最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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3/10/2017

「教育勅語」が日本の伝統なのか?



安倍晋三首相の夫人が「名誉校長」まで務める癒着っぷりが効果を発揮して、国有地が異常な大値引きお買い得価格で(しかも異例なことに分割払いで)払い下げられた大阪の学校法人・森友学園の運営する塚本幼稚園では、子どもに教育勅語を集団で暗唱させている。

これは自民党大阪府連が提案したことだそうで、またその幼稚園での講演会や、親向けの配布物に名前や文章が出ている面々が、分かりやすく「日本会議」の重要メンバー、天皇の退位の意向をめぐる有識者会議やそこにヒアリングで呼ばれた、なんの専門知識もない「専門家」とまったく同じ人脈であることとか、これでも払い下げについて「関与していない」「無関係だ」「政治的な働きかけはない」と言い張る安倍氏の無茶苦茶は相当なものだ。

「日本会議」系の政治家による口利きがあっただろうと誰でも想像がつくところへ、金銭の授受つまり賄賂まで介在した可能性すら出て来ているが、それがなくとも総理やその周辺に連なる人脈があるというだけで議員が官庁に口利きをしてくれるというのでは、政治の公平性が根幹から崩壊する。

そんなものは近代民主主義の法治理念以前の問題で、過去の、歴史上の名君とされる者は常に不公平の排除に腐心して来た。 
公平であることは政治倫理の一丁目一番地のはずであり、封建制などの身分制社会であってもその身分内での公平性を担保できない、為政者が公私混同に陥った政治は、常に結局のところ瓦解しているのが歴史の教訓だ。

財務省もついに「様々な働きかけ」に政治家も含まれる “可能性” は否定できなくなったが、議員が陳情を聞き入れるならば、あくまでその中身に正当性が見出せた場合のみのはずだ。

ところがこの森友学園の場合、教育内容が教育基本法や憲法に反しているとも指摘できるのに、妻が名誉校長をやっていた安倍首相でさえ、この学校法人をなぜ支援して来たのかの理由すら議論の俎上に乗せることから逃げている。

当の安倍首相に至っては、最初は森友学園について「教育方針が素晴らしい」と聞いていたはずの、「私の考え方に共鳴している方」だったのが、掌を返したように理事長が「しつこい」人で自分の妻は名誉校長職を押し付けられただの、一時は「安倍晋三記念小学校」だったのも「名前を勝手に使われた」とまで言い出しているが、ならば総理の名が騙られていたこと自体が国民の不利益になる以上は、とっくの昔に出入り禁止・絶縁くらいはしておかなければ筋が通らないし、それも出来なかったのでは国政を左右する大きな責任を負った政治家としての資質そのものが疑わしい。

繰り返すが、広く国民の生の声や要望を聴くのは議員の仕事だが、取り次いでいいのは正当で政治的に必要だと判断するものだけだ。それとも議員たろうものが陳情を官庁に自動的に取り次ぐ使いっ走りに成り下がっているのだろうか?

ならば公選制の政治家なんて不要だ。近い将来には政治は人工知能に任せるのがいちばんいい、ということになる。

森友学園のように学校法人の陳情を取り次ぐのなら、最低限でもその教育内容や方針に賛同するか価値を認めていなくてはならないし、賄賂を持って来られて「無礼者!」と痛罵したという鴻池参議院議員のように、相手に人格上の明らかな問題があると判断すれば「出入り禁止」にするのが筋だ。逆にそのような自立的な判断能力も持たない人間に、誰が議員としての職権を信託するというのか?

有権者を愚弄するのもほどほどにして欲しい(松井大阪府知事、あなたのことです)。

陳情を受け官庁に取り次ぐ側が側について、一部のメディアでは「金銭の授受がなければ問題がない」「陳情を受けるのは議員の通常の業務」などと言い出す者たちまでいるに至っては、現代の日本の政治には、為政者は常になによりも公平性に腐心すべきというモラルが欠如しているのだろうか?

たとえ金銭の授受がなくとも、身内だから、知り合いだからと言うだけで優遇をしてしまうだけでも政治家失格であり、政治道徳の欠如そのものだ。

だいたい、あらゆるまっとうな宗教の倫理体系は、人間は生まれながらには平等であると説いて来たはずだ。

仏教となると、人間だけに限らずあらゆる生命が、究極的には平等になる。

陳情して来た側の理念を共有したり支持するのであれば、その理念を堂々と述べてその正当性を論じないことには始まらない。議会制民主主義ならば、その行政府の政策はまず立法府の監視を経なければならないのに、そうした正論のルートではなく国有地払い下げ手続きをねじ曲げて悪用するようなやり方は、あまりに姑息過ぎる。

賄賂を拒絶したと証言した鴻池議員はそこまでの党内権力者ではないものの、「任侠」的にざっくばらんなぶん親切な人柄で人望は篤いと言われる。

賄賂を持って来たのを「無礼者」と追い返したような相手であれば、鴻池氏は党内の同僚議員にも「あんな奴とつき合ってはならん」くらいのことは忠告していると思われる。なのに鴻池事務所が断ったはずの森友学園の働きかけは、ことごとくその思い通りの結果を実現している。

ならば鴻池氏の忠告も無視されるほどの党内権力の意向が働いていないとおかしいわけで、ではそれが誰かといえばもちろん、最大の容疑者は妻が「名誉校長」をやっているほどこの学園との関係が密接な自民党の最高権力者、安倍晋三首相だ。

安倍自身が財務省や国交省に働きかけるとは、いくらこの首相が愚かだからといってさすがに考えにくいが(と思っていたら安倍自身が、妻が「名誉校長」になる二日前に、異例なことに財務省の担当の理財局長を、財務大臣を飛び越えて自ら呼び出しているらしい)、それでも森友学園側がこの安倍とそこに連なる日本会議人脈をひけらかすだけでも、財務省や国交省が特別な配慮を考えざるを得なくなるのは当たり前だ。

籠池氏の人脈に安倍夫妻が直接含まれる時点で、すでに関与は十分にしている。まして首相夫人が「名誉校長」をやることの影響力も考えられないほど愚劣な世間知らずなのか、と思えば、なんと総理夫妻の名が出ることで忖度されることなどあり得ない、実例の証拠を出せ、という呆れた答弁まで飛び出した。

いったいなにを言っているのやら。

安倍首相の「正論のつもり」が一般市民の感覚からかけ離れが絵空事でしかないことは呆れる他はないし、安倍内閣の閣僚でも若い頃に下着泥棒をやっていたのが、国会議員の息子だという「忖度」で被害者が泣き寝入りになっている事例まであっただろうに。

だが「警察が事件化していないのだから証拠はない」と言い出しそうなのが安倍総理だ。「関与があれば首相どころか国会議員も辞任する」というのも、自分の権力があれば証言が出て来たり官庁から証拠文書が発見されることはない、とたかをくくっているのではないか?

だとしたら、この総理大臣には倫理観がまったく欠如し、主体的な倫理観と規則への盲従を混同している。法制度を運用するのが責務の行政府の長としてまったく不適格だ。

森友学園をめぐる疑惑の関係者の参考人招致も「違法性があるかどうか分からない」と拒否しているのが自民党だが、その理屈を真に受けるなら、この人たちは道徳で自らを律するということが一切なく、法律の縛りさえなければどんな反社会的で非人道的なことでもやり出しそうだ。

ちなみに違法行為が見つかれば国会の国勢調査権では済まない。もう検察と裁判所の仕事だ。この人たちは国会議員のくせに、三権分立、立法府と司法の役割分担も分かっていないのか?

かくも不道徳で自らを律する意識に欠けた人たちが、「教育勅語」に書かれた徳目は正しいので、子どもに暗唱させるのは素晴らしいのだという。ここから分かることは、教育勅語にどんなに立派な徳目が書かれていようが、道徳教育の効果がほとんど認められない、ということだろう。

安倍は自分の名前を冠した名称を「知らなかった」「すぐに断った」はずが、フジTV系がすっぱ抜いた幼稚園側の内部映像では、たとえば2014年4月の段階でも園児たちが「安倍晋三記念小学校、よろしくお願いします」と園長に言わされる姿に、安倍昭恵氏が涙ぐんで喜ぶ姿が映っている。これでは夫が総理になったから昭恵氏に断わられたという森友学園側の説明にすら矛盾するはずだ。
首相は森友学園の籠池理事長とほとんど面識がないと言うが、籠池氏側は安倍首相が幼稚園を訪れていることも過去におおっぴらに言及…というか自慢しているし、昭恵氏が2014年12月に幼稚園でやった講演では、彼女がそう言っている。首相は妻や籠池氏が噓つきだというのか? 
噓をついてまで自分の名前を利用されたのなら、最低限でもとっくに絶縁・出入り禁止にしていなければおかしいし、ならば国会に呼び出し白黒をはっきりさせなければ、それこそ首相の名誉が問われる。

安倍夫人の昭恵氏によれば夫が「素晴らしい」と言っていた(首相は妻が噓つきだとでも言うのか?)教育方針の「教育勅語」の暗唱だが、その信奉者を見る限り道徳教育の効果がまったくなさそうであるだけでなく、政治的刷り込み以前の問題で、幼稚園児にやらせる、それも集団での暗唱を強要するなら、それだけでも発達心理学、児童心理学、精神医学の見地から、立派に虐待でしかない。

子どもの教育はその年齢年齢での発達段階に合わせて体系的にやらなければ無理が出て虐待になるなんてことは、西洋では18世紀には完璧に理論化されていることだ(アンリ・ルソーの『エーミール』)。

また別にそんな教育学や啓蒙思想の歴史を知らなくとも、まともな感覚さえあれば、よほどの天才児でもない限り擬古文調・擬漢文調の教育勅語を現代日本語で育っている幼児にいきなり強要するだけでも無理があると分かるだろう。

しかも塚本幼稚園では明治維新の「五個条御誓文」まで集団で暗唱させているという。 
国家という概念が意識されているとも言い難いどころか、江戸幕府があって明治維新のクーデタによる政権交替と体制変換があったという歴史理解や、150年前とか200年前という時間感覚すらまだ未発達な幼児に、文脈もなにも示さずに教え込むのもおかしい…というか無理があり過ぎる。

「神道に基づいた日本の伝統を教える」のなら、「古事記」のなかから「因幡の白兎」でも子ども向けに書き直し、集団で暗唱させたいのならこの話を基にした小学校唱歌の「大黒さま」の合唱ならまだ分かる。


大きなふくろを かたにかけ
大黒さまが 来かかると
ここにいなばの 白うさぎ
皮をむかれて あかはだか 
大黒さまは あわれがり
「きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれ」と
よくよくおしえて やりました 
大黒さまの いうとおり
きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれば
うさぎはもとの 白うさぎ 
大黒さまは たれだろう
おおくにぬしの みこととて
国をひらきて 世の人を
たすけなされた 神さまよ 
小学唱歌「大黒さま」作詞 石原和三郎 作曲 田村虎蔵


因幡の白兎と大国主命をめぐる物語では、意地悪な兄の神々が全身に怪我をした兎を騙して体中の傷に塩を塗り込ませ、それで激痛に泣き叫ぶ兎をやさしい大国主命が哀れんで、正しい治療法を教わった兎の傷はめでたく全快する。

このお話ならばまだ、子どもに道徳を理解させ教えることになるだろう。

ちなみに実際の「古事記」では、大国主命に救われた兎は突然カミ的な存在になり、大国主はそのお告げに従って妻を娶る、という展開になる。今では大国主命を祀る出雲大社が「縁結びの神さま」になっている由縁だ。 
まあここまでは、幼稚園児に教えることもあるまい。

この逸話のメッセージは「弱いものにやさしくしなさい」なのだろうが、しかしそれをただお題目として覚え込ませるだけなら、中身がどんなに正しいことだとしても、幼児相手には押しつけでしかない。

幼児にはその道徳がなぜ大切なことなのかの因果関係や因果応報、良い行いがどんな良い結果を産むのかをまず理解させなければ、それが「良い行いである」という説得力を持たないし、だからこそ物語の形式、童話というかたちが幼児教育では重要視されて来たのが、人類共通の普遍的な知恵ではないのか?

教育勅語に並んだ徳目は親孝行や勤勉など立派なことばかりじゃないか、と言い張るのはあまりに「教育」が理解を出来ていない時点で、そんな者たちがこと幼児教育に口を出すこと自体がすでに虐待の構図だ。

しかもその人々は、文章はまずその字面に書かれた内容を把握するという当たり前の読解能力も欠如しているし、いかに擬古文調ないし疑似漢文書き下し調の、現代人にはなじみのない文体で書かれているとはいえ、文法構造も理解できないらしい。

教育勅語のロジックは、単に列挙された徳目を、一人称の主語「朕」(つまり天皇)が守れと国民に命じているだけだ。「なぜ」そうすべきなのかの理由と来たら、まず日本が天照大神以来の長い歴史を通じて徳を樹立して来た国だったから云々と言っているに過ぎない。まずそれ自体が史実に反する上に、抽象的過ぎてそもそもなんのことか、国家どころか社会の認識すらまだまだ未成熟で抽象概念の理解も育っていない幼児には、分かるはずもない。

そもそも、教育勅語でただ列挙されただけの「十二の徳目」とやらは、ちっとも日本のオリジナルではない。


基本、儒教の引き写しで「論語」から理論・論理構成を無視してただ題目のスローガンだけを引き写し列挙した劣化ダイジェストでしかなく、十二番目に至っては「義」の解釈がおかしい。

「義」は普遍的な道徳概念、正義であって「国」を超越するものだ。むしろ国家の統治を担う側が「義」を体現しなければならない、とするのが儒教の論理なのが、教育勅語ではその逆に、「皇国イコール義」となっている。

使われている言語の点でも、教育勅語の擬漢文調の悪文を無理矢理覚え込ませるくらいなら、まだ本物の漢文で文学性や韻律の上では名文の「論語」を暗唱させた方が遥かにマシだろう(だとしても幼稚園児には無理で、どんなに英才教育でも小学生が限度、現代なら早くとも小学校高学年だろう)。

賛否や好悪はともかく、儒教がひとつの政治的思想の道徳体系として歴史的に大きな役割を果たしたことは否定しようがなく、また論理的にも破綻しないように構築されているからこそ、それが可能だった。

一方「教育勅語」はといえば、そもそも論理的な根拠に乏しく、たいした論旨展開もないにも関わらず、歴史的な儒教とその受容の伝統に反する上に、思いっきり論理的な欠陥も露呈している。

なにしろ儒教倫理を援用・列挙しながらその全体の論理構成が非儒教的というか、儒教のロジックのもっとも肝心な部分が欠落しているどころか、倒錯的に逆転しているのだ。

長幼の順や親孝行などの家庭内の私的レベルに始まって、忠義などの社会的レベルまで上下関係により人間社会の全体をヒエラルキーで理論化しているのが孔子の思想の基本だ。だからこそその権威・権力の最上位(ヒエラルキーの頂点)がどこに定義され、それが人間であるのなら、その行動がどう道徳的に規制され得るのか抜きには、儒教は政治思想としても哲学としても、成立もしなかっただろうし相手にもされなかっただろう。

上下関係を基本に社会を見た場合、そのなかでひとつの権威・権力が恒久的に上位にあるのなら、それが専横に走ることに歯止めがなくなるし、そんな権力体系のなかでは、逆に下位にあるものが上位に従う理由が恐怖か抑圧への隷属以外にはなくなってしまう。

むろん実際の政治に当てはめれば、これでは腐敗と政治体制の硬直・形骸化、ひいては独裁と没落の温床にしかならない。

孔子がそこで導入したのが「義」と「仁」を追及することの「徳」と「天命」、そして「易姓革命」の原理であり、ここにこそ儒教の本質があるとすら言える。

ただ「上にある者は偉いのだから従え」だけなら、孔子の思想は無能な独裁専制君主以外にはおよそ相手にされなかっただろうし、そんな王朝は早晩死に絶えたはずだし、実際に中華帝国の歴史では、一時は優れた政治で隆盛を極めた王朝であっても、やがて淘汰されては交替を繰り返して来た。

例えば前の王朝の臣下が忠節の義務を覆して新王朝を樹立することをどう正当化し得るのかといえば、最上位の権力・権威を皇帝が持ち得るのは自らの「徳」によって「天命」を受けるからであり、「徳」を失った瞬間にその権威は消失し、別の一族(姓)が天命を受け、「徳」を失った皇帝とその一族は新たな「天命」を受けた新王朝に淘汰されるのが「易姓革命」だ。この原理によって儒教は権力の淘汰と更新を理論化し、権力者にこそより厳しく道徳的な抑制を課すことで、辛亥革命までの数千年にわって中華帝国の統治理念として機能し続けた。

日本に儒教が伝わったのは「日本書紀」の記述によれば5世紀だ。

より後の6世紀に伝来した仏教の方は、排仏を唱えた敏達天皇が疫病で急死したことへの畏怖もあり(この辺りがいかにも日本的だ)、また尊仏派の蘇我系の皇子・厩戸王(聖徳太子)が四天王に祈願したところ物部氏との内乱に勝利したことが決定的になり、7世紀初頭にはすっかり定着していたことが明らかだ。それも当時の国家中心だった大和地方(奈良県)に残る、蘇我氏の氏寺だった飛鳥寺とその系譜を継ぐ奈良の元興寺や、聖徳太子ゆかりの法隆寺や、摂津の四天王寺だけではない。

元興寺極楽本坊金堂 外観は鎌倉時代
元興寺極楽本坊金堂 鎌倉時代の和様建築だが内陣の柱などは奈良時代
元興寺 金堂と禅堂の屋根瓦の一部は飛鳥寺のものだと言われる

全国各地でも長野の善光寺はもちろん、なんと東京の浅草寺も推古朝の時代に遡る。

そんな仏教の受容定着の早さに較べて、伝来はより遡る儒教はといえば、本格的に統治原理に導入されたのが確実だと言えるのは8世紀初頭まで待たなばならないだろう。天武天皇の命で編纂が始まった「古事記」がその妻の持統天皇の代に完成されたはずが、そのほんの数年後には「日本書紀」が新たに作られて正史となった経緯は、律令国家の完成期に儒教が本格導入されたことを示唆していると考えられる。

「日本書紀」は完全に儒教のロジックに則った歴史書であり、その編纂によって排除された「古事記」とは、世界観や善悪の概念がかなり異なっているのだ。

結果、「古事記」は永らく私的文書として省みられないか、カミ信仰の縁起としてのみ生き残った。 
今でも多くの神社の由来が「古事記」に基づいていること、つまり民俗信仰と深く結びついていることからも推測できるように、儒教的に論理化された「日本書紀」に較べて、「古事記」はより文化的な潜在意識というか、民族的な集合記憶に親和性が高い物語体系と価値観を表現しているとも言えるだろう。
それがいわば「神道」の起源であり、その論理は必ずしも儒教的なものではない。
というか儒教とはかけ離れている面こそ多々あるわけで、ヤマト王権に滅ぼされたり淘汰された出雲系の神々もいるし、その長の大国主命は儒教的な長幼の順に反して末っ子だ。後にカミとなった者も、朝廷に左遷された菅原道真を祀る天神信仰や、逆臣だった平将門が神田明神の祭神、金比羅信仰は廃位・流島に処せられ狂い死にした崇徳天皇が祭神、と言った具合だ。

だが儒教に併せて書き直された神話と古代史とみなせる「日本書紀」の、つまり律令国家の完成期のロジックでも、「易姓革命」だけは受け入れていない。

天皇の地位が「古事記」的世界観の、カミの子孫という神秘的な位置づけで維持されたままでは、その血統が「徳」を失えば淘汰されるという原理とは相容れないからだろう。

「易姓革命」がない儒教を統治理論とすることは一種のダブルスタンダードであり、また厩戸王(聖徳太子)の推古朝から律令期、奈良時代を経て平安時代の半ばまで、日本は対外的には中華帝国の朝貢国でありながら、国内的には土着の神話体系に基づく祭司王を「天皇」としたことにもダブルスタンダードが見られる。

逆に言えばだからこそ、カミを先祖とする天皇家が「徳」を失うことを許さないのが、このダブルスタンダードを破綻させないための日本の統治原理となった。

天皇が天皇だから偉いのではなく、天皇だからこそ「徳」を保ち続けなければならない。私欲ではなく民の幸福を願い臣下に耳を傾け、徹底して無私で、自らの利のための罪に手を染めるなぞもっての他となり、もし天皇が「徳」を失っても、淘汰されるのでなく自らが身を引かなければならないことにもなった。

中国の三国時代の歴史に基づく「三国志演義」は儒教的な世界観、政治観が凝縮された物語だが、とりわけ日本で人気がある劉備玄徳は、日本で受容されたその無私で仁愛にあふれたイメージがかなり「天皇的」だとも指摘できるだろうし、だからこそ三国の君主のなかでとくに人気があるとも思われる。 
実際の三国時代で最大の覇権国は曹操の魏だったし、オリジナルの中国では三国それぞれの君主の勇敢さや知略、政治力や「徳」がかなり平等に受容・評価されている。 
もちろんそれでも、諸葛孔明や関羽など、道教で神格化された臣下を持った劉備は、その意味ではやはり別格だが。

まず日本の律令制が完成したときには、中華帝国の統治制度の模倣でありながら、肝心の天皇には、権力が集中するようには必ずしもなっていなかった。

最高権力者として機能するよりは、権力の直接行使から一定の距離を置くように制度が作られていたのだ。権力闘争からある意味切り離された天皇であれば、権力闘争の主役・主導者とはなりにくいので自らの個人的野心から権力を行使しにくくなるので、その「徳」つまり道徳的な権威を維持するには、むしろ都合がいい。

現に7世紀後半の、天智天皇の没後であれば、壬申の乱でその天智帝の弟が兄の子を滅ぼして天武天皇となったように、まだ天皇家の内部で直接に殺し合っていたのが、8世紀の長屋王の変では天皇家それ自体が皇位継承をめぐって手を血で汚したわけではなく、長屋王を滅ぼしたのはあくまで臣下の立場の藤原氏だ。

つまり天皇が直接に、権力行使に伴う「悪」に手を染めることを避けることができ、天皇が自分の野心や権力欲で行動することもなければ、「無私の、有徳の権威」としての天皇の地位が守られるわけだ。

その藤原氏の娘を皇后とした聖武天皇は、即位の直後には首都を内政、外交、宗教という三つの機能に分けて三つの都を設けるといった自分なりの国家像を具現する野心もあったようだが、その計画が疫病や天災で頓挫すると、大仏造営を発願し、権力の行使よりは国とその国民の安寧を祈った天皇のイメージが強い。

東大寺大仏殿 度重なる戦火を経て江戸時代の再建

言い換えれば、「象徴天皇制」はなにも戦後憲法で出て来た新しい概念ではない。

むしろ日本という国家の原型ができあがったときにはすでに天皇は多分に象徴的な、世俗権力よりは神仏と連なる道徳権威を担う君主になっていたし、歴代天皇で「親政」を敷いたと言える例が数えるほどしかいないのを見ても分かるように、天皇は権力の行使や権力をめぐる闘争の主体とはならないことでこそ「徳」を保って来られたのだとも言えよう。

平安時代の大半で政治を主導したのは藤原摂関家だし、平安末期の社会とその経済構造の転換期にその律令的な官僚制が機能不全になると、退位した元天皇(上皇・法皇)が政治を主導したのも、絶対的な「徳」を維持しなければならない天皇位にあっては政治権力を左右することが難しかったからだったとも考えられる。

戦国時代に政治的に無力だった朝廷の 後奈良天皇宸筆の般若心経
先ごろ皇太子が誕生日会見で言及した

後醍醐天皇の建武の親政を最後に、天皇が自ら政治的野心を持つことは事実上の禁忌となり、国民になにかを命ずる存在というよりは、「徳」を保ち続けることで実態権力を握った政治的支配層の倫理的権威付けとなると同時に、その倫理的な歯止めとしても機能し、ふだんは学問や風流に専心し教養を高めることで自らの「徳」を保ち範を示す存在であり続けたのが、幕末の孝明天皇までの役割だった。

紫衣事件で徳川幕府と対立して退位した後水尾上皇の修学院離宮
普段の御座所である壽月観 洗練はされているが簡素な造り
皇位を退いた後水尾上皇は風流・趣味の世界に没入したとも言えるが
この離宮は一般庶民にもしばしば開放されていたという
修学院離宮には水田も広がり 農家が耕作に当たっている
奥に見えるのは上御茶屋・浴龍池を形成する堰 石垣は緑で覆われている
上御茶屋・浴龍池 実は山の中腹に水を堰き止めて造営された人造湖
後水尾上皇が具現化した詩歌と風流・文化の理想郷
上御茶屋の御座所 窮邃亭 風景こそが最大の贅沢とはいえ極めて簡素な造り

孝明天皇に関しては、過去に流布した俗説では尊王攘夷運動はこの天皇が西洋人嫌いだったからと言われがちだが、史実はかなり異なる。孝明帝はむしろ西洋列強の進出で幕府の権力基盤が流動化したことを憂慮し、国民のために平和が続くよう幕府や諸大名を戒め、政治の安定を求め続けたという方が正確だろう。

後水尾天皇の中宮 徳川秀忠の娘・徳川和子建立の鐘楼 京都 六地蔵

最初は以前からの決まりごとだからと鎖国政策の維持を求めた孝明天皇だが、それは非現実的だと一橋慶喜に説得されると納得し、妹の和宮を14代将軍家茂の妻とする公武合体に同意し、慶喜が15代将軍とって徳川家を中心としつつ外様の有力大名も加えた新体制の成立を模索したことにも協力を惜しまなかった。

だがその孝明天皇が急死し、少年だった明治天皇を味方につけて(「傀儡にした」という方が精確かもしれない)、その先帝の信頼が篤かった徳川慶喜の江戸幕府を倒したのが明治維新だ。

その政府が明治21年に天皇の名で出したのが「教育勅語」である。

すでに述べた通り、そこに列挙された(「皇国」の子どもが守るべきとされた)徳目は、最後のひとつを除いて儒教の引き写しだ。江戸時代でも朱子学は武家の公式学問だったので、一見歴史伝統を引き継いでいるように見えるが、基本的な一点で決定的な逆転があることに気づく。

江戸幕府が朱子学を学ぶように定めたのはあくまで武家相手、つまり支配階層に対してだ。

儒教的な論理が最初に直接日本史に登場するのは「日本書紀」に書かれた聖徳太子(厩戸王)の「十七条憲法」だが、これも官吏の服務心得であって、国民に向けて発せられた国家理念ではない(この辺りは現代では誤解が多い)。

聖徳太子の古代から(ただし「十七条憲法」は「日本書紀」の創作とみなす説もある)江戸時代の朱子学まで、儒教の倫理はまず支配階層相手のもの、統治する側が自らを律し範を示すものであって、統治者の側から一般人に課されたものでは必ずしもない。

だいたい、その道徳に従えば敬われることになる側が「これが道徳だから従え」というのでは自己撞着の手前勝手に過ぎるし、江戸時代に寺子屋で論語の素読が一般庶民レベルで普及しても、それは「聖賢の教え」だから将軍家が筆頭になって(範を示して)尊重したのであって、上位にある者が自らに従えと言いたいことの自己正当化で儒教の徳目の遵守を命じた(押し付けた)わけではない。

だが教育勅語は、こういう当たり前の論理にはまったくなっていないのだ。

まず「朕」つまり天皇自身が、2600年近く日本という国が存続したのは天皇家(つまり自分の一族)が君臨したからであり、そこで儒教引き写しの徳目を列挙した上で、国民がそれを守ることで天皇家が今後も維持され栄えることに貢献せよ、と結んでいる。

何重にも奇妙な話だ。

天皇とその一族に「徳」があるとしたら、その「徳」はその行いから自然ににじみ出るものでなければ「徳」とは言い難いはずが、逆に自分たちが栄えるために国民は道徳を守れ、と命じていることになっているのが、教育勅語の転倒した論理だ。

これでは「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」とも喩えられたような日本的な「徳」からはほど遠い。あまりに厚かましくて「徳」どころではなく、「あさましい」し、あまりに「はしたない」。

明治政府が公式に信じていたことにしていた通り、天皇家が2600年間(記紀の記述を単純計算で加算すると、初期の天皇が極端に長寿なのでこうなる)日本の単独王朝として維持されているとしても、それは歴史上の然るべき、複雑にからみあった理由が積み重なっているからであって、天皇がいたから日本が2600年続いたというのではまるでカルト信仰だし、ましてこれだけ続いたのだから天皇の系譜には(自動的に?)徳があると言うのでは、話がアベコベの論理倒錯だ。

今の政界でこれもひどく揉めていて、これまた自民党の特に右派にとってはおもしろくないらしい「天皇の生前退位」問題にしても、明治維新の以前には天皇は退位できるのが当たり前だった。
ほとんどの場合、その理由は「徳がなくなった」、つまり自らが天皇の位にふさわしい「有徳の君主」であり続ける自信がなくなったから位を譲ったとされている。 
だいたい謙譲の美徳も確か教育勅語に入っていたはずだが、なのに命じている天皇が「自分には生まれからして絶対的で不滅な徳がある」とふんぞり返っているのなら、なんとも謙虚さに欠けた増長慢・傲慢でしかないだろう。

そもそも徳目を尊重することで自らを高められるから道徳、モラルというのであって、上位にあるものが「これを守れ」というのはただのルール、命令で、従ったところでその本人の「徳」とはなんの関係もない。

「徳」とはあくまで自らの内から発するものだからこそ他者からの尊敬に値するわけで、命令に従うだけならその本人の人格の良し悪しにはなんの関係もなく誰でもできること、本来「徳」とは無縁の話だ。

まただからこそ、儒教は本来なら封建的社会構造においてまず統治する側に課せられた倫理規範だったわけでもある。従うだけの統治される側が「徳」を持つことは、そもそも原理的に不要だった。

江戸時代には朱子学の倫理観から不貞は「不義密通」として処罰対象だったが、これは武家および一部の格式を与えられた豪商には適用された罪だったが、一般庶民は自由恋愛を楽しんでいた。 
夫に愛想を尽かした妻から切り出した離婚の成立も、考えようによっては現代よりも通り易かったとさえ言える。

近代の意識変革で、明治政府が個々の国民が「徳」を高めれば結果として社会全体がうまく行くはずだと考え、それを国民に提案したのならまだ分かる。

だが教育勅語では十二番目の徳目つまりは最重要の結論の位置づけで、天皇の国家をなぜか「義」として論理を歪め、そのためにいざというときは死ぬことを「徳」とみなしている。天皇が自分とその一族のために死ねというだけでもおよそ「有徳の君」とは言い難い厚かましさであり、「義」の概念を自分の一族が繁栄することと掏り替えているのは公私混同も甚だしい。「有徳の者」となることを命じられた国民の側にしても(そもそも命令するものではない)、普遍的な社会的正義(「義」)ではなく天皇自身の私的な一族のために、それも死んでしまうのでは、なんのインセンティヴもなければ本来の「義」つまり社会正義にも貢献できないわけで、ますます持ってえらく厚かましい公私混同、天皇家による国民の私物化でしかなく、「徳」のかけらもない。

歴史的な天皇制の(それ自体人間的には不可能に近い)原理は、天皇が完全に「私」を棄てて「公」の存在になることを要求するものだったと言えるが、明治の新体制のなかで教育勅語はこれを逆転させて、国とその民の「公」を天皇とその一族の「私」にスリ替える公私混同に基づいている。これでは、それが国民に道徳的な範を垂れる天皇の言うことか、という話にしかなるまい(もちろん一人称が「朕」つまり天皇であるのは、単に天皇がそう「言わされている」だけだろうが)。

まっとうな信仰や宗教といわゆるカルトをどう見分けるのかにはいろいろな価値基準があり得るが、まず不合理があからさまで論理的に破綻しているもの、そして教組なりなんなりの教団トップが自らを神と同一視して、その身勝手を神格化によって野放しが許されてしまう、崇拝される側の人間に一方的に都合が良いものを、危険なカルトとみなすことには、まず異論はないだろう。

だとしたら「朕」つまり天皇の一人称で国民に命じる形で書かれた教育勅語のロジックは、カルトそのものだ。

だいたい「自分のために死ね」というのを道徳として言って来る側こそえらく不道徳ではないか、としかならないわけだが、それ以外の(儒教模倣の)11の徳目にしても、個々に文句をつけるほどのものでもない一方で、およそ絶対的なものでもないのも分かり切ったことだ。

親孝行が道徳だからと言ってDV虐待親だったり反社会的な犯罪者だったりしたら「親に従え」もその限りではないし、夫婦和合でもそれが夫唱婦随を前提とするなら、夫の側が自制心(つまりは徳)を持っていて始めて成立するものだろうし、どちらも逆にうまく行っている家庭ではわざわざ言うほどのことでもない。

だいたい、いくら親孝行が道徳と言ったところで、親が子、特に父親が子らに親孝行を直接に要求するのは控えめに言ってもあまりに手前勝手ということになろうし、一方では子が親を、とりわけ男子が父親をなんらかの形で超えることは、少なくとも父権優位の社会では成長の過程で避けられないと同時に、それがなければ社会の進歩もない。

儒教の孔子のロジックに立ち返れば、孝養の義務は子にある一方で、より大きな社会的な大義や天命があれば、横暴な父が子に排除されることもあり得るはずだ。

ちなみに今では戦国武将といえば織田信長や豊臣秀吉が圧倒的な人気を持っているが、かつてもっとも尊敬され崇拝された戦国大名は軍神・武田信玄だ。 
その武田晴信(信玄は出家後の名)は父・信虎をクーデタで排除した「親不孝もの」でもある。さらにちなみに言えば、信虎が亡くなったのは信玄の死の翌年だ。 
親より先に死ぬのも、まあ親不孝そのものだろう。

教育勅語に列挙された徳目それ自体にしても、「日本人として当然」でもなければ、決してそんな絶対的なものでも、反論の余地がないものでもないのだ。

道徳的な項目というのは自ずから限界があるか、普遍的な倫理規範であってもそれを解釈する個々の人間の側の限界の壁が常に立ちはだかる。だから儒教ですら「易姓革命」のロジックを組み込んで道徳の絶対的な金科玉条化は避けているし、それでもおよそ普遍性のある思想とは言い難いのが率直なところだ。

たとえば仏教のようなより普遍的な思想体系は、より成熟した哲学体系にこそ裏打ちされている。歴史的に生き残っている思想や宗教の体系は、基本論理や基本的な倫理は絶対的かつ普遍的であるとしても、現実への援用は常に相対的で解釈の幅を持つと同時に、その人間による解釈はどれひとつ絶対的にならないように出来上がっているのだ。

ではそういったさじ加減(釈迦によれば中庸の道、中道)を見極める知恵はどこから得られるのかと言えば、その規範こそが倫理道徳の本質であり、近代科学以前には哲学と宗教が担って来た領域だ。だからこそ倫理・道徳的なメッセージは古代の神話以来、常に物語や説話にこそ託されて来たのでもあって、倫理道徳を説く説話構造の物語というのは、なにも子ども相手に限ったことでもない。

本当に子ども達に道徳を教え込みたい、現代の教育には道徳観が欠如していると危機感を抱くのなら、幼児には幼児に分かるレベルの物語(それこそ「因幡の白兎」だっていい)を教えた方がいいし、もっと言えば自分達が教わった道徳が現実の世界で有用であることを大人が範を示すことで理解させなければ、どんなに立派な「道徳ルール」を連ねようが、子どもだましにしかならない…というよりも、子どもこそ騙されないだろう。

いやこの森友学園をめぐるスキャンダルを見ていると、教育勅語だの五個条御誓文だの、あるいは「十七条憲法」よりも遥かに簡単に子どもが覚えられる日本的なモラルがあったことを思い出さずにはいられない。

「噓つきは泥棒のはじまり」

この極めて単純な道徳が、日本では危機に瀕しているどころか、完全に崩壊してしまっている。

12/17/2016

「北方領土」「日露平和条約」の同床異夢(にすらなっていない)


承前 (12/14/2016 北方領土は帰って来るのか 
        12/16/2016  山口県へのプーチン訪問と沖縄でのオスプレイ墜落の皮肉な偶然

いったいなにがなんだったのかよく分からないが、安倍さんがどんなに「個人的な信頼」を強みにしたつもりだろうが、経済援助つまりロシアに金をバラまくのと引き換えに北方領土が返って来ることはどうもないらしい、というのがこの度のプーチン露大統領訪日の顛末のように、なんとなくは思われている。

今年の5月から安倍が言い始め、9月には「手応えを感じ」たはずの「新しいアプローチ」とはなんだったのかの正体もよく分からないが、それでも中には、今度は「特別な制度」という言葉が飛び出したことに、安倍さんがなにか凄いことをやってのける実行力があるように期待した人もいるのかも知れない…のだが、その「特別な制度」がなんなのかも、なぜそれが必要なのかもよく分からないままでは、なんとなく「安倍さん凄い」と思う国民がいることに、安倍政権は一縷の期待をかけているのかも知れない。

二日目の東京での首脳会談のあとの日露共同記者会見でも、北海道新聞の質問に安倍はまともに答えず話をそらし、「特別な制度」がなんなのかはさっぱり分からなかったし、「旧島民の高齢化が進んでいる」ので「人道的な見地」を今回の交渉の大義名分に掲げているはずが、いつ頃までに実現できるのかの目処どころか、「私の任期中にぜひ」という程度の決意や目標くらいあっていいはずが、ただ逃げて誤摩化しただけだった。

夜のTVニュースにわざわざ生出演しても「前例がないから説明が難しい」と言い逃れをしただけだ。もちろんそんな「前例」があろうはずもない。そもそもそんな「制度」自体が、あり得ない話だからだ。

すでに前夜の山口県長門市での首脳会談後に、安倍が「特別な制度」を自慢げに発表したのとほぼ同時に、ロシア側では「ロシアの法律に基づく」と大統領補佐官が発表している。即座に両者のズレが鮮明化していたにも関わらず、二日目・東京での首脳会談でも、この認識の違いの擦り合わせは行われなかったようだ。

いやそもそも日本の世論では、この北方四島での経済活動や旧島民の訪問について、なにやらロシア側の問題で四島への日本人の立ち入りを禁じているから、「特別な制度」や交流拡大の交渉が必要なのだと思い込まれているが、これは大きな誤解だ。

ソ連時代ならともかく、今でも旧島民を含む日本人が北方四島に行くことも、日本企業が経済活動を行うことも、禁じているのは日本政府だ。ただ罰則は特にないし、罰することが出来る法的な根拠がない。国への忠誠、愛国心、政府に逆うなというような曖昧な理由だけだ。

日本政府が一方的な理屈で、ロシアの国内法に基づき日本国籍者がロシアのビザを受けて北方四島に行くことは、理屈の上ではロシアの施政権を認めることになるから行ってはいけない、としているだけなのだ。

確かにパスポートには、それが正式には他国政府に自国民の法的な保護を求める文書であることが明記されているから、日本人がその日本パスポートでビザの発給を受け北方四島に行けば、ロシアの法的管轄権を認めてその保護を求める格好になる。

もっとも、領土紛争がある土地について、公職にある者ならまだしも、このような理由で自国民の渡航・入域を認めない、という例を、他に聞いたことがない。

国境線の変更で元々自国だった土地が他国のものになったり元に戻ったり、というのは世界史上どこにでもある話だが、たとえば普仏戦争でドイツ領になったアルザス=ロレーヌ地方のフランス人は、第一次大戦まではドイツの支配下でそこに住み続けたし、ヴェルサイユ講和条約でこの二地方が再びフランス領になれば、今度はそこでの生活を保護する法はフランス国内法、警察権を持ち住民を保護し治安を維持する役割を担うのはフランスの官憲となった。「ドイツ領と認めないからフランス人はそこに住んではいけない」などとフランス政府は言わなかったし、そこにフランス人がいなくなればフランス政府は戦勝によりアルザスとロレーヌの返還をドイツに求める根拠を失っていただろう。

ナチス・ドイツの時代になりヒトラーがヨーロッパ各地に領土を拡張したのも、第二次大戦の勃発以前のその正当化のロジックは、「ドイツ人が住み続けているからドイツの土地だ」だった。

北方領土には1948年以降日本人はまったくいない。だから旧島民がより自由に行けるようにして、企業の経済活動で足場をつくる、そのための「特別な制度」という安倍のロジックは一見もっともらしく聴こえるが、これは二つの点で荒唐無稽だ。

まず第一に、当たり前の感情論として、将来的に日本領にするためにまず旧島民の日本人と今の島民のロシア人の交流を深め、旧島民がより自由に渡航できるようにして、日本企業の経済活動をやれば、ロシア人も日本の支配を受け入れてくれるはずだ、なんてことがあろうはずもない。

いったいどこの国に、「これからお宅の領土を乗っ取ります」とやってくる外国人や外国企業を歓迎して理解し、「だから仲良くしましょう」と真に受けて交流を深める国民なんてものがいるのだろうか?

「いずれ日本領にするために日本から来ました」などと言われては、ロシア人住民が旧島民ですら受け入れるわけもなく、一部にある旧島民への同情論や、ロシア人全般にある親日本感情なぞ一瞬にして消し飛ぶし、日本企業がそんな前提で進出すれば激しいボイコットが起こって当然だ。

これは日本外交がしばしば失敗する大きな原因で、安倍政権の場合は特に顕著なのだが、他国民、他国政府のいわば他人様の立場からは物事がどう見えるか、想像力どころか当然の論理的帰結すら考えられない日本側の独りよがりが、外交で通用するわけがない。

第二に、安倍が「前例のない」というのも当たり前で、そんな「特別な制度」は法の支配の基本論理にまったく矛盾し、そもそもあり得ないのだ。

安倍は主権、施政権といった国家の権利を為政者が気ままに権力を行使することだと勘違いしているようだが、主権、施政権というのはその土地の治安を守り住民の生命財産と生活を保護する責任を意味する。安倍のいう「日本の法的な立場」がいかなるものだろうが、その土地での法的な保護が担保されないところで生活をしようとするのは狂気の沙汰だし、ロシアの法に基づく保護のないところでの経済活動とは、つまりは日本企業がロシア人住民による略奪に遭おうとも文句が言えない、ということにすらなる。

安倍が時期的な目処を言わなかったのも当然だ。どう逆立ちしようがそんな「特別な制度」なぞあり得ない、「制度」というのならその制度を施行し運用に責任を持つのは誰なのか、それが保証されない「制度」は「制度」ではない。

「特別な制度」をどちらが言い出したのか不明だが、ロシアが提案したのならそれはあくまでロシア政府が運用の責任を負う経済特区とかそういうものでしかあり得ないし、ロシアが最大限妥協しても共同統治で、これとて双方が主権を認め合う、つまり日本もロシアの主権を一定部分で認める、ということにしかならない。

首脳のみの単独会談で安倍が言い出したことならば、プーチンは「なにを馬鹿なことを言っているのだ」と呆れつつ、安倍の言うことも考えてみるとその場で話を合わせただけだろう。そもそも安倍があり得ないことを言っているわけで理解する義理すらないのだし、今回の会談については、表面的だけでも話がまとまったように見せかけることがプーチンの戦略の一つでもあり、だから「特別な制度」とはロシアの法制下での新たな制度的枠組みの話だと誤解した風を装い続けつつ、誤解を解こうとはしなかっただけだろう。

それにしても今回の日露首脳会談や北方領土の問題を巡っては、こうした基本的な前提も含めて、あまりにも日本側の(政府が分かっていないはずはなく、分かっていながら世論操作で国民を騙している)誤解が多い。

今回の首脳間交渉の結果を「ロシアの食い逃げ」と酷評するのも誤解で、これは5月以降他ならぬ安倍政権自身がさんざんそのような誤解を振りまいて来たのに、日本での首脳会談が終わったとたんに「誤解だ」と安倍自身が言い出している。

日本が提案し、今後は約束するのは決して経済援助ではなく、安倍政権が発展途上国相手に繰り返して来たバラ撒き懐柔外交とは違う。あくまで相互の経済協力であり、ロシアは日本の企業などの経済活動にロシア領内での便宜をはかり、日本は日本企業によるロシア東部(シベリアやサハリンつまり旧樺太)への投資や進出を後押しする、というのが基本だ。

「協力」つまり日本企業にとってのビジネス・チャンスを日露双方で整備し、便宜を図ることであり、「食い逃げ」批判は当たらないし、儲けのチャンスがなければ日本企業は進出しないし、ロシア側からみればことシベリアなどロシア東部には、豊富な地下資源など、日本企業にとっての十分なメリットがあるはずだ。

現に安倍政権が提案している具体的な経済協力プロジェクトには、日本企業がすでに独自に立案して進めている事業も多数含まれている。 
領土問題を動かしたいからといってこんな見え透いた欺瞞の恩着せがましさは、相手国の不信を買いかねないのだが。

ソ連崩壊後の混乱期なら経済援助もロシアは確かに必要としていたが、時代が違う。

ウクライナ情勢やクリミア併合の経済制裁は大きなダメージではあっても、大統領がわざわざ援助をせびるか懇願しに来日するほど、今のロシアは落ちぶれていない。

いや今さら安倍が「誤解だ」と言ったところで、同じ誤解に基づいていたのが、安倍が今年の5月から「新しいアプローチ」で北方領土交渉を始めたきっかけ、最初の動機だったし、今に至るまで安倍自身が同じ誤解を引きずって、ロシア側の狙いを完全に読み違えているではないか。

プーチンが狙っているのは、現在の経済的な苦境の最大の、というかロシアからみればほとんど唯一の原因であるG7を中心とした対ロシア経済制裁を崩壊させるか、少なくとも日本を籠絡して対日本に関してはその制裁を事実上無効化することだ。

それが分かっているから日本でも外務省は他のG7諸国、とくにアメリカとの関係を理由に当初から安倍のこの計画に納得しておらず、だから安倍はこと夏の参院選以降は外務省を事実上蚊帳の外におき、世耕経済産業大臣にロシア担当大臣を兼任させ、経産省ペースでこの話を進めて来た。

その結果にっちもさっちも行かなくなったのも、世耕氏にも安倍に近い経産省官僚たちにも(たとえば経産省から出向している今井首席秘書官)、そして安倍首相自身にも、そもそも現在の世界情勢だけでなく、国際法や国際常識どころか、国家とその法の基本的役割についてさえ、基礎的な理解が欠如していたことが原因だと断じざるを得ない。

安倍首相も世耕大臣も経産省も、そもそもプーチンがこの話に乗って来た動機をまったく誤解して「北方領土を取り返して人気回復できる」と思い込んでこの計画に前のめりの極致で迷走を続け、プーチンは安倍の勘違いを百も承知で利用して来たのが、5月以降の日露交渉の全体構図だ。

ではそのプーチンの狙いはなんだったのか?

まずウクライナの内戦に肩入れして以降、G7が主導する欧米、つまりEU諸国とアメリカ、いわばロシアから見れば旧西側諸国との対立関係が深まっている国際的な孤立の打破だ。

今年のG7議長国である日本が自ら擦り寄って来たのだから、こんなにおいしい話はない。

いや「国際的な孤立」というのも、あまり正確ではない。

プーチンのロシアは一方で、かつての先進国であるアメリカやヨーロッパ以外の国々との関係は必ずしも悪くない。たとえば歴史的な怨恨もあったトルコとすら、今もシリア内戦ではアサド政権を支持するロシアに対しトルコがトルコ系住民の反政府勢力を支援していたり、昨年には撃墜事件で一時は対決しそうになったことすらうまく水に流して、連携を深めている。ソ連時代には戦争にまでなった中国との領土紛争も解決した。

またロシア国内では今も後進地域である東部、シベリアやサハリンは、一方で地下資源も豊富で有望なフロンティアでもあり、プーチン政権はこの地域の開発を大きな政策方針、成長戦略としている。そこに日本と中国の資本や技術が導入できることは大きなメリットだ。

だいたい今さらヨーロッパやアメリカとの経済関係にプーチンはさほど期待していないし、はっきり敵視しているのはアメリカと、EUの盟主となったドイツだ。

ちなみにEUのなかでの対ロ強硬派は先頃離脱が決まったイギリスなどで、ドイツのメルケル首相は当初から、人道主義と民主主義の基本理念で妥協はしないものの、話し合いと説得を重視して来た。 
だがそれでも、女だから気に入らないとでも言うのか、ドイツのEU内での覇権を警戒しているのか、プーチンのメルケルへの敵意は相当なものだ。



これにはロシア国民の歴史的な怨恨も無関係ではない。ドイツはなんといっても、第二次大戦でソ連(ロシア)を侵略し、2000万人ものロシア人を殺した国だし(そしてプーチンはその最大の被害を出したレニングラードの出身だ)、東西の和解と相互の尊重による世界平和を信念として冷戦を終わらせた最後のソ連書記長、ミハイル・ゴルバチョフですら、冷戦後にロシアはアメリカに一方的に敵視・差別され、裏切られ続けて来たと考えている(これは必ずしも偏向した、誤った歴史観ではない)。

今のロシアは、ヨーロッパがあまり好きではないし、アメリカには敵視されていると考えているし、プーチン政権が中国との連携を強めるなどアジアに重点を置きつつあることには、ロシアという国と民族自体がヨーロッパであると同時にアジアでもあり続けて来た歴史的なアイデンティティが深く関わっている。

帝政ロシアはこと実はドイツ人だったエカテリーナ女帝以降、目に見えてヨーロッパ化し、そのロマノフ朝を倒した旧ソ連もヨーロッパ起源のイデオロギーに基づく国家で、結局はロシア庶民を苦しめて崩壊したのが、18世紀以降のロシアの歴史だ。


アレクサンドル・ソクーロフ監督『エルミタージュ幻想』2002年

その過程では先述の独ソ戦の惨禍だけでなく、19世紀初頭のナポレオンの侵略もあった。帝政ロシアはナポレオンを撃退したことを誇りとしつつ、風俗や宮殿建築や文化ではそのナポレオンのフランスを模倣したのだから矛盾した話だが、ロシア革命の時代となると、皇帝一族や多くの貴族はフランス語を日常語としていて、ロシア語ができなかった者すら少なくなかったと言われる。

プーチンの標榜する新しいロシア・ナショナリズムは、そうしたヨーロッパ化した過去の支配層・エリート層に一派庶民層が培って来た歴史的な反発も背景に、アジア的なものにシフトする傾向を内包しているし、それはシベリア開発や中国、そして将来的には日本との連携を志向するものでもある。

こうした直接的な実利・国益の一方で、もうひとつプーチンが対日交渉ではっきり目標としている理念がある。これは本人もはっきり、正直に繰り返している通りだが、戦後71年間棚上げになったままの日露平和条約の締結だ。

ここがまた、日露間のボタンの掛け違いというか、安倍側の大きな誤解になっている。

北方領土にこだわる日本側からみると、1956年の日ソ共同宣言も「平和条約締結後に歯舞・色丹が返還される約束」という理解に偏りすぎて、平和条約イコール領土返還だと思い込みがちだが、ロシアが、特にプーチンが求めているのは、平和条約そのものなのだ。

平和条約はぜひとも結びたい、だがそれには色丹と歯舞の返還の約束が伴う。このジレンマをどう切り抜けるのかがプーチンの悩みどころで、そこを考え抜いて来ている点では、平和条約を領土返還の手段くらいにしか考えていない日本はとてもではないが太刀打ちができないのも当然だ。

また平和条約の締結こそが日露交渉の最大のテーマであることに気づいていない時点で、日本側が常にちぐはぐに陥り話が噛み合ない失敗を繰り返して来て、それがロシアの不信を買い続けているのも当然ではある。

プーチンが言っている「信頼関係が必要」とは、そういうことだ。

そんなことすら日本側にはまったく理解されていないこととなると、さすがのプーチンでもどこまで理解できているのかは怪しい。なぜ日本側がこんな当たり前のことすら思い当たらず、人口3000人程度の小さな、こういっては悪いが「僻地」の島が最優先されているのか、客観的には相当に理解不能な感情論へのこだわりでもある。

プーチンの言うように経済協力が信頼関係において不可欠だと考えるのは、別に「金よこせ」ではない。

日露の経済関係が密接になればなるほど、日本としてもロシアとの友好関係が日本企業が儲け続けるためには不可欠になり、結果たとえば安全保障リスクも下がる、という冷静な現実主義に基づく考えであり、平和条約もまたそのためにもぜひ締結したいのだ。

平和条約の締結こそが重要なのにはもう一点、防衛政策の問題があるし、今回の共同記者会見でロシア側の記者の質問に答える形で、プーチンは安倍の目の前で臆面もなくそれを滔々と述べた。

その発言の過激さの意味に安倍が気づかず、反論すらしなかったのは日本側の利害を考えると相当に不可解だ。

その日本からみればあまりにもの過激さに、テレビ中継の日本語同時通訳も大混乱に陥っていたが、だからといって要所要所で出て来た単語だけでも、それでも安倍がさっぱり理解できなかったとしたら、この人の外交センスの欠如は呆れるばかりだ。

プーチンは日露の平和条約締結問題と領土問題の歴史を説明するなかで、はっきりとアメリカを名指しで非難した上で、今後の平和条約締結に向けての信頼関係の醸成で最大の障害になるのが日米関係だ、とまで明言したのだ。

日本の日米安保条約に基づく義務は理解し尊重するとは言いつつも、その枠内でどれだけロシアの安全保障に日本が協力する気があるのかが問われる、とも問題提起をしている。

すでに初日の晩の首脳会談で、ウクライナ問題と経済制裁以降中断している日露のいわゆる2プラス2会議、つまり双方の防衛担当相と外務大臣が定期的に会合する安全保障連絡会議の復活を提案したことからも、今回のプーチンの最大の狙いが日米関係にくさびを打ち込むことであるのははっきりしていた。

日本のメディアの分析がいずれもここを見落としているのもおかしな話だが、共同会見でプーチンはこのポイントを激しくだめ押ししている。

北方領土問題の歴史についても、プーチンのアメリカ批判は激烈だった。日ソ共同宣言とそれに基づく平和条約締結交渉を、冷戦下にアメリカ政府が妨害したと明言したのだ(言い換えれば、そのアメリカの言いなりになる過去の日本政府は信頼されなかった、という意味でもある)。平和条約締結で色丹歯舞のみの返還で納得するのなら、アメリカは永久に沖縄を返還しない、と鳩山一郎政権に裏で圧力をかけたいわゆる「ダレスの恫喝」にも言及した。

また実際、56年の共同宣言から本格化するはずだった日ソ平和条約の構想は、最終的に1960年の日米安保条約の改訂で完全に頓挫しているし、領土問題でも四島一括を日本が国是としたのはこの時からで、だから共同宣言でも色丹と歯舞の返還にしか言及がないのだ。 
この辺りでも現在の日本国内の理解は史実に反しているし、政府が国民を騙してきたプロパガンダだったという誹りは逃れ得ない。

その上で、アメリカの敵意とその軍事覇権にロシアが防衛上は対抗せざるを得ない以上、択捉島・国後島はロシア艦隊の西太平洋への出口を確保するために手放せないこと、色丹島も日米安保に基づきそこに米軍基地が作られるようなことが絶対にないと日本が約束しない限りは返還は難しいとも明言した。

日米安保があるなかで日本はどうロシアが信頼できる国になるつもりなのか、と記者団とテレビ生中継の前で安倍に迫ったに等しい。

こうした論点は95分あったという首脳どうしの単独会談(通訳のみ同席)で出て来たはずだし、そもそもプーチンから見れば当たり前の前提で、安倍がなにも考慮していなかったとしたらそれだけでも「信頼関係」とはほど遠いことになる。

ペルーのリマでの前回の日露首脳会談や、訪日直前に読売新聞と日本テレビの合同インタビューでの発言、さらに同内容のビデオ・メッセージをロシア大統領府のウェブサイトに掲載するなど、ほとんどけんもほろろなまでに極めて厳しく安倍を恫喝するに等しかった態度からすると、プーチンは大遅刻こそしたとはいえいざ日本に来たとたんに、とても愛想がよくなった。日本や長門市へのリップサービスを繰り返し、安倍にも親しみを込めた態度だったのは、すべてこうした思惑から来るプーチンの演出だったと考えるべきだろう。

記者団の前で、日露両国のテレビで生中継され、当然アメリカ国務省やEU諸国の外交担当部局でもウォッチしている共同会見で、以上を滔々と述べたことからも、プーチンの今回の訪日の目的は、日米同盟にくさびを打ち込み、はっきりとアメリカを牽制することだった。

そこに日本がどれだけ乗って来るかまでは、さすがのプーチンにも読めていないだろう。その意味ではこれは大きな賭けの大芝居ではあった。

とはいえ安倍が理解して話に乗って来るならしめたものだし、これまで十数回も日露首脳会談を重ねて来た経験則からして、安倍が自分に向かって真っ向から反論なぞしない(そんな度胸がない)ことまでは読んでいたに違いないし、共同会見でも反論も制止もなく安倍が愛想笑いに終始するしかなかった(というか頭が真っ白になっている、という表情にもなっていた)だけでも、アメリカが日本に不信を抱くことは確実だ。恐らくはそこまで、プーチンは計算している。

そんなしたたかなプーチン相手に、北方領土の旧島民の手紙を読ませたり、会見でもその旧島民の複雑な思いを安易な感情論に言い換えてご都合主義に利用した安倍が、いかに見当違いの勘違いで場違いなことをやっていたか、結果として他ならぬその旧島民を自らの外交手腕の欠如、稚拙さ、自己保身で裏切ったことの無能の罪、身勝手の罪は大きい。

だいたい旧島民の故郷への思いなら、日本が北方四島の主権に形式的にこだわるあまり、渡航を禁じたり難しくして来たのは日本政府なのだ。単に墓参がしたい、故郷の島に泊まりたいだけならロシアがビザ発効要件を緩和して旧島民に優先的な配慮をすればいいだけだし、日本がアメリカの意向なぞ二の次に、平和条約を早く締結しておけばよかった。「ダレスの恫喝」のようなことがあっても、それを国際社会相手に公表してアメリカを非難していれば、解決ないし無効化できた。

択捉・国後はポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約で日本が領有を放棄した南千島(ロシア語では南クリル)列島の一部というのもプーチンが共同会見で明言したことだが、ソ連(ロシア)の公的な認識(ゆえに返還の対象ではなく、領土問題にならない)であるだけでなく、そもそも56年の共同宣言以前には日本側でもこの認識を共有していて、だから二島の返還しか求めていなかったのだ。

それが今では四島返還に凝り固まっているのは、「ダレスの恫喝」などを受けた対米配慮というか対米従属の方針転換で、それがあたかも日本の国是のように国民も騙して来た結果、収拾がつかなくなっているのが現状ではある。客観的にはアメリカの妨害が日露友好を阻んでいる(つまりは日本政府の二枚舌外交と対米追従が諸悪の根源)と言う指摘には、反論が難しい。

それにしても安倍はどうするつもりなのだろう?

今回の一連の事態で、アメリカは明らかに不信感を抱いているはずだ。今月末には、安倍はこんどはパールハーバーを訪問し、オバマとの日米首脳会談を控えている。

ここでも曖昧な愛想笑いで二枚舌を誤摩化し、報道に圧力をかけて国内向けに体面を取り繕うだけなのだろうか?

いや安倍は、オバマはどうせもう辞める、これからはトランプのアメリカなのだから、とタカをくくっているようにも見える。夜のニュースに生出演した際に対米関係を問われてはぐらかしたときも妙に余裕があり、そうしたニュアンスが垣間見えた。

だがトランプが選挙戦中にプーチンを偉大な指導者と持ち上げた言葉尻だけをとって、トランプとプーチンで米ロ蜜月が始まるかのように思い込んでいる安倍も日本のメディアも、あまりに考えが甘い。

トランプがプーチンを持ち上げたのは、オバマやクリントン夫妻をこき下ろす比較対象として都合が良かったからに過ぎない。

しかもトランプは人道主義や国際平和よりも自国の利益を最優先しロシアの強さを誇示するプーチンのやり方を褒めて「自分も同じやり方でアメリカ・ファーストを守る」と言ったのであって、アメリカもロシアも自国第一主義を掲げる指導者になるのなら、むしろこの両国が今後対立を深める可能性も十分にある。

プーチンは今回の訪日でターゲット、いわば「戦う相手」を日本ではなくアメリカに設定していて、だから日本との領土問題をあいまいに済ませ安倍への配慮まで見せたのも、オバマのアメリカ以上にトランプのアメリカを見据えた戦略だと考えておいた方が、「希望外交」の大きな勘違いでのちのちひどく後悔することがなくて済むだけ賢明だ。

だいたい、11月のペルーでのAPEC会合の際の首脳会談以降、プーチンが一時極めて厳しい態度を見せていたのも、別にトランプが次期米大統領に決まって米ロ関係の好転が見込まれるからなどではない。安倍がリマでけんもほろろの扱いを受けて記者団相手に半ばパニック状態で弱音を吐く状況にまで陥った原因は、その直前に安倍がNYに寄ってトランプに媚を売っていたから、その姑息な二枚舌の土下座媚び売り外交を「信頼に値しない」とやられただけである。

安倍の自称「地球儀を俯瞰する外交」では、トランプのアメリカになればプーチンとトランプが蜜月になり、そこに日本が取り入ることで「対中包囲網」ができるとでも考えているのかもしれない。だがかくも地球儀を俯瞰できていない、世界情勢がまったく理解できていない勘違いもない。

ロシアは既に述べた通り、そもそもアメリカをまったく信用していないし、歴史的にも信用できない。中国との関係も重視しているプーチンが狙っているのは、西太平洋・東アジアでのアメリカの覇権を低下させることで、その点では中国とも利害が一致している。

シリアやウクライナの情勢からすれば、日本がロシアべったりになることは国としての信義に反するのも確かだし、ことシリア問題でプーチンに擦り寄れば、日本にとって極めて重要な中近東・アラブ諸国の信頼を決定的に失うことにもつながる(ちなみに今回の首脳会談では、ロシア側は「シリアとウクライナについて両国首脳の見解が一致した」との主旨を一方的に報道させているが、日本側はこれもまったく否定できていない)。

だからプーチンの誘惑においそれと乗ることにはまったく賛成はできないが、しかし対アメリカについては、プーチンが提起して来たことを日本は真剣に考えた方がいい。日本の対米従属・対米追従外交の「戦後レジーム」は、もはや成立しないのだ。

そもそも白人至上主義の狂信者が重要な支持基盤で、国防長官にも白人至上主義者の「狂犬」が就任するようなトランプのアメリカに、安全保障や外交で依存するなどというのは、狂気の沙汰だ。まさか日本がそんなことすら理解できていないと知ったら、さすがのプーチンも呆れ、自分の読み違いに困惑するかも知れない。

12/16/2016

山口県へのプーチン訪問と沖縄でのオスプレイ墜落の皮肉な偶然


鳴り物入りのプーチン大統領訪日と日露首脳会談は、事前の予想では思いも寄らなかった意外な展開が起こっている。意外過ぎてその意味、プーチンがなにをやってのけたのかが、日本側では政府だけでなくマスコミも、よく把握できていないようだ。

どうも日本では、ロシアならロシアで専門家、対米外交ならアメリカの専門家、中東なら中東の専門家が出て来る「国別の専門家の縦割り」議論になりがちで、国際情勢のなかで日本はなにをやっているのか、なにをすべきなのかをちゃんと把握することが苦手のようだ。

今回も、ほぼ同時に並行してロシアが深く関与しているシリア問題(というか、プーチンのロシアがアサド政権を事実上傀儡として虐殺と言ってもいい内戦鎮圧を主導している)のことも、その前々日には沖縄で米海兵隊のオスプレイ輸送機の墜落事故のことも、結びつけて考えることができないらしい。

というか、オスプレイ墜落もただ沖縄の問題かのようにしか語られず、これが日米関係の重大な危機であり、米軍と沖縄ではなく日本と米国政府の問題であることすら無視されているのはさすがに異常なわけだが。

だが今回の日露首脳会談の意外な展開は、並行して世界でなにが起こっているのかともちろん無関係ではないし。

結果からみればこのオスプレイ墜落をめぐる日米関係の大問題が、プーチン大統領の言動に大きく関わっているし、プーチンがこの会談で急遽目的にしたのは、日露関係のことではなく、露骨なまでの対アメリカ政府への牽制に、日本を徹底的に利用することだった。


まず長門市での首脳会談に至るてんてこまいと、安倍首相が「膝を突き合わせた本音の会談」の顛末を見て改めて印象に残ったことだが、ウラディーミル・プーチンは思っていた以上に恐るべき政治家だ。

日本の安倍首相が熱望した山口県長門市での首脳会談の当日、プーチンの到着が2時間以上遅れるという報せがあっただけでも、日本中が色めき立った。

首相官邸や外務省は慌ててメディア各社、とくにテレビ報道に、プーチンがこれまでも首脳会談では遅刻の常習犯だとの情報を流し、この程度の番狂わせは官邸の想定内だとのブリーフィングも重ねた。

しかしプーチンが来日直前に日本テレビと読売新聞を呼んだインタビューでは、安倍政権が期待していた北方領土問題の解決については「日露間には領土問題なんてない、日本は(勝手に)そう思い込んでいるらしいが」と断言、日本側の不誠実な二枚舌を突き「信頼できる雰囲気」を作ることが重要、と脅しまがいのことまで言い、日本がウクライナ紛争とクリミア併合を受けた対ロ経済制裁の参加国であることまで挙げて「経済制裁をしておきながら経済協力とはなにごとだ」と非難までしてみせていた。

会談開始の直前までの状況を見れば、安倍政権が鳴り物入りで仕組んだ「総理の故郷へのプーチン大統領訪問」は日本側の大惨敗、首相が恥をかくだけならともかく、北方領土問題を安倍が望んだのとは逆の意味で「私の世代で確定」させることになりかねないことさえ、十分に予想された。

詳しくは先の本ブログのエントリーをご覧下さい  
12/14/2016 北方領土は帰って来るのか?

そしていきなり、2時間以上もの遅れという一方的な告知だ。安倍官邸ではドタキャンの可能性も含めて、さぞ戦々恐々だったことだろう。

そうでなくとも「自分の地元に招きたい」という安倍のラブコールにもプーチン側は「なぜ東京でやらないのか」と難色も示し、一応は折れたものの警備の事前調査団をこれみよがしに派遣し、日本側が長門市の旅館「大谷山荘」の離れの貴賓室を準備していたのが「警備上の問題がある」と本館への宿泊に無理矢理替えさてまでいる。

土壇場で日本側の警備の不備をあげつらって山口行きを拒否し(そうでなくても「仕事にならない」という不満が以前に日本側に伝えられている。プーチンの最大の来日目的は、日本企業への投資呼びかけトップセールスだったので、東京を希望していた)、警備が万全な東京のロシア大使館に泊まるという展開も想定された。

むろん通常の外交儀礼なら失礼千万になる話だ。

だが今回プーチンが相手にしているのは危機管理コンプレックスの安倍首相だ。元KGBエージェントのプーチン、つまりテロ対策など危機管理のプロにそう言われては、深く傷つくというか、ますます下手に出て言いなりになってしまう。もちろん離れの貴賓室を拒否したのだって本当に警備の問題があったり不安になったはずもなく、安倍のコンプレックスを突いてプレッシャーをかけるマウンティングに決まっている。

日本側が沿道に歓迎の長門市民まで手配しているのに、到着はわざととしか思えないやり方で日没後にずれ込んだ。

6時過ぎにやっと「大谷山荘」に到着、首脳会談が始まっても、和やかな雰囲気の挨拶の交換をメディアに取材させようとする日本側に、プーチンは相当に底意地の悪い皮肉を二発、ぶっきらぼうながらも褒め言葉を並べた挨拶に、しっかり組み込んでいた。

まず両首脳の「信頼関係」を褒めるように装い度々会談をして来たことを述べながら「こないだペルーで会ったばかり」(そのペルーでの首脳会談で、安倍はほんとんどパニックのような落ち込みようだった)、安倍が当地の温泉に触れて「疲れが取れる」と言ったことへの返しとして「今日の会談で疲れるつもりはないから」である。

来日前の発言からしても、その前の「こないだペルーで会ったばかり」の会談でのけんもほろろの態度からしても、日本側がまったく楽観視できない雰囲気を作り、大遅刻でどっちがボスかを見せつけるかのような高飛車な雰囲気を演出して、安倍首相がなんとか国民相手にメンツを保つこと、大惨敗になりそうな首脳会談の結果を国民に向かってどう取り繕うのかに必死になっているであろうところだった。

ところがプーチンはそんな安倍の焦りや国内向け人気取りの都合を全部見透かした上で、いきなり予想外の変化球で、うまく持ち上げて喜ばせてさえみせたのだ。

両首脳が個別会談に入ると、その前の90分に及んだ公式会談に同席していたラブロフ・ロシア外相が記者団の前に姿を現し、プーチンからのいきなりの提案を、安倍首相が歓迎したことを伝えた。

プーチンは日露の2+2定期会合、つまり防衛担当相と外務大臣が定期的に会う安全保障会議の再開を呼びかけたというのだ。

日露間のこの安全保障連絡会議は、ウクライナ・クリミア問題を受けたG7による対ロシア制裁と、それまでロシアを含めたG8だったのが冷戦前と同じG7に戻ったのに合わせて、中断されていたものだ。

この日露の2+2の再開を発表したことこそが、今回の首脳会談で出た最も重要な提案であり、合意事項だ。経済協力も、日本側が交渉しているつもりで来た領土問題も、もはやそんなに重要ではない。

通常の外交常識では最重要の議題だった平和条約締結交渉を進めることですら、日本がそれが領土問題を意味すると思い込んで来たのとは、まったく異なった意味を持つが、それにしても領土でも主権でも経済協力でもなく、いきなりこんな安全保障の話が出て来るとは、日本側にはまったく想定外だったことだろう。

しかも2+2の再開、つまり安全保障分野での「戦争と危機管理のプロ」に見える元KGBのプーチンとのと連携は、「危機管理コンプレックス」で「戦争ができる普通の国」への憧れに凝り固まった安倍にとっては、無条件に大喜びして歓迎してしまう話だ。

案の定、安倍氏はすっかりごきげんで、会談後は記者団に囲まれて、この2+2再開と、日本国民相手ではなによりも重要だった「領土問題」での成果になると思い込んだ「北方四島での特別の制度下での日露共同の経済活動」での合意を、大喜びで発表した。

後者の「特別の制度に基づく」がなにを意味し得るのか分からずに嬉々として発表してしまったのを見ると、安倍氏はよほどプーチンの愛想のいい態度に安堵して、2+2会合の再開に舞い上がってしまっているのだろう。


テレビでさっそくこの報道が流れた際には、字幕で安倍が実は思いっきり手玉にとられたことが皮肉にも示されてしまった(またこの画像をツイッターで流したのが、安倍の側近のひとり山本一太参議院議員である)。

この字幕で報じられた通りで、ロシア側の大統領補佐官はさっそく、この「特別な制度」が言うまでもなくロシア法に基づくものであることを確認している。つまり、北方領土の主権は譲らないどころか、日本にロシアの施政権を認めすらさせてしまったことになる。

安倍ヨイショ系の “識者” がメディアで必死に誤摩化しているが、「特別な制度」がロシア側の提案、たとえばロシア政府の定める特別区的な扱いなら、それはどう逆立ちしようがロシアの主権を前提とした議論にしかならない。

むろん「特別な制度の」といういかにも玉虫色の言い草は、双方でいかようにも解釈できる。だから安倍は日本の報道機関にちょっと圧力をかけるだけで、さしあたりのメンツは保てるだろう。しかし北方領土問題は日本側の望む解決から、明らかに後退している。

もっとも、そんな方向での進展そもそも絶望的だったわけだが。

だがこの玉虫色の言い方で済ませたということは、まだかなりの手かげんをプーチンはしてくれてもいる。

正式な発表は翌日東京での共同会見で行い、文書も出すという話なので、日本側の事務方が慌てて修整を要求できるし、「特別な制度」の詳細を今後の交渉で詰める過程で、この失態は挽回とまでは行かずとも、白紙に戻せなくもない。

今回の首脳会談で遥かに重要なのは、2+2会合の再開に安倍が喜んだことの持つ、とんでもないメッセージ性だ。

さらにロシア側では、平和条約の締結で日露が合意し、この締結に向けた作業が今後加速することも、強調するように発表してすでにさかんに報道させている。折しもプーチンの支援を受けたアサド政権が反体制派が守るアレッポの完全制圧を進め、虐殺行為も懸念されている。ロシア側の報道では、このシリア内戦とウクライナ情勢についても、プーチンと安倍の見解が一致したとまで言われてしまっている。

平和条約も合わせて日露安全保障連絡会議を再開というのでは、プーチンが要求してきた「信頼できる雰囲気」というのは単に「日露友好の確認」という建前論以上の意味を持つ。一方でこの議題に関しては、日ソ共同宣言によればこの締結に伴い歯舞群島と色丹島が返還されるという約束について論じられた形跡がない。

肝心なのは、プーチンが露骨に日米関係にくさびを打ち込んで来ていること、安倍首相がそれに乗ってしまったことだ。

こんな展開はまったく予想していなかったが、プーチンは心底恐ろしく、大胆にして狡猾な政治家だと改めて思い知らされた。

今回3時間近く遅刻したあいだに、日本の最新ニュースを知って思いついたことなのかも知れないが、その政治的文脈を考えれば、この首脳会談でプーチンが本当に勝負している相手は日本でも、まして安倍政権でもない。アメリカ相手の揺さぶり、露骨な脅しなのだ。


米大統領選挙の期間中にドナルド・トランプがプーチンを褒める言葉を連発していたことから、プーチンが今後の米ロ関係を楽観視しているかのような報道が日本では多いが、これはあまりにもの短絡だ。 
そもそもトランプはオバマやクリントンらアメリカのリベラル系政治家へのあてつけで支持者を盛り上げるための引き合いにプーチンを出しただけだし、オバマ政権の厳しい対ロ外交よりは好転するにしても、トランプの外交方針は未知数だ。 
ウラディーミル・プーチンはこんな程度のあやふやな話に簡単に乗るような迂闊な政治家ではない。


折しも日本では恐るべき皮肉な偶然で、プーチンがアメリカ揺さぶりに利用できる事態が起こっているのだ。

その絶妙なタイミングでプーチンが狙ったのは、日本からの経済協力でも、この際北方領土をロシア領として事実上確定することでもない。遥かにスケールが大きな、G7つまり旧西側先進諸国の連携への強烈な揺さぶりと、アメリカへの露骨な牽制に、この日露首脳会談の目的自体がいつのまにか変わっていた。

プーチン来日の前々日夜に、沖縄で普天間基地所属の米海兵隊のオスプレイ輸送機が海上に墜落している。日本政府は米軍の通告をあえて鵜呑みにして「不時着」と発表しているが、翌朝には明らかになった機体の大破した状態を見れば、どうみても墜落だ。

ただでさえ日本側、とくに沖縄の不安と反発が高まるなか、なんと沖縄米軍の最高司令官にあたるニコルソン四軍調整官が、事故を抗議しに来た沖縄県副知事に対しても、そして記者会見でも、日本側からみればとんでもない発言をやらかしているのだ。

この事態は本来なら、日本の対米感情を悪化させ、日米関係を危機に陥れる重大な事態だ。プーチンはこのタイミングを見事に利用して見せたのである。

ニコルソン調整官が事故はオスプレイの機体自体の問題ではない、と繰り返ただけでも反発が大きい。あまりに事故が多いことの懸念から、オスプレイ配備に対する抵抗は、普天間基地の辺野古移設と高江のヘリパッド建設への反対運動の大きな要素になっている上に、この墜落事故と同日に、別のオスプレイが普天間基地に「不時着」(胴体着陸)していたことまで明らかになっている。

しかもニコルソン調整官は、墜落事故の直接原因が空中給油訓練中のパイロットの操縦ミスなのにも関わらず、市街地を避けて海上に「不時着」させたことでそのパイロットを誉め称え、副知事に「沖縄県民は感謝すべきだ」とまで言い放っているのだ。


これが普通の国なら、なにしろ沖縄県民を代表する立場の公職にある副知事に向かって、たかが他国の軍司令官がひどい侮辱をやらかしたことになる。

沖縄県が激怒しているだけでは済まず、政府でも当然問題にして、米大使館に抗議文を送付するか、大使を呼びつけて謝罪を要求するような、巨大な外交問題になるのが「普通の外交」だ。

実際にはもちろん(国際標準なら恐ろしく奇妙なことだが)、日本政府は事故に抗議もせず、司令官の日本国民を侮辱する暴言に至っては防衛副大臣らがむしろ理解を示し同調までしてしまっているが、アメリカ政府、とくに国務省は、「なんということをしてくれたのだ」と焦っているし、日本側の反応に戦々恐々としている。

日本政府がとりあえず対米従属を崩していないことまでは安心できても、国民の反発は必至だし、普通の政府なら表向きは冷静でも、実は激怒していておかしくない事態なのだ。

そこへアメリカと現状敵対関係にある(対ロシアの経済制裁を主導しているのはアメリカのオバマ政権だ)ロシアの大統領と日本の首相が会談し、日本が明らかに安全保障においてロシアに接近することを意味する合意が即座に決まったのである。

アメリカ国務省はすでにこのニュースに激怒し、また戦々恐々ともしていることだろう。

もちろん安倍の日本政府はこうした「普通の国」なら当然やるべきことでもなにもやる気はないのだろうが、代わりにプーチンがやってくれたことになるのだ。

アメリカから見れば米軍機の事故と米軍司令官のふるまいに、にわかにアメリカに反発を抱いた日本政府が、安全保障政策でアメリカに距離を置き、アメリカと現在対立関係にあるロシアに接近したことにしかならないのが、今夜の日露首脳会談の結果だ。

日露がこのプーチン来日で大規模な経済協力でも合意に達するのであれば、G7で連携してきた経済制裁の体制も事実上崩壊するし、訪日前のインタビューでプーチンはあえて、経済制裁があっては日本と信頼関係が築けない、と強調もしている。つまり山口と東京での合意は、アメリカ相手に「日本は対ロ経済制裁を事実上解除した」とのメッセージにもなる。

プーチン側では、ロシアのメディアに、ウクライナとシリア情勢について日露両首脳の見解が一致した、とまで報道させているらしい。「日本は外交安全保障でアメリカと距離を置き、これからはロシアに接近する」というメッセージが見事に演出されてしまったのだ。少なくともシリア内戦に関しては、安倍首相にはここで断固としてプーチンに反論して軌道修正してもらわねばならない。

とはいえ個人的には、これも大枠では必ずしも悪くはない結果だ、とは思わなくもない。

これまでも日本の外交の最大の問題だった対米従属の転換点にもなるし、なによりも白人至上主義者レイシスト層の熱烈な支持を受ける超保守主義の独善的孤立主義者トランプが次期大統領に決まり、その国防長官に「アメリカに逆らう奴らを殺すのは楽しい」と公言する「狂犬」が指名されたようなアメリカと、今後も安全保障政策での連携を深め、日本の防衛をアメリカに依存する、アメリカ軍に我が国の国土内で好き勝手をやることを許すなどというのは、日本に取って何重もの意味であまりに危険だし、あり得ないことだ。

プーチンのロシアが経済制裁を受けるのは、国際社会の信義としてはしかるべきことであり、ウクライナ内戦だけでなく、今ではなによりもシリア内戦におけるロシアの態度からすれば、日本は同調すべきではないのはもちろんだ。

とはいえ、それでもプーチンが凋落の激しく独善的な閉塞に陥りつつあるヨーロッパとも、アメリカとも距離を置き、ロシアの将来についてアジアとの連携に外交の軸足をシフトしていること自体は正しい判断だし、日本にとっても対ロシア、対中国の関係を改善して、この三国が東アジアにおける安全保障や秩序の新たな形成のイニシアティブを握ることは悪い話ではない。

しかもロシアの豊富な天然資源(石炭、石油、天然ガス)は日本にとって必要なものだし、ロシア東部(シベリア、サハリン州)は日本経済、日本企業にとっては有望なフロンティア、見返りの大きい投資先である。

ちなみに、だからプーチンが日本と経済協力を議論したいのは「援助」を求めているのではない。ビジネス上のパートナーシップであり、経済制裁の解除だ。

安全保障的でトランプのアメリカに依存するなんて危な過ぎる以上、ロシアとの連携もひとつの選択肢だし、中ソ関係も良好である現状、そこに日本の今後の安全の手段を見出すのも現実的な選択だし、トランプのアメリカを牽制することも日本外交にとっては有益なではある。

とはいえ、心配なのは安倍晋三首相が、プーチンがなにを持ちかけて来たのか、それが日本の今後の外交戦略や安全保障政策にとってなにを意味するのかを、まったく考えていないことだ。

安倍首相はそのプーチンがウクライナ問題はともかく、シリアでアサド政権を傀儡にして虐殺にも等しい蛮行を続行していることに、まったく無頓着でもある。

折しも、今月末には安倍はハワイの真珠湾を訪問し、クリスマス休暇中のオバマとの最後の首脳会談に望むはずだ。

まともな外交能力のある日本の総理なら、オスプレイ墜落と在沖縄米軍四軍調整官の暴言、そして今回のプーチン来日は、この日米首脳会談でアメリカ側にある種の脅しをかける有効な外交カードになるし、トランプ政権に移行したあとも防衛安全保障で過剰な対米依存に陥るリスクも減らせる。

だがそうは言っても、プーチンが安倍をうまくのせた演出は劇薬すぎて、アメリカは当然、自分の立場が極めて拙い(オスプレイの事故も、四軍調整官のあまりに非礼な言動も、責められれば反論は難しい)からこそ、まずは逆に強気な態度で出て来るだろう。

そのときに、安倍首相はどう動くつもりなのだろうか?

慌てふためいて今度は対米ゴマ摺りに専念したところで、それではかえってアメリカの不信感を増すだけで、日本の立場は悪化する。

つまりは安倍はプーチンが西側に揺さぶりをかけるのに利用されたおもちゃどまりになって、日本は国際的に孤立してしまう。

うまく使えば対米交渉で有利な条件を引き出す有効なカードでもあり、またこれ以上はアメリカに依存できない日本にとって、非常に有益な外交政策の転換点にもなるのだが…

12/14/2016

北方領土は帰って来るのか?


端的に言ってしまえば、安倍晋三はウラディミール・プーチン相手に「領土問題」の話をしている【つもりだった】らしい。だが実際に話していたのは経済協力と平和条約の締結だけで、もちろんプーチンはそれが安倍にとっては「領土問題の話をしているつもり」なのだと見抜きはしつつも、なにしろ安倍がはっきり言わないものだから、巧妙に手玉に取って経済協力の約束を取り付けるついでに、安倍が期待していたのとはまったく逆の方向で日露間の領土問題を決着させてしまおうとさえしている。

一点だけよく分からないのは、安倍が本気で自分は領土問題の話をしていると信じ込んでいたのか、プーチンの顔色が怖くてとてもではないが言い出せないまま、日本国内向けには虚勢を張って確信犯で嘘を言っていたのか、である。

まあいずれにせよプーチンは、その安倍の国内向けの虚勢さえもこの際徹底的に打ち砕こうとしているし、それはただいかにもこのマッチョ政治家らしいマウンティングであるだけではない。

プーチンはあわよくば、ロシア政府が現在も有効とみなしている1956年の日ソ共同宣言で約束されていたはずの、色丹島と歯舞群島の返還すら、履行しないで済む決着に、日露首脳会談を持ち込もうとしている。

それにしても、これは安倍に限ったことでもないが、こと領土問題の扱いとなると、日本外交はつくづく苦手であるらしい。

安倍首相が人気取りの思いつきのようにこの5月頃から言い始めた「新しいアプローチ」による対ロシアの北方領土返還交渉は、プーチン露大統領の訪日前にすでにほぼ絶望的な結果になりそうだ、という予測が大勢だが、そもそもこの日露交渉は「領土問題」がテーマだと思って来たこと自体が、日本側の一方的な思い込みだったようだ。

訪日を目前に読売新聞と日本テレビのインタビューを受けたプーチンが語ったのは「四島の返還なんてこちらは一切聞いていないのに日本が勝手に話を進めている」と不信感も露に安倍側の嘘を厳しく非難する内容だ。

日本政府からなんの反論も出ていない以上は、事実関係そのものはプーチンの言う通りなのだろうし、それはこの一連の日露交渉で報道された実際の事実関係を見ても確認できる。

たとえば安倍氏が5月にソチのプーチンの別荘に馳せ参じたり、9月の首脳会談でも「手応えを感じた」などなどと言っていたのは、ひたすらプーチンの機嫌をとることだけを優先させて経済協力を申し出るばかりで、平和条約のことすらロクに交渉せず、まして四島の帰属のことなんてなにも言っていなかったからだったと考えた方が説明がつく。

だいたい「新しいアプローチ」を言い出した時点から、実際に報道されていた交渉の内容は、一貫して経済協力の強化と、1956年の日ソ共同宣言で合意したもののそのまま「棚上げ」になっていた日ソ(今では日露)平和条約の締結に向けた話だけだったではないか。

この時点では、「もしかして『新しいアプローチ』とは二島先行返還論のことなのか?」とでも考えるしかなかった。日ソの国交が正式に回復した1956年の日ソ共同宣言には、平和条約の締結と同時に歯舞と色丹が返還されるという約束が明記されているからだ。 
だがなぜか、「新しいアプローチ」についてそういう分析をするメディアは一切なかった。 
こういう報道しかやらないから世論が領土問題をまったく理解できないままになり、その世論への配慮が優先されるから、いわば「嘘に嘘を重ねる」のに近い格好になり、だから日本の外交は、竹島にしても尖閣諸島にしても領土問題の扱いで失敗ばかり続けてしまう面も大きい。

日本の政界の理屈では、この60年前の共同宣言でもっとも重要視して来たのが平和条約締結と同時に色丹島・歯舞群島を返還する、という部分であり続けて来たので、日本側の認識としては、二島の返還については議論していた、という認識にはなるだろう。

だがそれは、一方的な日本側の認識でしかなく、ソ連(ロシア)がそれを共有して来たわけではない。

少なくとも外交の建前・国際常識でいえばもっとも重要なのは平和条約の締結、つまり第二次大戦が国際法的にはまだ完全に終結したことになっていない状態を改めることであって、外交の建前上は国境地帯の小さな島々の帰属は付随的な、より低い重要性しか持たない。

プーチン大統領は今回、見事にこの部分で安倍外交の揚げ足を取ってみせた。

これまで交渉して来たのはあくまで平和条約の締結とより密接な経済協力のはずなのに、まだ平和条約の締結時に返還と約束して来た歯舞・色丹だけならともかく、いつのまにか日本側が択捉国後という、ロシア側から見ればまったく関係ない問題まで盛り込んだかのように言っているのは不誠実な二枚舌外交でロシアを騙しているではないか、と今や安倍をストレートに非難しているのだ。

繰り返しになるが、「『新しいアプローチ』とは二島先行返還論のことなのか?」と考えるのが最初から日本側の認識でも自然になるわけで、なぜかそう報道はしなかった日本のメディア、そういう議論から逃げた日本の「識者」がおかしい、ということにしか客観的にはならない。 
もちろんそれは、別に「新しく」もなんともないわけではあるが。

この露骨なまでの不信感の表明は、もちろん相手がプーチンであるからには、演技だと考えた方がいい。

その上でプーチンは日露首脳会談については「信頼関係の構築」を強調もしている。つまりは安倍に「誠意を見せろ」イコール「俺を納得させろ」と脅しているのに等しい。

もちろんしたたかなプーチンのことである。

安倍が国内向けの人気取りの二枚舌で北方四島の返還を国内向けでは言っていること、最初から安倍がその二枚舌で自分に接近して来ていることは、最初から百も承知だった。

自分の意図を完全に理解されているのに、安倍はそのことをはっきりとプーチンに伝えたことが一度もなかったのだろう。そうでなければプーチンが11月末のペルーでの会談以降態度を豹変させたことに安倍政権があわてふためくことも、ダンマリを決め込むこともないはずだ。

こんな時に限って日本的な「察してもらう」「以心伝心」の文化をよりにもよってプーチンに期待する方が考えが甘いわけで、明言はしない意図を相手国に見透かされるというのは、外交では揚げ足をとられる弱点・失点にしかならないとういう当たり前のことが、この総理大臣は何度外交上の失態を繰り返しても、未だに学習できないらしい。

で、安倍側がそれでも北方領土の返還に目処をつけることに固執しつつ、しかしプーチンに面と向かってはそれを言えない立場に追い込まれては、一縷の望みにすがって逆に色丹・歯舞の返還の望みすら断たれる話に乗らざるをえなくすらなり得る。

つまりこのままでは、ソ連からロシアへの政権の移譲後も有効性が確認されている日ソ共同宣言に明記されていた、歯舞・色丹の将来的な日本への返還も、「日本側の態度が不誠実」という理由で白紙撤回されかねない。

というか、ウラディミール・プーチンは最初からそれを狙っていたと考えた方が、恐らくは正確な認識だろう。

色丹島は日ソ共同宣言以来、理論的にはいつ日本に返還されてもおかしくない状態にあった。現在3000人ほどの人口があるそうだが、国後・択捉にはメドヴェージェフ大統領、二度目のプーチン大統領の政権下で大規模なインフラ整備などの経済開発が進んでいるものの、「いつ日本に返すか分からない」色丹島ではそこまでの開発は進められず、島は人口減少リスクでも苦しんでいるらしい。

つまりプーチンにとっても色丹の帰属を確定させる必要はあるのだ。ならばこの際、安倍の不誠実な二枚舌ないし的外れな「以心伝心」「配慮」「察する」期待を逆手にとって、色丹・歯舞も返さずに済む大義名分の確立にまで漕ぎ着けることができれば、色丹の住民のための開発事業も進められるし、今ある以上に重要な軍事設備を置くことすら可能になる。

こうした相手国の利害や立場も考えず、つけ込まれる弱みになんの対処もしていなかった安倍外交が稚拙なだけだ

つまりは安倍晋三は自分からプーチンに擦り寄っておいて、逆に足下を見られ、みごとにしてやられたのだが、最初からあまりに認識が甘かったとしか言いようがない。

なにせ安全保障の問題だけでも、ちょっと考えれば分かり切った話なのだ。

なのに安倍政権では今まで、そこを考えもしなかったらしい。だとしたらあまりに呆れた独りよがりの「前のめり」、愚劣な希望外交でしかなかった。

そもそも安倍を落胆させた首脳会談の直後にロシア政府が発表した通り最新の対艦ミサイルの配備が完了している択捉・国後だけでなく、すでにロシア軍の基地がある色丹島も、ロシア側からすれば現状、安全保障の観点から、日米安保に依存する日本には返還できるわけがない。返還したとたんに色丹・歯舞が米国の軍事拠点になることだって、米政府が要求するだけでそうなってしまうのだ。

そもそも、安倍首相はこれまで自民党の先輩達がなぜこの問題で苦労して来たのかもまったく勉強していないらしい。

択捉、国後、色丹と歯舞群島の帰属は、日本側からみれば日ソ中立条約を破棄して終戦間際になって参戦して来たソ連軍に不当に占領された土地、というのが公式見解であり、その主張自体にはもちろん一定の正当性がある。

しかし、日本人や日本外交がひどく苦手なことなのだが、外交とは常に相手国があるものであり、その相手国には自国の利害もあれば、自己正当化の論理付けもあって当たり前なのだ。

ロシア(ソ連)側からみれば日ソ中立条約の一方的な破棄も、自国に二千万の犠牲者を出したナチスの同盟国である日本がいつまでも抵抗を続けていた1945年夏の段階で、世界の平和の回復のための当然かつ正当な判断ではあったわけで、またアメリカを中心とする他の連合国からの要請もあった(ヤルタ会談、ポツダム会議)。

たとえ日本の主張に正当性があるからといって、領土問題で相手国が完全に間違っているなんてことは絶対にあり得ないことが、なぜか日本人には理解できないらしい。  
まして第二次世界大戦で日本やドイツはただ敗戦しただけではなく、人道に対する罪、自らの野心で世界平和を危機に陥れた罪で裁かれた側となるのが、戦後の世界秩序の基本だ。それが「戦勝国の論理だ」というのなら、まずサンフランシスコ講和条約の破棄でも明言することから始めるのが筋であり、それができないのなら黙っているしかない。
だが外務省もそんな二枚舌の欺瞞に無自覚に耽溺する世論に配慮した内向きの政策しか提案できず、だから日本は外交的な惨敗を続けることになる。

そしてロシアからみれば、第二次大戦の敗戦で日本は千島列島と南樺太の領有権を放棄したはずであり、択捉と国後の二島はロシア側の地理的な認識では「南クリル列島」つまり千島列島の一部で、日本が放棄した島々に含まれるという見解になる。

その「千島列島の一部」には地理的に属さないとソ連ないしロシア側も認めざるを得ないのが色丹島と歯舞群島で、だから戦争の過程で一方的に占領領有した領土は平和条約の締結と同時に返還する、というのが1956年の日ソ共同宣言の領土問題に関するロジックだった。

つまり日本から見れば「北方四島」でも、ロシア側から見れば千島列島の一部である国後と択捉の二島と、歯舞色丹では、少なくとも建前上はまったく認識が異なるし、歯舞と色丹についてはだから共同宣言と同時に平和条約の内容を詰める作業が始まったはずで、1956年からみて近い将来に返還されるはずだったし、ソ連も当初はそのつもりだった。

しかもその日本側でさえ、サンフランシスコ講和会議の時点では、吉田茂首相が択捉と国後は千島列島だという認識だったし、普通に地図を見れば確かにそうとしか見えない。

平和条約の締結と色丹・歯舞の返還という流れが完全に止まってしまったのは、ソ連(ロシア)側からみれば日本側の責任になる。

それに日本側でも、日ソ平和条約による戦争状態の最終的な法的終結とこの二島の返還・帰属よりも、別の政策を優先させることで、事実上自らこの二つの島々を見捨てた、取り返すことを諦めたことも、国内の報道ではまったく触れられて来ていないものの、間違いのない史実だ。

1960年の日米安保条約の改正だ。

アメリカが日本に軍事力を置くことを戦後の占領と無関係に認め続け、米軍が自国の軍事背安全保障政策に必要な基地を日本が提供し続けることを約束したこの条約により、アメリカがソ連を牽制するために、返還された色丹島に米軍基地を置くことも可能になる。

当時の冷戦下では、ソ連側からみれば自国領土の防衛の観点から、この二島を日本に返還することが絶対にあり得ないことになるし、岸信介政権もその程度のことは百も承知だったはずだ。

日本政府はそれが分かっていても、日ソの友好関係と平和条約、沿岸の北海道魚民の利益や、なによりも故郷の土地に戻したい旧島民の悲願よりも、日本全体の安全保障政策と冷戦下での日米の連携(というか対米従属と、アメリカの軍事的メリット)を優先させて、いわば歯舞・色丹を見捨てたのだ。

しかも日本政府はサンフランシスコ講和条約と、そして日ソ共同宣言の時点では日本側も色丹と歯舞の返還を求める立場を公式には表明しながら、国内では二島ではなく四島一括でなければ、と言う二枚舌を続けているし、そこにはアメリカの圧力も垣間見え、平和条約締結にアメリカが圧力をかけた事実すらある。これではソ連(ロシア)側から見れば明らかに不誠実で一貫性に欠ける態度にしか見えない(少なくともそこを責め立てる日本側の弱点・失点になる)。

だから60年安保以降、北方領土問題が動くことはまったくなく、こと知床半島と択捉・国後のあいだの海が極めて豊かな漁場であることから、冷戦期にはこの海域で操業していた日本漁船が拉致拿捕される事件も相次いだ。

北方領土の問題と平和条約の締結が再び動き始めたのは冷戦の終結がきっかけだった。

ソ連(ロシア)にとっては軍事的要衝としてのこの四島の価値が低下する、事実上なきに等しいものになる一方で、冷戦を終結させその禍根を清算するという大義名分を果たすべき状況になったからだ。

まずミハイル・ゴルバチョフ・ソ連書記長が来日して海部俊樹首相との交渉を進めたのが、これはペレストロイカが思うように進められなくなっていたゴルバチョフ氏の政権基盤が、この訪日中にモスクワで起こった事実上の無血クーデタに近い政変で揺らいだことで、立ち消えになってしまった。

そのソ連がなくなり、ロシア共和国となった時点で、ボリス・エリツィン初代大統領と日本の橋本龍太郎首相のあいだで再び交渉が始まり、この時には橋本首相がロシアのエリツィン氏の別荘にまで招かれて膝を交えた親密な状況での交渉が進んだが、これもエリツィン氏自身の健康問題(心臓病)の突然の悪化と、それに伴う政権の弱体化で立ち消えになった。

こと橋本エリツィン交渉の時点では、経済的な混乱が収まらないロシアのなかでもとくにシベリアより東の地域は貧困に苦しみ、北方四島のロシア人住民のあいだでも日本の経済力に期待し、自分達の住む権利さえ保証されるのなら日本領になってもいい、というくらいの意見すら出ていたし、冷戦が終わったこの時代の空気のなかでは、繰り返すがこの四島の軍事的な要衝としての位置づけは限りなく低下していた。

あとはロシア国民にとって「貧しさのあまり領土を売り渡した」という形になってしまうプライドの問題が国民の反発を買うのではないかという心配だけが最大の障害になり、ゴルバチョフ、エリツィンの両政権もあと一歩のところで決断に踏み切れなかった、というのがこれまでのだいたいの流れだった。

安倍氏は、こうした自分の祖父も含む、自党の先輩たちの苦労を、まったく知らないのだろうか?

北方四島をめぐる交渉が進められようとしていた過去のいずれの時期と較べても、ロシア側では今この四島の帰属をわざわざ議論することのメリットも、モチベーションも遥かに少ない。

まずゴルバチョフ、エリツィンの二人にとって、冷戦の後片付けが政権の大きな役割だった。

日本との平和条約締結と領土問題の解決はその象徴的な意味を持つし、なんといっても四島は確かにスターリン独裁時代に日本から奪ったものでもあるのだから、旧体制への批判と反省を示し日本との新しい友好関係を確立するという立場からも、共同宣言に明記された二島だけでなく四島も含めて日本に返す、という大義名分は立てられなくもなかった。

しかし今はまったくそんな時代ではない。

冷戦の終結を世界が喜んだのはもう20年以上前のことで、今や新冷戦が始まることすら危惧され始めるなか、この四島の帰属問題は再び強く軍事的な意味合いすら持ち始めている。

ロシアはアメリカやEUとウクライナをめぐって対立を深め、シリア内戦でも立場の違いが鮮明化している。

安倍首相はプーチン氏との「個人的な信頼関係」が通用すると思っていたようだが、ロシアからみればその安倍政権は、昨年新安保法制を強行したのを見ても、沖縄県と県民の反対をおしきって普天間基地の辺野古移設や高江のヘリパッド建設を強行しているのを見ても、対米隷属と米軍の軍事プレゼンスに依存する傾向が以前の日本のどの政権よりも顕著な政権だとしか見えない。

プーチンがそんな対米従属べったりの安倍の日本を信頼して四島を返すなんてことは、防衛政策上絶対にあり得ない。

択捉と国後はそもそも「千島列島の一部」の認識なのだから返還を論ずる対象にならないし、色丹島だけでも米軍の軍事的な要衝になり得る以上は、日ソ共同宣言で合意されている色丹歯舞返還の約束をどう反古にできるのかをこそ、プーチンは真っ先に考えたはずだ。

安倍や世耕対露交渉担当大臣がいかにゴマを擦って下手に出て、すでに民間企業のロシアへの出資まで上乗せして経済協力をアピールしたところで、プーチンは得る者はどん欲に受け取りはしても、そんなことでなびきはしない。

…というよりも、日本が首脳会談で提案する「経済協力」に、すでに日本企業が自身の経営判断で進めているロシアでの事業やロシアへの出資まで勝手に含めて、いわば水増しした内容で交渉のテーブルに出すことは、ロシア側からみればあまりに見え透いて馬鹿げた欺瞞にしか見えない。

確かにウクライナとクリミアの問題で日本も含むG7各国による経済制裁を受けてはいても、経済が苦しいとは言ったってソ連崩壊後の混乱期とは比べ物にならないほど状態はいい。経済協力と引き換えに領土を、というほどにプーチン政権は追いつめられてなぞまったくいないし、強固なナショナリズムがこの政権の権力基盤となる圧倒的な支持率の基礎にある。そもそも、北方四島を今日本に返還するメリットがまったくない。

それどころか、ロシアには経済協力を申し出ながら、アメリカや他のG7諸国相手にも顔色をうかがい歩調を合わせて経済制裁を続けるという安倍政権の二枚舌外交は、相手国の不信しか買わない(というより、相手はプーチンである。こうも分かりやすい欺瞞は絶好の揚げ足取りのネタになる)ことに、日本側はなぜ気づけないのだろうか?

安倍のような「他人様のいない世界観」、相手国の立場や都合や主張を自分たちの側の都合で勝手にねじ曲げてしまう認識の歪みでは、外交なんてできるわけがない。

それに個人的な信頼関係を言うのなら、ゴルバチョフと海部俊樹、エリツィンと橋本龍太郎のいずれをとってもプーチンと安倍よりも遥かに深い信頼関係があった。

ゴルバチョフもエリツィンも政治的な理念や理想主義、誠実さを曲がりなりにも重んじる政治家ではあった(人間的に善良でもあった)が、プーチンとの「個人的な信頼関係」なんて夢想する方が間違っている(またプーチン自身がそういう悪辣な権力者であることを売りにして支持を集めてすらいる)し、こう言っては悪いが安倍氏は安倍氏でプーチンとまったく違った意味で「平気ですぐ嘘をつく政治家」ではないか。

プーチンのような考え抜かれた権謀術数ではなく、ただ行き当たりばったりに言葉に詰まって稚拙な嘘やデタラメを言い出してしまう、プーチンとは別の意味で信頼に値しない「噓つき」の安倍が、二枚舌の不誠実を相手に見透かされておいて、いまさら「信頼関係」もへったくれもない。

今までの流れを見る限り、噓つき政治家どうしの「個人的な信頼(なんてものが成立するなら、の話だが)」は、自分と自国の利益のためには平然と考え抜かれた嘘をつける能力があるプーチンに、無能なのにエゴが強いから苦し紛れに嘘を言ってしまったり、自分の誤摩化しの人気取りで平気で嘘を言ってしまえる安倍氏の二枚舌外交が見事に逆手に取られた、という結果にしかなりそうにない。

11月末にペルーで開催されたAPEC首脳会議での日露首脳会談の結果に、安倍首相が失望を隠せなかったことから、日本のメディアではアメリカ大統領選挙でプーチンを褒めていたドナルド・トランプが次期大統領と決まったことが、日本にとっては不利に働いた(米露関係の改善が望めるのだから日露関係が後回しになった)、とする分析が日本のメディアでは支配的だが、これも相当に眉唾な話だ。

というか、どうやったらこんな幼稚な与太話を真面目な顔で言えるのか、理解に苦しむ。 
日本側の失敗のいいわけにアメリカ大統領選挙を御都合主義で持ち出しているだけだ。

まずトランプ政権がどんな対ロシア外交の方針を打ち出すのかすら見えていない段階でそんな拙速な方向転換をするほど、プーチンは稚拙でうかつな政治家ではない。あまりに相手側の能力を見くびり過ぎ、相手の思惑を自分たちの都合だけで決めつけて誤解するのも、日本の外交が失敗するいつものパターンだ。

しかも安倍が「新しいアプローチ」を言い出した時点で、プーチン政権は色丹島や国後島の軍備の強化を発表していた。なのに日本側はこのことにすら、一切抗議していない。安倍は日本的な「配慮」でプーチンの好感を得たのつもりだったのかも知れないが、これでは相手側に「ナメられる」だけだ。

いやもちろん、日本の外務省だって、ここまで稚拙な判断の連続はさすがにしなかっただろう。

北方四島の問題を話題にすることで夏の参院選も睨んだ人気取りを計ろうという安倍首相に対し、外務省がそうは簡単にいかないことを警告くらいはしたはずなのは、とくに参院選後の内閣改造を見ても分かる。

なんと安倍の側近としても知られる世耕氏が、経済産業大臣だけでなく対ロ交渉の担当大臣にも就任し、外務大臣がやるべき交渉を勝手に進め続けてしまったのだ。これでプーチンに足下を見るなという方がおかしい。

つまり安倍は自分の妙に楽観的な希望的観測に当然ながら異を唱えた外務省を煙たがり、経産省と世耕大臣と官邸で日露交渉を進めることにして、あろうことか経験の蓄積がある外交のプロを排除して、自分の非常識で見事に自滅しただけではない、日本の国益を大いに損ねてしまったのだ。

もちろん日本の外務省だって確かにそれほど有能ではないのは、その通りだとは思う。政権によっては国民の利益を守るためには外務省を信頼するわけにはいかないのも、小泉純一郎政権が最初は外交機密費問題に切り込もうとして失敗したことや、鳩山由紀夫政権時に開示されたさまざまな密約を見ても、ある意味では当然の態度だ。

とはいえそれでも、外務省はまだ外交の専門家集団であり、安倍のようなただのド素人が傲慢にないがしろにしていいものではないし、現に安倍政権はこれまでも何度も外務省の進言や警告、意向を無視した独走の結果、外交的な失敗を繰り返している。

鳴り物入りで「河野談話の再検証」なる与太話を外務省の反対を押し切って私的諮問機関にやらせた結果、安倍は周辺諸国の不信感を買っただけで、「検証」の結果出て来たことといったら従来知られていた事実関係の再確認だけだった。

昨年のイスラム国による人質事件も、外務省が懸命に止めさせようとしたのに、安倍が勝手にカイロでの演説で「イスラム国と戦う国々に援助」という文言を入れてしまった結果起こったことだ。事件が表面化すると、特使としてアンマンに派遣した中山外務副大臣は、この種の交渉は絶対秘密裏で行わなければならないのが外交官の常識なのに、記者団相手のぶら下がり会見を毎日のように開催するという、政権の人気取りを優先しただけの非常識な行動に終始した。

昨年夏の、安倍首相肝いりの「明治の産業革命」の世界遺産登録も、外務省がせっかく韓国との交渉でまとめた話を、世界遺産会議が始まってから安倍首相が自分の身勝手で混乱させた結果、日本は全理事国の全会一致による懲罰的決議まで食らうはめになった。

米議会両院総会でのスピーチという名誉ある場でも、安倍はその内容を外務省にタッチさせず経産省出身の補佐官に書かせたデタラメな代物を読み上げた結果、日本の報道では隠されているもののアメリカのメディアは無視か批判だけに染まり、共和党の重鎮さえ非難声明を出すようなていたらくに陥った。

直近の例では、これも外務省の制止を無視して次期大統領に決まったドナルド・トランプに面会を頼み込み、TPPについて説得できたつもりだったのが、自信満々で行ったペルーのリマでの記者会見の直後に、トランプがTPPの即時離脱を宣言した経済政策ビデオを発表、大恥をかいたうえに、オバマ政権の不信も買ってしまってその誤摩化しに懸命になるあまり、真珠湾を訪問して謝罪外交に走ろうとしているのが現状だ。

日本はなぜ、外交上の失敗を繰り返すのか?

とりわけ安倍政権はその失敗の典型パターンのなかでも極端に稚拙な誤りを繰り返しながら、まったく反省も学習もないようだ。

外務省に限らず、日本人全般にはどうにもうまく認識できないことのようだが、外交は最低限でも相手国がいることであり、場合によっては無数の第三国の利害もからみ、複雑な状況下で高度の判断が要求される分野だ。

日本の外交はそれでなくとも、この相手国の利害や思惑を読み違える、というか自国の都合や主張の辻褄合わせに終始するだけで他国がその都合にあわせて動いてくれると思い込んだ「希望外交」の失敗や、国内世論に気を遣い過ぎた二枚舌の誤摩化しで動きが取れなくなるケースがあまりに多い。

だいたい、75年前の対米開戦こそがその典型だった。日本はアメリカが最後には妥協してくれると信じて強硬態度を貫き、結果最後通牒のハル・ノートを突きつけられたのだ。

尖閣諸島や竹島の領土問題でもこの種の失敗が繰り返されている。

というか、竹島に関しては民主党政権の野田首相が本気で国際司法裁判所に持ち込もうとして、外務省が慌てて止めて腰砕けになったこともある。つまり外務省は、実は日本の領有主張が国際的にはまったく通用しない理屈だと分かっていながら、国民の御機嫌取りのために虚勢のデタラメ領有権を国内向けに言い張っているのだ。

尖閣諸島をめぐっても、安倍の前の民主党政権で菅、野田の二代の首相が大変な失態を演じてしまっていながら、メディアも含めてそのことを国民に正直に言えないまま、安倍政権に入ってから日中関係を取り返しのつかないレベルで悪化させてしまった。

そうはいっても、これまでの日本の外交だって、安倍政権になってからの拙劣さに較べればまだマシ、と言わねばなるまい。

しかもこの総理ときたら外交で失敗しかしていないのに、メディアもまるで批判しないし、周囲でも誰も諌めないらしい。 
いやそれどころか、なまじ現実がそんなに甘くはないことを進言をしたばかりに外務省が排除されるハメになり、その結果が昨年暮れの慰安婦問題についての日韓合意(韓国に守る義務がなにもない空約束に10億払っただけ)のていたらくだったり、今回の日露首脳会談だったりするわけだ。

安倍首相は北方領土の旧住民に面会し、自分の世代でこの領土問題の決着をつけたい、と豪語したそうだ。なるほど、プーチンもこの際自分の代で決着をつけるつもりだ。つまり、このままでは、歯舞色丹まで含めてロシアの領有権が確定する、という結果になりかねない。

だいたい平和条約締結に伴う二島返還だけだったら、冷戦中はともかくその終了後には決着できたことだ。海部俊樹首相も、橋本龍太郎首相も、二島だけではなく四島一括でなければ許されない、という自民党自身が作って来た世論を尊重せざるを得なかったのだし、その後も交渉は膠着したままだったのだ。

もともと旧島民にしてみれば、島の帰属よりも自分たちが故郷に戻れるかどうかの方が重要だ。ソ連時代ならともかくロシアの時代ともなれば、ビザを取得して故郷を訪問することも本来ならできるし、居住も含めたビザの取得ですら、ロシア側はむしろ好意的に対応するだろう。

そして旧島民が故郷に住みたいと思うなら、突き詰めれば日本領だろうがロシアだろうが、そのこと自体は関係がない。戦後の三年間ほどは、択捉、国後、色丹の三島では、ロシア人と日本人が片寄せ合って生活して来た歴史もある。

旧島民が故郷に住むことが許されないのはあくまで日本政府の都合で、日本国民がロシアのビザで北方領土に入ることはロシアの主権・施政権を認めてしまうことになるから、として日本政府が禁じて来たことでしかない。

冷戦終結後の日ソ・日露交渉で、旧島民の墓参のための「ビザなし渡航」がまとまったのは、ソ連やロシアがビザを発行に難色を示したからであるかのように日本国内では誤解されているが、これはまったくの間違いだ。日本政府の都合で旧島民にビザが発行されることを日本側が拒否しているから、「ビザなし渡航」というずいぶんいびつなところで落ち着かざるを得なかっただけだ。 
安倍は今回、この「ビザなし渡航」の拡大もプーチンと交渉したいらしいのだが…。

なのにそこまで旧島民を我慢させて来たはずの主権と帰属の問題を、安倍は今回の日露首脳会談では議論せず、そこは曖昧なままに四島での経済協力まで持ちかけ、旧島民の訪問の機会を増やす交渉をするらしい。

ならば旧島民は今まで70年近く、なんのために我慢させられて来たというのか?

安倍が「避けて通った」つもりでも、プーチンから見れば安倍が四島の日本への帰属を強く主張しない限りは、四島に関するロシアの主権を容認したとみなして当然だ。むろん安倍がそんなつもりではないことは百も承知でも、安倍がはっきり言わない限りはプーチンがそう受け取るのが当たり前なのだ。

このままでは、70年近く待たされて来た旧島民こそいい面の皮だ。ここまで自分の国民、それも高齢の人たちを裏切り続けて、この総理大臣は恥ずかしいと思わないのだろうか?


11/14/2016

雪舟 慧可断臂図(東京国立博物館の「禅」展)


雪舟等楊 慧可断臂図 明応5(1496)年 愛知・齊年寺蔵 京都国立博物館寄託

洞窟の壁に向かい瞑想を続ける達磨に教えを請おうとした慧可に、達磨は「仏法を求めるものは己の身体を身体とすることも、己の命を命とすることもできぬ」と謎めいた言葉を投げかけて弟子入りを断る。その達磨の背を見つめて何日も雪のなかに立ち続けた慧可は、決意を固めて自らの左腕を切り落とし、達磨に差し出したという。

達磨が座禅瞑想を続けることで切り拓いた新たな仏教の、最初の継承を表す(達磨に続く禅宗の二代目の始祖が慧可だ)この物語の意味は謎めいていて、どう解釈するのか自体が「禅問答」にもなっているようにさえ思えるが、その慧可が切り落とした左腕を右手に持って達磨に差し出した瞬間を描いたのが、室町時代・日本中世の人物画を代表する傑作のひとつで、歴史の教科書でも写真が載っている(そして国宝でもある)雪舟数え年77歳渾身の「慧可断臂図」だ。

戴進(1388-1462)「達磨至慧能六代祖師図」より 達磨と慧可

この絵を描くにあたり、雪舟は明の画僧・戴進の「達磨至慧能六代祖師図」のなかのこの絵を参考にしたのではないか、と言われている。明に留学中にこの模写を見ていたのではないか、という仮説で、確かに人物の位置関係などはそのままだ。

だが戴進の作を原画としているとしても、そこで雪舟の傑出した才能が揺らぐことはない。戴進の絵の一部を切り取った構図だとしても、雪舟の「慧可断臂図」はその切り取り方によって戴進にはなかった強烈なドラマ性と緊張感を画面にみなぎらせる。

戴進は達磨を画面中央に配しているが、雪舟は達磨が画面の右端をにらんでいるかのように見えるまでその位置を中心からズラし、眼前に岩壁を描き、慧可の方は上半身だけを下方・手前にアップにし、腹部から下は大胆に画面外に切り落とす。


教科書などでは小さな写真でしか紹介されず、ネット上の画像などでは実感がないことだが、雪舟の「慧可断臂図」はかなりの大作で、画面自体だけで縦183cmほど、表装も含めれば高さ2mほどある。

それでも美術館などでの展示では、立って見ている我々の視線はほぼ達磨の高さになる。だが本来の描かれた目的の通り、禅寺の方丈の書院かどこかに架けられた場合、前の床か畳に座って見ることになり、視点の高さは慧可に重なる。



写真や、美術館で見た場合、これは達磨が主人公の絵に見えるが、宗教的な意味合いも含め、雪舟が狙った効果は違ったのだ。

座った位置の視点では、我々はむしろ慧可の立場から達磨のシンプルな太い墨線で簡略化して描かれた白い衣の後ろ姿を仰ぎ見ることになり、画面上三分の一以上を占める洞窟の天井の岩も、文字通り上からのしかかって来る。

極度に抑制された表現で描かれ、ことさらどこかを直接的に強調しようなどとはまったくしていないこの絵で、達磨を中心に見た場合にはほとんど気づかないかも知れない慧可の切断された左腕が、座った視点では目の前に来る。


雪舟はこの絵で濃淡の墨描きに淡彩を施しているが、その色彩の使い方も抑制されている。

達磨の横顔と、慧可の顔と手に肌色、そして赤が慧可の痛みを噛み締める下唇と、写真やデジタル複製ではかなり見づらいが、慧可の右肩から上腕にかけての太い薄墨の線の右ほんの数ミリか1センチと離れていない左腕の端には、切断された切り口の血を示す赤が引かれている。

左腕を持つ慧可の右手は太い描線と縫い目を細かな点で表した白い布で隠される。この右手の肌色を隠す抑制との対比で、細い墨の流麗な曲線に肌色の淡彩を施した手と、切り口の赤い血が見るものの目を射るように、雪舟は計算しているのだ。

戴進の「達磨至慧能六代祖師図」と雪舟の「慧可断臂図」の際立った違いのもうひとつが、この描線とタッチの使い分けだ。

風景山水画で鍛え抜かれた描写の、背景となる洞窟の岩の黒々と力強い、硬質の触感の一方で、二人の衣は薄墨でゆっくりと勢いをつけずに描かれた太い描線で簡略化され、さらに対照的に達磨と慧可の顔は細い線で緻密に、髭や毛の一本までを丁寧に描き込み、同じく肌色の淡彩が施されていても慧可の切られた腕も細い線ながら顔の描写ともさらに異なった表情の、伸びやかな曲線だ。


「慧可断臂」のような、意味がいかようにも解釈できそうな、解釈をすればするほどに深淵を見いだせそうにも、あるいはひたすら悩むことにもなりそうにも思える物語の場合、絵にすることはひとつの解釈や意味付けを決定してしまうことになりかねない。かと言って解釈を避けようとすれば、今度はただアクションを説明するだけか、それこそ言われなければなにを描いた絵なのか分からないような平板な作品になりかねない。

だが雪舟の「慧可断臂図」は、構図全体に息苦しいまでの緊張感、慧可が自らの左腕を犠牲にしてまで禅の教えを得ようとする決意の激しさだけはみなぎらせつつ、その慧可と、彼をそれでも無視するかのような達磨の背中のドラマにのみ集中し、それ以上の特定の解釈や物語的な意味付けを一切排除している。

ただこんな尋常ではない出来事があったこと、それだけを純粋に提示する雪舟の「慧可断臂図」は、見る者に解釈を語りかけることもなく、また安易な解釈も許容もしない。事物と人間とそこで起きたことだけを純粋に、ありのままの事件として提示し、その存在の集中度だけで圧倒的なドラマと世界観を成立させているのだ。

自署によれば「雪舟行年七十七歳」、当時としては大変な高齢のはずだが、没年には諸説あるものの80代半ばから後半と考えられるその生涯のなかでは、まだ晩年・最晩年ではない、むしろ創作意欲の絶頂期だった。他に国宝指定されている雪舟の傑作のうち「破墨山水図」(東京国立博物館)はこの前年の明応4(1495)年の日付で、「秋冬山水図」(東京国立博物館)、「天橋立図」(京都国立博物館)、「山水長巻」(毛利家)は、いずれも恐らくこの「慧可断臂図」よりも後の、15世紀末か16世紀初頭の作と考えられる。

雪舟等楊 秋冬山水図 秋

初夏にまず京都国立博物館で開催された「禅-心をかたちに」展が、今度は東京国立博物館で11月27日まで行われている。日本の禅宗の美術を代表するものとして、雪舟の国宝作品の「秋冬山水図」が前期の、そして後期は「慧可断臂図」が、いわば目玉作品だ。

秋冬山水図 冬 15〜16世紀 東京国立博物館蔵

この展覧会は中国での臨済宗始祖の没後1150年と、白隠の没後250年を記念するものでもある。

達磨図 蘭渓道隆賛 13世紀鎌倉時代 山梨・向嶽寺 蔵 国宝

ちなみに、よって「禅宗の美術」と言っても臨済宗と並んで日本での禅宗の双璧となる曹洞宗は触れられていない。

周文(伝)竹斎読書図 室町時代15世紀 東京国立博物館蔵 国宝

牧谿、李唐といった南宋の水墨画が禅宗文化の発展のなかで日本に輸入され、周文らを経て雪舟・雪村らによって大成されると、こと雪舟は室町8代将軍の足利義政が見出した狩野正信を始祖とする狩野派によって「画聖」としてほとんど神聖化された。

狩野元信 四季花鳥図 大徳寺大仙院 室町時代16世紀
伝 狩野元信 囲棋観瀑図屏風 室町時代16世紀

南宋の文人画の伝統を学び尽くしてさらなる発展を見せた雪舟が確立した日本の禅画を狩野派が継承し、その絶頂期であった狩野永徳の代には、ライバルとしてしのぎを削った長谷川等伯も雪舟の後継者を自認し(等伯という号の「等」は雪舟等楊の「等」をとったもの)て日本の絵画史のなかでも屈指の刺激的で豊かな時代が形成され、近世日本絵画の礎が築かれて行った。

長谷川等伯が南宋の画僧・牧谿風のタッチで描いた竹林猿猴図屛風(右隻)
安土桃山時代 16世紀 京都・相国寺蔵 重要文化財
長谷川等伯 松林図屏風(国宝)


なお狩野永徳と父・松栄の障壁画で知られる大徳寺聚光院が特別公開中だ。千利休の菩提寺でもある。http://kyotoshunju.com/?temple=daitokuji-jukoin
狩野永徳 花鳥図 大徳寺聚光院障壁画 国宝 

安土桃山時代には、永徳ら狩野派も、長谷川等伯も、それぞれに大作の障壁画を京都を中心に禅宗寺院に描いている。

狩野山楽 龍虎図屏風 妙心寺蔵 安土桃山時代
狩野探幽 南禅寺方丈障壁画 江戸時代初期

江戸時代に入ると公式絵画となった狩野派の一方で、文人画の系譜の池大雅や、市井の絵師で臨済宗・黄檗宗の熱心な信者だった伊藤若冲も、禅寺の障壁画を描いたり、自作を寄進したり(有名な「動植綵絵」30幅は、元は釈迦三尊と共に相国寺に寄進されたものだ)して来た。

伊藤若冲 鹿苑寺大書院障壁画 18世紀江戸時代
伊藤若冲 鷲図 若冲は晩年は黄檗宗寺院の石峯寺に身を寄せた

また書画をたしなむことが基礎教養であった禅僧のなかから、江戸時代中期には白隠、仙厓といった名僧が現れ、庶民に分かりやすく禅の教えを伝える手段にもなった水墨の禅画を多数残している。

展覧会冒頭に掲げられた白隠慧鶴の大判の達磨図 江戸時代18世紀 大分・萬壽寺蔵

この大きな達磨図に白隠が白字で記している「直指人心見性成佛」は、人の心のなかに必ずある仏の特質(仏心)を指し示す、仏になろうとするのでなく自らの仏の特質に気づくことで悟りに至るという意味の禅語だ。一方、下の作品の自画賛は「どう見ても達磨」とも「どう見てもよい」とも読める。

白隠慧鶴 達磨像(どふ見ても)

だがこのような、我々が「禅」と言ったときにイメージして、いかにも「日本的」だと思っている絵画の多くは、鎌倉時代に始まる日本の禅宗の歴史のなかでかなり後の方に登場するものだし(だからこの展覧会では最後の最後でやっと)、禅に関わる美術作品として、必ずしも主流ではない。

臨済宗の禅画でもっとも重要視され、この展覧会でも数が多いのが高僧の肖像画(頂相)だ。

宗峰妙超(大燈国師)像 建武元(1334)年 大徳寺蔵 国宝

頂相は本来なら、その高僧の弟子筋の禅僧が描くものだ。

師が頂相に自ら賛文を記したて弟子に与えることが継承者・後継者(法嗣)としてのお墨付き的な意味も持ち、また儀式や礼拝に使われるものでもあった。その絵画の頂相に基づいた肖像彫刻が作られる場合もあり、この展覧会ではその代表的な傑作でありながら、ごく最近まで存在すらほとんど知られていなかった、建長寺開山堂の蘭渓道隆坐像も出品されている。

蘭渓道隆坐像 建長寺開山堂 鎌倉時代13世紀

右斜め前からではほとんど分からないが、正面からみると蘭渓道隆は少し微笑んでいる。


再発見の当初は近世の修理で塗られたと思われる黒漆で顔が覆われていたが、最近の修理でその漆を取り除いた結果、極めて写実的に再現された顔に、水晶の円盤に瞳孔の光彩を金を裏張りした特殊な加工の目が鋭く輝きつつもやさしい眼差しで、あたかも修行者をじっとみつめつつ、その内心にまだ隠されたままの仏性まで見抜いているような神々しさをたたえている。

水晶のコンタクトレンズのような薄い円盤に金で光彩をあしらった瞳孔の表現
(修理前の漆塗りの状態)

修理前の数百年間は、金の光彩の目が黒い顔に際立った光を放っていたはずだ。

蘭渓道隆坐像 修理前の漆塗りの状態

建長寺開山堂の蘭渓道隆像は、間違いなく日本の彫刻史上屈指の、人物の肖像彫刻として唐招提寺の有名な鑑真和上坐像に比肩する傑作であり、その静かな微笑みはダ・ヴィンチ『モナリザ』にもまったくひけをとらない。普段は非公開の開山堂に安置されているので、これを見るためだけでも展覧会に行く価値はとても大きい。

修理前の蘭渓道隆坐像の顔

なおその蘭渓道隆を招き建長寺の開山のスポンサーとなった(開基)北条時頼の、やはり建長寺蔵の坐像も展示されている(ふだんは鎌倉国宝館に寄託)。

建長寺の開基・北条時頼像 鎌倉時代13世紀 建長寺蔵 重要文化財

日本での禅宗の導入期(鎌倉時代)には宋から禅の名僧が渡来したり、宋や元に留学した僧侶が帰国して日本で禅宗寺院を朝廷や鎌倉幕府の執権北条家の庇護と援助で開山した。その際に中国での師から与えられた頂相も日本に渡来し、その形式に則った肖像画が日本でも描かれるようになっって普及していく。

無準師範像 自賛 南宋・嘉煕2年(1238)京都・東福寺蔵
弟子の円爾に与えられ、その開山した東福寺に伝来 国宝

禅僧の肖像である頂相など、禅寺で用いる絵画は、本来は禅僧が修行の一部として描くものだったが、室町時代後期から戦国時代にかけて、狩野派のような俗人のプロ絵師が描くようになる。

狩野探幽 以心崇伝像 南禅寺金地院蔵 江戸時代初期

頂相の中国起源の宗教的意味合いの強い肖像画の形式は、やがてこのような俗人の肖像画にも踏襲されることになる。

狩野永徳 織田信長像 天正12(1584)年 京都・大徳寺

これは信長の一周忌法要に飾るため、秀吉が狩野永徳に描かせたものだが、つまりは実は禅画、宗教画でもあったと言えるだろう。描かせた秀吉はといえば没後に「豊国大明神」として神格化されており、狩野光信が下の肖像で描いたのは、そのカミとしての秀吉の姿だ。

狩野光信 豊臣秀吉像 慶長4(1589)年

日本における禅宗の始祖となるのは明菴栄西や蘭渓道隆、無学祖元など日本に招かれた中国人の僧だし、臨済宗はそもそもが唐の末期に臨済義玄が始めたもので、日本では平安中期に遣唐使が廃止されて中国からの新文明・新文化の導入が途絶えていたため、平清盛の日宋貿易などで断片的には知られていたものの、初めて本格的にもたらされたのは鎌倉時代になってからだ。

伝 曾我蛇足筆 一休宗純 賛 臨済義玄像 大徳寺真珠庵

その遣唐使も途絶えた唐の衰退期には仏教の弾圧も起こっている。そんななかで禅宗が生き残り、北宋・南宋に渡って隆盛を極め、モンゴル人の皇帝がチベット密教を信奉していた元代にも存続し、明朝でも盛んだったのは、臨済禅がさほど経典に依存しなかったこと、経済的にも国家や皇帝の権力に頼らないでも存続できていたからだという。

范道生 羅怙羅尊者 江戸時代 寛文4(1664)年 京都・黄檗山萬福寺
十六羅漢像のひとつで あらゆる人の内面には仏性があることを具象化している
范道生は長崎に住んだ中国人仏師、明らかに同時代の明の様式の仏像である

南宋の時代の禅宗が日本で受容される過程では、あらゆる人の心に仏性が宿り、本当の自分を突き詰めることが悟りにつながるという、大乗仏教のなかでも日本では平安時代までの密教や浄土信仰の、「神仏にすがる」ことが基本、目に見える分かりやすい現世での効能や来世の救済が中心の考えでは満たされていなかった自己探求の哲学性が大きかったのも確かだろう。

臨済宗幻住派開祖・中峰明本樹下坐禅像
広演賛 元時代14世紀 京都・慈照院 

だが一方でその禅が中国が「本場」の仏教であり、禅宗の受容が中国の最新の文化・文明への憧れでもあったこともまた、明らかに一貫している。

牧谿 龍虎図・龍 南宋 咸淳5年(1269)年 京都・大徳寺蔵
同・虎 牧谿の水墨画は日本で高く評価された

仏像にしても鎌倉時代といえば、源平争乱で荒廃した奈良の仏閣の再興で活躍した慶派の、筋肉表現や人物像描写のリアリズム傾向が印象的な、立体的で躍動的な表現が知られるが、禅寺では肉体描写はむしろ平板かつ静的で、衣のうねるようなひだの表現など装飾性の高い南宋風の仏像が好まれ、平安仏の流れを汲む保守的な作風の院派仏師が活躍した。

宝冠釈迦如来坐像 院吉・院広・院遵作 南北朝時代 観応3(1352)年 静岡・方広寺蔵

江戸時代初期にはたぶんに日本化されていた日本の臨済宗に対し、明代の中国の、いわば「本場・本物」の禅宗の再導入として、隠元が来日し、徳川四代将軍の家綱の援助を受けて黄檗宗を開いている。

喜多元規 隠元隆琦像 寛文11(1671)年

その黄檗宗寺院では日々の生活も中国風が一貫されていたという。

隠元隆琦愛用とされる数珠を納める函 中国・明朝製
 隠元隆琦 木菴性瑫 即非如一 「一行書」

鎌倉時代から禅がいわば最新式中国仏教として日本に受容されて来た、そこから生まれた茶の湯の文化も、喫茶の風習を日本に伝えたのも臨済宗を最初にもたらした栄西だったことくらいは教科書でも習うことだが、天才・利休の登場までは、茶会に用いられるのはもっぱら北宋・南宋の龍泉の青磁や、建窯の天目茶碗、元朝以降の景徳鎮など、いわゆる唐物、中国製の名品だった。

青磁茶碗 銘 馬蝗絆 龍泉窯 南宋13世紀 伝・足利義政所用 重要文化財

近世、さらには現代に連なる日本文化の原型となる美学も禅に源流があり、その基礎となるのは応仁の乱のときの足利将軍で政治的には極めて評判がよくない八代義政が、とくに応仁の乱後に隠居先の東山の慈照寺(銀閣寺)を舞台に作り上げたものだが、その義政が四畳半空間の書院の美学を完成させ、また茶室の原点とも言われる慈照寺東求堂・同仁斎でも、義政が窓辺への配置を事細かに指示した文房具の数々も、ひとつひとつは中国製か、あるいは中国趣味の逸品である。


ちなみに慈照寺銀閣の東求堂(国宝)は、12月4日まで秋の特別公開中である。http://www.shokoku-ji.jp/a_news15.html

慈照寺(銀閣寺)東求堂 国宝


こうした「唐物」の愛好は、茶の湯を奨励して人心掌握や統治機構にまで組み込んだ織田信長、豊臣秀吉が千利休を重用しても変わらず、江戸時代まで綿々と続いている。

玳玻天目 中国・南宋時代(12-13世紀) 京都・相国寺 国宝

建築でも、中世の禅宗様と呼ばれる禅宗寺院の堂舎は、現代人にはいかにも「日本的」に見えるかもしれない。

正福寺地蔵堂 室町時代 応永14(1407)年 東京都東村山市 国宝

中央の正方形に配された柱を中心に扇状に広がる垂木を配置して急勾配の反り返った屋根を支える構造などは、確かに日本独自の技術だ。

正福寺地蔵堂 内部
中心の正方形の鏡天井の四隅の柱から垂木が扇状に広がっている

だがこの精緻な構造はすべて屋根を支えるための工夫であり、ではなぜ日本の大工が急勾配の反り返った屋根の実現にこだわって試行錯誤を重ねたのかと言えば、南宋の文人画などで見た家屋の屋根の形を、日本の木造技術で再現しようとしたからだ。

前方は礼拝空間を確保するため柱は上部だけで
大きな梁で重量を前後に逃している


今日ではお寺の窓でおなじみなので、これも「和風」だと思われているかもしれない釣り鐘形の窓(火灯窓、火災を忌み避ける縁起担ぎで「花頭窓」とも書く)も、中国絵画で見た窓の形を、中国風のみためを目指した禅宗建築が採用したものだ。


この正福寺地蔵堂や、ほとんど同じ形の円覚寺舎利殿のような初期の禅宗様建築では左右の桟が直線なのが、近世以降では下辺に近づくところで末広がりになる。

円覚寺舎利殿(国宝)
最新研究では同じ様式の正福寺地蔵堂の少し後の建造と考えられる
円覚寺塔頭 正続院 中央の唐門の奥に見えるのが舎利殿の急勾配の屋根
相国寺 法堂 慶長10(1605)年 豊臣秀頼の再建
近世に受け継がれた禅宗様建築 泉涌寺仏殿 寛文8(1668)年
妙心寺仏殿 文政10(1827)年

日本における禅はそもそも中国風の仏教として始まり、宗教であると同時に文化体系で、中世から近世初期における中国風の最新の文化・文明の受容装置でもあった。

達磨坐像 円覚寺仏殿に安置 鎌倉〜南北朝時代14世紀

そんな歴史の流れはなんとなく分かっていても、この「禅-心をかたちに」展の第四章、仏像などの展示で、いきなり鎌倉・建長寺にある道教の神々の像に遭遇するのには、さすがに驚かされる。

伽藍神像 13世紀鎌倉時代 建長寺像

建長寺の道教神像のなかには、開山の蘭渓道隆を日本に渡るよう励ましたという神の像もある(写真の左端の顎髭がある男神)。

中国伝来の九条袈裟 仏教だけでなく道教の神々もあしらわれている
元時代(13~14世紀) 京都・天授庵 重要文化財

日本でも古来仏教は積極的に日本土着のカミ信仰を取り込み、神仏集合は当たり前、寺の伽藍の造営には守り神として日本のカミを祀るのも当然だったのだが、中国でも禅宗寺院は道教の神を守り神として祀る風習があり、それがそのまま日本に持ち込まれたのだ。

伽藍神像 鎌倉時代13世紀 奈良国立博物館蔵

考えてみれば、たとえば江戸中期の禅の名僧で隠居後に膨大な絵を描き、美術史にもその名を刻む仙厓は、庶民に親しみ、頼まれるがままに子どもの病気除けとして鍾馗様の絵を大量に描いている。

仙厓 鍾馗図(ドラッカー・コレクション/この展覧会の展示品ではない)

鍾馗はもちろん道教の神だし、中世以降は仏教の閻魔天も「閻魔大王」として、道教の神々と同様に宋の高級官吏の服装で描かれるのが習わしになっている。

雪村周継 呂洞賓図 室町時代 16世紀 奈良・大和文華館

仙厓は蔵書が仏教だけでなく道教、禅や道教とは必ずしも思想的に相容れない儒教の書物に、医学や自然科学に至るまで多岐に渡っていたことが分かっている他、彼は晩年に仏教も道教も儒教、あるいは日本の神々への信仰も、根本は共通すると示す禅画も何点も描いている。

また写生的にスケッチした動植物の絵も少なくないが、自然科学や医学の本で調べた品種名などをいちいち書き込んでいるところは、仙厓の傑出して好奇心旺盛で凝り性な性格を伺わせはするものの(ちなみに、珍しい石のコレクターでもあった)、儒教も含めて中国文化について広汎な知識を持つこと自体は、日本の禅僧の大きな役割だった。

 夢窓疎石像 14世紀南北朝時代 京都・妙智院蔵 重要文化財

そうした知識教養に留まらず、中国を中心に国際情勢や政治にも明るいのが禅の高僧で、足利将軍家は幕府の成立期に夢窓国師(夢窓疎石)をブレーンとして重用、南北朝の動乱と混乱を乗り切れたのにもその思想的な功績が大きい。

夢窓疎石作庭 天龍寺方丈 曹源池庭園 14世紀 南北朝時代



また義満が明と正式国交を結ぶにあたって天皇の立場を傷つけぬよう将軍が「日本国王」名義で朝貢の体裁をとるという知恵も、同じく夢窓国師の発案だったと言われる。

夢窓疎石墨跡「別に工夫なし」

この書は夢窓疎石が対明外交を始める義満にアドバイスとして与えたものだという。外交にあたっては策謀を巡らし理屈をこねるなどの小細工はする必要がない、直裁に語るべきことを語り伝えるべきことを伝えよ、「別に工夫は要らぬ」ということだが、実際にはちゃんと「工夫」はあったようだ。

夢窓疎石 墨跡「不労心力」

戦国時代となると大物の戦国大名は、家の宗派に関わらず禅の高僧を身近に置き、子どもの教育から政治・外交のアドバイザー、情報源としても重用して師と仰いで来た。「心頭滅却すれば火もまた涼し」の名言で知られる快川紹喜は甲斐の武田信虎・晴信(信玄)のブレーンであり、徳川幕府の法制度設計に尽力し武家諸法度、禁中並びに公家諸法度などを起草、家康・秀忠の代には外交顧問としても活躍し、家光の吉支丹(切支丹)禁止令と鎖国令の制度設計も行ったのが、京都・東山の南禅寺を再興させた以心崇伝(金地院崇伝)、その権勢は黒衣の宰相として恐れられた。

その以心崇伝を激しく批判(紫衣事件)して一時は配流となったのが沢庵宗彭だが、配流を解かれた後、江戸・品川に東海寺を開くと、三代将軍の家光の深い崇敬を受けた。ちなみに徳川家の菩提寺は江戸では芝増上寺、京都では浄土宗総本山・知恩院、もともとは浄土宗の檀家で、また天台宗の天海に帰依し上野に寛永寺も開かせている。

一休宗純墨跡 七仏通戒偈 室町時代16世紀
文面は「諸悪莫作衆善奉行」

禅とは、私たち日本人とその歴史にとってどんなものなのだろう?

今日では、禅はいわば「日本的なるもの」の代表的な文化と思われているし、実際に今にもつらなる日本文化の基礎が確立した室町時代において、足利義政が書院造りの住居などの美学を創造したのも禅の文化の枠内であり、千利休も、狩野派とそのライバルの長谷川等伯の絵画も、その美意識の系譜から生まれた。

だがその義政は無類の唐物愛好家でもあり、禅僧は中国の最新の文化や文明の知見を日本に伝える役割を一貫して果たして来た。

京都五山のなかでも栄西の開いた建仁寺は中国伝来の人文科学を伝え研究するアカデミック中心の役割を担って「学問面」と呼ばれたし、妙心寺が「算盤面」と呼ばれるように、数学や会計学も研究されていた。

正福寺地蔵堂 応永14(1407)年 国宝

正福寺地蔵堂や円覚寺舎利殿のような禅宗様建築も、その独特のフォルムと凝った木組みの美学は、こうした数学や物理学研究の知見をフルに活用して「重い屋根を支える」という機能を満たすことから独自の美のかたちに到達したものだ。

正福寺 地蔵堂 応永14(1407)年 山門 元禄14(1701)年

そうやって発展して来た日本の禅宗は、その学問的な教養と権威を背景に政治にも深く関わり、中世以降の日本の法制度や統治機構の基本論理の構成も担って来た。その意味で禅は支配する側、権威の側の宗教であり、その権威的な文化・思想を支える一方で、そうした権威に支えらえた俗世の常識を超越する自由な思考を鍛える「禅問答」もあった。

今回の「禅-心をかたちに」展の目玉作品のひとつである国宝の「瓢鮎図」(室町時代)は、典型的な「禅問答」を表した禅画だ。

大巧如拙 瓢鮎図 15世紀室町時代 京都 妙心寺塔頭退蔵院蔵(国宝)

将軍足利義持の出した「つるつるの瓢簞でぬるぬるしたナマズをどうやったら捕まえられるか」という問いが描かれ、31人の高僧の答えが書き込まれている(こうしたものはどうせ展示するなら、漢文で書かれた回答の現代語訳も付け加えて欲しい)。現状は掛軸に表装されているが、義持はこれを衝立てに仕立てて身近に愛用していたという。

このように、日本における禅が権威権力の側を戒め、世の中の権威常識の固定観念を突き崩すものでもあった、そんな自由な発想を具体的に体現する人物としては、天皇の子でありながら天衣無縫な振る舞いの反骨精神と機智に富んだ頓知で、世の中の権威常識を覆し挑発し続けた破戒僧・一休宗純がいたことも忘れられない。

一休宗純像 室町時代15世紀(本展では非展示)重要文化財

さまざまな逸話のある一休宗純だが、有名なところでは木製の仏像をたきぎにくべて「ただの木だ、暖をとった方がよほど人を救う役に立つ」と言ったり、浄土真宗の門主・蓮如を訪ねたときに留守だったので、その念持仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした、密教の呪術修法の護摩壇の火を小便をかけて消したとか、骸骨を掲げて街を練り歩き「ご用心、ご用心」と、人が必ず死ぬものだとの警鐘を触れて回ったなどなど…。

一休宗純像 京都・酬恩庵(一休寺)蔵 重要文化財
片足を膝に乗せるポーズが型破り

一休は大徳寺も含む当時の禅宗の形骸化も激しく批判し、僧侶の戒律をものともせず寺院で当時一般的だった男色だけでなく女性とも交わり子どもももうけている一方で、その大徳寺の往時を務めた権威ある禅僧でもあった。

京都と東京の国立博物館が企画した「禅-心をかたちに」展は、白隠が「人の心を直接に指差してそこに仏の心を見い出す」と書き込んだ大判の達磨像を、展覧会の冒頭に置き、人の心の内にこそ仏があるという理念を具象化した范道生の「羅怙羅尊者像」を宣伝などでもフル活用し、相国寺伝来の周文の「十牛図」(禅の修行を牧童にたとえ、少年が自分の分身であり真実の自分を意味する牛を探す姿として表したもの)も目玉作品のひとつであるなど、禅を「心に仏性を宿した真実の自分探し」というテーマを前面に打ち出し、その仏性の「心」を形にして来た日本の禅宗美術の歴史を紹介すことがコンセプトになっている。

伝 周文 十牛図絵巻 相国寺蔵 第十図

だが一方で、たとえば「羅怙羅尊者像」を作った范道生は長崎に住んだ中国人仏師で、これは黄檗宗寺院のために作られたコテコテに明風の仏像でもある。

周文の「十牛図」も牧童の服装や建物は宋風・中国の風景だし、雪舟の「秋冬山水図」も中国の風景を描いている。歴史的な正確さで日本における禅の歴史を追って行けば、それは中華文明に憧れて、中国の最先端の文化文明や思想を受容して来た、いわば中国模倣の歴史でもあった。

周文(伝) 山水図(水色巒光図) 15世紀室町時代 奈良国立博物館 国宝

いやそれを言うなら、近代以前の社会において宗教は文化と文明観の根幹を成すものであり、日本の場合それは仏教だった。6世紀に仏教が伝来するとすぐに日本古来のカミへの信仰は仏教と融合し、神仏習合は最初から当たり前だった。

平安時代になると空海が中国から直輸入した当時の最先端仏教である密教の理論体系で、日本のカミガミは仏が日本向けにカミの姿で現れたもの(権現としてのカミ、その本地仏としての仏)として理論化され、今日でいう神道はいわば仏教の一部だった。

仏教は最初は朝鮮半島を経て伝来し、推古朝の遣隋使派遣以降は白鳳・奈良・平安時代前半の遣唐使と、常に中国大陸から輸入される外来宗教だった。またその本流が天竺・西方・インドになることも日本人には意識され続けていたことは、たとえばこの展覧会でも複数展示されている羅漢図を見ても分かる。

十大弟子立像 鎌倉時代13世紀 京都 鹿王院 インド風の服装

宋や元の時代の中国で製作された羅漢図が日本の禅宗寺院に伝来したものも多いが、禅僧の修行の日常生活のメタファーでもある羅漢図や十大弟子像では、羅漢や十大弟子はインド風の服装で、それ以外の俗人は中国風俗で描かれている。

日本人の世界観の思想的・理念的中心は外来のものであり、それが外来のものであることを日本人は常に意識し続け、日本の禅宗の歴史を彩る華麗な中国趣味、唐物愛好に見られるように、むしろ渡来品であることには世俗的な高級品というのには留まらない、宗教的・哲学的な意味すらあった

唐物、中国製の高級陶磁器や工芸品を珍重した茶の湯の文化を改革したのが天才・千利休だが、利休が自分の美学に添った茶碗を国内で楽家に楽茶碗として焼かせたりもしたからと言って、別に「日本独自」へのナショナリズム的なこだわりだったわけではない。

むしろこの展覧会でも禅の文化の普及の一例として、織田信長の弟で利休の高弟で、徳川将軍家の茶道師範にもなった織田有楽斎の世界を取り上げるコーナーがあるが、有楽斎に関わる代表的な逸品といえば、自身の名が銘となっている大井戸茶碗・有楽がある。

名物大井戸茶碗 銘 有楽 (重要美術品)李氏朝鮮 16世紀 重要美術品

利休の天才は、たとえば朝鮮の民具だったものを井戸茶碗、三島茶碗などと称してそこに美を見出すことで、龍泉窯、健窯、景徳鎮と言った中国陶磁を頂点とする高級茶器の価値体系を覆したのだ。

ちなみに兄の信長が愛用した、銘「信長」の井戸茶碗もあり、現在畠山記念館で展示されている。 
http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/exhi2016autumn.html

楽茶碗もまたその美学の新体系のなかに位置づけられるもので、利休が削ぎ落とした美学の思いのままの茶器を楽家に焼かせることができた以外には、別に国産であることにたいした意味はない。

常慶 黒楽茶碗 銘 末広 安土桃山~江戸時代 16~17世紀

権威であって権威でない、ありていに言えば中国模倣でありながら、たとえば雪舟の「慧可断臂図」が明の戴進の「達磨至慧能六代祖師図」を模しているとしても、雪舟が完成させた絵画のなかの慧可と達磨の禅宗継承のドラマは中国のお手本とはまったく異なった、別の次元の表現になっているような、日本人とその歴史・文化史・精神史にとって「禅」とは、そういうものなのかも知れない。

牧谿 瀟湘八景図巻断巻 烟寺晩鐘 南宋14世紀 畠山記念館で展示中 国宝
長谷川等伯 瀟湘八景図屏風 安土桃山時代16世紀 東京国立博物館本館で展示中

破天荒な機智で世間の権威常識に異議申し立てを続けた一休宗純が、一方では歯に衣を着せずに苛烈な批判を辞さなかった京都五山の名刹大徳寺の、往持という要職にも就き、天皇の皇子でその所持品には父・後小松天皇から下賜された逸品も多かったり、禅宗は確かに大名や将軍家、皇室ともつながりの深い権威・権力の側の宗教文化でもあった。

鎌倉五山、建長寺や円覚寺は北条執権家が開基となって鎌倉幕府の帰依の篤かった寺であり、京都五山を整えたのは足利義満、その五山のなかでも別格となる南禅寺も亀山天皇が譲位後に自らが住んで出家し法皇となった寺であり、応仁の乱で荒廃した後、現在の壮大な伽藍を復興できたのは、以心崇伝が徳川家に重用されたからだ。

長谷川等伯 松林図屏風 右隻(国宝)
左隻 安土桃山時代 16〜17世紀初頭

禅とは権威であって権威を壊す、権威を壊しながらなお権威でもあり続ける、そんなものであった日本人と禅の歴史のなかで、江戸時代に禅をむしろ庶民にこそ広めようとする禅の高僧が現れ、優れた画才で誰にも分かりやすい絵で禅の心を説き始めた。

仙厓義梵 南泉斬猫画賛
弟子たちが寺に住み着いたかわいい猫の取り合いを始め
高僧がその猫を斬り殺しその迷いを諌めたという逸話だが
仙厓は猫を殺すのは誤りだと賛文に書いている

白隠慧鶴であり、仙厓義梵である。「禅-心をかたちに」展には、その白隠の最近発見された絵も展示されている。

白隠慧鶴 慧可断臂図 18世紀 大分・見星寺蔵

これも「慧可断臂図」、雪舟の傑作と同じ禅宗の創世期の、達磨大師をめぐる伝説をテーマにした絵だが、なんというか…達磨はこの絵ではこれ見よがしにこれから腕を切りますと言わんばかりの慧可に向き合うようでいて、目玉はそれでもなんとか無視というか知らんぷりするかのように右上に向けて描かれているが、これはつまり、まあ…こういうものである。

ちなみに達磨が円のなかに描かれているのは、真円が禅においてもっとも調和のとれた美しい形とみなされたからであり、真円を描けるまで修行を積むことが、禅の画僧の悟りへのひとつの道とみなされた。

白隠慧鶴 円相図 18世紀江戸時代 賛文は駿河の茶摘み歌
仙厓義梵 円相図 江戸時代19世紀 自賛は「これくふて茶のめ」

高僧が生前に自分の肖像を描かせたり像を彫らせることを寿像と言うが、沢庵宗彭は職人に真円を器具を使って描かせ、そこに墨で点を打つことで自画像の寿像とし、弟子や身辺に配ったという。これもなんというか、いかにも禅であり、つまりはまあ、そういうものだ。

沢庵宗彭 自画賛 江戸時代17世紀