を貶めるためにいかにも知的な障害のような風聞が流され、晩年に体調を崩すと軍部や国家主義右派の画策でかなり強引に事実上の退位と摂政宮(のちの昭和天皇)の擁立が進められた悲劇もあった。


この大正天皇に関する(その実、政治的な悪意の誹謗中傷だった)風評は戦後も一般に広く流布していたし、昭和天皇自身の奇矯で知的障害すら疑わせる言動(「あ、そう」とか)や、さらに上回って奇矯な一部の皇族の外貌・言動もあって、遺伝的な障害のリスクを伴う近親結婚への疑義は、広く国民に行き渡っていたのが、美智子妃のご成婚以前の天皇家だったのだ。


今日からみればこれはこれで、差別偏見が大いに指摘されそうな話ではあるが、健全な成長を続けていた「平民」から、健康ではつらつとしていてしかも絶世の美女だった美智子妃が熱狂的に受け入れられたのには、このような背景もあったのである。


世襲君主の天皇家だからこそ、逆に家柄や血統ではない結婚相手か、それがかなわないならせめて「恋愛結婚」、本人の意思を尊重した結婚を、という流れは他にも、上皇の妹に当たる清宮貴子内親王(愛称は「おスタちゃん」)が旧華族とはいえ天皇家から正室を迎えるような家格ではなかった旧・薩摩藩主の島津家に嫁ぎ、それも島津貴子となると決まった内親王が婚約会見で「私が選んだお相手を見て」と発言して恋愛結婚を強調したようなところにも見られる。


今上天皇も、他にも旧華族出身のお妃候補が幾人も現れても、それでも最初は断られた小和田雅子氏との結婚を頑固に主張したことも同じ文脈にあるし、一部の学習院人脈の激しい反発はあったものの、国民がこの二代の皇太子妃・皇后を歓迎したことで、天皇家の国民の人気が維持されて来ただけではない。


天皇家からの積極的な動きとして、こうした身分差を無視した結婚と、上皇夫妻が特に皇太子時代に旧来の乳人制度などを排した自分たちの子育てや家族生活を積極的に公開したことで、戦後・高度成長時代以降の、いわゆる「核家族」を中心とした新しい家族制度とその価値観の牽引車にもなり、夫妻が孤児や障害児福祉やハンセン病元患者の救済に積極的に関わり、水俣病の患者を訪問するなどすることで、伝統的な差別の因習を排した新しい、平等な日本社会の確立のための新しい倫理を広めようと尽力して来た。


「保守」というより明治的男権主義に憧れる中高年「おじさん」達の嫉妬の逆襲?


こうした歴史的な文脈を考えても、眞子内親王が大学の同級生、それも母子家庭というハンデをものともせずに自分の能力をいかんなく発揮して来た小室圭氏を結婚相手に選んだことは、国民が積極的に歓迎すべきものだったはずだし、天皇家もそう思ったことだろう。


また現に、婚約の内定が発表された時には、小室氏が学生時代に湘南のどこかの自治体の「海の王子」に選ばれたほど社交性も高くしかもイケメン美男子であったこともあって、ワイドショーなどでの(こう言っては失礼ながら)中高年の、いわば「おばさん」のレポーターやコメンテーターの反応も、最初はすこぶる良かった。


それがなぜ、こんなことになってしまったのだろう? 


常識では誰も相手にしないような、(こう言っては悪いが)ヘタレな中高年オッサンの馬鹿げてみっともない言いがかり、「皇室にたかる」意図がミエミエの「元婚約者」の主張に、「世間」がこうも安易に乗っかってしまったのはなぜなのか?


答えはその実、あまりに簡単だ。小室圭氏が平成の内親王の結婚相手としてあまりにも完璧で、しかも最初は女性受けが良かったから、に他ならない。いわば小室氏のすべての長所がことごとく、一部の人々の中高年オッサン的感情論には、我慢ならなかったのだ。


言い換えるなら、小室圭氏が普通の民主主義的な価値観でいえばあまりに完璧だからこそ、(こう言っては悪いが)旧公爵家の出身で秋篠宮の学友という以外にこれと言って長所が見当たらない叔母の紀宮清子内親王の夫と違って、激しい嫉妬に晒された、としか思えないのである。


もっと言ってしまうなら、その今は黒田清子氏となった元・紀宮の近況が、あたかも眞子内親王と小室氏との結婚と対比してあげつらう意図をもってマスコミに取り上げられていることも、あまりに下心があからさまだ。もともと結婚前から「しっかり者」で知られていた黒田清子氏は、近所の激安スーパーでよくお買い物をされているのが目撃されているそうだ。それを都庁の職員の妻らしい慎ましい生活、と持ち上げるのは結構だし、いかにも「サーヤ」らしくて懐かしく微笑ましくすらあるが、住んでいるマンションには有名芸能人も暮らしているとか…というのはこれまた、ちょっと考えたらおかしな話である。


つまりそれだけセキュリティもしっかりした超高級マンションで、一流メガバンクから転職して都庁に務めるが幹部ではない、いわば出世コースを外れた一職員の給料で住める物件ではない。もちろん旧・黒田公爵家の御曹司なのだから実家にはそれなりの財力もあるだろうから相応の「品格」というか、たとえば皇居に呼ばれれば然るべき服装もできるだろうが、そんな黒田清子氏をもてはやす一方で、自分の実力でそれなりの高給も稼げる小室氏(学費も優秀な学生なので奨学金の自力)を、その実なんの根拠もなく「金に汚い」だの「皇室を食い物に」だのというのは…


…はっきりいえば、身分出自差別の母子家庭差別に他ならないし、小室家がこのように中傷されるのも、根底にあるのは夫を失った妻を責め立て貶める女性蔑視以外のなにものでもない。


一皮剥けばジェンダー平等に抵抗する最後の「先進国」日本が無自覚にさらけ出した醜悪


冷静・客観的にみればまったく筋の通らない「元婚約者」の、あえて同情的に見てやっても「皇室の親戚になり損ねたヘタレ中高年の泣き言」でしかない言いがかりの、事実確認の裏取りを取るまでもなくそもそも不合理で眉唾な言い草がなぜか鵜呑みにされ、小室氏の母が誹謗中傷に晒されるのも出自の差別意識から来る「身の程知らず」という偏見だし、その根底にあるのも、夫に死なれた遺族を責めて貶めようろする女性蔑視だ。


しかも小室氏の父が自殺していることから、なんの根拠もなくその妻を魔性の女だか悪女だか呼ばわりするのも、日本の中年男性の自殺の原因の圧倒多数が職場環境やその人間関係の劣悪さが原因のうつ病などのいわば労災、あるいは借金苦である時に、現実離れした悪意の女性蔑視ファンタジー、その実日本社会の疲弊と閉塞からの現実逃避にしかなっていない。


なお小室圭氏の母は、婚約者に突然裏切られたことに悩んでうつ病を患ったそうだ。息子の小室氏から見ればこれもこの男を決して許せない話だが、一部週刊誌が彼女のパート先での勤務態度などを悪意丸出しに書き立てたのも、冷静に考えればうつ病か、まだその快復期にあって精神状態が必ずしも安定していない、弱く傷つき易い状態の女性が、突然息子のことで報道被害に晒されれば、当然起こる反応でしかないし、マスコミが張り込んでいる恐怖もある。いやむしろ、こんな状況では深刻なうつ病になつたり、最悪自殺に追い込まれたとしても、ショックはあっても驚きはない。それも天皇家がらみの中傷攻撃となれば、日々命の危険すら感じていることだろう。


折しも、紀子妃の父で眞子内親王の祖父の川嶋辰彦・学習院大名誉教授が緊急入院したと言う。病名は明らかにされていないが年齢を考えても、ストレスに起因する持病の悪化などはすぐに思いつくし、これだけ孫娘とその婚約者への誹謗中傷が荒れ狂っていれば、それだけの心痛は当然祖父の川嶋氏にものしかかっている。


「学資」の援助などではまったくなかった「元婚約者」が最初は「借金を返せ」と言っていた金に関しては、小室氏からの詳細な説明文書の公表を受けて「元婚約者」自身も認めたところでは、そもそも彼が小室氏の母をデートでずいぶん高価な店にしきりに連れて行ったのが始まりだったという。自分のパートと亡夫の遺族年金しか収入がない小室氏の母が自分の経済力ではこんなお店で割り勘は難しいしもっと慎ましく、と言ったら、逆に(当時は羽振りが良かったらしい)「元婚約者」がそれなら、と言って金を渡すようになっただけだったのだ。400万というと巨額に思えるが、婚約期間が4〜5年といえば、月毎に割ればせいぜい8万強。およそ遺族年金が欠格になるような「生活費」になる金額ではない。


むろん普通なら、それでも遺族年金とパート収入の母子と老人一人の家庭では生活に足しに馬鹿にはならない額はいえ、これもどこまで生活に使えたのかはも怪しい。そもそも「元婚約者」が自分の虚栄に釣り合わせるために出した金だ。その「元婚約者」の見栄に合わせて高額になるデート費用で、高級店にふさわしく「元婚約者」の虚栄を満足させるような服装なども含めて大半が費やされたとしても、そもそも「元婚約者」がその目的で出した金だ。およそ小室家が彼の「お世話になった」とはなりようがないし、まして自分から婚約破棄しておいて「返せ」「面倒をみた」などと言い張る神経は、普通ならこんな言いがかりは思いつきもしない。


小室氏の母に非があるとしたら、こんなくだらない男と付き合ってしまったことくらいしか見当たらない。マスコミや一部の「ネット民」は眞子内親王と小室氏の結婚直後に予定されている記者会見で「釈明しろ」と手ぐすね引いて待ち構えているようだが、どう考えても「釈明」が必要なのは「元婚約者」の方だ。「一般人」は言い訳にならない。ここまで世間を騒がせているのはその実、小室氏でもなければましてや眞子内親王でもなく、「元婚約者」と「代理人」を称する週刊誌記者だし、彼らこそ「皇室にたかる」このスキャンダルで、どれだけ荒稼ぎしているのか?


完全に誤解されている「国民の祝福がなければ儀式は行えない」秋篠宮発言


あまりに理不尽過ぎる想定外の事態の進展にうろたえて、対処不能になったとはいえ、宮内庁と父・秋篠宮の対応は、剥き出しの悪意を悪意と認識したくないあまりに、無防備というか配慮しすぎというか、稚拙すぎて来たのではないか?


皇室の一員の立場上なかなか国民世論に対して批判的なことをはっきり言えないのはやむを得ないとはいえ、宮が公的の儀式を「国民の祝福」がないから出来ないとし、小室氏には「説明」を求めただけに終始したことは、説明不足の結果大きな誤解を招いたというか、真意がまったく理解されず火に油を注ぐ大失敗というか、宮は国民のリテラシーに期待し過ぎたのではないか?


むろん問題は第一義的には、宮の発言について自分たちの都合で勝手に無理がある解釈で悦に入っている一部国民の側にあるとはいえ、そもそもこんな誹謗中傷に嬉々として乗ってしまうような人々に、そこまでの常識や良識を期待すること自体、あまりに考えが甘かったと言わざるを得ない。


宮の発言をよく聞けば、儀式を行えない理由は自分が結婚に反対なのではなく、「国民の祝福」がないから、としか言っていない。小室氏に「説明」を求めるのも、自分や妻の紀子妃、天皇家や宮内庁への説明なら小室氏に直接訊けばいいことで、わざわざ会見で言ったのはあくまで「国民への説明」という意味だ。自分たち自身は小室氏から当然説明や釈明は受けているし、そこで宮や天皇家や宮内庁が納得できないような明らかな不道徳や非、それこそ違法行為でも小室氏側にあれば、いかに娘の意思は尊重と言っても、この婚約話はそこで潰えている。


いや実際、宮の立場にしてみれば頭を抱えて苦慮する他ないのが正直なところだろう。


宮家がみだりに国民どうしの争いでどちらかの側に立つことが出来ない、「身内」だからこそ逆に味方できないとは言え、「元婚約者」の言い分はあまりに理不尽だし、こんな話を「借金」と主張できること自体が常軌を逸して理解不能だし、ちょっと事実確認すれば「学資」などではなかったのも含めて嘘だらけ。


なのに「元婚約者」の主張がこうも世間に受け入れられ続け、虚偽が分かってもまったく収まらないこと自体が、全ての関係者にとって青天の霹靂だろう。


国民の顔色をうかがわざるを得ない「次期天皇家」秋篠宮家のアキレス腱


そうでなくとも秋篠宮は兄・徳仁親王が天皇位を継承する前後から、極めて微妙な立場に置かれている。


公式には皇位継承権第一位だが、あえて東宮・皇太子ではなく皇嗣となっているのは、宮自身も含めて次の天皇が自分だとはみなしていないが故の新たな呼称だろう。


早い話が事実上の皇太子は長男の悠仁親王で、宮が「皇嗣」を名乗るのも、その少年の親王が成人して「立太子の礼」を行えるまでの「つなぎ」のようなものだろう。もともと次男の礼宮(秋篠宮)は結婚当初、自分が天皇を継ぐ可能性など考えていなかったろうし、兄に男子が産まれないことを予想していたはずもあるまい。


一時は兄の徳仁親王の娘・敬宮愛子内親王が江戸時代の後桜町天皇以来の久々の女性天皇でいっこうに構わないというか、むしろそれを期待する国民世論があり、小泉純一郎政権下にそのための皇室典範改正のための諮問の結果も出されていた。


明治の伊藤博文の詭弁でしかないエセ伝統の「男系男子」に異常に執着する(それ自体が典型的な男尊女卑の女性蔑視の、軍事強国を目指した明治以降の価値観に過ぎない)自民右派などの極右勢力も勢いを失っていたところで、悠仁親王が産まれたことで突然、比較的気楽だった次男のはずが、ある意味天皇よりも複雑な立場の「将来の天皇の父」になってしまったのだ。


これはあまりに悪質な風評なのでおおっぴらにメディアなどで論じられることはないが、当然のことながら、悠仁親王が産まれたのは極右勢力の頼みに応じて「天皇の母」になれると思った紀子妃が人工授精で性別を産み分けたのだ、という噂は、出産前から世間に飛び交っていた。


というか、はっきり言ってそれを疑わない国民の方が稀であると同時に、そんな不自然で醜悪でさえある行為で親と一部政治家の都合だけで、無理矢理産まれたのが悠仁親王だと思われてしまえば、国民が「天皇」として受け入れ敬愛するかどうかも怪しくなり、天皇制そのものが崩壊してしまう。


それ以前に、父として我が子を思うなら、そんな噂が息子の耳に入れば悠仁親王は当然とても苦しむし、普通なら激しく反発してそれこそ「グレる」「非行に走る」か、内向的な少年だったら思春期には自殺するリスクすら高い。逆にそういう出生に疑問も持たない子供であれば、それこそ日本の天皇に求められる徳とは真逆の、傲慢で身勝手で歪んだ特権意識しかない人間に育ってしまっても、境遇そのものが異様なのだからむしろ当たり前で、およそ親王を責められず同情するのが普通の日本人の良識だろうが、そんなものはどこかに消し飛んでしまったのが眞子内親王と小室圭氏に対する誹謗中傷だらけの現状であれば、今やそれも国民に期待はできない。


「国民の祝福」がないから儀式は行えない、しかし娘が結婚相手を選ぶのは憲法上の権利だから認める、というのは、秋篠宮家への過度な反発をなんとか避けように、ひいては息子が天皇として支持されなくなったりしないように、という宮の臆病なまでに極端な配慮というか及び腰、国民への恐れが見てとれる。


だが国民への配慮というか「嫌われてしまうことはできない」という恐れの結果、宮は娘を明らかに理不尽な誹謗中傷から守ることすらできなくなってしまい、宮内庁も宮家もなんの策もなく途方にくれているように見える。


宮内庁の異例な爆弾発表、「複雑性PTSD」公表の想定外の不発は天皇制崩壊の予兆か?


そんな中で出て来た窮余の切り札が、眞子内親王が複雑性PTSDと診断されているとあえて明かした、異例の宮内庁会見だった。もはやこの手しか残っていないのと同時に、これで確実に状況を好転させられるはずの切り札だと、宮内庁も秋篠宮家も考えたのだろう。


すでに前例がある。平成の天皇の即位後、皇太子時代から「妻の言いなり」という陰口が絶えなかった流れが暴発したのか、美智子皇后が週刊誌の激しいバッシングに晒された時期があった。この時は皇后が過度で理不尽なストレスから病に倒れ、精神性の失声症に陥ったことで、嘘のように、美智子皇后への反発など最初からなにもなかったかのように、中傷報道が止まっている。


今の天皇も皇太子時代に、妻・雅子妃が内輪では「男子を産む機械」扱いされて苦悩し、マスコミのバッシングにも遭ってついには「適応障害」と診断される深刻な精神疾患の状態に追い込まれ、「雅子の人格を否定するような動きもあった」と自分の誕生日会見で発言し、この時もバッシングは嘘のように止まった。


ところが今回は、宮内庁会見に登壇した眞子内親王の主治医が「複雑性PTSD」を公表しても、バッシングは止まらなかった。


これもひとつには、宮内庁と秋篠宮家が国民を信用し過ぎ、あるいはその感情に配慮し過ぎて、事態の危険性と動機の邪悪さを見誤った作戦ミスの、慎重過ぎた言葉選びの失敗ではある。主治医が複雑性 PTSDの原因について自分や小室氏や家族に対する「誹謗中傷と受け取れる」言動や報道、と言及したのは、天皇家の立場を考慮した言い方だろうが、結果からすればあまりに甘過ぎたのである。


そんな配慮、国民感情への忖度を優先させず、客観的なサイエンスとして「複雑性PTSD」のメカニズムを記者たちにレクチャーした上で、その原因が不条理で予測不能かつ継続的な過剰なストレスであることもはっきりさせ、眞子内親王の場合なら「誹謗中傷とも受け取れる」「誹謗中傷と感じる」ではなくはっきり「理不尽で客観的に理解・説明ができない誹謗中傷」と断罪すべきだったし、治療法についても「周囲が暖かい目で見守る」などという曖昧な言い換えではなく、はっきり「理不尽でほとんどが虚偽の誹謗が収まること、加害者に対し然るべき社会的な断罪と当事者の反省があること」と言うべきだったのではないか?


案の定、そんな反省はまったく見られないようだ。結婚後の記者会見についても、宮内庁によれば文書で事前に寄せられた質問の中に「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねないものが含まれていた」ため眞子内親王がひどく衝撃を受けて複雑性PTSDの症状が出てドクター・ストップがかかり、質疑応答は文書回答と前日夜になって急遽決まった。いやだから、そもそも「元婚約者」の主張はたぶんに虚偽を含み、残りもおよそ無理がある言いがかりに過ぎず、マスコミのやっていることもほとんどが虚報であることを、まだ自覚できないのだろうか? 


とはいえ医師の指示ではあっても、この宮内庁の対応もかえって事態を悪化させかねない。「「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねないもの」などと遠回しに言わずにはっきりと「虚偽であり中傷」と断言し、「元婚約者」についても事実関係に基づき明確に非難して、名誉毀損訴訟でもちらつかせない限り、これではまた小室氏が眞子内親王にかばってもらって逃げただの、内親王が小室氏に洗脳されているだの、果ては内親王自身を詐病呼ばわりだの、あまりにバカげて現実離れした誹謗中傷がますます激化しかねない。


そうは言ってもこれまでは、バッシングは女性皇族が心の病いに苦しんでいるとなれば嘘のように止まると言うのが、美智子皇后の時も雅子妃の時もそうだった。


ましてそもそも、眞子内親王は結婚すれば一私人、国民統合の象徴としての天皇家のあり方には関係がなくなる。過去の例でも皇室を離れた皇女のその後と言えば先述の島津貴子氏が「皇室ブランド」を活かして「プリンス・ホテル」グループの顧問として活躍した程度のことしかなく、つまり皇室を出る女性皇族が国民的議論の対象になったり、眞子内親王に「皇室らしい振る舞い」が求められることは、そもそもそうなる理由が見当たらないのだ。だがそんな合理的で理性的な判断が今回のケースには通用しないことからも、これがもはや常軌を逸した集団ヒステリーになっている可能性すら、真剣に考慮する必要がある。


現に既に述べた通り、主治医の苦言と病名発表だけではバッシングが収まる気配は大手テレビの全国番組に限られ、しかしそんなワイドショーの「手のひら返し」にも、自分たちの報道もまた内親王の複雑性PTSDの原因の一部になったことへの反省は、カケラも見られなかった。


そこで宮内庁は焦って…と言うよりも、もはや秋篠宮家に留まらず天皇家全体の怒りが昂じたとも拝察できることとして、まず天皇夫妻が眞子内親王の心身の健康を心配していると「拝察する」との発表があったが、それでも収束の気配は見えないままだ。


ついには国民世論に自制・反省を促す究極の切り札として、美智子上皇后が「初孫」である眞子内親王を大切に思っていて「とても心配している」と言う発表までが行われた。


「美智子さまカード」を切っても事態が一向に好転しないのは、さすがに天皇家も怒りを通り越して呆れるか、いやむしろ、自分たちが天皇家として果たして来たはずの役割に、自信を失っているかもしれない。


直接にはなにも言えない立場の天皇、その「大御心」を「拝察」し「忖度」する文化が、なくなってしまった令和の日本


宮内庁による「拝察」についても急に誤解が広まっているが、まずそもそも天皇家は、よほどのことでない限りなにかを直接批判する発言や、対立する問題でどちらかの側に立つ言動が出来ない。


新型コロナのデルタ株の感染拡大の中での東京オリンピック開催についても、天皇が少なくとも有観客開催には反対であったことも、宮内庁の「拝察」として発表された。もちろんかつてなら、こうした「拝察」が発表されるだけで天皇の強い意志に国民が気付きリアクションするべきのは暗黙の了解で、もっとも新しいところでは先の天皇の退位の意思が最初は宮内庁から非公式にリークされただけでも世論はすぐに反応し、退位させたくなかった当時の安倍政権も対応せざるを得なくなった。


ところが天皇が代替わりしてのオリンピックについてでは、なんとしてでも強行しなければならなかった当時の菅政権が、その「拝察」を宮内庁長官の勝手な想像の個人的な意見だと切って捨ててしまったのである。先の天皇もおよそ政府に尊重されていたとは言えないが、それと比べても新しい令和の天皇は実に政府から軽んじてられている。


もっとも、今回の眞子内親王の心身の健康への憂慮についても遅過ぎて内容も弱過ぎで、トゥー・リトルでトゥー・レイト、と言わざるを得ないし、オリンピックについての「拝察」発表も遅過ぎた。


そうは言ってもオリンピックについての「拝察」は、かなり詳細で誤解の余地もなく、相当に強い内容だった。自らが名誉総裁であることにわざわざ言及があったのは、つまりは自分の名で国民を殺すのか、と言う強い怒りがそこに読み取られて当然なのだ。だがそこまで厳しい言及すら読み取られない日本社会になってしまっていることにこそ、強い憂慮を覚えないわけにはいかない。


これでは天皇制が民主主義の政体の上に道徳的権威として置かれていることの意味そのものが、崩壊してしまう。


もっと言うなら国民の総体の良心と良識の象徴としての天皇の役割がもはや果たせなくなつているのなら、つまり言外の言として示される天皇の意志への忖度が権力者の暴走や大衆民主主義の衆愚化への抑制装置、ブレーキとして機能しないのなら、今後も天皇制を維持する必要が本当にあるのだろうか?


このままでは「天皇制」は維持されるべき価値を失われ、天皇が大衆に隷属させられる時代の危険


秋篠宮の、長女の結婚についての一連の発言についても、同様の現象が指摘できる。小室氏への誹謗中傷を続ける人々はそもそも、宮の発言の真意を冷静に忖度してその行間を読もうとはこれっぽっちもせず、ただ自分たちの勝手な都合だけを宮に押し付けて宮が結婚に反対していると決めつけ、父であって当然ながら娘の側にある宮を、勝手に自分たちの味方にした気分になっている。


挙句に自分たちは子供の頃から眞子さまの成長を見て来たのだから親心で心配しているのだ、と勝手に親としての秋篠宮の立場を乗っ取ったかのような自己正当化までが出て来ている。これでは天皇家が暴走する大衆心理の火にかえって油を注ぎ欺瞞の正当化の根拠になってしまうと言う、日本が第二次大戦と破滅に向かっていた時代と同様の、危険な社会状況にすら陥りかねないのではないか?


むろん秋篠宮の発言を文字通りに読めば、宮自身の個人的な意見は一切、あえて含まれていない。儀式を「行わない」のではなく「行えない」のは「国民の祝福」がないから、と言う論旨は明確だし、小室氏に求めたのも「金銭問題の解決」では決してなく、そんな問題があるかどうかも言及せず、ただ(国民への)「説明」だけなのは先述の通りだ。


だがここから先が逆に厄介になる。実際の事実関係を見ればそもそも小室氏の側には特段の落ち度も問題もなく、ひたすら「元婚約者」が理不尽なだけだし、どう説明しようが合理的・常識的にはその結論にしかなりようがない。なのに国民世論がそちらの側についてしまっている時に、小室氏がいかに理路整然と実際の事実関係を説明をしようが、国民の納得は難しいのではないか。むしろ自分達の誤解や誤りを指摘されたことに怒って、逆恨みでますます頑なになりかねない。


いわば集団リンチの様相すら呈している中で、皇室としての立場ではそれでもその「元婚約者」を直接には責められないとしても、宮の態度はやはり、ずいぶんと曖昧すぎて、父としては卑怯ですらある。


なにも考えずに眞子内親王に自分たちの身勝手を押し付けながら「心配している」つもりの人々


実際には、誹謗中傷に加担する人々の「子供の頃から眞子さまを見て来た」から「親心」で「心配」というのも、まるで現実に反する薄っぺらな偽善でしかないことが、「複雑性PTSD」が公表された宮内庁の記事会見ではっきり示されている。


いわゆる「一時金」の受け取りについてだ。宮内庁は内親王が中学生の頃からこの「一時金」について誹謗中傷を受けて思い悩み続けていて、なんと2014年には既に結婚を考えていた小室圭さんとも話し合って受け取らないと決めていた、とまで発表しているのだ。これは「国民の税金だ」と言うのならばその一時金は受け取らない。その延長上で自分たちの結婚は自分たち個人のことなのだから、公的な儀式はそもそも自分たちにとっても不要だし望んでもいない、と言う意味にもなり得る。


また実際に、「朝見の儀」はなかった代わりに眞子内親王は「私的」に御所を訪ね、天皇夫妻や従姉妹の愛子内親王と楽しそうに話していた、とも宮内庁はわざわざ発表している。眞子内親王本人にとってどちらが本当に大事か、普通の感受性があれば一目瞭然だ。


「一時金」は1億4000万前後と推計され、確かに決して少ない額ではない。だがたとえば黒田清子氏夫妻が住んでいるようなレベルの高級マンションを購入すれば大半が費やされる程度の金額でしかないのも確かだ。


これまで30年間、それこそ産まれた時から(いみじくも「子供の頃から見て来た」と言い張る人たちがいて、つまりそこまでプライバシーすら公衆に晒されて来た)皇族としての役割を否応なく担わされて来たことのいわば「退職金」か慰労金、ここまでの事態になってしまえば慰謝料としては、1億だって安いもの、こんな誹謗中傷の結果生命の危険と警護の必要も差し迫った問題になっているのだから堂々ともらったっていい、と筆者などは思ってしまうが、断りたいとずっと思い悩んで来たというのはそれだけ、この一事だけでも内親王は深く傷ついて来たことが、ここに示されてもいるわけだ。


たかが1億円の「一時金」で皇族の人生を買い心すら奪えると思っている国民


ところが宮内庁がそこまで言っているのに、それでも初任給ですでに年収二千万とも噂される小室圭氏が「金目当て」と言うそもそも的外れにナンセンスな中傷には、まったく止まる気配すらない。


挙句に「もらうべきだ」と主張する「識者」の中には「元皇族」としての体面を維持するための対価だと言い張る者までいる始末である。そう主張する例えば所功(専門は日本近代法制史)は「保守の論客」と言われるが、天皇・皇族としての責務が国民が「税金だ」と言って札びらをちらつかせて皇族に強要するものでしかないのなら、そんな天皇の担保する国民の良心と良識の総意の象徴としての道徳的権威とは、いったいなんなのだろう? 


天皇をその程度のものとしかみなせないとしたら、所功氏のこの薄っぺらな思想のどこが「保守」なのだろう?


国民が税金で皇族を買って、天皇の権威を自分たちの身勝手な価値観に隷属させるような「天皇制」ならば、果たして今後維持する必要はあるのだろうか?


ここままでは、悠仁親王も形だけの、人格すら否定された天皇にしかなれない


宮内庁のこの発表には、さらにその行間を読み取るべき別の意味も含まれていた。眞子内親王が誹謗中傷に悩まされるようになったのが「中学生」から、というのだ。


眞子内親王が確か中学3年生の時に悠仁親王が産まれている。そんな多感な少女の耳にも、むろんなんの根拠もない風聞でしかないにせよ、紀子妃が天皇の母になりたいと言う「野心」で人工授精で産み分けたとか、極右勢力(と言うか自民党右派)から圧力があって皇太子夫妻(現天皇皇后)は断ったが云々、といった噂は入っていただろう。


なおこうした根拠不明な「皇室ゴシップ」は出どころがほとんどは学習院の父母だ。小学校時代の眞子・佳子姉妹の両内親王についての悪評や、秋篠宮と紀子妃の結婚に関する真偽不明なゴシップも、こうした学習院人脈から仕切りに発せられて来た。


恐らくはだからこそ、二人の内親王は学習院を離れて国際基督教大学に進学し、悠仁親王に至っては秋篠宮は最初から学習院に行かせない決断を下した。ちなみに一方で、学習院に通い続けた敬宮愛子内親王(天皇夫妻の長女)はしばしば精神的な危機に追い込まれ、高校生の時には摂食障害まで患ってしまっている。


このような学習院人脈からの現天皇家への怨嗟ともとれる状況は時代を遡れば、キリスト教系の学校に通い学習院となんの縁もなかった美智子妃(皇后・上皇后)に対しても結婚当初から激しいバッシングがあったことに始まっている。紀子妃は出自血統的にはかつては天皇家と結婚できるとはみなされない家柄とはいえその学習院大学の教授の娘で、バッシングが起きないのはあとは旧家族・公爵家の末裔の、やはり学習院育ちだった黒田清子氏の夫くらいだったりする。


戦後民主主義が平等社会の実現を目指した中での天皇家の存続自体が矛盾を孕んだものであるのと同様に、その天皇家・皇室の子女教育が目的で設立された学習院もまた、戦後民主主義社会の中では場違いで矛盾した存在にはなる。だがだからこそ、とりわけ今の上皇が10代の少年だった時代には、戦後の学習院にもさまざまな改革が一応は行われた。一時は高校に寄宿舎制度が設けられ、地方からも社会階層を問わずに学生を集め、当時の皇太子はその寄宿舎で一般国民と寝食を共にする共同生活で育ってもいる。


上皇は天皇として在位中もこの時に親しくなった学友との交流を欠かさなかったそうだ。実はかなりの携帯電話魔で、相当な長電話で政治や社会についてもかなり激しく辛辣な議論もかつての学友と交わしながら、そうした会話を通して国民の声を汲み取っていたようだが、結局は昭和の皇太子を民主主義の新日本に相応しい天皇とするための学習院改革も、効果があったのはこの時期と、せいぜいが今の天皇が通った時期に限られるのかも知れない。眞子内親王とその婚約者や、ひいては秋篠宮家へのバッシングが絶えないのも、ひとつには秋篠宮家が学習院と距離を置き続けていることへの学習院人脈側の恨みがあったとしても、おかしくはないだろう。


バッシングの背後に見え隠れする「男系天皇」カルトの堕落した自称「保守」


だがこのバッシングの背景には、「元婚約者」になぜか付和雷同してしまう一部の国民世論や学習院人脈の逆恨み以外にも、さらにとてもダークな思惑による扇動も指摘できる。皇位の継承の「男系」を頑なに主張する一部のカルト的右翼がいて、その歪んだ思想が政権与党の中枢で力を持っていることで、その勢力にとっては内親王の「恋愛結婚」と言う元々は美智子上皇后が確立したモデルの踏襲こそが、明らかに不都合なのだ。


女性天皇容認の世論が固まりかけたその時期の、あまりに絶妙なタイミングの皮肉な偶然で悠仁親王が誕生したことで、次世代の天皇が男子になることまでは担保されたとは言え、皇室の人数自体が減って、悠仁親王の他には若い男性皇族もいない。


このままでは「男系男子」にこだわる限り天皇家が途絶えるリスクはなにも変わっていないのだ。にも関わらず、内親王にそのまま皇室に残ってもらいその子供にも皇位継承権を認めるべきでは、という議論も、悠仁親王の誕生で完全に止まってしまったまま10年前後が過ぎた。


そしてそのまま結婚すれば皇室を離れる立場だと思って育って来た眞子内親王・佳子内親王が成人してから唐突に、今度は彼女たちに戦後に臣籍に降った旧宮家の男子を婿養子にさせて「男系」を維持させるべきだ、という恐ろしく倒錯した議論が、「男系カルト」としか言いようがない側から提起されたのである。その主たる論者のなかには竹田宮家の孫で右派論客気取りの50代の独身男・竹田恒泰までいるのだから、呆れて開いた口が塞がらない。


この竹田宮の孫(自称・明治天皇の玄孫だが、明治帝の皇女が竹田宮家に嫁いでいるので、それこそ「女系」のはず)以外の旧宮家は、揃ってこの議論に困惑し、応ずる気がないことを宮内庁に伝えているそうだ。だとしたら眞子・佳子両内親王にとっては最悪の、この上なく気持ち悪い、生理的に絶え難い話にすらなってしまう。「男系」の天皇を維持するために、自分たちか従姉妹の愛子内親王が、よりによってこの竹田恒泰と強制的に結婚させられなければいけないのか?


うがった見方をすれば、秋篠宮家と眞子内親王が小室圭氏との婚約「内定」を公表して記者会見まで行ったのは、こうした「男系」派の珍妙な議論の先手を打ち機先を制する戦略だったのかも知れない。だがだとしたら、ここでも宮家はこうしたカルト的右派の邪悪さをみくびっていたのではないだろうか?


内親王と婚約者がいかにも幸せそうに微笑み合い、全ワイドショーで女性リポーターや女性コメンテーターが思わず満面の笑みになった記者会見を見て、この若者たちを不幸にしてはいけないと思い留まるような良心が、女性蔑視が骨の髄まで染み込んだカルト的極右や、女性蔑視丸出しに女性宮司潰しに走るような今の神社本庁に、あろうはずもないだろう。


むしろ「お国のため」を金科玉条に、自分たちの考えるその実恐ろしく身勝手な「公」を内親王に押し付け、二言目には「皇室と言う特別な立場で税金で食わせて来てやった」などと、どこが「保守」なのか理解不能な乱暴な押し付けだってやりかねない心底邪悪な人々なのだ。こうしてあわよく「男系」の旧皇族を復活させたら、今度は側室制度がなければ皇統は維持できないとか、それが伝統だとか言い出しかねないのではないか? 


むろん側室制度のある天皇家を現代の国民が天皇として敬愛できるかと言えば、そんなことはあろうはずもないのだが、彼らにとっては天皇はただいればよく、国民に敬愛される人格者である必要などないと言うか、むしろ人格者で倫理的な天皇は邪魔にすら見えるだろう。


なぜなら、彼ら自身が徳のある優れた人格などとはおよそ無縁というか、そのために必須の「倫理」の意味すら認識できないのだ。


「旧宮家」の皇統復帰が真に意味するのは、平成の天皇家が抗って来た軍国主義日本の復活とその免罪と正当化


極右勢力がそこまで考えているかどうか(気付けるだけの知識や知能があるかどうか)はともかく、旧宮家を皇統に戻すことはまさに「パンドラの箱」を開けるというか、その臣籍降下で封じ込められて有耶無耶になってきた皇室の暗黒史と倫理の崩壊を、再び蘇らせることにもつながる。GHQの指導の元に戦後の皇室が旧宮家を廃し、国が与えた財産のほとんども財産税で没収されたのは、単に封建的な身分制度を打破するためだけでは実はなかった。


戦前まで、皇室の男子は軍務に就き、軍服の礼装を正装とすることが西洋の王室に倣った慣例で、軍の中で重要な、指導的な立場にあった皇族も、海軍の伏見宮博恭王を筆頭に多い。昭和天皇の弟で陸軍将校として中国戦線に出征して陸軍の占領政策を厳しく批判した三笠宮、海軍軍令部にいてミッドウェイ海戦以降の連戦連敗をリアルタイムで知って兄・昭和天皇に終戦を迫った高松宮などもいた一方で、海軍の内部で日米開戦に慎重だった派閥をパージしたのは伏見宮、2.26事件の鎮圧に当たって逆に軍部の政府内と特に昭和天皇に対する発言力を強めたのも伏見宮だった。南京占領時の現地軍の司令官だった朝香宮は、本来なら南京大虐殺の責任者として戦犯訴追の捜査を免れ得ない立場だったし、虐殺そのものが宮の命令だった疑いも濃厚だ。皇室で「戦争責任」を本来問われておかしくなかったのは、なにも昭和天皇だけではなかったのである。


だが天皇家を戦犯訴追してしまえば軍の残党の武装蜂起のリスクがあり、そこで昭和天皇を含め皇族はすべて不問に伏すことがGHQマッカーサー元帥の方針となった中で(戦争放棄の新憲法は、この文脈で天皇を訴追しない代わりに日本が再び軍国主義侵略を始めないようにするバーターとして日本側から幣原喜重郎総理が提案したもの)、旧宮家の戦争犯罪は歴史のタブーになり、皇室を離れ財産を没収されるだけで終わったのが、あまり語られない戦後天皇制のダークサイドなのだ。つまり旧宮家の皇統への復活は、過去の軍国主義と非人道的な侵略戦争の正当化のメッセージも持ちかねない。


この誹謗中傷の悪意の「祭り」の結果、天皇制の終焉は秒読み段階に入り、今さら手遅れで避けられない


それにしても、ただの内親王の結婚・臣籍降下ではまったく済まなくなってしまったこの事態は、今後どう収集すればいいのだろう? そもそも事実としての根拠がなにもない稚拙な憶測だけで小室圭さんとその妻・小室眞子さんとなる二人を誹謗中傷し続けた人たちは、今後どう言うことになるのかを考えもしないのだろうか?


小室圭さん・眞子さんにとっては、今後はニューヨークでの新生活が始まるだけで、未来永劫日本には帰って来ないとしても、多少は寂しかろうがそれだけのことだ(むしろせいせいしているかも知れない)。小室バッシングに血道をあげていた皆さんには申し訳ないが、日本の天皇家がアメリカでそう注目を浴びることなどあろうはずもなく、強いて言えば危惧されるのは、ニューヨークで夫妻が注目されるとしたら、ニューヨーク・タイムズやCNN、MSNBCのような人権意識の強いアメリカの一流メディアが、いかに日本が封建的で自由のない、女性蔑視がとりわけひどく人権が侵害される社会なのかを批判する文脈で、お二人に取材したりお二人について報道することだろう。我が国にとっては嬉しい話ではないにしても、実際その通りというかもっとひどい現状なのだから、我々の自業自得ではある。


真っ先に思い浮かぶ喫緊の現実的問題は、眞子内親王が小室眞子さんになって去った後の秋篠宮家と天皇家の将来と、皇室の血統的な継承だ。これはいまさら政府がやっと重い腰を上げようが、皇室典範を遅ればせながら改正しようが、もはや完全に手遅れの状況に、今回の事態でなってしまった。


眞子内親王の結婚がこんな「先例」になってしまっては、佳子内親王や愛子内親王の将来の結婚はさらにハードルが高くなる。補足するならそうでなくとも、すでに皇室には40前後になっても独身で皇籍に止まったままの女王もいる。


ただでさえ「敷居が高い」、小室圭氏のように物おじしない野心家の勇気があっても、まして臣籍・民間人になるのではなく皇室に入ると言うのでは、今後は佳子内親王や愛子内親王にプロポーズするような男性はまず出て来ないし、「男系」カルト派の頼みの綱の旧宮家の子孫の男性たちこそが真っ先に逃げ出すだろう(そもそも「お呼びでない」竹田宮の孫、自称「明治天皇の玄孫」を除けば)。


この騒動の結果、天皇の血統は確実に途絶え、天皇制は消滅する


いやより深刻な問題は将来の皇后、つまり将来の悠仁親王の結婚だ。すでに美智子妃、雅子妃と二代続けて皇太子妃・のちの皇后が深刻な人権侵害に晒された過去もある。そして民間に下る姉の結婚相手までがここまで誹謗中傷の嵐に晒された後で、次世代の天皇となる運命の悠仁親王の妃になろうと思う女性が、果たしているだろうか? どんな家族でもこれだけは、単に娘の命すら危ないという一点だけでも反対する。


それでも「皇室に憧れ」だか「次の天皇の母になりたい」的な動機だけで結婚したがる女性が万が一いて、家族もそうした虚栄の名誉にしか興味がなかったとしたら、そんな価値観であれば今度は昭和天皇の良子皇后はともかく明治天皇の皇后・一条良子、大正天皇の皇后で昭和天皇・秩父宮・高松宮・三笠宮の母である九条節子、そして先の皇后の正田美智子と現皇后の小和田雅子が果たして来た近代の歴代「皇后」の、ある意味で天皇以上とも言える「国母」とも言うべき大きな役割や功績を継承できる人物にはならないだろう。


その皇后の特別な地位も、決してそんなに長い「伝統」ではない。明治時代に西洋の、一夫一妻の王制を模倣したもので、即位式ひとつをとっても大正天皇以前には天皇一人が女官に囲まれて高御座に就く儀式だったし、平安時代以降は永らく「皇后」自体がいなかった。


天皇の妻が御所を出て積極的に社会的・政治的活動を始めたのは、奈良時代に遡れば聖武天皇の皇后・藤原光明子が貧民や病人の救済に尽くしたことが知られるが、近い歴史では明治天皇の皇后・一条良子からで、この時はこと女子教育の普及と女性の社会進出の啓蒙に功績が大きかった。皇后が宮中で続けている養蚕も始めたのも一条良子で、まったく神話的な「伝統」ではない。富岡製糸場に始まる近代化された生糸の生産は近代日本の重要な国家産業・花形輸出産業で、その労働力は女工が中心、原料となる蚕の生産も農家の副業で女性が中心だった。良子皇后の意図はむしろそうした新しい社会への女性の進出の代表者かつお手本として、また庶民の生活への自らの理解を深めるためだった。


皇后が天皇家の国民との関わりにおいて決定的な役割を果たすのはむしろ西洋化に合わせた新しい役割で、今は「伝統」になっているとしてもそれは一条良子、九条節子、そして正田美智子が自ら作って来て、今も小和田雅子によって作られ続けている新しい伝統なのだ。むろん、だからと言って軽んじられるものではないというか、皇后への国民の支持と共感は今や伝統であるかどうかは無関係に、天皇制の生命線にすらなっている。


逆に言うと、こうした慈母のような「国母」の役割を近代になって皇后が担うようになったのは、それが江戸時代までは天皇が担う役割だったからでもある。たとえば先述の光格天皇は天明の飢饉に当たって御所の周りに集まった困窮した民に食糧や果物を配り、飢饉問題の解決となによりも民衆の救済を強く幕府に迫っていた。明治初期には明治天皇自身が最初の全国巡幸では盲人の収容施設を訪問して下賜金を与えたり、貧民救済のためにもやはりかなりの下賜金を出している。いわば新しい「天皇新政」の始まりに福祉政策を重視しようとしたとも取れるが、この仁と慈悲に溢れた天皇を見せるアクションは、明治新政府には不都合に思えたらしく、途中でやめさせられている。


なおその明治帝までは側室制度があり、良子皇后は子供がなく、天皇の子はすべて側室の子だった。大正天皇以降は西洋に野蛮国と思われないようにするため天皇も側室を持たなくなり、そこで子供を産むことが皇后の役割として急に重要になって来る。大正時代の皇太子・迪宮裕仁親王(のちの昭和天皇)と久邇宮良子女王の結婚でも、久邇宮家に色覚異常の遺伝的問題があるとして元老の山縣有朋が反対して久邇宮に婚約の辞退を迫り、最終的なゴールインまでは数年がかりだった。いわゆる「宮中某重大事件」で、この時も山縣らの反対を押し切れたのは「人倫」論、天皇家こそ人としての当たり前の道徳を優先すべきと言う主張だった(つまり裕仁親王と良子女王は相思相愛だった、ということだろうか)。


むろん今日では、いかに天皇の血統維持が急務だろうと、いまさら側室制度を戻せなどと主張するのはあまりに馬鹿げている。一夫一妻が当たり前になった日本社会で、側室に囲まれた天皇を国民が道徳的権威として敬愛することなぞ不可能に決まっている。


今回、小室圭さんと眞子内親王をめぐって起こった異常な事態の後では、天皇家と結婚しようなどと言うことは、男女を問わずあまりに恐ろし過ぎて、命の危険すら覚悟しなければならないものになってしまった。


つまりは「男系」カルト派の極右勢力や、そこまでは狂っていなくとも「皇室の伝統を守る」と自称する歪んだ「正義感」でこの誹謗中傷しかない社会的リンチを起こすか拡大に加担した人々は、そろってみすみす天皇家の滅亡、血統が途絶えて天皇がいなくなる時代の到来を、自らの手で早めてしまっているのだ。


天皇の血統が途絶えること以上の、「天皇制の国」としての日本の致命的な危機の招来


だがそれでも、悠仁親王が「最後の天皇」どころか「最後の皇族」になってしまいかねないことすら、今回の事態で明らかになった最大の危機ではないし、事態の重大さは天皇制の研究をして来た識者・専門家ですら把握しきれないほど大きい。


今回本当に明らかになったのは、天皇家の血統が途絶えるのを待つまでもなく、天皇制はその役割を終え機能できなくなってしまっているのではないか、と言う問題なのだ。


少なくとも天皇制を今後も続けることには、形骸化したエセ伝統として続ける以外に、もはやなんの意義もなくなってしまっていることこそが、今回の作られたスキャンダルの真に意味するところだ。


いやそれでも、例えば「男系」カルト派であれば「2600年続いて来た男系」こそが神聖なのだと叫ぶのかも知れないが、人間は誰でもどころか、雌雄の別がある生物ならすべて、2600年程度は確実にその「男系」つまり父系の先祖を辿ることができるのが生物学の当然の前提で、「男系の長さ」にはなんの希少さもない。しかも2600年と言うのは計算自体がデタラメながら一応は典拠になっている「古事記」「日本書紀」の神話に遡れば、皇祖神アマテラスオオミカミは、そもそも女性だ。


そこまで歪んだカルトがそもそも政教分離を大原則とする近代立憲国家の日本の「象徴」の地位の正当化になること自体、憲法違反どころかただのモラルハザードになりかねないのは当然として、そのような「男系の血統」を理由に天皇を敬愛する国民なぞ、「男系」カルト派の中にすら実は一人もおるまい。政治勢力としてその中心にいる安倍晋三元首相に至っては、天皇への敬意など実はカケラもなく、ただ天皇がいればいいと言うようないい加減な考えで、その天皇家が歴史的に果たして来た役割なぞ考えるための知識も知能もないことも、その安倍晋三が妙にでしゃばり続けた平成から令和へのお代替わりを見れば明らかだ。


そもそも国民はほとんどが知らない天皇の歴史と伝統の、何を守るのか?


だがそんな安倍晋三だけを責めても始まらない。安倍を筆頭とする「男系」カルト自民右派に限らず、「天皇」の存在理由をちゃんと考えたことがある国民がどれだけいるのだろうか?


2600年というのは神話の記述にかなり奇妙な計算を掛け合わせた冗談みたいなものとしても、今につながる天皇という称号も含めて天皇制の基礎が確立したのは先述の通り白鳳時代の天武持統朝で1300年以上、聖徳太子(厩戸王)は今年が1400年遠忌、ヤマト王権の成立は最新の考古学・歴史学では以前に我々が学校教育で習ったのより古く西暦で3世紀半ばの可能性が高い。奈良県桜井市の箸墓古墳がおそらく初代のヤマトの大王の陵墓である可能性が高く、その被葬者が中国の正史「三国志」の「魏志」に記述がある「邪馬台国」の女性の王「卑弥呼」かも知れない。


西暦507年前後の即位と推計される継体天皇が越前(今の福井県)からヤマトに迎えられた時点で、血統は一度断絶しているという見解もあるが、だとしてもこれほど長く単独の王朝が王朝交代もなく継続している例は世界史上他に見当たらず、確かに珍しくはある。  


そうは言っても儒教の天命・徳治思想をかなり強引に解釈しない限りは、ただ「長い」というだけのことに敬愛に至るような価値を見出すのは難しい。


天皇家について軽々しく「それだけの伝統が」と言うのは簡単だが、実際には律令制で確立した天皇制といっても歴史の中でその役割は変化し続け、儀式なども更新され続けて来たし、こと明治維新で律令制が廃止されたことで、天皇をめぐる制度自体が大きく変更されている。「男系男子」はそれまでまったく痕跡すら見えない、明治政府の決めた新たなルールだし、即位儀礼も天皇だけでなく皇后も高御座にと言うのが先述の通り大正天皇以降なだけでなく、和装の衣冠束帯の着用も大正天皇以降、奈良時代以降明治維新までは新天皇が冕冠を頂く中国式だった。


天皇家の神事も、ほとんどが明治時代に新しく制定されたものだ。眞子内親王が結婚と皇籍離脱の報告に「宮中三殿」を参拝したと言うニュースも、こんなものは明治以前にはない。「賢所」がいつのまにか伊勢神宮の皇居内分社になっているのは驚きで、昭和のニュース映像でも「宮中賢所」は天皇がいる場所の意味で用いられ、本来の意味は御所における天皇の平常の御座所・清涼殿の別称だ。天皇を名指しすることが忌避された前近代にはしばしば、天皇その人を指す言葉でもあった。過去の天皇の祖霊を祀ると言う「皇霊殿」はもちろん仏教の位牌堂が本当だし、八百万の神々を祀るという「神殿」は、賢所つまり清涼殿に石灰の壇言う漆喰で固めた土間のような、天皇が平伏して毎朝全国の神々に祈る場があった。


それに天皇家は、少なくとも聖徳太子(厩戸王)以降は仏教の信徒の家柄だ。明治の神仏分離で無理やり仏教を排除したことは明らかに伝統に反する。恐らくは平安時代の末期には、即位に当たって新天皇が真言宗の修法で観音菩薩、大日如来、そしてアマテラスオオミカミと一体化する秘儀が確立していて、この「即位灌頂」は江戸時代まで、明らかに「大嘗祭」より遥かに重視されていた。


明治の神仏分離政策を経て一見仏教色が排除された現代の皇室でも、天皇家は私的な経費から全国の重要な寺院に寄付・寄進を続けている(なお天皇家や各宮家に支給される私的経費の多くは、こうした寄付金に当てられ、自由に使える金などほとんどない)し、内廷費で寺院に勅使が派遣される仏教儀式も、天皇家の菩提寺である京都の泉涌寺(宮中の位牌堂も明治にここに移された)の儀式はもちろん、京都・東寺の毎年の新年の「後七日御修法」(本来は宮中で行われるもの)、滋賀県・石山寺の秘仏本尊開帳など、今もかなり残っている。


中世以降の武家の時代、政治的実権どころか経済基盤すら失った天皇を支え続けたのは武家政権


とりわけ鎌倉幕府の成立以降、政治的な実権は朝廷から武家に移り、天皇の歴史的な役割は政治史的には理解し難いものになっていく。明治以降の皇国史観では、だからこそ武家の幕府の政権をイレギュラーなものとみなし、たった2年で崩壊した後醍醐天皇の建武の新政(1333年)こそが正当な日本のあり方の復古としてことさら称揚されてきた。


だがこれは、後代の価値観というか政治的イデオロギーの都合で歴史を歪めて認識する典型でしかない。政治的実権がないからと言って、武家政権の時代の天皇の存在に意味がなかったわけでは全くないどころか、真逆である。


今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』と昨年の『麒麟が来る』では、どちらも実権を握っていた武家にとってこそ天皇がどれだけ重要だったかを描きこんでいるのが画期的だったが、具体的な役割は判然とせずとも天皇とその位の継承は、確かに日本史において一貫して重要だった。


逆に言えば現代の「象徴天皇制」はむしろその歴史的な天皇本来の役割への回帰とすら言える。来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も前半では後白河法皇、後半では後鳥羽上皇という二人の天皇が極めて重要な存在になるはずで、最後のクライマックスは恐らく、後鳥羽院が主人公・北条義時と戦う承久の乱(1221年)になるらしい。


源頼朝が鎌倉幕府を開けたのもあくまで、後白河院の朝廷から将軍宣下を受けてだ。武家が政治的実権を確立していく過程の中で、後鳥羽院がその幕府と対決すべく承久の乱を起こす。だが院が敗北しても、北条義時は配流にはしたが殺さず、将来も幕府・武家の実権支配を脅かす可能性がある天皇と朝廷を廃止することもなかった。現にこの112年後の1333年、まさにその後鳥羽院にインスパイアされた後醍醐天皇が挙兵、鎌倉幕府は滅亡する。例えば西洋の政治史の常識なら、こんなリスクは予め摘んでおいたはずだ。


よく考えてみると、なぜなのだろうか? 中世以降、実権を失い経済的基盤も喪失した朝廷は、武家政権がスポンサーとなって存続し続けた。鎌倉幕府だけでなく室町幕府も江戸幕府も、自分達が掌握した権力の体制を覆す可能性もあることは承久の乱と建武の新政ではっきりしていた天皇と朝廷を、自分達よりも上位の道徳的権威としてなぜ残し続け、敬意を捧げ続けたのだろう?


このままなら、天皇制の廃止こそが天皇の伝統を残せる唯一の道かも知れない


ある意味、令和の天皇制にはとても皮肉なことが起こっているのかも知れない。


今上天皇は歴史学者で、しかも専攻は日本中世史だ。生物学者の父・上皇と大きく違うのは、上皇が日本国憲法を自らの行動や態度の規範として即位以来しばしば挙げていたのに対し、皇太子・徳仁親王としての時期から一貫して、今上天皇はしばしば中世の(つまり政治的実権は武家にあった時代の)天皇の歴史に、自らのお手本、天皇のありようの規範として言及し続けている。


実は天皇の歴史とその役割について、誰よりも詳しいのが今上天皇なのかも知れない。そしてだからこそ、天皇制が今後いかに存続することで「日本の伝統」を維持できるのかについての知恵も、それをもっとも深く考え、またそのための知識もあるのは、天皇自身かも知れない。


東京オリンピックの開催強行について強い言葉で異例とも言える批判を、宮内庁長官を通して表明したことも、そうした中世の天皇たちが果たして来た役割を参照しての決意があったのかも知れない。歴代天皇は例えば戦国時代に直接の言葉でどの武将を支持したりなどの意思の表明はしなかったが、御製の和歌であるとか贈答品や下賜品、寺社への参拝や寄進、納経などの行いを通して、その意志は同時代の人間にはかなりはっきり伝わる形で発信されていたとも、考えられるのだ。


ではそんな本当の天皇の歴史を継承する、天皇の本来の役割とはなんなのか? 今上天皇と共に国民もまた真剣に考え、今回のような悪意と邪心しか見えない乱痴気騒ぎを深く反省できないのなら、天皇制はこれ以上存続できないし、存続する意味もないことが、すでに決している。


ならば秋篠宮家に残された二人の子供たち、佳子内親王や悠仁親王はせめて自由にしてあげる、そのためにも天皇制に終止符を打つことこそが、日本が象徴君主たる天皇を倫理的な最高権威として頂く国に立ち返るために、唯一できることなのかも知れない。